大白法

平成19年2月1日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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埼玉・妙本寺墓地事件 勝訴以上の内容で和解が成立
原告の創価学会員、墓地使用規則の遵守を約束


埼玉県宮代町の妙本寺と藤本信恭住職が埼玉県下の創価学会員から墓地使用規則の無効確認などを求めて訴えられていた事件で、去る平成18年12月26日、さいたま地裁において和解が成立した。

嫌がらせ訴訟の実態

この訴訟は、平成16年12月23日に妙本寺で奉修された日顕上人御親修法要に対する嫌がらせを目的として、まず第一次訴訟として同月6日に墓地使用者の創価学会員ら5名から「墓地規則の無効確認」などを求めて提訴され、続いて平成17年2月には第二次訴訟として74名から、同年7月には第三次訴訟として6名から追加提訴されたもの。

これら原告の中には委任状を偽造され、本人の知らない間に提訴したことにされた者までいた。そのようなことから、第二次訴訟については「各原告の個別調査が必要」などと、杜撰(ずさん)な訴訟を創価学会員らが自ら認める極めて無様(ぶざま)な理由で訴訟を取り下げるに至り(宗務広報1006号)、他にも訴訟を維持できずに取り下げる者があらわれるなど、創価学会側の不当な提訴の実態が露顕していた。

和解内容は勝訴以上の成果

この訴訟は、裁判所から和解に向けての打診がなされ、原告・被告双方から和解案が提示される形で進行したが、今回成立した和解内容の概略は以下の通りである。

  1. 原告(創価学会員)らは、妙本寺墓地使用規則・細則の有効性を認めること。
  2. 原告らは、墓地維持管理料の納入や増額改定について、妙本寺側が提示した案のまま認めること。
  3. 原告らは、妙本寺墓地が日蓮正宗の寺院墓地であることに鑑み、妙本寺墓地内で日蓮正宗以外の宗教団体の組織的活動をしないこと。
  4. 原告らは、納骨、墓参及び追善回向に際し、墓地使用権者又は被理葬者の家族・親族等による読経・唱題を行うときは、他の墓地利用者に迷惑をかけたり、妙本寺墓地の宗教的な平穏や静謐を害することのないよう配慮しなければならないこと。

もともとこの訴訟は、原告らが妙本寺墓地使用規則・細則の無効を求めて提訴してきたもので、ほかにも原告らは、妙本寺が他人の遺骨を入れ間違えただとか、20年以上も前に墓地区画付近でゴミを燃やしたことにより外柵を汚されたなどと主張して損害賠償を求めていた。

しかし、今回の和解によって原告ら創価学会員の求めていた請求内容は何一つ認められなかったばかりか、かえって、妙本寺側が求めていた内容が全て漏れなく盛り込まれた和解となって終了した。まさに勝訴以上の和解以外のなにものでもない。




御法主日如上人猊下御言葉
唱題行(1月14日)の砌 於 総本山客殿


立宗755年の新春を迎え、皆様方には御命題達成へ向けて日夜、御精進のことと存じます。御承知のとおり、本年は「行動の年」でございます。この行動の目的は、申すまでもなく「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750七年」の御命題、すなわち「地涌倍増」と「大結集」を達成することであります。その御命題の地涌倍増の闘いとは、すなわち折伏であります。折伏こそ大聖人が掲げられた立正安国実現の具体的実践の方途であり、一切衆生救済の慈悲行であります。

毎日の新聞やテレビで報道されておりますように、親が子を、子が親を、夫が妻を、妻が夫を、兄が妹を殺害するような家族内の残酷で悲惨な事件、そのほか混沌とした今日の国内外の惨状を思うとき、真の世界平和の実現と世界中のすべての人々の幸せのため、我々はなんとしてでも地涌倍増を達成しなければならないと思います。それが今日、我ら本宗僧俗に与えられた大事な使命であります。

既に、大聖人は『立正安国論』において、「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば、則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝十何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞、此の言、信ずべく崇むべし」(御書250ページ)と、仏国土実現はただ三大秘法の大御本尊に帰依する以外にないことを明確にお示しあそばされております。これ以外に一切の解決の道はないのであります。

所詮、仏法は体、世間は影であります。末法・本未有善の荒凡夫の智慧才覚だけでは、悪世末法の三毒強盛の衆生を救い、平和な社会を実現し、真の解決を図るには限度があります。荒凡夫がただ自分の力だけに頼っていたのでは謬見(びゅうけん)に陥り、正しい解決の道を見いだすことは不可能であります。大聖人様の仏法は三世十方、すなわち無限の時間と空間にわたって一切を正しく見通し、正しく真理を見極め、正しい生き方を示された教えであります。そこに、広大無辺なる功徳力を具えた御本尊を信じ、修行することによって三毒を三徳に転じ、平和を愛する豊かな人間性を身につけることができ、それによって世の中全体を浄化し、安穏なる国土を築くことができるのであります。

また大結集とは、具体的には平成21年、ここ総本山において本門戒壇の大御本尊の御前に本宗僧俗代表7万5千名が結集して、それまでの成果を御照覧給わると同時に、次の目標に向けて新たなる出発と前進を誓う大出陣式であります。まさしく、一天四海本因妙広宣流布を誓う、地涌の菩薩の晴れの儀式であります。これには、ただ血脈正統の本宗僧俗のみが参加することができ、謗法と化した池田創価学会員では絶対に参加することはできません。

この地涌倍増と大結集の御命題達成の不可欠の要件こそ行動そのものであり、行動なくしていずれも達成することはできません。思うに、今日、我らは人界に生を受け、「針の先に芥子(けし)の貫かれたるよりも、法華経の題目に値ふことは難し」(同355ページ)と仰せのように、宿縁深厚にして値い難き仏法に値い奉り、その上、『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に巡り値えることは、まことに稀有なことであり、まさしく千載一遇の機会と言うべきであります。我らは、凡智では到底、計り知ることのできないこの深い因縁を我が命に刻み、この機会を無為に過ごすことなく、我が身を仏に捧げ奉り、御命題達成へ向けて断固たる決意をもって行動を起こし、折伏を行じ、大結集の推進を図っていかなければならないと存じます。

大聖人様は『上野殿御返事』に、「草木は雨ふればさかう、人は善根をなせば必ずさかう」(同1446ページ)と仰せであります。御命題達成の闘いは、不幸に喘(あえ)ぐ多くの人を救い、混沌とした世の中を浄化していく闘いであると同時に、それはそのまま己れ自身が善根を積み、成仏へとつながる最善の行業となるのであります。されば、本日お集まりの一人ひとりが、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(同1169ページ)との御金言を拝し、悔いを残すことなく、師子奮迅力をもって、本年「行動の年」を闘いきっていただきたいと存じます。

「千里の道も一歩から」という言葉がありますが、何事も一歩一歩の積み重ねが肝要であります。一人ひとりの一歩はわずかではありますが、2人、3人、10人、100人となれば大きく前進することができます。御命題の達成もすべての講中が異体同心、一致団結して行動を起こせば必ず成就します。皆様には、異体同心の御聖訓を体し、いよいよ御精進くださるようお願い申し上げ、本日の挨拶といたします。




日蓮正宗の基本を学ぼう(11) 唱題について


唱題について

唱題とは宗祖日蓮大聖人様が『日女御前御返事』に、「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり。信心の厚薄によるべきなり」(御書1388ページ)と仰せのように、日蓮正宗の信仰において最も大切な修行は、御本尊様を深く信じて「南無妙法蓮華経」と、御題目を唱えることです。

御題目の「妙法蓮華経」とは、久遠元初という仏法根源の御本仏の尊い悟りそのものであり、「南無」は自身の命を奉る帰命(きみょう)という意味があります。つまり「南無妙法蓮華経」とは、御本尊様に命を奉るという意味です。


唱題の意義と功徳

唱題の意義と功徳は広大無辺で、言葉では言い尽くすことはできませんが、そのうち五つの意義と功徳を述べます。

まずは、「即身成仏」ということです。御本尊様に向かって御題目を唱えるとき、御本仏日蓮大聖人様の「仏力」と、御本尊様の「法力」と、御本尊様の「法力」と、私たちが御本尊様を信じる「信力」と、唱題修行の「行力」との四つの力が一致和合して、「此の五字は凡夫を仏となす」(同1492ページ)と仰せられた即身成仏の功徳を成就することができるのです。

次に「御報恩謝徳(ごほうおんしゃとく)」ということです。総本山第60世日開上人は、「仏法の信心修行は知恩報恩に過ぎたるはなし(中路)法華経の外に知恩報恩の道これなし。主師親の三徳大恩を知るは法華経に限る。故に法華経を信ずるは知恩報恩の本なり」(日開上人全集496ページ)と、法華経つまり御本尊様への信仰こそが、下種の御本仏の大恩を知り、その大恩に報いる道であると仰せられています。具体的に言えば唱題が知恩報恩の本なのです。

三に「罪障消滅・所願成就」ということです。宗祖大聖人様は『聖愚問答抄』に、「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(御書406ページ)と仰せです。これは唱題によって過去世からの悪業の罪障を消滅すると同時に、必ず幸福が訪れるのですから、御本尊様に向かい真心から唱題することが肝心であると勧められているものです。

四に「臨終正念」ということです。臨終正念とは、臨終の生死の境の時に、余念なく御本尊様を信じることです。大聖人様は、「我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」(同751ページ)えなと仰せられ、弟子檀那であっても信心の薄い者は臨終正念ならずに地獄に堕ちると示されています。総本山第26世日寛上人は『臨終用心抄』に、「臨終の一念は多年の行功に依ると申して不断の意懸(こころがけ)に依る也」(富士宗学要集第3巻259ページ)と、臨終正念は普段からの信心修行の積み重ねによる功徳であると仰せられています。この御指南の通り、日々弛まず唱題に励むことが大切です。

五に「折伏成就に通じる唱題」ということです。前御法主日顕上人猊下が、「コップのなかに水を一杯に入れ、さらにそこへ水を注げば必ず外へあふれます。そのように、皆様方の命、生活のなかに妙法唱題の功徳が真に入りきったならば、必ず他に向かってこの妙法の功徳を『五十展転随喜の功徳』として示していくところの姿が顕れると思うのであります」(大白法475号)と御指南されたように、唱題には必ず折伏成就に通じる意義と功徳があるのです。

このほかにも重々の意義と功徳があります。御本尊様を深く信じ、真剣に御題目を唱える人には、必ず法華守護の諸天善神も動き、折伏を達成させ、また間断なく守護してくださるのです。真剣に唱題をすれば、必ず困難を乗り越える道が開けます。また悪業の宿命を転換し、善縁にも恵まれます。そして日々、御本尊様の加護を得て、感謝に満ちた人生を送れるようになるのです。

このように、一切を開く鍵はまさしく唱題にあるのです。こうした功徳の体験は、本紙でも紹介していますが、皆さんの周りの法華講の同志の中にも体験を持った方がたくさんおられることでしょう。


広布唱題会へ参加して折伏に行こう

総本山をはじめ全国の末寺では、毎月第一日曜日の午前9時から,広布唱題会が行われています。この広布唱題会は、私たちの罪障消滅や御本尊様への御報恩感謝を申し上げるだけでなく、御本仏の大願である広宣流布を祈り、私たちの折伏が成就するための原動力となる唱題会なのです。

大聖人様は『諸法実相抄』に、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし」(御書666ページ)と御指南されています。私たちが広宣流布を願い、縁ある人に日蓮正宗の信心をして幸せになってもらいたいと強く祈るならば、不思議と折伏する機会が訪れたり、折伏の追い風となる出来事が起きたりするなど、必ず結果が顕れてきます。

御法主日如上人猊下が、「真剣に題目をあげ、祈り、動き、講中が一致団結・異体同心して折伏に立ち上がれば、諸天も必ず動き、折伏は達成できると固く信じます」(大白法690号)と仰せられたように、広布唱題会に参加して、御住職をはじめ法華講の同志と共に真剣に唱題し、御本尊様への確信と慈悲の気持ちを胸に、果敢なる折伏に打って出ましょう。



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