大白法

平成21年6月1日号


主な記事

<1〜3面>

<5〜8面>


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訃 報


●富士学林長・宝浄寺初代住職 大村日統御尊能化遷化される

富士学林長・宝浄寺初代住職の大村日統御尊能化には、かねて病気療養中のところ、5月11日午前3時10分、安祥として遷化された。享年75歳。


常秀院日統上人


御尊能化は、昭和8年10月13日、静岡県富士宮市に御出生。昭和16年11月28日、大村寿道御尊師を師範として得度された。その後、昭和33年8月に和歌山市・妙海寺住職として赴任、同39年12月に宝浄寺初代住職となられた。法臘70年にわたり、御生涯を大法興隆・宗門の教学振興に捧げられた。

特に、教学部長の要職を宗門激動期の昭和54年より平成17年までの27年間という長きにわたり務められ、正信会・創価学会問題をはじめ、日蓮正宗教学における大事な局面に宗内関係御僧侶方を督励・統率され、御法主上人猊下の御信任にお応えされてこられたことは、特筆されるところである。

また、布教師会会長、法華講本部指導教師、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、同記念総登山布教師、宗旨建立750年慶祝記念局常任委員、同記念大法要奉修委員会主任委員、同記念出版委員会主任委員、総本山大石寺開創700年慶祝奉修委員会委員、同記念出版御書編纂委員会委員、富士学林大学科設立委員会副委員長、宗会議員、参議、寺族同心会理事、護法局常任理事、東京第二布教区宗務支院長等の要職を多数歴任された。


5月11日、訃報は直ちに全国を駆け巡り、東京第二布教区内外の有縁の御尊師方、檀信徒らが続々と宝浄寺に弔問され、午後3時45分、東京第二布教区宗務支院長・野村淳信御尊師の導師のもと、枕経が執り行われ、続いて納棺と進められた。引き続き午後7時より、宝浄寺広間において、大宣寺住職・菅野日龍御尊能化の導師により、さらに翌12日の午後7時よりは、宗会議長・土居崎慈成御尊師の導師のもと仮通夜が奉修された。

13日午後7時よりは、御法主日如上人猊下の大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、常秀院日統上人の本通夜が宝浄寺本堂において、読経・唱題・御回向と、厳粛に執り行われた。御法主上人猊下御退座の後、引き続き、総監・八木日照御尊能化の導師のもと読経・唱題が行われた。


明くる14日、本葬儀が御法主上人猊下の大導師のもと奉修された。この本葬儀には、御隠尊上人猊下の御出仕を賜り、総監・八木御尊能化、重役・藤本日潤御尊能化、寺族同心会会長・高野日海御尊能化、光久日康御尊能化、菅野御尊能化をはじめ、宗会議長・土居崎御尊師、宗務院の各部長・副部長、野村支院長ほか、全国より御尊師方が多数御列席。また遺弟・遺族・親族の方々、法華講連合会より総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・石渡秀男氏、井出光彦総本山総代をはじめ支部・地方部・連合会及び近隣寺院の法華講代表、寺族が多数列席した。

午前10時、御法主上人猊下が本堂に御出仕。方便品、寿量品と読経が進められ、御法主上人猊下の御焼香に続いて順次、故上人の御霊前に御焼香を行った。

読経は「而説偈言」で磬が入り、弔辞へ移った。はじめに八木総監、続いて高野寺族同心会会長、野村支院長、藤室好人宝浄寺総代より、数々の宗門の要職を歴任されて為法為宗、その御生涯を捧げられた御功績が述べられ、全宗門において慕われてきたお人柄について、細部にわたる心遣いと縁する者を温かく包み込む慈愛あふれる御徳を讃えると共に、宝浄寺住職として平成17年に本堂・庫裡及び宝浄寺別院新築の大事業を成し遂げられ、指導教師として法華講宝浄寺支部、預かりとなっている目黒・妙真寺支部の教化育成に尽力してこられたお姿が語られた。さらに弔電が披露された。

その後、再び自我偏の読経。引き題目・御回向と進められた。

ここで、遺弟・遺族・親族を代表して経王寺住職・堀寿妙御尊師より、御法主上人猊下をはじめ、参列者各位に対し丁重な御礼が述べられ、常秀院日統上人の本葬儀は終了した。御法主上人猊下御退座の後、11時20分過ぎより、八木総監の御導師のもと、納めの御経が執り行われた。最後のお別れの準備が整うと、再び両上人猊下がお出ましあそばされ、故上人の御遺体にお別れあそばされ、続いて参列者全員もこれに連なり、故上人の尊いお姿に一同感激した。その後、参列した僧俗がお見送り申し上げる中、正午過ぎ、静かに出棺され、斎場にて御火葬申し上げた。

御遺骨が宝浄寺に帰着し、午後2時半より、御法主上人猊下が再び本堂にお出ましになられ、初七日忌法要が厳粛に執り行われた。これには御隠尊上人猊下が御出仕され、多くの御僧侶、信徒、寺族方が参列された。読経・唱題・御回向と厳粛に進められた後、御法主上人猊下の御弔歌が参列者に披露された。最後に堀御尊師より丁重な謝辞があり、常秀院日統上人の御葬儀の一切がとどこおりなく終了した。


御法主日如上人猊下御弔歌

貴師(きみ)逝くや/御法(みのり)の舟に身を任せ/常寂光の宝刹へ 妙恵





●前海外部長・妙光寺第8代住職 尾林日至御尊能化遷化される

前海外部長・妙光寺第8代住職の尾林日至御尊能化には、かねて病気療養中のところ、5月13日午前5時37分、安祥として遷化でれた。享年71歳。


常宣院日至贈上人


御尊能化は、昭和12年11月4日、満州国(現在の中華人民共国藩陽市)に御出生、昭和29年10月8日、大東院日明贈上人を師範として得度された。その後、昭和42年1月にさいたま市・常生寺初代住職として赴任、同62年5月に妙光寺第8代住職となられた。法臘55年にわたり、御生涯を世界広布・宗門の発展に捧げられた。特に、海外部長の要職を昭和63年より平成17年までの17年間にわたり務められ、海外における対創価学会問題の対処、僧侶による海外信徒指導・育成など、数々の難しい課題を御法主上人猊下の御指南を体し、23ヵ国以上の現地へ自らが出向かれて一つひとつ解決してこられたことは、特筆されるところである。

また、NST(アメリカの日蓮正宗寺院法人)理事、全国布教師、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、宗旨建立750年慶祝記念局常任委員、総本山大石寺開創700百年記念出版御書編纂委員会委員、富士学林主任教授、宗会議員、護法局理事、埼玉布教区副宗務支院長等の要職を多数歴任された。


5月13日、直ちに全国へ訃報が伝えられ、東京第二布教区内外の有縁の御尊師方、檀信徒らが続々と妙光寺に弔問された。午前11時、東京第二布教区宗務支院長・野村淳信御尊師の導師のもと、枕経が執り行われた。また、翌14日に納棺・仮通夜が行われた。15日・16日の両日には、午後6時より、野村支院長の導師のもと仮通夜が奉修された。

17日午後7時よりは、御法主日如上人猊下の大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、常宣院日至贈上人の本通夜が妙光寺本堂において、読経・唱題・御回向と、厳粛に執り行われた。御法主上人猊下御退座の後、引き続き、総監・八木日照御尊能化の導師のもと読経・唱題が行われた。


明くる18日、本葬儀が御法主上人猊下の大導師のもと奉修された。この本葬儀には、御隠尊上人猊下の御出仕を賜り、八木総監、重役・藤本日潤御尊能化、寺族同心会会長・高野日海御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化をはじめ、宗会議長・土居崎慈成御尊師、宗務院の各部長・副部長、野村支院長ほか、全国より御尊師方が多数御列席。また法類・遺族・親族の方々、法華講連合会より総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・渡辺定元氏・石渡秀男氏・大草一男氏をはじめ支部・地方部・連合会及び近隣寺院の法華講代表、寺族が多数列席した。

午前10時、御法主上人猊下が本堂に御出仕。方便品、寿量品と読経が進められ、御法主上人猊下の御焼香に続いて順次、故贈上人の御霊前に御焼香を行った。

読経は「而説偈言」で磬が入り、はじめに高野寺族同心会会長、続いて野村支院長、法類を代表して土居崎御尊師、松島晃靖妙光寺総代より弔辞が述べられた。その中で、常に真心をもって人に接し激励される故贈上人のお姿とお人柄、数々の要職の中でも海外部長としての御功績が特に大きく、また法華講支部の信行増進にも常に心を砕かれ、常生寺時代から続けられてきた「日曜講話」は信徒の教学・折伏の貴重な糧として残されていること。さらに平成8年に妙光寺100周年記念として本堂をはじめ境内各所の改修・整備、妙光寺百年史等の発刊、信徒会館の新築などの事業を成し遂げられ、前御法主日顕上人猊下をお迎えして記念法要を奉修されたことなど多くり度功績が讃えられた。さらに弔電が披露された。

その後、再び自我偈の読経・引き題目・御回向と進められた。

ここで、法類・遺族・親族を代表して仏見寺住職・藤原広行御尊師より、御法主上人猊下をはじめ、参列者各位に対し、丁重な御礼が述べられ、常宣院日至贈上人の本葬儀は終了した。御法主上人猊下御退座の後、11時半より、八木総監の御導師のもと、納めの御経が執り行われた。最後のお別れの準備が整うと、再び御法主上人猊下がお出ましあそばされ、故贈上人の御遺体にお別れあそばされ、続いて法類・遺族・親族もこれに連なり最後のお別れを行った。その後、参列した僧俗がお見送り申し上げる中、正午、静かに出棺され、斎場にて御火葬申し上げた。

御遺骨が妙光寺に帰着し、午後2時半より、御法主主上人猊下が再び本堂にお出ましになられ、初七日忌法要が厳粛に執り行われた。これには御隠尊上人猊下が御出仕され、多くの御僧侶、信徒、寺族方が参列された。読経・唱題・御回向と厳粛に進められ、その際御法主上人猊下より贈上人に賜った御弔句が披露された。最後に藤原御尊師より丁重な謝辞があり、常宣院日至贈上人の御葬儀の一切がとどこおりなく終了した。


御法主日如上人猊下御弔句

身を捧げ/勤(つと)めを果して/霊山の旅 妙恵




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