大白法

平成20年12月1日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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「躍進の年」全支部の誓願達成に向けて
確実に進む地涌倍増の波動(3)


本年も早、雪のちらつく季節となったが、全国からは折伏誓願目標達成の報が相次いでいる。

  • 総本山塔中・浄蓮坊支部(指導教師・東b道御尊師)
  • 同・久成坊支部(同・関快道御尊師)
  • 同・妙住坊支部(田畑道権御尊師)
  • 秋田県湯沢市・本要寺支部(小竹正素御尊師)
  • 山形県寒河江市・真覚寺支部(藤原信訓御尊師)
  • 茨城県鹿嶋市・法正寺支部(中村収道御尊師)

    法正寺支部は11月13日に40世帯を達成。

  • 埼玉県所沢市・能安寺支部(水島公正御尊師)
  • 新潟県佐渡市・妙護寺支部(数井信悟御尊師)
  • 静岡県富士宮市・要行寺支部(磯村如道御尊師)
  • 名古屋市中村区・妙通寺支部(細井道迅御尊師)
  • 三重県鈴鹿市・仏境寺支部(原道準御尊師)

    仏境寺支部では、本年11月30日の創立20周年記念本堂・庫裡増築完成奉告法要までの達成をめざしてきた。本堂の増築工事が進むのに呼応する如くに気運は盛り上がって10月6世帯、11月4世帯と実り、11月23日、晴れて21世帯の目標が達成した。

  • 京都市伏見区・宣照寺支部(西田秀得御尊師)
  • 大阪府守口市・覚仁寺正義講支部(早川勤道御尊師)

    覚仁寺正義講支部は、年初世帯数27ながら24世帯の折伏誓願目標を11月20日に達成した。

  • 同高石市・澄明寺支部(原田広善御尊師)

    11月22日に澄明寺支部が15世帯を達成。

  • 広島市東区・興福寺支部(原山元征御尊師)
  • 同佐伯区・福王寺支部(白戸鈴道御尊師)
  • 山口県周南市・妙頂寺支部(三井共道御尊師)
  • 同防府市・覚正寺支部(細川明仁御尊師)
  • 同下関市・興本寺支部(佐藤信覚御尊師)
  • 香川県三豊市・西山坊支部(白井照研御尊師)
  • 熊本県菊池市・真法寺支部(黒沢糾道御尊師)
  • 鹿児島県霧島市・恵楽寺支部(小薮正靖御尊師)

    以上のが折伏誓願目標を完遂。達成まであと少し、既に目途が立っているという支部も多い。

    秋田県大仙市の法説寺支部(関戸正磨御尊師)は、約60世帯の陣容で毎年10世帯の折伏目標を掲げ倍増をめざしている。毎日午前9時から1時間の唱題に加え、本年3月から月一度の6時間唱題を開始し、そのうち何回かは8時間唱題とした。それでも9月まで折伏成果は1世帯。9月からは毎日、3時間の唱題を行った。そして9月21日の6時間唱題の最中、奇跡は起こった。顕正会員が突然、「日蓮正宗の信心をしたい」と来訪。2日後の彼岸会に来るよう伝えると、姉を伴って来寺し、何と2世帯の折伏成就。さらに、離れて住む2人の母親と、姉が日蓮正宗の信心を始めたことを話したお客さんも入信で、計4世帯。こうして縁が出始め、11月28日現在であと3世帯となった。唱題で拓ける妙の不思議、僧俗は歓喜の真っ只中にいる。

    目標100世帯の大阪府枚方市の経王寺支部は現在の成果84世帯となった。前半・6月までの累計は18世帯。6月29日の布教区・地方部折伏推進責任者会に出席した正副3名の責任者から、7月1日の折伏祈願唱題会で、他支部の折伏に懸ける姿が報告された。7月からは毎朝1時間の唱題と毎週木曜日の7時間唱題に加え、夜1時間の唱題会を追加。10時間唱題も行い、動いた。結果は、7月は9世帯、8月は8世帯、9月は14世帯、10月は18世帯、11月は29日現在で17世帯と成果に現れている。

    車輪が大きく折伏へと回り出す瞬間を、残るひと月で全員が体験して来年を迎えよう。




  • 御影堂の尊厳なる意義と歴史
    歴史A 現在の御影堂


    今回で連載第4回となる「御影堂−尊厳なる意義と歴史」。これまで、御影及び御影堂の意義、日興上人以来の大石寺における御影堂の濫觴等を紹介した。今回は、現在の御影堂が江戸時代前期に建立されたことについて掲載する。


    日鎮上人の御影堂建立

    総本山第17世日精上人がお書きになった『富士門家中見聞(家中抄)』の「日鎮伝」に、「大永2(壬午)年伽藍を建立す、所謂本堂、御影堂、垂述堂、諸天堂、惣門等なり(中略)鎮師諸堂を建立する帳之レ有り」とあるように、大永2(1522)年第12世日鎮上人によって諸堂宇と共に新たに御影堂が建立されています。第14世日主上人の代、天正年間に記された総本山の境内図には、「本堂」の西側に「御影堂」が記されており、この御影堂が日鎮上人によって建立された御影堂と考えられ、現在の二天門(中門)の周辺に建てられていたと伝えられています。


    日精上人代の御影堂建立

    さて、『家中抄』によると第16世日就上人の代にも御影堂が建立されたと示されています。しかし、寛永8(1631)年、大石寺は火災に見舞われ諸堂宇を失い、この時に御影堂も焼失しました。御当職であった日就上人は再建のために尽力されましたが、寛永9年2月に御遷化されたため、その後を承継あそばされた第17世日精上人によって本格的な復興が行われました。

    そして、日興上人・日日上人第300回遠忌の年、寛永9(1632)年11月15日、日精上人が願主となり、阿波徳島藩主・蜂須賀重鎮公の夫人・敬台院の寄進によって新たに建立されました。これが現在の御影堂です。

    この造営には甲州下山(現在の山梨県身延町)の大工・石川与十郎家次が大工棟梁の任に当たり、相当数の人員を要して建設されました。「大石寺御堂建立諸檀方人足合力之覚」には、この御影堂建立に際し、大石寺の住所である上条の687人、下条の238人をはじめ、延べ7,213人の人足を動員したことが記されています。なお、伝承の中には江戸浅草鳥越(現在の東京都台東区)の法詔寺にあった本堂を移築したとも言われています。

    また先の大石寺境内図にあるように、日鎮上人代に建立された御影堂の横に本尊堂(本堂)があるように、新たな御影堂は本尊堂と御影堂の要素を併せ持った意義を有するものと拝せられます。御影堂の「棟札」によると、この建物は当初「本門戒旦本堂」との名称で造られており、その後も江戸後期に至るまで、「御影堂」、「本堂」、「大堂」の呼称がありました。

    第66世日達上人は、「御影堂と称する所に日精上人の時代は戒壇の御本尊様を祭り、本堂と称していたわけです。つまり、これまでは本堂と御影堂が並んで建っていたのですが、日精上人の時には御影堂と本堂を一所にして今の大きな御堂を建てたのでしよう。そして戒壇の御本尊様を安置して、その前に御影様を安置せられたのでありましょう」(『大石寺諸堂宇建立と丑寅勤行』20ページ)と御指南されています。

    御影堂内陣の御宮殿(ごくうでん)は造営から3年後の寛永12年7月、井出伝石衛門とその子息・与五右衛門尉が願主となって造立されたものです。

    また現在、御影堂に安置されている御本尊様は延宝7(1679)年2月13日、当時御隠尊であった日精上人の御聖意により造立彫刻されました。この御本尊様の下部には日精上人の添書があり、「深見広信 之を彫刻す。願主□本市左右衛門 江戸下谷常在院(現在の常在寺)之講衆中敬白」と記されています。この御本尊様は宗祖大聖人の御本尊様を模刻した御本尊様で、その際に本門戒壇の大御本尊様は御宝蔵に御遷座されたものと拝されます。

    御影堂は、総本山内の最古の建造物です。堂内の彫刻は創建当時そのままであり、江戸時代の代表的建造物として、昭和41年3月22日、内陣の御宮殿と共に静岡県の有形文化財に指定されています。


    日精上人と敬台院

    第17世日精上人は、宗開両祖以来の血脈を継承され、御法主上人として門下の教化育成、『日蓮聖人年譜』や『富士門家中見聞』といった布教興学のための著述、御影堂をはじめとする諸堂宇の整備建立など、宗門の復興に多大な業績を残されました。中興の祖・第26世日寛上人が日精上人の謦咳(けいがい)に触れて出家得度を志されたことや、第48世日量上人が『続家中抄』に、「諸堂塔を修理造営し絶を継ぎ廃を興す勲功莫大なり、頗(すこぶ)る中興の祖と謂ふべき者か」とその御功績を称えられていることからも、このことはよく拝されるでしょう。

    さて、日精上人が書写され歴御影堂の棟札には、「大施主 松平阿波守忠鎮公之御母儀 敬台院日詔信女敬白 日精養母也」と示されています。日精上人は御影堂を寄進した敬台院を「養母」と記しており、これより日精上人と敬台院の親密さを伺うことができます。

    この敬台院は徳川家康の長男・信康の娘と古河藩主・小笠原秀政との間に生まれた人で徳川家康と織田信長の曽孫に当たります。家康の養女となって、慶長5(1600)年、9歳の時に蜂須賀重鎮に嫁ぎました。その後、縁あって日精上人に深く帰依され、大石寺御影堂の建立寄進の他に、元和9(1623)年の江戸鳥越・法詔寺建立、寛永14(1637)年の大石寺朱印状下附の実現、寛永15年の総本山二天門の建立、日精上人の公儀年賀における乗輿の免許、寛永15年の大石寺基金700両の寄進、寛永19年の「細草檀林」設立に当たっての支援、正保2(1645)年法詔寺を阿波徳島に移して敬台寺(現存)を創立するなど、総本山の復興をはじめとする宗門の興隆のために多大な外護をされました。

    御影堂の裏手には娘の芳春院の正墓と共に敬台院の二つの供養塔があります。その一つは生前に建てられた逆修塔と呼ばれるもので、その石塔の建立日として御影堂建立の翌年に当たる「寛永10年6月15日」との日付が刻まれており、その功績を称えて建立されたものと拝されます。

    現在の御影堂は、唯授一人の血脈相承をお受けになったお立場より、『日興跡条々事』の条文を堅く護られんとされた日精上人の御意志と、その御化導を助けるべく、赤誠の御供養をもって外護された敬台院との僧俗一致・異体同心のお姿の象徴ともいうべき堂宇なのです。




    立正安国論正義顕揚750年記念展について
    立正安国論記念展・地涌倍増大結集記念写真展


    明年の記念総登山に併せて立正安国論正義顕揚750年記念展が、「立正安国論記念展−立正安国論と忍難弘通の歩み−」、「地涌倍増大結集記念写真展@地涌倍増のあゆみ・A海外布教写真展−こころをひとつに−」と題して総本山宝物殿で開催されます。


    
    (開催概要 ※予定)
    
     会  期 平成21年1月10日(土)〜12月23日(水)の御開扉の行われる日
    
     ※ただし、次の日は御開扉は行われますが、開館しません 
        4月 6日 ・7日(総本山御霊宝虫払大法会)
        7月15日〜31日(展示替え)
       11月20日・21日(総本山御大会)
    
     開館時間 午前8時30分〜午後4時30分(予定)
     会  場 総本山宝物殿(旧富士美術館)
     入場資格 本宗信徒、及び許可を得た者
    


    立正安国諭と忍難弘通の歩み

    宝物殿3階においては、“立正安国論と忍難弘通の歩み”と題し、立正安国論記念展が開催されます。当記念展実行委員会は、総本山と末寺に所蔵されてきた関連資料の収集と内容の分析、また展示のための各種作業を1年半にわたって準備が進められてきました。また図録編纂作業を同時進行で行うなど、よりよい記念展に向け、目下、最終段階の作業に取り組まれています。

    展示は、4部に構成されており、

  • 第1部 立正安国論正義顕揚750年の歴史
  • 第2部 特別企画展「忍難弘通の歩み」
  • 第3部 大聖人の御一代絵図と大石寺の往昔
  • 第4部 立正安国論と現代の様相 ―暗闇に立正の光明を―

    となっています。

    全体を通しての主要テーマは、標題の通り『立正安国論』であり、さらに「申状」を提出しての国主諌暁です。『立正安国諭』については、御真蹟の複製や、第二祖日興上人の御筆になる古写本などが展示されます。また本宗における『安国論』研鑚の歴史として、上古より近世・近代まで関連する資料も収集されています。

    次に、大聖人が『安国論』に篭められた破邪顕正の御精神を受け継ぎ、国主を諌暁されてきたのが日興上人以下の御歴代上人であり、申状はその証となることから、この記念展では、総本山をはじめ各所に残されてきた申状の収集を試みています。とりわけ天奏途上、美濃の垂井(岐阜県)に一期を終えられた第三祖日目上人は、本宗国主諌暁の象徴的な存在であり、申状に関連して一項を設けられています。中でも総本山に古来伝わる日日上人の御影は、この記念展で初めて公開される稀観の一点です。

    第2部では、6項目からなる特別企画が組まれています。「日露上人の諌暁と御事蹟」、「第56世日応上人と東都弘教」、「妙寿日成貴尼の九州弘教」、「忍難弘通の法難史」、「幕末・明治・大正期の弘教と異流義摧破」、「天璋院篤姫の大石寺信仰」です。

    また、幕末には第52世日露上人が幕府に対し、決然たる態度で諌暁に及ばれました。その申状が今日に伝えられていますが、国主諌暁による正義顕揚の精神が、宗門上代より脈々と伝えられてきたことを示す、重要な史実資料と拝せられます。日露上人と日応上人は、とりわけ布教に尽瘁(じんすい)された御法主上人であられました。

    妙寿日成貴尼は本宗に帰依する前は堅樹派(江戸時代に起きた異流義)の僧侶であり、その謗法罪障消滅のために九州の異流義破折に尽力されました。忍難弘通の法難史は、尾張をはじめ金沢・仙台・讃岐の各法難史を振り返ります。幕末・明治・大正の弘教と異流義摧破の項目と合わせて、いずれもテーマに則った、本宗の布教史と位置づけられます。

    第3部では、これまで宗内で作成されてきた、大聖人の御一代絵図が収集されています。各シリーズは入れ替えも予定されており、未公開のものがほとんどです。一斉に展示される姿は壮観なものとなると期待されます。

    第4部では、混迷を深める現代の危機を様々な角度からとらえ、立正安国への実践が現代より未来に向け、その重要性がいささかも変わらないことを訴えたものとなっています。


    地涌倍増のあゆみ

    “地涌倍増のあゆみ”と題して、折伏躍進と7万5千名大結集・50万総登山の完全達成を期して、平成時における広布の大前進を紹介する地涌倍増大結集記念写真展が開催されます。

    私たち平成の法華講衆は、御法主上人猊下より御命題を戴き、それを目標に掲げて信行に励んでまいりました。平成2年の「法華講三万総登山(法華講連合会第27回総会)」、平成6年の「法華講地涌六万大総会」、平成10年の「法華講10万総登山(総本山客殿新築慶祝記念大法要)」の完遂、平成14年には「法華講30万総登山(宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要)」を達成し、奉安堂建立の意義の上から未来広宣流布に向かって世界広布の礎が築かれました。そして、平成14年10月に総本山第67世御法主日顕上人猊下より、平成21年『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節における「地涌倍増」と「大結集」の御命題を賜りました。

    平成17年12月16日、総本山第68世御法主日如上人猊下が御登座あそばされ、平成18年1月3日に平成21年の大佳節めざしての決起大会が開催され、同年4月20日には立正安国論正義顕揚750年記念局が発足し、記念事業が進められました。特に「地涌倍増」と「7万5千名大結集総会」の御命題達成に向けては、本年、全国4会場において盛大にプレ大会(決起大会)が開催されました。これには、御法主日如上人猊下、御隠尊日顕上人猊下の御前に目標総計7万8千名を大きく上回る8万4千余名が大集結し、地涌の眷属として『立正安国論』に仰せの仏国土実現に向けて気運を高め、折伏に邁進することを誓い合いました。その結果、本年後半はさらに折伏活動に火が付き、明年を迎えるのにふさわしい闘いを進めております。

    そこで、平成2年からの「地涌倍増のあゆみ」を写真パネルにして掲示します。さらに、全国の38布教区・全支部、法華講連合会・38地方部の活動も、それぞれを一枚一枚のパネルにして掲示します。この写真展では、全国の同志の信心に励む姿を見ることができ、自らの信行の大きな糧になると共に、御法主上人猊下の御指南のもと未来広布に向けて力強い決意を固めることができるでしょう。


    海外布教写真展 −こころをひとつに−

    平成14年に、宗旨建立750年を記念して海外布教の特別パネル展「開けゆく海外広布」が開催されました。そしてこのたび『立正安国論』正義顕揚750年を記念して、海外広布の現況を広く皆様にお伝えするための海外布教写真展が、“こころをひとつに”と題して、宝物殿2階で開催されます。

    海外における布教は、日本とは異なる種々の厳しい制約があります。この写真展は、世界各国の最前線にあって広布に邁進する僧俗が、日本にあっては想像の及ばないような厳しい条件の中で、異体同心して活動する姿をご覧いただき海外広布の現況を理解していただくことを目的として開催されます。

    写真展の内容は、「各国別写真」と「テーマ別写真」の2つに分かれています。

    「各国別写真」では、仏法西漸に則(のっと)り、日本の隣国の韓国から順に、東アジア、東南アジア、オセアニア、西アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、中南米の順で、国毎の活動の写真が展示されます。また、日本との距離を実感できるよう、各国からの飛行時間も表示されます。

    「テーマ別写真」では、「祈り」、「行動」、「歓び」、「登山」、「未来」の5つのテーマを設けました。そのテーマに沿って集められた写真の中から、選りすぐりの写真が大きく展示されます。そこに映された海外信徒の歓喜に満ちた活動の様子や信心にかける情熱を、ぜひご覧ください。

    特に今回は、各国から提供された、現地で出版している機関誌などに加え、民芸品なども若干展示されます。それぞれのお国の文化の香りなどを感じ取っていただけることでしょう。政治も経済も混迷の度を深める現在、いよいよ正法正義が世界へと弘がっていく時がまさに到来していることを、この写真展をご覧いただくことにより強く感じていただけるでしょう。

    50万総登山に参詣される方々の信行増進と広布の前進への一助となることを願い、合わせて各支部講中の広布の進展を心より祈るものです。



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