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翌14日は、午前10時より客殿において御正当会が奉修された。御法主上人猊下の大導師のもと、献膳の儀・読経・焼香・唱題と厳粛に修された後、水島教学部長より参列の各位に対して丁重な謝辞が述べられると共に、日昇上人の御指南の一端が紹介された。引き続き、御法主上人猊下大導師のもと、日昇上人の御墓前において墓参の儀が執り行われ、午前11時半過ぎ、法要の一切がとどこおりなく終了した。
その後、浄円寺(栃木県小山市)、本広寺(静岡県沼津市)、常泉寺(東京部墨田区)の住職を務められながら、宗会議員、評議員、宗務総監、日蓮正宗教学護法財団理事長等の重職を歴任されたのち、第44代大学頭となられた。そして昭和21年12月26日には日蓮正宗管長に就任され、同22年1月15日に御座替り式が挙行されて、大石寺に晋山された。
そして同年7月18日に日満上人より金口嫡々の血脈相承をお受けになられた。御在職中は、同23年11月に大石寺客殿・六壼を再建し、同27年4月には宗旨建立700年慶祝記念大法要が盛大に奉修され、その記念として『日蓮正宗聖典』『日蓮大聖人御書全集』が刊行されたほか、大石寺の本尊書写室・管長居室が建立され、さらに日昇上人は御自ら富士山経ケ岳に登られ、正法広布平和祈念塔を建立して法要が営まれた。また戦争中に金属供出されてなくなっていた梵鐘(ぼんしょう)が再鋳された。さらにその後も、総本山の五重塔や総門を修築され、宝物館や奉安殿を建立されるなど、敗戦と混乱の時代にあって、宗門発展のために多大な御功績を遺された。
そして、同31年3月30日、法を第65世日淳上人に付嘱せられ、同32年10月14日、御年79歳をもって日昇上人は安祥として御遷化あそばされた。
寧楽寺住職として平成16年7月に赴任した私は、当時100世帯ほどであった世帯数を200に倍増するにはどうすればよいかと、ただ漠然とした思いだけで何も具体的な考えや計画などはありませんでした。まずは家庭訪問からと始めたのですが、前住職がご病気で入院されたりしておられた関係からでしょうか、支部としての折伏活動はほとんど出来ておりませんでした。家庭訪問をしながら、悩みは深まるばかりでした。
そのせいでしょうか、私も体調を崩し、とうとうその年は折伏は出来ませんでした。これではいけないと、まず折伏をする人材を作ることからと思い立ったのが理境坊妙観講支部との合同折伏でした。平成17年の2月から始めたのですが、内容ははじめに1時間唱題し、唱題後、妙観講の人に体験発表をしてもらい、その後打ち合わせをして一緒に折伏に出かけるというものです。これは我が支部に大きな衝撃を与えました。特に生で聞く体験発表は、彼らの折伏の体験とその強烈な功徳の実証を語るもので、我が支部の目を覚まさせるには十分過ぎるものでした。
その後、数回合同折伏を行い、お陰をもちまして、平成17年は14世帯の折伏が出来ました。平成18年も妙観講との合同折伏を続けております。9月までに16世帯の折伏が成就しております。支部として平成17年が10世帯、18年が20世帯、19年が30世帯、20年が40世帯の目標を立てて、平成21年までに100世帯の折伏を成就して、地涌倍増を完遂する計画であります。そのためにも、今年度あと4世帯の折伏を何としても成就しなければと思っております。
支部の具体的な活動としては、第1日曜日の広布唱題会の後、下種折伏・家庭訪問等の実践、これは布教区として行っているものです。あとの第3もしくは第4日曜日に折伏実践の日として、ここに妙観講との合同折伏を入れたりしています。この折伏実践で大切なことは、終了時間を決めて、必ず『報告会』を行うことです。報告会では、いろいろな報告が出ます。留守であった、インターホン越しに断られた、門前払いであった等々ですが、中には身の危険を感じるような報告もあります。私は皆の無事を祈って、帰ってくるまで唱題をしていますが、そんな報告を聞いたときには肝を冷やします。しかしまた、御本尊様の御加護を感謝し、折伏に手応えを感じています。
活動が進むに連れて、学会の嫌がらせも激しくなってきました。しかし寧楽寺も強くなり折伏する人が増えてきました。また妙観講の協力もあり、前に進んでおります。折伏の進まない支部は、実績のある支部から学ぶべきだと思います。私たちも初めは恥ずかしかった、他支部から応援してもらってよいのだろうかとも思いました。しかし、このままではいけないと思い、妙観講との合同折伏を始めました。今では我々も他支部の応援ができるようになりたいと思っています。これからいろいろなことが起きてくるでしょう、しかし我々は平成21年に向かって明るい希望を持って進んでいます。講中にも功徳の体験が出てきました。あとは住職の一念だと思っています。
当支部では、平成14年来、地涌倍増の闘いの中で、めざましい前進ができない状況でした。元朝勤行で、「決起の年」ということもあり、今までの汚名をそそぎ、名誉を挽回すべく全力を尽くすことを御本尊様にお誓い申し上げました。
今までの反省をする中で、活動にメリハリがないことに気づき、「唱題の月」「折伏の月」と振り分けて計画を立てました。具体的には、1月・4月・7月・10月は唱題月間で、年間100時間以上の唱題行の実践。その他の月は折伏月間とし、唱題の功徳をもって、期間目標5世帯(2・3月/5・6月/8・9月/11・12月)を掲げることにいたしました。この期間目標は高めに設定することで、早期完遂を期待してのものです。
唱題会は、必ず寺院に参詣して、僧俗一体で行うことを原則とし、少なくとも役員は参加するよう実践しております。折伏に関しては、葬儀・法事などに役員が極力同行し、顔見知りになることから折伏へのきっかけにしたり、お寺に突然訪問してくる非活動の学会員や、学会破門当時の宗務院作成のお手紙を見て電話してくる方など、ありとあらゆる機会を逃さず、丁寧にお話をしております。結果として上半期で折伏目標10世帯を完遂し、現在成果の上乗せをしているところです。
平成21年に向けての3年間の活動としては、当支部の最大のウィークポイントである活動家の少なさを克服することに当てております。これには「新入講者を活動の最前線に」をモットーに力を注いでおります。具体的な活動としては、折伏目標を成就した6月の初旬に「新入講者の集い」を開催し、寺院行事や講活動の説明、さらには総本山DVDや『法華講員の心得』などのメディアも活用し、信仰の在り方を訴えたところ、その後の寺院行事に参加できた人もあり、参加できないまでも、欠席の電話連絡が来るようになり、少しずつ寺院への意識が芽生えていると感じます。
いずれにいたしましても、折々の御法主日如上人猊下の御指南をもとに、平成21年を勝利で飾るべく、全力を尽くすことをお誓いし、活動状況の報告とさせていただきます。
我が要言寺支部が所属する福岡地方部では、秋山支院長様の御指導により、特に2月・4月・7月を『大折伏戦の月』と定め、各支部が折伏誓願目標の達成を競い合っています。
2月戦では、御住職・花野充道御尊師が各地区の座談会で、「闘いは勢いが大事だ。とにかく祈ったら、動くこと。行動の伴わない祈りは、真の祈りではない。強い祈りに基づいた実践によって、はじめて折伏は成就できる」と御指導されました。この御指導を実践し、各地区の拠点を中心とした唱題会と、下種名簿の絞り込みによる闘いで、折伏目標を達成することができました。
4月戦は当初、苦戦を強いられましたが、御住職の入られる地区の座談会を折伏座談会に切り換え、一人でも多く未入信者を連れてくる闘いを展開しました。その結果、折伏の息吹きが各地区に漲(みなぎ)り、思わぬ人が思わぬ人を折伏したりして、見事に大勝利を収めることができました。
7月戦は、7月13日に要言寺創立20周年の法要を奉修するため、それまでに何としても年間の折伏誓願目標を達成しようと、背水の陣を敷いて、6月1日から折伏戦に突入しました。「ただ水の流れるような信心をしているだけでは駄目だ。絶対に折伏目標を達成するんだという、燃えるような熱い信心を生涯、水の流れるように貫いていくことが大事だ」という御住職の情熱溢れる御指導に、講中が熱く燃え一丸となって、7月半ばには早々と折伏誓願目標を達成することができました。
これで3年連続して年間折伏目標の早期達成を果たすことができました。「折伏戦に勝利した後は、育成に力を注ごう」ということで、去年から各部の大会を開催しています。9月は婦人部大会、10月は青年部大会、11月は壮年部大会です。各大会の成功に向けて、各部の部長を中心に人材の発掘と育成に取り組み、活動家のすそ野を広げて、翌年の折伏達成に弾みをつけるためです。
今後とも、要言寺支部は花野御住職のもと異体同心し、平成21年に向けて折伏誓願目標の連続達成記録をさらに伸ばし続けていこうと決意しています。
昨年春、御住職・渡辺寧道御尊師の御指導のもと、正伝寺より地元創価学会員宅へ、『折伏教本』を貸し出すので読むようにとの手紙を出した。学会はその対策として寺院へ男子部に本を借りに来させ、男子部幹部が法論しようと言ってきた。当支部講頭は創価学会の問題の資料を収集し、青年部の協力で整理し準備を整えて7月、学会側壮年部・男子部の幹部と当方講頭・壮年部・青年部長とで対論し、学会の邪義謗法を破折した。学会問題を知らない青年部も多く、謗法破折についての意識が高まり、たいへん勉強になった。
以前より青年部では講頭宅等で早朝勤行を続けており、勤行後、御法主上人猊下の御指南を読み、折伏の進め方を話し合っている。今年は広布唱題会の後と行事のない日曜日を折伏活動の日として、四者の協力体制で数人ずつ、グループを組んで下種先へ出かけている。
壮年部は支部の重鎮として、壮年部長を先頭に活躍している。新入信者の育成、問題を抱え悩んでいる人、信心から遠ざかっている人も励まし続けて、また参詣できるようになった。邪宗の害毒に苦しむ相手には、衣座室の三軌の心構えで、粘り強く不幸の原因と正法による救済を教えて入信に導き、50回を越える訪問でついに慈念が通じた例もある。
婦人部は行事の準備、清掃、新聞・書籍の仕分け整理等、内助の功で支部活動を支えている。毎月婦人部長宅で唱題会を行い、『大白法』の読み合わせ、話し合い等をしている。
広布推進会では壮年部、青年部、婦人部がそれぞれ折伏成就の体験発表をさせていただき、参加者も増えてきている。御法主日如上人猊下の甚深の御指南、夏期講習会の御講義を拝して、講頭を中心に僧俗和合、異体同心して懸命の折伏弘教を実践し、今年20世帯の誓願目標で現在までに16世帯の成果を見ることができた。
まずは「決起の年」を勝利して、平成21年の地涌倍増の御命題成就へ向かっていよいよ勇猛精進していく決意である。
13日の御逮夜法要は、午後4時から客殿において御法主上人猊下による懇(ねんご)ろな献膳の儀に続き、読経・唱題と進められた。途中、御法主上人猊下の御焼香に続いて、参列者全員が焼香に立ち、日昇上人の御高徳を偲(しの)びつつ御報恩謝徳申し上げた。その後、水島公正教学部長より、日昇上人の御事績の紹介と参列の各位に対する丁重な謝辞が述べられた。
総本山第64世日昇上人は、明治12(1879)年9月24日、宮城県栗原郡柳ノ目(現在の栗原市一迫柳目)において、妙教寺住職であった摂津阿闇梨秀円坊日喜贈上人を御尊父として御誕生になられた。同24年4月7日、日昇上人は御尊父について出家得度され、出家後まもなくして総本山第56世日応上人の徒弟となられ、宗乗を学ばれるかたわら、国文学、漢学、英学等を修められた。
○万宝寺住職 北正修御尊師(喜多方市)
◇要言寺支部 宮本孝司講頭(行橋市)
◇正伝寺支部(高松市))