大白法

平成19年11月1日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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総本山総合整備事業 浄蓮坊・遠信坊落慶法要


澄み切った秋晴れに恵まれた10月24日、総本山大石寺において、午前10時半より浄蓮坊新築落慶入仏法要が、午後1時半より遠信坊新築落慶法要が、御法主日如上人猊下大導師のもと厳粛に奉修された。

立正安国論正義顕揚750年記念局「総本山総合整備事業」の一環として昨年より進められている塔中坊(たっちゅうぼう)建て替え工事のうち、第一グループの最初であるこの日の2力坊落慶法要には、記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、副委員長の重役・藤本日潤御尊能化、総本山総合整備事業主任委員で大石寺執事・同主任理事の佐藤慈暢御尊師、常任委員の宗務院各部の部長・副部長、大石寺理事をはじめとする各坊有縁・代表の御尊師方が御出席された。

また、記念局副委員長の法華講総講頭・柳沢連合会委員長、同委員である大講頭の石毛連合会副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏(総本山総代)・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏、総本山総代の井出光彦氏をはじめ、総本山総合整備事業委員の法華講連合会幹事、寺族をはじめ有縁・代表の信徒が参列した。


浄蓮坊新築落慶入仏法要

午前10時、参列の僧俗一同が浄蓮坊前の塔中参道にお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が御到着あそばされた。直ちに控え室において御僧侶、代表信徒、寺族・親族、施工業者が親しく御目通りを許された。

法要は、御法主上人猊下大導師のもと、住職・東b道御尊師による御本尊御開扉、佐藤執事による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。

ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。その中で御法主上人猊下は、記念局の総合整備事業は東海大地震に備え、御影堂の大改修と18力坊を新築することになり、その初めとして浄蓮坊の落慶を迎えたものであると述べられた。また、『立正安国論』正義顕揚750年の「地涌倍増」と「大結集」に向けての闘いと併せて、内部の充実と整備も大事なことであると御指南あそばされ、特に令法久住の上に総本山の厳護は欠かすことができないとされ、そのために御影堂と塔中18力坊の工事を行うことになった旨仰せられた。この一つひとつの歴史の中に私たちの信心の歴史が刻まれていくのであり、この時に巡り合わせたことはまことに尊いことであると御教示くだされた。そして、すべての記念事業を見事に完遂し、日顕上人猊下にご報告申し上げていくことを述べられ、いよいよの精進を望まれた。(御言葉は729号に掲載

引き続き式の部に移り、はじめに佐藤主任理事より経過報告が、続いて総監・八木記念局委員長、総講頭・柳沢記念局副委員長より祝辞が述べられた。次いで、東住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞が述べられた。最後に、大広間において記念撮影が行われ、浄蓮坊新築落慶入仏法要は終了した。


遠信坊新築落慶法要

午後1時15分、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下下が遠信坊に御到着あそばされ、直ちに御目通りを許された。

法要は、御法主上人猊下大導師のもと、住職・水谷扶道御尊師による御本尊御開扉、佐藤執事による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。

ここで御法主上人猊下より、「信は荘厳より起こる」と言われるように新築・荘厳なった御宝前を拝し、新たな気持ちを持って自行化他の信心に励んでいくことを望まれ、平成21年の御命題実現に向け僧俗一致の精進が肝要であると仰せられ、御言葉とされた。

引き続き式の部に移り、はじめに佐藤主任理事より経過報告、続いて宗務院総監・八木記念局委員長、法華講総講頭・柳沢記念局副委員長より祝辞が述べられた。次いで、水谷住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞が述べられた。最後に、大広間において記念撮影が行われ、遠信坊新築落慶法要は終了した。

午後3時、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、遠信坊をお発(た)ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。




体験発表 『不幸の根源「ニセ本尊」を払い再出発』
遍照寺支部 Y・N


私は創価学会を脱会して再び日蓮正宗信徒にさせていただいてからまだ半年も経っていませんが、御住職より、今だからこそ創価学会の誤りと恐ろしさ、日蓮正宗の正しさと功徳を語ることができるとの御指導をいただき、お話をさせていただくことになりました。

私は大学卒業後、食品添加物の関連会社へ入社して食品加工機械部へ配属され、各種食品工場の生産設備の設計配達・設計・施工・保守管理・営業等、工場の総合診断の仕事をしていました。仕事は忙しく、日曜日もないハードスケジュールでした。

そんな状態で家庭もうまくいかず、家内にも愛想を尽かされ、離婚することになってしまいました。正しい生き方をしてきたつもりなのにどうしてこんな目に遭うのか理解できず、今までのことを清算したいと思い詰め、自身の境界の狭さから自殺も考えました。そのとき、後の再婚相手の母親に当たる学会員から折伏され、昭和57年9月に鹿児島市の西大宣寺で日蓮正宗に入信し、同時に創価学会に入会しました。

入信したことで親からは勘当され、仕事仲間から疎まれ孤立した毎日でしたが、楽しくて、お寺でよく勤行・唱題させていただきました。何かあったら唱題で、仕事上のトラブルもすぐに解決しました。一年後、父から「自分にも信心をさせてほしい」との連絡。「月々日々につより給へ」(御書1397ページ)と御書にありますが、自身と周りの変化に本当に御題目の力はすごいと日々痛感しました。そして昭和59年11月、涌徳寺にて両親は、地元の学会員の力を借りて入信させていただくことができました。

父は元自衛官で、頑固さは天下一品です。定年退職後は熊本に家を建てて落ち着いています。平成3年、そんな父が、病気に見舞われました。平成7年に学会の『ニセ本尊』に交換してからは、さらにたいへんでした。父はガンを併発し、母もアルツハイマー病になりました。母の病名が判るまでかなりの時間がかかりました。耳が遠くなり、言葉が不明瞭、さらに物忘れ・徘徊・無銭飲食等を繰り返すようになり、父は怒鳴り散らして、やり場のない感情を剥き出しにして、私につっかかってきました。

私は、両親の面倒を見ることができない生活状態でした。会社の倒産、自己破産、不動産没収、離婚となっていたのです。特に離婚に際しては、家内の母の「もう別れてやってくれ」の一言で決定しました。経済的に一家を支えられない力のなさに、「何でだろう。どこで歯車が狂ったのだろう」と自分を責め、「もう死んだほうがまし。どうにでもなればいい」と思いました。

離婚した家内と子供は、幸せに生活できるものと思っておりましたが、様子がおかしいのです。生活に困窮し精神病院への入退院を繰り返しています。私は少ない給料から、せめて私自身が後悔しないためにと、償いの意味も込めて子供に送金しています。


学会の正体認め脱会

去年の年末、仏縁としか言いようがありませんが、外国人の友人であるGさんから日蓮正宗の話を聞き、これを縁として遍照寺でがんばっているHさんと知り合うことができました。そこで学会の現状等、いろいろな話を聞き、翌12月26日には御住職・青木信則御尊師から直接お話を聞くことになりました。

学会活動に冷めていた私は、改めて自身を見つめ直しました。自分を取り巻く様々な現実と、御住職のお話の一言一句が、あまりにも符合することに驚きました。まさかここまで会員をあざむき、いくつもの謗法を行い私たち会員をだまして組織を守ろうとしていたとは。信じ難かったのですが、自身の体験からも認めざるを得ませんでした。その日の内に勧誡式をしていただき、学会の『ニセ本尊』を払い書籍や写真を処分し、真正の御本尊様を御下付戴きました。入仏式の最中、ちょうど地元の学会員が訪ねてきたので、脱会を宣言することもできました。

さらに28日、以前学会のブロックで一緒だったKさんに連絡を取りました。彼には、私が『ニセ本尊』に交換させていたのです。その罪障消滅には、Kさんを正法に導くしかありません。とにかく謝りました。「ごめんなさい、学会で交換した本尊はニセ物でした。今からそちらに行きます。詳しいことはお寺の御住職のお話を聞いて判断してください」と電話すると、Kさんは「替えられてからは全く拝む気がしなかった」とのことで、すぐさま脱会を決意され、夜までかかりましたが、この日のうちに勧誡式並びに入仏式を終えることができました。

30日には、年末の帰省に際して、もったいなくも御住職に熊本までご同行いただき、父を折伏していただきました。父も『ニセ本尊』を払い、めでたく涌徳寺で勧誡式をしていただき、御本尊様を御下付戴きました。この折伏は不思議なタイミングでした。少し前に父は、訪ねてきた学会員から言われたあまりに非常識な話に学会員でいることが悲しくなり、「人間革命」の本を焼いていたそうです。実家で父と話していると、「今度はいつくるのか」と聞かれました。「仕事の予定が立ったら連絡するよ」そう言って別れるのですが、心の中では「親孝行できなくてごめんぬ。今の俺はここまでしかできないよ。自分の生活で一杯で何もしてあげられない」と謝っています。

熊本にいる学会員の友人をどうすれば救っていけるかと暗中模索していますが、きっとどこかに打つ手があると信じ、御住職と相談しながら行動しています。


父と御登山、満開の桜にも感激

4月2日に父と一緒に一泊二日で、本門戒壇の大御本尊様おわします総本山大石寺に登山させていただきました。Hさんに案内していただき、Kさんも一緒に登山しました。今までのお詫びと、今後の闘いに備えて、学会が今でもうるさく言う桜を見に行ってきました。

見事に桜は満開で清水が流れ、総本山は凛として厳粛な仔(たたず)まいでした。学会の言っていることとは、百八十度違います。「嬉しいな。来られてよかった」と、父も夢中で写真を撮っていました。「帰ったら学会員にこの写真を見せるんだ。正しいことは正しい、間違いは間違いと伝えよう」と親子で話しました。これからが本当の信心のスタートです。何があろうとも一歩も引かないと決意しました。

二日目は、御法主日如上人猊下の大導師のもと、丑寅勤行にも参加させていただき、ますます御開扉が待ち遠しくなりました。午前中に三師塔に参詣させていただきました。御歴代上人の墓所も拝し、法灯連綿たる歴史の重さをかみ締めると共に、墓石の一つひとつに御題目を唱えてお詣りし、今後迷うことなく正しい信心をいたしますと強くお誓い申し上げました。

いよいよ御開扉です。父を乗せた車椅子を押してスロープを進んでおりますと先へ進むように指示があり、一番よい席に座ることができました。涙がこぼれて大御本尊様が見えなかったのですが、両親の病気の快復と、学会員への折伏と、自身の懺悔等、しっかり御祈念できました。後は行動あるのみ。闇が晴れた今、勇気凛凛でどこへでも行けそうでした。


父にとっては最後の登山になるかも知れない、そんな思いで登山しましたが、心配には及びませんでした。つい前日には、風呂の中で意識が遠のいて溺(おぼ)れかかったりしていた父。それがどうでしょう。日増しに元気になっていくのです。

5月の連休で帰省した折、父が38℃の熱があり、気になったので病院へ連れていくと、先生が不思議な顔でこちらを見るのです。先生に呼ばれて説明を聞きますと、2枚の画像を比較しながら、「腫瘍が小さくなって初期の頃の大きさになっている。何でだろう。手術をしなかったのがよかったのか。原因は判らないが、有り得ないことです。熱の影響もない。白血球も正常。炎症もない。とりあえず、薬は一番弱いのにしましょう」とのこと。また一つ実証を得ました。


一緒に登山したKさんは、以前所属していた学会の地区部長だった方に、登山したことや桜のことを話しています。私も一緒に関係資料を届ける予定です。何が競い起ころうとも覚悟の信心をさせていただいています。

私は、同僚に大聖人様の仏法を語り、毘沙門像や阿弥陀如来像には力がないことを話して、お寺にもお連れしました。彼も家庭の中が目茶苦茶で、安心できる場所がないようです。御住職に再度お会いする約束をしてくれました。最後まで祈り切って、すべてに結果を出させていただきたいと思います。

今後は、あらゆる問題の克服と、さらなる己心の魔との闘いです。人間はつい楽なほうを選択しがちです。だからこそ、どんな時でも正しい道を選択するよう気をつけなければなりません。本門戒壇の大御本尊様と血脈付法の御法主上人猊下に随順し、すべての問題に決着をつけ、悠々と人生の大道を歩いていければと考えております。それがそのまま、折伏弘教につながると思います。

今後さらに、皆様と共々に地涌の菩薩の眷属として、御法主日如上人猊下、また御隠尊日顕上人猊下の御指南を心肝に染め、御住職の御指導のもと、いよいよ精進することをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。



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