大白法

平成21年3月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>



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4月1日より100日間の唱題行(合計750億遍)を実施


記念局第370号宗内一般
 平成21年3月10日  立正安国論正義顕揚750年記念局(印)
―来る4月1日より100日間―
「750億遍唱題行」実施の件
 本日、記念局常任委員会において、総裁・御法主日如上人猊下より、来る4月1日(水)から7月9日(木)までの100日間、「立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会」の完全勝利を目指して、「750億遍唱題行」を実施する旨の御指南を賜りました。

 これは、日本国内の法華講員有志約15万人が、1人1日5000遍(2時間)の唱題を上記の100日間(合計750億遍)行い、その功徳をもってあらゆる障魔を打ち破り、御命題完結に万全を期するために行うものです。

 ついては、各末寺においても、支部役員会等で検討の上、時間を決めて唱題行を実行し、僧俗一丸となって御法主上人猊下の御意にお応え申し上げましょう。

 なお、総本山においては、期間中、御法主上人猊下大導師のもと唱題行を実施いたします。

以 上




海外広布の前線(インドネシア)
イスラム教から改宗、背景の異なる人々を結びつける日蓮正宗の信心


大小1万以上の島々からなり日本の約5倍の広さを持つインドネシアでは、日蓮正宗の信徒は各地に設けられた拠点を中心に日頃の活動を行っている。御報恩御講をはじめとする法要や毎月の御書研修などは、妙願寺と法清寺において行われ、全国各地から大勢の信徒が参詣する。その他に、壮年部、婦人部、青年部の各部ごとの活動も活発に行われ、日曜日にはこれら三者合同の座談会も行っている。今回は、青年部の中から、責任者候補生の一人であるWさんに話を聞いた。


●自己紹介をしてください。

■私はWと言います。25歳です。1983年に中部ジャワのトゥラワという村で生まれました。4人兄弟の長男です。村では、仏教徒はとても珍しく、ほとんどの人がイスラム教徒です。私ももともとはイスラム教徒でした。


●誰に折伏されましたか。

■私の家族は、両親も弟妹もすべてイスラム教徒です。しかし、私が生まれて間もない頃、母方の叔父が、友人の紹介で日蓮正宗の信仰に帰依しました。その叔父から、中学生の時に初めて日蓮正宗の話を聞きました。しかし、私は直ちに拒否しました。当時の私はイスラム教の教えを信じており、もしイスラム教から改宗すれば、その罪で地獄に堕ちると思っていたからです。

しかし、それでも叔父は諦めずに、座談会へ私を誘いました。叔父は「座談会があるよ。功徳を積めるよ」と言いましたが、私は「座談会でおしゃべりしているだけで、功徳があるはずないでしょ」とうんざりして反論しました。それでも叔父は「座談会に出ると、とても楽しいよ」と言うので、私はさらにうんざりしました。叔父が我が家に来るたびに、私は座談会へ誘われるのではないかと、逃げ回っていました。


●どういう経緯で入信しましたか。

■当時の私は、学校をサボって友達と遊び回っていましたので、進級できずに高校を中退しました。両親は私に他の学校へ行くことを勧めましたが、私は気楽に過ごしたかったので、他の学校へも行きませんでした。時を同じくして、私の家族に問題がのしかかって来ました。祖父が村長選挙に立候補したのですが、そのことがもとで裁判になり、この訴訟のために我が家のお金はすべてなくなってしまいました。また私はチフスにかかり、入院を余儀なくされました。

このような中、叔父が私に「御題目を唱えなさい」と勧めました。勧めに従い、初めて御題目を唱えたとき、私の目から涙があふれてきました。それまで、私の心の中にあった重い荷物が突然消えて、心の中がとても軽くなりました。どうしてだか判りませんが、初めて御題目を唱えたとき、強い感動を覚えたのです。数日後、叔父は妙願寺(当時・布教所)で行われる研修に私を誘いました。

私は困難に直面していたので、誘われるままに参加しました。この研修の際、私は日蓮正宗の信仰について、さらに驚きを深めました。お寺はとても広く本堂も立派でした。信徒はインドネシア全土の様々な地域から集まっていました。青年部員も大勢います。特に私が驚いたのは、この宗教では、人種や教育や経済力などの背景の異なる人々が、友達になっているのを見たことです。このようなことは、インドネシアでは滅多にあることではありません

また、この研修の際、私は御住職様から人生を前向きにすることのできる話を聞くことができました。この宗教では、すべての人が自分の宿命を変えることができると言うのです。もし私たちが悪い宿業を変えれば、私たちの人生もよりよくなるというのです。「ということは、私にもまだ人生の望みがあるということだ!」と、私は喜びました。

それからは、地域の座談会にも参加するようになりました。青年部の人たちは、まだ信徒ではなかった私を温かく受け入れてくれて、楽しい企画も練ってくれました。活動に参加するたびに、私は日蓮正宗の信仰が好きになり、実家から最も近いサラティガの会館に頻繁に通うようになりました。青年部にも友達がたくさんでき、私自身率先して、皆と協力して様々な活動を企画したりするようになりました。


●家族は反対しませんでしたか。

■反対しました。家族だけでなく、近所の友達までも、私のことを敵視しました。私が改宗しようとしていたので、彼らは快く思っていなかったのです。故郷の友達には1年ほど無視されました。また家族との関係においても、実家にいづらくなりました。しかし、私の心は決まっていました。日蓮正宗は教義においても活動においても、とてもすばらしく正しい教えであると確信していました。

その後、私の姿を見て、私の家族も友達も、また昔のように親切にしてくれるようになりました。敵された頃からすれば、本当に不思議なことです。


●御授戒を受けたのは、いつですか。

2005年1月です。当時、前御法主日顕上人猊下の御親修のもと、妙願寺と法清寺の落慶法要が予定されていました。しかし、この法要には、御授戒を受けた人しか参加できないことになっていました。私は「この千載一遇の機会に、ぜひ参加させていただきたい」と強く思い、御授戒を、受ける決意をしました。

2005年1月の法要は、御法主上人猊下の御慈悲によりスマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要に変更となりましたので、私はこの法要と、同年9月の妙願寺・法清寺の落慶法要の両方の御親修に参加させていただくことができました。とても有り難いことです。

私にこのすばらしい信仰を教えてくれた叔父に心から感謝しています。そして、全く話を聞かなくても諦めずに折伏してくれた叔父に、恩返しをしたいと思っています。


●現在、がんばっていることは何ですか。

■現在、私は青年部の責任者候補生として、青年部の活動のお手伝いをさせていただいています。また、故郷の家族や友達への折伏も実践しています。3人いる弟妹のうち、妹の1人は研修にも参加したことがあります。またその他にも、故郷の友達のうち、2人が研修に参加し、そのうち一人は毎日御題目を唱えるようになりました。

まだ私の折伏で御授戒を受けた人はいませんが、私自身も御授戒を受けるまで相当の時間がかかったのですから、時が来るまで諦めずに折伏を続けていくつもりです。

私は、この日蓮正宗に帰依して、人生に希望を見つけました。このインドネシアの地で広宣流布が達成せられるためにも、私はよい人材となれるようがんばってまいります。




異流義破折 創価学会
本尊を簡(えら)んで信行を励むべし


開眼なしの『ニセ本尊』

『立正安国論』正義顕揚750年の佳節を迎えた。この時に当たり、破邪顕正の上から、改めて創価学会の『ニセ本尊』を破折し、日蓮大聖人の御本尊の正義を顕揚しておきたい。

池田大作たちが日蓮正宗の信徒であった創価学会員を洗脳し、『ニセ本尊』を販売するようになって久しい。創価学会では「御本尊の開眼は必要なし」と言うが、世間でさえ、「仏つくって魂いれず」と言うように、姿・形は本尊であっても仏の魂が入っていなければ、それが本尊でないことは当たり前である。創価学会の言うことが間違っていることと、これを指導する池田大作がおかしいことは子供でも判ることだ。


開眼の正義

大聖人は『本尊問答抄』に、「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(平成新編御書1275ページ)と、明らかに開眼供養の法門を説かれている。

また、総本山第22世日俊上人は、「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」と、本尊は開眼がなければ利益も用きもないと御指南されている。

さらに、総本山第56世日応上人が、「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」と示されているように、本宗における御本尊の開眼は、御法主上人の唯授一人の「極意の相伝」によるのである。


池田大作の魔性が入った堕地獄本尊

池田大作に開眼など、できようはずもない。だから「御本尊の開眼は必要なし」などと誤魔化すのだ。

創価学会第二代会長の戸田城聖氏は、「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華 昭和34年7月号9ページ)と述べている。

池田大作は戸田会長の指導に背き、「われわれは作るわけにはゆかない」ところの『ニセ本尊』を作ったのだ。もはや「仏立宗や身延のヤツラ」と何ら変わりはない。要するに『ニセ本尊』とは邪教の教祖と化した池田大作が、自分勝手に偽造した「堕地獄本尊」なのである。


正境に縁すべし

日寛上人は『文底秘沈抄』に、「夫れ本尊とは所縁の境なり、また境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則(とき)んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り『仮使(たとい)発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し。若し正境に非ざれば、縦い偽妄無けれども亦種と成らすべからず』等云云。故に須く本尊を簡(えら)んで以て信行を励むべし」(六巻抄42ページ)と示されている。

これは、御本尊とは信仰の善縁・対境であるから、御本尊が正しければ、たとえ発心が純粋でなくても功徳はなお多い。しかし、もし本尊が正しくなければ、いかに純粋に信仰に励もうとも、それは成仏の種とはならない、ということである。

「正境」とは本門戒壇の大御本尊であり、血脈付法の御法主上人が御書写あそばされた、本宗の寺院や信徒の家庭に安置される御本尊である。本年、本宗僧俗は挙って総本山に参詣し、大御本尊に御報恩申し上げて、大功徳を積むことができる。これに対し、創価学会の『ニセ本尊』は、まさにこの日寛上人の破折に当たる「堕地獄本尊」なのだ。潔く簡び捨てて、悪縁を断ち切るべきである。



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