大白法

平成19年10月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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総本山総合整備事業
雪山坊・常灯坊の起工式


総本山総合整備事業の一環である塔中坊建て替え工事の雪山坊・常灯坊の起工式が、10月3日、大石寺執事で総本山総合整備事業実行委員会主任委員の佐藤慈暢御尊師の導師によって執り行われた。起工式は午前10時から雪山坊、引き続き常灯坊で、それぞれ本堂建設予定地に設置された式場において執り行われた。これから1年余の工期で竣工に向け工事が進められる。




御法主日如上人猊下御言葉

10月度広布唱題会の砌
平成19年10月7日 於 総本山客殿


 本日は、総本山の10月度の広布唱題会に当たりまして、支部総登山の方々を含め多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。本年も早(はや)、10月となり、いよいよ残り3カ月となりましたが、皆様方には御命題の「地涌倍増」と「大結集」の達成へ向けて、日夜、御精進のことと存じます。

 さて、今月から11月にかけまして、全国の末寺において御会式(おえしき)が奉修されます。この御会式におきましては、導師を勤める住職・主管による『立正安国論』の捧読(ほうどく)をはじめ、出席の布教区内僧侶による宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日日上人、第4世日道上人、第5世日行上人、第9世日有上人の「申状(もうしじょう)」が捧読されます。

 御会式におきまして『立正安国論』をはじめ申状を捧読申し上げますのは、本宗のみに伝わる行事でありますが、それは大聖人様の立正安国の御精神を現代に示し、広宣流布を御宝前にお誓い申し上げるためであります。

 御承知のとおり『立正安国論』は、大聖人様が日本国の上下万民がたび重なる謗法の重科によって、今生には天変地夭、飢饉疫癘ならびに自界叛逆難、他国侵逼難等の重苦に責められ、未来には無間大域に堕ちて、永劫にわたって阿鼻の炎にむせぶことを深く憂えられ、末法の御本仏としての大慈大悲をもって、一人ひとりの幸せはもとより、国家社会の恒久平和実現のためには、万民が一刻も早く「実乗の一善」すなわち三大秘法の大御本尊に帰依し奉ることであると、身命を賭して、当時の最高権力者である北条時頼ならびに万民をお諌めあそばされたところの折伏諌暁書であります。

 申状も同様、大聖人をはじめ奉り日興上人等、歴代の法主上人が一切衆生救済、仏国土実現の大願のもとに、心血を注いで認められ、国家へ提出された折伏諌暁書であります。

 今、その申状を拝しますると、宗祖大聖人様は、「抑(そもそも)去(い)ぬる正嘉元年八月二十三日成亥(いぬい)刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚(しんに)を作(な)して起こす所の災ひなり」(御書370ページ)と仰せであります。

 すなわち、正宗の大地震をはじめ、いわゆる天災と言われる災難は、実は単に偶発的に起きたものではなく、厳然と存在する仏法の透徹した因果の理法の上から見れば、それは日本国の人々が皆、正法に背き、念仏宗や禅宗等の間違った教え、謗法に帰依しているが故に、日本守護の諸大善神が瞋恚をなして起こすところの災いであると仰せられているのであります。つまり、国士の混乱と不幸の根源はすべて謗法にあり、その謗法を退治し、正法を立ててこそ、初めて国家社会の平和と幸せは実現する旨を仰せられているのであります。

 また、日興上人の申状には、「末法に入って、法華本門を建てられざるの間、国土の災難、日に随って増長し、自他の叛逆、歳を逐うて蜂起す・・・然れば則ち、早く爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たるべし」と仰せられ、天変地夭等の国土の災難、自界叛逆難、他国侵逼難等の生起は、法華本門の正法を立てられざるが故である。よって天下泰平・国土安全のためには、一刻も早く爾前述門の謗法の念慮を断ち、法華本門の正法、すなわち本門戒壇の大御本尊様に帰依することであると仰せられているのであります。

 また、日目上人は、「仏滅後二千余年の間、正像末の三時流通の程、迦葉、竜樹、天台、伝教の残したもうところの秘法三あり。所謂(いわゆる)、法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。之れを信敬せらるれば、天下の安全を致し、国中の逆徒を鎮めん・・・然れば則ち、爾前迹門の謗法を退治せば、仏も慶び、神も慶(よろこ)ぶ。法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん」と仰せであります。

 このほか、日道上人、日行上人、日有上人等の申状は、いずれも御三師同様、国家の安寧と万民の幸せは爾前迹門の諸宗の謗法を退治し、法華本門の正法を立ててこそ実現すると、強く諌暁あそばされているのであります。この歴代法主上人の一天広布へかけられた不自惜身命の振る舞いを、我らもまた堅忍不抜の精神をもって継いでいかなければなりません。

 現代は主権在民の時代であります。一天広布への闘いは、直接、国主・国家への諌暁ではなく、一人ひとりに対する折伏をもってする時代であります。つまり、大聖人、日興上人以来の不自惜身命の国家諌暁の精神を精神として、一人ひとりが強い意志と、いかなる反対、困難が惹起しようとも、断固たる決意をもって折伏を行じていくことが、国諌をあそばされた大聖人および歴代法主上人の意志を継ぐことになるのであります。

 そこに、今日、私どもは日顕上人よりいただいた平成21年の御命題、地涌倍増と大結集の達成へ向けて、僧俗が一体となって進んでいかなければならない大きな意義が存していることを忘れてはならないのであります。


 先日の新聞によれば、日本の国民の7割の人が生活に不安を持っているとのことであります。外形的には一見、幸せそうに見えても、その内実は皆、苦しんでいるのであります。私どもは、こうした現状を見逃すことなく、今こそ世のため人のため、苦しみや不幸の根源がなんであるのか、間違った教えがいかに人を不幸に陥れているのか、正しい教え、すなわち末法の一切衆生救済のために御出現あそばされた久遠元初の御本仏宗祖日蓮大聖人の仏法によって初めて、人も社会も国土も安穏にして幸せになることを仏法の道理の上から心を込めて訴え、一人でも多くの人々の心田に妙法を下種し、折伏をしていくことが肝要であります。

 『守護国家論』には、「爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所現の浄土にして実には皆穢土(えど)なり。法華経は亦方便寿量の二品なり。寿量品に至りて実の浄土を定むる時、比の土は即ち浄土なりと定め了(おわ)んぬ」(御書155ページ)と仰せであります。末法の一切衆生救済の秘法たる法華本門寿量品文底秘沈の大法の御出現と弘通によって初めて、娑婆即寂光の原理が実現し、真の世界平和も安穏なる国土世間も実現するのであります。

 故に『法華初心成仏抄』には、「法華経を以て国土を祈らば、上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給ふべき鎮護国家の大白法なり」(同1313ページ)と仰せであります。

 されば、私どもはこの時こそ、この御金言を心肝に染めて、一人ひとりが勇躍として奮起し、真剣に折伏に励んでいかなければなりません。眼前に諸法の害毒に犯されて苦しんでいる人を見て、折伏の手を差し伸べないということは無慈悲の極みであります。「仏法中怨(おん)」の謗(そし)りを免れません。私どもは、けっして無慈悲の侮(あなど)りを受けてはなりません。

 御命題達成まであと2年、明年は全国4カ所で「地涌倍増大結集推進決起大会」も開催する予定であります。なにとぞ各位には、いよいよ信心を励まし、一人ひとりが地涌の菩薩の眷属として、近くは平成21年の御命題達成を目指し、遠くは一天広布の願業を目指して御精進くださることを念じ、本日の挨拶といたします。




小説富士 『二箇の相承』
大東院日明 著


二箇相承とは、


日蓮一期の弘法、白蓮阿闇梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主比の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)、我が門弟等比の状を守るべきなり。

 弘安五年閏九月 日   日蓮花押   血脈の次第 日蓮日興(御書1675ページ)



釈尊五十年の説法、白蓮阿闇梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

 弘安五年壬午十月十三日   武州池上   日蓮花押(同ページ)


御書には前者を『日蓮一期弘法付嘱書』、後者を『身延山付嘱書』として掲載している。

この事の一番古い文献は、祖滅99年に書かれた、富士妙蓮寺日限の『五人所破抄見聞』に、「日蓮聖人の御付嘱、弘安五年九月十二日、同十月十三日の御入滅の時御判形分明也」と書かれ、

一瓶の法水を日興に御付嘱あり、日興も寂を示し玉ひ、次第に譲り玉ひて、当時末代の法主の処に帰り集まる処の法華経なれば、法頭にて在す也。秘すべし、口外すべからず。六老僧有りと雖(いえど)も、法主は白蓮阿闇梨に限り奉る也。在世には唯我一人の大導師は釈尊也。末代には上行菩薩本門の別付属唯我一人也。争(いか)でか告勅に背いて唯我一人の法花経を六人迄御付属あらんや。六人の上首は日興上人也。例せば四大菩薩の上首は上行菩薩なるが如し。(富士宗学要集4巻9ページ)

と言われている。

祖滅187年に要山16代・住本寺10代日広が二箇相承を重須にて拝写し、左京日数は祖滅207〜8年に『類聚翰集私』(富士宗学要宗第2巻)と『六人立義破立抄私記』(同4巻)、に二箇相承を全文引用しており、これは、『富士宗学要集』に載せているところである。

さて、この二箇の相承の紛失事件が起きたのが、祖滅300年の天正9年の3月17日のことである。『富士宗学要集』に、「『二箇相承紛失の由来』 年月不記の案 文妙本寺日我の筆に依る、祖滅三百余年のものか」(同9巻22ページ)とあるので、長文ながらそれを引用してみる。

抑(そもそ)も駿河の国は、久しく今河殿の分国なり。而(しか)るを、隣国甲斐の国主武田晴信出家の後信玄と号す。去(い)ぬる永禄十一年戊辰十二月、駿府へ打ち入り一国皆押領して、信玄同く子息勝頼二代の間首尾十五年之を持つ(永禄十二年二月四日、北山本門寺諸堂武田信玄の兵火に罹(かか)り、御影を沼津在静浦本能寺に移す。二月七日、大石寺諸堂武田信玄の兵火に罹る。七月十五日、武田信玄高札を西山本門寺に与う=筆者註)。

其の十四年目(天正九年=筆者註)の辛巳三月、富士の西山に日春と云ふ大悪僧あり、年来様々の邪義を構へて重須本門寺と取合ふなり。然れども事成らざる処に甲州に有徳の檀那あり。是を語らい巧言令色賄賂を先として奉行国主に之を訴ふ。本門寺の御大事、殊には二箇の相承を取らんとす。勝頼許諾なり。仇て人衆百人ばかり日春に指し添え本門寺に向けらる。

日春は門前に在って俗衆数多寺中に指し入りいはせけるは、甲州より御使いなり、勝頼の御掟に云はく「身延山の重宝本尊等比程失せたり、之に依って分国中の諸寺を御尋ね侯、当寺の御大事箱直見申し侯」云云。時の住持日殿の云はく「当寺には全く左様のもの之無し」云云、使衆云はく「是非分明に見申すべし」と云云。

日殿自体は臆病にして、又工夫浅き人にてあり。「尤(もっとも)に侯」とて、ふるいふるい座を立ち、御大事箱を取り出し、蓋を開け一々に定を見せらる。使衆云はく、「比の箱急ぎ蓋を収め符を御付け侯へ、こなたも封を付け申すべし」と云云。其の故如何。使云はく、「日春訴によって御披見あって是非の決判あるべしと御掟なり。急ぎ甲府へ越し申すべし」とて其のまま押取って行く間、住持も衆徒も力及ばず、然して甲府へ取よせ、館の内に毘沙門堂とて持仏堂あり之に納めあり。

翌年壬午三月十一日、織田信長甲州へ打ち入り、勝頼父子御前女房衆、その外武田一族類・宿老・眷属皆悉く滅亡し、新羅三郎義光の嫡子武田冠者義清已来五百余年安堵の国、一日の中に跡形無く成り畢(おわ)りぬ。悪人の訴に依って悪行を極め蒙むる処の現罰同前なり。有る経に云はく仏教を破れば亦孝子無く(中略)。

其の日の乱入に彼の二箇の御相承並に大聖開山御筆の漫荼羅三・四十幅、濫妨(らんぼう)に取られたるか。何所に御座候とも、誰人の所持なりとも、大聖開山の御血脈相承富士門家の明鏡たるべし。後世此旨を存ずべき者なり、仇て之を記す。

日長、日正、日握、日侃、日我(同ページ)

以上が『富士宗学要集』に載せる二箇の相承紛失の由来である。


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