●前海外部長・妙光寺第8代住職 尾林日至御尊能化遷化される
前海外部長・妙光寺第8代住職の尾林日至御尊能化には、かねて病気療養中のところ、5月13日午前5時37分、安祥として遷化でれた。享年71歳。
常宣院日至贈上人
御尊能化は、昭和12年11月4日、満州国(現在の中華人民共国藩陽市)に御出生、昭和29年10月8日、大東院日明贈上人を師範として得度された。その後、昭和42年1月にさいたま市・常生寺初代住職として赴任、同62年5月に妙光寺第8代住職となられた。法臘55年にわたり、御生涯を世界広布・宗門の発展に捧げられた。特に、海外部長の要職を昭和63年より平成17年までの17年間にわたり務められ、海外における対創価学会問題の対処、僧侶による海外信徒指導・育成など、数々の難しい課題を御法主上人猊下の御指南を体し、23ヵ国以上の現地へ自らが出向かれて一つひとつ解決してこられたことは、特筆されるところである。
また、NST(アメリカの日蓮正宗寺院法人)理事、全国布教師、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、宗旨建立750年慶祝記念局常任委員、総本山大石寺開創700百年記念出版御書編纂委員会委員、富士学林主任教授、宗会議員、護法局理事、埼玉布教区副宗務支院長等の要職を多数歴任された。
5月13日、直ちに全国へ訃報が伝えられ、東京第二布教区内外の有縁の御尊師方、檀信徒らが続々と妙光寺に弔問された。午前11時、東京第二布教区宗務支院長・野村淳信御尊師の導師のもと、枕経が執り行われた。また、翌14日に納棺・仮通夜が行われた。15日・16日の両日には、午後6時より、野村支院長の導師のもと仮通夜が奉修された。
17日午後7時よりは、御法主日如上人猊下の大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、常宣院日至贈上人の本通夜が妙光寺本堂において、読経・唱題・御回向と、厳粛に執り行われた。御法主上人猊下御退座の後、引き続き、総監・八木日照御尊能化の導師のもと読経・唱題が行われた。
明くる18日、本葬儀が御法主上人猊下の大導師のもと奉修された。この本葬儀には、御隠尊上人猊下の御出仕を賜り、八木総監、重役・藤本日潤御尊能化、寺族同心会会長・高野日海御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化をはじめ、宗会議長・土居崎慈成御尊師、宗務院の各部長・副部長、野村支院長ほか、全国より御尊師方が多数御列席。また法類・遺族・親族の方々、法華講連合会より総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・渡辺定元氏・石渡秀男氏・大草一男氏をはじめ支部・地方部・連合会及び近隣寺院の法華講代表、寺族が多数列席した。
午前10時、御法主上人猊下が本堂に御出仕。方便品、寿量品と読経が進められ、御法主上人猊下の御焼香に続いて順次、故贈上人の御霊前に御焼香を行った。
読経は「而説偈言」で磬が入り、はじめに高野寺族同心会会長、続いて野村支院長、法類を代表して土居崎御尊師、松島晃靖妙光寺総代より弔辞が述べられた。その中で、常に真心をもって人に接し激励される故贈上人のお姿とお人柄、数々の要職の中でも海外部長としての御功績が特に大きく、また法華講支部の信行増進にも常に心を砕かれ、常生寺時代から続けられてきた「日曜講話」は信徒の教学・折伏の貴重な糧として残されていること。さらに平成8年に妙光寺100周年記念として本堂をはじめ境内各所の改修・整備、妙光寺百年史等の発刊、信徒会館の新築などの事業を成し遂げられ、前御法主日顕上人猊下をお迎えして記念法要を奉修されたことなど多くり度功績が讃えられた。さらに弔電が披露された。
その後、再び自我偈の読経・引き題目・御回向と進められた。
ここで、法類・遺族・親族を代表して仏見寺住職・藤原広行御尊師より、御法主上人猊下をはじめ、参列者各位に対し、丁重な御礼が述べられ、常宣院日至贈上人の本葬儀は終了した。御法主上人猊下御退座の後、11時半より、八木総監の御導師のもと、納めの御経が執り行われた。最後のお別れの準備が整うと、再び御法主上人猊下がお出ましあそばされ、故贈上人の御遺体にお別れあそばされ、続いて法類・遺族・親族もこれに連なり最後のお別れを行った。その後、参列した僧俗がお見送り申し上げる中、正午、静かに出棺され、斎場にて御火葬申し上げた。
御遺骨が妙光寺に帰着し、午後2時半より、御法主主上人猊下が再び本堂にお出ましになられ、初七日忌法要が厳粛に執り行われた。これには御隠尊上人猊下が御出仕され、多くの御僧侶、信徒、寺族方が参列された。読経・唱題・御回向と厳粛に進められ、その際御法主上人猊下より贈上人に賜った御弔句が披露された。最後に藤原御尊師より丁重な謝辞があり、常宣院日至贈上人の御葬儀の一切がとどこおりなく終了した。
御法主日如上人猊下御弔句
身を捧げ/勤(つと)めを果して/霊山の旅 妙恵