大白法

平成20年3月1日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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立正安国論正義顕揚750年 第6回記念局委員会を開催

記念事業を平成26年度まで延長し、拡大・拡充へ


2月19日午後2時50分り宗務院大会議室において、第6回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会が開催された。

これには、記念局総裁であられる御法主日如上人猊下の御臨席のもと、記念局委員長である総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化、同常任委員の宗務院各部長・副部長、大石寺理事、さらに高野日海・秋山日浄・光久日康・菅野日龍の各御尊能化、宗会議長・土居崎慈成御尊師をはじめとする委員の御僧侶方が御出席された。また、同副委員長の総講頭・柳沢連合会委員長をはじめ信徒の委員も出席した。

委員会では、はじめに記念局総裁の御法主上人猊下より御言葉を賜った。御言葉の中で御法主上人猊下は、去る2月3日に大成功裡に挙行された西日本決起大会に触れられ、運営に携わった僧俗の連日連夜にわたる健闘を労(ねぎら)れれた。次いで、総本山の整備事業等について、今の時期に拡大・追加をしていかなければならない旨、御指南あそばされた。

次に八木記念局委員長より挨拶が述べられた後、西日本決起大会の模様をまとめたビデオを拝見した。

ここで議案の審議に入った。

が八木記念局委員長より一議案ずつ上程され、すべての議案について満場一致で原案通り可決した。このあと、柳沢記念局副委員長より挨拶があった。続いて懇談が行われ、最後に八木委員長より閉会挨拶があり、終了となった。

記念局が設置された平成18年4月1日より、同22年3月末に至る事業計画のもとに事業が推進されてきたが、その後の御影堂大改修工事並びに総本山塔中坊の建替え追加工事等のため、平成26年度まで記念局の事業期間を延長することとなった。そのため、常任委員会において全事業計画の見直しが行われ、このたびの記念局委員会での審議・決定となったものである。


また、記念局委員会に引き続き、午後5時より宗務院大会議室において、第5回地涌倍増大結集推進委員会が行われた。はじめに八木記念局委員長より挨拶が述べられた後、主任委員の阿部信彰御尊師より挨拶・説明があり、「布教区別地涌倍増大結集推進僧俗指導会」を3月21日より順次開催していく旨、発表があった。その後、質疑応答があり、柳沢副主任委員の挨拶をもって終了となった。



御法主日如上人猊下御言葉

第6回 立正安国論正義顕揚750年記念局委員会の砌
平成20年2月19日 於 宗務院大会議室


 本日は、第6回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会に当たりまして、各委員にはお忙しいところを御参集いただき、まことに有り難うございます。

 今日の議題につきましては、後ほど各担当から詳しく説明いたしますが、まず第一に2月3日、大阪の京セラドームにおきまして「地涌倍増大結集推進・西日本決起大会」が盛大に開催されました。当初の予定は3万5千名の結集でありましたが、悪天候のなか、それでも3万3017名の方々に御参集いただきました。雪混じりのなか会場に向かったものの、大変な交通事情によって到達できなかったという方々もいらっしゃったのでありますが、それでも3万3千名という数は、全体の94.3%ですから、あの天候を考えれば、大成功であったと思います。

 皆様も『大白法』等で写真を御覧になられたことと思いますが、3万3千の方々が集まったというところに、まことに心強いものを感じました。これらも、本日ここに出席しておりますが、運営委員長の高野法雄御尊師をはじめ、各支院長を中心にした僧侶側の運営委員の方々、また河原大講頭、さらにまた地元の茂山大阪地方部長を中心にした御信徒の運営委員の方々の、連日連夜にわたる様々な御健闘の結果であったと思います。また、その他、この大会開催の準備に当たられました多くの方々のおかげであります。

 当日はパフォーマンスもありました。初めに青年部の有志が和太鼓を演奏してくれました。わずかふた月の間に猛練習・特訓をして、その成果を見せてくださったわけでありますが、演奏終了後の報告のなかで、初めて演奏する人ばかりだったので、初日の練習で手の皮がめくれ、檜のバチが真っ赤に染まったり、家に帰って御飯の時に箸が持てないこともあったという話でした。そういった話からも、本当にみんなの力でこの大会を盛り上げたということを痛感した次第であります。また、580余名の婦人部の方々が合唱してくださいました。この方々は身体を揺すって、本当に躍動感あふれる合唱をしてくださいましたが、これも大きな感動でありました。そのほか、連合会のほうからブラスバンドを出していただいて、演奏していただいたり、あるいは西中国地方部の鼓笛隊の方々、そしてまた地元・大阪地方部鼓笛隊の、かわいらしい子供達が演奏してくれました。そういったこと一つを取ってみましても、本当にみんながこの大会にかけてきた、その意気込みがうかがえた次第であります。

 また、第2部の決起大会に入りましても、体験発表、決意発表、それらの全部が本当に感動的で、まことによかったと思います。こういったことも、当日の受付や整理・案内を含めた、いわゆるスタッフの方々が、それぞれのポジションに分かれて任務を全うしてくださったお陰だと思います。また、その元には西日本の各支部の御住職方、そして講頭さんをはじめ支部の方々の努力があったからこそ、このような立派な大会が開催されたものと、心から感謝する次第であります。この席を借りまして、お世話になった方々に厚く御礼を申し上げる次第であります。まことに有り難うこざいました。

 このあと、今月の24日には九州大会、4月には北海道大会、そして6月には東日本大会が開かれますけれども、それらの関係者の方々は、この西日本大会に負けず、立派な大会にしていただきたいと思います。

 また、内外からも色々な声がありまして、御信徒の方からも「大変よかった」という声が届いております。あるいは外部の方でありますけれども、そういった人からも「まことによかった」という声があります。我々が、何事も一生懸命に行うことによって、自ずとそういう評価を得たのではないかと思います。

 これにつきましては、あとでビデオを放映いたします。放映時間はわずかでありまして、ダイジェスト中のダイジェストでありますけれども、御覧いただければ、その様子がお解りになるのではないかと思います。ここには当日、この大会に出席した方々もいらっしゃいまして、その感動は御自分が実際に体験していらっしゃることとは思いますが、なにしろビデオを見ていただきたいと思います。


 次に、今日は予算の大幅な変更についてり議案がございます、一つには、特に総本山を中心にした事業の拡大・追加によるものでありますが、これは色々な角度から総本山の整備事業というものを考えてみますると、まず第一に安全性、そしてその次に利便性、その次に外観、あるいは景観と申しますか、そういったものを考慮して、行うべきことは、今のうちに行っておかなければならないと思うのであります。  特に安全性の問題につきましては、東海大地震というものが、予測できない形で、何時来るか判らないという状況であります。ですから、のんびり構えているのではなくして、この際、できるだけきちんとした事をしておく。つまり、お山に御登山される方々に安全性を提供していくということは、我々と致しましても一番大事なことではないかと、このように存ずる次第であります。

 そういう観点から予算の大幅な変更があります。また、それに伴いまして御供養の件もお願いがありよす。詳しくはこのあと、各担当の者から説明をさせますけれども、それらをよくお聞きいただいて、なにとぞ御賛同いただきたいと思う次第であります。

 今日はそういう意味でたいへん重要な会議になりますので、御検討のほどを宜しくお願い致しまして、挨拶といたします。



○挨拶 記念局委員長・八木日照御尊能化

総裁・御法主日如上人猊下の御臨席を仰ぎ奉りまして、この記念局の委員会を開催いたしましたところ、大勢の僧俗委員各位には、お忙しいところ、全国からご登山くださりご参加いただきましたことを、心から御礼申し上げます。

ただ今、御法主上人猊下から尊い御指南を賜りましたが、本日お手元にお配りした通り、大事な議案の内容となっています。この議案は、記念局の規約に従い、事前に常任委員会において種々検討をいたしました。この常任委員会には、その度ごとに御法主上人猊下の御臨席を賜りまして、大局の上から、また具体的な細かいことに至るまで種々の御指南を戴き、そのもとに私共常任委員は議案作成に努力してまいりました。この後、一議案ずつ上程しますので宜しく御審議をいただき、ご承認くださるようお願いいたします。

この記念局として計画した様々な事業の完遂は、一にかかって、その資金がしっかりと確保されるか否かにあると言っても過言ではありません。これは偏(ひとえ)に宗内僧俗の方々、また寺院・教会として、それぞれ分に応じた形で拠出をいただくということになります。殊に、本日の議案として記念事業の追加変更の件があり、担当委員から詳しくご説明いたします。

しかし、何と言いましても、宗内僧俗の一人ひとりが護惜建立の強い志を持ち、信心を持つ。その上で始めてこの事業が順調に進み、完成を見ることができると思います。大きな仕事でありますが、皆が心を一つにして一致協力していく時には、必ずこれを成し遂げることができる。そういう確信のもとに今後粛々と進めていきたいと、このように思う次第であります。

ここに、明治35年に御影堂の大営繕を行った時の収支決算報告があります。当時は第56世日応上人が御当職でございました。御影堂がたいヘん傷んできたため、それまて茅(かや)葺きであった屋根を銅板葺きに改めるなど、すべての面にわたりまして、大きな改修事業が行われました。その当時もたいヘんなご苦労をされたようです。これらの様子を見ますと、お寺、あるいは僧侶、ご信徒の方々が、まずいくらの御供養を申し上げたいと申し出て、受け付ける。それに対して年月を追う毎に、その内の第1回目の御供養を納めました。第2回目を納めました。それで施工業者ヘ支払った総額は幾らで、未払い金がまだこれだけ残っているなど、そういうことが細かく記録されてあります。当時の御法主上人猊下がたいへんな思いをされながら、この大事業をなされたということを、今つくづく拝し奉る次第であります。

そして今、平成の時代。我々は御法主上人猊下のもとに「心を一つにして何としてもこれをやり遂げるぞ」という強い信心の上に立って、これを大成功に導いていきたいと思います。

それから、たた今、御法主上人猊下からも御言葉がございましたように、去る、2月3日、地涌倍増大結集推進決起大会が西日本大会としまして、見事大成功裡に開催されました。様々な悪条件をはね除けて、3万1017名が大結集いたしましたした。私も、この総本山以外において、あのような大きくて広い所に、これだけの僧俗が歓喜に燃えて集まるという姿を見まして、まことに感動一入(ひとしお)のものがこざいました。この勢いをもって明年の「地涌倍増」へ向かって、また「7万5千の大結集」に向かって、それぞれ進んでいっていただきたい。さらにその後に続いて、九州、北海道、そして東日本と、各3会場で行われる決起大会につきましても、必ず大結集を果たし、素晴らしい大会で大成功に収めていただきたいと心から念ずる次第であります。

それには御法主上人猊下の御指南に随って、何としても御題目を唱えながら、歯を食いしばり、しっかりと僧俗一致して精進していきたいと、このように思う次第であります。以上、開会に当たって一言申し上げました。



■挨拶 記念局副委員長・柳沢喜惣次総講頭

一言、挨拶を申し述べさせていただきます。今回の第6回記念局委員会におきましては、最初の1回、2回、3回と回を重ねてくることによって、私はほぼ輪郭が判ってまいりました。それは、総本山がどんどん変わっていく姿を、この目で見ているからであります。

今日の補正予算のための各部門のご説明を伺っている中で、「これはなかなか容易なことではないぞ」と、私自身に言い聞かせておりました。しかし、輪郭が判っていないのとは違いまして、こういうふうになっていくのだということを思いますときに、「時」ということを非常に強く感ずるものであります。

また、先ほど会議の冒頭に御法主上人猊下から、あの西日本決起大会のお話を戴き、さらにビデオの放映を拝見しました。私は当日は壇上から見ていたのですが、そのときの印象は、「未だかつて見たことがない」ということであります。こちらから見ておりますと、京セラドームの中に立錐の余地もないという印象でありました。そのときに強く思いましたことは、「広宣流布の時というものは、我々が考えているようなものではないんだ」ということであります。

また、現在の世界経済の混迷を見ておりまして、国内の政治のああいうドタバタ劇の様相、さらに関係ある人々はご存知でしょうが、一般の人にはBRICs(ブリックス=ブラジル、ロシア、インド、中国の急速な経済発展地域のこと)はピンとこない。しかしこれが、ポストBRICsと言って世界の11カ国の名が上がってくる(例えばVISTA(ヴィスタ)=ベトナム、インドネシア、南アフリカ共和国、トルコ、アルゼンチンなど)。そのことを見て思いますことは、アメリカの時代は終わったということであります。ではこれからはと言うと、アジアの時代が来るのであります。

そういうことを思い合わせていきますと、条件が揃ったならばできるのだという考え方は、誰でも考えることでありますが、条件が揃おうと揃わなかろうと、時が来ればやっていく。時のほうが先なんだということであります。そうすれば必ず形は出来上がってくるけれども、もし「条件が揃わないから」とその「時」を見送ってしまったならば、条件が揃って自分で今ならできると思ったとしても、時を失っているためにできない。そのことを私は、若いときから体験の上に持っております。

今、こうして皆さんが晴れ晴れと賛成される姿を見て、私はこれは必ず実現すると思いました。また、こちらにおります各地方部長さん方も記念局委員になっております。どうか、色々な声も耳に入ってくると思いますが、そこに、時を知らない凡夫と時を観ずるお方との違いということを、よく説明してあげていただきたいと思います。

いずれにいたしましても、私たちは素晴らしい因縁の時に巡り合わせているのであります。それを自覚するかしないかということが大事な問題ではないかということを、私自身も深く反省し、決意を新たにするものであります。本日は誠にありがとうございました。以上をもちまして、ご挨拶に代えさせていただきます。




ガーナ法華寺創立10周年記念法要 並びに 地涌倍増決起大会を開催


2月16日・17日の両日、ガーナ法華寺において創立10周年記念法要並びに地涌倍増決起大会が行われた。これには、海外部長・漆畑行雄御尊師をはじめ、有縁の御僧侶が、日本および海外各国から御出席、ガーナをはじめアフリカ大陸の国々の法華寺所属信徒が大勢結集し、ドイツ、オーストリアからの来賓信徒も参加した。

16日、午後2時から行われた創立10周年記念文化祭には、地元アクラ市内の信徒を中心に2千110余名が参加。文化祭では、法華寺信徒有志で結成されたガチャピン・バンドの元気な演奏を皮切りに、ガーナ国内にある10地区をはじめ、ナイジェリア、ベナン、トーゴ、コートジボワール各国の代表全16組によるパフォーマンスが行われた。最後に、ナカワ副講頭より閉式の辞があり、午後5時に文化祭は幕を閉じた。また、その後の夕勤行では、新たに32名の御授戒、4世帯の御本尊下付があり、慶事に花を添えた。

翌17日午前10時からは、法華寺創立10周年記念法要並びに地涌倍増決起大会が、2千270余名の信徒が参集して行われた。法要は、法華寺住職・阪部信展御尊師の導師により、献膳・読経・唱題と如法に奉修された。

式の部では、来賓僧侶による祝辞の後、漆畑海外部長が、「地涌倍増の御命題達成と、2009年の大結集登山の目標完遂のために、今年は一層の躍進を成し遂げ、法華寺の御本尊様のもとに僧俗一致して、ガーナ広布のため、さらにはアフリカ大陸広布のため、精進していただきたい(趣意)」と御指導された。最後に阪部住職より、力強い決意と丁重な謝辞が述べられた。

小憩の後、午前11時40分から、アフリカ大陸各国の地涌倍増を期して法華寺創立10周年記念・地涌倍増決起大会が開催された。大会は、来賓と参加信徒の紹介、来賓信徒代表による祝辞に続いて、ホアマ講頭の、ガーナ広布に向けての力強い決意発表があった。次いで決意表明が、トーゴ、コートジボワール、ナイジェリアの3カ国と、ガーナ国内のクマシ地区と法華寺近郊地区の2地区の各代表者、計5名により行われた。

エニン副婦人部長の決意発表、ダンカーさんの体験発表に続き、デブラ登山部長からは、2009年の登山に関する説明があった。バイ二ーさんがアフリカ広布の決意を披歴した後、法華寺信徒有志による蓮華合唱団がコーラスか披露した。最後に出席者全員が「地涌讃徳」を日本語で大合唱し、記念撮影をもって大会の一切が終了した。




訃報 常妙院日澄上人遷化される
日蓮正宗元重役、平安寺第2代住職


日蓮正宗元重役・平安寺第2代住職の椎名日澄御尊能化には、かねて病気療養中のところ、2月18日午後3時24分、安祥として遷化された。世寿93歳。常妙院日澄上人。同御尊能化は、大正3年11月2日、東京都渋谷区に御誕生。昭和3年6月6日、総本山第60世日開上人を御師範として得度された。爾来実に法臘80余年にわたり、全生涯を大法興隆・宗門の興隆発展に捧げられた。特に昭和54年の日達上人御遷化当時をはじめ宗門の重大局面における御活躍は特筆されるところである。

その間、日蓮正宗重役をはじめ、寺族同心会会長、全国布教師会会長、監正会会長、教学護法財団理事・評議員、宗祖日蓮大聖人680遠忌事業委員、宗祖日蓮大聖人第700遠忌局副委員長、宗旨建立750年慶祝記念局委員、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、神奈川布教区宗務支院長、北近畿布教区宗務支院長等々の宗門の要職を歴任される一方、平安寺住職として、常に多くの法華講員、檀信徒の教化育成に尽力されると共に、北近畿布教区内はもとより関西方向並びに全宗門においてその御徳が慕われてきた。


2月18日、訃報は直ちに全国を駆け巡り、北近畿布教区内外の有縁の御尊師方、檀信徒らが続々と平安寺に弔問され、午後5時半、北近畿市教区宗務支院長・菅原信了御尊師の導師のもと、枕経が執り行われた。20日午後3時半より、菅原支院長の導師のもと納棺のお経が執り行われた。さらに午後7時より、平安寺本堂において菅原支院長の導師のもと仮通夜が奉修された。

2月21日午後7時よりは、御法主日如上人猊下の大導師のもと御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、常妙院日澄上人の本通夜が平安寺本堂において、読経・唱題・御回向と、厳粛に執り行われた。御法主上人猊下御退座の後、引き続き、御隠尊上人猊下大導師のもと読経・唱題が行われた。


明くる22日、午前10時より、本葬儀が御法主日如上人猊下の大導師のもと、平安寺本堂にて奉修された。この葬儀には、御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、総監・八木日照御尊能化、重役・藤本日潤御尊能化、寺族同心会会長・高野日海御尊能化、富士学林長・大村日統御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化をはじめ、宗会議長・土居崎慈成御尊師、宗務院の各部長・副部長、大石寺主任理事・佐藤慈暢御尊師、菅原支院長ほか、布教区内外の御尊師方が全国より多数御列席。また遺弟・遺族・親族の方々、法華講連合会より総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、河原平安支部講頭をはじめ支部・地方部・近隣寺院の法華講代表等が多数列席した。

午前10時、御法主上人猊下が本堂に御出仕。方便品、寿量品と読経を進められ、御法主上人猊下の御焼香に続いて順次、故上人の御霊前に御焼香を行った。長行を終えて読経は一旦止められ、弔辞へ移った。はじめに八木総監、続いて高野寺族同心会会長、菅原支院長、河原平安寺総代と、上人の穏和な中にも凛然と気品に満ち、接する者に温もりを感じさせる雰囲気をお持ちであられた御遺徳や宗門の重大事には毅然として範を示された行跡を讃える弔辞が続いた。さらに弔電が披露され、再び自我偈の読経・引題日・御回向と進められた。ここで御法主上人猊下の御弔句が参列者に披露され、平安寺副住職・岡崎法顕御尊師より、御法主上人猊下をはじめ、参列者各位に対し、丁重な御礼が述べられ、常妙院日澄上人の本葬儀は終了した。

御法主上人猊下御退座の後、11時半より、八木総監の御導師のもと、納めの御経が執り行われた。最後のお別れの準備が整うと、再び両上人がお出ましあそばされ、故上人の御遺体にお別れをあそばされ、続いて参列者全員もこれに連なり、故上人の尊いお姿に一同感激した。

その後、参列した僧俗がお見送りする中、正午に静かに出棺され、京都市内の斎場にて午後0時40分より、故上人の法類であられる御隠尊日顕上人猊下大導師のもと御火葬申し上げた。

御遺骨が平安寺に帰着し、午後2時より、御法主日如上人猊下が再び本堂にお出ましになられ、初七日忌法要が厳粛に執り行われた。これには御隠尊上人猊下が御出仕され、多くの御僧侶、寺族、信徒が参列された。読経・唱題・御回向と厳粛に進められた後、最後に岡崎御尊師より丁重な謝辞があり、故常妙院日澄上人の御葬儀の一切がとどこおりなく終了した。



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