<4〜8面>
先の西日本決起大会大成功から3週間後に当たるこの日、福岡・西九州・中九州・宮崎・南九州の5布教区の僧俗1万1038名が一望に会したこの決起大会には、立正安国論正義顕揚750年記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化、秋山日浄御尊能化をはじめ、宗務院各部の部長・副部長、九州決起大会運営委員長の斎藤善道御尊師、同運営副委員長の岩城永学御尊師、運営委員である各布教区の支院長他をはじめとする当該布教区全寺院の御僧侶方、また記念局副委員長の法華講総講頭・柳沢委員長、同委員の石毛副委員長、九州決起大会運営委員である当該地方部の地方部長、各支部信徒が参加した。
九州決起大会には、前夜から降ったり止んだりを繰り返す雪をものともせず、九州各地から僧俗が、九州開導の大志を持った妙寿日成貴尼が明治9年に第一歩を記した、ゆかりの地である小倉に大結集した。午前9時過ぎ、参加者が入場口前に並び、入場開始予定時間の10分前からの入場となった。各支部ごとのバスがドーム前に順次到着し、列を整え、支部旗を掲げて入場し、指定された席に着いた。
定刻午後0時40分、来賓並びに指導教師の御僧侶方、参加者一同がお待ち申し上げる会場に、御法主日如上人猊下、御隠尊日顕上人猊下が御入場あそばされた。両上人猊下が着席あそばされると、子供たちが舞台に登場して開会を宣し、第1部が開始された。
はじめに法華講連合会ブラスバンドが、「キングコットン」など3曲を演奏した。続いて福岡地方部の音楽隊が「唱えてゆこう妙法を」、宮崎地方部音楽隊が「チェンジ・ザ・ワールド」を披露。このあと、5布教区300名からなる婦人部コーラスが、法統相続になぞらえて選んだという「グリーン・グリーン」など2曲を、爽やかに、また元気に歌い上げた。この後、さらに西九州地方部音楽隊が「大空のファンタジー」、中九州地方部音楽隊が「双頭の鷲の旗の下に」を演奏し、会場の参加者は大きな拍手をもって熱演に応えた。
このたびの決起大会出演に当たっては鼓笛隊員のみならず、音楽を愛好する壮年・婦人、また、鼓笛隊への入隊年齢に満たない幼児等、総出での出場となった。また、会場の参加者は、舞台や大スクリーンに映し出される愛らしいポンポン隊等を見つめ、盛んに拍手を送った。
この後、4つの地方部音楽隊と連合会ブラスバンドの全員で「唱えてゆこう妙法を」を演奏、婦人部コーラスと共に会場が一体となって大合唱し、曲の最後に大きな風船が一般席後方から飛ばされ、会場の参加者の手によって前へ前へと送られた。音楽隊等が退場した後、御法主上人猊下、御隠尊上人猊下が御退場あそばされ、第1部は終了した。
休憩を挟んで、午後2時より第2部の開会となった。舞台上に御僧侶方、来賓等がお待ち申し上げる中、再び御法主上人猊下、御隠尊上人猊下が御入場あそばされた。
はじめに、女子部の指揮で「地涌讃徳」を合唱した。運営副委員長の藤野福岡地方部長が、「受け難き人界に生を受け、値(あ)い難き日蓮大聖人の仏法に巡り合い、今また値い難き『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に巡り合えた喜びに、一人ひとりが地涌の眷属としての誇りと使命を自覚し、御命題実現に向かって大躍進を必ず成す」と誓い、開会の挨拶とした。
次に体験発表に移り、普遍寺支部のT.K.さんが、地方都市にあって普遍寺支部が750世帯を数えるまでに成長できたのは、お寺での唱題を根本としてきたからこそ、そして、年輩者が多いがその先に親戚、子供など下種先を見出し年輩者の手足となって動いたことや、新入講者を支部の皆で育成してきたからと振り返り、今後は下種先の拡大に努めるのはもちろんのこと、明年一年間にわたり行われる記念総登山を成し遂げると決意を述べた。
ここで、リレー宣誓が行われた。各布教区を代表する少年部員5名が壇上に進み、演台にお立ちになられた御法主上人猊下に対し奉り宣誓文を読み上げた後、御法主上人猊下にその宣誓文を奉呈した。続いて青年部・婦人部・壮年部が、同じく宣誓の後、御法主上人猊下に宣誓文を奉呈。すべての宣誓文をお受けあそばされて後、御法主上人猊下より、「本日の九州決起大会を機に、各位皆様方には、決定して本年の誓願を達成し、もって明年、地涌倍増大結集の御命題を必ず達成されますよう願う次第であります。本日の盛儀をしっかりと胸に刻んで前進をしてください(趣意)」との御言葉を賜った。
次に柳沢記念局副委員長が激励に立ち、「我が宗門は宗祖日蓮大聖人様を御本仏と仰ぎ奉る唯一の正嫡である。大聖人様は三大秘法随一の戒壇の大御本尊、御一代の御化導を日興上人様に御付嘱あそばされ、法灯連綿756年、謗法厳誡、『立正安国論』の正義を少しも曲げることなく今日、御当代日如上人に至っている。今、その正義の顕揚の時を迎えて、真剣に御祈念し、唱題し、謗法を破折していくことが大事である」と語った。
続いて挨拶に立たれた八木記念局委員長は、御法主上人猊下、御隠尊上人猊下の御言葉を引かれて、「このたびの決起大会開催にかかわる運営委員会を中心とした交流は、組織戦展開に大いに寄与するところである。九州は遠く南北朝の時代から富士の正法に縁あり、近くは第52世日霑上人の御教導のもと、妙寿日成貴尼をはじめ、僧俗一体の大折伏を展開してきた由緒ある地である。実践三項目を着実に実行し、各々の折伏誓願目標を達成し、明年『立正安国論』正義顕揚750年の佳節に地涌倍増と精鋭7万5千の大結集、御報恩の記念総登山に全講員参詣を成し遂げよう」と述べられた。
ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。御法主上人猊下は、「この決起大会を機に改めて『立正安国論』正義顕揚の意義と今なすべきことを確認しなければならない」と仰せられ、『立正安国論』は、大聖人が日本国の上下万民が途端の苦しみに喘いでいる惨状を救わんとして為政者並びに万民をお諌めあそばされた折伏諌暁書であることをお述べになられた上、「正宗元年八月二十三日の大地震をはじめ、近年より近日に至るまで頻発する天変地天等の原因を、世の人々が皆正法に背き悪法を信じていることにより、国士万民を守護すべき諸天善神が所を去り悪鬼・魔神が便りを得て住み着き三災・七難等の災難が起こると、経証を挙げて理由を述べられ、これら謗法を退治して妙法を立つるとき、安寧にして磐石なる仏国土が出現すると仰せられる」と『立正安国論』の概要を御教示あそばされ、「大聖人の御正意を体して折伏を実践することが我々の使命である」と、甚深の御指南をあそばされた。
次に斎藤運営委員長が決意に立たれ、第1部の演目の一つひとつに込めた意義について解説され、「今大会を契機に、明年に向かって折伏躍進、休まずに進もう」と呼びかけられた。男子部の指揮で「広布に生きる」を会場が一体となって合唱し、閉会となった。御法主上人猊下並びに御隠尊上人猊下が御退場あそばされ、引き続き御僧侶方、来賓信徒が退場された。
会場の参加者は、大成功の決起大会に感激し、任務者の指示にしたがって整然と順序よく会場を後にし、帰途に着いた。なお、九州決起大会に先立ち決起大会を行った西日本決起大会参加の各支部では、折伏への弾みがついている。
『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節を明年に控え、もったいなくも総本山第68世御法主日如上人猊下、並びに第67世御隠尊日顕上人猊下の御臨席を賜り、御命題の「地涌倍増」と「大結集」の達成をめざし、本日ここ、北九州をメディアドームに一万名余の地涌の友が結集し、九州決起大会を開催いたします。
私たちは受け難き人界に生を受け、値(あ)い難き日蓮大聖人の仏法に巡り合い、今また、値い難き『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に巡り合えた喜びに、一人ひとりが地涌の眷属としての誇りと使命を自覚し、御命題実現に向かって大躍進を必ず成すぞと、決意を新たにするものであります。
大聖人様は『聖人御難事』に、「月々日々につより給へ。すこしも弛(た)ゆむ心あらは、魔たよりをうべし」(御書1397ページ)と仰せられております。「躍進の年」の本年こそ千載一遇の年である。そのことを深く自覚し、あらゆる魔を打ち破り、困難を乗り越えて、大躍進をしていこうではありませんか。
御法主日如上人猊下のもと、本日を契機に、さらなる僧俗の総力を結集し、異体同心、一致団結して、九州の全支部が平成21年の御命題を完全勝利するため、勇猛果敢なる折伏に次ぐ折伏で「躍進の年」の大勝利を、固くお誓い申し上げ、開会の挨拶といたします。
3月度広布唱題会の砌
いつも申し上げていることではありますが、日顕上人猊下から賜った御命題、地涌倍増と大結集は、広宣流布の闘いを進めていく上で、我々がなんとしてでも達成しなければならない大事な目標であります。この目標達成のために本年は、特に大佳節の前年に当たるところから「プレ大会」として、全国4カ所において「地涌倍増大結集推進決起大会」を開催することになり、既に2月3日には京セラドーム大阪において「西日本大会」が行われ、続いて2月24日には北九州メディアドームにおいて「九州大会」が、いずれも大成功裡に開催することができました。
西日本大会におきましては、結集目標3万5千名のところを、当日の雪混じりの悪天候にもかかわらず、四国、静岡を含めた西日本各地から3万3017名の同志が結集し、盛大に大会を開催することができました。また九州大会では、結集目標1万名のところ、要員・出演者等を除いて1万113名の方々が結集し、要員等を入れますと1万1千名以上の方々が、遠くは石垣島をはじめ九州各地から馳せ参じ、すばらしい大会を開催することができました。
特に、九州大会の場合、参加したすべての布教区が結集目標を上回り、100%以上の結集結果を出したことは、まさしく完全勝利と言ってもよいと思います。これもひとえに運営委員長をはじめ運営委員の方々、ならびに案内・整理・誘導・受付・警備等のスタッフの方々が、僧俗一体となって大会に取り組んでこられた、ひたむきな努力のお陰であります。また、各支部法華講の同志が指導教師・講頭のもとに、僧俗一致、異体同心、一致団結して大会に臨んでこられた結果であろうと、心からの賛辞を贈る次第であります。まことにおめでとうございました。
また、本日ここにお集まりの方のなかにも、西日本大会に参加された方が多いことと思いますが、特別布教区をはじめ総本山周辺の支部の方々が、いつもは迎える立場から、行く立場になってこの大会に臨んだ結果、当初の結集目標を突破し、さらに積み上げて出された結集目標の100%近い結果を出されたことは、皆様方が一軒一軒、家庭訪問を繰り返し、推進されてきた地道な闘いの結果であり、これによって立場を変えて、遠方からはるばる総本山に来られる方々への思いが良い意味で参考となり
、これからの闘いにとって大事な異体同心の大切さを経験されたのではないかと思います。本日ここにお集まりの皆様、さらにまた、特別布教区ならびに近末の方々、本当に御苦労さまでございました。
大聖人様は『三大秘法抄』に、
と仰せであります。すなわち、自行のためだけに題目を唱え、化他のために説かざるは「理行の題目」であると仰せられているのであります。つまり、折伏を行じないということは、大聖人様の御正意に反し、爾前述門の題目を唱えていることになるのであります。爾前述門の題目では、我々は成仏いたしません。
また『聖愚問答抄』のなかには、
と仰せであります。
さらに『南条兵衛七郎殿御書』のなかには、
と仰せであります。
さらに『曾谷殿御返事』には、
と仰せであります。
さらに『妙法比丘尼御返事』には、
と仰せであります。
いずれも厳しい御教示ではありますが、しかし、これは裏を返せば、折伏を行ずる者はその福、まことに計り知れない広大なるものがあることを示されているのであります。折伏は、相手を救うことはもちろんでありますが、自らも境界を高め、大きな功徳を積むことができるのであります。
また、折伏は理屈ではなく実践であります。世間の諺にも「打たぬば鳴らぬ」と言います。鐘にしろ太鼓にしろ、そこにあっても打たなければ鳴りません。折伏も同様であります。折伏を行じてこそ、広大なる功徳を得ることができるのであります。
いよいよ『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節まで、あと1年。皆様方には西日本大会、九州大会の大勝利の感動と感激をもって、一意専心、御命題達成へ向けて大折伏戦を展開され、もって明年の大佳節には、仏祖三宝尊ならびに御命題をくだされた日顕上人猊下に、晴れて達成を御報告申し上げられるよう心から念じ、本日の挨拶といたします。
勝頼は味方に背かれて――日殿の呪いの恐ろしさを示すように、日殿憤死後の24日目、勝頼はまず自界叛逆の難に遭遇している。即ち、3月1日には駿河口の主将である江尻の城主・穴山梅雪が家康の甘言に乗って勝頼に背き、梅雪は勝頼の姉婿であるのにかかわらず雨夜に紛れて甲府の妻子を盗み出すということがあり、駿河口は完全に家康の手に堕ちていたのである。江尻は今の静岡市に合併されているが、今でもここから富士河を伝って甲府に行くのである――武士としては情けない山中での自尽は仏罰と言うべきではなかろうか。
勝頼の最期は二箇相承紛失の仏罰とするが、筆者のこじつけと思う読者は以下の文献を読んでいただきたい。即ち勝頼の父武田信玄については大石が原の仏法に敵対する大罪至極なりと、『富士宗学要集』「有師物語聴聞抄佳跡 上」にあるので、ここに引用しておく。
信玄は過去には少し親孝の心があって、再び人間に生ると言へども、身に八逆罪を犯した。第一に父信虎公を追い出し、吾が子を殺す。一門を亡し仏神を焼く、なかんずく永禄12年2月7日北山本門寺の堂を焼き、同6月には大石寺の堂閣を焼き僧衆を責めさいなんだ。あまつさえ永禄13年信玄出陣にさいし大石寺の境内を以て陣屋となし、根方興国城を攻めた。然る処、8月12日大風大波立ち寄って原吉原の道で源氏重代の八幡の旗を津波にとられ、軍勢を沢山ながされた。信玄は近習の侍のみとなり、此の大石が原を逃げ帰った。終に甲府に入る後、出づることなくて死去し終はる
されば信玄が本生は、曽我の五郎であって、大石が原で祐経を討って孝の一分に似たれども実の孝に叶はず。故に悪人なる信玄を生ずるに至り、罪障を重ぬ、此の大石が原の仏法(大石寺の正法)に敵対する大罪至極なり、何ぞ浮ぶ時あらんや。後代の為に之を記し置く。異に武田軍記・甲陽軍記・信長軍記等の如し。(趣意、第1巻197ページ)
この文によれば、信玄は身延山より大聖人の聖教を奪ったとある。勝頼の名を以て二箇相承を奪うのも偶然ではなく、親の因果が子に報うということであろうか。親子2代に渡って、大石が原の仏法に敵対したことは、恐ろしい結果を招来したと言うべきである。
世は戦国時代で、国を盗ったり、盗られたりした時代である。勝者は敗者を殺す権利を持っていた時代である。品物の所有権は常に勝者にあった。一国の領主が変わると、自分の所有物でも確認して貰わぬば所有権が成立しない。寺の宝物、什物も、領主が変わる度毎に、寺側から宝物什物を書き上げて領主に確認してもらって安堵の胸をなでおろすのである。その公認の文書を「安堵(あんど)下文(くだしぶみ)」というのである。
大石寺の長持にこの下文が十数葉保存されて当時を物語っている。こんな調子であるから、明らかに重須所有の二箇相承であっても、一度それが、たとえ謀略であっても西山の所有に帰すと、これを実力で奪い返す以外には、その手段がなかったのである。故に北山の宗徒が西山本門寺を焼くというような事件も起きたのである。
この辺の事情が納得されると、富士年表に載せる「天正十年十月二十八日 徳川家康の臣・本多作左衛門、武田方押奪の宝物を取り返し、西山本門寺に寄進す」という事項がやや了解されるのである。北山本門寺には宝物を返さないで西山本門寺に寄進というところに着目すると、西山本門寺に実力があったのであろう。本多作左衛門は歴史辞典によると、【本多重次】(1529〜96)安土桃山時代の武将、天文4年より徳川清康に仕え後、広思、家康に歴仕、永禄8(1565)年3月7日奉行となり、鬼作左の名を得、諸方に転戦とある人である。
九州決起大会に1万1038名結集で完全勝利
異体同心の各演目
御指南賜り明年への決意新た
■開会挨拶 運営副委員長 藤野真人
平成20年3月2日 於 総本山客殿
本日は、3月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。本年も瞬く間に3月を迎えましたが、皆様には、来たるべき「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題、「地涌倍増」と「大結集」、さらに「記念総登山」の達成を目指して日夜、御精進のことと存じます。
そもそも、この決起大会はプレ大会として、明年の大佳節における御命題、地涌倍増と大結集、そして記念総登山の達成を顕して行われるものであり、決起大会と名付けた意義もそこにあるのであります。したがって、この決起大会のあとの闘い、すなわち明年へ向けての御命題達成の闘いが極めて大事であります。つまり、今、宗門はすべての闘いの焦点を御命題の地涌倍増と大結集、そして記念総登山に合わせて闘っているのであります。このあとは、一人ひとりがこのことをしっかりと念頭に置いて闘っていくことが最も肝要ではないかと思います。
題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行ばかりにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行・化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。(御書1594ページ)
今の世は濁世(じょくせ)なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ、正法弘まりがたし。比の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(同403ページ)
いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにも責めざれば得道ありがたし。(同322ページ)
謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。(同1040ページ)
仏法の中には仏いましめて云はく、法華経のかたきを見て世をはゞかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし。(同1262ページ)
大東院日明著
彼の寺(甲州の大泉寺)は武田信玄公の祈願所なり。信玄の本生は曽我五郎時敦の再生である。大泉寺には日蓮大聖人の聖教が多い。これは信玄が身延山より奪ってきて納めたもので、金泥の法華経一部もあった。大泉寺の寺内には池があって富士見の池と言って、常に富士山の影を浮べるので、かく名づけられている。比の池より流れる川水を富士川と言うのである。
とある。