大白法

平成20年6月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


back      index      next



中華民国台湾桃園県に布教所が開所
台湾に8番目の法城


5月25日、台湾桃園県桃園市において、台湾第8番目の法城となる日蓮正宗桃園布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師の御導師のもと晴天に恵まれ、厳粛かつ盛大に奉修された。これには、宗会議長の護国寺住職・土居崎慈成御尊師をはじめ有縁の御尊師方が来賓として御出席。また台湾全土からは、本興院主管・石橋頂道御尊師をはじめ台湾全寺院の御尊師が御出席され、さらに地元信徒を中心に約1,000名の信徒が参詣し、共々に新布教所の誕生を慶祝した。

法要は、2回に分けて執り行われた。第1回目は現地時間午前10時より、主に台北市近郊の信徒が参列して、漆畑海外部長の御導師のもと、御本尊御開扉・献膳・読経・唱題と如法に奉修された。式の部に移り、石橋御尊師の経過報告に続いて、漆畑海外部長より祝辞並びに新責任者の紹介があった。その中で漆畑部長は「今日以後、宮下道法新責任者の指導のもと、桃園地域のご信徒が僧俗一致して、桃園地域の広布のため、また台湾広布のため、さらには世界広布のため精進し、一層堅固な広布の牙城を築き上げていただきたい(趣意)」と述べられ、台湾広布のさらなる進展に期待を寄せられた。

続いて、布教所不動産物件並びに内装工事費の一切を御供養した陳夫妻に対し、感謝状と記念品が贈呈された。次いで土居崎御尊師と勝妙寺住職・野村光照御尊師、林徳晃講頭から、それぞれ祝辞が述べられた。最後に初代責任者に就任された宮下新責任者から丁重な謝辞があり、法要はとどこおりなく終了した。法要終了後、代表者による記念撮影が本望で行われた。

第2回目の法要は午後2時より行われ、これには桃園地域の地元信徒が多数参列した。法要は午前の部と同じく如法に奉修され、式の部では、経過報告、海外部長の祝辞並びに新責任者の紹介に続き、本修寺住職・菅原信法御尊師と蓮行専任職・藤田起道御尊師、許童栄副講頭からそれぞれ祝辞が述べられ、謝辞をもって、法要はとどこおりなく終了した。

夕刻には、市内のホテルに会場を移し、約440名の僧俗が一堂に会して記念祝賀会が行われ、待望久しかった新布教所開設の喜びを分かち合った。

なお桃園布教所は、台湾北部桃園県の県政府所在地・桃園市の中心地に位置し、台湾の空の玄関口・桃園国際空港から車で30分、桃園駅からは徒歩3分の交通至便な所にある。建物は、鉄筋コンクリート造18階建ビルの8階全フロアを使用しており、約210坪のフロアに、椅子席で500名収容の本堂並びに受付、事務所、会議室等を備えている。これまで台北市・本興院の管轄地域の中で最も遠隔地にあった桃園地域の信徒約2,200名にとっては、新布教所開設の喜びは計り知れない。




御法主日如上人猊下御言葉



第7回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会の砌
平成20年6月10日 於 宗務院大会議室


 本日は、第7回立正安国論正義顕揚750年記念局委員会に当たりまして、各委員の方々にはお忙しいところをお集まりいただきまして、まことに有り難うございます。今日の主な議題は、お手元の書類に記載されておりますように、事業報告ならびに決算についてであります。よろしく御審議をいただきたいと思います。

 今、宗門は各種の記念事業に着手をしておりまして、御影堂の大改修工事も今のところ順調に進んでおります。本日は、その様子をスライド等で紹介したいと思います。これは、なかなか時間のかかる事業ではありますけれども、県の指導を受けながら、着実に工事が進んでいる状態であります。また、塔中の建て替え工事につきましては、皆様方もその目で御覧になっていらっしゃると思いますけれども、これも順調に進んでおりまして、本年12月までには当初予定の工事は完了するものと思われます。どうしても明年度に伸びる工事もありますが、予定された塔中の建て替え工事等につきましては、順調に終了する予定であります。これらもまた、皆様方の御協力、また各寺院、そしてまた各寺院の法華講の方々からの尊い御供養の賜物であると、この席を借りまして皆様方に厚く御礼を申し上げる次第であります。

 御承知のとおり、私は本年度、二つの達成目標を提示させていただきました。一つはプレ大会といたしまして全国4カ所で「決起大会」を開催するということであります。これは「西日本大会」から始まりまして、そして「九州大会」「北海道大会」と、お陰さまでいずれも大勝利に終わることができました。5日後の15日にはいよいよ最後の「東日本大会」が控えておりますが、これらも運営委員長をはじめ各委員の方々の御尽力によりまして、本当にみんなが力を合わせて、有終の美を飾るべく努力をしておられるという報告が、私のところに来ております。したがいまして、これも必ず勝利を収めるものと、このように存ずる次第であります。

 もう一つ掲げましたのは、本年度の各支部の誓願、つまり折伏誓願でありますが、これはすべての支部が必ず達成しようということを提示させていただいたのであります。この御命題達成のポイント、つまり「地涌倍増」とは折伏でありますから、我々はこの折伏を片時も忘れてはならないと思うのであります。特にプレ大会で勝利し、そしてその歓喜と感動と勢いをもって、是非とも後半戦に入って大折伏戦を展開lしていただきたいと、このように思う次第であります。

 思うに、我々の心掛けと申しますか、考え方の一つに、我々自身がきちんとギア・チェンジしていかなければいけないのではないかと思います。要するに結集の闘いと、それから外へ向かっての折伏の闘いとでは随分、違うのではないかと思うのです。戒壇の大御本尊様を信じている方々に対して「どこどこに集まろう、お山に集まろう」という結集の闘いは、もちろんそれも大変なことであります。大変ではありますけれども、折伏に比べれば少し違うものがあると思います。折伏は、まさに敵のまっただ中に在って、あらゆる非難を浴びながら行うのでありますから、どうしてもパワーが必要であります。そこで、我々自身がギアを切り替えて立ち向かっていかなければならないのではないかと、このように私は存ずる次第であります。

 折伏ということは、本当に難事中の難事であります。それは大変なことが解ります。しかし、日顕上人からいただいた御命題はなんとしてでも達成するという、そういう心を持っていただくと同時に、今、申し上げましたように、考え方を変えていっていただきたい、ギア・チェンジしていってもらいたい、このように思う次第であります。私は時々このような譬を申し上げているのですが、言うならば、結集の闘いというのは内海のなかの闘いだと思うのです。波は立つけれども、なんとか乗り越えていけます。しかし、折伏は外海の、つまり本当に荒海のなかでの闘いだと思うのです。思わぬ大波が来ることがたくさんあるのです。ですから、こういったことを心得ていただきたいと存ずる次第であります。

 もちろん折伏だけではありませんし、達成すべきものはまだまだたくさんあります。「大結集」もそうでありますし、そしてまた「記念総登山」もそうであります。あるいは「二兎を追う者は一兎をも得ずで、両方は無理だ」とおっしゃるかも知れませんが、我々の信心はそうではないと思うのです。大聖人様がお示しくださった信心は自行化他にわたる信心でありますから、もし「二兎を追う者は一兎をも得ず」などと、世間体の話を我々の信心のなかに持ち込んできて云々するようであれば、私はそれは間違いだと思うのです。我々の信心はあくまでも自行化他にわたる信心であります。これは御本仏大聖人様が我々に御指示くだされた、大事な御教示でありますから、このことを心していくならば、我々は結集の闘いも折伏の闘いも、共にやらなければならないと、このように存ずる次第であります。

 特に最近の世情は本当に混沌としておりまして、つい先日も、秋葉原で無差別の殺人事件が起きております。そのほか色々な事件が起きております。外国ではミャンマーのサイクロン、中国での大地震、こういった現状を目の当たりにしたときに、我々が今、なすべきことは一体なんなのだということであります。我々のできること、大聖人様の信仰に生きる者としてできることは、やはり折伏ではないかと思う。地道であっても一人ひとり、大聖人様の仏法を下種結縁して折伏すること、世間体のこととしてではなくして、我々はもっと信仰的な視点の上からこれを考えるべきではないかと、私はつくづく思う次第であります。

 そういう意味におきまして、是非ともこの後半戦、皆様方の協力のもとに御命題達成に向けての大前進をしていっていただきたいと思います。私も皆様方と共どもに闘っていく決意であります。どうぞ、この意をお酌み取りいただきまして、本日お集まりの方々にはよろしくお願いをする次第であります。



6月度広布唱題会の砌の砌
平成20年5月31日 於 総本山客殿


 皆さんこんばんは。本日は、総本山における6月度の広布唱題会に当たりまして、法華講夏期講習会第2期に参加の皆様を含め、多数の方々が参加され、まことに御苦労さまでございます。

 本来であれば、この広布唱題会は、毎月第一日曜日に行われることになっておりますが、本日は総本山におきまして法華講夏期講習会が開催中でございますので、一日繰り上げてただいま執り行った次第でございます。

 さて、「地涌倍増大結集推進決起大会」も、去る2月3日、大阪・京セラドームにおいて行われた「西日本大会」をはじめ「九州大会」「北海道大会」と、いずれも大勝利のもとに行われ、いよいよ、あとは「東日本大会」を残すのみとなりました。東日本大会も、僧俗一致の態勢のもとに、必ずや大成功裡(り)に開催されるものと確信しております。

 御承知のとおり、この決起大会は、明年の「地涌倍増」と「7万5千の大結集」の御命題、そして「記念総登山」の達成を期して行われるものであります。したがって、この決起大会を単なるイベントとして終わらせてはならないのであります。各地域において僧俗一致の上に勝ち取った決起大会の感動と大成功を次の闘いに活(い)かしていかなければ、決起大会を開催した意味がありません。

 もちろん、決起大会以後、既に本年度の折伏誓願目標を早々に達成した、そしてまた大きな成果を上げている支部もありまして、全国的にもその気運は高まっており、各支部ともに、このあと果敢なる大折伏戦を展開して、本年度の誓願はすべての支部が必ず達成されていくものと思っております。否、今こそ我々は全力を傾注して、一切衆生救済のために大折伏戦を敢行していかなければならないのであります。

 今日、日本乃至世界の情勢を見ますると、国内では、凶悪で悲惨な事件や事故が頻発し、政治も経済も、あらゆる面で不安定で混沌とした状況であります。また、国外に目を転ずれば、ミャンマーでのサイクロン、あるいは中国四川省の大地震、こうした天変地夭(てんぺんちよう)の惨憺(さんたん)たる現状を見る時、我々はけっしてこれらを無視して過ごすことはできません。我々は、大聖人がかねてお示しあそばされた『立正安国論』の原理に基いて、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を、日本はおろか、世界中の一人でも多くの人に下種結縁し、折伏を行じていくことが今、なすべき最大事であろうと存じます。

 しかし、当然のことのように、こうした天変地夭等の災害や災難が積み重なり、人心が極度に荒廃をする末法濁悪の世に正しい仏法を弘めていこうとするならば、あらゆる魔が競い起こってくることは必定であります。

 法華経勧持品には、「仏の滅度の後の/恐怖(くふ)悪世の中に於て/我等当(まさ)に広く説くべし/諸の無智の人の/悪口罵詈(めり)等し/及び刀杖を加うる者有らん/我等皆(みな)当に忍ぶべし」(法華経375ページ)と、このように仰せであります。また同じく勧持品には、「濁劫悪世の中には/多く諸の恐怖有らん/悪鬼其の身に入って/我を罵詈毀辱(きにく)せん/我等仏を敬信して/当に忍辱(にんにく)の鎧を著(き)るべし」(同377ページ)と仰せであります。

 私達はいかなる障魔や諸難が襲い来ようとも、忍辱の鎧を着て難を恐れず、一歩も退くことなく難に立ち向かい、難を乗り越える強盛なる信心をもって広布の願業達成を目指して、力強く前進をしていかなければなりません。それが、あらゆる難を打ち払う秘策であることを我々はよく知るべきであります。

 すなわち『開目抄』には、「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし」(御書574ページ) と、このように仰せであります。

 『兄弟抄』のなかには、「設(たと)ひいかなるわづら(煩)はしき事ありとも夢になして、只(ただ)法華経の事のみさはぐら(思索)せ給ふべし」(同987ページ)と仰せであります。この御金言の如く、大御本尊様への大確信を持って自行化他の行業に励むところ、必ず諸難を打ち破ることができるのであります。

 『御義口伝』には、「難来たるを以て安楽と意得(こころう)べきなり」(同1763ページ) と仰せであります。こうした泰然たる強盛なる信心があれば、難を恐れることはないのであります。

 また、『新尼御前御返事』には、

末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとく踊らむ。大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖を手ににぎらむ時、 諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆(みな)死して無間地獄に堕つること雨の如く繁からん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、 諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記し置かせ給ひぬ。(同764ページ)

と仰せであります。

 何があろうとも、私達は大御本尊様への絶対信を持って、「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給ひぬ」との御金言を心肝に染めて、あらゆる災難を防ぐためには自行化他の行業に徹すべきであることをよくよく銘記し、これからの大折伏戦に勇気をもって臨んでいただきたいと存じます。

 皆様方のますますの御精進を心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。




体験発表 『浄土真宗の住職を辞めて真実の仏法の道に』
本地寺支部 M.Y.


第16回北近畿地方部総会、まことにおめでとうございます。ただ今紹介を受けましたYと申します。私はこの3月の末まで浄土真宗西本願寺派の僧侶で、江戸時代後期から150年間続くKという寺の住職をしておりました。そんな私がこの総会で体験発表しているのですから、自分でも何が起こったのかと思っております。


妻が求めた家族皆の幸せ

入信のきっかけは、妻が、私が家族のことも忘れて念仏僧侶の仕事と寺を守ることばかりに明け暮れている姿を見て、いつも嘆き悲しんで、苦しんでいたことでした。

ある日のこと、妻は友人の宮本さんに人生の相談を始めました。でも、宮本さんは、「あなたの悩みを解決するには、教えてあげたいけど、もし、あなたに私が教えたら、あなたの家がひっくり返るかもしれんのよ」と言われました。でも必死だった妻は諦(あきら)めませんでした。「どうしても教えてほしいの」と願ったのです。そうしたら宮本さんは、こう言われたそうです。「間違った宗教には害毒があるのよ。あなたの家はお寺で、念仏の教えの場所やで。そこでは絶対に救われることはないのよ」と。「え、宗教の害毒」と、妻は一層落ち込んで悩んでしまいました。

でも妻は、宮本さんの言う通りに、本当の幸せを求めて唱題を始めたのです。やがて、彦根市の本地寺にも行くようになりました。初めてお会いした御住職の宗像高道御尊師から、「あなただけが幸せになりたいのですか」と尋ねられた妻は、「家族みんなで幸せになりたい」と答えたそうです。妻が求めていたのは、自分だけの幸せではなく、家族皆の幸せでした。

そしてある日、ついに妻は勇気を出して私に言いました。「お父さん。念仏では救われへんのよ。不幸になるだけや」。「何おかしいこと言うてるねん。念仏がおかしいて、気が変になったんと違うか」と、私は猛反対しました。それでも妻は、離婚を覚悟で私に言い続けたのです。

あまりの妻の真剣さに私は、恐る恐る、本当に恐る恐る、彦根の本地寺に行ってみました。そうしたら御住職の笑顔と、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と大きな声で一心に唱えている皆さんの姿があるではありませんか。私は子供の頃から、南無妙法蓮華経は罪深い言葉だと祖母に教えられ育ってきたものですから、皆さんの真剣な唱題の姿を見て、「何でこんなに一生懸命に唱えることができるんやろう。なぜ、疑いもなくまっすぐに声を出して、真剣になれるんやろか」と思いました。

その日から私は、心では決して南無妙法蓮華経を信じていないのに、いつの間にか口から静かに、そして自然に、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と御題目が湧いてくるようになってしまったのです。「なんちゅうこっちゃ」。妻には冷たい言葉を吐いて猛反対している私自身が、車に乗っているときでも「南無妙法蓮華経」とつぶやくのでした。


息子が御住職と対面

私には息子が2人います。大学生になる次男は、全身がアトピーで、入学したばかりの工業大学を、止むなく1年間休学しなければならないほどの状態でした。その時分は体も衰弱していて下宿先の寮の部屋の中に引きこもっていました。そして、精根尽き果てて、ある日、バイクで家に帰ってきました。折しも、私たち夫婦は本地寺の御住職とご縁をいただいて間もない頃でしたから、すべてのことを御住職に相談させていただきました。御住職は、「どんな形でもいいから、子供さんをお寺に連れて来なさい」と言われました。大聖人様を信じるとか、念じるとか、そんなことは何も言われませんでした。ただ「連れて来なさい」とだけ言われました。

家に帰ってきた息子は、ある夜のこと、妻が目の前で「南無妙法蓮華経」と唱えているのを聞いて、「何、おかしいこと言ってるねん。お母さん、変や。気がおかしいなったんか。それ何やねん。僕がそのお寺に行って、住職に文句言うぞ」と言いました。チャンス到来と、すかさず私が「そしたら今からすぐにお寺へ行こうか」と言うと、息子も「よーし、すぐ行こう」となって、早速、私は車を用意して息子を乗せてお寺に行きました。息子は車の中でもすごい剣幕でした。私の車はまっすぐ本地寺に向かっていました。後押しするかのように道中の信号も赤から青にすぐに変わりました。

やがてお寺に着いて、本堂の玄関からではなく、客間の脇から上がらせていただき、パジャマ姿の息子は、御住職と対面しました。いつもなら身なりを一番気にする息子がパジャマ姿で、しかも、それまで大剣幕で文句を言ってやると意気込んでいた息子が、御住職にお会いした途端、何も言えなくなりました。そして、御住職は息子に対して、「何も信じなくていいから。今の君は体も心もボロボロなんだって。だったら今日ね、寝る時に3回でいいから、『南無妙法蓮華経』って言ってごらん」と言ってくださいました。息子はキョトンとして「はい」と静かにつぶやき、心を静めて家に帰りました。そして、御住職のおっしゃった通り、御題目を三唱だけして寝たのです。

次の日の朝、息子が大声で叫びました。「お父さん。お母さん。顔の膿が消えてる。昨日の夜、3回、南無妙法蓮華経と言っただけなのに。何も信じていないのに。ほんまに見て。顔がきれいになってる」と、涙ながらに言いました。私も妻も息子も、涙の中で真実を見せていただいたのです。


晴れて家族で入信

私はこの2つの出来事により、念仏の中で生きることの愚かさを身に染みて悟らせてもらったのです。念仏では救われない。念仏は「仏様から信心を戴く」と言うが、妻も私も息子もその信心では救われなかったと実感しました。南無妙法蓮華経、つまり日蓮大聖人様の教えでしか、家族が一つにはなれなかったのです。

この日から、御住職に相談しながら僧籍を返上して還俗する手続きやら、帰命寺の檀家総代や役員の方たちに住職を辞める事情を説明して、後任住職の選定を組寺の長に一任する手続きやら、引っ越しの段取りやら、毎日が慌ただしく過ぎていきました。そうして昨日、4月19日に本地寺の御宝前において、晴れて家族4人揃って御授戒を受けさせていただき、御本尊様を御下付戴きました。涙が心からも体からも湧いて出てきました。私たちの周りには兄弟、親戚や友人ではなく、本物の仏様・日蓮大聖人様と共に歩む本地寺支部の法華講員の皆様の応援の声、唱題の姿がありました。私たち家族は、日蓮大聖人様の教え、真実の仏法の道につかせていただくことができました。本物の仏様の教えこそが日蓮正宗なんだ。浄土真宗の僧侶であった私が心から言っているのですから、間違いありません。

私たち家族には、本当の信心と、そして行動の日々が始まったのだなと思い、心から前進していく決意です。命を戴けたと感じています。

私は浄土真宗の住職として帰命寺を捨てたのではなく、本物の仏様の教えを知った以上は、それまで私を慕って協力してくれたかつての檀家さんお一人おひとりを折伏していく人生が始まったのです。私は今でも帰命寺の檀家さんが大好きです。だからこそ折伏し、幸せにしてあげなければと思っています。そして、母や兄弟、親戚を一人ずつ折伏していく人生を生き抜こうと思っています。

もう一つ、今一番に願うことは、朝夕ご祈念している「平成21年の大結集」に、必ず家族全員で馳せ参じたいということです。どうか皆さんと共に、大聖人様の御教えをこの世で、この世界に弘めてまいります。



back      index      next