大白法

平成18年2月1日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉
唱題行(1月15日)の砌


皆さん、おはようございます。この総本山における1月の唱題行は日顕上人猊下の御提唱によって行われることになりましたが、私も日顕上人様の跡を継がせていただきました以上、恒例に従いまして、1月はこの唱題行を続けてきた次第であります。

今日はちょうど15日でございまして、中日と申しますか、ちょうど中間の日でございます。また、皆様方もよく御承知のとおり、今日は日目上人様の御命日でございます。この日目上人様は天奏の途次、美濃の垂井において御遷化をせられたわけであります。

今日の国家諌暁とは何かと言うならば、主権在民の時代でありますから、一人ひとりが、一人ひとりをしっかりと折伏していくということになるのではないかと思います。特に昨今の世界、あるいは日本の国内における様々な事件や事故、天変地夭等々、これらを考えると、私達は一日も早くこの妙法蓮華経を広宣流布していかなければならないと思います。

創価学会のような邪義邪宗の謗法の害毒によって、三道を三徳に転ずることができずに苦しんでいる人々が多くいるのであります。今、申し上げました三道というのは、煩悩・業・苦の三道であります。三徳と申しますのは、法身・般若・解脱の三徳であります。

つまり、人々の苦しみや悩み・不幸、こういったものはどこから出てくるかと言うと、結局は煩悩から生まれてくるわけで、この煩悩が悪業の因縁を作り、そして、その悪業の因縁によって人々が苦しむのであります。それがずっと永遠に続くのでありまして、つまり苦しみがまた煩悩を生み、煩悩が悪業の因縁を作る、そして悪業の因縁によって苦しむ、そしてまた煩悩を作る、これを輪廻三道と言いますけれども、そこから抜け出すことができないのであります。この三道を法身・般若・解脱の三徳に転じていくのは、大聖人様の仏法以外にないのであります。

法身と申しますのは、これは読んで字の如く法でありますから、不変そしてまた永遠であります。つまり信心堅固に泰然とした境界に立つこと、それが法身ということになるかと思います。般若というのは智慧でありますから、どのようなときでも、つまり苦しいときでも、困ったときでも、この妙法蓮華経の功徳によって、それこそ計り知れない智慧が湧いてくるのであります。解脱というのは、これは言うならば煩悩の束縛から脱れることであります。つまり解というのは解くことであり、脱は脱することであります。つまり、妙法蓮華経を唱えることによって、この煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳に転じていくことができるのであります。

そして私達にとって大事なことは、これをおのれ一人だけのものにするのではなくして、世のため人のために妙法の偉大なる功徳を説き、そして共に幸せになっていく、さらに仏国土を築いていくということが肝要であります。

日目上人様の、天奏の途次の美濃・垂井における御遷化を深く考えるときに、私達はこのことをしっかりと自分自身の信心のなかに刻み込んで、折伏に励んでいかなければならないと思います。

また、日顕上人猊下が御提唱くだされました3年後の平成21年の御命題達成、つまり「地涌倍増」と「大結集」達成のためにも、一人ひとりが立ち上がって折伏を行じていくということが今、最も大事ではないかと思います。皆様方には、それぞれの支部にお帰りの上は、このことを講中の方々にもお伝えいただきまして、講を挙げて折伏を行っていただきたいと、このようにお願いをいたしまして、簡単でありますけれども挨拶といたします。




上級教学試験を終えて
宗務院教学部長・水島公正御尊師


1月22日午後1時より、「決起の年」の重要行事である法華講上級教学試験が、全国103の寺院(特設会場を含む)を会場として実施され、様々な障害を乗り越えて534支部8,722名の方が受験されました。

上級教学試験

上級教学試験は、過去に平成8年と11年の2回行われており、今回が3回目となります。回を重ねるごとに教学の研鑚も進み、信行学を兼ね備えた立派な人材が次々と講中に輩出されております。平成16年に再開された今回の法華講教学試験は、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、講員それぞれが本宗教学の要諦を身に付け、個々のいっそうの信行倍増と各支部法華講組織の充実鱒発展を期するためのものであります。

この試験に向けては、昨年5月に発行した「上級教学試テキスト」(平成18年度版)をもとに、全国の各支部において勉強会を行い、それぞれが真剣に取り組んできたものと思います。

今回は、これまでの初級・中級試験とは異なり、試験会場を布教区ごとに設置したことにより、計画・準備・運営に当たって、各布教区の教学試験実行委員ならびに試験責任者・会場責任者等、各会場の試験担当員に大変な御苦労をおかけいたしました。お陰様で事故なく、厳正に試験を実施することができました。ここに関係各位に対し、衷心より篤く御礼申し上げる次第であります。また、受験者の中には、老齢の方、目の不自由な方も含まれておりましたが、それらの方々が万難を排して、教学試験に取り組まれたことに心から敬意を表するものであります。

本年の年間実践テーマの中にも「教学研鑚で邪義破折の実践」が挙げられておりますが、行学の二道の根本は、本門戒壇の大御本尊と血脈法水に対する信心にあることを再度確認し、それぞれが試験の出来・不出来に拘わらず、今後もたゆまず教学の研鑚に励んでいくことが肝要と存じます。

御法主日如上人猊下の御指南に信伏随従し奉り、邪義破折を実践して、3年後の「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、共々に精進してまいりましょう。




総登山実行委員会より
挨拶 委員長・柳沢喜惣次


昨年12月に
御座替り式が行われ、本年1月1日には御法主日如上人猊下より御訓諭が発令されております。そして、1月3日には決起大会が挙行されました。

我々に与えられた御命題は、「地涌の友の倍増乃至、それ以上」であります。今年の春季総登山会をこれまでのような意識で行っていたならば、3年後の平成21年に地涌倍増などおぼつかないという危機感、そして起つならば今だということで、本日は、各地方部にあって実際に登山全体のことをつかんでおり、推進の要の任に当たっている皆さんにお集まりいただきました。地方部の登山推進は、各支部との人間関係のない人々が、いくら机上で計画してみても動かせるわけがありません。その意味で、皆さん方にお集まりいただき、お顔を見て、これなら闘えるというのが私の実感であります。

とは言っても、今後どのような魔性が現れてくるか判りません。しかし、大聖人様が御一代で御自らが振る舞われ、説のごとく法華経を信心していくと必ずこうなるよということを、我々に教えておられるのですから、どんな魔が出ようと固く信じて進んでいくことです。

そこで、信心していく上に知っておくべき大事なことは、従因至果(じゅういんしか)と従果向因(じゅうかこういん)の違いのことです。登山のことも折伏のことも、それぞれの地元に帰ったときに、大勢を説得できるか、できないかは、従果向因、果より因に向かうということを知っているかどうかです。大聖人様のお立場は従果向因ですが、お釈迦様はだんだんに浅きより深きへと説く従因至果です。大聖人様は最初から御本仏様のお振る舞い、自行化他の南無妙法蓮華経の御修行を、身をもってお説きになり、示され、我々にやりなさいとおっしゃる。我々はその行のなかで境界も、また智慧も啓(ひら)くのです。

ところが今の社会は、行を軽視しています。政治・経済その他、あらゆる面のリーダーも行を軽く見ている。「それは違う」ということを言えるのは、あなた方や我々なんです。そこに、行を進めていくと、それまでいろいろと智慧だと思っていたことが、実は煩悩の上からくる妄想等の思い込みであったことに気づき、行によって「待てよ、これは違うぞ」と判ってくる。そこにはじめて正しい知識になる。ところが、世間は行なくして、想が即、知識だと思っているんです。何事も本当であるかどうかは、やってみなければ判らない。だから十人十色、いろいろな考え方が出てくるんですが、その様々な考え方も、行の中からちゃんとしたものが出てくるんです。「判ったらやる」などという我見を、講中の人たちが持っているから、何かあると互いにぶつかって揉める。皆さん方はそれを、正しく導いていっていただきたいんです。

平たい言い方をすれば、「登山すれば得するんだよ」「御報恩御講に行けば得するんだよ」ということなんですが、学会から来た人の中には、損すると思っている人が結構いるんです。法華講は三宝尊を敬う故に恩を教えられてきていますからね。そういう「損をする」という考えを持っている人に対しては、「そんな考えじゃだめだよ、大聖人様が損することを教えるわけがない」と言って馬あなた方自身も目先を追う価値観を変えて、周りに教えていっていただきたいんです。


今、世間が苦しんでいるのが子供の教育の問題です。しかし、今の日本に子供の教育を失敗していると思っているリーダーは少ないようです。10年単位ではまだ目先なんです。30年単位で見て、はじめて本物に近づいていく。それは子供が生まれて10歳では、家のためにはなりません。20歳になったってまだまだ。30歳になってはじめて、自分が子供の躾を間違わずにできたのか、それとも失敗したか、評価がはっきりします。しかし30年ではまだ人生は決まらない。次の30年で60、その次の30年で90。90歳では力がもうないけれど、子供や孫に教えていくことはできます。

そこに、昔から、法華講は法統相続をやかましく言うんです。その信心の上に、毎回の御報恩御講も登山も、どんなに仕事が忙しかろうと、前々から心がけていく。こういう報恩の生活を子供がちゃんと見ているんです。そして20代半ばになって、自分がどういう人生を歩いていくかを考える時がきます。その時に、「自分の父親は学歴も地位もないけれども、こうやって家族のみんなを育ててきたんじゃないか。よし、自分も信心の道を歩む」というようになって、はじめて法統相続の信心になるんです。

ところが、子供も同じように御本尊様を御仏壇に御安置してあれば、法統相続だと勘違いしていたら、それは親が悪いんです。親子の因縁ですから、親の信心が曲がっていけば子供も曲がっていく。もし親が曲がっても子供が曲がらないでまっすぐ行くとしたら、これは指導教師はもとより、身近な所に強信な人がいて、その人の信心が影響を与えているんですね。

そこに、曖昧な信心のままで題目を一生唱えていても、利益は出てきません。それは自分自身の不信感が原因であります。悪縁に誑かされた人々の信心を、身近なところで数十年ばかり見ている間に、せっかくの御本尊様に巡り合いながら、自分自身が退転してしまっているのです。

我々の本当の幸せ、利益とは、親の信心の後を継ぐ子が出てくることです。慈念の一分をもって思いやりがあり、情け深く、名誉地位にこだわらず大勢の人々の幸せを願っていくという徳を持った子が生まれてくるか、こないかです。

信心をしていない人の人生は、一生懸命に自己の煩悩の欲と企業に使われ、停年になったとき何がしかの退職金を貰って終わりなんです。停年間際になると貪・瞋・癡の三毒が出てきて、立場や地位よりも金が大事になる。私は、職場でそういう上役を気の毒だと思って見てきました。50代を過ぎると、やめるときのことを考えて、話題はお金のことです。だから、天下りはなくならないと思います。

そこに、「近視眼的な謗法の生活観を捨て、常に生活の視点を『一生』に置いて考えていくのは、信心を持っていないと、できないよ」ということを、皆さんも声を大にして申し上げていっていただきたいんです。その功徳は、冥益(みょうやく)の上に毎日、毎日現れてきます。

話が長くなりましたが、お帰りになったら『大白法』に載っている御訓諭と決起大会の記事をよく御覧になってください。そして、春季総登山会をはじめ、あらゆる目標の達成に向かって努力を積み重ねて、自分でも驚くほど逞しく成長してまいりましょう。



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