大白法

平成19年9月1日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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第5回 立正安国論正義顕揚750年記念局委員会行われる
明年、御法主日如上人猊下御臨席のもと、全国4カ所で決起大会を開催


8月28日午後2時40分より宗務院大会議室において、第5回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会が開催された。これには、記念局総裁であられる御法主日如上人猊下の御臨席のもと、記念局委員長である総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化、同常任委員の宗務院各部長・副部長、大石寺理事、さらに高野日海・秋山日浄・光久日康・菅野日龍の各御尊能化、宗会議長・土居崎慈成御尊師をはじめとする委員の御僧侶方が御出席された。また、同副委員長の総講頭・柳沢連合会委員長をはじめ信徒の委員も出席した。

記念局委員会の写真

委員会では、はじめに記念局総裁の御法主上人猊下より御言葉を賜った。御言葉の中で御法主上人猊下は、明年、全国4カ所において大々的に決起大会を行う旨、御発表あそばされた。当初は御親修をとの考え方もあったが、本年5月、台湾における大総会に御臨席あそばされての実感から、人が集まるところに力も生まれるものであり、僧俗一体の大会を開くことが御命題達成に向けて大きく弾みをつけると考えられることから、決起大会を催すことにしたと御指南。また、今後詳細が決まってから運営委員会を立ち上げていくこととなるので、御奉公の限りを尽くしていただきたいと望まれた(御言葉は次号に奉載)。次に八木記念局委員長より挨拶があった。

ここで議案の審議に入り、
  第一号案 立正安国論正義顕揚七百五十年記念局事業追加の件
   ・地涌倍増大結集推進決起大会開催の件
   ・総本山総合整備事業変更の件
  第二号案 平成十九年度立正安国論正義顕揚七百五十年記念局補正収支予算書承認の件
が八木記念局委員長より一括して上程された。

はじめに、地涌倍増大結集推進委員会主任委員の阿部信彰御尊師より「地涌倍増大結集推進決起大会開催の件」について、「明平成20年は、平成21年の前年に当たることから、御命題達成への気運を高めるため、地涌倍増大結集推進決起大会を開催する」との御言葉を賜ったが、決起大会は日本全国を4つの地域に分けて4会場に結集して行われ、そのすべてに御法主上人猊下が御臨席あそばされることとなり、「地涌倍増」と「大結集」の御命題を達成するために挙行されるプレ大会の意義を持つものである等と説明がなされた。

続いて「総本山総合整備事業変更の件」について総本山総合整備事業委員会主任委員の佐藤慈暢御尊師より、当初耐震補強工事を行う予定であった妙泉坊・妙住坊・遠寿坊を建て替えに変更、さらに妙遠坊を平成20年12月末の竣工をめざし報恩坊北側に移転新築することとした等の説明がなされた。次いで「平成十九年度立正安国論正義顕揚七百五十年記念局補正収支予算書承認の件」について、財務部長・長倉教明御尊師より説明が行われた。

質疑応答の後、第一号案・第二号案共に全員の賛同をもって承認された。

ここで「立正安国論正義顕揚七百五十年記念地涌倍増大結集記念写真展の件」について地涌倍増大結集推進委員会の阿部主任委員より説明があった。この記念写真展は、御命題を賜った平成14年から21年への広布推進活動を、地域的な特徴を活かして写真パネルに表現するもので、「僧俗一致の大前進」の共通のテーマのもと、@布教区テーマ「我が布教区の地涌倍増〜信心とは体験なり〜」、A支部テーマ「地涌倍増の歩み〜地涌の同志ここにあり〜」、B地方部テーマ「我が地方部かく闘えり〜歓喜の行動〜」として平成21年の1年間を通じて大講堂で展示する予定。さらに、海外での布教活動に関する記念写真展について海外部長・漆畑行雄御尊師より、また「立正安国論記念展」について教学部長・水島公正御尊師より説明があった。

このあと、柳沢記念局副委員長より挨拶があった。続いて懇談が行われ、最後に八木委員長より閉会挨拶があり、終了となった。


決起大会の概要が発表

明年開催される地涌倍増大結集推進決起大会の、開催日・会場・地域分けがこのたび発表になった。2月3日に京セラドーム大阪(大阪市)で中部・関西・中国・四国大布教区を対象に、2月24日に北九州メディアドーム(北九州市)で九州大布教区を対象に、4日29日に月寒グリーンドーム(札幌市)で北海道大布教区を対象に、そして、6月15日にさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)で東北・関東大布教区を対象として開催される。

日程大布教区会場(http://)所在地結集目標(仮)
2月3日(日)中部・関西・中国・四国京セラドーム大阪
(旧称:大阪ドーム)
大阪市西区2万8千名〜
3万5千名
2月24日(日)九州北九州メディアドーム北九州市小倉北区8千名〜
1万名
4月29日(祝)北海道月寒グリーンドーム
(北海道立産業共進会場)
札幌市豊平区3千5百名〜
4千名
6月15日(日)東北・関東さいたまスーパーアリーナさいたま市中央区2万7千名〜
2万9千名



小説富士 『二箇の相承(1)』
大東院日明 著


二箇(にか)の相承については、日蓮正宗の信徒は何等の疑いも持たず、年々歳々の4月6日・7日の御霊宝虫弘大法要でその信念を確固なものとして、法悦に燃えている訳である。だが他門徒においては、この二箇の相承を偽物なりとして、我等に向かって妄言を今なお吐いて止まないのである。だがしかし、大聖人が日興上人に御付嘱(ふぞく)あったことは、日蓮正宗の化儀化法を公平な眼で見る時に、さもありなんということが、余りにも多すぎるのである。

まず、一番目につく僧侶の法衣にしてみても、随分と一般の日蓮宗と異なることが多いのである。大概の日蓮宗の偉い僧侶は小倉百人集の絵札のような恰好をして出てくるが、日蓮正宗の僧侶は薄墨白五条といった、大聖人の往時の面影を伝えていて美しい。こんなことは、些細なことであって問題にはならないと言うだろうが、なかなか考えようによっては重大な事である。衣というものは人の心を現わすものである。赤い法衣、紫の袈裟となれば、他宗に位した時のてらいの心持ちが既に現われている。謗法の者と共に位しようとする心が現われている。日蓮正宗の法衣については、日寛上人の『当家三衣(さんね)抄』があって詳細を極めているから、今ここでは詳論しない。

さて一番肝要な信心においてはっきりとして他門日蓮宗との相違が全く分かる。日蓮正宗の信仰は戒壇の大御本尊様を中心とする御本尊に限られている。あなたのお家に行っても御本尊様が祀(まつ)られており、末寺も総本山も御本尊様に変わるところがない。信徒―末寺―本山―総本山と少しも信心の対象が変わらないのである。信心を中心とすれば、これは当然のことであろうが、この当然が他門の日蓮宗ではそうはいかない。いろいろな物が寺々に祀られて、本尊がまちまちであって、これを不思議としない。これは一体どういうことであるのか。どこか狂っているのではないかしら。一寸狂えば一尺狂うのである。

これは、日蓮正宗には七百年の間、狂いを生じない何ものかがあったからではないのだろうか。これは狂いを生じないように、対象物たる御本尊様が厳然としていたからではないのかしら。日蓮正宗だけが、他の日蓮門下と異なって、御本尊の書写は唯授一人の御法主に限っている。これでは御本尊様に誤りのあるはずがないのである。この正しい御本尊に信を致せばこそ、正宗の信心は御本尊一本に絞ることができるのであろう。

因(ちな)みに永仁3(祖滅14)年の日昭の本尊を拝すると「南無妙法蓮華経 日昭」とあって、日蓮大聖人は何処にあるかと思うと、南無伝教大師の隣りに南無法主聖人とある。また正和2(祖滅32)年の日朗の本尊には向かって右方に南無天台大師とあり、左方に伝教大師はなくて南無日蓮聖人となっており、南無妙法蓮華経の下に日朗と花押(かおう)があるのである。

日蓮正宗にはかかる形式の御本尊書写はなく、「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」とあり、歴代法主は日興上人の御本尊と同様に、向かって左方に署名花押があるのである。即ち、「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事、如何(いかん)。師の曰くく、深秘なり、代代の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり」(聖典379ページ)と『御本尊七箇之相承』にあるのがこの意である。

また、「南無妙法蓮華経 日蓮」とあるのは、「御義口伝に云はく、此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ず。既に比の品の時、上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり。総じて妙法蓮華経を上行菩薩に付嘱したまふ事は宝塔品の時事起こり、寿量品の時事顕はれ、神力嘱累の時事竟はるなり」(御書1783ページ)とあることをお示しになったのであると解釈してよいと思うのである。すると、南無妙法蓮華経と書いて、その下に日昭、日朗とすることは、大いなる間違いと言わねばならない。

こと御本尊に関して勿体(もったい)ないことであり平僧の云々すべきことでないので、これは筆をここで止めておく。

さて、大聖人の日興上人への付嘱を否定する人は、大聖人が弘められた妙法をいかに解釈しているのであろうか。大聖人がすでに上行菩薩として御付嘱を受けられたことを、忘れているのではないかしらと思うのである。「上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ」(同886ページ)と。

法華経の説相は肯定し得ても、大聖人と日興上人との関係においては、師資相承(ししそうじょう)を否定するのは肯定ができないではないか。私は日昭も日朗も、この大聖人と日興上人との師資相承を御承知であったからこそ、日興上人の御本尊と、日昭・日朗のお書きになった本尊とが、大変に違うと言いたいのである。私は日昭や日朗の本尊を拝見した時に、「自分には御相承がありませんでした」と、はっきり御本尊が断っているような気がしたのである。



異流儀破折


◇まれに見る公明党大敗〜創価学会〜

過日の参議院議員選挙において、自民党が大敗し、民主党が大躍進した。自民党だけでなく、連立与党として君臨する公明党も、議席を大きく減らした。元来、公明党が現有議席を減らすことは考えられない。それは、得票数を立候補者へ確実に振り分けるからだ。その背景には支援団体と称する創価学会の存在が大きいことは社会的常識になっている。

このように確実な得票数を目算して立候補者を擁立する以上、そうそう、落選の憂き目を見ることはない。なのに選挙に負けた。減らした数は3議席でしかないが、元々は12議席を保有していたのだから、1/4も減ったことになる。これでは大敗と評価されても仕方あるまい。

公明党ではその敗因について、「大半がわが党ではなく、自民党の問題だった」(本年7月31日付夕刊フジ)としている。自分達が不信任を突きつけられたと自覚せず、自民党への責任転嫁に躍起のようだ。しかし、公明党も連立与党として与している以上、今回の選挙結果は与党全体への不信任の表明であり、逆風は全く他人事ではないのだ。


公明党も一蓮托生

思えば既に朝日新聞の「声」欄に、公明党を支援する創価学会に対する賛否両論が取り沙汰されていた(本年6月25日付と7月1日付)。賛否両論とはいえ、賛同した者は創価学会員であることを自ら名乗っているから、一般には批判的世論と見るべきだろう。なかには辛辣に、「創価学会と白公両党の見識と品格が問われています」(本年7月9日付朝日新聞)と指摘する「声」も出ていた。

社会のこうした政教一致に対する批判が、参院選での大敗につながった面もあり、むしろ公明覚が自民党の足を引っ張った選挙結果とも見える。公明党が、本当に国民のことを考えているならば、こうした「声」も真撃に受け止めるべきである。しかし、創価学会と似た体質の公明党は、自らを批判する者をけっして受け容れずにこれを無視し続け、その結果、大敗を喫したのである。

もとより、選挙結果と宗教的な正当性とは無関係である。なぜなら選挙結果はあくまでも多数決原理であるが、宗教的正当性は多数決によって決まるものではないからだ。しかし、平成21年の佳節を前に、邪教創価学会の勢力が衰えてきたという現実は、法界はたらの用きによるものと言うべきである。


それでも「仏法は勝負」?

ところで、この参院選に先立ち、厚顔無恥にも創価学会員が日蓮正宗僧俗のもとへも公明党支持を頼みにきていたというから呆れはてる。しかも、選挙協力を拒むや、「仏法は勝負です!」などと捨て台詞を残して立ち去ったという。なんと莫迦げたことか。

「仏法は勝負」の深意を摧尊入卑(さいそんにゅうひ)し、選挙と仏法とを混同するその姿が、世間に毛嫌いされ、票が伸びないのである。そもそも、選挙はあくまでも「数」によって決するのであって、仏法の正邪とはならない。学会員達は、今回の公明党敗北の結果をどのように受け止めているのだろうか。一度話を伺いたいものである。

今さらながら、日蓮大聖人は、「早く天下の静詮を恩はゞ、須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(御書247ページ)と『立正安国論』にお示しである。その『立正安国論』正義顕揚750年という佳節を目前に、法界全体が大きく動いている事実を、我らは見逃してはならない。



◇体験発表 『悪口ばかりの正信会に決別し、謗法懺悔の折伏へ』 本要寺支部 S・M

私は平成17年7月、日蓮正宗本要寺の信徒にさせていただきました。それまでは正信会に二十数年、在籍していました。正信会のお寺の行事に足を運ぶと、いつも学会や宗門の悪口ばかりで、離檀する頃には、「またか」とウンザリして、聞いてもいませんでした。

日蓮大聖人の仏法は、広宣流布・折伏が根本なのですが、正信会の住職の口からはそのような言葉をあまり聞いたことがありませんでした。仏様の教えを説き、導いていく立場の人が、言葉も荒く、人の心を傷つけてしまう。そのような姿を見て、住職の人間性に失望してしまいました。このようなことは常日頃の有り様でした。

そのような正信会での信仰に、いつの頃からか疑問が生じてきました。お寺に参詣しても何の歓喜もなく、ただ空しさだけが残り、いつも胸の中はすっきりしませんでした。「果たしてこの信仰は正しいのだろうか」と、常に自分の中で問い質(ただ)していました。朝晩のお勤めの中で、御本尊様に「正しい信仰をさせてください」とお願いする日々が続きました。


正信会と決別、家族で決意

そしてある時、以前に正信会の同志だった方が、本要寺の御住職・小竹正素御尊師と一緒に家にみえました。しかし、私は突然のことでしたので、あまり良い応対をしなかったのです。正信会で二十数年の長い年月にわたり、宗門への批判をたくさん聞かされてきたため拒否反応が強く表れてしまい、素直に話を聞くことができなかったのでした。

それでも二度、三度と足を運んでくださったお陰で、私も少しずつ心を開くことができたようでした。正信会のお寺には私だけでなく、主人、息子夫婦、娘とその子供で行っていましたが、この頃には不思議と家族全員が「正信会のお寺に行きたくない」という気持ちになっていました。

このような機会は、御本尊様からの正しい信仰へのお導きではないかと思い、家族で話し合い、正信会をやめることを決意しました。その後、あまり間を置かずに、正信会へ離檀届けを郵便で送りました。すると、突然のことで驚いたのか、住職夫妻が家までやってきました。しかし、こちらの質問に対して納得のいく答えは聞けませんでした。


正信会とは違う澄んだ空気の本堂

本要寺でのいろいろな手続きをするため、初めて本堂に上がらせていただいたときに、何と空気の澄んでいることか、僧俗が御題目をたくさん唱えているお寺はこんなにも違うものかと驚きました。私たち家族全員が一様に、心より感じたことでした。こうして主人と私、息子夫婦、娘母子が今までの諸法を懺悔し勧誡式を受けることができ、同時に弟夫婦は御授戒を受け、皆で晴れて本要寺の信徒になることができました。

また、元気な頃は正信会に入っていた母も、私たちが離檀するときに一緒に法華講に入らせていただきました。そして昨年の春、桜の花が満開の時、母は92歳の天寿を全うしました。日蓮正宗で葬儀をすることができ、臨終の相がとてもすぼらしく、親孝行ができたことを有り難く思っています。

本要寺に移ってから1年8カ月になりますが、御住職をはじめ、奥様や法華講の皆さんがとてもいい人たちばかりで、楽しく足を運んでいます。正信会にはなかった和気あいあいの雰囲気の中での行事と、その後の親しみ増す歓談中のお茶の一杯がとてもおいしく感じます。


謗法懺悔の道、正信会員への折伏

話は変わりますが、去年の秋、普段は滅多に行くことのないスーパーマーケットで、正信会の人とお会いしました。この方は、ご家族全員で正信会の信仰をしている家の娘さんです。私たちが正信会をやめたことについて、一切他の信者さんには知らせなかったようで、この方も半年間知らなかったと言っていました。そして、なぜ正信会をやめたのか本当のことが知りたくて、私に会いたいと思っていたということでした。

その時は店の中でもあり、あまり時間もなかったので、おおざっぱに話をして別れました。それから一週間ぐらいして、その娘さんから電話があり、改めてその方の家を訪ねることになりました。11月の御報恩御講の帰りに訪問し、正信会をやめた理由など諸々のことを話しました。すると自分たちも同じ気持ちでいると言って、正信会への不信をますます募(つの)らせていました。そこで、詳しいことは本要寺の御住職に聞いてくださいと話して帰ってきました。

そしてその2、3日後、正信会をやめるという電話があり、早々に手続きを済ませて正信会を脱会し、11月25日に晴れて本要寺の信徒になられました。今では、ご家族で御講やいろいろな行事に来られています。


私も本要寺に移ってから、総本山に何回か参詣させていただきましたが、御隠尊日顕上人猊下には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。そして今までのことを悔い、心の中でお詫び申し上げました。正信会の害毒に冒されていた私は、一日も早くその汚れを落とさなければなりません。そして今もなお、汚れの中にいる正信会の人々を、一人でも多く正しい信仰である日蓮正宗に導いていきたいと思っています。

来たる平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に向けて、御住職の御指導のもと、佐藤講頭さんを中心に、本要寺の皆様に享見られながら、「地涌倍増」と「大結集」のために、自分にできる唱題と折伏を弛まず実践し、努力していくことをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。ありがとうございました。



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