大白法

平成19年5月16日号


主な記事

<1〜2面>

<3〜8面>


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インドネシア共和国宗教大臣一行が大石寺を訪問
六壷での夕勤行も見学


去る4月26日、インドネシア共和国ムハンマド・マフトゥ・バシュニ宗教大臣夫妻、ブディ・スティアワン宗教省仏教局長夫妻並びに在日インドネシア大使館職員により総本山大石寺への訪問がなされた。今回の大臣一行の訪問は、昨年9月にインドネシア共和国妙願寺・法清寺の1周年記念式典に臨席して感銘を受けた同大臣が、総本山への訪問を希望されたものである。

三門前で写真

訪問前日25日、成田空港に到着した一行は、翌朝、新幹線と専用バスにて、総本山へ向かった。すがすがしい青空の中に美しい富士山がくっきりと姿を現したこの日、大石寺三門前において、宗務院役員、内事部役員が出迎える中、一行は午後2時に到着し、約1時間にわたり大石寺山内を見学した。

小憩の後、御法主日如上人猊下へ御挨拶を申し上げ、御法主上人猊下より親しく御言葉を賜った。続いて大書院において、歓迎式典が執り行われ、これには、総監・八木日照御尊能化ならびに宗務院役職員、大石寺主任理事ならびに執事・理事、塔中坊の住職、新説者一同、大石寺総代、さらに塔中坊の住職夫人が参加した。

式典では、はじめに海外部長・漆畑行雄御尊師より歓迎の辞が述べられ、次に今回の訪問のエスコート役となった現地信徒組織を代表して、アイコ・セノスノト女史より御法主上人猊下ならびに総本山の御僧侶、宗教大臣一行ならびに大使館に対して丁重な謝辞があった。続いて八木総監よりインドネシア政府と日蓮正宗との今日までの関わりについての説明を交えて挨拶が述べられた。そして、宗教大巨からは、はじめに御法主上人猊下ならびに日蓮正宗に対しての謝意が表せられ、インドネシアにおける宗教事情と宗教政策に関する説明を交えながら挨拶が述べられた。式典の最後に、インドネシアにおける日蓮正宗信徒の信仰とその活動に対するインドネシア政府の深い理解と支援に対する謝意を表して、宗門より宗教大臣に対して、感謝状と記念品が贈呈された。

この後、一行は六壼での夕勤行を見学し、小僧さん方が一生懸命に修行している姿に深い感銘を受けた様子であった。一連の総本山での行程を終えた一行は午後6時に総本山を後にした。世界広布の歴史における重要な1ぺージとなるであろう今回の訪問であった。





信心のしおり 成仏について


皆さんは、お寺に参詣して御住職のお話を聴く中で、「成仏」という言葉をよく耳にすると思います。今回は、この「成仏」ということについてお話をします。


成仏の意味

皆さんは「成仏」という言葉の意味を知っていますか。これは文字通りに読めば「仏に成る」ということです。けれども、この意味を正しく理解している人は少ないのです。中には、人間は死ねば必ず仏に成れると考える人や、はたまた金ピカの仏像のような姿になるなどと思っている人がいるかもしれません。しかし、そうではないのです。

『法華講員の心得』には、「仏教では、人間として真実の幸せは成仏するところにあると説いています。成仏とは、死後の成仏のみを願ったり、人間とかけ離れた存在になることではなく、現実生活のなかで私たち自身が、仏のような理想的な人格を形成し、安穏な境地にいたることをいうのです」(法華講員の心得10ページ)と説明されています。

つまり大聖人様の説かれる成仏の意味は、私たちが実際に幸せな生活をしていくことをいうのです。


大聖人様の教えは即身成仏

およそ私たちは、悩みや苦しみ、欲望などを持ち合わせる人間です。それらの煩悩を断つことなく、凡夫の姿そのままで成仏していく、幸福になることが成仏の意味なのです。このことを大聖人様は「即身成仏」と仰せられています。

この即身成仏は、決して何か特別な状況をもたらすとか、姿や形を変えて仏に成るということではありません。判りやすく言えば、御本尊様を信じて手を合わせ、南無妙法蓮華経と唱えれば、今の自分のままの姿で成仏する、幸福になれるということです。ここが大聖人様の教えの尊いところです。


生活の中における成仏の姿

皆さんは日頃の生活の中で、どのようなときに自分は幸福だと感じますか。「私は学校の試験で満点を取ったときが幸せだ」とか、「この病気が治るならそれが一番の幸せだ」という人もいるでしょう。たしかに、真剣に信心をしていけば勉強もできるようになるし、病気も治るでしょう。しかし、それだけが信心の目的ではないのです。それでは大聖人様の仏法を信仰していることにはならないのです。

成仏とは、正しい信心によって自分自身に正しい智慧を具え、心豊かな人間性を育み、人生における四苦八苦などの、どのような壁にぶつかっても乗り越えられる力を持つことです。この力が具われば、私たちは自由自在に生活を送ることができるようになるのです。

ただし、自由自在に生活を送るといっても、これはわがまま勝手に好きなことをするということではありません。私たちが迷いの中で転々することを留めて自由自在な慈悲の命へと変わり、法界を永劫に亘って活動できる姿をいうのです。


御本尊様の功徳に浴した生活を

私たちは、大聖人様が顕された御本尊様の光に照らされてこそ、自由自在な力強い生命の境界が得られるのです。ですから、毎日の朝夕の勤行と唱題を欠かさず実践し、多くの人々に大聖人様の教えを弘めていくことが大切です。それらを実行できたとき、私たち凡夫が計り知ることのできないほどの成仏という大きな功徳を御本尊様より戴くことができるのです。

『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節まであと2年余です。皆が御本尊様の功徳に浴した生活を送り、御命題である「地涌倍増」と「7万5千人の大結集」の達成をめざして日々精進してまいりましょう。




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