<3〜8面>
本年は、大聖人様が『立正安国論』を御提出あそばされ、当月寺の一凶は念仏と破折あそばされて750年目である。そこで、邪宗は念仏のみでないことは無論だが、時の不思議のしからしむるところと、急遽、本地寺御住職・宗像高道御尊師の司会のもと、入信までの経緯、仏法の付嘱のない教えがいかに人生を狂わす不幸のもとであるか等、語り合っていただいた。
Y はい、忘れもしません、御住職とお会いしたのは平成19年10月10日水曜日です。いろいろお話を伺って、でも僕は反論できなかった。
僕は昭和31年に浄土真宗本願寺派の寺で生まれました。祖母に「あなたは大事なお寺の息子やからな」と大切に育てられ、自分でもお寺の長男に生まれたことをすばらしいことと思っておりました。高校卒業後の進路について父に「僧侶になることはお前が心からそうしようと決意したとき得度すればいいんだ」と言われ、音楽の特技を活かせる大学に行くことにし、独り下宿生活を送りました。その頃、「人はなぜ生まれ、生きて死んでいくのか」「生とは何か、死とは何か」と考え、この人生の大問題を解決しようと得度を決意し、大学1回生の夏に僧侶になりました。
その後、やはり浄土真宗寺院の末娘として育った妻と結婚し、夫婦で寺の護持発展のため暗中模索、仏教とは関係のない行事やイベントまでして、門徒の方々に足を運んで貰おうと努力しました。やがて父の突然の死を機に跡を継いで、念仏の寺の住職をしていました。その後、家族と向き合えないまま、「子供とちゃんと関わって」と言われても逃げ、妻に期待された家族の支えの中心になれぬまま年月が過ぎました。念仏は非僧非俗と言うのですが、僧侶でありながら中学校で教師の仕事をしていて、おかしなことだと思いませんでした。自分に都合のよい時は僧でいて、都合が悪くなったら俗の立場に逃げ込めるという日々でした。
妻が、悩みを本地寺支部の宮本さんに相談し、方法はあるけれどあなたの家がひっくり返るかも知れないと言われた。妻はそれでもと食い下がって教えて貴い、本地寺で御住職とお会いした。「そんなにご主人が憎いの」「いや、憎くはないんだけど」「それじゃ、あなただけ幸せになりたいの」と。「家族全員が幸せになりたい」と御住職に言って入信し、妻は家族の折伏に入ったんですね。最初、「南無妙法蓮華経をとるか浄土真宗をとるか、どっちかにしないと俺は知らないぞ」と言っていたら、彼女は「そんなことは私は言ってないの、家族が幸せになって欲しいの」と言いました。それを一貫して通していました。
御住職にお会いしたとき、妻から私のことをいろいろと聞いていたと思うのですが、それを一言もおっしゃらなかった。「よく来てくださいました」とおっしゃって、僕の人格を一切否定されず、念仏を厳しく破折された。それに感動して、いつの間にか本地寺に通うようになりました。
それまでも、西方極楽浄土で救われるのは違うと、どこかで思ってはいたんですよ。何で死んでから救われなきゃいけないのと。年中、葬式があり、自殺も多かった。生きている間に何で成仏しないの。西方極楽浄土に阿弥陀がいて、それが救ってくれる約束をしてるけど、戻って証明してくれないから判らないわけですよ。それより、この世で救われる世界が浄土だと、誰か言ってくれないかなと思っていたら、いらしたんですよ、御住職が。嬉しかったですね。
宗像 でも、浄土真宗とのけじめをつけ入信するまでは、寺があるから、しばらくは念仏のお葬式もしないとならなかったんですよね。
Y それも学校の仕事がありますから平日はできなくて、土日ともなれば年回忌の法要を4つくらいこなすわけですよ。その合間に本地寺に行って、唱題する。お寺に行けない日は庫裡で唱題する。そのうち頭が混乱して、今は唱題の時間か念仏の時間か判らなくなりそうなことが何度もありました。子供の頃から祖母に念仏を悪く言ったら罰が当たるから絶対にだめと言われていたので、南無妙法蓮華経なんて唱えたら天罰が下ってどうなるだろうと、そんな思いが一杯あったのに、ある日、車を運転して「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と言っている自分がいたんですよ。
宗像 寺の本堂で念仏、部屋では南無妙法蓮華経という生活を送りながら。Yさんのすごいところは、入信の1カ月くらい前、いつも「僕はぜったいにぶれずにその日(改宗する日)を迎えますから」と言っていた。ぶれたくないって。
Y ぶれたら終わりだと思ったんですよ。檀家さんへの連絡、滋賀教区教務所への手続きと、段取りを踏んで着々とやり切った。御住職がいてくださって、サポートがあってやり切れました。入信前の最後の大仕事に親鸞の750回忌法要があり、その後、「念仏をやめて日蓮正宗に改宗する」と言ったんです。そうしたら、本来、石を投げられるはずの僕のために送別会を門徒さんたちが開いてくださって、二次会までしてくださった。そして、お酒が入っていたこともありますけど、冗談とも本心ともつかず「もう、このままみんなで日蓮正宗に変わろうか」って言ってくださった方がいた。後に入信するTさんは「羨ましい」って言ってくださった。「あの日はよかった」って、門徒さんがその日撮った写真くれたんです。法要を通じて大好きになった門徒さんたちを折伏する、これは僕のライフワークです。
宗像 その後、入信されたTさんは世話役だったんですね。では次に、Sさんの入信の経緯をお話してもらえませんか。
S 僕も実家が念仏の寺で、父が住職、兄も僧侶です。宗門の教育機関である龍谷大学に入り、1回生のとき僧侶になりました。卒業して沖縄県宗務事務所(沖縄別院)に配属されたんです。その後、縁あって紹介者である兼浜さんのやっていらっしゃる民宿に泊まりました。自分が僧侶であるということも話しました。
ちょうどその頃、近くの小学校の児童が別院の賽銭泥棒をするという出来事がありまして、謝りにその子を連れて教師が尋ねてこられました。そのとき僕が子供に対し誡めている姿を見てか、学校に来て子供たちに仏教の話をしてやって欲しいと頼まれました。民宿で泊まった翌朝、兼浜さんにそのことを話したら、そこで破折が始まったんです。「前に立って話すということは責任がある、影響も与える。三世の生命も知らないあなたの法話を聞かされる子供たちがかわいそうでしかたがない。悪縁で子供の命を汚してしまう、やめたはうがいい」と。「昔の僧侶は道端で出会って法論をして負けたら、屈した。そのくらい潔かった。男だったら逃げるな」とも言われました。
その後、兼浜さんに光明寺執事の川瀬良大御尊師とお話をしたらどうだと言われ、実はこのままで仕事を続けていくのがもう苦しかったもんですから。
Y Sさんは、専門僧侶のような部署で、しょっちゅうお葬式に行ってましたからね。
S それで、門を叩くではないですが、兼浜さんのお宅で行われた宅御講に何回か参加しました。そのとき見せられたのが『無量義経』の「四十余年未顕真実」の文でした。御尊師から「君も寺院に帰れば一人の僧侶として人を導く立場だと思うが、もし信徒が悩みを相談してきたら、自分には確信がないのに、上辺だけ取り繕って答えるのですか。それはいかがなものか」とも言われました。
宗像 確信がなかったんだ。
S ないですね。疑問を持ち始め、悩んだのは23〜4の頃からです。
宗像 では、その話は後でまた伺います。
S はい。そして悩み、逃げたいという思いも出てきましたが、逃げても何がこの後の自分の人生に残っているんだ、疑問を持ちながら僧侶を続けていくのかというと、それはできない。そして何回目か宅御講に参加した後に、『大白法』のYさんの体験を見せていただいたんです。兼浜さんに「百聞は一見にしかず、会ってきなさい」と言われ、昨年の9月28・29日で滋賀県までお会いしに行きました。夜、到着すると駅で待っていてくださって、お腹が空いていたので一緒に食事しながらお話しました。
やはり先輩ですから、お話を聞いて、「ああ、本当にその通りだ、その通りだ」というものがたくさんありまして。僕がずっと感じていたことですけれども、自分が念仏をして、果たしてお話したその人を必ず幸せにできるかというと、そういう確信はないんです。口では言うんですけど、心では思っていないんです、矛盾ですね。これが一致しているYさんを目の前にして、そのYさんが「念仏の時は言えなかった。今なら自信を持って幸せにできますと言える」と言う確信を直に受け取って。
常々、兼浜さんも物事をズバッと言われる。Yさんの体験を見ても、本地寺の御住職が「どんな形でもいいから息子さんを連れてきなさい」と確信を持って言い切っておられる。この確信が、一番感じました、念仏との違いですね。そして翌日でしたね、本地寺に。
Y そうですね。最初お会いしたときぬ、やはり念仏ですから、素直な好青年だけど、なんかはっきりしないで、もぞもぞしておられたんですよ。僕も以前は御住職の前でそうだったんでしょうね。「いや、あの、その」とか。でも、もぞもぞしてるけど、もうSさんは掴んでいるなと思いました。そうでないと、沖縄からわざわざ来ない。夜の11時〜12時頃までお話しましたね。
それでSさんに、「今、あなた念仏で人を幸せにできますか」と問うたんです。我々は僧侶として、それでお布施をもらったり、僕の場合は住職としてお付き合いさせてもらってましたからね。僕は、本当に人を救えますかと聞かれたとき、あの本尊では、あのお経では、あのやり方では無理、と確実に言えたから。
僕にとっても記念すべき日です。話しながら自分自身をも折伏していた、確信をまた持てた。最後に「もう、やろうよ、やってみるしかないよ」と言ったんです。「もう明日、唱題しに行こう」と言ったら、「行きます」って言われた。それですぐ、御住職に「明日、連れて行きます」とお電話したんです。
S 翌日、本地寺にお詣りさせていただいて、初めて口から御題目が出ました。心の中では出ていても、やはり平日は僧侶の衣を着て仕事していますし、何か葛藤があったんですけれども。あのとき初めてでした。それまでは、念珠も経本も持たされて、念珠の掛け方も教わったんですけれども、口からは出なかったんですね。宅御講に参加しても、下を向いてうつむいているだけだったんです、手も合わせられずに。
それと本地寺の御住職にお会いしたと、法華経の『薬王品』に阿弥陀仏が出てくる箇所を見せられました。ショックでした。浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)以外に阿弥陀仏が出てきたことに、「知らなかった」と愕然としました。
Y 法華経を習わない、見てはいけないんですから。
S その後は沖縄に戻って、朝の勤行はできないんですけれども、夜の勤行を兼浜さんの家で一緒にさせていただいて。
宗像 朝は念仏のお経で夜は日蓮正宗の勤行だったんだ。
S ええ。1カ月ほどそれを続けておりましたときに、上司に当たる方の転勤が決まりました。他の人から見たら、何ということはないんですけど、すごくいい機会、時だったんです。私も辞めさせていただこうと。
Y 12月に入って、電話をいただいたんですよね。「Yさん、僕今度、何とか(日蓮正宗に)入ります」と。でも、また「ちょっとこの頃だめです」とか、何度か電話があったんです、それが念仏なんですね。
S 決断できたのは、さっきサポートということが出てましたけど、どこかで皆さんが逃げないようにしてくれていたことと、上司の転勤です。そして平成20年内に辞めさせていただきますと報告をしておったんですが、いくら仕事を辞めても僧籍を持っているんです。光明寺御住職・川瀬慈証御尊師に、「僧侶を辞めるということを実家の家族に話してけじめをきちんとつけないとだめですよ」と言われました。12月17日の宅御講のときに兼浜さんからも、「勘当されないとだめだ、そうじゃないと何も解決しない」と言われました。
それで実家に電話したんです。宅御講の後、三日連続で話しました。忙しくてすぐには行けなかったんで。ずいぶんいろいろ言われました。Sを名乗るなと。そして帰って、家族会議になりまして、自分は日蓮正宗に帰依して、間違いを正していきたいと言ったんです。父に教義的な話は止めようと言われ、覚悟してくれているなと感じました。母はただ涙しているだけで、何でそうなったのかと呆然としていました。
翌朝、帰り際に、「もう一度だけ聞きたいけれども、念仏の何がいけないとお前は思っているんだ」と聞かれ、「念仏を唱えていても救われない、念仏は見て見ぬ振りだと思う」と。そういう疑問を持っている人、絶対に僕だけじゃないんですよ。
宗像 それは確信がありますか。
S ありますよ、僧侶同士で話していて、そういうことが判らないとはっきり言いますから。
Y 救われるということを、最終的に求められない。幸せになりますというような、その現証を語りません。
宗像 阿弥陀の世界が架空世界ですから、現実世界に落としきれないわけですよ。みんな悩みを持っているけれども、それを打開する理論がない。悩んでいる人がいても関わっちゃいけない、見て見ぬ振りをしながら次に話を進めていかなければならない世界なんですよね。多分、お二人共、正直になれたということが、一番実感できるんじゃないでしょうか。
二人 そうですね。
S 浄土真宗には行(ぎょう)というのがないんですけれど、敢えて言えは聞くこと、「聴聞」です。「聴聞」を重ねることによって自分の考え方や普段の生活の行いが否定されていき、そんな自分であったと気付かされ、尚かつ、そんな自分がそのまま阿弥陀仏に救われていくというんです。大きな矛盾です。そこには、実際に自分が抱えている悩みや問題解決の答えが用意されていません。また、流されて生きるから無責任な考えを持って生きていくし、それは見て見ぬ振りをするというのにも繋がります。「仕方がない」という言葉もそこから出てくる。
宗像 念仏の人の習性ですぬ、「しょうがない」っていう諦めは。
Y 勘当と言えば、親鸞も義絶していますね。
宗像 だから、六親不和ですよ、親子関係、兄弟関係、うまくいっているように見えても現実には、うまくいっていない。
Y そうです。むしろ義絶を美化して、「それ(家族の絆)より法を守った」と美徳のようになっているところがあります。念仏は面目を大事にし、面子をつぶされるのを嫌がります。だから、お前が念仏を止めたせいで、我々がこれだけ迷惑を被ったんだぞということになるんです。
S もう実家には帰ってこられないんだなと思いましたが、勘当されても親子ですから、必ず折伏したいと思っています。そして12月30日に入信しました。
Y 「帰俗願い」といって、僧侶を辞めるのにもお金がかかるんですけどね。
宗像 お二人の入信までをあらまし伺いましたが、その中に、念仏の習性や害毒ということも入っていましたね。そもそも浄土の教えというのは、大聖人様が破折された当時、たくさんの人が死んでいった。特に平安末期、疫病、それから飢餓、災難によって大勢が死んでいく時代、生きる希望を失ってしまった人たちにとって、死ぬことが当たり前で、むしろこんなに苦しむなら死にたいと思っている衆生の時代に法然が出てきて、死んだら極楽にいけるぞと耳元で囁けば、あっという間に弘まるわけです。でも、それは宗教ではない。
念仏と一口に言っても浄土宗と浄土真宗は、まるで別物というくらい、お経の解釈にしても違いますが、念仏の害毒ということでは本質に違いはありません。いかに間違った教えか身をもって知っているお二人に、後半では、さらにこの点を語っていただきたいですね。
Y 南無妙法蓮華経は悪魔の言葉と教えられてきましたよね。
S そうです。僕は日蓮正宗の教えとか難しいことはまだ勉強していないのですが、出会った方々を見ていて、行動力と実践力、それから確信を感じます。確信を持って行動していける姿、いつ行動すべきかという時を感じているというのが、全然違います。
宗像 浄土真宗と浄土宗とは教えやお経等で違いがありますが、念仏ということでは括れますね。
Y 浄土真宗では念仏は一念(一遍のこと)でいいと教えられ、浄土宗は十念以上唱えよとなっていて、お経も達うんですが、本質は変わらないです。念仏は行動を阻害し、妙法は行動を生みます。人生を生き抜くには、妙法でしか生きられません。念仏は、自分をどんどん後ろ向きにさせます。
僧侶を辞める前に私は、自分のいた寺の本堂大屋根の修復を7年かけて終えてましたので、本堂大屋根修復委員会を終結させて、次に親鸞の750回忌法要並びに本堂大屋根落慶法要委員会を発足させ、門信徒代表、世話役の方々と会合を重ねて昨年3月16日にその法要を奉修しました。うちの寺では何かこういう法要があると、必ずと言っていいほど諍(いさか)いやトラブルがあったんですが、この時はすべてが成功し来賓も門信徒さんも大喝采を送ってくださいました。当日、妻が朝から皆さんが帰られるまで、庫裡の仕事の傍ら唱題してくれていたんです。法要の前夜は、唱題中に家中の物が、ガンガンと叩かれたようなもの凄い音がして、妻と息子と3人で、負けまいと唱超しました。
次に教区教務所長にお会いして「親鷲の法門では人々が救われないことを悟りましたので日蓮正宗に帰依します」と言い、家族や親族に代務を頼めないのかと聞かれたので、「家族も入信する。親族はすべて浄土真宗ですから、私が否定している法門の親族に相談はできない。もし知人や志のある方と相談して住職を立てろと言われるなら、日蓮正宗の御僧侶と相談することとなる」と言って、特命代務住職の派遣をお願いしました。そして緊急総代会を持ち、退任理由を発表しました。その間も妻は御題目を唱えてくれていました。そうして総代さん、誰一人怒る方もなく厳粛に受け止めてくださり、いなくなるのが寂しいと泣いてくださいました。
3月22日には「住職の退任と今後の寺院運営について」を表題に役員総会を持ち、退任の事由として、浄土真宗の教えの間違いについて、
○念仏の教えで救われると言うが、娑婆を穢土と嫌う厭世思想は、現実逃避以外の何ものでもない。
等々を挙げ、「このため浄土真宗の法義を守り、この教えに基づいて寺院護持をすることは私にとって仏法上の罪になることが判り、住職を続けていくことはできなくなった」という「趣意書」をお配りして、大石寺のDVDをお見せしました。そして総代代表様が、「新しい生き方を宣言されたご住職を応援したい」と言ってくださったんです。
僕は罵声を沿びせられる覚悟だったんですが、この方の言葉を総意として住職退任を認めていただけ、「会議はこのくらいにして、ご住職退任に対する宴に」と、お別れ会をしてくださった。教区では、Yは親鸞を裏切ったと言われました。でも、僕は裏切ってなどいません。なすべきことをすべて、手順を踏んできっちり行い、辞めました。
S 浄土真宗の布教は、面白おかしく、いわゆる一般仏教の考え方を取り入れて受けのいい話をするんです。布教使と言われる資格を持った人たちがいますが、人気のある布教使はたいがい落語を研究しています。
論法は、まず自己の欲深さ・愚かさ・無力さを面白おかしく、例え話や涙を誘うような話を用いてして、救いようのない我が身であると認識させるんです。次いで、そんな我が身が、実は阿弥陀仏の救いの対象であると、阿弥陀仏の慈悲深さを説きます。そんなもの慈悲でも何でもないんですが、たいがいの門信徒はそれを聞いて有り難いと感じているんです。そして、『歎異抄』に「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とありますが、どのような行も修し得ない「私」は地獄に堕ちるしかないけれど、阿弥陀の広大無辺の慈悲(本願力)に救われ、すべてをお任せし生涯を安心して生き抜いていく(本願他力)というふうに説くんです。一見、よい話のようですが、肝心のところが曖昧ですよね。
決定的に欠けているのは三世に亘る「因果の理法」です。「因果の理法」を説かないから、自分の罪悪も現世でやってきたことでしか判らない。過去世の業が現世に現れていることを知らない。また現世の行いが来世に繋がることも知らないですよね。それで不幸な出来事が起こると、「なぜこんな目に遭うんだ」となってしまうんです。信仰の上に現証としての結果を見出せませんし、解決できません。そして、それらを抱えたまま阿弥陀仏に任せて人生を生きていこうとする。これでは何も解決しないし、行動力も生まれません。流されて生きているのと同じです。
Y そうですね。現証ということですが、僕の長男は、もともと発達障害と診断され、原因が判りませんでした。その子が、入信してから3〜4カ月というわずかの間で、どんどん変わっているんです。自分が何者かが判らなかったのが自分のことが判るようになり、自分から勤行を覚えたり。前は本人は毎日、生き辛さで苦しんでいました。御住職の宗像御尊師はカウンセラーのように彼の心のケアもしてくださり、今度はこうしてごらんとハードルを少しずつ高くしてくださって、どんどん自立していってるんです。この信心を始めて仕事に就くことができて、今は進んで仕事に行ける。やっと普通に生きられるようになってきた。
彼は、「この南無妙法蓮華経を唱えなかったら、僕の人生はなかった」とか「浄土真宗の僧侶だった頃のお父さんは獣(かもの)のような顔をしてた。今は本当に優しい顔をしている。それだけでもすてきだ」とはっきり言います。こういう子は感じたままを言うんですね。
宗像 彼の変化は、私も本当に驚きました。御題目の功徳はすごいですね。
Y 次男は、体験発表でお話したようにアトピーが治りました。信心をさぼればまた出てきますから、それと葛藤して、自分のやり直しをこの信心でやろうとしている。
そして僕自身のことですが、講頭さんが一緒に行ってくださって初めてご登山したときに、丑寅勤行の引き題目で、御法主上人猊下のお声を聞きながら目をつむっていたら、客殿の天井から天女が舞い降りてきたんです。そして、朝になって「誰、枕カバー黒くしたの」と言われ、それは僕の使ったものでした。白い枕カバーが真っ黒になっていた。寝ている間、口から黒いものが出ていたんですね。洗っても落ちなかった。
今でも登山に行く前は体調もぐちゃぐちゃになります。それでも登山して、「わー、嬉しい」ってなるんです。「日蓮正宗に入りました。はい、よくなりました」って、そんなわけにいかないですよ。御住職が冗談ともなく、「これからがたいへんですよ。念仏の葬式でお経をあげて、みんなを地獄に堕としてきているんだからね。まあ、がんばりなさい」とおっしゃるんですが。
S ああ、やはりそうですか。私もあちこち、自分の持病が出て、痛みとかで辛いことがあります。
Y 私は最初の頃、御題目が「ガンガーリキ」としか聞こえなかったんです。妻は、「レンゲガンショウ」と聞こえたそうで、しばらくすると、歯車がカチッと合うように「ナンミョウホウレンゲキョウ」と聞こえる。今はほとんどありませんが、信心状態の目安でもあるんです。
宗像 正しい音が正しく聞こえないんですね。一生懸命に罪障消滅していかなければね。
Y そう、罪障消滅という言葉も入信して初めて聞きました。先ほども言いましたけど、僕たちは御供養、追善供養もなかったです。葬儀は、それをご縁に阿弥陀如来にいただいたご恩を返すための儀式なだけですから。
S 教義的には即得往生と言って、亡くなったと同時に極楽浄土の世界に行っていることになってるから、追善供養は必要がないですからね。
宗像 往生は片道切符の行ったきり、その世界にずっととどまっているから、来世に生まれ変わることはないと説くんですよね。
S はい、念仏では生まれ変わることを認めていません。亡くなった人に対してではなくて、生きている人のための縁だけです。遺族のケアがメインというか。何よりの間違いは、本尊としている阿弥陀仏ですよね。日蓮正宗では、「上求菩提、下化衆生」とあるように、自行化他の菩薩行を日々繰り返し、努力している姿、努力し続ける姿こそが仏であると思うんです。仏に成る因を積んで仏に成る果を出す。でも浄土真宗では、努力して念仏を信仰しても意味がないんです。「いずれの行もおよびがたき身…」で念仏すら行でもないわけで、行を積まずに阿弥陀仏の大慈悲心で仏に成るなんて、道理から外れています。
Y 他力という意味を阿弥陀仏の力で救われると言うけど、さっきSさんが言ったように、他人任せです。阿弥陀仏の力でないと救われないと思わされてしまう。その他力を仏の本願力なんて言ってきましたが、現証として現れないから、どんな力かというのが見えないんですよ。願うことはできても、祈ることもできないし仏道修行もないんです。日蓮正宗ですごいと思ったのは、御僧侶方がそれだけ修行なさっていること。だから、御住職様には法義からふだんの生活まで、何から何まで聞くことができる。僕たちは法華講員になれて、御法主上人猊下の御指南を拝し、御住職の御指導、そして講頭様からの言葉を受けて行動し、毎日が修行です。
宗像 お二人共、浄土真宗の僧侶から、生活の糧となる給料なり収入の入る寺を捨てて入信されています。これは、在家の方が仕事を変えずに入信するのとは、全く達うんですね。それを捨ててでも信仰に軸足を置くという決断は、私たちの想像を超える苦しみがあったと思います。その決断に至るには、これまでのお話のように念仏の間違いを悟り、日蓮正宗が正しいとの確信があったからですが、それぞれ、救わなければと思っている方がいると思います。
S 実家に帰った日に、父が「みんなで勤行するから本堂に行こう」と言って、僕も座りましたが、念仏のお経を唱えることができませんでした。それを見て覚悟を決めたであろう両親のことを思います。いずれ絶対に家族を折伏したいですね。
Y 僕も母、親族、元の檀家さんたちですね。
宗像 『立正安国論』で大聖人様は、念仏を国を滅ぼす元凶であると破折あそばされて幕府に提出されました。その『立正安国諭』を著されてより750年の佳節が本年ですが、その前年にお二人が入信したのは不思議なことです。
Y 御住職にも「あなたにしかできない使命がある」と言われましたが、僕が果たすべき使命があると思います。それは本当の地涌の菩薩になることだと思います。
S そうですね。僕も青年部として、これからしっかり自行化他の活動をしていきたいです。
宗像 がんばってまいりましょう。今日は本当にありがとうございました。
二人 どうもありがとうございました。
追善供養も仏道修行もない念仏の信仰では救われない
宗像 Yさんとは、平成19年の秋に初めてお会いしました。念仏僧侶を昨年3月16日の寺院行事をもって退き、入信は4月19日、翌日の地方部絵会に急遽、体験発表をしてもらい、それが『大白法』(743号、753号)に掲載されました。今日は、そのYさんと、やはり念仏僧から入信したSさんと、こうしてお話することとなりました。では、はじめにお二人の入信の経緯をお話ください。
確信と行動―念仏にはない姿
悩み解決の法なく諦(あきら)めが習性
宗像 日蓮正宗と、浄土真宗または念仏との違いについては、いかがですか。
S もともと、日蓮正宗という名前を聞いたことがありませんでした。それに、南無妙法蓮華経イコール創価学会というイメージでしたね。
○念仏が本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の教典の中に出てくる方便、架空の仏であり、実際にこの世に出て苦悩に職ぐ衆生を救済したという事実はない。西方極楽浄土は、死後の幸せを願うのみであるため、ますます自殺者が増えていく。
○追善供養を禁止しているので、死んだ人が成仏していない。この世で成仏できない。
○親鸞が「自分は地獄に堕ちても構わない」と明言しているため、前向きな生活が望めない。門信徒皆様に、受け身的生活姿勢が蔓延している。
○本当の仏の教え(法華経)を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)てとしてきた大罪。仏説を否定した法然・親鸞の思想は社会の罪障となっており、それを皆様が知らずに信仰している。
○僧侶がたった二週間くらいの研修で資格を取れる。それでどうして、人々の悩み苦しみに向き合って応えられるのか。
○「あんのん医療保険(浄土真宗本願寺派の傷害・医療保険)」を始め、加入を奨励している。
御題目の功力を実感
地涌の菩薩の使命を
※759号分と2回分をまとめて掲載しました。