大白法

平成18年4月1日号


主な記事

<1〜6面>

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法華講連合会春季総登山会・第43回総会
3万1450余名が大結集


「決起の年」の春季総登山会が、3月25・26日の2日間にわたって行われ、一泊・日帰り合わせて結集目標を大きく上回る3万1450余名が総本山に参詣した。

初日の25日には午後1時からの御開扉に続き、午後3時から講頭会が行われた。また一泊の登山者は午後7時から、御法主日如上人猊下の御書講義に参加した。26日は午前10時から法華講連合会第43回総会が、御法主日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下の御臨席のもとに開催され、これには八木日照総監・藤本日潤重役・大村日統富士学林長の各御尊能化、宗務院各部の部長・副部長をはじめとする御尊師方が御出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏並びに各地方部長と共に、すべての登山者が広布坊をはじめ各会場で参加した。

総会

好天に恵まれた春季総登山会第1日目の3月25日、午前8時頃より一泊登山者が、開きはじめた桜花に迎えられて着山した。午後1時から、最初の行事である奉安堂での御開扉に臨み、御法主日如上人猊下の大導師のもと、戒壇の大御本尊様の御内拝をさせていただいた。また、午後3時からは大書院において、御法主上人猊下御臨席のもと、講頭会が行われた。登山者は各宿坊で勤行・夕食の後、御法主上人猊下の御書講義の受講のため客殿に移動した。今回は『法華初心成仏抄』(御書1312−13ページ)の御文について、約45分にわたり御講義を賜った。

翌26日は、午前2時半からの丑寅勤行に参加し、併せて衣免許の儀式を拝見させていただくことができた。午前6時半から宿坊での勤行・朝食を済ませ、法華講連合会第43回総会に参加のため、会場へ向かった。また、早朝から日帰り登山者のバスが着山し始めた。一方、客殿前に集合した12隊の鼓笛隊は、8時15分よりパレードを開始。登山者から盛んな拍手を浴びながら塔中参道を通って総門前に向けて行進し、演奏を披露した。その後鼓笛隊は、総会会場の客殿・大講堂・広布坊・奉安殿・常来坊の前に数隊ずつ分散して演奏をしながら登山者を出迎え、登山者は力いっぱいの演奏に盛大な拍手を送った。また、広布坊内では、連合会ブラスバンドと大阪・南近畿地方部鼓笛隊が演奏を披露。総会は他にも総一坊・総二坊はじめ各宿坊が会場となり、主会場の映像が同時中継で全会場に届けられた。

定刻の午前10時、御法主日如上人猊下がお出ましあそばされると、開会が宣せられた。はじめにブラスバンドの演奏で「大法流布の時来たる」を合唱した。体験発表に続いて、石毛副委員長が決意を述べた。ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。猊下は、本年はすべての法華講員が心を新たにして、平成21年の「地涌倍増」と「大結集」一の御命題めざして立ち上がり、決意を固め、断固として行動を起こすべき年であり、その行動とは折伏を行ずることであるとされ、折一伏を行じて大きく功徳を積むようにと、事を事に行ずる実践を望まれ、名実共に具わった御命題達成への信行を御指南あそばされた。この後、柳沢委員長が挨拶を述べた。最後に「広布に生きる」を大阪・南近畿地方部鼓笛隊の演奏により全員で合唱し、総会は終了した。

26日は総会をはさんで計6回にわたって御開扉が行われ、登山者は順次下山の途についた。



御法主日如上人猊下御言葉


本日は、法華講連合会の第43回総会がこのように盛大に開催され、まことにおめでとうございます。また、本日は御隠尊日顕上人の御臨席を仰ぎ、まことに有り難く、厚く御礼申し上げます。

さて、本年「決起の年」は、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節まで、いよいよ残すところ、あと三年と迫ったまことに大事な年であります。すなわち、本年「決起の年」は、すべての法華講員が心を新たにして、平成21年の「地涌倍増」と「大結集」の御命題達成を目指して立ち上がり、決意を固め、断固として行動を起こすべき年であります。

いかなる行動を起こすかと言えば、それは言うまでもなく「地涌倍増」と「大結集」の絶対的要件である折伏を行ずることであります。大聖人は『御義口伝』に、「大願とは法華弘通なり」(御書1749ページ)と仰せであります。つまり広布の大願も、そして御命題の達成も、我々の身軽法重・死身弘法の弛(たゆ)まぬ折伏弘通によって、初めて達成されるのであります。折伏なくして広宣流布の実現はなく、御命題の「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」もありません。したがって、折伏こそ御命題達成の絶対の要件であることを、本年「決起の年」に当たって、本宗僧俗の一人ひとりがしっかりと念頭に置いておかなければなりません。

さて、法華経の信解品を拝しますると、「涅槃一日の価(あたい)を得て、以て大いに得たりと為して、此の大乗に於て、志求(しぐ)有ること無かりき」(法華経197ページ)という御文があります。「涅槃一日の価」とは、これは小乗の声聞の悟りのことであります。つまり、目先だけの悟りであり、譬えて言えば、毎日あてもなく、その日一日の賃金目当てに働くようなものであります。まさしくこれは小乗の悟りに甘んじてしまって、大乗の悟りを得ようとしない愚かな考えを言っているのであります。所詮、小乗の悟りは、他の人の幸せを願わず、ただ自分だけのはかない刹那的な小さな幸せを追い続ける、自己中心の悟りであります。

こうした考え方は、大聖人様はお許しにはなっておりません。解りやすく言えば、折伏をしない信心は自分の幸せしか考えない、小乗の悟りと同じだということであります。折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、邪義・邪宗の害毒によって蝕まれた三毒強盛の衆生の心田に本因下種の妙法五字を下種し、もってその人を即身成仏の境界へ導く、最高至善の仏道修行であり、大乗中の大乗たる、地涌の菩薩に与えられた尊い使命であります。

したがって、大聖人は諸御書のなかにおいて、法華経の敵(かたき)を見て、置いて責めもせず、折伏をしない者、それは涅槃経で言う「慈無くして詐り親しむ」者であり、「仏法中怨」の者であると断じているのであります。

『妙法比丘尼御返事」には、「いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」(同1262ページ)と仰せられ、さらに『如説修行抄』には、この折伏をしない者を指して、「法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや」(同673ページ)とまで仰せられ、『阿仏房尼御前御返事』には、「眼耳の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり」(906ページ)と仰せられて、たとえ信心をしていたとしても、謗法をも責めず、折伏を行じない者を厳しく断破あそばされているのであります。

しかし、これほどまでに大聖人様が折伏をしない者に対して厳しく仰せられているのは、逆に言えば、折伏を行ずる者の功徳がいかに大きいかをお示しあそばされているにほかなりません。すなわち、大聖人様は『四信五品抄』のなかで、「罰を以て徳を惟(おも)ふに我が門人等は福過十号疑ひ無き者なり」(同1115ページ)と、このように仰せであります。

「罰を以て徳を惟ふに」と仰せられることは、自分一人だけの利己的信心に執着をして折伏を行じない者は「いかなる智人善人なれども必ず無間地獄に堕つべし」とあるように、まことに厳しい罰を受けることになりますが、逆説的に、それはそのまま、折伏を行ずる者の功徳の大きさを示し、その功徳はまさに「福過十号疑ひ無き者なり」と仰せあそばされているのであります。

「福過十号」というのは、妙楽大師の『法華文句記』に、「供養すること有る者は福十号に過ぐ」(学林版文句会本上659ページ)とある文を指しておりますが、薬王品には三千大千世界に満つる七宝を仏に供養するよりも、法華経の一四句偶を受持する功徳のほうがはるかに大きいとあり、法華経を供養する功徳は十号を具えた仏を供養する福に勝るとの意であります。したがって、先程の『四信五品抄』の御文は、折伏を行ずる者の功徳がいかに大きいかを示されているものと拝することができるのであります。

しかし、今ここで最も大事なことは、折伏の功徳がいかに大きいかを頭でいくら理解しても詮ないことで、さらに一歩進んで、理屈ではなく、事を事に行じていく、我々自身の折伏の実践から、その功徳を体験していくことが肝要なのであります。もし、今までの闘いにおいて折伏が思うように進まず、停滞していたとしたら、先程の御金言をよくよく拝して、講中の総力を挙げて折伏に取り組んでいただきたいと思います。どのようにして取り組むかと言えば、それは「動く」ことであります。まずは「行動」を起こすことであります。所詮、動かなければ何もできません。

大聖人様は『一念三千法門』に、「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈(い)えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し」(同110ページ)と仰せであります。 真剣に題目をあげ、祈り、動き、講中が一致団結・異体同心して折伏に立ち上がれば、諸天も必ず動き、折伏は達成できると固く信じます。

特に、今日の国内外の混沌とした状況を見るとき、我々は『立正安国論』の原理に照らし、なんとしてでも折伏を行じ、御命題の「地涌倍増」と「大結集」を果たしていかなければなりません。「地涌倍増」も「大結集」も、折伏を伴ってこそ、名実ともに御命題を達成したことになるのであります。

折伏なくして「地涌倍増」は達成できません。また折伏の伴わない「大結集」は単なる数集めにしか過ぎません。これでは仏祖三宝尊に対し奉り、真の御報恩の事業とはなりません。また、御命題をくだされた日顕上人のお心にもお応えすることができません

本年「決起の年」に当たり、今、我々がまずなすべきことは、すべての講中が心を一つにして、御命題の達成を目指し、折伏に立ち上がることであります。御命題までのこれからの3年間の闘いこそ最も肝要であります。なかんずく、本年「決起の年」こそ、これからの闘いの成否を決する大事な年となります。

どうぞ、皆様方には大御本尊様への絶対の確信のもと、いよいよ異体同心・一致団結して、御命題達成へ向けて勇猛精進くださることを心から念じ、私の話といたします。


○挨拶 連合会委員長・柳沢喜惣次総講頭

仏祖三宝尊御照覧あそばされる総本山において、恐れ多くも第68世御法主日如上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、ここに盛大に開かれる日蓮正宗法華講連合会第43回総会、各会場の全国の皆さん、おめでとうございます。

御法主上人猊下におかせられましては、御法務殊のほか御繁多の中、御臨席を仰ぎ奉り、ただ今はまた、甚深なる御指南を賜り、まことにありがとうございました。謹んで御礼申し上げます。また、本日は御隠尊日顕上人猊下をはじめ、総監・八木日照御尊能化、重役・藤本日潤御尊能化、さらに、宗務院・内事部・御出仕の各御尊能化、また諸役の御尊師方、そしてまた、指導教師の御尊師方にも、御法務御多忙の中を御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。衷心より御礼申し上げます。

さて、本年は「決起の年」、御承知のごとく、1月3日には客殿において僧俗・寺族・海外の代表による決起大会が盛大に行われました。法華講は3年後の「『立正安国論』正義顕揚750年」をめざして、身も心も新たに、先に戴く「倍増乃至、それ以上」の御命題の達成に僧俗決起して精進していくよう、御当代御法主日如上人猊下より改めて御教導賜りました。私のそのときの決意は、自らの総講頭としての自覚と、どうしたら皆さんと共に御命題を達成できるかという、具体的なことの決意でありました。

また、昨日は大書院において、本年最初の講頭会が行われました。その内容は、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かう記念局の設置に関してであります。この中で我ら法華講の最も大事な項目は3点であります。一つは、「『立正安国論』正義顕揚750年」記念大法要並びに大結集総登山のことであります。二つには、地涌倍増大結集の推進。三つには、総本山総合整備事業であります。

昨日の講頭会のときに私は、全国の講頭さん方に、我々の信心の不思議な巡り合わせの、その因縁について申し上げてまいりました。それは、宗旨建立700年から800年に向かうこの100年間、その半分のところが750年であります。今、振り返って見るとき、実相の上の「7」の数は変化の義を含み、「8」は開くの義。この中間のところを通って我ら法華講は、さらに今、大きく開いてゆかんとしているのであります。時の不思議なことは凡智では判りませんが、しかしながら信心の上に自分の歩いて来た道を、振り返ることはできます。

伺いますところによりますれば、地震対策の上に、このたびの総合整備事業の中の筆頭に、御影堂の大改修のことがあります。この事業に巡り合える因縁は、何とも申しようのない御仏との深い因縁を私は観ずるのでありますが、皆様、いかがなものでございましょう。

翻って、本年を深く考えてみるときに、創価学会の大謗法以来、世界も日本も、今までにない社会の中に、災いの姿を観ずるものであります。それは、長い間社会の中に隠れていた積悪、倫理・道徳に反する考えられない事柄が次々と現れてくるのを見るのであります。

『安国論』には、「魔来たり、鬼来たり、災起こり難起こる」(御書234ページ)と仰せられております。現代社会の不幸なことは、自らが掌(たなごころ)を合わせて尊敬していける正しいものを知らないということであります。皆様方も御存知の「十四誹謗」の中の、私はあの軽善(きょうぜん)のところに当てはまるように思えるものであり、ここから不幸が始まることを、昨今、強く観ずるのであります。これは無意識の中に憎善・嫉善と発展していきます。

言葉を換えて申しますならば、善を軽く見る、このことは家庭にあっては、親を子供が軽んじていけば、その家は亡びます。また社会国家も同様であります。その善の最高が御仏の存在であり、そこにはじめて、盲目の者が眼が開くがごとく、戒壇の大御本尊様の御尊顔を拝し奉ることができるのであります。

本年「決起の年」の我ら一人ひとりの信心のその生活は、御仏に御仕えし奉るその行躰行儀が、そのまま家庭の中にも、社会の中にも広がっていくところに、それがまたそのまま、「『立正安国論』正義顕揚」に連なる真の生活、信仰の相であると、私は信ずるものであります。

今、このような大事な時を迎える法華講に、魔が現れてこないわけがありません。そこに我らは、一切の不幸は迷いの煩悩から生ずることを知って、そこに十四誹謗の教訓は固く守っていかなければならないと、申し上げたいのであります。

十四誹謗の最後は恨善であります。これは経文には、「軽賤恨嫉して、而(しか)も結恨を懐かん」(法華経176ページ)と、その罪報が『譬喩品』に説かれております。

以上の点を、お互いに深く考え、我ら法華講は、今こそ全世界に向かって『立正安国論』の正義を高らかに顕揚する自らの因縁を一人ひとりが自覚し、僧俗一致強力なる団結をもって、「決起の年」の本年を、ただ今の御法主上人猊下の御指南を心肝に染め、折伏・育成に全国一体となって、力一杯、励んでまいろうではありませんか。

御当代日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下のますますの御健勝と、御宗門の御隆昌、そしてまた、御出席をいただきました総監様・重役様をはじめ、御尊能化・御尊師様、さらに、皆様方の御健勝と、各支部の御発展を心から念願いたし、御礼の言葉に代えさせていただきます。御法主上人猊下、まことにありがとうございました。謹んで御礼申し上げます。

さあ皆さん、一人ひとりが心を引き締め決起して、みんなで明るくがんばってまいりましょう。



○体験発表 宣照寺支部 J.M.

私は宣照寺のJ.M.と申します。昨年10月18日に両親が入信し、続いて23日に会社の元同僚が御授戒を受け御本尊様を御下付戴くことができました。

両親の実家は両家共に曹洞宗で、父の実家にあっては曹洞宗の仏壇の横に天理教の祭壇があり、家の庭には狐が祀ってあるような状態でした。その影響を受けて、父の家系には様々な不幸が次々と続き、それは父の人生にも影響し、母はパーキンソン病という難病に冒されています。


不幸の原因は謗法

私はこの日蓮正宗に出会い、両親がどれだけまじめに一生懸命働きがんばっていても幸せになれない理由が、知らずに犯してきた謗法にあることを知りました。信心するまでは知らずに過ごしてきましたが、私が折伏されて謗法の恐ろしさを知るにつれ、両親を救いたいと、強く願うようになりました。

最初は、何をすればよいのか判らず、「日蓮正宗を正しく信心する以外に、幸せになる、成仏の道はないんだ」ということを伝えるのが精一杯でした。「あんたがするのはいいけど、他人にさせようとしんといて」と、突き返されると、それ以上の言葉が見つからず、そのときはあきらめるしかありませんでした。

しかし、勤行・唱題・お寺への参詣を続けていくうちに、やはり幸せになるためには御本尊様に御奉公するしかないという確信を持ちました。その後も、謗法払いのことや、正しい宗教は日蓮正宗だけだということを言う度に、毎回同じように「あんたがするのは自由やしいいけど、私らにまで押しつけんといて」と言われ、無視されることもたびたびありました。

そして、父が真剣にこの話を聞いてくれることはなく、私はいつも適当にかわされていました。「一度真剣に話を聞いて」とお願いをして、なぜここまで話を聞いてくれないのか、尋ねてみました。すると、父は若い頃、会社の先輩に意味も判らず創価学会に入れられて嫌な記憶しか残らず、御本尊様を御下付戴いたにもかかわらず、お巻きしたまま御安置することなくお返しした、とのことでした。話を真剣に聞かない父に苛立ちを覚えましたが、誰にも他人に言いたくない様々な事情があり、一方的な思いを押しつけるのではなく、まず、相手の事情をよく聞く、そして相手が心を開いてくれるような自分でなければならないんだなと、思いました。

しかし、その後も続く二人の不幸に、私は歯がゆくなって気持ちが焦り、何とか早く入信してほしい思いで、「このまま一生幸せになれんでも知らないから」などと、声を荒げることもたびたびでした。


唱題で両親への思い徐々に変化

お寺の先輩や河原講頭に相談すると、「御本尊様に向かって御題目を唱えて、がんばりなさい。いつか必ずチャンスがくる」と言ってくださいました。それからは、小さなことでも私に何かよいことがあれば「御本尊様のおかげや、感謝しないとなあ」と言い、嫌なことがあれば「唱題しよう」と言ったり、日常の中でこつこつ折伏を続けていました。

そんな中、私の生活や仕事が両親から見ても確実に変化しているのが判ったようで、ある日、私が会社から帰ると、御本尊様にご飯がお供えしてありました。驚きましたが、そのときすごくうれしかったのを覚えています。その後も、私が時間になっても勤行を始めようとしないと、「勤行はしんでいいの?」とか、「私がお寺に行かないのは、あんたの修行不足と違うか?」などと、言ってくるようになりました。何かははっきりと判らないけれど、よい方向に向かっている、もう一息だと、少し浮かれていました。

しかし、機会があったある日、母をお寺に誘うと、返ってきた返事は「お寺には絶対行かない!」ということでした。この信心が正しいことは判っているはずなのに、なぜお寺に行くのを拒むのか、どうしても判りませんでした。そして私は、どんどん嫌なことばかりが続く母を見ていられなくなり、苛々し始めました。

座談会のときに妙清寺の御住職・菅原信了御尊師にその思いを伝えると、「そんなことで怒ったらだめだよ。ご両親はJちゃんの行動を見ていらっしゃるんだからね。ご両親から見て、Jはよいほうに変わったなというのが判れば、判ってくださるから。なぜだろうと思うことがあれば、御本尊様に向かって唱題しなさい」というお言葉をいただきました。私は、両親を思っている風にして、結局は、自分が早く折伏したいという気持ちを押しつけていた傲慢な折伏だったと、反省しました。

ちょうどその頃、その当時勤めていた会社の同僚を折伏していたのですが、こちらの折伏が、私自身を大きく振り返るきっかけとなりました。今の私では、「御本尊様に出会い、変わったんだ」といくら言っても通用しないと気づきました。変わったと私が思い込んでいたのは、御本尊様の功徳を戴き、自分の気持ちが楽になっていただけでした。御住職が「我々は、御本尊様にお願いばかりしているが、御本尊様のためにどう御奉公させていただくかということが、大事ではないでしょうか」と御法話をされていたときに、御本尊様に御奉公するために行動することが、本当の意味で変わるということなんだと思いました。

思い伝わりついに両親が

それからは、信心中心の生活をするために、180度、生活パターンを変えました。すると、みるみるうちに、両親の私に対する見る目、そして日蓮正宗を見る目が変わってきました。しかし、体の調子がよくない母と、昔、学会の会合に強引に参加させられていた父なので、お寺への参詣や、日々の勤行が面倒になってしまうのではという不安がありました。

お寺に連れて行くことができないのなら、せめて河原講頭や河原総代のお力を借りようと思いました。「私が話してあげられないことも詳しくお話してくださるから、一度会ってみて」と両親にお願いし、説得するのに時間はかかりましたが、二人は直接お会いして、河原講頭や河原総代からお話していただけました。

行く前は不安な様子だった二人は、帰りの車の中では少し気持ちが晴れたような顔をしていました。自分の口から「入信する」とは言い出しませんでしたが、私が「勇気を出してみたら?」と言うと、父は、入信を決意しました。母も同じでした。そのときに見せた父の顔がとても真剣だったので、本当にうれしかったです。

そして、両親の変化をずっと話していた折伏中の会社の同僚に、うれしさのあまりその報告の電話をしてしまいました。報告と同時に、「納得しているのに時間を置くことは意味がない。今、何か問題があるならば、それを正しく解決するのは信心しかない」と言うと、同僚も入信を決意しました。驚きましたが、両親と、両親を折伏するために影で力を貸してくれていた人とが、同じ日に入信を決意しました。様々な人に助けられここまできたんだと、感謝の気持ちで一杯になりました。

3人の御授戒が済み半年近く経ちますが、お守りを捨てるのを嫌がっていた母も、納得して自ら謗法払いをして、家族揃って勤行するところに心地よい空気が流れています。父は本を読んで勉強したりしています。母は御授戒後に腰の大手術をしたのですが、御題目を唱えることで、恐怖心から救われたようです。

この信心は、いくら勉強しても到底理解できないほど奥深く、体感しないと判らない感覚がたくさんあります。私は入信して間もなく2年になりますが、唱題行の大切さを身に染みて感じました。御住職をはじめ、講中の先輩方に言われたことをそのまま実践することにより、何事にも変え難い功徳を戴き、感謝の意で一杯です。

私の所属する講中は、一度目は正信会、二度目は学会へと僧侶が離脱したため、3月17日までは妙清寺白蓮講支部の信徒でしたが、3月18日に京都の伏見に新しく寺院が建立され、御法主日如上人猊下様の大導師を仰ぎ奉り、宣照寺新寺落慶入仏法要を奉修していただきました。

私のような者が、このような入仏落慶の法会に参詣させていただき、我が身の深い因縁と福徳を強く感じるのであります。このような歴史を持った講中に私が所属しているということ、入仏法要の一週間後にこの場に立たせていただいているということに、強い因縁や使命のようなものを感じます。様々な裏切りや苦難を乗り越え、立派なお寺を建立され御供養された河原総代・河原講頭の思いが詰まったこの宣照寺を護っていくためにも、「正義顕揚750年」の御命題達成に向け、折伏活動に適進してまいります。

本年は御法主上人猊下様が「決起の年」と銘打たれました。「要は、理屈ではなく行動、つまり『決起の年』でありますから、決意をして行動を起こすことであります。つまり実践であります。ただ考えているだけではなく、各自が折伏を体験することであります。」(大白法687号)との御法主日如上人猊下の御指南に信伏随従し奉り、宣照寺を新たな菩提寺として、さらなる折伏活動に精進してまいります。ありがとうございました。




法光山宣照寺落慶入仏法要
京都市伏見区


3月18日、京都市伏見区桃山町に法光山宣照寺が建立され、御法主日如上人猊下大導師のもと、落慶入仏法要が厳粛かつ盛大に奉修された。

同寺は昨年、河原義明・定子夫妻の発願による総本山への土地建物の御供養を受け、宗務院と御供養者との綿密な協議を重ね、昨年11月初頭より建物の内外装工事に掛かり、2月28日に建物内外装の完成引き渡しがなされ、このたびの慶事を迎えたものである。同寺は京阪電鉄宇治線の桃山南口駅の至近に位置し、建物は6階建のビルを各階機能的に改装し、1階が受付ホール、2階が本堂、3階が客殿、4階が法華講事務所と会議室、5階が庫裡、6階が客室など、たいへん便利に使用できる構造となっている。

この法要には、随行の総監・八木日照御尊能化、庶務部長・阿部信彰御尊師、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、宗会議長・細井珪道御尊師、そして北近畿布教区支院長の菅原信了御尊師、同副支院長の川井兼道御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が御出席された。また、法華講連合会からは法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、さらには大講頭の河原北近畿地方部長をはじめ布教区内各支部講頭並びに信徒代表、宣照寺信徒など約300名が参列した。

宣照寺落慶

午前10時、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が宣照寺に御到着あそばされ、直ちに本堂正面にて山号額の除幕をなされた。その後、御僧侶、信徒代表、寺族、発願主の親族、来賓の順に親しく御目通りを許された。

法要の部は午前10時半に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、小林大石寺理事補による御本尊御開扉、八木総監による献膳の儀、読経、慶讃文奉読、唱題と如法に奉修された。

引き続き式の部に移り、はじめに発願主である河原義明氏より御法主上人猊下に寺院土地建物御供養目録の奉呈がなされ、御法主上人猊下より河原氏に対し、受書が授与された。続いて、寺院建立御供養の尊い志に対して褒賞が授与され、さらに記念品が贈呈された。

この後、御法主上人猊下より御言葉を賜った。御法主上人猊下は、寺院はそれぞれの地域における弘通の法城であり、大聖人様の正義を一閻浮提に広宣流布していく大事な拠点であるとされ、その寺院を一宇建立する功徳というものは、まことに大なるものがあると仰せられた。そして、前御法主日顕上人猊下より御下命いただいた「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節まで残り3年という大事な時に、立派な寺院が建立されたことを喜ばれ、この落慶法要を契機に「地涌倍増」と「大結集」の達成のため、なお一層の精進をと願われた。

次に、宣照寺信徒代表の小川剛宏氏より経過報告、続いて宗務院代表の八木総監、布教区代表の菅原支院長、信徒代表の柳沢委員長より祝辞が述べられた。続いて、このたび初代住職として赴任された西田秀得御尊師より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。

この後、本堂玄関前にて御法主上人猊下による「槙」の御手植えがなされた。最後に、本堂において記念撮影が行われ、午後0時50分、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、宣照寺をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。


◎御法主日如上人御言葉

このたび、京都市伏見区に一宇を建立寄進せられた河原義明氏御夫妻の信心強盛な赤誠によりまして、本日、御本尊様を御安置申し上げ、宣照寺の落慶入仏法要を奉修した次第であります。

申すまでもなく、本宗における寺院というのは、それぞれの地域における弘通の法城であります。大聖人様の正義を一閻浮題に広宣流布していく大事な拠点が寺院であります。その寺院を一宇、建立せられた功徳というものは、まことに大なるものがあると存ずるのであります。大聖人様も御書のなかで徳勝童子の例を挙げられて、その御供養の功徳については諸所においてめでられておられます。あるいは貧女の一灯の例を挙げて、その尊い御供養の志というものも仰せあそばされております。

特に、前御法主日顕上人猊下より御下命いただいた「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節までいよいよ残り3年その大事な時に、このような立派な寺院が建立せられましたことは、宗門にとりましても、皆様方にとりましても、これほど力強く、また、この上ない喜びではないかと存ずる次第であります。これもひとえに、河原氏夫妻の尊い外護の赤誠の賜物と、心から感謝申し上げるものであります。

私達には、3年後に迫った「地涌倍増」と「大結集」をなんとしてでも達成していかなければならない大事な使命が存すると思います。この宣照寺の落慶入仏法要を1つの契機とされまして、皆様方にはなお一層、御精進せられますことを心から願うものであります。

なお、本日、落慶入仏法要を迎えるに当たりまして、御入仏いたしました御本尊様は前御法主日顕上人猊下がお認めあそばされた御本尊であります。日顕上人様の御在職中にこの桃山寺院のお話があり、日顕上人様もそのことについては深くお喜びあそばされまして、そして御本尊様をお認めくだされ、本日の落慶入仏法要を迎えた次第であります。

皆様方には、日顕上人猊下のお心を心として精進くださることを重ねてお願いいたしまして、簡単ではありますが、私の言葉といたします。


○宗務院代表祝辞 八木日照御尊能化

本日はもったいなくも京都の地に総本山より御法主日如上人猊下の御下向を仰ぎ奉り、当法光山宣照寺の落慶入仏法要がこのように晴れやかに、盛大に執り行われ、まことにおめでとうございます。

ただ今の経過報告にあったとおり、河原義明氏御夫妻の強い信心に基づく、御本尊様への篤い御報恩の一念と、並々ならぬ護法の志が基となって建立された尊い道場であります。宗務院といたしまして、その尊いお志に対し、心からの敬意を表すると共に、厚く御礼申し上げます。

遠く遡って、古い歴史を有し、広く人口に膾炙(かいしゃ)するこの伏見・桃山の地において、今までのビルディングが見事に生まれ変わり、新たな生命の息吹を満々と湛え、崇高な使命を担う広布の道場として颯爽(さっそう)と登場いたしました。何とすばらしことでしょうか。

その根本中心と仰ぐ本堂御安置の常住御板御本尊は、御先師第67世日顕上人のお認めになるところ。そして本日、その落慶入仏の大導師をあそばされるのは、御当代第68世日如上人であられます。まさに、このたびの御代替をそのままにお示しになられるお姿であり、当寺において永く語り継がれていくことと思います。

また、建設に携わり、当方の意を受け、見事に改装工事を仕上げてくださった株式会社竹谷組様、また仏具の天晴様、たいへんありがとうございました。発注者として厚く御礼申し上げます。

このたび、御法主上人から当寺の初代住職の御任命をいただいた西田秀得師は、今まで九州・熊本の地に在って法城を護り、布教の拡大進展、教学の研鑚と興隆を図り、有言実行の精進を重ねてこられた道念堅固な方でありあます。また、宗会議員として宗門的な視野から宗勢の発展に力を尽くしてこられた実績もお持ちです。

本日から当寺において活動を始められますが、一日も早く、新たに所属した御信徒方の心と力を一つにまとめて講中を組織し、布教区の住職各位とも心を合わせ、御法主上人の御期待に添い奉る御奉公を、と願うものであります。

そして、何卒、当寺建立を志し、多大な護法の赤誠を示された建立発願主の尊い信心の誠に十分応える、目覚ましい発展を遂げるすばらしい寺院となられるよう、心から願って、お祝いの言葉といたします。


○布教区代表祝辞 菅原信了御尊師

謹んで北近畿布教区一同、慶賀の心を一にして御祝辞を申し上げます。

総本山第68世御法主日如上人猊下におかせられましては、忝(かたじけ)なくも極めて御法務御繁多の中、京都の地に御下向賜り、法光山宣照寺落慶入仏法要の大導師を賜りましたこと、北近畿布教区僧俗一同、御法主上人猊下の御慈悲に対し奉り、御報恩の念を強くするものであります。特に、御先師日顕上人御書写し奉る御本尊の御安置を忝(かたじけ)のうし、御当代日如上人猊下の大導師を賜る宣照寺所属の御信徒の皆様には、この希有(けう)の御法要に会座する喜びは先祖への御報恩はもちろんのこと、子々孫々への尊い功徳であると拝し奉ります。

御法主日如上人猊下の訓諭にある、「立正安国論正義顕揚750年の大佳節へ向けては日々の精進と猶一層の団結をもって当たらなければなりません」(大白法685号)との御新南を胸に刻み、正直に前進することを、心を新たに決意する次第であります。

さて、妙楽大師、「大論に云く、衆生の心性は猶利刀の唯用いて泥を割くに泥成ずる所無く、刀日に損に就くが如し。理体は常に妙なり。衆生は自ら麁(そ)なり」(法華玄義釈籖会本 上 214ページ)と釈されています。我々凡夫は、利刀である本有常住の妙法を、我意我見の煩悩で泥の中での我田引水の信心で弄(もてあそ)び、その妙法の利刀を麁法(そほう)にしてしまうとの意と理解されます。

本日、宣照寺落慶入仏法要の盛儀を迎えたのでありますが、先ほどの経過報告にもありましたように、寺院建立の遠因は、実に今から14年以上も前に遡るのであります。それは、先ほどの「理体は常に妙なり。衆生は自ら麁(そ)なり」の文のごとく、池田大作の邪義邪法の言動に操られた正信覚醒、宗門離脱という愚かな行為に端を発するのであります。

このたび、宣照寺建立を発願された河原義明氏は、入信以来、池田大作の指導が本宗の法門義から逸脱(いつだつ)していることを愁(うれ)い、修福寺の僧侶と共に正信覚醒の志を強くしたのであります。しかし事、志と違い、修福寺は本宗の教義から逸脱し、御法主上人猊下に違背するという師敵対の謗法に成り下がったのであります。そのような時、御当職であらせられた日顕上人猊下の御慈悲のもと、建立された能栄寺に所属することになったのであります。しかし、その能栄寺の小板橋は、河原氏を虐げる立場を取ったのであります。しかし、河原氏はその処遇に耐え、法華講員としての自覚を堅持し続けたのであります。その結果として小板橋の報復は、能栄寺の宗門離脱という暴挙となって現れたのであります。

このように、修福寺に背かれ、能栄寺に虐げられ、さらに東山と九条の両住本寺は正信会になり、また宇治の顕仏寺は学会に走り、実に京都南部の五カ寺は師敵対背信寺院となってしまったのであります。河原氏は内心、僧侶への不信感がさぞや芽生えていたことでしょう。しかし、能栄寺で虐げられた「あの時の処遇が寺院建立への決意となったのであります」と、その時を振り返り、話してくださったことがありました。

寺院建立を個人として発願したことでは、釈尊在世の須達長者の祇園精舎ということが思い当たるのでありますが、今この時、この宣照寺建立発願という浄願は、池田創価学会の我が者顔の跳梁跋扈の汚濁の流れを塞き止める堤となり、現代の一凶である池田創価学会の邪義謗法を粉砕する牙城となることであります。

日蓮大聖人様は、「譬えば堅石(かたきいし)をば鈍刀をもてば大刀も破りがたし。利剣をもてば小刀も破りぬべし」(御書1032ページ)と『報恩抄』に仰せでありますが、この御文をもって先ほどの妙楽大師の釈を読んでみますに、利刀利剣である本因下種の仏法を拝するとき、血脈寸法の御法主上人猊下の御指南に信伏随従する御奉公の信心こそ、成仏の利刀であり、破邪顕正の利剣なのであります。

したがいまして、池田大作の邪念から生み出された邪義邪説は、衆生が作り出した不成仏の麁法なのであります。鈍刀なのであります。宣照寺の御信徒となられる、前妙清寺白蓮講の方々、平安寺・妙清寺から移籍される方々には、生まれた支部はそれぞれ違っても心を一つにして、平成21年の「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」との御下命を、御法主日如上人猊下の御慈悲を心肝に染め、新住職と一致団結の絆を強くして、完遂成就してください。

本日、御法主日如上人猊下より、新住職に辞令の授与がございました。新住職については先ほど総監様より御紹介がございましたので割愛させていただきますが、先日の『大白法』に、新住職がこれまで指導教師をしてこれられました真法寺支部のことが紹介されていました。そこには、折伏誓願目標に敢然と取り組み、見事完遂したという内容が紹介されていたのであります。この雄偉な人材を宣照寺住職として、布教区に迎えることができましたことは、御法主上人猊下の御慈悲を尊く拝し奉るものであります。

この御法主上人猊下の御慈悲を拝受される宣照寺御信徒の皆様には、御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、御住職の御指導を基として寺檀和合し、寺運の興隆を図り、もって3年後の「『立正安国論』正義顕揚750年」の御下命を達成されますことを、心からお祈り申し上げ、粗辞ではございますが祝辞とさせていただきます。



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