大白法

平成19年4月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉
4月度広布唱題会の砌(4/1 客殿)


本日は、総本山における4月度の広布唱題会に当たりまして、皆様方には御繁忙のところを多数、参加され、まことに御苦労さまでございます。

大聖人様は『立正安国論』に、

「つらつら微管を傾け聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てヽ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234ページ)
と仰せであります。また、同じく『立正安国論』に、
「ああ悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麓語に随ふこと。早く天下の静謐を思はヾ須く国中の謗法を断つべし」(同247ページ)
と仰せであります。すなわち、世の中の混乱と不幸の原因はすべて謗法の害毒にあり、その謗法を断ち、正しい大聖人様の仏法に帰依することが天下の静謐をいたし、人々が幸せになる最善の方途であると仰せあそばされているのであります。

今、我々本宗僧俗は、異体同心・一致団結して、平成21年の御命題たる「地涌倍増」と「大結集」の達成へ向けて前進しておりますが、その闘いのなかで大事なことは、一人ひとりがこの『立正安国論』の御聖意を体して、「傍観者」になるのではなく「主体者」となって闘っていくことであります。

「傍観者」と「主体者」とでは歴然たる差が生じます。「主体者」とは動く人のことであります。動かない人は「主体者」とは言いません。大聖人様の仏法は観念や理論で成仏をするわけではありません。広布のためにこの身体を使い、動いてこそ、仏の広大なる功徳を体現できるのであります。信心をしているということは、信心を実践している人のことを言うのであります。したがって勤行にしても、折伏にしても、実際に身体を使って動かなければ、勤行をしたことにも、また折伏をしたことにもなりません。したがって、声だけを出している人は「主体者」とは言わないのであります。

故に、大聖人様は『土籠御書』に、

「法華経を余人の読み候は、口ばかり言葉ばかりは読めども心は読まず、心は読めども身に読まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同483ページ)
と仰せあそばされているのであります。


では、その「主体者」となるためにはどうしたらよいのか。それにはまず、確固たる自覚を持つことが必要ではないかと思います。つまり、一人ひとりが地涌の菩薩としての自覚をしっかりと持つことであります。

大聖人様は『諸法実相抄』に、

「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にて通り、日蓮が一門と成り通し給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同666ページ)
と仰せであります。「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」との文を、よくよく拝すべきであります。

御本尊様への絶対の信、すなわち「無疑曰信」の絶対帰命の信のもとに、大聖人様の御遺命たる一天四海広宣流布へ向けて挺身していくことが肝要なのであります。要は、御本尊様の広大なる功徳を、絶対信をもって信じているかどうかということになるのであります。

『観心本尊抄』には、

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(同653ページ)
と仰せであります。

釈尊が、限りなく長期にわたり積み重ねてきたあらゆる修行、すなわち「因行」と、成仏したことによって具わる万徳、すなわち「果徳」の二法は、ことごとく三大秘法の御本尊に欠けることなく具わっているのであります。すなわち、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の下種仏法においては、十界三千の諸法はことごとく妙法五字に具足して欠減なく、これを修行する者は、仏因・仏果を同時に得ることができるのであります。故に、この本尊を受持すれば、その功徳広大無辺にして、煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳と転じ、即身成仏の本懐を得ることができるのであります。

されば、我々はこの妙法五字の大御本尊に対し奉り、絶対の信をとり、地涌の菩薩としての自覚を持って、自らの成仏と一天広布の願業達成を期して、今こそ、一人ひとりが「主体者」、すなわち動く人となって、来たるべき平成21年の御命題、地涌倍増と大結集の達成を目指して闘いきっていただきたいと思います。

どうぞ各位には、御命題達成まであと2年、一日一日を無駄にすることなく、晦いのない闘いをされますよう心からお願いいたしまして、本日の挨拶といたします。





台湾広布の十年
4千名の出発から、2万5千名の陣容に大躍進


日本の西南に約1100km、飛行機で東京から約3時間の所に付置する台湾。日本の国上の1/10ほどの、九州よりやや小さい国土に、現在2300万人が活気溢れる生活を送っています。

今、その国土を舞台として約2万5千名の法華講の同志が、宿縁の深さをかみ締めながら、日々活発な広布の活動を展開しています。その中心拠点である本興院は、台北市のほぼ中央、交通至便な松山区八徳路の16階建ビル5階にあります。本年で創立10年目を迎え、今や「南無妙法蓮華経の日蓮正宗寺院」として、知る人ぞ知る存在になっています。


寺院建立、法華講結成、僧俗和合を確立

その一日は、毎朝約200名の老若男女が参詣する朝の勤行に始まり、夕の勤行を挟んで午後9時半の閉門まで、参詣者の途絶えることはありません。当に台湾広布の中心拠点です。これが日曜日ともなると、朝の勤行の時に行われる「講経会」に500名前後の信徒が参詣し、法話に耳を傾け一心にメモを取る姿は、真剣に台湾広布を願う多くの信徒の心そのものです。特に土日の本興院内は、大小の会議室がフル稼働で、広布の息吹きが満ち溢れています。

新入信者はほぼ毎日あり、御授戒の時に本堂内に響きわたる「願奉持(持ち奉るべし)」の大合唱は、参詣者の折伏意欲を一層掻(か)き立てます。現在、台湾全島での月間折伏は、300名前後です。今、宗門は僧俗一丸となって1年後、2009年の地涌倍増をめざし折伏戦を展開していますが、台湾とて例外ではありません。本興院創立以来設定されてきた全台湾2000名の年間折伏目標を、2002(平成14)年以降は、2500名に設定して毎年確実にそれを達成し、名実共の地涌倍増をめざして現在に至っています。

今でこそ、本興院を含め全島内5ヵ寺に10名の僧侶が常駐する広布の環境の整った国ですが、ここに至るまでの歴史は決して平坦ではありませんでした。1991几(平成3)年3月、宗門によって海外布教のSGI(創価学会インターナショナル)」一任が撤廃された直後に、尾林前海外部長が初訪台され、宗門主導による本格的広布が、他国に先駆けて幕を開けました。とはいえ、僧侶は不在、一つの寺院もなく、正確な情報から遮断された環境にありました。そのような中、多くの純粋な信徒たちが有縁のリーダーを中心に、信心の命脈を保っていたのです。宗門主体・僧侶主導の布教体制の構築は、火急の課題でした。

海外部の初訪台から約半年を経た1991年12月には、早くも海外部台北事務所が台北市士林区に開設、翌年には社団法人・日蓮正宗信徒弘法会が成立して、1993年5月、初めて事務所責任者として常駐僧侶が赴任いたしました。こうして徐々に布教体制が整備されていきましたが、多くの信徒が僧侶からもっと親しく指導を受けたいという気運が高まり、1996年6月、僧侶を責任役員に加えた現在の財団法人・中華民国日蓮正宗基金会が誕生したのです。これを母体法人として、同年12月には、本興院が開設。次いで翌1997年4月には、待望久しかった本興院の落慶入仏法要が、前御法主の総本山第67世日顕上人猊下をお迎えして盛大に奉修されました。悲願の御親修法要を目の当たりにした台湾僧俗は、到底言葉では言い表せないほどの感激を味わったのです。その折、日顕上人猊下は、

「仏法の西漸の相茲にあり 本興院の緇素に幸あれ」
とお詠みになられ、大きな期待を寄せられたのです。その御期待にお応えしようと、それを境に「折伏こそ真の報恩」と果敢な折伏を実践、台湾広布は堰(せき)を切ったように一気に加速していったのです。

法華講組織は、本興院支部として落慶入仏法要後一年を経て設立認可されました。発足当時4000名ほどであった信徒数は、9年を経て今や2万5000名を数える大組織に発展しました。

この間、日顕上人猊下による御親修は、本興院の落慶入仏法要を皮切りに、2001年9月の高雄市・法宜院の移転新築落慶入仏法要、2004年11月の台中市・妙行院と宜蘭県・妙照院の山院号公称板御本尊入仏法要と、都合3回奉修されました。


全台湾2万5000名 5カ寺一体の体制

現在台湾の寺院は、1法人5カ寺体制ですが、法華講組織の方は全台湾一組織(本興院支部)として活動を行っています。その理由は、台湾広布が第1号寺院の本興院を基点として始まり、その後順次に地方展開していった経緯によります。

現在、全台湾で8本部あり、1本部は2000〜3000名の規模になっています。そのうち台北・本興院には4本部が所属し、あとは各寺院に1本部ずつが所属しています。1本部は3〜5支部に分かれ、さらに1支部が数個の地区と組に細分化されています。最小単位の組は、全国で1000近くになりますが、2年後の地涌倍増を射程圏内に入れ、全組織をフルに回転させながら、年間2500名の折伏誓願目標達成をめざし、日夜果敢な折伏戦を展開しています。本年も、年間折伏目標のうち3月末時点での達成目標を上回っています。

急速な進展に伴って短期間で寺院が次々と建立されたものの、それらが一法華講組織で活動する体制は、二重構造的な面もあります。しかし、当面は、一体感のある現体制の方が利点が多いように思われます。

さて、組織の最高会議として、月1回第3土曜日に本興院で開かれる幹事会および企画会があります。ここでは全寺院の主管・住職と講頭・副講頭以下全国8本部の幹事と各部の部長が本興院に集まり、中・長期的な展望の上から重要な企画案件を検討します。それを、第1土曜日に全国40支部の主任を加えた全役員が本興院に集まって開催される月例会において、最終検討し議決します。議決事項は、すぐに全国の本部→支部→地区→組を経て末端まで伝達されて周知徹底が図られます。

現在、全国組織として青年部と少年部はありますが、壮年部と婦人部は結成されていません。より一体感を持った全体的な活動の方が現状に即しているからです。青年部と少年部は、台湾法華講の次代を担う財(たから)です。独自の活動と共に、全体の活動にも積極的に参加して次代のリーダーに育つよう指導しています。

そのほか主な活動として毎月各支部単位で実施される支部指導会があります。これには必ず僧侶が出席して時に適った適切な指導が行われるれと共に、機関誌に掲載される御法主上人猊下の御指南の読み合わせや、体験発表、各部の報告、僧侶による質疑応答などが活発に行われます。指導会を挟んで必ず各支部2軒の家庭訪問があり、親身になって激励と指導が行われます。この指導会には、各支部100名前後の参加者があり、支部の活性化と個人の信心錬磨に大きな効果を上げています。課題は、マンネリ化の打破と出席者の固定化を防いで出席率を上昇させることと内容の創意工夫です。その他、支部・地区・組単位での役員会や唱題会、読書会等が活発に行われています。

また、台湾の寺院は、財団法人を母体としているため、外部向けの活動も積極的に行っています。献血、野外清掃、施設の慰問、奨学金の助成など、日本に比ベてかなり活動は活発で、しかも多彩です。台湾においてこうした社会に貢献する福祉活動は、広布推進・折伏展開の上からも極めて有効です。

一方、文書布教の中心は、本年4月号から全面カラー化された月刊の機関誌『本興』と青年部機関誌『彰義』です。4月号で121号を数える『本興』が、この10年間において台湾広布に果たしてきた功績は実に大きなものがあります。そのほか折伏部・法要部・文化部・社福部・登山部(A・B・C)・出版部・服務部・翻訳部・国際部など14の部があり、部によってはさらに組に細分化されて活動を展開しています。

その一部を紹介しますと、まず法要部は、安全組・受付組・法要組・太鼓組に分かれ、常に大勢の参詣者が訪れる各種法要の円滑な運営に貢献しています。特に本興院は、大型ビルの5階にある関係で、非常時の危機管理には特に注意を払っています。安全組は、普段から危機管理を参詣講員に喚起し、本興院内外での講習や実地訓練も積極的に推進しています。昨年も300名以上が参加して、市内にある危機管理センターで研修を行いました。

登山部は、登山業務をすべて担っています。日本に比較的近いという地の利もあって登山者数は他国に比べて比較的多く、行程も5〜7日と長いため、安全面をはじめ輸送手段の確保など労力は想像以上のものがあります。そのためA・B・Cの3つの部に分かれ順番に担当しています。登山が計画される度に担当僧侶と部長を中心に運営会議や説明会が開かれ、行程等を十分に検討して無事故を心がけています。この10年に培ったノウハウを十分に活かし、現在、比較的円滑に運営されていますが、常に初心を忘れず細心の注意を払って取り組むようにしています。

折伏部は、躍進を続ける台湾広布の推進役です。全国40支部の折伏推進委員から寄せられる月毎の折伏状況を、いち早く集計して月例会に報告します。その最新の進捗状況は、ロビーの誓願目標達成グラフに反映し、参詣講員の折伏意欲の一層の発揚に大きな役割を果たしています。


一人ひとりが常に折伏広布の進展

古来、中国では「国の本は家にあり」と言われています。家族は国の礎であり、社会構成上の重要な単位であるというのです。儒教の倫理思想もこれに由来しますが、台湾での祖先崇拝は、一家を挙げての重要な義務であり、宗教に対する考え方や行動の基準の出発点ともなっています。街を歩けば、各家庭の1階の正面には必ずといっていいほど神仏棚があり、そこに祖先の位牌を祀る光景は、ごく普通の風景として目に入ってきます。本来台湾の人たちは、国民の約8割が何らかの信仰を持って祖先を重んじる「信心深い」民族性であるため、それが正しい先祖供養のあり方と正しい信仰を求める機縁となり、折伏によってそれが開花するのではないかと思います。現実に、新旧いずれの信徒を問わず、各家庭には立派な仏間があり、仏壇も立派なものが多いという印象を受けます。

しかし何といっても、広布進展の真因は、信徒一人ひとりの高い折伏意欲、勝れた実践力に他なりません。その根底には、強い信心と地涌の使命感があるのは言うまでもありません。台湾の信徒は、特に構えることなく常に下種と折伏を実践します。たとえばタクシーに乗れば運転手に、レストランに入れば店員に、何気ない会話の中で自然に信心の話をします。話が進んでいくうちに、「南無、妙法、蓮華、経」と実際に相手に唱えさせることも多く、相手も比較的素直に「南無、妙、法、蓮、華、経」と、ぎこちない表情を浮かべながらも素直にそれを繰り返す光景は実に微笑ましく、しかしそこに折伏の「真髄」を垣間見る思いがします。

また、講員の葬儀や新入信者の御本尊入仏式には、大勢の同志が駆けつけます。葬儀には、50〜100名の同志が参列します。未入信の遺族が、葬儀の荘厳さや同志の温かさに感激して入信するケースも少なくありません。入仏式も20〜50名くらい駆けつけて、盛大に行われます。また本興院の近くに職場がある信徒が、昼休みのちょっとした時間に未入信の同僚を連れて参詣するといったこともよく見られます。こうしたことを見ても、我が信心への誇りと確信と広布への使命感は、相当なものがあります。

さらに比較的入信間もない人の活動が目立つのも台湾法華講の特徴です。宿縁の然らしむるところと言ってしまえばそれまでですが、入信1〜2年の信徒が盛んに折伏し、役職に就いて活動する例も少なくありません。初信ゆえの純粋な信心によってはっきりと功徳を体感し、新たな人材を輩出させるのでしょう。入信間もない熱原の法華講衆が、不退転の信心を貫いて法華講の源流となった姿が彷彿としてきます。

前述したように御授戒は、ほぼ毎日行われる日常的な風景です。御授戒終了後、新入信者を囲んで歓喜の輪が幾重にも広がって、広布の息吹きは否応なく高まっていくのです。それが同志の折伏意欲を一層鼓舞し、確かな相乗効果をもたらしているように感じます。


初心を持続未来広布へ前進

法華講結成後まだ10年に満たない台湾。一方、700年の長い歴史を持つ日本の法華講。台湾法華講は、歴史が浅いゆえに、また信心の環境に恵まれないゆえの奮起と渇仰、こうした要素が相侯(あいま)って、これまで躍進が続いてきたと思います。

さらに台湾広布には、本興院誕生に至るまでに、前述した破和合僧の魔の用きという深い反省が、地下水脈のように横たわっています。この負の遺産を見事に変毒為薬して築いた僧俗和合・異体同心の体制は、現在もしっかり維持されています。僧俗それぞれが互いの本分を弁えた緊密な信頼関係こそが、この10年間の台湾広布を躍進させた大きな原動力だと思います。

しかし凡夫の常として、余りに恵まれた環境が続けば、ついついそこに安住してしまい、感謝の念も薄れがちになります。今後どんなに台湾の広宣流布が進展しても、寺院もなく僧侶もいない辛く苦しかった時代を思い起こすことが大切ではないかと思います。常初心の謙虚な信心を持続して、講員一人ひとりがさらに信心を磨いて、一騎当千の広布の人材に成長していって欲しいと心から願っています。

比較的楽に折伏が進んでいるように見える台湾広布も、講員一人ひとりの毎日の懸命な勤行・唱題を基礎とした折伏の実践がすべてです。広布に安穏な道はありません。本興院創立十年を経過して、組織的にも課題は数多くあります。御講をはじめ各種の法要の参詣者が多いといっても、絶対数が多いのですから当然といえば当然、活動率そのものは決して高いわけではありません。組織が大きいだけに末端まで血の通った指導が徹底されない面も少なくありません。どんな組織でも改善の余地は必ずあるはずです。現状に甘んじることなく、過去の成功体験に安住することなく、常に反省を加え、改善する勇気を持って前進を図っていきたいと考えています。

いずれにしても台湾僧俗は、間近に迫った1万名結集目標の第3回法華講総会の成功を当面の最大目標にして奮起し、がんばっています。それが2年後の地涌倍増を確実にし、さらにそれが未来台湾広布を大きく切り開く足がかりとなることを固く信じて、僧俗一丸となって広布に邁進します。




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