大白法

平成18年1月16日号


主な記事

<1〜5面>

<5〜8面>


back      index      next




御法主日如上人猊下より訓諭を賜る



        訓  諭        
                   宗 内 一 般

日如上人猊下
 野衲 嚢に日顕上人より平成十七年十二月十二日血脈相承を受け 総本山第六十八世の法燈を嗣ぎ 次いで同月十五日管長推戴会議を 経て本宗管長の職に就きました  惟うに 今宗門は日顕上人の御英断によって 曽て宗内に在った 邪智驕慢なる謗法の徒輩を掃滅して日興上人以来の血脈正統の宗是 を厳護し 更に奉安堂の建立等総本山を整備荘厳して 盤石なる基 盤を構築しつつ凛然として広布への道を進んでいます  然しながら 正法正義の征くところ障魔の跳梁跋扈することもま た必定であります  されば 宗内僧俗一同 和衷協力をもって只管に一天四海本因妙 広宣流布達成の願業を目指し 以て教学の振興と布教に徹し正法の 興隆に邁進することが肝要であります  就中 三年後に控えた立正安国論正義顕揚七百五十年の大佳節へ 向けては 日々の精進と猶一層の団結をもって当たらなければなり ません  野衲は素より徳薄垢重にしてその器ではありませんが 宗開両祖 並びに先師の御遺訓を奉戴し 宗内僧俗一同の協力を得て広布の浄 業に挺身する決意であります  冀くは宗門の緇素 よろしく微衷を諒せられ 身口意三業に亘る 弛まざる努力をもって正法広布のため宗門の興隆発展に寄与せられ んことを願います  右訓諭します   平成十八年一月一日        日蓮正宗管長  早 瀬 日 如


○訓諭を拝して 総監・八木日照御尊能化

今般、管長・日如上人猊下には、立宗754年「決起の年」の年頭に当たり、宗内僧俗一同に対して訓諭を御発令あそばされました。

日如上人猊下には、昨年12月、第67世日顕上人猊下より、金口嫡々唯授一人の血脈をお受けになり、総本山第68世御法主として御登座あそばされました。私たち僧俗一同は、宗祖日蓮大聖人以来の正法正義の御継承を、まことに尊いことと心より寿ぎ奉り恐懼感激するものであります。

しかして、このたび発せられた訓諭の御意を深く拝するとき、いかなる障魔にも怯(ひる)まず、正法流布・広布達成の願業に向け、僧俗和合による弛(たゆ)まぬ破邪顕正の折伏実践こそ、私たちの最大の使命であり、同時にそれが仏祖三宝尊をはじめ奉り、血脈付法代々の御法主上人、さらには先達の方々に対する最大の御報恩であることを改めて自覚し、深く心に期し、奮起精進を誓うものであります。

忝(かたじけ)なくもこのたび、英邁にして信行学に抜きん出られた慈しみ深き新御法主日如上人猊下を、正法広布に向けての新たな法将として奉戴いたしました。私たち宗門僧俗一同は、その御指南に随順し奉り、各支部指導教師のもと、本年度の実践テーマ五項目を着実に実行し、なお一層、自行化他、誓願目標完遂に向けて前進を開始いたしましょう。

もって、近くは「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節をめざし、さらには末法万年にわたる大白法弘宣による仏国土顕現を一日も早く成就すべく、異体同心の絆をいよいよ固めて、一層の精進を期し、訓諭にお応えしてまいろうではありませんか。


○御訓諭を拝して 法華講総講頭・柳澤喜惣次

この度、御法主日如上人猊下より、宗内一般に御訓諭が発令されました。法華講連合会は、ここに謹んで御訓諭を拝受し奉り、御法主上人猊下の御意に副(そ)い奉らんと決意を固くするものであります。

御訓諭には、「されば宗内僧俗一同和衷協力をもって只管に一天四海本因妙広宣流布達成の願業を目指し、以て教学の振興と布教に徹し正法の興隆に邁進することが肝要であります。就中、3年後に控えた立正安国論正義顕揚750年の大佳節へ向けては、日々の精進と猶一層の団結をもって当たらなければなりません」との御指南を、組織のすみずみまで伝達し、そこに御法主上人猊下に信伏随従し奉り、指導教師の御指導のもとに、「決起の年」の本年から「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節に向かって、御命題の倍増乃至それ以上の地涌の友の輩出を以て、御報恩の大法要実現を決意するものであります。

今、御訓諭の意に副い奉らんとする我ら法華講は、互いに自らの信行を反省し、その一念に誤りがあれば糺(ただ)していかなければなりません。そこに、それぞれに自分の生活は一体、何宗の生活かと、このような観点に立つとき、その答えは容易に出てくることと存じます。教えには、各宗共に行儀作法は異なります。それは基準となる教えの根源が異なるからであります。故に、正法以外の欠陥のある教えは、生活の上に実相と異なった姿・形を現してきます。それは正直か、不知恩かであります。そこに教学の振興は、布教の上にも、自らの信心を糺す上にも、大事なことであります。

我ら法華講は、御法主上人猊下の御もとに、御訓諭を奉戴し、身口意の三業に亘る弛まざる努力を以て御命題の「倍増乃至、それ以上」の達成に勇躍大前進いたしてまいろうではありませんか。




正義顕揚750年に向けて決起大会を挙行


法華講連合会初登山会の第1日目、好天に恵まれた1月3日の正午から、客殿において「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」をめざして、決起大会が開催された。

この決起大会には、総本山第68世御法主日如上人猊下、御隠尊日顕上人猊下の御臨席を賜り、総監・八木日照御尊能化、重役・藤本日潤御尊能化、高野日海・秋山日浄・大村日統・光久日康・菅野日龍・尾林日至の各御尊能化、宗会議長・細井珪道御尊師、宗務院各部長をはじめ御宗門の全指導教師方が御出席された。

法華講から総講頭の柳沢委員長、石毛副委員長をはじめ永井藤蔵・渡邊定元・石渡秀男・大草一男の各大講頭、吉野範里・井出光彦総本山総代、寺族、法華講連合会役員をはじめ、全国法華講の代表3千350余名が出席。さらに海外より10力国100余名の代表が参加した。

しおり
※右画像をクリックするとPDFファイルが表示されます。

11時40分、客殿に信徒の入場が完了したのち全国の御僧侶方が入場されると、御隠尊猊下、御法主上人猊下が御入場あそばされ、題目三唱の後、開会が宣せられた。はじめに開会挨拶として宗務院庶務部長の阿部信彰御尊師が登壇され、立正の意義を大きく顕揚すべく、意を決して大折伏の行動を起こす時であると述べられた。

開会挨拶 庶務部長・阿部信彰御尊師

皆様、新年おめでとうございます。本年「決起の年」の新春を迎え、御登山の皆様方には、決意も新たに折伏弘教の御奉公を誓われたことと存じます。

さて、本日は、ここ総本山客殿において、第68世御法主日如上人猊下、前御法主日顕上人猊下の御臨席を賜り、総監・八木日照御尊能化をはじめ全国の指導教師各位、並びに法華講総講頭・柳沢喜惣次殿をはじめ、遠く海外より参加の御信徒を含む全国法華講各支部代表の方々、寺族の方々、多数の御出席をいただき、盛大に決起大会が執り行われ、まことにおめでとうございます。本日の大会は「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節の目標達成に向けて決起するためであります。

御法主日如上人猊下は「新年の辞」に、「大御本尊に対する絶対の確信のもとに、一切衆生救済の誓願に立ち、遠くは一天四海本因妙広宣流布達成のため、近くは来たる平成21年の大佳節へ向けて大同団結し、全力を傾注していくことこそ、今、最も肝要であります」(大白法684号)と御指南あそばされました。また、昨年度の地方別広布推進僧俗指導会の砌には、「平成21年の御命題は『地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集』であります。結論から先に言えば、天変地夭や戦争やテロ、悲惨な事件や事故をなくし、平穏にして幸せな世界を実現するためには、我々は何としても『地涌倍増』の御命題を達成しなければなりません。『地涌倍増』が達成されれば、未来広布への道も大きく開かれ、御金言のごとく諸天善神も守り給い、日本は変わります。日本が変われば世界も変わります。何故なら、仏法は体であり、世間は影であります。正を立てて国を安んずるという『立正安国論』の原理は厳然と存在しているからであります」(同677号)と御指導いただきました。

近年の日本や世界は、天変地夭や戦争やテロ、悲惨な事件や事故が続発し、「体曲がれば影なヽめなり」(御書1469ページ)の御金言通りの様相を呈しております。これは、去る平成2年、創価学会が三宝破壊の大謗法団体と化したことと、符節を合わせるがごとき、厳しき現証と申すべきであります。以来15年、宗門は御法主上人猊下の御指南のもと、僧俗一致してあらゆる障魔を払い、平成2年・法華講三万総登山、平成6年・地涌六万大総会、平成10年・客殿落慶十万名総登山、平成14年・宗旨建立750年法華講30万総登山と、破邪顕正の前進をいたしてまいりました。そしてその平成14年、池田創価学会の野望と謗法の象徴と化した正本堂を撤去した後に、御遺命の広宣流布・戒壇建立をめざし、三大秘法の正義に基づき奉安堂が建立いたされました。その落慶大法要の砌、本門戒壇の大御本尊の御前にて賜った目標こそ、平成21年「地涌倍増」の御命題なのであります。

かかる不思議な運びによる広布前進の姿は『上野殿御返事』の、「一切の事は時による事に候か」(同1436ページ)の御金言をそのままに、その一切が時に当たる大正法興隆の事相であり、特にこのたびの前御法主日顕上人猊下より新御法主日如上人猊下への血脈継承も、時による深い御仏智のお計らいと拝し奉るものであります。すなわち、本年「決起の年」こそは、遠くは一閻浮提広宣流布をめざし、近くは平成21年の御命題達成に向けて、地涌三十万・奉安堂建立の法礎の上に、立正の意義を大きく顕揚すべく、我ら僧俗一同が意を決して総決起し、大折伏の行動を起こすべき時であります。

どうぞ本日の決起大会に御参集の皆様方には、この重大なる時節において、このたび御発令あそばされた御訓諭のもと、「一心欲見仏不自惜身命」、命がけの唱題と折伏に励まれ、本年よりの3年間を悔いなく闘いきり、見事、御命題を達成され、もって広大な仏恩に報い奉ると共に、御法主日如上人猊下の御慈悲にお応えくださるよう心からお祈り申し上げます。以上、開会の辞といたします。

次いで全国の地方部長を代表して柴山満群馬地方部長が登壇し、御訓諭の御心を体して御命題を達成してまいると力強く決意を披瀝した。

決意 全国地方部長代表・柴山満

立宗754年、「決起の年」の新春、皆様、明けましておめでとうございます。御法主日如上人猊下におかせられましては、ますます御健勝にて新春をお迎えあそばされましたこと、衷心より謹んでお祝い申し上げます。また、御隠尊猊下におかせられましても、ますます御壮健にて新春をお迎えあそばされましたことを謹んでお祝い申し上げます。

本門戒壇の大御本尊様在す総本山において、御法主上人猊下並びに御隠尊猊下の御臨席を仰ぎ奉り、各御尊能化、御尊師様方並びに寺族の方々をはじめ、海外信徒および全国法華講の代表が結集し、僧俗一致して御命題の達成をめざして盛大に開催されました本日の決起大会を、衷心よりお祝い申し上げます。決起大会に当たり、僭越ではございますが、地方部長を代表いたしまして決意発表をさせていただきます。

御宗門より、本年度の年間方針を「決起の年」とする旨、発表されました。この「決起の年」の目的は、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節における「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集を」の御命題達成をめざして総決起し、一人ひとりが決意を固めて、行動を起こしていくためであります。正義顕揚750年の大佳節も、いよいよあと3年後に迫ってまいりました。我ら法華講は、いかなる障魔が競い起ころうとも、断じてこの御命題は達成していかなければなりません。

私たちは、今まで平成2年の三万名総会、平成6年の地涌六万の大総会、平成10年の十万名総登山、さらには平成14年の宗旨建立750年慶祝30万総登山等と、すべてを大御本尊様と諸天の御加護によって、大成功のうちに成し遂げさせていただきました。ひとえに、御法主上人猊下に信伏随従し奉り、御指南のままに信心させていただいた結果であり、「やればできる」という法華講の力を実証し、大きな功徳を積ませていただくことができました。私たち法華講員は、どこまでも御法主上人猊下の御指南に信伏随従し奉り、指導教師の御指導のもと僧俗一致・異体同心しての信心が、最も大切であります。

御法主日如上人猊下は、本年の『大白法』新年号で、『聖人御難事』を引かれ、「師子王の心とは、破邪顕正の強固なる心をもって、いかなる障魔も恐れず、敢然としてこれを退け、微動だにしない不動の信念と、広布へ向かって前進していく勇猛果敢なる信心であります」(684号)と「決起の年」を闘う心構えを御指南あそばされ、さらに、「それは単に、精神的、表面的なものではなく、内実した心そのものであり、強靭にして不屈の精神を基とした、広布への実践活動を伴うものでなければなりません」(同)と御指南を賜れておられます。

この御指南は、本年の実践項目であります、
 一、勤行・唱題の徹底
 二、御報恩御講参詣・広布唱題会参加の徹底
 三、支部一丸で折伏を実践
 四、人材の育成で支部組織の充実強化
 五、教学研鐙で邪義破折の実践
の5項目を必ず実践していく御指南であると拝すものであります。

今日の社会情勢を見てみますと、世界の至る所で災害や無差別テロが発生し、国内においても凶悪で悲惨な犯罪や異常気象による災害が連日報道されております。これらの諸悪の根源は、日蓮大聖人様が『立正安国論』にお示しのように邪宗教、特に現在の一凶たる池田創価学会の大謗法が世界に蔓延しているからであることを、我々はしっかり肝に銘じていかなければなりません。今こそ我々法華講員は決起し、死身弘法、不自惜身命の大折伏戦を展開していかなければなりません。

平成21年の大佳節も、いよいよあと3年となりました。本日の決起大会を契機に、一人ひとりが熱原法華講衆の流れを汲む法華講員としての使命と誇りを持って、全国が総決起して大折伏戦を展開していこうではありませんか。皆さん、いかがでしょうか。恐れ多くも1月1日に御訓諭が発せられました。我々法華講員は、この御訓諭の御心を体し、御命題を達成してまいることを、ここにお誓い申し上げ、決意発表といたします。

このあと、同じく決意発表として柳沢委員長が登壇し、全国法華講員が一人も漏れなく大功徳を積むため、総講頭の責務を果たしていくことを誓った。

決意 法華講総講頭・柳沢喜惣次

清々しく明ける立宗754年の新年、おめでとうございます。本日は、仏祖三宝尊御照覧あそばされる総本山大石寺客殿において、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」をめざす「決起大会」が、御当代御法主日如上人猊下並びに御隠尊日顕上人猊下御臨席の御もとに、かくも盛大に開かれましたこと、皆さんおめでとうございます。

私はこの決起大会に当たり、二つのことを決意いたすものであります。一つは、自らの自覚であります。このたびは、御法主日如上人猊下より1月1日付をもって御訓諭が発令されました。私は、御訓諭を拝読しましたときに、未だかってない感動を覚えたものであります。それは総講頭としての自覚であります。法華講総講頭の役職の責任は、今も昔も同じであります。今、このことを思うときに、私はその責任の重さを痛感し、また、その意を深くするものであります。今一つは、御命題達成への決意であります。「倍増乃至、それ以上」の地涌の友の輩出の目安を、今日から3年、平成20年までに具体的に実現していく方策と、その実践であります。この2つが私の信心の中にきちんと定まって信行に励んでいくならば、後は事に当たって、策も智慧も、御仏智を戴き必ず出てくることを確信するものであります。

この利益の現れることは、皆様も既に御存知の通りであります。しかしながら、魔はこの我ら法華講の信心を決して油断してはおりません。油断しているようなふりをして、虎視眈々としてこちらの動きを狙っているのであります。そこに、少しでも弛む心があれば、「魔たよりをうべし」(御書1397ページ)の御金言のごとく、知らず知らずの間に信心が誑(たぶら)かされていくのであります。

その一つの例は、まだ先があるよと思わせて来る手口であります。これは、魔の常套手段であります。また魔障は、気をつけて見ておりますと、その手口はほとんど決まっているようであり、特別に事新しきものはないように私は思っております。これらは、すべて大聖人様が御一代の御化導の中で、末法の我ら凡夫のために尊い御身をもって御教導を賜っておるものと拝するものであります。そこに我らは、行学の二道を怠ってはならないのであります。この行学の二道の御指南は、大聖人様の大慈大悲の上からの教訓であり、また訓誡であります。

翻って御宗門は、先には大障魔を打ち払い創価学会の謗法を一掃し、宗旨建立750年の大法要、そしてまた奉安堂の御建立、さらにまた境域の整備等、すべてとどこおりなく奉修あそばされ、総本山は今、見違えるように荘厳になっております。我ら法華講は、いかなる因縁か、この大事な祖道の恢復の時に巡り合わせ、先の御法主日顕上人猊下の驥尾に附して大きな功徳を積まさせていただき、まことにありがとうございました。さらにまた7年後の大目標を賜り、今日を迎えているものであります。

このたびは、御法主日如上人猊下の御もとで、我らは、僧俗異体同心の上に御命題を必ず実現していく。この御報恩謝徳の信心は、法華講として「『立正安国論』正義顕揚750年」、御命題の地涌の友の輩出と倍増は、法華講の宗史を飾る尊い歴史となるのであります。この因縁を思うとき、一人ひとりが、この大事な時に巡り合う因縁をどう捉えるか。そこにはただ御本尊様への絶対信の、唱題と折伏あるのみであります。

かって法華経の『信解品』の中の窮子(ぐうじ)が、客作(かくさ)の賎人から脱して長者の子であることを自覚したように、我らもまた、一人も漏れなく大功徳を積ませていかなければなりません。それはまた、私の任であり責務であることを、深く自覚するもので一あります。

新年の門出に当たり、我ら法華講は御法主日如上人猊下の御もと、御訓諭を奉戴し僧俗一致団結、一大決起して平成21年をめざして勇躍、大前進いたしてまいろうではありませんか。

終わりに当たり、御宗門のますますの御隆昌と、御当代御法主日如上人猊下並びに御隠尊日顕上人猊下のいよいよの御健勝と、そしてまた御出席の御尊能化、御尊師様方、寺族の皆様、法華講代表の皆様、さらに海外の代表の皆様、お一人ひとりの御健勝と御活躍を念願いたしまして、決意とさせていただきます。

続いて全国の宗務支院長を代表して、北海道第一布教区支院長の仏見寺住職・藤原広行御尊師が決意発表に立たれ、御本仏日蓮大聖人の仏恩に供すべく、手に手を取り合って、健康で明るく、力強く折伏弘教に邁進しようと呼びかけられた。

決意 全国宗務支院長代表・藤原広行御尊師

立宗754年「決起の年」、新年明けましておめでとうございます。総本山第68世御法主日如上人猊下には、御隠尊日顕上人猊下共々、御健勝にて新年をお迎えあそばされましたこと、衷心よりお慶び申し上げます。

去る平成14年、御隠尊日顕上人猊下より「『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節における「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」との御命題を戴いて以来、私共は僧俗一丸となって折伏弘教に邁進してきましたが、いよいよ残すところ3年に迫りました。ここに今、御法主日如上人猊下及び御隠尊日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、宗門の僧俗が一堂に会して「決起大会」を開催する意義は、「地涌の友の倍増」をめざして、いよいよ本格的な折伏弘教に勇猛精進する決意を固めて、行動を起こさんがためであります。

宗門僧俗の信心活動の組織の論理とは、戒壇の大御本尊在す総本山を根本に、唯授一人血脈付法の御法主上人猊下の御指南のもと、地涌の菩薩の眷属たることの自覚を持って、総本山と末寺を護り、一切衆生済度という崇高なる目的としての令法久住・広宣流布のために、自行化他にわたる信行学の実践を重ね、異体同心の麗しい友情の絆に支えられながら、現当二世にわたる大果報を開花せしめる機能であります。

大聖人様は、「謗法を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」(御書1040ページ)、「日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり」(同1361ページ)と仰せであります。

いよいよ3年後の目睫(もくしょう)に迫った佳節に向かって、御法主日如上人猊下の御指南のもと、異体同心・僧俗和合の絆をもって御命題完遂に向かって折伏弘教に精進し、御本仏日蓮大聖人の仏恩に供したいと決意するものであります。皆さん、手に手を取り合って、健康で、明るく、力強く、折伏弘教に邁進し、もって平成21年の大佳節を盛大に迎えようではありませんか。皆さん、いかがでしょうか。

最後に八木総監より挨拶が述べられ、御命題達成に対し全僧俗が真剣な唱題を重ね、決意も固く行動を起こすことを願われた。

挨拶 総監・八木日照御尊能化

立宗754年の新春、明けましておめでとうございます。このように、本宗信仰の根本である本門戒壇の大御本尊と、大聖人様以来の唯授一人の尊い血脈法水を御承継あそばす御法主上人猊下の在す総本山に、日本乃至全世界の僧俗の代表が集い、来たる「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」に向けて意気高らかに決起大会を開催することができ、まことにおめでとうございます。

顧みますと、私たちは前御法主日顕上人猊下の血脈伝持の正法正義に基づく正しい御指南を戴き、様々な大業を遂行してきたという輝かしい歴史を共有し、誇りとしています。先ほど来、話があった通り、平成2年の三万総登山から平成14年の法華講30万総登山まで、ことごとく信心唱題を元とし、僧俗一体となって達成完遂の歴史を築いてまいりました。この積み重ねられてきた重みのある尊い実績の上に、このたび「地涌倍増」という御命題に取り組んでいるのでありますから、これが達成できないはずはありません。

今年は平成2年から数えて16年。過去の闘いにおいて地涌の巻属らしく華々しく闘い、使命を終えて霊山(りょうぜん)へ旅立った多くの同志もおられるでしょう。その方々の尊い思いに応えていく意味においても、今回の闘いでは絶対に負けるわけにはいきません。必ず納得のいく結果を出してまいりましょう。

さて、次に御命題である「『立正安国論』の正義顕揚」について考えてみますと、御承知の通り『立正安国論』は、文応元年7月16日、大聖人が御年39歳の時、末法救済の仏様としての御慈悲の上から救国の方途を示し、当時の最高権力者である北条時頼に奏呈した烈々たる国主諌暁の書であります。

『立正安国論』の「立正」とは、正を立てる。つまり正しい法を立てるということで、その正しい法とは、申すまでもなく本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法であり、今日の時点で言えば、日蓮正宗の仏法であり、その根源は、当総本山奉安堂に御安置格護される本門戒壇の大御本尊であります。また、この「立正」すなわち「正法を立てる」という意義の側面には、当然、他の誤った一切の邪義を破折する「破邪」の意義があります。したがって「立正」とは、大聖人御本意の戒壇の大御本尊を根本とする仏法をもって、世界中のあらゆる人々を救い、幸せにする真実の正しい教えを立てる。そして、その他の一切のあらゆる誤った宗教、人々を不孝にする邪宗教を破り、根絶するという意味であります。次に「安国」とは、国を安んずる、国や社会を安泰にする。日本乃至世界中の国々が未来にわたって秩序を持って安定し、そこに住む国民が安穏に、幸せに暮らせるということであります。

このように、まことに尊く正しい教えが説き示されている『立正安国論』が著されてから、間もなく750年目を迎えるのであります。そこで去る平成14年10月、総本山奉安堂落慶記念大法要の終会が賑々しく奉修された折、前御法主日顕上人猊下から、我々僧俗がこれから進むべき明確な目標として、「本年より7年後には、大聖人様が『立正安国論』による正義顕揚をあそばされた文応元年より数えて750年を迎えます。まことに『立正安国』の正義は日本乃至、世界全人類に対する根本的な教導の大指針であり、恒久平和を築くべき根本要旨であります。その750年の節目が、平成21年に当たります。その意義深き時を迎えるに当たっては、30万総登山達成の本年よりさらに7年間の折伏と育成により、地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集を遂げ、もって大仏法の荘厳と正法による国家安寧の実現を目指すことが肝要と存じます」(大白法608号)と御指南くださいました。

さて、このような御指南をいただいてから今日まで3年2カ月を経過し、残すところ3年数力月となりました。私たちは、本日よりさらにこの御命題達成に向け、ひたむきな精進を重ねていかなくてはなりません。

恐れ多くもこのたび、第67世日顕上人猊下より御相承を継承され、第68世御法主として御登座あそばされた日如上人猊下は、年頭に当たり、我々宗内僧俗一同に対し訓諭を御発令になられました。その中において、「宗内僧俗一同和衷協力をもって只管(ひたすら)に一天四海本因妙広宣流布達成の願業を目指し、以て教学の振興と布教に徹し正法の興隆に邁進することが肝要であります。就中、三年後に控えた立正安国論正義顕揚七百五十年の大佳節へ向けては、日々の精進と猶一層の団結をもって当たらなければなりません」(当号)と、弛(たゆ)むことなき日々の精進、そしてなお一層の団結、各々がバラバラではいけない、互いに連携を取り合い、心を通わせ合い、御本尊のもとに一層の団結を図って進んでいくよう御指南くださっています。

また、すでに御承知の通り、宗務院からは本年「決起の年」の年間実践テーマとして5つの項目が掲げられています。本日、ここに御参集の皆さんは、国内の方、また遥々海外から登山した方々もおられ、国や地域も異なり、各々立場も異なります。したがって、この実践テーマを踏まえての日常の信心活動は、自ずと一様ではありません。それぞれが自分の立場でこれを掘り下げ、身に当てて考え、具体的な方法を定めた上でこれを実践する必要があります。どうか、そのきめ細かい行き届いた捉え方で、一つひとつの項目を日々実行に移していただきたいと願うものであります。地道ではありますが、それこそが「地涌倍増」につながる確実な方途であると確信いたします。決して何か画期的な秘策などがあるわけではありません。基本的なごく当たり前の信心修行を一心に続けていく、その延長線上に御命題の達成の鍵があると思います。

大聖人は『経王殿御返事』に、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(御書685ページ)と、願いを成就するに当たっての根本をお示しであります。また『呵責謗法滅罪抄』に、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同718ページ)とも仰せであります。御命題達成に向けて真剣に思索し、御本尊に祈り、唱題を重ねて折伏行に邁進するところ、必ずや所願成就することを確信するものであります。「決起の年」の幕開けに当たり、自らの心に堅く決意を固め、敢然と行動を起こして堂々と前進してまいりましょう。以上、御挨拶といたします。

ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。御法主上人猊下は、あらゆる障魔を打ち払い、師子奮迅力をもって全支部が御命題を達成していただきたいと願われた。さらに、「地涌倍増」の具体的方途は折伏以外にないことを御指南あそばされ、一人ひとりが破邪顕正の折伏を行じて仏祖三宝尊の御恩徳に報いていくよう望まれ、御言葉を結ばれた。

御法主上人日如猊下御指南

まず初めに、本日の決起大会に当たり、御隠尊日顕上人猊下の御臨席をいただきましたことを厚く御礼申し上げます。日顕上人猊下、まことに有り難うございます。

日如上人

既に皆様方には御承知のとおり、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節における地涌倍増と大結集は、日顕上人よりいただいた御命題であり、広布の途上において必ず達成しなければならない重要な目標であります。本大会は、この御命題必達を期して本宗僧俗が異体同心、一致団結して総決起するところに、その意義が存するのであります。よって、大佳節まで残りあと3年、御命題達成へ向けて最も重要となるこれからの3年間をいよいよ信心堅固に、あらゆる障魔を打ち払い、師子奮迅力をもって闘いきり、もって、すべての法華講支部が必ず御命題を達成していただきたいと心から願うものであります。

さて、大聖人は『南部六郎殿御書』に伝教大師の文を引かれて、「国に謗法の声有るによて万民数を減じ、家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(御書464ページ)と示されております。今日の世界的な異常気象をはじめ、国内外の悲惨な事件や事故など、混沌とした状況を見る時、その惨憺たる有り様は、まさに目を覆うばかりであります。心ある者ならば、これを嘆かざる者は一人としておりません。

しかし、その解決に当たっては、それぞれの関係者がそれなりに努力をしていることは認められても、いずれも根本的な解決の方途を見出だせず、いたずらに労を尽くすのみで低迷困惑しているのが現状であります。こうした惨状を根本から救済するためには、まず、その混迷の原因が奈辺にあるかを知り、その根本原因をさぐり、そこから真の解決を計っていくことが必要であります。

既に大聖人は『立正安国論』において、世の中の不幸と混乱と苦悩の原因は、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあると仰せられています。これは、「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影ヽめなり」(同1469ページ)と仰せの如く、「仏法は体、世間は影」との宇宙法界の根源の妙法に照らして示された大原則であり、この大原則を無視して、今日の如き混迷を極める苦悩と混乱と不幸を救うことはできません。

大聖人が『立正安国論』を著された所以もここにあり、立正安国の原理を掲げ、本因下種の妙法をもって一切衆生救済と仏国土実現を目指していくのが地涌の菩薩の実践行であります。よって、今こそ我らは、混乱と苦悩に満ちたこの現状を救済するため、断固たる決意と勇気を持って立ち上がり、「地涌倍増」を達成し、未来広布への道をなんとしてでも切り開いていかなければなりません。多くの不幸な人々を救い、国を救い、世界を救うことができるのは、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の教えを唯一、正しく持ち、大聖人の御意のままに、一切衆生救済の誓願に立ち、真の広宣流布を目指して精進している、我々日蓮正宗の僧俗しかおりません。

そこに我々は、本年「決起の年」を迎えるに当たり、日顕上人がお示しあそばされた「地涌倍増」の必達を期して、すべての法華講員が立ち上がり、御命題にお応えしていかなければならないのであります。而(しこう)して、その「地涌倍増」実現の具体的方途とは何かと言えば、すなわち折伏以外にないことは論を俟ちません。

大聖人は『聖愚問答抄』に、「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし」(同403ページ)と仰せであります。また、『南条兵衛七郎殿御書』には、「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(同322ページ)と仰せであります。

これらの御文から拝せられるように、我々の信心から折伏を取り除けば、それは爾前権教の修行であり、大聖人様の仏法ではありません。

では、その折伏を行ずるに当たり、我々はいかなることを心掛けて実践していけばよいのか。たしかに折伏については数多の考えはありますが、法華経法師品には、滅後における弘教の方軌として「衣座室の三軌」が説かれています。すなわち、「如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して・・・四衆の為に広く斯の経を説く」(法華経329ページ)ことであります。

この三軌について要約して言えば、「如来の室に入る」とは、大慈悲の心を起こすこと。すなわち自からの命のなかに衆生救済の慈悲の心を起こすことであります。「如来の衣を著る」とは、柔和忍辱の衣を著ることであります。すなわち柔和とは素直な心で正法を受け持つことであり、忍辱とはいかなる侮辱・迫害・諸難にも堪え忍ぶこと。つまり世間のいかなる悪口罵詈・非難・中傷に対しても一切動揺せず、退かず、いかなる逆境でも、これを乗りきっていくことであります。

「如来の座に坐す」とは、「諸法空を座と為す」(同332ページ)とあるように、一切の煩悩に執われず、一切の執着に執われず、泰然として大聖人様の教えを弘通することであり、まさしくそれは不自惜身命の修行そのものであります。もちろん、現代における折伏は多種多様にわたることではありますが、基本的にはこの三軌を心得て折伏に臨むことがまことに大事であります。

例えば、折伏に当たって我々は、本当に相手を思う慈悲の心を持っているか。また、いかなる悪口罵詈・非難中傷・迫害にも屈せず、いかなる逆境でも乗りきっていく決意を持っているかどうか。一切の執着に執われず、不自惜身命の断固たる決意をもって折伏を実践しているかどうか。もし、折伏が思うようにならないというなら、今一度、この三軌に照らして自らの信心、自行化他の信心の在り方を点検すべきであります。

所詮、我々は大御本尊様への絶対信を元に、仏の使いとして折伏に励むところに一生成仏があり、また自らの功徳と化他の功徳を具え、最も価値ある一生を過ごすことができるのであります。

『法華玄義』には「法華折伏破権門理」とあります。折伏こそ法華の思想であり、その破邪顕正の折伏行こそ、広大深遠なる仏祖三宝尊の御恩徳に報い奉る最高の報恩行であります。また、御命題の「地涌倍増」と「大結集」達成の絶対不可欠の要件であります。

各位には、御命題達成まで残りあと3年、各講中ともに決意を新たに、僧俗一致して真剣に折伏に取り組み、すべての支部が来たる平成21年には見事、御命題を達成し、仏祖三宝尊の御恩徳にお応えできますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

決起大会はこうして盛大裡に終了した。参加者一同は、残る3年間を、勢い最後まで衰えることなく、自らも励み、また他を励ませて、各々の立場で御命題達成に邁進することを心に誓った。



御法主日如上人猊下御言葉


◎元旦勤行の砌

皆様、立宗754年の新春、明けましておめでとうございます。宗内僧俗の皆様には御健勝にて「決起の年」をお迎えし、まことにおめでとうございます。

既に、御案内のとおりでありますが、野衲、先に日顕上人猊下より血脈相承をお受け申し上げ、総本山第68世の法燈を継ぎ、併(あわ)せて本宗管長に就任いたしました。もとより浅学非才ではありますが、日顕上人猊下の御意(ぎょい)を得て法燈を継いだ上は、一意専心、御奉公に励み、広布のために精進をしていく覚悟であります。

幸いに今、宗門は、日顕上人の御英断によって謗法の徒輩を廃掃し、日興上人以来の血脈正統の宗是を厳護し、凜として広布への道を進んでおりますことはまことに喜びに堪えないところでございます。これもひとえに日顕上人猊下の御高徳のしからしむるところであり、その御指南、御教導の賜物と深く感謝申し上げるところであります。

さて、法華経方便品第二には「十如是」が説かれております。すなわち、「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究境等」(法華経89ページ)の、この十であります。御承知のとおり、この十如是は諸法の実相を明かされた御文でありますが、相・性(しょう)・体の三如是は諸法の本体を顕し、力・作・因・縁・果・報の六如是はその用きを顕し、本末究境等は相から報に至るまでの九如是の一貫した関係を顕しております。

この十如是のなかでも、縁について少々、申し上げたいと思います。縁については、細かく言えば種々の解釈がありますが、一般的には結果を引き出すための直接的、そしてまた内的原因を「因」と言うのに対しまして、間接的、外的原因を「縁」と言うのであります。ところが、我々の信心においては、この縁ということがまことに大事であります。

そもそも仏法におきましては因果の二法を立てますが、その因と果の間に縁を立てるのであります。もし因果だけですべてが決まってしまうとなりますと、例えば過去世において悪業の因縁を積んだ者はいやおうなくその結果を受けなくてはなりません。もし、それが変えられないとすれば、すべては自動的に決定し、いわば、それは機械論的な運命論となってしまうのであります。幸・不幸も自動的に決まってしまいます。人間の希望や願望や将来が無視されてしまうことになります。

しかし、妙法の功徳は違うのであります。いかなる悪因によったとしても、善き縁に出値うことによって我々は必ず成仏をすることができるのであります。つまり、大御本尊様という最高の縁に出値うことによって、仮に我々がいかなる悪業の因を積んでいたとしても、妙法蓮華経の偉大なる功徳によって変毒為薬し、煩悩即菩提、生死即涅槃、裟婆即寂光と変えてゆくことができるのであります。 ここで大事なことは、善き縁に出値うということであります。

『観心本尊抄』には、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解(りょうげ)に云はく『無上宝聚(むじょうほうじゅ)、不求自得(ふぐじとく)』云云」(御書653ページ)とあります。宗祖大聖人様は、久遠元初の妙法を本尊として顕され、本尊を受持することが即観心となるとお説きあそばされています。故にこの本尊を受持し、御本尊に帰依することによって、直ちに自身のなかにある十法界中の仏界が仏界としての用きを示すことになるのであります。

したがってまた『一念三千法門』には、「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇刧(あそぎこう)の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦(たと)ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す」(同109ページ)とお説きあそばされ、妙法蓮華経に縁する広大なる功徳についてお述べあそばされています。要は、私達が最高の縁に触れること、これが、最も肝要であります。

『三世諸仏総勘文抄』には、「縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値はざれば、悟らず知らず顕はれず。善知識の縁に値へば必ず顕はるゝが故に縁と云ふなり」(同1426ページ)と仰せであります。幸いに今、我々は一閻浮題第一の大御本尊様に値い奉り、御本仏大聖人様の正しい仏法に帰依することができました。この功徳はなにものにも代え難い大きなものであります。

ただし、この功徳を自分だけのものとして留めず、三宝破壊の大謗法を犯した池田創価学会のような間違った信心をしている不幸な人達を救うために折伏をすることが大事であります。破邪顕正の折伏はそこにあるわけであります。そしてまた、これが地涌の菩薩の使命であります。

本年「決起の年」、一人ひとりが決意を新たにして立ち上がり、御命題達成へ向けていよいよの精進されますことを心から祈り、新年の挨拶といたします。


◎一月度広布唱題会の砌

皆さん、明けましておめでとうございます。本年度最初の広布唱題会に当たりまして一言、申し上げます。

既に御承知のとおり、本年は「決起の年」であります。この決起の目的は、遠くは未来広宣流布達成のためであり、近くは来たるべき「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節における地涌倍増と大結集のためであります。なかんずく今日の国内外の混沌としたる世相を見るときに、私達はなとしてでも地涌倍増と大結集の御命題を達成しなければならないと、このように強く感ずるものであります。

大聖人様は『立正安国論』の中に、「嗟呼(ああ)悲しいかな如来誠諦(じょうたい)の禁言(きんげん)に背くこと。哀れなるかな愚侶(ぐりょ)迷惑の麁語(そご)に随ふこと。早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし」(御書247ページ)と仰せであります。「国中の謗法を断(た)つ」ということは、すなわち現代の一凶である池田創価学会の邪義をはじめ、あらゆる間違った考え方、間違った思想、いわゆる邪義邪宗の謗法を破折すること、つまり破邪顕正の折伏を行うことであります。

「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同1040ページ)と大聖人様は仰せであります。

「決起の年」に当たりまして、一人ひとりが真剣に折伏に取り組み、仏国土実現を目指して決起をしていくところに本年の大事な意義があります。皆様には、是非とも精一杯の御奉公をせられますことをお願いいたしまして、簡単ではありますが新年の挨拶といたします。


◎各講中講頭御目通りの砌

新年、明けましておめでとうございます。本年度の初登山んい当たりまして、柳沢総講頭以下、各位、皆様方には深信の登山、まことに恐悦に存じます。

先程も申し上げましたが、本年は「決起の年」であります。特に本年は平成21年まであと残り3年、ここに本日、決起大会を開催するわけでありますが、私はこの3年というところにまことに意義深いものがあるのではないかと思っております。と申しますのも、3年というのは仏法の上から言いましても、三大秘法あるいは主師親の三徳等々、まことに意義のある数字だと思います。そこに残り3年を我々が懸命に精進努力して、なんとしても御命題の地涌倍増と大結集を果たしていかなければならないと、このように強く考える次第であります。特に今日、ここにお集まりの方々はそれぞれの講中の中心の方であります。この中心の方々が先陣に立ち、そして講中を引率して大折伏戦を展開することによって、おのずと所願は達成されるものと思います。皆様方にはしっかりと折伏に励み、日顕上人より御命題をいただいた地涌倍増と大結集を達成していただきたいと思います。皆様の御健勝、御健闘を心からお祈りいたします。




信行を磨く 「『決起の年』の決意」
光久日康御尊能化


平成18年「決起の年」、明けましておめでとうございます。「大善を持(たも)ちて祝う新年の めでたき意義は限りなきかな」と、かつて総本山第67世日顕上人猊下は、心新たに迎える新年の意義をこのように詠(よ)まれました。とりわけ今年は新御法主日如上人猊下をお迎えし奉り、すべてが新しい出発です。

昨年12月16日に、院内一般に次のごとき「院達」が発令されました。

【御法主日顕上人におかれては本年12月12日早暁総本山客殿において、学頭早瀬日如師に唯授一人の血脈を相承あそばされました。同月15日、日顕上人が退位され日如上人が法主となられて第68世の法燈を嗣(つ)ぎ、総本山大石寺住職に就任遊ばされました。また、同日開催された管長推薦会議において新管長に選定されました。次いで本日、総本山客殿において御座替式が如法に行われて日如上人が御登座遊ばされ、日顕上人は前法主として血脈不断に備えられることになりました。宗内僧俗各位には、新御法主日如上人猊下のもと異体同心して大法広布・宗内興隆に御精進願います。右、通達いたします。】
と、以上が「院第4089号」の全文であります。

この「院達」を拝した我ら宗内僧俗一同は、いよいよ一致団結し、「正義顕揚750年」の佳節に向けて勇躍の前進を決意いたさねばならない重要な時機と存じます。正義顕揚について、今年は「決起の年」と銘打たれ、我々の決意と行動が問われています。

さて、先ごろある外国人実業家が言った、次のような話しを聞きました。「日本企業の幾つかに関わったが、それらの企業のあらゆる会議はおかしい。全く意見が出ない。それでいて、後になって愚癡がブツブツ出る」と。ありそうな話しであります。この会議の出席者には、何が正しいかを考える習慣がなくなっているようです。さらに、抱えている問題を自分のところでケリをつけるという、決意と行動にも欠けているようです。こういう面での、この外国人の見方は当たっているようです。こういう正しいものをはっきりと主張するという面では、日本人の曖昧さは国際社会では異様に映るばかりでなく、混乱の一因と見られかねません。日本経済がますます世界的になっていくとき、確固たる理念を示せるかどうかが、今後の日本の経済発展の鍵でしょう。

これは、あくまで、経済界の話しです。しかし「何が正しいか」を考える習慣がないのは信仰の世界にこそ言えるようです。正しいことは、正直言っても受け入られにくいものです。その譬えとして、大聖人様は「卞和が璞(べんかがあらま)」の例を引かれます。

中国の、周代の楚(そ)の人である卞和(べんか)は、磨けば玉になる原石を得て霊王に献上しました。しかし鑑定の結果は、ただの石とされ、王を欺く者として左足を切られてしまいました。その後、武王にも献上しましたが、またも石と鑑定され右足を切られました。その後、文王の代に、楚山のもとで璞(あらま)を抱いて、三日三晩泣き明かし、ついに血涙が出ました。文王はこれを知り、理由を聞いて璞(あらま)を磨かせたところ、見事な宝玉になり、これを「和氏(かし)の玉」と尊ばせました。

世間のことですら、このように正直なほうが通りにくいのですから、仏法の大事においてはなおさらです。それでも、だからこそ私たちは「とてもかくても説き聞かすべし」と、縁のある人に強盛に言い聞かせなければならないのであります。しかし、曖昧さを好む日本の国土世間では、それはやさしいことではありません。確信があっても、面と向かって相手の宗教を否定するのはためらいがあります。身内や親しい人に改まって話しを切り出すのも、いささかの照れもあります。

でも、それは最初のうちだけです。一度、思い切れば後は嘘のように平気になります。その相手が入信して、信心の喜びを感じたとき、その喜びがまた次の人へと伝わるでしょう。そのようにして仏法の正義と歓喜が伝わります。まずは「自分がやるしかない」と腹を決めること。これがその人の決意です。その決意を強固にして実行することが、今年の「決起の年」の意義であり、指導性が必要です。今、日本でも世界でも、広布の使命に立ち上がっている人は、「一人が一人の折伏」の腹を決めている人です。その真剣な決意と行動が広布を進めています。

大聖人様の時代も、今の時代も一人ひとりが「主役」であることに違いはありません。この自覚にたった上で大聖人様は、仏種は縁によって起こるものですから、妙法を「説き聞かせよ」と説かれているのです。人間に限らず、生命は外からの働きや触発によって変化していきます。悪縁に接すれば悪い方向に流れ、逆に善縁に触れれば善い方向に向かうは当然の成り行きです。

要は「何に縁をするのか」が大事であります。仏法による善導は、最高の善知識になります。人は自分を理解し、受け止めて欲しいという心を持っています。本当に自分の心を開ける友人がいるということが、人生の財産であります。ですから声をかけて「一人が一人の折伏」をすることが大事なのです。

信心の上での言葉を交わせば、心が通い、人も自分もいい生命が躍動します。新年こそ真の異体同心となって、新御法主日如上人猊下に信伏随従し奉り、蒼蠅驥尾(そうようきび)に附して平成21年に向けて地涌倍増への教線を起こしてまいろうではありませんか。「決起の年」、宗内諸賢の御健闘を祈るや切であります。



back      index      next