大白法

平成20年11月16日号


主な記事

<1〜4面>

<4〜8面>


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「躍進の年」全支部の誓願達成に向けて
確実に進む地涌倍増の波動(2)


 前号(
大白法752号)に引き続き、折伏誓願目標の達成が相次いでいる。

  • 北海道稚内市・法清院支部(指導教師・伊藤雄保御尊師)

     法清院支部は11月4日に達成した。

     北海道内には、折伏は既に目標に達しているが、新入信者へは1カ月間の勤行指導・会合等の参加を経て御本尊下付を行うという方針をもって磐石な法華講作りをめざしているため、最後の1世帯への下付が来月早々になるという支部もある。また、毎日の寺院での唱題行を増やして一日も早い達成を期している支部もある。

  • 青森県弘前市・法典院支部(同・西村正雅御尊師)
  • 茨城県日立市・光顕寺支部(川田恭顕御尊師)

     光顕寺支部は10月31日に3世帯が成就し、誓願の50世帯を達成。

  • 埼玉県草加市・宣行寺支部(村上節道御尊師)

     10月31日に180世帯を達成した宣行寺支部では、青年や、今年初めて折伏を成就した人による成果が例年に比べ多かった。先輩たちの家庭訪問を受け、折伏に挑戦し成就した青年と、その両親の喜びは大きい。達成間際の一週間の本堂は、夜7時頃の5・6人から8時には20人、そしてさらに9時、10時、11時、午前零時には50人以上と、遅くなるにしたがって唱題に集まる人数が増えた。

  • 長野県軽井沢町・妙照寺支部(早瀬道義御尊師)

     妙照寺支部は11月1日に達成。本年は入信2年以内の講員による折伏が多かった。

  • 静岡県富士宮市・法明寺支部(松尾圭剛御尊師)
  • 兵庫県神戸市・浄教寺支部(大鹿由道御尊師)

     11月4日に37世帯を達成した浄教寺支部は、7月まではで9世帯でしかなかったが、8月に10世帯、9月に5世帯、10月9世帯と後半勢いを増した。役員もがんばったが、今まで折伏の経験のない人たちによる縁での成就も多かったのが、今後への大きな財産と言える。

  • 同加古川市・浄福寺支部(園田司道御尊師)
  • 岡山県笠岡市・妙種寺支部(木村信久御尊師)

     妙種寺支部では11月3日、御会式の日に3世帯の御本尊下付で誓願目標を達成し、「本日をもって達成いたしました」との御住職挨拶に、本堂を埋め尽くした参詣信徒と布教区内の御僧侶方の拍手が鳴り響いた。

  • 広島県府中市・長妙寺支部(佐藤記道御尊師)
  • 愛媛県松山市・応供寺支部(高玉信連御尊師)
  • 徳島県小松島市・成顕寺支部(遠藤道利御尊師)

     成顕寺支部は共に11月4日に達成。成顕寺支部では「折伏強化の日」を月に一度設け、今年は年頭から成果があった。行事のたびに、殊に青年が新来者を連れて出席するようになった。行事参加者の1/3分を青年が占めている。

  • 同吉野川市・修徳院支部(国島道樹御尊師)
  • 福岡県田川市・法縁寺支部(水谷道健御尊師)

     法縁寺支部は、2月24日・九州決起大会に目標70名のところ、170名が参加。御住職の「わざわざ九州まで御下向くださる両上人猊下を会場でお迎えできない者が、平成21年のご登山をできるだろうか。200名で決起大会に参加しよう」との昨年11月の御指導に真剣に取り組んだ。「無理だ」が本年に入り名簿が150名を超えた頃「できるかも知れない」に変わり、日中も唱題のためお寺に集まり始め、勢いが生まれた。決起大会後も止まらず、10月30日の折伏誓願達成に結びついた。振り返ってみると、新規の活動者も増えていた。

  • 大分県臼杵市・善妙寺支部(鹿野法純御尊師)

    善妙寺支部は、8月以降に成果の形になり10月30日に達成した。

    以上の各支部が平成20年の折伏誓願目標を完遂。さらに折伏を実践する人数を増やそうと考え、並行して育成に力を注ぐなど、明年以降への地歩を固めている。他にも、「あと1世帯」「あと2世帯」の支部が多く、これから日を追う毎に、達成支部が増えてゆく。

    未達成ではあるものの神奈川県横浜市の久遠寺支部では、御住職・木村真昭御尊師の「必ず誓願は果たす」と断固たるご決意が浸透し、10月中だけで20世帯もの特筆すべき成果を見た。

    御法主日如上人猊下の「全支部が誓願を達成」の御命題を拝し、「日蓮正宗であるならば折伏は当たり前、折伏を当然のことととらえ、行じられる信徒に」と導いてくださる指導教師の御住職・御主管と共に、地涌の誓いを果たして本年を喜びで終わろう。そして、信徒一人ひとりの喜びを我が喜びとし、悲しみを我が悲しみとして常に導いてくださる御住職・御主管を先頭に、明年の出陣式、記念総登山に臨んでまいりたい。




  • 信行を磨く 『本因の修行を』
    大石寺主任理事・佐藤慈暢御尊師


    『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節を目前に、御命題達成に向け、「躍進の年」を飾る折伏誓願目標の達成こそが大佳節への船出であります。

    大佳節を目前にして

    今、文明の発展の名のもとに多くの犠牲の上に豊かさがあり、幸せを維持するためにさらにまた犠牲を強いております。人は皆、物・金に走り、個人主義となり、互譲の心をなくし、生活の基盤までもが崩壊の危機に立たされ、世はまさに修羅界の様相を呈しております。これは皆、仏を蔑ろにし、家庭から仏が消えた姿にほかなりません。

    大聖人様は『立正安国論』に、「就中(なかんずく)人の世に在るや、各(おのおの)後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を責ぶ(中略)何ぞ同じく信心の力を以て、妄(みだ)りに邪義の詞を宗(あが)めんや」(御書249ページ)と明確に御教示あそばされております。

    一般世間では、仏様が説かれた教えや、神仏なら何でも構わず手を合わせることが信仰であると思い込んでおります。また、ふだん身の周りに何事もなければ、神仏と無関係を装い、いざ事が起きると俄(にわか)信仰が始まり、ありとあらゆる神仏を頼み、ご都合主義の本性を露(あらわ)にするのであります。

    恐ろしいのは、このような謗法の邪義であり、邪義を払うのが折伏であります。正法正義を説き示す破邪顕正の実践行動であります。多くの人々に妙法を下種結縁する慈悲の行こそが折伏行なのであります。まさに、『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節を前に、地涌倍増と大結集の御命題達成のために、私たちは広布の願行を達成して臨むべきであります。

    大聖人様は、『阿仏房尼御前御返事』に、「此の度(たび)大願を立て、後生を願はせ給へ。少しも謗法不信のとが候はヾ、無間大城疑ひなかるべし」(同906ページ)と御教示であります。末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の御正意たる法華本門寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の大御本尊様こそが究極の大法であると無二に信じて、他の諸経を破していくことが、末法今日における、自行化他にわたるところの正しい信仰であります。


    慈悲の精進

    地涌の菩薩の境界に立ち、謗法の害毒に苦しむ悩み多き人々を救済し、世の中に幸せの輪を広げていくのが、我ら法華講衆に付与された尊い使命であります。我々は、自らの実践によって培われた自らの体験によって、広大無辺なる大御本尊様の功徳を確信することができるのであります。体験こそが、折伏の大きな力となるのであります。我々の信心そのものが実践であり、自己の成仏のための信心の体験を通して、初めて、信仰の確信を我がものとして手に入れることができるのであります。

    宗祖日蓮大聖人様は、『御講聞書』に、「日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗(むね)とするなり」(同1820ページ)との御教示であります。

    功徳を追うのではなく、仏の大願成就のためにひたすら仏の使いとして、修行精進に励む大事を教えられております。則ち、「世のため人のため」が、己の罪障を消滅し、功徳を受ける道であります。

    慶祝記念事業の完遂を

    『新池御書』に、「後世を願はん者は名利名聞を捨てヽ、何に賎(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし」(同1461ページ)との御教示であります。

    今、日蓮正宗においては『立正安国論』正義顕揚750年を慶祝申し上げる地涌倍増と大結集に向けての諸事業が進められております。特に、総本山として全世界の信徒の受け入れ態勢を整えるため、御影堂大改修工事をはじめ、塔中坊建替え・山内整備など、総本山総合整備事業が全信徒の浄財をもって推し進められております。これらは、明年一年間にわたる50万総登山における信徒の安全と快適な参詣に大きく寄与するためであります。

    「信は荘厳より起こる」との言葉がありますが、御戒壇様在す霊場たる総本山の寺域を整備・荘厳し、『立正安国論』正義顕揚750年の慶祝記念事業を完成させ、仏恩報謝申し上げたいと存じます。平成21年の大佳節を迎えるこの時、御奉公でき得る身の福徳を感じ、御命題の完全達成に向けひたすら精進すべきであり、後世に悔いを残すことなく広布の前進を図るべきであります。

    『新池御書』に、「法をこヽろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし」(同1461ページ)また、『法蓮抄』に、「一度も仏を供養し奉る人はいかなる悪人・女人なりとも成仏得道疑ひ無し」(同813ページ)と御教示あそばされております。

    御法主日如上人猊下より、平成18年12月度広布唱題会の砌、「以上、御命題中の『大結集』ならびに『記念大法要』『記念総登山』『総本山総合整備事業計画』について申し上げましたが、これには、宗門僧俗各位の真心からの浄財と多大なる御協力が必要であります。各位には、なにとぞよろしく御支援・御協力をお願いする次第であります」と御指南を賜っております。

    これらの慶祝記念事業を、全ご信徒・法華講員の赤誠の信心に基づ護惜建立の真心の志をもって完成させ、御報恩申し上げたいと念願する次第でございます。

    私たちは今、御本尊様ヘの御報恩のために地涌倍増・大結集の完遂への精進と、諸事業成就の真心からの御供養に一人でも多く参画し、もってその名を後世に留め置かれることを願うものであります。

    我々の自行化他にわたる信心修行は、すべて一切衆生救済の最善の慈悲行であり、仏祖三宝尊ヘの最高の報恩行であります。またこれが因となって過去遠々劫からの罪障を消滅し、一生成仏を遂げるための最上の仏道修行となるのであります。今、我々が為すべきことそれは、平成21年の御命題達成をめざした実践修行であり、慶祝事業の完全達成であります。御法主日如上人猊下の御指南のままに、明年の「正義顕揚の年」に向かって精進してまいりましょう。




    総本山を歩く 第17歩 お華水と閼伽堂


    奉安堂の東側、杉木立の下にお華水(はなみず)と閼伽(あか)堂があります。お華水とは、ここに涌き出る清泉のことです。御開山日興上人が、樒をもって土を開かれて涌いたと伝えられ、大石寺開創以来、当番の御僧侶が早朝にこの霊水を汲んで御宝前にお供えします。

    現在は、大石寺の御助番である御僧侶6名が交代で、毎日午前0時を過ぎて汲みに行き、御本番の御僧侶6名が交代で丑寅勤行前に、御影堂・客殿・六壺の御宝前にお供えします。

    このお華水の後方に建てられている堂宇が閼伽堂です。閼伽とは功徳水とも言い、仏前に供える浄水のことです。現在の閼伽堂は、昭和48(1973)年10月、総本山第66世日達上人の代に再建された建物です。

    さて、御本尊様にお水をお供えするなどのお給仕は、信仰者にとって欠かせない重要なことです。第2祖日興上人は、御本仏日蓮大聖人の弟子となって以来、弘長元(1261)年5月の伊豆御配流や、文永8(1271)年9月の竜の口法難に続く佐渡御配流にもお供され、常に師匠である大聖人を心から敬って付き随いお給仕をされました。

    また、建治2(1276)年4月、日興上人が伊豆布教のため走湯山(そうとうざん)へ立ち寄られた際に弟子となった第3祖日目上人(当時17歳)も、同年11月より身延に登って大聖人に常随給仕を尽くされています。日目上人は行体がたいへん堅固で、一日に何度も谷川に水を汲みに下り、桶を頭の上に載せて運んだため、いつしか頭の頂がくぼんだと伝えられています。

    私たちは、日興上人や日目上人が大聖人の影の形に随うがごとく常随給仕されたお姿を鑑(かがみ)として、報恩感謝の真心を込めたお給仕をすることが大切です。

    また、大聖人は『経王殿御返事』に、「日蓮が魂ひを墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給へ」(御書685ページ)と仰せです。御本尊様は御本仏日蓮大聖人の御魂魄を顕わされた御当体ですから、「御本尊様へのお給仕は大聖人にお仕えすること」であると心得てください。

    皆さん、御宝前を荘厳にする真心からのお給仕を常に心がけ、お水・仏飯・樒をお供えし、お仏壇をきれいにして、不断の真剣な勤行と唱題に励んでまいりましょう。




    体験発表 『かつての檀家さんを折伏し正法へ導く』
    本地寺支部 M.Y.(元浄土真宗僧侶)


    私が本年4月19日に浄土真宗の寺の住職を辞め、真正の仏法である日蓮正宗の御授戒を受けさせていただき、翌日、京都の平安寺で体験発表をしたことは、
    大白法743号に掲載されました。

    その時既に、私は次のことを決心していました。

    浄土真宗の念仏の法門では決して幸せになれない。幸せどころか不幸の一途を辿り、遂には地獄に堕ちていく。それ故、私は身をもって念仏の法門を辞し、本門である日蓮正宗に帰依した。これは自分や自分の家族の生き方の大きな変革であり、人生をいかに前向きにさせるかという試練でもあった。今世で成仏する本物の仏教を求めた私と家族は日蓮大聖人様の妙法で今、強く明るく生き抜いている。しかし、私にはやっていかなければならないことがある。それは地涌の菩薩になること。つまり自行化他を勤めることが私のライフワークとなる!私が菩薩道の折伏を真っ先に勧めなければならない人々は、今まで私や家族を慕ってくださった私の辞したお寺、東近江市の帰命寺の檀家様(門信徒様)である。
    この決心は、毎日の勤行やお寺で唱題をさせてもらう中で、確かなものになっていきました。

    御住職・宗像高道御尊師から「これからの目標、体験発表でおっしゃった折伏をいち早く進めてください」と言われ、唱題をして会いました。Tさんはいつもの優しい笑顔で、「ご院さんと会うのは嬉しいです。何か、一段と元気になられた」と言ってくださいました。


    辞した寺院の檀家を折伏

    今年の6月24日、私は決意を固め、世話方という役員をほぼ4年間、堅実に務められ親鸞の750回忌の法要(本当の750回忌は平成23年だが、各末寺では数年前から前倒しで法要を行っている)も共にやり切ったTさんに、一番に正法についていただこうと願いました。唱題して御祈念を繰り返し、東近江市のご自宅近くの日本料理店で再会しました。

    私がTさんを一番に折伏しようと思った理由は、住職退任の発表をした緊急役員会の後の涙の懇親会で、「僕はご院さんがうらやましいです。自分が打ち込む仏教と巡り合われ、御題目を一生懸命唱えて幸せになると輝いた目で話してはる。僕には今、そんな燃えるような情熱を仏教にかけることなんてないです。そんなご院さんがすごいと思う」と話されたことが、脳裏に残っていたからです。

    夕食を軽くいただいてから私は言いました。「私は日蓮正宗を自分の生活の支柱にして生き抜くことで今、とても幸せになりました。お寺を出たことで逆に本当の仏教の意味がしっかり判ったのです。家族もそうです。長男が、この頃のお父さんは獣のような目から本当に人間らしい目になったって言ってくれます。私は自信を持って言えます。浄土真宗の信仰をしていたって絶対幸せにはなるはずがありません。それどころか悩み、苦しみ、同じところをずっと回っていて前に進まず、最終的には地獄に堕ちるんやと思います。そして、死んで成仏なんかできない。なぜかって、生きてるうちにいい加減なことをしておいて、どうして死んで極楽にいけるのやろ?こんなこと元住職の僕が言うのはおかしいけど、西方極楽浄土ってどこにあるの?阿弥陀って本当に何?念仏をあげて幸せになると思いますか?」。

    Tさんは話されました。「ご院さんがお寺の緊急役員会の席で突然、住職を辞めると言われ、僕ら役員に大石寺のDVDを見せてくださいましたよね。僕はそのことが今も目に浮かんで。日蓮正宗のことはよう判らんけど、ご院さんの言っておられた日蓮様のことが気になって本を買ったり、何か知りたいという気持ちになっていたんです」。

    私は念仏寺院での最後の役員会で、大画面で日蓮正宗のDVDを皆様の前でお見せして、自分はすばらしい道を行くのだと宣言していたのでした。Tさんはもうこの時、下種されたのだと思います。

    私は言いました。「難しい法門の話は今日はやめましょう。それよりあなたと一緒にやりたいことがあるんです」。Tさんはきらっと目を輝かせ聞いておられました。

    「いつも私が御題目を唱えに行かせてもらっている彦根の本地寺に行ってみませんか。僕の今を見て欲しいんです」。Tさんはごちゃごちゃ言わずに「行ってもいいです」と言われ、僕はすかさず「そしたら早速、明日のTさんの仕事明けに行きましょう」。「判りました。6時30分くらいになるかな。ご院さん確か今、電車で通勤しておられてるから、僕が職場に迎えに行きます」。相談はトントン拍子に進みました。

    6月25日、1時間の唱題会。Tさんは一生懸命「南無妙法蓮華経」と唱えておられるではありませんか。それも僕にはすごい笑顔に見えました。他の法華講員の方々も「Tさんは、どこの法華講の方」と聞いてくださるくらい大きな声で唱題されたのです。「いやいや、この方は僕が住職をしていたお寺の門信徒さんです」と僕が言いました。

    その後、御住職様とも話をされました。「よくまあ、Yさんについて1時間も、たいヘんでしたね」と御住職が言われると、Tさんは「いや、そんなことありません。何か心も体もすっきりしました」と笑顔でおっしゃいました。

    御住職はTさんに提案してくださいました。「Yさんから聞いてるんだけど、お母さんが今、目が悪くて入院されるみたいですね。どうだろう、私とYさんとあなたと一生懸命御祈念して、お母さんの目が治るといいなって思うんで。この法門は妙法と言って現証結果が御題目をしっかり唱えると出ます。この住職に騙されたと思って、Yさんとお寺に唱題しに来られては」。Tさんは「はい」と明るく答えてくださいました。

    すかさず御住職は言われました。「私はあなたを勧誘するようなことも催促することも一切しないから大丈夫。嫌ならいつだってやめたらいいから」。御住職は、僕が安心して心から折伏していける環境を作ってくださったのだと思いました。こう言われてTさんはとても安心して、僕を近くの駅まで送ってくれて帰宅されました。


    回を重ねた二人の唱題会

    二人の唱題会は週2回のぺースで始まりました。この唱題会の行き帰りに車の中でする会話が、私の折伏行になりました。

    一、浄土真宗は自分から行として念仏をして幸せになろうという法門ではなく、阿弥陀仏が衆生には有無を言わさず救い取ることになっているが、真実の現証結果として念仏で幸せにはなれないこと。

    一、死後に西方極楽浄土に往生するというが、西方極楽浄土は架空の世界であり、阿弥陀仏は法華経で救われたこと。そして死後を願うから、この世を捨ててしまう厭世観が生まれ、自殺が多いこと。

    一、他人や周りの世相に左右され、悩み、自己決定がなかなかできず、自分の責任で課題や問題が起こったとしても、必ずと言ってよいほど他人のせいにする。

    一、ほとんどのことを念仏の住職に任せ、法義・教学には一切興味を示さず、ただ仏罰が当たることを怖がって法事をするのが真宗の門信徒の真実の姿であり、そこに本物の信心は生まれない。つまり亡き人や先祖の追善供養が自分の信心や実践でできないことが、非常におかしい法門である。

    一、今、一生懸命生きている自分だけでなく、お母さんやお子さんにこの世で幸せになってもらうための祈りの心が純粋に生まれ、本当に幸せになれるのはこの大聖人様の仏法しかあり得ないこと。

    一、日蓮正宗は日蓮大聖人様の本当の教えをきちっと伝承してきた唯一の宗門で、750年の歴史の中でそれは変わらず脈々と受け継がれてきたこと。

    一、浄土は何も死んでからあるものでなく、今生きている娑婆世界にこそ建立されなければならないと、私たちに自分の御生涯のすべてをかけてお教えくださった大聖人様の仏法こそが、日蓮正宗であること。


    そんな話を私は唱題の後にしていました。Tさんは私の話を心から聞いてくださいました。そして今度は、自分の不安を話されるようになりました。

    問、自分自身がこの信仰を続けられるか心配だ。

    答、唱題1回目から自分の幸せ、お母さんの幸せを求め、息子さんの幸せを祈れる自信を、どんどん唱題によって深めていることを、自分自身が認めていけば済むということ。

    問、念仏していて平然と生きている人もいる。そのままでもいいではないのか?

    答、その人が受身的で刹那的な人生に流されて生きているだけで、本当の悩みや大きな苦しみに出合ったときに念仏で人生の指針をつかめないことは、住職をしてきた僕が一番よく判る。

    問、なぜ、いろいろな宗教がある中、日蓮正宗が本当の仏教と言えるのか?

    答、現証結果として自分が願ったことや祈念したことが叶う法門であり、自分がこの世でしっかり生き抜く勇気と希望が生まれ、人格の完成である成仏がこの世でできる仏教こそ本物である。

    問、この日蓮正宗に入信してしまえば、周りの人々との交わりがしにくくなり、神社や他の仏閣に行けなくなるなど、世間とのつき合いが狭くなるのではないか?

    答、世間の人々に振り回されて前が見えずに悩んで生きるか、信心・唱題によって人生の根本的な問題を前向きに解決していく生き方をするか、どちらの方が幸せなのだろうか?自分の人生の道しるべがしっかりと揺るぎないものになることこそ今の自分たちには必要ではないか?


    そんなやりとりをする中、私たちの唱題会は20回を超え、唱題会に行くことが習慣になっていきました。7月7日には、私はTさんにお経本とお数珠をお渡ししました。そして8月5日、お母さんの手術が成功しました。その後、緊急の手術をされた日もありましたが、失明するかも知れないと言われても、私たちは唱題を重ね、お母さんの目は見えるようになったのです。

    9月の上旬、私はTさんに言いました。「Tさん、僕は絶対諦めません。あなたとあなたの家族に幸せになってほしい。僕の幸せは、Tさんが幸せになり笑顔で生きることなんです」。Tさんは言いました。「僕もそろそろどうするか決めないといけない。人としてけりをつけんとあかんと思います」。

    9月18日の夜、講頭様のお宅で私の妻も同席の中、折伏しました。妻は私たちの入信の時の思いを渾身の力で話しました。そして私はこう言いました。「私は命をかけてあなたと共に大聖人様の大直道を歩みたいのです」。

    この日、Tさんは遂に入信を決意しました。みんなは拍手をいつまでもしていました。私は自分自身が入信を決意した4月の日々を思い出し、目頭が熱くなりました。

    そして10月5日、広布唱題会の晴れの日、Tさんは入信されました。私は自分で言うのはおこがましいですが、地涌の菩薩になりたいと思っていました。Tさんの入信はその第一歩となりました。

    Tさんはいつも私を「ご院さん、ご院さん」と呼んでくださるので、「もう僕はご院さんと呼ばれることはできません」と言ったら、「これからはご院さんではなく、ご縁さんと呼びます。何でかと言ったら、本当のすばらしい法門のご縁をくださった恩人だからです」と言われました。

    そしてこの日、私たち一家を折伏してくださったMさんのご主人も、めでたく入信されました。


    登山で折伏の門出

    私にとってTさんの入信は、信心の確信への大きな第一歩となりました。浄土真宗という念仏の住職をしていた私の人生の大変革に共に歩み出してくださった地涌の友となったのです。私とTさんは、新しい希望を胸に生きていくようになりました。それは念仏寺院である私の古巣で、迷い、苦しんでおられる方々を正法の道にお連れするという決意です。 今日もTさんは笑顔で言われます。「僕は日蓮正宗に入ったことを今、自分の会社の社員にも、友達にも言います。そして母にも。息子については、いつかお寺で御住職様に悩みをすべて聞いてもらいながら、人生の指針をしっかり持ってくれる、そんな生き方をしてくれることを毎朝、御祈念しているんです」。

    僕はなんて幸せなんでしょう。僕に入信の時の原点、新鮮な信心の歓びの大切さを笑顔で教えてくださっている方、それがTさんです。

    11月2日、快晴のすばらしい日に私たちは支部総登山に参加しました。Tさんにとっては初めての登山でした。朝の勤行、広布唱題会、御開扉と続く中、Tさんは僕にこう言われました。「僕はこの日は天気も心も快晴だと確信していました。大聖人様が必ずそうしてくださると信じていました。ご縁さん、やっばり来てよかった、感動しました」。

    二人の足取りはもう、次にここへお連れする人のために確かなものになっていたのです。



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