大白法

平成19年1月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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法華講連合会初登山会行われる
特別御供養(第1回)を奉呈 総額22億7174万0444円


「行動の年」の法華講連合会初登山会が、1月3・4日の2日間にわたり、2万6千余名が参加して清々しく開催された。

3日は午前8時から、御法主日如上人猊下大導師のもと客殿で行われている唱題行に、早朝に到着した登山者が参加させていただいた。午前10時から、御法主上人猊下御目通りが行われ、総講頭・柳沢委員長、石毛副委員長をはじめとする各大講頭、法華講連合会役員、地方部長、各支部講頭が参列した。ここで昨年12月に行われた「立正安国論正義顕揚750年特別御供養(第1回)」の目録が奉呈された。

このあと、午前11時より5回にわたり、奉安堂で大御本尊様の御内拝を戴いた。日帰り者は順次下山の途につき、一泊者は、勤行・夕食の後、午後7時から大講堂で行われた全国座談会に参加した。座談会では、大宣寺支部(東京都国分寺市)の前田昌彦さんの体験発表に続いて、大講頭の永井北関東地方部長から激励があった。最後に、総講頭・柳沢委員長より挨拶があり、8時半に座談会は終了した。

翌4日は、午前2時半からの丑寅勤行に参列した。明けて、各宿坊での勤行・朝食の後、8時から客殿における唱題行に参加させていただいた。この日着山の登山者は、午前11時より2回にわたり大御本尊様の御内拝を戴き、初登山会のすべての行事が終了した。


■御法主上人猊下に特別御供養(第1回)を奉呈

初登山会各講中講頭御目通りの席上、「立正安国論正義顕揚750年特別御供養(第1回)」の目録の奉呈が行われた。ここでは、柳沢委員長から新春の御挨拶を申し上げた後、特別御供養目録を読み上げ、御法主上人猊下に御奉呈し、御言葉を賜った。

記念局より御供養の勧募について法華講連合会に一任され、昨年12月、第1回分として取りまとめた特別御供養は、総額22億7174万0444円となった。なおこの御供養に対し、後日、記念局より各人宛に受書がいただける。


◎御法主上人猊下御言葉 各講中講頭お目通りの砌

ただいまは法華講連合会を代表いたしまして、法華講連合会委員長、法華講総講頭・柳沢喜惣次殿より、全国法華講員からの御供養をお受けいたしました。まことに有り難く、厚く御礼を申し上げます。

尊い御供養につきましては、記念局の委員会等を開き、そのなかでしっかりと御検討いただいて、予算を組み立て、有意義に使わせていただきたいと思います。御影堂の改修事業ももうじき始まります。また塔中の建て替え事業については、既に4カ坊が着手しております。こういった総本山の整備事業、あるいはまたこれから始まる様々な推進活動、そしてまた21年の記念法要、あるいは7万5千の大結集の費用等、そういったものに使わせていただきたく思いますので、皆様方から法華講の講員の方々によろしく御礼を申し上げていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、御承知のとおり、本年は「行動の年」であります。何事も動かなければ達成はできないのでありまして、特に大聖人様の仏法におきましては「事を事に行ずる」ということがまことに大事であります。理論だけでは爾前迹門の仏法と同じでありますから、今時、末法においては成仏することはできません。そうした「行動の年」のなかにおいて、本日お集まりの講頭さんをはじめ副講頭さん等、講中の幹部の方々が是非、率先垂範せられて、講中の責任者としてこの「行動の年」を有意義に闘っていただきたいと思います。

一つひとつの闘いは小さなものであっても、異体同心していけば必ず大きな成果に結びつくのであります。このようなことはないと思いますけれども、例えば「自分の支部は小さいから」「自分の所は田舎だから」といって歩みを止めてしまったならば、広宣流布は達成できないと思います。

これは皆さん方も御承知のとおり「功の成るは成るの日に成るにあらず、必ず由(よ)り起こるところ有り」という言葉があります。やはり成功を収める、それはその日に偶然にできるわけではありません。日々の積み重ねが一つの成功を生むのであります。そういう意味から、今日お集まりの方々が中心になられまして本年を闘いきり、そして平成21年をみんなで共にお迎えしていきたい、このように考える次第であります。

総講頭・柳沢喜惣次委員長をはじめ、皆様方のこれからの御健闘、御精進を心からお祈りする次第であります。





御法主日如上人猊下御言葉


◎唱題行(1月3日)の砌

皆様、新年、おめでとうございます。本年「行動の年」の新春を迎え、皆様方には来たるべき平成21年の御命題達成へ向けて、決意も新たにいよいよの御精進をお誓いのことと存じます。

大聖人様は『日女御前御返事』に、「仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云はく『仏法は海の如し、唯(ただ)信のみ能(よ)く入る』と。弘決(ぐけつ)の四に云はく『仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは、孔丘(こうきゅう)の言(ことば)尚信を首(はじめ)と為(な)す、況んや仏法の深理をや。信無くして寧(むし)ろ入らんや。故に華厳に信を道の元、功徳の母と為す』等」(御書1388ページ)と、このように仰せであります。

そもそも、宗教とは信仰が生命であります。信仰のない宗教は所詮、存在しません。いわば、信仰があってこそ宗教は己れのものとなるのであります。しかし、その信仰とは、信念や信頼といった、いわゆる知・情・意等の人間の心的要素を言うのではなく、実践体験を経なければ信仰とは言わないのであります。

故に、大聖人様は『一念三千法門』に、「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も癒(い)えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつ(餓)へ、懐(ふところ)に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し」(同110ページ)と仰せあそばされているのであります。

このお言葉を我々はよく噛み締めなければなりません。つまり、御本尊様が「有り難い」と思っているだけでは、信心しているとは言えないのであります。したがってまた、いかに教学を研鑽して甚深の御法門を学んだとしても、御本尊への絶対の確信を自らの行動の上に顕さなければ、結局、それは単なる学問であり、理論に過ぎないのであります。理論あるいは学問では成仏をしないことは火を見るより明らかであります。

そこに本年「行動の年」の意義をよく噛み締め、講中が一丸となって御命題達成へ向けて起(た)ち上がり、なんとしてでも「地涌倍増」と「大結集」の目標を達成すべく、断固として行動を起こしていただきたいのであります。特に、御命題達成まであと2年、この2年間の闘いが極めて大事であることは、各位には重々御承知のことと思います。


「愚公、山を移す」という故事がございます。これは、たとえ愚直であっても、弛(たゆ)まず努力すれば、大事業といえどもなしえないことはないとの譬えであります。

昔、中国の黄河下流の北岸に2つの高い山があり、そのふもとに90歳近い老人、愚公という方が住んでおりましたが、交通を妨げているこの高い山を移そうと思い、子供達4人と取り組んだのであります。そして、掘り取った土を渤海(ぼっかい)湾まで運んで一往復したら、なんと1年の月日がかかったというのであります。それを見た、友人で知恵者の知叟(ちそう)という者が笑ってそれを止めたところ、愚公は「私は一人であっても、子も孫もいる。代々子々孫々に及べば、人は絶えない。しかも山はこれ以上高くなることはないのだから、心配は無用だ」と答えたのであります。これを聞いた鬼神が老人の意気に恐れをなして天帝に申し上げたところ、天帝は愚公の真心に感じて、この2つの山をよそに運び、この地を平らにしたということです。この話は『列子』の「湯問(とうもん)篇」のなかに出てくる故事であります。

この故事に見るまでもなく、目標に向かって倦(う)まず弛(たゆ)まず努力をしていけば、必ず目標は達成できるのであります。もし、それができないとすれば、結局、それはやっていない、動いていないということになるのであります。御命題の達成も、結局は我々が動かなければかなえることはできません。

どうぞ各位には、1人も漏れず、本年「行動の年」を悔いなく闘いきり、必ずや地涌倍増と7万5千の大結集の御命題を達成し、もって御命題をいただいた日顕上人の御指南にお応えするとともに、全員が等しく大御本尊の御照覧を賜れますよう心から願い上げ、一言、本日の挨拶といたします。






光明 『蒙を啓(ひら)く』


本年は「行動の年」。御法主日如上人猊下は『大白法』の新年の辞に於いて、「本年『行動の年』は御命題達成へ向けて講中一丸となって行動を起こし実践躬行(きゅうこう)すべき大事な年であります」(
大白法708号)と仰せあそばされます。

また、御隠尊日顕上人猊下も、新年の御挨拶の中で、「愚癡の命が妙法の命に変わる時、あらゆる功徳が生じます。要は行動です。そして本年は『行動の年』であります。全国あらゆる法華講支部の指導教師と講中幹部・講員が、日如上人の御指南の下、心を一にして自行化他・破邪顕正の行動を更に進めるべき年であります」()と、このように御教導を賜るものであります。

我等は本年がいかに大事な年であるかを深く勘案し、己心に冥伏する無明の煩悩の蒙を払い、真(まこと)の信心に向かって講中一体となって、折伏に精進していくことであります。

そこに大事なことは、誓願を立てることであります。本年の実践テーマは『大白法』を以て周知の如く、三点であります。この三点を基として、各支部徹底して行動していくならば、必ず誓願は満足します。

さて、大結集7万5千名については、いずれ全国の配分数は決定されますが、支部は年頭から体制の準備は急がなければなりません。一つには、組織内の情報を綿密にしていく体制。どういうことかと言うと、内部の実態を正しく掌握し、折伏育成・啓蒙・退転者の分析、等々を全体に周知していく。こういうことを分担して誰がやるか、また、責任者を選び決めておくことであります。そこに支部は蘇って、今までとは違い、活気に満ち、明るくなっていきます。二つには人材の輩出。これは難しいものではありません。「行動の年」は各人が実践によって蒙を啓き、今の時を観じ、自らの因縁と地涌の信心を自覚する。こういう人々が無数にまた続出してくる年を、我等は確信するものであります。




異流義破折 創価学会
破門から15年、現実相に邪正の峻別は厳然!


虚飾の必要性

去る平成18年11月28日、創価学会が破門されてから満15年を迎えた。この日、創価学会は、この間の大謗法の数々を棚に上げて、「学会が宗祖の御遺命である世界広宣流布を現実に進めることができた」(平成18年11月28日付聖教新聞の社説)と大言壮語を言い放った。

何をもって「現実に進めることができた」のかと言えば、邪義を世界に弘めただけでなく、「池田SGI会長に対する世界の大学、学術機関からの名誉学術称号は200を超えた」(同)ことも根拠のようだ。要するに、創価学会が繁栄していると会員達に思い込ませるためにも、名聞名利の虚飾が必要なのである。


根拠のない「C作戦」

また、この社説では、いまだに創価学会問題の発端が「C作戦」なるものにあるとする。既に何度も指摘したことであるが、いわゆる「C作戦」なる妄想については、司法において、「いずれも一方的な陳述の類であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もない」(長野地裁松本支部の平成11年4月21日判決)と明確に否定されている。

日本語を理解できない学会員のために、特に難しくもない判決文を敢えて解説すれば、創価学会による一連の「C作戦」報道は、被害者意識丸出しの勝手な報道であり、根拠もなければ、証拠もないということである。お判りだろうか、「C作戦」は根も葉もないと、裁判所に言われているのである。なのに、15年にもわたって「C作戦」があったと言い張るとは…。この「C作戦」報道こそ、創価学会の執念深さと奸智(かんち)の証明と言えよう。


片腹痛い「日蓮大聖人直結」

こんな奸計を弄(ろう)する創価学会が、仏法を名乗ることすらおこがましいが、中でも「大聖人直結」とうそぶくのは、もはや片腹痛いとしか評しようがない。

第一に、大聖人は正直を旨とされている。故に、不正直な創価学会が「大聖人直結」などはできない。第二に、「直結」を叫んだところで、その実体たる本門戒壇の大御本尊から離れている。

その他、彼らが大聖人に直結などできるわけがない根拠は、それこそ枚挙にいとまがないが、中でも、「三代の師弟の信心があるからこそ、学会が『仏意仏勅』『日蓮大聖人直結』の唯一の正統教団なのである」(前出の聖教新聞社説)なる抽象的概念によって「正統教団」と言い通す浅はかさは、邪教団ならではと得心がいく。


宗門隆盛の現実相

対して、宗門は着実に広布へ大前進し、平成2年の三万総会を皮切りに、平成6年の六万総会、平成10年の十万登山、そして平成14年の三十万登山と、盤石なる法礎を築いてきた。この実績こそが、宗門隆盛の証であり、創価学会がどんなに悪口雑言しようとも、動かしがたい現実である。ここの宗門隆盛の姿と、大作の勲章が多いことと、どちらが正邪を決しているかは、誰の目にも明らかではないか。

平成21年まで、あと2年を切った。さらに強固な法礎建立のために、我らの精進も正念場である。




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