<4〜8面>
また、法華講総講頭の柳沢委員長、石毛副委員長・永井藤蔵・渡辺定元(兼総本山総代)・石渡秀男・河原昭太郎・大草一男の各大講頭、井出光彦・土橋昌訓総本山大石寺総代、寺族、信徒代表800名が参列した。
9日の御逮夜法要は、午後4時から客殿において御法主上人猊下による懇(ねんご)ろな献膳の儀に続き、読経・唱題と進められた。途中、御法主上人猊下の御焼香に続いて、参列者全員が焼香に立ち、日阿上人の御高徳を偲びつつ御報恩謝徳申し上げた。その後、水島教学部長より、日阿上人の御威徳・御事績の紹介と参列の各位に対する丁重な謝辞が述べられた。
翌10日は、午前10時より客殿において御正当会が奉修された。御法主上人猊下の大導師のもと、献膳の儀・読経・焼香・唱題と厳粛に修された後、水島教学部長より参列の各位に対して謝辞が述べられた。引き続き、御法主上人猊下大導師のもと、日阿上人の御墓前において墓参の儀が執り行われ、午前11時半、法要の一切がとどこおりなく終了した。
今、全国の法華講は、本年「決起の年」を迎えまして、僧俗が一体となって御命題達成へ向けて懸命の努力をしております。御命題の「地涌倍増」と「大結集」達成の絶対的な要件は何かと言えば、これは折伏であります。つまり折伏なくして「地涌倍増」を達成することはできません。また、折伏の伴わない「大結集」は単なる数集めに過ぎず、実りのないものになってしまいます。そこに今、宗門の僧俗が心を一つにして立ち上がり、目的達成のために大折伏戦を実施していかなければならない、まことに大事な意義が存しておるのであります。
折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障を消滅して幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります。
『三大秘法抄』のなかには、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594ページ)と仰せであります。自行だけで折伏を伴わない、そのような題目に功徳はないということであります。そもそも大乗仏教の精神は「上求菩提、下化衆生」にあるのであります。我ら末法の本未有善の衆生は、本果脱益の釈尊の教えでは成仏得道がかなえられず、本因下種の御本仏宗祖大聖人様の教えによって初めて成仏得道がかなえられるのであります。
『御義口伝』のなかでは、「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり・・・妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり」(同1732ページ)と、このように仰せであります。
この『報恩抄』の御文は、大聖人様の三徳兼備を明かされた御指南であります。まず「日蓮が慈悲曠大」というのは、これは主師親のなかの親の徳であります。そして「一切衆生の盲目をひら」くとは、これは師の徳であります。さらに「無間地獄の道をふさぎぬ」と仰せられているのは、主君の徳を表しています。つまり、大聖人様が三徳兼備の仏様であるということをお示しあそばされているのでありますが、これ以外の御書のなかでも、例えば『開目抄』では、「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(同577ページ)と、このように仰せであります。あるいは『一谷入道女房御書』のなかでは、「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし、是を背かん事よ」(同830ページ)と、このように仰せであります。
また、総本山第26世日寛上人様の『報恩抄文段』のなかでは、「凡(およ)そ主師親の三徳を本尊とすべしとは、諸抄の明文、皎(きょう)として目前に在り」(日寛上人御書文段470ページ)と、このように仰せであります。主師親三徳兼備の大聖人様を末法の御本仏と仰ぎ奉り、その教えによって初めて末法の一切衆生の成仏得道がかなえられるということであります。したがって今、私達が持ち奉るところの妙法蓮華経こそ、かくなるほど偉大なるが故に「伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」と仰せられているのであります。
また、末法今時の妙法修行がいかに勝れておるかを「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」と仰せあそばされているの、であります。今、末法において自行化他の信心、なかんずく折伏を行ずる功徳がいかに大きいかを、私達はよく知らなければなりません。
大聖人様は『兄弟抄』のなかで、「此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之(これ)に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(御書986ページ)と、このように私達にお示しあそばされております。
『御義口伝』には、「此の法華経を持つ者は難に値(あ)はんと心得て持つなり。されば則為疾得(そくいしつとく)無上仏道の成仏は、今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る是なり」(同1755ページ)と、このように仰せあそばされています。また、『四条金吾殿御返事』を拝読いたしますと、「敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か。是につけても能く能く御信心あるべし」(同1292ページ)と、このように仰せであります。
信心強盛にして三障四魔を奮然と打ち破っていくところに、我々の仏道修行の尊さが存し、その尊さのなかから真の功徳が生じてくるのであります。大御本尊様に対する絶対の確信を持って信心をしていくということが最も大事であります。なぜならば、魔は仏には絶対に勝てないからであります。しかし、それとても結局は我々の信心の厚薄によるのであります。
したがって、広布への途上において様々な迫害や、あるいは弾圧や妨害が起こることは当然でありますが、これらをすべてきっちりと受け止めていくところに、我々の強盛なる信心が存するのであります。まさしく「魔競はずば正法と知るべからず」であります。今、申し上げましたとおり、いかなる難が来ようと、その難を乗り越えて強盛に信心に励み、折伏を行ずるところに我々の一生成仏があるということを、よく心得ていかなければなりません。
本年「決起の年」、それぞれが誓願達成を目指して、異体同心、一致団結して御奉公に励まれますことを心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。
総本山第7世日阿上人第600回遠忌法要
御法主日如上人猊下大導師のもと
【日阿上人】(にちあしょうにん) 総本山第7世日阿上人は、応永13(1406)年に日時上人の跡を承けで御法主上人となられた。古来、日阿上人に関する記録や資料が極めて乏(とぼ)しく、御在位期間も9カ月余と短かったために、他宗他門の中には日阿上人は御歴代法主上人に入らないのではないか、との疑難をなす者もいた。しかし、第9世日有上人が寛正2(1461)年に記された『御歴代忌日表』には7番目に「日阿上人3月10日」と明確に認められており、要法寺日辰もその著『祖師伝』に、大石寺の第7番目の御法主として日阿上人のお名前を書き留めている。これらの資料文書からも、日阿上人に対する他門の批難は誤りであることは明らかである。また、第31世日因上人の『日有上人御物語聴聞抄佳跡』に、先代の日時上人が38年に亘って御在位あそばされたその間、日時上人の御代官として、陰でお仕えされた御高徳のお方であり、教学の造詣と布教の力量が極めて卓越した御法主上人であられたことが拝せられる。その後、日阿上人は、応永14(1407)年、第8世日影上人に跡を託されて3月10日、御遷化あそばされた。
御法主日如上人猊下御言葉
3月度広布唱題会の砌
また、皆様もよく知っている『報恩抄』の御文には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(同1036ページ)と、このようにお示しあそばされております。
もちろん、私達が折伏を行じていけば、我らの行く手には様々な妨害が立ちはだかります。特に現代の一凶たる池田創価学会の妨害、あるいはそのほかの魔が競い起こることは必然であります。