大白法

平成19年8月16日号


主な記事

<1〜6面>

<7〜8面>


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法華講連合会 第16回少年部大会より


少年部大会の写真

御法主日如上人猊下御言葉

法華講連合会第16回少年部大会の砌
平成19年7月29日 於 総本山広布坊


 本日は、法華講連合会第16回少年部大会が、ここ総本山において盛大に開催され、まことにおめでとうございます。また、昨日は全国から31地方部、計33の鼓笛隊が参加して、恒例の法華講連合会全国鼓笛隊コンクールが盛大に執(と)り行われ、まことにおめでとうございました。それぞれ、各地方部の鼓笛隊が真剣に、実に見事な演奏を披露されましたことを、心からうれしく思います。これからも、少年部活動とともに大いに励んでいただきたいと思います。また、本日は先程、5人の少年部員から立派な体験発表を聞き、心からうれしく存じます。


 さて、『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節まで、いよいよあと2年となりましたが、少年部の諸君には、御両親や御家族の方と共どもに、それぞれが分々に応じて御命題達成へ向けて頑張っていることと思います。そこで、本日は『立正安国論』について、少々お話をしたいと思います。

 『立正安国論』は、今を去る747年前、文応元(1260)年7月16日、宗祖日蓮大聖人様御年39歳の時、幕府の要人である宿屋左衛門入道を介して、時の最高権力者である北条時頼に提出された国主への諌暁(かんぎょう)書であります。諫暁とは、物事の道理に暗く、考えが誤っていることに対して、その過(あやま)ちを指摘して諌(いさ)め暁(さと)すことであります。

 大聖人様は御一生の間に3回、国家を諌暁あそばされましたが、その最初の時に提出されたのが『立正安国論』であります。ちなみに第2回目は、文永8(1271)年9月12日、竜の口の法難の直前に、平左衛門尉頼綱に対して行った時であります。第3回目は、文永11(1274)年4月8日、佐渡赦免(しゃめん)の直後、第2回目と同じく平左衛門尉頼綱に見参(けんざん)した時であります。

 では、なぜ日蓮大聖人様は『立正安国論』を北条時頼に提出されたのか。それは、その当時、日本国の多くの人々が度重なる謗法の重い罪によって苦しんでいる姿を見て、なんとしてでもこの苦しみから多くの人々を救い、国中のすべての人が幸せになってほしいと願われ、末法の御本仏としての大慈大悲をもって、御自身の御命を賭(か)けて、その当時、鎌倉幕府のなかで一番力のあった北条時頼に対して諌暁されたのであります。

 今、その『立正安国論』のあらましを申し上げますと、初めに『立正安国論』提出の3年前に起きた、国中を揺り動かす正嘉元(1257)年8月23日の大地震をはじめ様々な天変地夭(てんぺんちよう)、すなわち暴風雨や洪水や日食、月食などによる異変、あるいは飢饉疫癘(ききんえきれい)、すなわち農作物が実らず食べ物が欠乏(けつぼう)し、悪性の病気がはやり、多くの人が苦しんでいる悲惨な有り様を見て、その原因は世の中の人々が皆、正しい法に背き、誤った教え、すなわち悪法を信じていることにより、国土や人々を守るべきところの諸天善神がことごとくこの国を去って、代わりに、人々に様々な災いをもたらす悪鬼・魔神が便りを得て住みついているためであるとし、法華経や仁王経等を引かれて、正しい法を信ぜず、謗法を犯すことによって三災七難等の災難−−−三災とは、戦争が起き、伝染病がはやり、飢えに苦しむこと。あるいは、至る所で火災が起き、水害が起き、大風による災難が起きること。七難とは、戦争や内乱や地震など7種の災難が起きること−−−この三災七難が起こると述べられ、これら不幸と混乱と苦悩を招いている根本原因は、ひとえに間違った教え、すなわち謗法にあり、その最たるものは法然の念仏にあると断ぜられ、この災いを断ち、謗法を退治(たいじ)して正しい妙法蓮華経を立てれば、国中に並び起こるところの三災七難等の災難も、また積み重なる国家の危機も消え失(う)せて、穏やかで平和な仏国土が実現すると仰せられ、しかし、もし正しい法に帰依(きえ)しなければ、七難のうち、まだ起きていない自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん 仲間同士の争い)、他国侵逼難(たこくしんぴつなん 他国から侵略されると)、この2難が競(きそ)い起こると予言され、速(すみ)やかに「実乗の一善」すなわち、三大秘法の南無妙法蓮華経に帰依するならば、世の中は平和で穏やかな仏国土となり、人々の身は安全にして、心にはなんの不安もない幸せな生活を送ることができるのである、と結んでおられるのであります。

 このように『立正安国論』は、苦悩に喘(あえ)ぐ当時の日本の国の人々を救うために、時の最高権力者・北条時頼に提出されたものではありますが、実には全世界の一切衆生に与えられた諌暁書であります。また、一往は専(もっぱ)ら法然の謗法を破折しておりますが、その実は、広く諸宗の謗法を破折しているのであります。

 すなわち『立正安国論』は、末法の御本仏である大聖人様が、末法万年にわたる正法広布、広宣流布のために心血を注(そそ)いでお認(したた)めあそばされた、日本乃至全世界、一閻浮提(いちえんぶだい)の人々への折伏諌言書であります。つまり、全世界の恒久平和と全人類の幸せを実現するためには、不幸の根源となる謗法を退治し、三大秘法の南無妙法蓮華経を立てることこそ最も肝要であると仰せられているのであります。

 今、宗門は、日顕上人猊下よりいただいた、来たるべき「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題、「地涌倍増」と「大結集」の達成へ向けて、僧俗一致して力強く前進をしておりますが、この御命題を達成するためには、僧俗共に『立正安国論』の御聖意をしっかりと身に体していくことが肝要であります。


 今日、日本および世界の現状を見ますると、天災、人災を問わず、悲惨な事件や事故が頻繁(ひんぱん)に起きております。国内においては、先般の新潟県中越沖地震をはじめ台風や洪水などによる様々な災害、また人々の心が極度に乱れ、その結果、痛ましい事件や事故などが相次いで起きております。また、目を国外に転ずれば、温暖化による地球規模での異常気象、地震による津波や熱波や洪水などのほか、戦争、内戦、テロなどが世界の至る所で勃発(ぼっぱつ)しております。

 しかし、世界にはこのほか、まだまだ私達の知らない、残酷で悲しい事件や事故がたくさんあります。先日、ある本を読みましたが、その本によりますと、世界のなかの33もの国で、政府軍とゲリラの違いを問わず、無理やり戦わされている子供が30万人もいるということであります。今、日本の子供達は、食べるものにも着るものにも不自由なく過ごし、学校に行き、友達と遊び、スポーツをして暮らしておりますが、一方でこうしたかわいそうな子供達がいることを、けっして忘れてはなりません。一日も早く、この子供達のためにも平和な世界を実現しなければなりません。

 また、世界の30ヶ国が、37の武力紛争にかかわっており、その地域の人口を合わせると、実に22億9千万人にのぼるということであります。これは世界人口の優に3分の1に当たる人数であります。つまり、世界人口の3人に1人は戦火に巻き込まれているということであります。

 また、世界中で1億個以上の地雷が今でも地中に埋(う)ずまっており、カンボジア人の236人に1人は地雷によって手足を失い、そのほか、ウガンダ、ソマリア、スーダンなどなど、こうした国々にはまだまだたくさんの地雷が埋まったままだというのであります。そのため、地雷によって毎時間、1人は死傷しているということであります。

 また、世界では裕福な国がある一方、貧しい国があり、そこでは食べ物もなく、多くの人達が飢えで苦しんでおり、その結果、世界の7人に1人が日々、飢えているということであります。合計すると、世界で8億人が飢え、慢性的な栄養失調は20億人にも及び、飢えにかかわる病気によって亡くなる人は、毎年1800万人もおり、毎年1000万人以上に及ぶと言われている5歳未満の子供の死亡の半分は、栄養失調に関係しているということであります。このほか、この本には、今日の裕福な日本にいる我々にとっては想像もできないほど多くの驚くべき事実が記(しる)されておりました。

 こうした不幸な子供達や悲惨(ひさん)な境遇(きょうぐう)にいる人達に比べれば、今、我々はなんと幸せなことか。大聖人様御誕生のこの日本に生まれ、日本に住み、値(あ)い難き仏法に値い奉り、平和に暮らし、曲がりなりにも毎日を不自由なく生活をしております。私どもは、まずこのことを心から感謝しなければなりません。御両親をはじめ兄弟、家族、そして正しいこの信心に導いてくださった方々に対して感謝しなければなりません。そして何よりも、常に御本尊様に守られていることを心の底から感謝しなければなりません。

 しかし、同時に私どもは、こうした世界の様々な惨状(さんじょう)を見て、今、何をすべきか、何をしなければならないのか、よくよく考えなければならないと思います。『立正安国論』には、世の中の人々が大聖人様の仏法に帰依するならば、世の中は平和で穏やかとなり、人々の身は安全にして、心にはなんの不安もない、幸せな生活を送ることができると仰せであります。このお言葉は、過去・現在・未来の三世にわたって、世の中のすべてを悟られた仏様のお言葉であります。

 しかれば、我々は日蓮大聖人様の弟子檀那として、また大聖人様のお心を心として『立正安国論』の精神に立ち、不幸の根源となる謗法を退治し、三大秘法の南無妙法蓮華経を立てることが、全世界の平和と世界中のすべての人々の幸せを実現するための最善の道であり、今、最も急務とするところであることをしっかりと心に深く刻み、その実践に励むべきであります。

 もちろん世界の人達も平和を望み、そのための努力をしていることは認めますが、根本的な解決を図るためには、人間の心の奥にある様々な迷いを取り除くことが大事なのであります。そのためには、正しい信仰を持つことであります。正しい信仰とは、もちろん日蓮大聖人様の仏法であります。結論的に言えば、混沌(こんとん)とした今日の国内外の現状を救う唯一の道は、日蓮大聖人様の仏法を下種結縁し、教化折伏していくこと以外にはないのであります。

 したがって、少年部の諸君は、少年部員としてできる範囲で広宣流布のお手伝いをしていくことがよいでしょう。まず、朝夕の勤行をしっかりと行うことはもちろん、自らがお寺での御講をはじめ少年部会や唱題会などの諸行事に積極的に参加するとともに、お友達をこうした会合にお誘(さそ)いしましょう。仲の良いお友達がいたら是非、お誘いしてください。お誘いすれば、青年部のお兄さんやお姉さん、お父さん、お母さん達がいて、きちんとお話をしてくださるでしょう。

 特に本年は「行動の年」であります。日蓮大聖人様は、

「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈(い)えず。蔵に宝を持(も)てども開く事を知らずしてかつ(餓)へ、懐(ふところ)に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し」(御書110ページ)
と仰せであります。

 この御金言の如く、いくら御本尊様の尊さ、すばらしさ、『立正安国論』の意義を頭で理解していても、実際に我々が立正安国実現のための行動を起こさなければ、全く意味はありません。どうぞ、少年部の諸君は、今日の少年部大会を契機としてさらに一段と信心に励み、来たるべき「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節を目指して、みんなで力を合わせ、大前進を図られますよう心から願うものであります。

 以上、本日の第16回法華講連合会少年部大会に当たり、少年部の諸君ならびに関係各位のいよいよの御健勝をお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。



◇体験発表 本行寺支部 A・M(小2)

たけのこ会に入って、母のしゃくぶく(折伏)にきょうりょくしたことをはっぴょうします。

入しんしたのは、2年前です。お父さんとお母さんは、りこんして、いえがかわり、おとうとと3人ぐらしになりました。でも、ご本ぞんさまにまもられて、前よりもえがおになるような生かつになりました。

それまでは、『ニセ本ぞん』があり、いえの中はけんかがたえませんでした。母は、ぜんそくで、はたらけず、お金がありませんでした。がっかい(※創価学会)の人にしあわせになるといわれたのにくるしいことばかりでした。あたりまえですが、にせものにおがんでも、しあわせは、こないのです。

1年前より、たいせきじ(大石寺)のごかいひ(御開扉)をうけるたびに、お母さんと私は、ふくおかのおじいちゃんとおばあちゃんと、お母さんのいもうとの、しゃくぶくをごきねんしていました。私はバスによったり、ごかいひのときはいつもいねむりをしていたので、お母さんにおこられてばかりいました。

ある日、ふくおかかられんらくがあり、おぼんにかえってきてくれといわれました。私たちは、一しょうけんめいにごきねんしてふくおかに行きました。しんかんせんに、なんどものりかえて、たいへんつかれました。でも、おじいちゃんとおばあちゃんは、とてもよろこんで、むかえてくれました。

その日に、私たちのへやに、こ本ぞんさまをおかけして、休みました。母は、そのよる、おばあちゃんのうちにある、『ニセ本ぞん』と本ものとくらべてもらいました。にっけんしょうにん(日顕上人)げいか(猊下)のおしるし(印)が、ご本ぞんに、あるでしょうと見ると、おばあちゃんのうちのご本ぞんがにせものとわかりました。

それで、おぼんなので、おとうば(塔婆)くようをしようと、うちからちかいりっしょうじ(立正寺)にいこうと、さそいました。おじいちゃんは、前ににちれんしょうしゅう(日蓮正宗)で、ごじゅかい(御受戒)をうけていたので、なんとか、おやこうこうをさせてくださいと母は、たのみました。私たちが、がっかい(学会)にいたときより、ずいぶんあかるくかわっていたので、おじいちゃんおばあちゃんは、そのすがたを見て、なっとくしました。

おはかまいりをして、つぎの日に、いけ田ちくちょうと、ひらののりこさんが、ひこうきできてくれました。そして、がっかいのおそろしさ、もう二どとにちれんしょうしゅうから、はなれてはいけないと、しゃくぶくしてくれました。

その日に、おてらでごじゅかいをうけようとしましたが、おばあちゃんは車いすで、ながいかいだんの前にどーすることもできません。しかしおばあちゃんは、てすりにつかまり母にてつだってもらいながら、ながいかいだんをいっぽいっぽ、一しょうけんめいのぼりきりました。私はうえから、おうえんしました。のうこうそく(脳梗塞)とだいたいこつ(大腿骨)こっせつをしたのにのぼれておどろきました。そのご、かんかい(勧誡)とごじゅかいをうけ、ご本ぞんさまをごかふ(下付)していただき、7人でごんぎょうをすることができました。

ふくおかのおじいちゃんとおばあちゃん、お母さんのいもうとをしゃくぶくすることができてほんとうによかったです。これからもごんぎょう(勤行)しょうだい(唱題)をしっかりやって、おともだちにもはなせるようがんばります。



◇体験発表 宣要寺支部 A・H(小2)

私は、しんじんで、びようきをなおしたこと、かぞくでしんじんが、できるようになったことをはっぴょうします。

私のお母さんは、しんじんしているいえに生まれたのに、ご本ぞんさまをしんじていませんでした。おとうとがおなかにいるときに、おとうとのかんぞうにしゅよう(腫瘍)があるといわれてかぞくは、とてもかなしんで、お母さんは、ごじゅうしょくさまから、ごひふ(秘符)をいただいて、おてらにいくようになりました。

たくさんの、おにいさんやおねえさんが私のことを、かわいがってくれて、友だちもたくさんできて、ちほうぶこてきたいのポンポンたいに入りました。毎日おてらにいくのが、たのしかったです。

おとうとが生まれたとき、おいしゃさんから「いじょうは、ありませんよ」といわれて、かぞくみんなでとてもよろこんで、はじめてきょうだいができて、私はとてもうれしくて、ウキウキしました。おとうとが、8ヵ月のときに「だっちょう」と「いどうせいこうがん」のびょうきがわかり、しゅじゅつしました。私は、ご本ぞんさまにおねがいしました。おとうとが、げん気にかえってきました。

でも、私のお父さんとお母さんは、あまりしんじんしていませんでした。それからなん日かして、こんどは、私がたいへんなびょうきになりました。びょうめいは、「とっぱつせいけっしょうばん(血小板)げんしょうせいしはん(紫斑)びょう」。私が、4さいのときでした。

このびょうきは、けつえきの中の、ちをとめるはたらきをするけっしょうばんが、きゅうげきにさがり、からだの中でけっかんがきれて、ないしゅっけつをおこしてとまらなくなり、あたまのけっかんが、ないしゅっけつをおこしたら、たいへんなことになる、おそろしいびょうきです。ふつうは、けっしょうばんのかずが、15まんこから20まんこひつようなのに、私は、一かいめのけんさで2まんこ。二かいめのけんさで、5せんこしかなくて、すまの子どもびょういんで、ぜったいあんせいの、にゅういんになりました。

おいしゃさんと、お父さんと、お母さんが、しんけんな顔ではなしをしているときに、「はっけつびょう」とか、「にゅういんが、はんとしぐらいになる」とか、いっていたので、私は、とてもふあんになって、こわくなったけど、お母さんが、「ご本ぞんさまが、ついてくれているし、だいもく(題目)もとなえているし、おてらで、みんながしょうだいしてくれてるし、だいじょうぶ!」といってくれたので、うれしくなって、げん気になってかえろうと思いました、、ちりょうは、今までにけいけんしたことがなくて、とてもくるしかったです。

けつえきせいざい「グロブリン」という薬をてんてきで、私のからだに2日間かけて入れて、すくなくなったけっしょうばんを、ふやしていきました。ふくさようがきつくて、きぶんがわるくなって、はいてばかりでした。私はおぼえていませんが、白目むいて、いしきがなくなりそうになったり、お母さんが「早くなおして、おてらにかえろう」といったら、「もういわんとって!」といったそうです。くるしくて、なかなかねむれなかったときは、お母さんは、私のてをにぎり、ずっとだいもくを、となえてくれました。

くるしいちりょうがおわったあとは、私のからだが、じぶんの力で、けっしょうばんをつくれるか、ようすをみることになりました。私は、心の中で、だいもくをとなえながら「早くおてらにいけますように。早く友だちとあそべますように。早くかぞくで、ごはんがたべれますように」と、ご本ぞんさまにおねがいをしました。お母さんは、おてらでみんなと、しょうだいをしてくれました。

さいしょは、はんとしいじょうかかるといわれたのに、4日めに、たいいんができました。びょういんからまっすぐおてらにかえると、ごじゅうしょくさまやみんなが、まっていてくれたので、とてもうれしくて、てれてしまいました。

私のびょうきがきっかけで、お父さんも、お母さんも、しんけんにしんじんをするようになって、毎日のように、おまいりするようになりました。


げん気になって、ようちえんににゅうえんして、毎日たのしくくらしていると、クリスマスのじきになって、クリスマス会のれんしゅうが、はじまりました。お母さんが、みんなとたのしめない私を、かわいそうに思って、「クリスマスのうたはうたわず、くちパクで、うたわないようにしたらいいから」といって、ようちえんのクリスマス会に、さんかしました。

すると、私は、ばちがあたりました。また、びょうきがでて、からだじゅうにしっしん(湿疹)がでて、子どもびょういんに、にゅういんしました。お母さんは、私になんかいも、「ごめんね。ごめんね。お母さんがわるいから」と、あやまってくれました。私も、「もう、ぜったいに、クリスマス会にはいきません。ごめんなさい」と、ご本ぞんさまにあやまったら、一日でげん気になって、おいしゃさんも「どうしてだろう」と、くびをかしげていました。

あとできいたのですが、ごじゅうしょくさまや、おてらのひとたちに、クリスマス会のさんかはよくないことを、お母さんは、きいていたそうです。

このときから、びょうきにならず、げん気にがっこうにいっています。ポンポンたいから、ちほうぶこてきたいにしょぞくして、ちほうぶそう会や、おてらのぎょうじで、ご本ぞんさまに、えんそうのごくよう(御供養)を、させていただいています。

お父さんも、私のびょうきと、こてきたいがきっかけで、しんじんするようになりました。今は、せんようじしぶの、しょうねんぶをまかされて、いつもかぞくで、しょうねんぶのこと、こてきのことを、はなしています。とてもたのしいです。

毎週金曜日は、おきょうとたいこ(太鼓)のれんしゅうがあるので、しんじんしていない、ふくおかのおばあちゃんや、しんじんしていない友だちをさそって、おてらにつれてきて、いっしょにしんじんができるように、ごきねんしています。

びょうきになったときは、とてもかなしくなったけど、私がびょうきになったことで、お父さんもお母さんも、しんじんできるようになってよかったです。私とおなじびょうきの子どもが、ぜんこくにたくさんいるときいたけど、ご本ぞんさまに、「なんみょうほうれんげきょう」と、だいもくをとなえたら、ぜったいになおることを、おしえてあげたいです。

ことしは、まだ、コンクールにさんかできないけど、らい年は3年生になるので、ひょうごちほうぶのこてきたいとして、げいか(猊下)さまに、えんそうのごくようをさせていただけるので今から、たのしみです。

へいせい21年のとざんは、ふくおかのおばあちゃんを、ぜったいにつれていけるように、しゃくぶく、がんばります。




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