<5〜8面>
これは、日本国内の法華講員有志約15万人が、1人1日5000遍(2時間)の唱題を上記の100日間(合計750億遍)行い、その功徳をもってあらゆる障魔を打ち破り、御命題完結に万全を期するために行うものです。
ついては、各末寺においても、支部役員会等で検討の上、時間を決めて唱題行を実行し、僧俗一丸となって御法主上人猊下の御意にお応え申し上げましょう。
なお、総本山においては、期間中、御法主上人猊下大導師のもと唱題行を実施いたします。
以 上
■私はWと言います。25歳です。1983年に中部ジャワのトゥラワという村で生まれました。4人兄弟の長男です。村では、仏教徒はとても珍しく、ほとんどの人がイスラム教徒です。私ももともとはイスラム教徒でした。
■私の家族は、両親も弟妹もすべてイスラム教徒です。しかし、私が生まれて間もない頃、母方の叔父が、友人の紹介で日蓮正宗の信仰に帰依しました。その叔父から、中学生の時に初めて日蓮正宗の話を聞きました。しかし、私は直ちに拒否しました。当時の私はイスラム教の教えを信じており、もしイスラム教から改宗すれば、その罪で地獄に堕ちると思っていたからです。
しかし、それでも叔父は諦めずに、座談会へ私を誘いました。叔父は「座談会があるよ。功徳を積めるよ」と言いましたが、私は「座談会でおしゃべりしているだけで、功徳があるはずないでしょ」とうんざりして反論しました。それでも叔父は「座談会に出ると、とても楽しいよ」と言うので、私はさらにうんざりしました。叔父が我が家に来るたびに、私は座談会へ誘われるのではないかと、逃げ回っていました。
■当時の私は、学校をサボって友達と遊び回っていましたので、進級できずに高校を中退しました。両親は私に他の学校へ行くことを勧めましたが、私は気楽に過ごしたかったので、他の学校へも行きませんでした。時を同じくして、私の家族に問題がのしかかって来ました。祖父が村長選挙に立候補したのですが、そのことがもとで裁判になり、この訴訟のために我が家のお金はすべてなくなってしまいました。また私はチフスにかかり、入院を余儀なくされました。
このような中、叔父が私に「御題目を唱えなさい」と勧めました。勧めに従い、初めて御題目を唱えたとき、私の目から涙があふれてきました。それまで、私の心の中にあった重い荷物が突然消えて、心の中がとても軽くなりました。どうしてだか判りませんが、初めて御題目を唱えたとき、強い感動を覚えたのです。数日後、叔父は妙願寺(当時・布教所)で行われる研修に私を誘いました。
私は困難に直面していたので、誘われるままに参加しました。この研修の際、私は日蓮正宗の信仰について、さらに驚きを深めました。お寺はとても広く本堂も立派でした。信徒はインドネシア全土の様々な地域から集まっていました。青年部員も大勢います。特に私が驚いたのは、この宗教では、人種や教育や経済力などの背景の異なる人々が、友達になっているのを見たことです。このようなことは、インドネシアでは滅多にあることではありません。
また、この研修の際、私は御住職様から人生を前向きにすることのできる話を聞くことができました。この宗教では、すべての人が自分の宿命を変えることができると言うのです。もし私たちが悪い宿業を変えれば、私たちの人生もよりよくなるというのです。「ということは、私にもまだ人生の望みがあるということだ!」と、私は喜びました。
それからは、地域の座談会にも参加するようになりました。青年部の人たちは、まだ信徒ではなかった私を温かく受け入れてくれて、楽しい企画も練ってくれました。活動に参加するたびに、私は日蓮正宗の信仰が好きになり、実家から最も近いサラティガの会館に頻繁に通うようになりました。青年部にも友達がたくさんでき、私自身率先して、皆と協力して様々な活動を企画したりするようになりました。
■反対しました。家族だけでなく、近所の友達までも、私のことを敵視しました。私が改宗しようとしていたので、彼らは快く思っていなかったのです。故郷の友達には1年ほど無視されました。また家族との関係においても、実家にいづらくなりました。しかし、私の心は決まっていました。日蓮正宗は教義においても活動においても、とてもすばらしく正しい教えであると確信していました。
その後、私の姿を見て、私の家族も友達も、また昔のように親切にしてくれるようになりました。敵された頃からすれば、本当に不思議なことです。
2005年1月です。当時、前御法主日顕上人猊下の御親修のもと、妙願寺と法清寺の落慶法要が予定されていました。しかし、この法要には、御授戒を受けた人しか参加できないことになっていました。私は「この千載一遇の機会に、ぜひ参加させていただきたい」と強く思い、御授戒を、受ける決意をしました。
2005年1月の法要は、御法主上人猊下の御慈悲によりスマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要に変更となりましたので、私はこの法要と、同年9月の妙願寺・法清寺の落慶法要の両方の御親修に参加させていただくことができました。とても有り難いことです。
私にこのすばらしい信仰を教えてくれた叔父に心から感謝しています。そして、全く話を聞かなくても諦めずに折伏してくれた叔父に、恩返しをしたいと思っています。
■現在、私は青年部の責任者候補生として、青年部の活動のお手伝いをさせていただいています。また、故郷の家族や友達への折伏も実践しています。3人いる弟妹のうち、妹の1人は研修にも参加したことがあります。またその他にも、故郷の友達のうち、2人が研修に参加し、そのうち一人は毎日御題目を唱えるようになりました。
まだ私の折伏で御授戒を受けた人はいませんが、私自身も御授戒を受けるまで相当の時間がかかったのですから、時が来るまで諦めずに折伏を続けていくつもりです。
私は、この日蓮正宗に帰依して、人生に希望を見つけました。このインドネシアの地で広宣流布が達成せられるためにも、私はよい人材となれるようがんばってまいります。
記念局第370号 宗内一般 平成21年3月10日 立正安国論正義顕揚750年記念局(印)
―来る4月1日より100日間―
「750億遍唱題行」実施の件
本日、記念局常任委員会において、総裁・御法主日如上人猊下より、来る4月1日(水)から7月9日(木)までの100日間、「立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会」の完全勝利を目指して、「750億遍唱題行」を実施する旨の御指南を賜りました。
イスラム教から改宗、背景の異なる人々を結びつける日蓮正宗の信心
●自己紹介をしてください。
●誰に折伏されましたか。
●どういう経緯で入信しましたか。
●家族は反対しませんでしたか。
●御授戒を受けたのは、いつですか。
●現在、がんばっていることは何ですか。