<5〜8面>
立正安国論正義顕揚750年記念局「総本山総合整備事業」の一環として昨年より進められている塔中坊建替え工事第2グループの第一番目として執り行われたこの落慶法要には、御隠尊日顕上人猊下が御出仕あそばされ、記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、副委員長の重役・藤本日潤御尊能化、高野日海・光久日康各御尊能化、総本山総合整備事業主任委員で大石寺主任理事の佐藤慈暢御尊師、常任委員の宗務院各部の部長・副部長、大石寺理事をはじめとする各坊有縁・代表の御尊師方が御出席された。
また、記念局副委員長の法華講総講頭・柳沢連合会委員長、同委員である大講頭の石毛連合会副委員長・渡辺定元氏(兼総本山総代)、総本山総代の土橋昌訓氏をはじめ、総本山総合整備事業実行委員の法華講連合会幹事、寺族をはじめ有縁・代表の信徒が参列した。
午前9時半、参列の僧俗一同が観行坊前の塔中参道にお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が御到着あそばされた。直ちに控え室において御僧侶、代表信徒、寺族・親族、施工業者が親しく御目通りを許された。
法要は、御法主上人猊下大導師のもと、住職・駒井専道御尊師による御本尊御開扉、佐藤執事による献膳の儀と進められ、読経・焼香・唱題と如法に奉修された。
ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。その中で御法主上人猊下は、記念事業が各方面で着々と進み、中でも塔中坊建替え工事は、本年中にすべてが完成する予定であると仰せられた。そして今、宗門は明年の大佳節へ向けて日顕上人猊下より御命題を戴いた「地涌倍増」と「大結集」、さらに「50万総登山」の完遂に向けて協力一致して前進をしている。さらに、令法久住の意義からは、内部の充実を図っていくことも大切なことであると御指南あそばされた。また、記念局で御影堂の大改修と塔中坊の建替え工事を始めたのは、予想される東海大地震に備えるためであり、登山する信徒の安全を第一に考え、快適に過ごせるようにと計画されたものであると述べられた。そして残り半年、一層の精進と記念事業の無事完成を望まれた。
引き続き式の部に移り、はじめに佐藤総本山総合整備事業主任委員より経過報告として、総本山総合整備事業の概要と観行坊の建物概要について述べられた。続いて八木記念局委員長、柳沢記念局副委員長より祝辞が述べられた。次いで、駒井専道住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞が述べられた。最後に、大広間において記念撮影が行われた。
午前11時半、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中を観行坊をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。
日香寺は、寛文6(1666)年、鳥取藩初代藩主・池田光仲公が生母「芳春院殿妙囿日香大姉」(総本山御影堂を建立寄進された敬台院の息女)の33回忌に際し、その菩提のために総本山大石寺より御本尊様をお迎え申し上げ建立され、今年で342年を迎える中国地方随一の古刹寺院である。
その後、日香寺は昭和33年に旧本堂が建立されたが、建物の老朽化と耐震性に問題があったため、対策が求められていた。平成9年7月に、日香寺第29代住職として山田貴道御尊師が赴任されてより、平成14年の30万総登山を大成功裡に終え、本堂新築へ向けての声が檀信徒より出始めた。
しかし本堂建設着手までには、明治3年に隣接する身延派芳心寺に強制合併(明治15年に分離・再興)された時に、日香寺墓地であった土地が芳心寺名義になった問題を無事解決し、その他建替えに当たって妨害など種々の困難を乗り越え、このたび御法主日如上人猊下の特別の御高配と御慈悲のもと、本堂新築落成の慶事を迎えたものである。
この法要には、随行の海外部長・漆畑行雄御尊師、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、そして東中国布教区支院長・長谷川章道御尊師、同副支院長・伊藤光暁御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が出席された。また、法華講連合会からは法華講総論頭の柳沢委員長、井口東中国地方部長、土井一義東中国副地方部長をはじめ布教区内各支部信徒、並びに日香寺信徒など約300名が参列した。
午後0時半前、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が日香寺に御到着あそばされ、直ちに寺号額の除幕をなされた。続いて御僧侶、信徒代表、寺族、家族・親族、施工業者の順に親しく御目通りを許された。
法要の部は午後1時に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、山田住職による御本尊御開扉、漆畑海外部長による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。
この後、御法主上人猊下より甚潔の御言葉を賜った。御言葉の中で御法主上人猊下は、はじめに鳥取藩主・池田光仲公により建立された日香寺の経緯にふれられた。特に、徳島藩主・蜂須賀重鎮公とその正室・敬台院殿との間に生まれた芳春院が光仲公の生母であること。敬台院殿は非常に強信な方で、その血を引いた芳春院も鳥取の地において強盛な信心を貫いたと思われること。さらに芳春院の33回忌に当たり光仲公自らが建立したという、由緒ある日香寺が立派に本堂を新築できたことを喜ばれた。また、山田住職が平成9年に赴任されてより、道心堅固にしてよく寺檀和合を図り、この日に至ったことを祝された。そして、宗門が御命題達成へ向け全力を傾注して前進している今、日香寺新築を契機としてなお一層、僧俗一致の精進をと望まれた。
引き続き式の部に移り、はじめに橋野総代より経過報告、続いて漆畑海外部長(宗務院代表)、長谷川支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられ、次いで山田住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。
この後、本堂玄関前にて御法主上人猊下による「黒松」の御手植えがなされた後、納骨堂へも足を運ばれた。
引き続き午後3時過ぎより、再び本堂に御出仕あそばされた御法主上人猊下より、『立正安国論』(御書239ページ18行目〜241ページ9行目)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。最後に、本堂において記念撮影が行われた。
午後5時過ぎ、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、日香寺をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。
法要は、秋元渉外部長の導師のもと、高野支院長による献膳の儀・読経・唱題と如法に執り行われた。
引き続き式の部に移り、はじめに高野支院長より、同事務所開設に至るまでの経過報告と住職・阿部郭道御尊師の紹介、並びに祝辞が述べられた。次に住本寺檀信徒を代表して梅野節雄氏より祝辞が述べられ、最後に阿部住職より参列の各位に対して丁重な謝辞があり、今後の決意が披瀝された。この後、本堂にて記念撮影が行われ、法要の一切はとどこおりなく終了した。
また、午後2時よりは、多数の住本寺檀信徒の参詣を得て、開所記念法要が行われた。なお当日は、御授戒並びに勧誡式の希望者も多く、早速複数回にわたって執り行われた。
住本寺は、宗門屈指の古刹であり、特に幕末から明治期にかけて、京都布教の拠点として、大いに隆盛した。また、その後も篤信の檀信徒が寺檀和合して外護してきた。その宗門史に輝く功績は、約180体にも及ぶ御本尊類と約470にわたる典籍類という膨大な御宝物に現れている。
近年、創価学会の昭和52年路線に端を発する正信会問題により、住本寺住職が罷免となったが、住本寺を不法占拠してきた。本年4月、元住職は死去したが、山口法興なる者が住本寺に入り込み、不法占拠を続けている。
しかし、元住職の死去を機に、正法を求めて勧誡を受ける檀信徒が数多く現れた。そのため、住本寺を山口から奪還するまでの間、住本寺檀信徒の信行の場として、住本寺事務所が開設されたものである。住本寺檀信徒は、大きな喜びの中で再出発した。
初日の23日、午前8時半から広布坊で開会式が行われ、メンバー説明会並びに、海外部長・漆畑行雄御尊師の開会挨拶に続き、約1時間の唱題会が行われた。またその後、富士地方部鼓笛隊による演奏が披露された。
午後1時半からの御開扉の後、3時半より客殿で御法主日如上人猊下御目通りが行われ、「明年の『立正安国論』正義顕揚750年に向けて、『安国論』の正意に副い奉り、世界各地で一層の信行に精進され、もって明年の大結集に備えていただきたい(趣意)」との御言葉を賜った。
翌24日は、早朝の丑寅勤行に始まり、9時半からは総一坊・総二坊に設けられた8会場にお小て「御本尊の功徳と感謝の信心」と題した、海外常駐僧侶が担当しての言語別の講義が行われた。
この後、午後1時半の御開扉に参加し、3時半から広布坊で富士学林主任教授の法忍寺住職・水谷慈浄御尊師による特別講義が、同時通訳で全参加者に対して行われた。この講義では、明年の記念展示会で展示される『立宗安国論』の複製や日目上人天奏の図などを紹介しながら説明があった。
小憩の後、4月に行われた北海道決起大会のDVDが放映され、引き続き閉会式が行われた。その中で漆畑海外部長は、明年へ向けて各国が結集目標の完遂をめざし、さらには正法による真の世界平和実現のため、不惜身命の決意をもって使命を果たしていくようにと、参加者各位の一層の奮起を望まれた。続いて、漆畑海外部長より参加信徒代表のロサンゼルス妙法寺信徒のファンさんに修了証が手渡され、最後に同氏より丁重な謝辞が述べられ、閉会式が終了した。
研修を終えたメンバーは翌25日の丑寅勤行に参加した後、御法主上人猊下の御指南のまま、それぞれの国での広布の使命を胸に抱き、順次帰国した。
7月20日正午よりマレーシアの地涌倍増大結集推進決起大会が、同国セランゴール州クラン市のセントロホールで開催された。これには日本より海外部長・漆畑行雄御尊師が出席されたほか、シンガポールより開妙院主管・滝川信雅御尊師が出席された。またマレーシア各地より目標の2,000名を上回る2,120名余が結集し、盛大に開催された。
マレーシア布教所は、明年の「立正安国論正義顕揚750年記念50万総登山」における海外信徒総登山に、1,750名で参加することを目標に掲げて進んでいる。今回の決起大会は、日本での決起大会に呼応し、地涌倍増と大結集の御命題達成をめざしてマレーシアの僧俗が一丸となって折伏に立ち上がり、大前進するべく開催されたものである。
大会は、まず舞台中央に設えられた祭壇に御本尊が奉掲され、マレーシア布教所責任者の上野道武御尊師の導師により読経・唱題が執り行われた。
続いて式の部に移り、マレーシア信徒代表のウン・チェントワン氏の開会の辞で始まり、続く体験発表ではリー・チンキョンさんが、決起大会を迎えるまでの2カ月間、毎日2時間の唱題を行い、その功徳によって日常生活や仕事、また折伏の上に、大きな進展と種々の問題を克服できた体験を発表した。
次いで滝川御尊師の祝辞、漆畑海外部長の御指導と続いた。指導の中で海外部長は、「マレーシア国の各地域の地涌の友が一望に会し、異体同心してマレーシア国の地涌倍増と正法広布を誓い合ったこの大会を、明年『立正安国論』正義顕揚750年への踏み台として、総本山での地涌倍増大結集の総登山を必ず成功させ、さらにはマレーシア国をはじめ、近隣のASEAN諸国の未来広布の記念すべき第一歩としていただきたい(趣意)」と述べられた。
次いで行われた決意発表では、出席者全員が起立する中、少年部、青年部、婦人部、壮年部の各代表が登壇し、マレーシア広布へ向けての決意を唱和した。これには満堂の出席者も大きな拍手で応え、一同の固い決意であることを確認した。
最後に上野布教所責任者より、力強い決意と謝辞が述べられた。
小憩の後、パフォーマンスの部に移り、「一眼の亀」と題したミュージカルが披露された。これは130名の出演者と400名を超えるスタッフが力を合わせて短い準備期間を克服して作り上げたもので、妙法に巡り合えた悦びと、明年の大佳節に巡り合える悦びを表現したものである。ミュージカルの最後では出席者全員で「地涌讃徳」を合唱し、大会を締めくくった。参加した法華講員は、この決起大会を大きな弾みとして、明年に向かってさらに飛躍するべく、歓喜をもって帰途についた。
創立340周年記念
京都市内の古刹奪還へ向けて
14の国と地域から1,030余名
マレーシア、ロサンゼルス、香港