大白法

平成19年5月1日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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体験発表
福島地方部総会、群馬地方部総会より


◇『御報恩の折伏で家業倒産の宿業を払拭』 広布寺支部 R・H

私の入信のきっかけは家業の倒産でした。飯坂温泉にて代々旅館を経営しておりましたが、過剰な投資が原因で倒産してしまったのです。当時、高校1年生だった私は、これからどうなるのか不安な日々を送っていました。両親の苦労している姿を見るにつけ、一日も早く卒業して両親に楽をさせたいと心から願っていました。

そんな時に、誰から聞きつけたのか学会の女子部が私を訪ねてきたのです。実は私の家は江戸時代から代々日蓮正宗の信徒でした。しかし、若かった私はそんなことにはまったく興味がなく、信心の信も判りませんでした。訪問してきた学会員の熱心な「創価学会に入り、御本尊様にしっかり祈っていけば必ず幸せになれる」という強い確信に満ちた話に、心が動きました。何とか今の状況を変えたいと思っていた私は、自然に話に引き込まれ、入会の決意をしていたのです。

当時、父は遠方に働きに出ており、母も朝から晩まで働きづめの状態でした。私は兄弟の面倒を見ながら学校へ通っていたのですが、知らず知らずのうちに学会活動に夢中になっていました。家族の幸せ、自分の幸せ、家業の復活のために学会一筋に動き続け、私の青春は学会活動そのものでした。

家族が一体になって努力した甲斐あって、私が成人する頃には小さいながらも割烹店を開業するまでになっていました。そこからお店を少しずつ広げて基盤を作り上げ、現在では福島市内の中心部に旅館を開業することができました。それからも苦労の連続でしたが、私がここまで来られたのは両親の必死の努力があったからです。


法華講へ戻って

そのような中、昭和57年ごろになりますが、私は学会の財務の納入のことで、幹部に明細を明らかにしてほしい旨の提案をしました。しかし幹部の答えは、その考え方自体が間違いであるというもので、私は厳しい注意を受けたのでした。それを機に学会に対して失望すると共に、疑問を抱くようになっていきました。悶々とした日々が続いていましたが、広布寺に行けば何か答えが見つかるのではと思い、意を決してお寺に出向き前御住職・黒崎法照御尊師からお話を聞くことができたのです。初対面の私に対し、すべてを見通されていたようなお話を聞き、驚きと戸惑いを感じたものの、何か心の中に明かりが見えてきたのも事実でした。

しかし、「芳賀さんの家は代々日蓮正宗なのだから戻ってきなさい」とのお言葉には、今思えばたいへん申し訳ないことですが、正直に言って法華講に入ったら信心も生命力も弱い自分になってしまうのではないかと思っていたのです。そのような偏見と我見によって、きっぱりと脱会する決意がないまま法華講に入っていたというのが正直なところです。

当時は学会が破門される以前でしたので、支部の法華講員の中に生ぬるい信心の姿があったのでしょう。御住職より、「あなたが今の組織に熱いお湯をかける役目だよ」と御指導いただきました。ところが、なおも私は、今ここで決意しなければ前には進めないと思いながらも、法華講の組織でがんばっいてくことにはまだ抵抗を持っていました。

しかし私は、そんな思いを抱きながらも、たびたび前御住職の御指導を受けているうちに、自分が少しでも役立つことがあるならばと、揺れる気持ちを断ち切って広布のために何とかお役に立っていきたいと願うようになっていったのです。また本物の教学を学べたこと、折伏の大事さ、法統相続のことなどを深く理解することができ、今まで曲がりなりにも信心を続けてこられたことを深く感謝できるようになりました。

そのような中、40代後半にさしかかった頃、思いもよらないことに、市の健康診断を受けたところ乳ガンが見つかったのです。当時父は亡くなっており、母と2人の生活でした。母や兄弟の前では何事もなかったかのように装っていましたが、ドーンと地獄に堕ちていく気持ちでありました。「何で私が、何で私が」と悔しくて悔しくて、心の納めようがなかったのです。病気のことは頭で理解できても、受け入れることはとてもできませんでした。やがて入院となりましたが、病名は誰にも知らせませんでした。

入院前に家を出るとき、御本尊様の前に座って御題目を唱え、「もし私に生きる使命があるならば助けてください」と祈りました。すると不思議なことにその瞬間から死に対する恐怖心は全くなくなり、むしろ清々しい気持ちになったのです。

手術が終わりベッドの上で目が覚めたとき、自分は生きているという実感と、退院したら今まで以上に素直に、そして真剣にこの信心に励んでいくという決意が、心の底から湧き出てきたのです。あれから15年、再発せずにこられたのも、御本尊様のお力によるものと、ただただ感謝するものであります。

体は元気になりましたが、それとは逆に数年前から家業のほうがたいへんな状態になってきました。当時は不景気のどん底と言われ、会社が次々と倒産していくというニュースを見ない日はありませんでした。ついに家業は倒産するまさに一歩手前までいきましたが、前御住職より「家にはすばらしい宝があるじゃないか。それを大切に護り磨いていきなさい。信心は命がけでするものだ。それができなければ信者ではない」と厳しい御指導を受け、これまでの自分の信心の姿を恥じると共に、親の踏んだ道だけは繰り返してはならない、一生をどん底の生活にしてはいけないと気付きました。


御恩は折伏で返す

その後、家業は持ち直し、それを機に、受けた御恩は折伏で返していくしかないと気付くことができました。「一年に一人が一人の折伏を」の御指南を必ず達成するぞという強い決意が体中にみなぎったのです。それは3年前のことで、その年は1世帯の折伏を成就できました。そして2年前には3世帯の成就。さらに昨年も3世帯の折伏をさせていただきました。特に昨年は100万遍の唱題に挑戦させていただき、だいぶ成長したと実感できた中での成果でしたので、喜びもひとしおでした。

まず9月に入信したKさんとTさんという方は、共に近所にお住まいの学会員ですが、20年から25年、事ある毎に折伏し続けた方々です。以前はなかなか話が前に進みませんでしたが、副御住職・山本道山御尊師が一緒に折伏してくださり、お2人は不思議なくらいに素直に入講できました。また、11月に折伏できたOさんは、父方の親戚に当たる学会員で、娘さんが創価大学に通っているという人です。さまざまな困難がありましたが、またも副御住職に助けられ、入講することができました。

今年初頭より広布寺支部では御住職・山本法光御尊師のもと、折伏推進部が結成され、推進部長には副御住職が当たられており、常に折伏の陣頭指揮をとられています。これからも僧俗が一体となった折伏がしっかりと展開されていくものと確信いたします。

今年も1月に1世帯の折伏が成就しました。また、先月も入信を決意された方がいましたので、早急に御授戒、御本尊御下付ができるようにいたします。

大聖人様は『経王殿御返事』に、

「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(御書685ページ)
と仰せでございます。御金言の通りにしっかりと唱題し祈りきって、必ずや昨年より1世帯でも多くの成果を上げていく覚悟です。

そして来る平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年に向けて、御法主上人猊下の御命題にお応えすべく全力で闘ってまいりますことをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。



◇『この病と共に広布に生きる』 勝妙寺支部 T・T

皆様、こんにちは。信じられないかも知れませんが、私は、世界の人口65億人の中でただ1人の人間であることが判りました。本日は、このことについてお話したいと思います。

平成16年の暮れ、私の体に異変が現れ始めました。突然目眩がして、さらに両手の握力がなくなり、ふらついて歩けなくなったのです。突然のことで、何が何だか判りませんでした。今思えば、その1年ぐらい前から、仕事中に背中が痛み、頭がふらつき、突然嘔吐したり、また足の運びに異常を感じたりしていましたが、それは仕事の忙しさとストレスからくる症状だと思っていました。

平成17年に入って正月8日のこと。平成3年に勝妙寺支部が結成されて以来、苦楽を共にしてきた最も信頼できる、そして、兄弟同然に接してきた同志が亡くなり、私は激しく落ち込みました。そのことで私の症状はさらに悪化しました。


小脳が半分ない?

4月11日、仕事中に頭がボーッとして外回りを続けられない状態になり、急遽、会社で指定されている高崎市の病院に行きました。症状を話すと先生は、「それはストレスだな」とおっしゃり、念のため頭部のMRI検査をしてくださいました。そのときは、まさか頭に異常があるとは思っていませんでした。検査を終えて待合室で待っていましたが、待っている人がだんだんと減っていき、とうとう最後の一人となってしまいました。

私は次第に不安になり、やがて先生に呼ばれ、診察室に入りました。先生は私に、「何回も検査結果を診たけれど、全くもって考えられないことだが、君の小脳が半分ないのだ」と言いました。私は小脳がないとはどういうことなんだろうと思いながら、先生の不安げな態度に、頭が真っ白になりました。先生は「このようなことは、医者になって初めてだ。絶対に有り得ないことだが、現に君はここにいる。普通、小脳がなければ、100%生きていけないのだが」と言い、しばらく考え込んでいました。そして、精密検査を受けるようにと私に言ったのです。

この夜のことは、今でも忘れられません。ちょうどこの日は、お寺で唱題会の日でした。診察を終えてお寺に行ってみると、唱題会はもう終わっていました。血の気のない私を見て、御住職・野村光照御尊師は心配してくださり、すぐに話を聞いてくださいました。奥様も心配して待っていてくださいました。

とにかく一日も早く、ということで翌朝、中央外科病院に行きましたが、結果は同じでした。ここでも、こういう症例は前例がなく、医師もどうしてよいか判らず、答えを出してはくれませんでした。そこで私は、東京のもっと大きな病院で診てもらおうと考え、支部の人の紹介で、都立広尾病院に行くことになりました。6月3日に入院し、脳に関しては世界的な権威の山田先生の帰国を待って、診察してもらいました。


「先天性左小脳半球低形成」

そうして判ったことは、私の左の小脳は生まれつき形成されなかった、いわゆる先天的に小脳がない人間だということでした。先生は私に次のように言いました。「もし事故等によって小脳を失ったのならば、100%死亡だったでしょう。有り得ないことですが、万に一つ助かったとしても、運動機能は完全に不能で、歩くことも立ち上がることもできません。手足を動かすこともできませんし、言葉を話すことや理解することも、意識さえも全くない状態となるでしょう。それでも奇跡です」と言われました。

さらに先生は、「しかしあなたの場合は、小脳が初めから形成されなかったので、自然と右側の小脳でカバーしていたと考えるべきでしょう。そのため、右側の小脳が、普通の人の2倍の大きさになっています。しかし、このようなことは世界に例がありません。失礼な言い方ですが、今、生きていることが不思議なことです。若い頃は右半分でカバーできていたが、年を取るにつれて、あるいは何らかのストレスまたはショックで、このような状態になったと考えられます。とにかく無理は禁物です」と厳しく言われました。

最終的な見解は、「先天性左小脳半球低形成、すなわち左小脳が欠損していて、右小脳であらゆる動作をしていたが、このたび出てきた左半身のしびれ、握力低下、体幹機能障害等の症状は、右小脳の機能低下により起こるもので、無理は絶対できない。無理をすると体幹機能が極端に低下し、日常生活が全くできなくなる。そのことをよく踏まえて生活していくことが大事で、他に症例がないために、それ以外は答えられない」というものでした。

私は、これを聞いて愕然としましたが、気を取り直して、毎日ベッドの上で勤行・唱題に取り組みました。一時はどうなるかと不安で、死をも覚悟しましたが、唱題の功徳により前向きな姿勢を失うことなく、6月22日に退院できました。


この病と共に生きる

この病気を知らされたとき、言葉にならないほどのショックでしたが、冷静に考えると、よく今まで人並みに生活してこれたものだと、御本尊様に心から感謝しました。

私は日蓮正宗の信仰をしている家に生まれました。それ故、他の信仰を知らず、日蓮正宗の信仰を根本に、今まで生活してきました。どんな困難も信仰で乗り越えてきました。生まれてから今日まで、御本尊様に守られて生きてきたのです。いや生かされてきたと言うべきです。脳の検査に当たって全身の検査も受けたとき、胃も病んでいました。胃腺腫というガンの一歩手前でした。あと3ヶ月もすれば、間違いなくガンになっていたであろう胃も、このとき内視鏡で簡単に治療できました。

また、以前の私は、仕事中に病院へ行くことなどありませんでした。それ故、あのまま我慢して外回りを続けていたら、重大な車輌事故を起こして取り返しのつかないことになっていたかもしれません。医者ぎらいな私が病院に行けたのも、御本尊様がその時間を作ってくださったからだと思います。同志の人の紹介でよい病院もすぐ手配してもらえ、外国に行って滅多に日本に帰って来ない、世界的名医にも診ていただくことができました。

退院した当時は、平衡感覚がおかしく、なかなかまっすぐ歩くことができませんでしたが、毎日毎日、必死の唱題と歩行訓練をした結果、今では普通に歩けるようになりました。一時はあきらめていた仕事への復帰も果たし、最初は3時間ほどしか勤務できませんでしたが、今では6時間できるようになりました。とは言っても、天候によって体に変化が生じ、疲れてきても体のバランスが狂ってきます。どのように説明すればよいのか判りませんが、何かをしなければと自分の意志を働かせて体を動かそうと思っても、体は動きません。自然なリズムでないとダメなのです。ですから、自分の体であるけれども、借りてきた体のようなのです。普段もちょっとした動作で変化が起こります。実際、辛いことはありますが、罪障のあるこの身としては、御本尊様に毎日唱題できることを心から感謝しています。

また、不思議なことに、自転車は全く乗れなくなりましたが、車の運転には支障がないのです。さらに不思議なことは、私たち夫婦は、毎月、総本山に御登山していますが、総本山に着くと頭は嘘のようにスッキリと晴れるのです。本当に不思議です。私の小脳は、これからどんどん老化していくことはあっても、よくなることは絶対にありません。しかし、どんなに辛いハンデを背負っていても、何が起きても、この病と共に生き、命ある限り、護法のために少しでもお役に立ちたいと願っています。

『転重軽受法門』に

「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生に尽きずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかヽる重苦に値ひ候へば、地獄の苦しみぱっと消へて、死に候へば、人・天・三乗・一乗の益を得る事の候」(御書480ページ)
とあります。未来で受ける重き苦しみを、今、軽く受けているのだということが示されています。

また、『妙心尼御前御返事』には、

「病あれば死ぬべしという事不定なり。又この病は仏の御計ひか。その故は浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべき由とかれて候。病によりて道心は起こり候か」(同900ページ)
とあります。この御金言を拝するに、病は私たちを成仏に導いてくださるための御本尊様の御計らいによるもの、またその病があるからこそ、なお一層強盛に信心に励んでいけるのであり、いわば病は、成仏のための仏道修行の力となるものだと真剣にとらえ、これからも病気に負けないようがんばっていきます。

今までの私の半生を振り返ってみますと、勝妙寺の法華講員となることができたことが、まず有り難いことだと感じています。法華講結成以来15年間、御奉公させていただく中で重要なお役目をいただけたことを、心から感謝しています。

現在は病ある身でありますので、お役を受けることはできませんが、病には絶対負けずに実証を示し、近くは来たるべき平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年、遠くは広宣流布に向かって御奉公し、一生を捧げ悔いない人生とさせていただきますことをお誓いします。



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