総講頭・柳沢委員長に聞く
事を事に行じる信心の自覚と御命題実現
大聖人様の信心を我が身に当てはめて末法に弘教する自覚
(編集)今年は、御命題達成の年。待ちに待った本年を一日たりとも無駄にしないそと真剣に励んでいる方がいる一方で、何となく緊張感・緊迫感が足りないと自分で感じている方もいると思います。信心について足りないものがないか、あるとしたならばどこかと、疑問を持ったまま励めずにいる。今日はそういう方のためにお話いただきたいと思います。
(柳沢)我々の、信心の在り方が偏っているとか、また、はっきりしていないというのは、自分を中心にして信を考えているからだと、私はこの頃感じてきましたね。私も真(まこと)の信心を判りたいと、努力して今日まできました。そこで言えることは、自分中心の信は、結果的には自分なりの納得で終わってしまうということですね。表現を変えれば信と言っても十人十色で、それを「あなたのは違うよ」と言われても、言う人も自分が主体で、自分では判ったつもりでいるんですね。そこで、大聖人様は何と仰せられているか、このことを深く考えなければだめですね。
そこで何故、大聖人様は清澄寺をお発ちになり、比叡山に向かわれたのかということです。それは、「日本には今、いっぱい仏教の宗派があるけれども、お釈迦様の教えは何が本当か」という疑問が出てきて、兄弟子たちに聞くけれど判らない。師匠の道善房に聞いても答えがない。そこで次に大聖人様が何をなさったか。この辺が抜けてしまってはだめでしょうね。御自分が虚空蔵菩薩に「日本第一の智者になりたい」と願をかけたと『善無畏三蔵抄』(御書443ページ)にありますね。比叡山御遊学中に、既に結論である「仏の心は法華経」ということは了解あそばされている。
我々の信心は、そこから入っていかなければだめでしょう。他門の法華経を読んでいる人たちは大勢いますが、本質が判らない。文字は読めても中身は判らない。こういうことを大聖人様は『土籠御書』に、「法華経の余人の読み候は、口ばかりは読めども心は読まず。心は読めども身に読まず」(御書483ページ)と仰せられるんです。つまり、なぜ判らないかと言うと、発想が違うのです。大聖人様は一切衆生を救うということなんですが、他門の学者や人々はそういう考えはないから、もう一歩突っ込んだ捉え方ができない。それは信仰に対する根本からの違いです。法を理の上に悟っていこうとする者と、衆生の苦しみを法の力によって救っていく御化導との違いですね。
大聖人様はそれを一歩突っ込んでいくから、教えには方便の教えと実教の教えのあることを見逃さないと私は拝しております。しかし他門の人々は気がつかない。無量義経には、「仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種々に法を説きき。種々に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経23ページ)とありますが、この「未顕真実」の文に必ずぶつかり、そこでけじめがつくはずですが、他門の人は法華経だけを見ていて、教えには権実の二教のあることを知らないのですね。
そして法華経にも、本門と迹門とに分かれてくるんです。比叡山は迹門。権実の問題は本命だから、みんな叡山で学ぶ。しかしながら次の行動が出てこないのはなぜか。それは末法における付嘱がないからです。この付嘱は大事なことです。最初の教えが、代が替わって時代が百年、千年経とうが、万古不動でなければならない。尊い教えであればあるほど正しく伝えなければ後代の人々は救われないのですから、付嘱の問題は重大なことなのです。
では、大聖人様はどう捉えたかと拝すると、釈尊は滅後に対してきちんと道筋をつけているはずだとの見方をなされていたものと拝します。私は御遊学のため清澄山を御出発なされていく大聖人様を思ったときに感じました。それは、一体何宗が本物かと調べに行って得た結論は、末法においては“どれもだめだ”と。この大きな答えを得て、御自身の念願が叶ったということ。そのことを思うと、どんなにお喜びになられたかと、目頭が熱くなります。
大聖人様の御信心は、この付嘱の問題にきたときに、地涌の菩薩が末法に出てくるか出てこないかが結する。そこに、必ず出現すると信じるか信じないかが重要な鍵を握っている。我々の信心もまた、広宣流布が来ることを信じていくか否か、大聖人様の信心をそのまま我が身に当てはめて、末法に弘教していける我が身の自覚です。
そこに、一切衆生、悪人も女人も、二乗も全部救われていくという悉皆成仏について、その感激は、自分の信心の上に持っていなければだめでしょうね。それはどういうことかというと、入信してからの体験と年功によって信心に対する気持ちは強くなるのですが、最初に、今話した信に立たなければだめです。信心すると決めたら、この信の上に立つことです、判っても判らなくても。この信が最も大事なことなのです。
また、私は御題目の助行として『方便品』と『寿量品』を読んでいるんだと判った時は嬉しかったけれども、それまでは何となく御経のほうが有り難く感じていて、御題目の有り難みが薄かった。それは、この辺りのことが曖昧だったからですね。誰もが必ず一生の間に、正行と助行について正しく判っている人に巡り会って聞けるぞという上に、助行を疎(おろそ)かにしてはいけませんね。あるいは、『方便品』の十如是の所は三回繰り返すんだよと言われることについて、私は月例登山会で何回も一念三千と十界互具の話をしてきました。見ているとみんな、ある段階で気がついてくるんでしょうね。私も去年までは今のような境界で話していません。記念局の命により、地方を旅する中で、自分なりに整頓されてきたことなんですから。私自身の一生を通じてきて、晩年にきて、この問題をお話していることなんです。
だから、信心の立脚点をどこに置くかと言ったら、信だよと。大聖人様は、必ず地涌の菩薩とその流類が出て、南無妙法蓮華経と大御本尊様に向かって唱えていく者が全世界に出てくると大確信されていたということですね。
(編集)大聖人様の信心を我が身に当てはめるかどうかで、折伏も違ってきます。何年か経ったから信心も次第にということではなく、今言われる信に立ったときが本当のスタートだということですね。
(柳沢)それが化儀の上において、やがて先に行って気がつくことなんだけど、『方便品』と『寿量品』だけは助行だから唱えておきなさいと。そこに大石寺の化儀があるんです。雄大ですね。ただしね、そういうことは判らなくても御題目を唱えていくことは尊いことなんです。法華経は悉皆成仏なんです。しかも今生で。退転したって、下種されているんだから、未来に生まれて善縁に巡り会えばすぐに蘇ってくる。そこに、執着がなくなって気分も落ち着いてきますよ。
わずかな一生の、そのまたわずかな間で我見を振り回したい人には、「あんたは勉強が足りないよ」と言ってやればいいのです。そういうことに振り回されて苦しみ、一生を棒に振ってはなりません。納得する人が周りにいないからと、いくら求めよう求めようとしても、いなければ仕方ない。自分で掴むか、掴んでいる人のほうへと自分から近づいていく以外にない。そうでないと、せっかくの信心が愚癡になってしまいます。
我々の信心の原点というか基本は、自分中心でなく血脈嗣法の日興上人様の信心が中心です。そこに末法の本因妙の仏・日蓮大聖人様の抜群に有り難いところは、凡夫として我ら衆生と一緒に末法の時代に出てこられて、尊い御身をもって我ら衆生に本因妙の信心の御振る舞いを見せてくださり、そうして御自身が歩かれた、妙法蓮華経の御本仏様に南無する信心の御振る舞いを後代の人々のために記録に残してくださっていることです。
そこで、大聖人様が比叡山に登られたとき、どのような思いで東海道を下られて行ったのだろうか、箱根はどうやって越したんだろうか、途中富士山をどんな思いで御覧になっただろうかと。そうすると自分も一緒に旅しているような感じになってきます。大聖人様は、御遊学先の比叡山で、疑問の結果をきんと掴んで帰って来られるんだから、何とも言えない喜びだったと私は拝します。
しかしながら、この下種仏法の南無妙法蓮華経を一言でも言えば、怨嫉(おんしつ)は必ず起こり、親兄弟に類が及ぶということ。言わなければ、御仏に責められる。そこに大聖人様と地頭の東条景信とのぶつかりは、一切衆生に南無妙法蓮華経と唱えさせんとする立宗宣言の説法の第一声から怒り狂う現証が出てきたことがすごいと思うと同時に、またそれが末法という時代なんですね。
大聖人様の時代にああいう天変地夭が現れてくる形は、仏の出てくるのを待っていたかのようですね。もしも仏が現れなければ、ああいう災害・困難がきたら終わりです。しかしまた、大聖人様の御出現によって皆が「よし、判った」と納得するかと言ったら、納得しないんですからね。そういう中で書かれた『立正安国論』なんですから、これはすごいことですよ。そうやって正論を世に訴え続けて今日まで、750年以上も経ってきたのが、我が御宗門です。これがさらに全世界に向かって広がっていくんですから、凡夫のくだらない考えは頭から吹き飛んでしまいますよね。
生活に即して迷悟を弁え事を事に行じる
(編集)どこに信を置かなければいけないのかが、よく判りました。その上で、これからの法華講の長い歴史の上で、何に注意していけばよいのでしょうか。
(柳沢)今はほとんどの人が現代の教育を受けて大きくなってきています。殊に日本は一時代前、1986年頃に始まるバブルで、我々もその社会環境をくぐっていますね。もちろんその中でも南無妙法蓮華経を唱えてきましたが、重大な関係があるのは煩悩ということです。
今、煩悩について迷悟に分けて話せば、バブル時代の生活は、世界中が欲望を主体とする迷いの煩悩中心の生活でした。その煩悩はイコール貪瞋癡(とんじんち)に違いはありませんけれど、貪瞋癡三毒がだんだん展開されていくと、それぞれの分野に、それぞれの因果がありますから、貪欲も因果関係によって日常生活の中に現れています――これではちょっと抽象的ですね。具体的に言うと、医者の世界にもやはり因果があり貪瞋癡の煩悩が働いている。また、地方議員、国会議員の生活の中にも貪瞋癡の煩悩が出てきて、意見の食い違いや争いがある。同じように教育者であろうと製造業者であろうと財界人であろうと、どこに行ったってみんな貪瞋癡の煩悩で、その世界の生活は因果で動いている。怨嫉もまたそこに出てくるということです。
たとえば、自分が今住んでいる土地で、春夏秋冬を通じて生活していますね。生活はこの国土が主体になって、その国土の上に生老病死をどこまでも展開していく。「国土が主体」ということは、信心の行によって判ってきます。理ではこれは絶対に判らないんですね。それは親の恩との関わり合いだからです。親がその国土に生ずる何を食べて育ててくれたかということです。
行と言うと「自行と化他」を連想しますが、その言葉ではイメージが違います。私の言う行は振る舞いなんです。ところが今、社会に蔓延(まんえん)しているのは、「やった代償として何をくれるの?何もくれないんじゃつまらない」「うるさく言われて仕方ないけど、他に行く所もないからやっているんだ」と、そういう中でやる行が多いのではないですか。
私が言うのはそうではなくて、毎日の生活の中における情(なさ)け深い振る舞い、納得しながらやる行です。我々の子供の頃、まだ小学校へ上がらない時分から、親と一緒に畑へ連れて行かれ子供のできる草取りをしたものです。学校に行くようになってからは、学校から帰ると家の拭き掃除だとか細かいことをやって母親を助けていく。母親もまた野良仕事を懸命にやっているから、留守の間に風呂も沸かしておくけれど、「お前は火を使っちゃだめだよ、お兄ちゃんがやるからね」と火の用心をやかましく言われる。そういうふうにして大きくなっていくんです。そういう中においても、持って生まれた性分、賢い子と鈍な子とがいて、賢い子供は、親の振る舞い、また家に出入りする親族、ご近所の人々を通じて、年寄りの会話、壮者の会話、子供たち同士の世界、口喧嘩が争いになったりする修羅場の問題とか、すべてそういうものを目で見、耳で聞き、肌で感じて勉強し成長していくものです。
今の例は一つの家庭の話ですが、講中も同様です。社会の価値観が違っていく、その中で掴んでいく人間が出てきて、また次の者に教えなければだめなんですよ。それが伝わって行くか行かないかが問題なんです。
在家の場合は職業を持っている中でやるんですから、信行学が揃って、しかも大事な時に巡り合ううなんて、これはもう素晴らしい因縁です。ある時期に自覚するというのは本人の問題ですからね。言われたって自覚でさない者はその任ではないんです。
大事な話なので理と事ということに触れておきますが、日寛上人様は『文底秘沈抄』で、妙楽大師の御言葉を引かれて「本久遠なりと雖(いえど)も観に望むれば事に属す」と。日寛上人様の場合は大聖人様の本因妙の直達正観を御存知だから、そこに「本久遠なりと雖も観に望むれば理に属す」。十界久遠の事の一念三千であると言っても、文底直達の正観から見れば、これは理の一念三千となるのです。
大聖人様の仏法は事を事で行わない限りはだめです。では本当の事とは何かと言ったら直達正観。それは御本尊を固く信じて実際に生活の中で信心をやっていく。その中で一つ判ることによって、次々と生活のこと全般にわたって、また過去からその地域で生活してきた人たちのことも判ってくる。そういう捉え方が因縁であり、大事だというのが事の一念三千なんですね。
今年の1月から総監様のお伴で全国を歩きながら、歳をとってきましたから若いときとは違い体に堪(こた)えますが、そういう旅をする中だからこそ、掴めることがあるのです。大聖人様が我々に言われてることを事で行うんだよということが、旅をして判るのです。それを格好良くしゃべろうと「境界が開く」とか何とか言いますが、これでは相手に通じないでしょうね。今のような話でないと、理と事は判らないんです。
私は六十代の後半に入って、事の一念三千について真剣に考えてきました。答えを御本尊様から教えて戴き、その有り難かった感激は今でも忘れていません。納得できた喜びの上に立つとき、自らが固く信じて、両親の信心に薫発され、仕事をして家族を養いながら、厳しい指導教師の信行に導かれ、「講中に何か心配事があったら、お前の身体のどこか一分が痛いと思え」との御指導を忘れずみんなを引き連れて題目を唱えて折伏に励み今日、八十代半ばを過ぎてきたのでありますから。このことは、心ある者のため、また後から出てくる真の信心を求めていく者のために、このことはこういうことだよと残しておきたい思いです。
信心の信って何だというのは、肝心なことなんです。みんなそれぞれに信に対しイメージを持っていることでしょうが、生活の上に、また一生という年数の上に大きく差は出てきます。
(編集)はい、自ら行ずる中で掴んでいくことですね。
(柳沢)大聖人様の御滅後に何が始まったかと言うと、二祖日興上人様以外の五老僧のほうでは、先ほどお話した煩悩の、迷悟の立て分けがすぐに崩れてしまって、迷いの煩悩と悟りの煩悩のごちゃ混ぜが始まるんです。
一方、人聖人様の正嫡の門下は、二祖日興上人様、三祖日目上人様、さらに日道上人様と今日、前御法主日顕上人猊下、御当代御法主日如上人猊下まで続いて正統を維持し、さらに今、世界に向かって『立正安国』の正義を弘めようとしているのです。
我々の現実生活とかけ離れたものであったら、これは大聖人様の教えではありません。生活は教えの体現であり、教えと自らの生活が一致し、歓びあふれた生活ができるよう、信を改めてまいろうと思いました。
そうです、私たちは大事な時に巡り合う因縁があったのですから。そこに御法主日如上人猊下の御もとに本年は、50万総登山の達成、7万5千名大結集総会で広布へ出陣し、全講員が勤行・唱題と折伏の実践を励み、大利益を戴いてまいろうではありませんか。