この出陣式には、記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化をはじめ、全御宗門の指導教師が御出席され、記念局副委員長の法華講総講頭・柳沢連合会委員長をはじめ法華講大講頭、総本山総代、法華講連合会幹事・地方部長、全国法華講各支部の1万9430余名、寺族、海外7カ国から50名の海外信徒代表も客殿はじめ大講堂・広布坊・常来坊ほかの各宿坊で参加した。
定刻に御法主日如上人猊下が客殿に御入場あそばされ、題目三唱、開式の辞で出陣式は始まった。地涌倍増大結集推進委員会主任委員の庶務部長・阿部信彰御尊師が開式挨拶で、家庭訪問による掘り起こしと折伏・育成の徹底で7万5千名大結集総会を達成し、さらに1年にわたる50万総登山を完遂し、全講員が主体者となり大折伏戦を展開しようと述べられた。
続く決意で、全国地方部長を代表し地涌倍増大結集推進委員会委員で茨城地方部長の永井大講頭が、僧俗一致・異体同心の団結をもってすべての障魔を乗り越えての、御命題完全達成を誓った。同じく決意で記念局副委員長の総講頭・柳沢委員長は、特別御供養の御礼と御法主上人猊下へ御奉呈申し上げたとの報告の後、世間が生活困難な段階に入った今折伏は急務で、すべての御命題を大成功するため支部内を総点検し、一人ひとりを励ましていくことが大事で、御法主上人猊下の御もと僧俗異体同心、力の限りがんばろうと話した。
続いて、全国宗務支院長を代表して地涌倍増大結集推進委員会委員で神奈川布教区支院長の土居崎慈成御尊師が決意に立たれ、三世に亘る大果報を得る千載一遇の時と心得、不惜身命の精進を誓い、大結集総会の大勝利と50万総登山の完全達成を、全僧俗一丸となり成就しようと話された。
挨拶に立たれた記念局委員長・八木総監は、出陣式の感動と勢いをもって大折伏戦を展開し、『立正安国論』の正義を力強く高らかに顕揚していこう、御法主上人猊下の御指南を正直に実践し、7万5千名大結集総会を大成功させ、一人も漏れなく記念総登山に参加して、50万総登山を達成しようと挨拶された。
ここで、御法主上人猊下より御言葉を賜った。御法主上人猊下は、本年は御命題達成をもって仏祖三宝尊と日顕上人にご報告申し上げるべき御命題完結の年であり、就中7万5千名大結集は次なる戦いへの大出陣式でもあると御指南。精鋭7万5千名大結集総会を完全勝利し、記念総登山を達成し、その勢いをもって大折伏戦を展開し、すべての講中が必ず折伏誓願の達成をと、僧俗一致団結しての精進を望まれた。
最後に、昨年記念局において募集・決定された新曲のうち「広布の青嵐(かぜ)」が、大坊在勤の学衆の合唱で披露され、閉会の辞、題目三唱により終了した。
これには、日本より平安寺住職・高野法雄御尊師、興福寺住職・原山元征御尊師、大妙寺住職・高野顕昇御尊師、覚仁寺住職・早川勤道御尊師、唯成寺住職・長谷顕光御尊師をはじめ有縁の御尊師方が来賓として出席され、また台湾全土から本興院主管・石橋頂道御尊師をはじめ台湾全寺院の御尊師方が御出席。さらに地元信徒を中心に約1,400名の信徒が参詣し、共々に新布教所の誕生を慶祝した。
法要は、2回に分けて行われた。第1回目は午前10時から、主に地元三重地域に住む信徒と本興院信徒が参列して、漆畑海外部長の御導師のもと、御本尊御開扉・献膳・読経・唱題と如法に奉修された。式の部に移り、石橋本興院主管の経過報告に続いて、漆畑海外部長より祝辞並びに布教所責任者・長谷玄雄御尊師の紹介があった。その中で海外部長は「長谷布教所責任者の指導のもと僧俗一致して、まずは明年の折伏誓願目標を達成し、さらに総登山を無事故で成功させていただきたい。その上で、三重地域、また台湾広布、さらには世界広布のため大いに精進され、一層堅固な広布の牙城をこの台湾の地に築き上げていただきたい(趣意)」と述べられ、進展する台湾広布の未来に期待を寄せられた。
続いて、布教所設立に際し浄財を御供養された中西昭・陳翠蘭夫妻に対し、感謝状と記念品が贈呈された。次いで高野法雄御尊師、高野顕昇御尊師、林徳晃講頭から、それぞれ祝辞が述べられた。最後に初代布教所責任者に就任された長谷御尊師から丁重な謝辞があり、本堂で代表者による記念撮影が行われ、法要はとどこおりなく終了した。
第2回目の法要は午後3時より行われた。これには台湾全寺院の代表信徒が多数参列した。法要は午前の部と同じく如法に奉修され、式の部では、経過報告、海外部長の祝辞並びに新布教所責任者の紹介に続き、早川勤道御尊師、長谷顕光御尊師、許童栄副講頭からそれぞれ祝辞が述べられ、長谷布教所責任者の謝辞をもって終了した。
夕刻には、市内のホテルに会場を移し、約550名の僧俗が一堂に会して記念祝賀会が行われ、待望久しかった新布教所開設の喜びを分かち合った。
三重布教所は、地域の幹線道路沿いの新築の商業ビルの2階に位置し、数年後に開通予定の地下鉄の駅から徒歩5分の交通至便の地にある。総面積は公共スペースを含めて約400坪で、その中に約700名収容可能な本堂をはじめ、ロビー・受付・事務所・会議室・庫裡等を備えている。当布教所には、台北首都圏西部地域の約2,700名の信徒が所属することになる。このたびの三重布教所の開所により、台北圏に3カ所の法域が開かれたことになり、信徒の喜びは計り知れない。台湾広布にますます弾みがつくことが期待される。
穏やかな法要日和に恵まれました本日、御法主日如上人猊下の大導師を仰ぎ奉り、また、御隠尊日顕上人猊下のお出ましを賜りまして、当百貫坊の落慶法要がこのように大きな喜びの中、晴れやかに厳かに行われましたことを、記念局といたしまして心からお祝いを申し上げます。たいへんおめでとうございます。
『立正安国論』正義顕揚750年の記念事業のうち、総本山総合整備事業として18ヵ坊建替え新築という大事業の、掉尾(とうび)を飾る法要が本日めでたく行われましたが、振り返りますと一昨年秋に最初の坊の起工式を行ってから、わずか2年余りというまことに短い期間に驚異的なスピードでこの大事業がなされたということは、本当に感激に絶えません。これはひとえに仏祖三宝様の御加護であり、また御当代日如上人猊下の御威徳であり、同時にまた宗内の法華講員をはじめ寺院・御僧侶・寺族など多くの方々の並々ならぬ尊い護法の志によるところでございます。
また、さらに思いますと、今日このように全国の法華講員が活き活きと折伏弘通に邁進し、総本山や末寺の外護にと活動されている隆々たる宗門の基礎を築かれたのは、永年にわたる御歴代上人の御教導によるところであり、就中、前御法主日顕上人猊下は事ある毎に法華講員の信心の倍増、折伏や育成、そして組織の拡充強化等について心を砕かれました。また、画期的な支部総登山を御提唱あそばされて、全国の法華講員が住職と共に毎年お山へ参詣するということが今日定着してきた。そしてその路線を継承あそばされた御当代日如上人猊下の積極的な推進と展開への適確な御指南等、これら様々なことの積み重ねによると、このように深く感謝を申し上げる次第でございます。
当坊は近年におきましては、昭和47年、日達上人の時代に一度建て替えられて今日まで推移してまいりました。なお、この百貫坊の「百貫」という名前の由来につきましては、総本山第17世の日精上人がお書き達しになっていらっしゃいます。それによりますと、あると大聖人様が甲斐の鰍沢へお出ましのときに、近くの早川が増水して川越えが難しかった。このときに水の達人であった日仙師が、大聖人様をはじめお供の方々をみんな背中に背負って川を渡られた。そこで、大聖人様から、この大水に百貫の銭を出して買う馬にも負けない働きであったとお褒めの言葉があった、そこから日仙師は百貫公・百貫房と言われるような異称がついたということが伝えられております。
今日をもちまして、先はども御法主日如上人猊下から御言葉がございましたように、今回の計画18ヵ坊はすべて何の蹉跌(さてつ)もなく期日までに出来上がりました。記念局といたしましても関係者各位に満腔の謝意を表する次第でございます。ありがとうございました。
しかしながら、まだまだ為すべきことはたくさんございます。殊に、我々は一天四海皆帰妙法・広宣流布をめざして進む宗団でございますが、そういう意味におきましていよいよ心を引き締めて地涌倍増、広布へ向かっての大折伏戦を展開して、大聖人様、そしてまた御法主上人猊下への御報恩の道を尽くしていくことが大事だと思います。
当坊の佐藤住職は内事部の主任理事として、御法主上人猊下を補佐申し上げる大事な役目を務めていらっしゃいます。明年はご承知のように『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に当たって、記念大法要をはじめ、精鋭7万5千名の大結集総会、そしてまた年間を通じての50万総登山という大事業を控えておりますが、これらにつきましても、総本山の受け入れの総責任者として、御法主上人猊下の御意志を体して、さらにまた内事部理事の皆さん方を統率しながら十分な働きをしていただけるものと、このように期待をいたすものでございます。
前任地の大阪・豊中市の本教寺におきまして長年ご奉公されておりましたが、先年、転任してお山へお見えになりました。この前任地の本教寺につきましては、長年丹精をして、お寺を建て替えるための費用を蓄え、様々な準備をして、さあこれからというときにお山へ上がられましたが、その意志を継ぎまして後任の方が、立派に本教寺の新築建替えを行われまして、先般、御法主上人猊下の御下向によって落慶法要がめでたく奉修をされました。さらにまた佐藤師は、この百貫坊におきまして、法華講支部の指導教師としての務めを十分に果たし、本年度の折伏誓願目標を早々と100%達成して、余力を持ってさらに前に進んでいくと、このように布教の面におきましても、十分なご活躍をされております。
今後共、御法主上人猊下の御意を体して、この広大な境域を持ちます総本山厳護発展の要として、存分のご活躍を心からご期待をいたしまして、本日のお祝いの言葉といたしたいと思います。たいへんおめでとうございました。
精鋭7万5千名の大結集に向けて
台湾に9番名の法城(台北県)
当百貫坊の歴史は、遠く1290(正応3)年、日興上人の身延御離山、そして大石寺開創の際にお供をされた摂津公日仙師の建立にかかわるところでございます。この日仙師は、日興上人の一周忌の機会に、かつては上蓮坊と言われておりましたここ百貫坊において、重須の、今の北山本門寺の伊与公日代師と方便品読誦の是非につきまして、いわゆる「仙代問答」が行われたことで有名でございます。その後、日仙師は最初の師匠であります寂日坊日華師が四国のほうに布教されたその跡を継いでそちらへ渡られて、最終的には讃岐の本門寺建立の基礎を築かれたという布教の面で立派な活躍をされた方であります。また日仙師と言いますと、大聖人様から御本尊様を授かっており、現在では東京の常泉寺に格護されております。そういったことも思い起こされることであります。