大白法

平成20年4月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉

4月度広布唱題会の砌
平成20年4月6日 於 総本山客殿


 本日は、総本山の4月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでこざいます。

 今、宗門は、いよいよ明年に迫った『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節へ向かって、僧俗一致の態勢のもと大前進をしております。こうしたなかで、御命題の「地涌倍増」と「大結集」、そして「記念総登山」の達成を期して、全国4カ所で「地涌倍増大結集推進決起大会」を開催することになり、既に、2月3日には京セラドーム大阪において「西日本大会」が、2月24日には北九州メディアドームおいて「九州大会」が開催され、いずれも大成功裡に決起大会を行うことができました。

 これも各運営委員長をはじめ関係各位の並々ならぬ御尽力の賜物と、改めて厚く御礼を申し上げるものであります。この後、決起大会は、今月29日に北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナにおいて「北海道大会」が、そして6月15日には埼玉スーパーアリーナにおいて「東日本大会」が行われる予定であります。いずれも大成功裡に行われるものと堅く信じております。


 さて、今月は皆様も御承知のとおり、宗旨建立の月であります。久遠元初の御本仏宗祖日蓮大聖人が末法に御出現あそばされ、宗旨を御建立あそばされた理由は、『諌暁八幡抄』に、

今日蓮は、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安三年十二月に至るまで、二十八年が間また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんと励むばかりなり。此即ち母の赤子のロに乳を入れんと励む慈悲なり。(御書1539ページ)

と仰せられている如く、御本仏としての大慈大悲をもって、末法の一切衆生をして「妙法蓮華経の七字五字」を唱えせしめ、もって即身成仏の本懐を得せしめ給うためであります。

 また『報恩抄』には、

日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にも勝れたり。(同1036ページ)

と仰せであります。すなわち、南無妙法蓮華経の広大なる功徳は、ただ御在世のみに止まらず、末法万年、尽未来際に至るまでにも及び、一切衆生を救済あそばされるのであります。

 また、この御文中、「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」と仰せでありますが、その元意は日本のみに止まらず、全世界、一閻浮提の一切衆生を指しているのであります。つまり、大聖人様の仏法は全世界、一閻浮提の一切衆主を末法万年・尽未来際に至るまで救済あそばされるところの大法であります。

 そもそも、仏様は御自分お一人だけが悟りを開かれて満足するために、この世に御出現あそばされたわけではなく、一切衆生を救済あそばされるために、この世に御出現あそばされたのであります。したがって、その仏様の心を心として、仏様の意にかなう信心をしてゆくところに我らの仏道修行の本意が存し、我らの即身成仏につながることになるのであります。反対に、仏様の意にかなわなければ、いくら信心をしていても即身成仏の本懐はかなわないということになるのであります。


 では、大聖人様の御意にかなう正しい信心とは、いかなる信心か。結論的に言えば、大聖人様の御化導の御正意を正しく拝し、身軽法重・死身弘法の精神をもって一意専心、大聖人が御遺命あそばされた広宣流布を、身をもって実現していくことが大聖人のお心にかなう最善の信心であります。

 大聖人様は『種々御振舞御目』に、

法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり。和党ども二陣三陣つゞきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし。(同1057ページ)

と仰せであります。

 大聖人様の御一代の御化導の御正意は末法の一切衆生救済にあり、御自ら身軽法重・死身弘法のお振る舞いをもってその範を示され、もって「和党ども二陣三陣つゞきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし」と仰せられているのであります。まさしく、御本仏大聖人のお振る舞いを拝するとき、我ら一同、敢然としてそのあとに続き、折伏逆化(ぎゃっけ)の闘いに挑んでいかなければならないのであります。

 大聖人は『撰時抄』に、

一Hあつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一H一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。(同868ページ)

と仰せであります。

 この御金言の如く、大聖人の御意のままに折伏逆化の闘いに参ずる者は、初めはたとえ少なくとも、一人ひとりが意志を強く持ち、異体同心、一致団結していけば、必ず広宣流布は達成できるのであります。

 「意志のある所には道がある」という言葉がありますが、何がなんでも成し遂げようという断固たる決意があれば、何事もできないことはないのであります。折伏も同様であります。今こそ本宗僧俗は大聖人の弟子・檀那として、大聖人の御意のままに一切衆生救済の誓願に立ち、断固たる決意をもって、大折伏戦を展開すべきであります。その断固たる決意は、大御本尊様に対する確信、すなわち絶対信から生まれるのであります。

 大聖人は『兄弟抄』に、

設(たと)ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、ただ法華経の事のみさはぐ(思索)らせ給ふべし。(御書987ページ)

と仰せでございます。一切のわだかまりも、障害も、苦悩も、内外の魔も、すべて題目によって粉砕し、勇猛心をもって折伏に励むところには、おのずと成果はついてくるのであります。もし折伏ができないとすれば、それはまだ、我々の努力、信心が足りないことを知るべきであります。何事も「為せば成る」との決意が肝要であります。

 御命題達成まで残りあと一年、どうぞ皆様には本年「躍進の年」にふさわしく、御命題達成へ向けていよいよ勇猛精進だされますことを心から願い、本日の挨拶といたします。




体験発表 『懸命に捜索した実母を正法へ導く』
平安寺支部 S・A


私は昭和51年、創価学会員である叔父夫婦により折伏を受けて入信しました。入信当初は、男子部牙城会の中で活動に励んでおりましたが、あるとき、男子部県幹部の指導に疑問を持ち、それ以後は活動することなく年月が流れました。

平成14年2月頃、かつての会社の同僚であった中島地区長から創価学会の謗法を聞かされ、また、同僚時代よりの変化を感じた私は、平安寺にて勧誡を受けました。その頃仕事の面での悩みもあり、朝詣りを始めましたが、毎日はなかなか続かず、行ったり行かなかったりでした。他には御報恩御講にお詣りする程度で3年ほどが過ぎていきました。


折伏するしかない

しかし、一昨年の11月頃、仕事上のトラプルで追いつめられ、憔悴(しょうすい)しきっていた私の異常さを感じた地区長より、温かい励ましと共に、一本のビデオを見せられたのです。それは妙観講の青年実業家の方の体験でした。何回も事業に失敗し、借金だらけの中で入信したものの、折伏だけはビッグになってからしかしない、できないと思っていた彼が、年末の支払いに追われ、崖っぷちの中で恐る恐る折伏を始め、一人、二人と入信に導き、とうとう年間百世帯もの折伏成果を上げることになった。また、その功徳で事業も成功を収め、何店舖にも拡大し、海外にまで営業所を持つようになったという内容でした。

私も学会員の頃より折伏は自分が成功してからでなければできないと思っていました。しかし、この青年実業家が当時の自分と重なり、この体験に感銘を受けた私は「折伏するしかない。よし、何とか折伏して自分もこの苦境を乗り越えよう」と決意しました。

まずは私を折伏してくれた叔父夫婦の折伏を始めました。最初はなかなか一言が出ませんでしたが、話をしているうちにだんだん気持ちも判って、幾度となく訪問をしていますが、未だ結果が出ていません。

年は新しく「行動の年」へと替わり、地区の折伏目標を聞いて、みんなががんばり始めるのを見て私も発奮しました。その頃、長年の友人であった長谷川さんに久しぶりに会い、共通の友人を、福井県まで見舞いに行くことになったので、その車中で折伏を始めました。今は亡き長谷川さんのお母さんも奥さんも、熱心な学会員で、家庭を顧みずに学会活動に明け暮れていた姿を目の当たりにしていた長谷川さんは、信心に抵抗があったようでした。しかしその後、我が家に食事に誘い、いろいろ話をしていくうちに、「進ちゃんを信じてみるわ」と入講を決意され、2月21日に無事、勧誡を受け、御本尊様を御安置できました。

また、3月には30年ぶりの総本山にお連れしました。長谷川さんは聞いていた話とは全く違う総本山の荘厳さに、感動と涙のご登山になりました。

このような折伏の姿を見ていた我が家の次男が、「お父さん、僕も幸せになる人生を歩んでいきたい」と言い出し、勧誡を受けました。この次男にはいろいろ悩まされた時期もありましたので、親としては、信心する道を歩ませることができ、本当に嬉しく思いました。次は、長男の会社の従業員で、いつも私を「おやっさん、おやっさん」と親のように慕ってくれている古谷君を折伏しました。古谷君は長谷川さんや次男のことなど見ていて、「おやっさんが言うのなら僕もちゃんとしていきたい」と入信を決意し、2月25日に無事、御本尊様を御下付して戴きました。


消息不明の母を探し当て再会

こうして、次々と身近な人を日蓮正宗に導くことができました。でも、私にはまだ、どうしても気になる人がおりました。それは実の母です。その母は私が6歳のとき父と離婚して、別の男性と再婚しました。子供がいたのですが、定職にも就かず行方不明になり、さらに10年程前から母自身も病気になり、入退院を繰り返すようになっていたのです。そして、7〜8年前から連絡が途絶え、病院からの知らせもないため消息が判らなくなっていたのです。

このことが心配になった私は、元入院していた病院を尋ねたところ、個人情報保護法により一切教えられないと言われてしまったのです。「身内じゃないですか」と談判しても聞き入れてもらえず、役所に行っても同じで、途方に暮れました。仕方なく元住んでいた借家の大家さん、地区の民生委員、介護のケアーマネージャー、知人と、思い当たる限り手を尽くして探しましたが結局見つかりません。血のつながりを証明しなければと、母の出生の戸籍謄本、父との婚姻の戸籍謄本をあげに和歌山県の役所、京都市大原の役所と、今度は役所回りで、いつになったら母の居どころが判るのかと悔しい思いで一杯でした。

母も叔父夫婦に折伏されてまだ創価学会員のままでいるのです。残り少ない人生を、このまま学会員で終わらせることはできないと思い、御題目を唱え、祈っては証明書類を持って捜しました。そして、今は大阪府の河内長野市の病院にいること、身内がいないということで先に亡くなった再婚相手の遺骨も持ったまま、病院を転々としていることなどが判ったのです。

早速、面会に行くと、看護師さんが、「息子さんが来られましたよ」と母に声をかけてくれましたが、母は声にならない声で、「私には息子はおりません」と、何とも寂しそうな姿で言っていました。もう一度看護師さんが、「息子さんですよ」と言われると、片方しか見えない目でじっと私を見つめて、驚いたように、「進ちゃんか」と言って、安心した様子でした。

目の片方は腫れて、手足は痩せ細り、全身をこわばらせ震えて、まさに地獄絵図と同じような姿に、近づくのも怖いような形相でした。しかし意識はしっかりしていたので、正しい信心の大切さを話し、残りの余生を少しでも楽になれるように、私の持っていた数珠を渡しました。大石寺を思い少しでも罪障消滅を願って御題目を唱えることと、亡き夫の納骨ができるように勧誡を受けることを母は約束してくれました。こうして、何とか勧誡が受けられるように病院の許可を取り、当時の副御住職・岡崎法顕御尊師の御指導を受けながら御本尊様に祈りました。

母は以前の怖いような形相が、2回目の面会のときには、何とも穏やかな顔になり、手足の震えも治まりました。食事のとき、看護師さんに「息子さんにスプーンを使うて食べられるようになったの見せてあげて」と言われて、自分でできるようになっていたのです。家内も、「昔と変わらへんや」と言い、私は御題目のすごさにただ驚くばかりでした。

母の体調を考え、6月16日に車にベッドを作り、病院へと迎えに行きました。お寺の方でも時間的なことを配慮してくださり、無事に勧誡を受け、納骨も済ませることができました。


功徳を感じてさらなる決意

納骨後、長年疎遠になっていた弟である叔父夫婦と涙の再会も果たせました。叔母から、「小さいとき放って行った母に、どうしてそれだけのことをしてあげるのか」と尋ねられましたので、「今、自分にできることは正しい信心につかせて、成仏させてあげることである」と話しました。

この叔父も体が悪く、早く決断をするように家内と共に重ねて折伏しております。最近、私はこの叔父を車イスに乗せて総本山へ行っている夢を幾度となく見ます。そのことを話すと、叔父の表情も崩れるのです。次は、何とかこの叔父夫婦を、一日も早く正しい信心に目覚めさせて大御本尊様の元へお連れする決意をしています。

一方、仕事上でも唱題、折伏の功徳により、助けていただける人もでき、今では公私ともに安定しました。家内も今では、朝夕の勤行・唱題をするようになり、共に朝詣りも続け、家の中は信心を中心として団結するようになってきました。また、私も時間が許す限り添書登山をして、大御本尊様に御目通りさせて戴いております。

私自身も以前とは変わって、感謝の御奉公の誠を尽くしてまいる大切さを感じております。今日までの変化は、たいへんな功徳と思っております。しかし、まだまだ罪業深き身ゆえに、越えていかなければならない問題は次々と押し寄せてきます。

『四条金吾殿御返事』の「受くるは易く、持つは難し。さる間、成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)うべしと、心得て持つなり」(御書775ページ)との御金言を片時も忘れることなく、ただただ「南無妙法蓮華経」と唱え奉り、明年の大結集に向けて、一人でも多くの眷属と共に参加できるよう折伏に邁進することを決意し、私の体験発表といたします。



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