御法主日如上人猊下御言葉
9月度広布唱題会の砌
平成19年9月2日 於 総本山客殿
本日は、総本山における9月度の広布唱題会に当たりまして、皆様方には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
さて、皆様のなかには既に御承知の方もいらっしゃることと思いますが、先般、総本山におきまして第5回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会が開催されました。その席上、明平成20年は、平成21年の前年に当たるところから、「地涌倍増大結集推進決起大会」を全国4会場において開催することが決定いたしました。これは、今日の様々な状況から見て、現状を打開し、御命題達成へ向けてより一層の気運を高め、これを飛躍台にしてさらに勢いに弾(はず)みをつけて、異体同心、一致団結して、全国の法華講がなんとしてでも御命題を達成すべく、プレ大会として開催するものであります。
開催日順に申し上げますと、明年2月3日日曜日、大阪市西区「京セラドーム大阪」、これは前は大阪ドームと言いましたが、この京セラドーム大阪におきまして、関西大布教区・中部大布教区・中国大布教区・四国大布教区の僧俗を対象として開催いたします。今のところ結集目標は2万8千、乃至、それ以上の参加を考えております。
2番目に、2月24日日曜日、北九州市小倉北区にあります「北九州メディアドーム」で開催いたします。参加対象は九州大布教区の僧俗を対象といたします。参加目標は今のところ8千人、できればそれ以上の参加を考えております。
次に、4月29日火曜日、祭日でありますが、札幌市豊平区の「月寒グリーンドーム」におきまして開催したいと思います。これは、参加対象は北海道大布教区の僧俗を対象といたします。北海道の場合は、参加目標は3千5百人ぐらいを考えております。
最後に4番目でありますが、6月15日日曜日、さいたま市中央区の「さいたまスーパーアリーナ」におきまして、参加対象は関東大布教区・東北大布教区の僧俗を対象に開催したいと思っております。参加目標は今のところ2万7千人です。
以上、全国を北海道、東日本・西日本・九州と4つに分けて盛大に開催したいと考えております。
詳しい話はこれから先、各支部指導教師ならびに講中幹部の方々、あるいは広布推進会などにおいて説明があるかと思いますが、皆様方にはこの記念すべき決起大会にこぞって参加されますよう、お願いをする次第であります。もちろん、それには私も参加させていただきたいと思っております。
さて、法華経の分別功徳品を拝しますると、
阿逸多(あいった)、其れ衆生有って、仏の寿命の、長遠是の如くなるを聞いて、乃至、能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有ること無けん。若し善男子、善女人有って、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、八十万億郡由他劫に於て、五波羅蜜を行ぜん。檀波羅蜜、シ羅波羅蜜、セン提波羅蜜、昆梨耶波羅蜜、禅波羅蜜なり。般若波羅蜜をば除く。是の功徳を以て、前の功徳に比ぶるに、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至算数譬喩も、知ること能(あた)わざる所なり。(法華経450ページ)
とあります。解りやすく申し上げますと、「阿逸多」というのは弥勤菩薩のことであります。仏様がその弥勤菩薩に対して、
衆生が仏の寿命の長遠であることを聞いて、ただ一念でも信解する心を起こしたならば、その得るところの功徳は限りないものがある。もし善男子、善女人がいて、悟りを得るために、八十万億郡由他劫の長い間、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・の五波羅蜜を行じたとする。この功徳を先の功徳、すなわち一念信解の功徳に比べると、百分の一、千分の一、百千万億分の一にも及ばない。計算によっても、譬え話によっても計り知ることができないほど、一念信解の功徳は大きい。
と仰せられているのであります。
この「一念信解」と申しますのは、法華経分別功徳品で説かれる「四信五品」すなわち、現在の四信と滅後の五品のうち、現在の四信の第一に挙げられており、法華経を信ずる者が信心修行の最初の一念において信解を起こす位であります。これは、前の如来寿量品第十六におきまして「久遠実成」すなわち、仏の寿命の長遠なることが明かされましたが、この仏の寿命の長遠なることを知った人の功徳が、在世の弟子に約して四信、滅後の弟子に約して五品あることが説かれているのであります。これを「四信五品」と言うのであります。
ちなみに現在の四信と申しますのは、一番目が一念信解であります。これは、今、申し上げましたとおり、一念の信心を起こす初信の位であります。二番目が略解言趣(りゃくげごんしゅ)、これは仏の説法をほぼ領解する位であります。三番目が広為他説(こういたせつ)と申し上げますように、仏の説法を広く他人のために説くという意味であります。四番目が深信観成(じんしんかんじょう)で、深い信心に達し、真理を観じて体得することができるという意味であります。これが現在の四信であります。
滅後の五品と申しますのは、初めに初随喜品、つまり滅後に法華経を聞いて初めて随喜の心を起こすという意味であります。二番目が読誦品、これは法華経を受持読誦するという意味であります。三番目が説法品、自ら受持するとともに、他人のために説くということであります。四番目が兼行六度品、六度というのは六波羅蜜のことであります。兼行というのは兼ねて行うという意味でありますから、法華経受持のかたわらに六波羅蜜を行ずるということであります。五番目が正行六度品、正行とは正しく行うということでありますから、六波羅蜜を主に行ずるという位であります。これが滅後の五品であります。
以上のなかでも、四信の初めの一念信解と、五品の初めの初随喜品は、いずれも初門であり、ただひたすらに信ずる段階で、難しい理論はまだ解らない状態ではありますが、実はこの「信」こそが信仰の原点であります。
故に大聖人様は『法華題目抄』において、「夫(それ)、仏道に入る根本は信をもて本とす」(御書353ページ)と仰せられているのであります。また『御義口伝』のなかには、「一念信解の信の一字は一切智慧を受得する処の因種なり。信の一字は名字即の位なり。仍って信の一字は最後品の無明を切る利剣なり」(同1773ページ)と仰せられております。さらに同じく『御義口伝』のなかには、「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信(むぎわっしん)とて疑惑を断破する利剣なり」(同1737ページ)と仰せであります。
これらの御金言からもお解りのとおり、一念信解の功徳、なかんずく「信」の功徳はまことに広大にして、「三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」と仰せのように、まことに計り知れないものがあることが解ります。
一方、『兄弟抄』を拝しますと、
設(たと)ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙覚の功徳を障(ささ)へ候なり。何に況んや其の已下の人々にをいてをや。又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入って法華経の行者を脅し、或は父母の身に入って孝養の子をせむる事あり。(同980ページ)
と仰せであります。つまり、
たとえ等覚の菩薩であったとしても、元品の無明という大悪鬼がその身に入って、法華経による妙覚の功徳を妨げるのである。まして、それ以下の人々においてはなおさらのことである。また、第六天の魔王が妻子の身に入って親や夫をたぶらかし、あるいは国王の身に入って法華経の行者をおどし、あるいは父母の身に入って孝養の子供を責めたりするのである。
と仰せられているわけであります。
この元品の無明を退治し、断ち切ることができるのは、まさに先程の御書の如く、ただ「信」の一字のみであります。故に「比の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり」と仰せられ、あるいは、「信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(同1738ページ)と仰せられているのであります。元品の無明を断ち切り、第六天の魔王の用きを防ぎ、そして正しい信心を行じていくためには、まさしく信の一字こそ最も肝要となる打であります。その信の一字は、大御本尊に対する絶対の確信、無疑曰信の信心であります。
今日、宗門は僧俗一致、異体同心して、御命題達成へ向けて力強く前進をしております。しかし、こうした時には様々な障害や魔が競い起こるものであります。だが、我々一人ひとりが「比の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり」との御金言をしっかりと拝し奉り、一念信解の信心に立ち、大御本尊様への絶対の確信を持って、いかなる降魔が競い起きようが、異体同心で乗りきっていくことが最も肝要であります。
本年も残り4カ月、既に3分の2は過ぎましたが、これからの時間を無駄にすることなく、いよいよ御命題達成へ向けて御精進くださるよう心から願い、本日の挨拶といたします。
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