大白法

平成19年4月1日号


主な記事

<1〜4面>

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法華講連合会春季総登山会・第44回総会
全国から2万8700余名が結集


「行動の年」の春季総登山会が、3月24・25日の2日間にわたって行われ、一泊・日帰り合わせて2万8700余名が総本山に参詣した。

初日の24日には午後1時からの御開扉に引き続き、午後3時から講頭会が行われた。また一泊の登山者は午後7時から、御法主日如上人猊下の御講義に参加した。25日は午前10時から法華講連合会第44回総会が、御法主日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下の御臨席のもとに開催され、これには八木日照総監・藤本日潤重役・大村日統富士学林長をはじめとする各御尊能化、宗務院の各部長・副部長をはじめとする御尊師方が御出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏並びに各地方部長と共に、すべての登山者が広布坊をはじめ各会場で参加した。


春季総登山会第1日目の3月24日、午前8時頃より1泊翌山者が、開き始めた桜花に迎えられて着山した。午後1時から、最初の行事である奉安堂での御開扉に臨み、御法主日如上人猊下の大導師のもと、本門戒壇の大御本尊様の御内拝をさせていただいた。また、午後3時からは大書院において、御法主上人猊下御臨席のもと、法華講講頭会が行われた。夕食のあと、御法主上人猊下の御講義の受講のため客殿に移動した。今回は『経王殿御返事』(御書685ページ1行目〜686ページ6行目)の御文について、約1時間にわたり御講義を賜った。

翌25日は、午前2時半から客殿での丑寅勤行に参加した。午前6時半から宿坊での勤行・朝食を済ませ、法華講連合会第44回総会に参加のため、会場へ向かった。また、早朝から日帰り登山者のバスが着山し始めた。

一方、11隊の鼓笛隊は、9時過ぎより総会大会場の客殿、大講堂、広布坊、常来坊の各玄関に数隊ずつ分散し、入場者を力強い演奏で出迎え、登山者から盛んな拍手を浴びた。主会場の広布坊では、ブラスバンドと大阪地方部鼓笛隊が演奏声を披露。総会は他にも総一坊・総二坊はじめ各宿坊も中継会場となり、広布坊の映像が同時中継で届けられた。

定刻の午前10時、御法主上人猊下がお出ましあそばされると、開会が宣せられた。はじめにブラスバンドの演奏で「大法流布の時来たる」を合唱した。福岡地方部・妙境寺支部のK・Hさん、大阪地方部・妙恵寺支部のE・Mさんの体験発表に続いて、三宅婦人部長、石毛副委員長が決意を述べた。

ここで解法主上人猊下より御言葉を賜った。御法主上人猊下は、7万5千の大総会は、地涌六万大総会から15年を経て再び大御本尊様の御前に僧俗が大結集を果たし、御命題をくだされた日顕上人猊下に御報告申し上げ、次の目標に向けての大出陣式、地涌の菩薩の晴れの儀式であると仰せられた。また、本年「行動の年」に当たり、行動を起こすことが本宗僧俗に課せられた使命であり、法華経序品に拝される大乗の菩薩方が自らら修行に励むと共に多くの人を教化し救う姿は、地涌の菩薩を自負する我々が見習うべき大事な姿であるとされ、一致団結して知恩報恩の折伏を行じ、平成21年に晴れて名実共に御命題を達成されるよう念ずる、と御指南あそばされた。この後、柳沢委員長が挨拶を述べた。最後に「広布に生きる」を大阪地方部鼓笛隊の演奏により全員で合唱し、終了した。

25日は総会をはさんで計6回にわたって御開扉が行われ、登山者は順次下山の途についた。



◎御法主日如上人猊下御言葉

本日は、第44回法華講連合会総会が、総本山においてこのように盛大に開催され、まことにおめでとうございます。また、本日は御隠尊日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ、まことに有り難く、謹んで厚く御礼を申し上げます。

さて、本年「行動の年」は、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節まで、いよいよ残すところあと2年、御命題の「地涌倍増」と「大結集」達成の成否を決する、まことに大事な年であります。既に御承知のとおり、御命題のうち大結集については、立正安国論正義顕揚750年記念局より発表いたしましたように、平成21年7月26日の日曜日、ここ本門戒壇の大御本尊まします総本山において、本宗僧俗代表7万5千名が結集して大総会を行うことを決定いたしました。

この大結集は、平成6年の「地涌六万大総会」から数えて、ちょうど15年目に当たり、15年を経て、今再び、大御本尊様の御前に本宗僧俗が大結集を果たし、これまでの成果を晴れて大御本尊様に御照覧給わるとともに、御命題をくだされた日顕上人猊下に御報告申し上げ、もって次の目標に向けて新たなる出発となる大事な儀式であり、いわば大出陣式でもあります。まさしく、一天四海本因妙広宣流布を誓う、地涌の菩薩の晴れの儀式であります。したがって、残り2年間、我ら本宗僧俗は異体同心・一致団結して、準備万端怠りなく万全の態勢を整え、これに臨まなければなりません。一人ひとりの断固たる決意と勇気ある行動が、7万5千の大結集の成否を決するものと心得、講中一同、一致協力して推進に取り組んでいただきたいと思います。

次に地涌倍増について申し上げれば、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節を名実共に迎えるためには、我らはなんとしても地涌倍増を達成しなければなりません。いつも申し上げていることではありますが、地涌倍増の達成なくして平成21年の大佳節は名実共に迎えたことにはなりません。地涌倍増を達成するためには、特に本年「行動の年」は、すべての講中が老若男女、役職を問わず一斉に起ち上がり、折伏に動くことであります。行動なくして、いかなる結果も生まれません。そもそも、信心とは実践であります。机上の空論では我々は成仏をいたしません。行動を起こすこと、これが本年「行動の年」に当たって、本宗のすべての僧俗に課せられた使命であり、我らが今なすべき最重要事であります。

法華経の序品を拝しますると、「菩薩摩詞薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず・・・慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り、名称普(あまね)く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す」(法華経56ページ)とあります。これは、法華経の序品が説かれた時、霊鷲山には仏を中心に1万2千の大比丘衆、学無学2千人、8万の菩薩、帝釈天とその眷属である2万の天子、四天王とその眷属等々、多数の四衆が集まりましたが、この時集まった8万の菩薩について述べられている一文であります。

すなわち「その八万の菩薩方は、皆それぞれ阿耨多羅三藐三菩提を得て退転することなく、皆よく仏の教えを深く心に記憶して忘れず、悪法をさえぎる力を得て、弁舌さわやかに、相手の願いを知って法を説き、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、多くの善根を培い、諸仏に称歎され、自らは慈をもって身を修め、善く仏の智慧に入り、大智に通達して彼岸に到り、その名は普く無量の世界に聞こえ、能く無量百千の衆生を救われている」と仰せられているのであります。もう少し要約して申し上げますと、「この菩薩方は仏の御許において、自らが修行に励むとともに多くの人々を教化し、数えきれないほどの衆生を救われている」と仰せられているのであります。

この大乗の菩薩の姿こそ、今日、地涌の菩薩を自負する我ら本宗僧俗が見習うべき大事なことが示されているものと思います。特に、このなかで銘記すべきは、大乗の菩薩は「以慈修身」、すなわち「慈を以て身を修め」、修行に励んでおられるということであります。「慈を以て身を修める」とは、慈とは慈悲の慈、この慈には「楽を与える」という意味があります。また「身を修める」とは「自らの修行とする」ということであります。すなわち、大乗の菩薩方は小乗の利己的な成仏観を排除し、常に慈悲の心をもって世の中の多くの人々を苦しみから救っていくこと、すなわち化他行を自らの修行と捉えて励んでいるということであります。この精神こそ大乗の精神そのものであり、我々の信心に約して言えば、折伏することが自らの仏道修行であると知って日夜、精進していくことであります。

今日、我々は御命題達成を目指して僧俗一致して前進をしておりますが、苦悩と混乱に満ちた国内外の様々な惨状を見るとき、一人ひとりがこの大乗の菩薩の精神に立ち返って、世のため、人のため、一切衆生救済のため、広布のため、地涌倍増の闘いに臨んでいかなければなりません。その地涌倍増の闘いとは、すなわち折伏であります。

先程の体験発表のなかにもありましたが、もし、家族のなかにまだ信心をしていない人がいたら、直ちに行動を起こして折伏すべきであります。親戚・友人・知人のなかに、またお世話になっている方、大恩ある人のなかに、いまだ折伏をしていない人がいたら、心を込めて折伏すべきであります。折伏をしないのは不知恩であります。折伏をもって恩に報いることが真の報恩であります。

大聖人様は『曽谷殿御返事』に、「涅槃経に云はく、『若し善比丘あって法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり』云云。此の文の中に見壊法者の見と、置不呵責の置とを、能く能く心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく『諸の悪人と倶に地獄に墜ちん』云云。謗法を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書1039ページ)と仰せであります。まことに厳しい御教示ではありますが、しかし、今日の不幸と混乱と苦悩の原因がすべて謗法の害毒にあることを知り、幸せになるためにはその謗法を破折し、破邪顕正の折伏を実践することが最も大事であることを知らなければなりません。

大聖人様は『新池殿御消息』に、「諸経は仏説なれども、是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず。法華経は仏説なり、仏智なり。一字一点も深く信ずれば我が身即ち仏となる。譬へば白紙を墨に染むれば黒くなり、黒漆に白き物を入るれば白くなるが如し。毒薬変じて薬となり、衆生変じて仏となる、故に妙法と申す」(同1365ページ)と仰せであります。大聖人様の仏法は、今、現に苦悩に喘ぎ、不幸から抜け出せずにいる人はもちろん、それ以外の、今は特別の悩みや苦しみがない人に対しても、将来にわたって揺るぎない真実の幸せを得る至高・最善の道を説いているのであります。されば、大乗の菩薩がそうであったように、謗法によって苦悩に喘ぐ人々に対し、我らもまた「以慈修身」、すなわち慈悲の心をもって折伏を行ずることが、我らにとっての仏道修行そのものであることをしっかりと肝に銘じて、これからの闘いに臨んでいただきたいと思います。

「歳月は人を待たず」と言いますが、2年という歳月は長いようでも瞬く間に過ぎてしまいます。どうぞ、皆様方には1日1日を無駄なく、倦(う)まず、弛(たゆ)まず、あきらめず、一致団結して、平成21年には、晴れて名実共に日顕上人よりいただいた御命題を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。



◇決意 法華講連合会婦人部長 三宅順子

婦人部代表として決意発表させていただきます。私が婦人部員となって今年で35年経ちました。青年部時代は限りがありますが、婦人部は一生涯変わりません。長い一生を、水の流れるような信心を常にしていきたいと願っています。

さて、平成21年の御命題まであと2年と迫った本年「行動の年」、今我々は、全国一斉に各支部が確実に歩みを進めております。別けても平成21年7月26日、総本山で行われる精鋭7万5千名の大総会の成就は、今年の信行が鍵を握っています。この大事な時に巡り合う因縁を自覚して、今こそ全国の婦人部が立ち上がる時と私は確信いたしますが、皆さん、いかがでしょうか。

今、婦人部としてやるべき事に、家族の再折伏、縁の方の再折伏、さらに新たな折伏です。折伏はまず足元から、家族の未入信者、その他の親戚、未だ学会に籍を置き、謗法の垢に染まったこれらの人々を救い出すことが急務であり、それには確固たる折伏が大事です。

家族の再折伏に際しては、まず自分自身が襟を正し、一家の幸せを願って真剣に唱題することであり、生活を改めていくことです。家族の中でも、入信はしているものの勤行もしない、お寺へも行かない若者がいると思いますが、たとえ自分が世話になっている子供であっても、毅然とした態度で臨み、親の責任、次代を担う子供の責任を話して聞かせ、御報恩の御供養に取り組む姿を以て伝えていく、そこに家庭は明るく蘇ってまいります。縁の方も同様です。何度も足を運んで、御報恩御講をはじめ各行事に共に参詣することによって、本人も見違えるほど変わってきます。

皆さん、7万5千名の総会を想像してみてください。この2年間、力の限り折伏・再折伏に励み、当日は家族や縁の人たちと共に参加する喜びはひとしおです。御法主日如上人猊下の御指南を身に体し、全国の婦人部が立ち上がったとき大きな渦となり波動を起こしてまいります。

しかしながらそこに魔が来ないわけがありません。信心を妨げる様々な現象に一喜一憂せず、真剣な唱題をもとに前進していくところに、境界が大きく開けてくることを確信いたします。本日の総会を契機に、私は、婦人部の先頭に立ち命がけで実践することを、ここにお誓い申し上げて、決意とさせていただきます。

各会場の、そして全国の婦人部の皆さん、がんばってまいりましょうね!



□第44回総会より 体験発表 妙境寺支部 K・H

私は、平成6年3月27日に入信しました。入信前の私は、交通事故に遭ってひどい怪我をして、幾度も手術を繰り返していました。「真面目に生きてきたのに、何故こんなことになるのだろう?もう、生きていくのが恐い」。そう思っていたときに金沢さんと出会い、「この信心をしてみませんか」と、言われましたが、小さい頃から私は、母に連れられて熱心に神社にお参りしていましたので、母から人信を猛反対されました。私自身も、入信すれば神社にお参りできなくなるし、母を裏切るようで入信に踏み切れずにいました。

そのとき、金沢さんから、地涌六万大総会というすばらしい記念の行事があると聞きました。私は「是非それに御供養したい」と言いましたが、「信者じゃないと御供養はできない」と言われたとき、どうしても、御供養させていただきたい、もっと前向きな考え方になりたいと思い、ついに入信を決意しました。

信心について、半信半疑の部分はありましたが、交際中だった主人を折伏して、平成8年2月に妙境寺にて結婚式を執り行いました、それから、主人の勤務先の千葉県での新生活が始まりました。主人は出張が多く、知らない土地での生活は不安ばかりで、子育てと人付き合いにおいて辛いことがたくさんありました。それを信心根本にして乗り越えることができたのは、入信当時金沢さんより、御登山の大切さ、お寺参詣の大切さ、御本尊様のすごさ、信心の喜びなどを丁寧に教えていただいたお陰であると、心より感謝しています。

辛い生活の中ではありましたが、「広布のお役に立つ、新しい命を授けてください」と、ひたすら唱題に唱題を重ねました。すると、間もなく第三子を妊娠することができ、平成16年3月には長男が小学校入学、次男は幼稚園入園という、この上なくよい時期に主人の九州転勤が決まり、菩提寺に戻って来ることができました。どんなに辛い生活も唱題によって開かれ、感謝に変わるということを、身をもって教わりました。


次々と祈り叶う

妙境寺に戻ってからは、大きなお腹を抱えて毎日お寺の唱題会に通い、今度は「折伏のできる自分にしてください」と、必死に祈っていきました。そして夏期講習会には、妊娠9カ月の終わりではありましたが、絶対に大丈夫と確信して、子供2人を抱えて参加させていただきました。

その感動も覚めやらぬ7月の大折伏戦唱題会において、御住職・高木栄正御尊師より、「もう一度周りを見回してください。一人くらいは下種の縁があるはずです」と、御指導をいただきました。そこで、以前より是非一緒に信心したいと思っていました原さんに会い、勇気をもって信心の話をしました。その夜、原さんをお寺までお連れすることができ、奥様や金沢さんにもお話をしていただき、原さんは無事に御授戒を戴くことができました。その晩、原さんをお送りして11時頃に帰宅し、その4時間後、陣痛を感じたため朝の勤行をし終えて病院に向かいました。折伏成就の歓喜の中、念願していた広布のお役にたてる新しい命、元気な赤ちゃんを無事に出産することができました。


両親への折伏

願いが叶ってきましたが、とても気がかりなことがありました。それは両親のことです。兼ねてより信心の話をしていたのですが、なかなか入信はしてくれません。そこで、金沢さんにお願いして、両親に信心の話をしていただきました。しかし、父は「我が家は先視代々、また、周りも浄土真宗なので信心はできない。私は、京都のお寺で頭に剃刀をあてて戒名まで貰い、死んだときの準備も整っている」と言ったそうです。

それから1力月後の8月、突然父が入院しました。検査の結果ガンであることが判り、9月に手術することになりました。私はなんとか信心して欲しいと思い、入院している父のもとへ日蓮正宗の本を持って行き、読んでもらいましたが、入信には至りませんでした。12月には退院しましたが、翌月には全身に転移していることが判り、もう長くないと言われました。とてもショックではありましたが、冷静に受け止めることができました。これも信心しているお陰だと思います。悲しみよりも、最愛の父に少しでも長く、そして安らかに最期を迎えて成仏して欲しいと、ただそればかりを願いました。

その必死の思いから、母に一緒にお寺で唱題して欲しいと頼み、週に一度は母を連れて唱題に通いました。父の成仏のためには、なんとしても最期は日蓮正宗で送りたい。是非入信させたい。私にできる親孝行は、もうそれしかないと思いました。

そう願う中、3月になり、春季総登山会の2日ほど前に父の容態が急変し、寝たきりになってしまいました。その父に、「春季総登山会に行って来るからね」と言うと、いつものようにお小遣いをくれました。私は「しっかり御祈念してくるから。帰ったら信心しようね」と言って、子供3人を連れて出発しました。

総本山に着いたとき、とてもよい天気で、父も連れて来たいと何度も思いました。しかし、今の父の状態では、どう考えても無理なことは判っています。御開扉のとき、本門戒壇の大御本尊様に、「どうか父の罪障消滅をさせてください。そして元気になりますように」と御祈念しました。できることはすべてしようと思い、子供3人と共に丑寅勤行にも参加させていただきました。


ついに父が入信

登山から帰った翌日、主人も「お父さんに御授戒を受けさせよう」と決意してくれ、その日のうちに2人で父のもとへ行き、頭を下げて必死に御授戒を受けてくれるよう頼みましたが、依然として「先祖代々の宗教があるから」と言って聞きません。そこで孫たちが父へのお土産として買ってきた御念珠と経本、御念珠入れを見せ、夫婦で「頼むから信心して。お願いだから」と言って、土下座して頭を上げませんでした。

しばらくしてから父は、「判ったよ、公美」と言ってくれました。御住職様にはたいへん御迷惑をおかけしてしまいましたが、その晩の11時過ぎ、ついに父が御授戒を戴きました。それから御秘符を戴きましたが衰弱がひどく、御秘符をなかなか飲めませんでした。それでも、孫たちが唱題する中、すべて戴くことができました。その後はもう自力で歩けなくなりましたので、主人が背負って車に運び、帰宅しました。

翌日には、父は言葉が出なくなりました。最後まで自宅で過ごさせたかったのですが、寝たきり食事も取れないため、仕方なく入院させました。しかし、話せないためか異例の措置で、病院から24時間家族が看病してもよいと言われ、家にいるときと同様に父を看ることができました。ちょうど子供たちも春休みに入ったばかりだったので、私たち家族も実家に泊まり込み、夜は主に主人と母が付き添い、昼は私と子供たちが交代するという生活が始まりました。その後も容態はだんだん悪くなり、御住職様をはじめブロックの方々が、父のことを心配して御祈念してくださいました。そのお陰で、病院の先生には「痛みとの闘い」と言われていたのですが、痛み止めを使うことは一度もありませんでした。


4月8日・9日と、私は御代替慶祝登山に行くことにしていました。今の状況では父の危篤と重なるのではないかという不安が、ますます強くなりました。しかし、この登山には何が何でも必ず行くのだ、それが父にできる最高の親孝行であると、強く感じていました。

そして登山前日、自宅で登山の準備をしているとき、母から「お父さんが危ないのですぐ来て」と連絡を受けました。そこで、用意はそのままに病院に駆けつけ、父の手をとり唱題しました。しばらくすると容態は落ち着き、母と今後の話をしました。母は、父が危ないときに登山に行って欲しくないと言っていましたが、私は「こんな時だから、行かなくてはいけない」と言いました。母の気持ちが痛いほど判るので、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、登山に行く気持ちは、全く揺らぎませんでした。

母は、「もしもの時には、葬儀は浄土真宗で出したい」と言うので、「そこだけは絶対に譲るわけにはいかない。翔と湧の御題目は、必ず届くから大丈夫。わけの判らない邪宗のお坊さんにお経をあげて欲しくない。それではお父さんは成仏しない」と、言い切りました。翌朝もう一度病室に寄って、孫たちが「じいじい。お山に行ってくるからね。後は僕たちに任せてね」と言い、それが最期の別れとなりました。


父、危篤ここが正念場

いよいよ出発という集合時間にメールが入りました。血圧が下がり、危ないとのこと。「今戻ればきっと間に合うだろう。でも、登山しなければ父はどうなる?」という思いは心の底にありました。また登山を止めるという気持ちも、私にはありませんでした。ただ、私にとっても父にとっても、ここが正念場だということです。どういう結果になろうとも、登山しなければ父は救われないし、私も悔やんでも悔やみきれないと、何度も自分に言い聞かせて、身を切る思いで出発しました。総本山へ向かう新幹線の中で、山田さんや宇都さんから父の付御開扉のことを聞き、「お父さん、一緒に登山ができるよ。御開扉を受けられるよ」と心の中で叫びました。それから間もなく、「息を引き取った」と、主人から電話が入りました。しかし、母や弟からの連絡は何もありません。2人の気持ちを考えれば当然だという思いと、一方で淋しさがこみあげてきました。

私からも連絡は取りませんでした。連絡すれば決心が揺らぐからです。今すぐ戻れば、娘という立場上、親戚や周りからも責められず、どんなにか楽でしょう。しかし、私がどんな窮地に立とうとも、今は父の成仏が一番だと思いました。そのためには登山して、御開扉を受けさせていただこう。なぜなら私は今、父を連れて一緒に登山していると思ったからです。そして、葬儀は何が何でも正宗で出したい。もう前に進むしかありません。

お山に着き、父が亡くなったことを、小学2年生の長男に話しました。息子は、「なぜ?」といった顔をして泣きじゃくり、その様子に私の胸も張り裂けそうでした。そこへお寺の奥様が電話をくださり、父の魂がまだとどまっていることなどを丁寧に話してくださいました。私も息子に、「おじいちゃんを登山させるのは、私たちにしかできないんだよ。後は任せてと言ったことで、じいじいは安心して逝ったんだよ」と言いました。それからは、父に対して精いっぱいのことをしようと、寝ずに唱題をしてから、子供3人を連れて丑寅勤行に行きました。

葬儀の件がどうなっているか知りたく金沢さんに連絡してみると、日蓮正宗で葬儀を出せるようになっていました。後で知ったことですが、父のため、私の代わりに青年部長をはじめブロックの方たちが、一晩中唱題してくれていたのです。このときほど、異体同心の絆を感じたことはありません。主人も、「絶対に葬儀は正宗で」とがんばってくれたと聞きました。また、母も「納得いかない」と言いながらも、私の盾になり親戚から守ってくれて、日蓮正宗で葬儀を出させてくれたのです。このようなたいへんな時でさえ、娘である私の気持ちを考えて行動を理解し、信じてくれたのだと思います。ですから私は、必ず母と一緒に信心できる日がくると信じています。


「じいじいが笑ってる」

そして翌日、御開扉を受けました。御開扉の最後の唱題が終わったとき、突然長男が、「わあ」と泣き出しました。「どうしたの」と聞くと「じいじいが笑ってる」と言うのです。私は何も言えず、胸がいっぱいになりました。春季総登山会で父の折伏を願い、一緒に登山したいと思ったこと。そして、こういう形ではあるけれど、今回の登山で父は本当に登山できたのだ、父は成仏している、本当によかったと、心から思いました。

その後、私と子供一、一人は、皆さんの協力を得て、すぐに下山することができました。新幹線の中で長男が、「今ここにじいじいが座ってるから、一緒に連れて帰るんだ」と言っていました。小倉駅に着くと坪根さんが迎えにきてくれていて、とても優しい声で、「今から仮通夜だよ。お父さん、温かくて柔らかいよ」と教えてくれました。

私は、ドキドキしながら重い気持ちでしたが、実家に着いてすぐ父に会い、背中にそっと手を当ててみると、温かくて顔はとても穏やかでした。それからすぐに仮通夜が始まりました。その最中、長男が父を見て「笑ってるよ」と言うのです。確かに口元が笑っているのです。本当に不思議でした。御住職様にも本当によくしていただき、無事、葬儀を終えることができました。

一段落ついて、この後の法要を日蓮正宗で行うかどうか、母と対立して悩んでいました。しかし、毎日の唱題会に参加する中で、「今は4月戦の真只中。私のするべきことは折伏戦のお役に立つこと。後のことは御本尊様にお任せしよう」、そう決意して、数年前から信心の話をしていた宮崎さんと会う約束をしました。彼女は、私にとってとても大切な友人の一人です。一緒に信心していきたいと思っていたのですが、なかなか決心してくれませんでした。ところが、私自身が決意を新たにして会ったその日は、信心の話をすると、折伏成就できたのです。

また昨年12月にも、以前下種していた友人を折伏させていただくことができました。信心活動を夢中でさせていただいているうちに、父の法要もすべて日蓮正宗で行うことができました。本当に御本尊様のすごさを実感しています。

私の好きな御金言に、「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(御書832ページ)とございます。

事故のため子供は出来にくく、普通に出産するのは無理だろうと言われていた私が、今では3人の子供を安産で授かりました。信心していても、自分の罪障ゆえ辛いことや苦しいこともあります。でも、固く御本尊様を信じ、自己流の信心をするのではなく、御法主上人猊下の御指南を深く学び、御住職様の御指導の通り精進していくならば、必ず幸せになれると確信します。

そして、平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年に向け、折伏・登山・育成に励み、仏様から戴いた3人の子供を立派な、広布のお役に立てる人材に育てることを、お誓い申し上げます。本日は、ありがとうございました。



異流義破折−正信会
加速度を増す高齢化


正信会の危倶

自称正信会は、包括法人化を目論んでいる。包括法人とは、教派や宗派を指す言葉であるから、これは日蓮正宗とは別個の宗派「正信会宗」を名実共に造ろうという魂胆である。しかし、いずれにせよ、宗門・僧俗にとっては、自称正信会が折伏の相手であることに、なんら変わりはない。

そんななか、「正信会の高齢化は加速度を増すばかりか、運動の興起を知らず、大石寺の山法山規や日蓮正宗の化儀・化法をよく知らない僧俗が過半を占めてくる」(正信会報・平成19年正月号5ページ)と将来の行く末を深刻に案ずる声が組織内からも出ている。

包括法人となろうか、なるまいが、その大半が「大石寺の山法山規や日蓮正宗の化儀・化法をよく知らない僧俗」なら、どんな詭弁を弄しても日蓮正宗とは言えまい。それで「富士の本流」とは厚顔無恥にも程がある。


敗北宣言?

また、情けないことに、「信徒の高齢化が進み、法燈相続も思うにまかせず、新しいご信者の入信も少なく、布教への情熱も乏しいと感じている方も多いのではないかと思います」(同32ページ)という愚痴もこぼしている。たしかに昨今では、近隣で正信会を名乗る者と出くわすことすら、容易ではなうい。

そんな窮状を憂えての、「早瀬宗門の法華講の方が取り組みとしては強いものがあるように思います」(同ページ)との言に至っては、宗門への敗北宣言と言うしかない。所詮は根無し草の当然の末路ではあるが、「大石寺の山法山規や日蓮正宗の化儀・化法をよく知らない僧俗」が、自称正信会を我が物顔で闊歩するようになれば、ますます邪教色が色濃く反映されることとなろう。

しかも、「布教への情熱も乏しい」となれば、さらなる弱体化も容易に察しがつく。つまりは先細りと加速度を増す邪教化を危倶する声が、正信会内部に渦巻き始めているのである。


大義名分も存在意義もない

自称正信会が、自らの疲弊と将来への大きな不安を抱えているのに対して、宗門が隆々と勇往邁進する姿は、彼らが見ても余程うらやましいのであろう。それならば話が早い。直ちにこれまでの大謗法の数々を懺悔すればよいのである。

そもそも自称正信会は、いわゆる創価学会の昭和52年路線の謗法を追及することが大義名分だったはずだ。しかし、創価学会は、今や宗門から破門され、大邪教集団と成り果てた。つまり、自称正信会の大義名分は、もはや失われたのである。そんな存在意義も目的も無い団体に、「布教への情熱」など生まれようはずもない。我ら、真の宗門僧俗とは、根本的に目的観が違うのだ。あれこれ小賢しいことを言う前に、真摯に現実を直視すれば、活路は明白ではないか。


過ちを改むるに憚るなかれ

日蓮大聖人は、「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(御書406ページ)と御教示である。この御金言は、一大秘法たる本門戒壇の大御本尊へと連なる題目、すなわち三大秘法の本門の題目を意味する。その成就は、これらの御内証を、ただお一人所持あそばされる御法主上人に信伏随従してこそ、はじめて成り立つのである。

正信会よ、いかに考えを凝らしても、自らの謗法を懺悔しないかきり、随獄を食い止めることはできないぞ。しかし、懺悔すれば、これまでの大きな罪も必ずや滅するのである。勇気をもって行動しなさい!



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