大白法

平成21年4月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>



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100日間の唱題行始まる
僧俗一致750億遍の唱題行で御命題成就の御祈念


全国の各寺院に、力強い唱題の声が響いている。

御法主日如上人猊下の御指南により4月1日より開始された100日間の唱題行。総本山では御法主上人猊下の大導師の御もとに行われ、各寺院においても時間を決めて行われている。御住職のもとに行われる唱題行に大勢が集って、本堂の御本尊様に対し奉り「7万5千名大結集総会を大成功なさしめ給え」「我が支部のすべての誓願を成就なさしめ給え」と真剣に御祈念する中、折伏が成就した、子供たちが大結集へ参加を決意したなどと朗報が飛び交い、推進に弾みがつきつつある。

まず「一日のうち二時間は唱題の時間」と決めなければ、日々の仕事をしながら2時間の時間を生み出すことは至難である。しかし、御指南に副(そ)い奉って行う唱題行を実践することによって、必ずや我が身にも支部内にも大変革が起こり、誓願が満足していく。このことを固く信じて、全僧俗で750億遍の唱題行をやり抜こう。

満開の桜の中で御霊宝虫払大法会を終えた総本山には、相変わらず大勢が、連日記念総登山の参詣を行っている。

記念局では、大結集総会の会場となる広布の広場における舞台や客席の配置、同日に総本山に集結するには未曽有の台数となるバスの駐車場や通行経路、総本山内の登山者の移動経路等々、ありとあらゆる問題に対し、検討・準備を重ねられている。今後、決定事項について逐次、詳細な案内がなされることとなる。いよいよもって、唱題行・折伏・育成に励もう。




御法主日如上人猊下御言葉



750億遍唱題行(4月1日)の砌
平成21年4月1日 於総本山客殿


 皆さん、おはようございます。いよいよ本日から百日間の唱題行が始まります。この唱題行は、御命題の「大結集」と「地涌倍増」達成のために行われるものであります。具体的に申し上げますると、7月15・16日の「記念大法要」、そして7月26日の「7万5千名大結集総会」、そして今、行われております「記念総登山」の達成、さらに地涌倍増の達成のためであります。

 これは、平成6年に600億遍の唱題行をいたしましたが、その600億遍の唱題行にならって今回、750億遍の唱題行を実施することになったのであります。すなわち、法華講員15万人が、一人一日5千遍の唱題行を百日間行い、合計750億遍の唱題行を完遂したいと思う次第であります。

 この唱題の功徳については重々御承知のことと思いますが、日顕上人猊下は、「一切を開く鍵は唱題行にある」(大日蓮・平成11年1月号5頁)と仰せであります。先程、申し上げました目標を達成するためにも、また私どもの普段の生活の上においても、この唱題行をしっかり行うことが根本であります。

 御承知のとおり、三大秘法は本門の本尊と戒壇と題目でありますが、六大秘法に開けば、本門の本尊は人と法になります。そして本門の戒壇は義と事であり、本門の題目は信と行であります。この本門の題目に信と行があるということは、唱題という修行がいかに大切であるかということを示されているのではないかと思います。

 つまり、信仰は観念ではなく実践であり、行動であります。したがって、百日間の唱題行を行うというところに大きな功徳があるのでありまして、このことを日顕上人は「一切を開く鍵は唱題行にある」と、このように仰せられたものと拝する次第であります。

 皆様方には百日間、しっかりとお題目を唱えて、記念大法要、7万5千名大結集総会、記念総登山、そして地涌倍増を達成されますことを心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。




教学用語解説 謗法厳戒(ほうぼうげんかい)


「謗法厳誡」とは、謗法を厳しく誡(いまし)めるということで、本宗においては日興上人の身延離山に見られるように、古来、宗是として堅く持(たも)ち続けられてきた信条です。


謗法について

日蓮大聖人は謗法について『顕謗法抄』に「謗法とは法に背くという事なり」(御書286頁)と、また『真言見聞』に「謗法とは謗仏・謗僧なり」(同608ページ)と示されるように、単に正法を謗(そし)ることだけでなく、正法を信じないこと、正法に背くこと、仏や僧侶を毀ることなど、下種三宝に背く信仰や思想・言動・行動のすべてが謗法に当たります。

日興上人は『日興遺誠(ゆいかい)置文(おきもん)』の第一条に、「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(同1884ページ)と、大聖人の仏法に微塵も違背してはならないことを、広宣流布への根本精神として門下一同に示されています。そして、この御遺誡のままに、大聖人の仏法は血脈付法の御歴代上人によって今日まで厳正に護り伝えられています。


謗法は堕獄の因

謗法の罪は非常に重く、法華経『譬喩品』には、「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば(中略)其の人命終して阿鼻獄に入らん」(法華経175ページ)と説かれ、『真言見聞』には、「謗法は無量の五逆に過ぎたり」(御書609ページ)等と示されるように、五逆罪(父を殺す・母を殺す・阿羅漢を殺す・仏の身より血を出す・和合僧団を破る)にも勝る重罪であり、衆生の成仏の種子を断ずるだけでなく、地獄の因となります。

また『阿仏房尼御前御返事』には、「少しも謗法不信のとが候はヾ、無間大城疑ひなかるべし(中略)畷(なはて)堅固なれども、蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水の溜まらざるが如し」(同906ページ)と御教示されています。

この御教示は、たとえ正法である大聖人の仏法を信仰していても、同時に謗法を犯していたならば、必ず地獄に堕ちてしまうということです。なぜなら、田んぼの畷(なわて)に蟻が通るぐらいの穴が、たった一つ開いていても、そこから水が流れ出して穴が拡がり、田んぼに水は溜まりません。それと同様に、私たちがいかに正法の信仰をしていても、謗法という穴が開いていれば、せっかく積んだ功徳もすべて流れ出てしまうのですから、謗法は厳に誡めなければなりません。


謗法与同罪(よどうざい)を恐るべし

大聖人は『新池御書』に、「いかなる智者・聖人も無間地獄を遁(のが)るべからず。又それにも近づくべからず。与同罪恐るべし恐るべし」(同1458ページ)と仰せです。

仏法では、正法を誹謗する者に供養したり、その非を誡めることを怠れば、正法誹謗の者と同じ罪、即ち堕地獄の苦を受けることになります。具体的には、日蓮正宗の信心をしながら、他の宗教の本尊を祀ったり、お守りや神札を受けたり、あるいは他の宗教への寄付や布施をすることが、謗法与同罪を犯すことになります。

したがって、謗法の罪の恐ろしさを肝に銘じ、謗法を厳に慎んで、妙法に一心に帰依していくことが大切なのです。


折伏の大事

さらには、与同罪による堕地獄を免れるためには、自ら折伏を実践することが大事です。

『曽谷殿御返事』には、「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」(同1040ページ)と示され、また『秋元御書』には、「南岳大師の云はく『法華経の讐(あだ)を見て呵責せざる者は謗法の者なり、無間地獄の」に堕ちん』と。見て申さぬ大智者は、無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出づるべからず。日蓮此の禁めを恐るゝ故に、国中を責めて候程に、一度ならず流罪死罪に及びぬ」(同1453ページ)と仰せです。

大聖人は、たとえ弟子檀那であったとしても、謗法を見過ごして折伏を行じなければその罪は甚だ深く、無間地獄の存在する限り出獄することはできないであろうと仰せられ、大聖人御自身も折伏の動機の一つに、与同罪による堕獄への恐怖が存したことを機情に合わせて披露され、重ねて与同罪は恐るべき大罪であることを示されています。


「十四誹謗」

その他、『松野殿御返事』には、僧俗共に通じる謗法として、仏道修行を怠けたり、正信の僧侶や同志を恨んだり、悪口を言ったりするなど、正法を受持しながらも犯してしまいがちな「十四誹謗」が説かれています。私たちは、これらを日々、自身が誡めることも肝要です。


まとめ

したがって、一切の悪業の根本である謗法を自ら犯さないことはもちろん、進んで謗法を退治することが謗法厳誡の本義であり、真の平和な社会を実現する方途なのです。

大聖人は『立正安国論』の最後の一文に、「唯我が信ずるのみに非らず、又他の誤りをも誡めんのみ」(同250ページ)と説かれています。私たちは『立正安国論』正義顕揚750年の御命題完遂をめざし、信心強盛にして自らの謗法を誡めると共に、日々、真剣な勤行と唱題によって謗法罪障消滅を願い、創価学会をはじめとする謗法を厳然と破折する折伏行に邁進してまいりましょう。



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