大白法

平成21年8月16日号


主な記事

<1〜8面>


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第8回 講頭・副講頭指導会
新たな目標へ大折伏戦


立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会から1週間後の8月2日、総本山大講堂において第8回講頭・副講頭指導会が関催され御法主日如上人猊下御臨席のもと開催された指導会には、総監・八木日照御尊能化をはじめとする各御尊能化、宗務院の各部長・副部長、全国各布教区の支院長・副支院長、広布推進員の各御尊師方が出席された。また、総講頭・柳沢委員長をはじめ各大講頭、法華講連合会幹事並びに地方部役員、全国各支部の講頭・副講頭(代理含む)が参加した。

定刻午後3時より、大講堂に御法主日如上人猊下が御入場され、題目三唱の後、指導会が開始された。初めに、水島教学部長より「平成27年へ向けての信行」と題して話があった。その中で水島教学部長は、大結集総会のため真剣な唱題を重ね、家庭訪問や個人指導に走り、自ずと一人ひとりの信心錬磨・組織強化が図られたと振り返り、各支部の努力を労われた。そして大総会席上で御法主上人猊下より戴いた御指南のポイントを四点にまとめた上で、平成27年に「現在(7月末日)講員数の50%増」に関しては、世帯でなく、今後は人数として掌握していくこととなった意味等に触れられた。さらに、『立正安国論』の正義顕揚とは折伏であるが、折伏による講員50%増と法華講80万人の実現に向けては、「講組織の団結の要諦は、互いに同じ目的に立つこと、呼吸を合わせることである(趣意)」と御法主上人猊下が常に御指南あそばされているように、同じ目的に立つ指導教師と講頭、また講員同士が呼吸を合わせ声に出して認め合い語り合いながら講中を大成させ、一丸となって目標完遂のために精進しようと話された。

次いで阿部庶務部長が「平成27年へ向けての講頭・副講頭の使命」と題して話した。この中で阿部庶務部長は、新たな御命題の実現に向けて、明年より折伏目標は世帯数ではなく人数で立てていくこと、6年後めざしての折伏活動について十分討議し、本年の自支部の折伏誓願日標と50万総登山目標を達成して決河の勢いで明年に向かっていただきたいとした。さらに、富山市・妙顕寺の誓願達成への闘いぶりを紹介。お寺の閉門時間をなくし、住職も庫裡に篭もることなく最後の信徒が帰り閉門するまで本堂と控え室、受付を往復して折伏や指導に常に応じられる態勢をとっていること等をもって、命がけの住職の姿勢とその住職に応える信徒の信行を紹介して、『生死一大事血脈抄』の御指南のごとく異体同心に励んでいただきたいと話された。

その後、八木総監が「平成27年の目標完遂へ向かって」と題して、わずか1週間前の7月26日、雲霞のごとく一山を埋め尽くす人であふれ大成功に終わった7万5千名大結集総会から時を置かずして招集された本日の講頭・副講頭指導会の意義は重要であるとして、御法主上人猊下より賜った新たな御命題を達成する方途について述べられた。まず、各講中は今後、組織の中をよく点検して、休眠状態の人などに対し寺院行事・会合に参加し、折伏に連れ立って歩き体験をさせる等、指導教師のもとに計画を立てて育成の手を差し伸べていくことが大事である。また、いろいろな縁故をたどり精力的に下種を続けていく中で折伏に繋がることを述べ、我々は足元をしっかりと見つめ、一歩一歩着実に進むことが大事であり、講頭・副講頭は指導教師のもとで御命題に向け自ら率先して実践し、リードしていく大事な役目である故に、どうか御法主上人猊下の御心に適う信心を心がけていただきたいと指導された。

ここで御法主上人猊下より御指南を賜った。御法主上人猊下は、初めに立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会が見事、大成功裡に行うことができたことにつき御礼を述べられた。そして、「次の戦いの主体となるのは折伏である」ことをしっかりと認識することが一番大切であるとされ、大聖人様は世の中が乱れる原因は謗法にあること、謗法の恐ろしいことを御教示であり、我々は謗法の害毒の恐ろしさをもっと知らなければならない。この謗法を断つことで三世に亘る真の幸福を築くのであり、謗法を破折し、正しい信心を勧める折伏により一生成仏を遂げることができる。新たなる目標のもと大折伏戦に入るとき、講頭・副講頭に求められるのは、慈悲に基づく真の勇気と大御本尊に対する絶対の確信であり、講頭・副講頭が勇気を持って折伏を行じ、指導教師のもと実践的に指揮をとるところ、必ず講中全体に折伏の気運が高まるとして、健闘を望まれ、御指南とされた。

最後に柳沢委員長が、御法主上人猊下より賜った新たな御命題を達成するためにまず成すべきは未来広布へのインフラ整備で、それはとりもなおさず各講中、各家庭の信心が、信心は即ち生活であることを知り、世間の餓鬼道から脱却し、真の正法の生活を確立することである。そこに、餓鬼道の大転換期を迎えている全世界に打って折伏に出ることができるのであり、次代のため共にがんばってまいろうと挨拶を述べた。

最後に御法主上人猊下の大導師のもと、題目三唱して講頭・副講頭指導会は終了した。




御法主日如上人猊下御言葉

第8回 講頭・副講頭指導会の砌
平成21年8月2日 於 総本山大講堂


 本日は、第8回講頭・副講頭指導会の当たり、全国より支院長・副支院長ならびに広布推進各位、また法華講連合会役員および地方部長各位、法華講支部講頭・副講頭各位には御繁忙のところをわざわざ参集いただき、まことに御苦労さまでございます。

 まず初めに、先般7月26日に行われた「立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会」には、皆様方の強盛なる信心の結果、諸天善神も寿くなか、予定を上回る7万8423名の結集をもって見事、大成功裡に行うことができましたことを心より厚く御礼申し上げます。是非、各講頭さん、副講頭さんから、講中の皆様へ御礼を申し上げて、心から労をねぎらっていただきたいと思います。どうぞよろしくお伝えください。

 さて今回、講頭・副講頭指導会を開催することになりましたのは、先程の話にもありましたように、7月26日に発表した新たなる目標に対しての心得と今後の活動について、各講頭・副講頭さん方がしっかりと認識していただき、各講中へ正しく伝えていただきたいからであります。

 そこまず、一番大切なことは何か。それは次の戦いの主体となるの折伏であるということをしっかりと認識することであります。常に申し上げていますように、折伏は一切衆生救済の大慈悲行であり、仏祖三宝尊の恩をはじめとして、父母の恩、衆生の恩、国土の恩に報いる最高の報恩行であり、かつまた我が身にとっては最善の仏道修行であります。特に今日のような五濁乱漫として、世界的に天災・人災・疫病・戦争などが頻発し、池田創価学会の如き誤った考え方がはびこり、悪が蔓延し、人間が質悪や果報が低下劣悪となり、世情騒然とした状況を見るとき、これらの原因がどこにあるのかを我々はよく知らなければなりません。

 『立正安国論』には、世の中が乱れる原因は、ひとえに邪義邪宗の害毒、謗法にあることを明かされ、この謗法を断たなければ世の中は絶対に幸せにはならないと仰せであります。したがって大聖人は、「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(御書247ページ)と仰せられいるのであります。

 また、『顕謗法抄』には、「問うて云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、法華経第二に云はく『若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至(ないし)其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん』等云云」(同279ページ)と仰せであります。五逆罪、すなわち父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、和合僧を破り、仏身を傷つける、この五逆罪を犯した者は無間地獄に堕ちると言われておりますが、それ以外でも地獄に堕ちることがあるのかとの問いに対して、正法を誹謗する、つまり謗法を犯せば無間地獄に堕ちると仰せられ、謗法の恐ろしさを御教示せられているのでります。

 また、『十法界明因果抄』には、「慳貪(けんどん)・偸盗(ちゅうとう)等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪(けんどん)等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近(しんごん)し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能(よ)く能く恐るべきか」(同208ページ)と仰せであります。欲張りで、人のものを盗めば餓鬼道に堕ちることはだれでも知っているが、たとへ人のものを盗むようなことをしない善人であっても、謗法により、あるいは謗法の者に近づいて、その人の感化を受けることがようなことがあれば、必ず餓鬼道に堕ちると、このように仰せられいるのであります。まさに、謗法恐るべしであります。

 謗法の恐ろしさについては、このほか経典、御書等にたくさん説かれていますが、謗法の害毒の恐ろしさを、我々はもっと知らなければなりません。故に、幸せになるためには、この謗法を断たなければならないのであります。謗法を断たなければ、三世にわたる本当の幸せを築くことはできないのであります。本宗において、謗法を勧誡する所以は、まさにここにあるのであります。

 したがって、いかに謗法を退治し、自分自身の信心を確立し、一生成仏を遂げていくか、これが我々の信心であります。折伏を行ずるとは、この謗法を破折し、正しい信心を勧めることであります。「涅槃一日の価(あたい)を得て、以て大いに得たりと為して、此の大乗に於て、志求(しぐ)有ること無かりき」(法華経197ページ)とあります。「涅槃一日の価」とは、小乗の声聞の悟りを意味しております。つまり、直接、結果目当ての悟りであり、近視的で利己的な悟りであります。例えて言えば、雇われ人が明日への希望のないままに、ただその日一日の賃金目当てに働くようなものであります。まさしくこれは、小乗の悟りに甘んじてしまって、大乗の悟りを得ようとしない愚かな考えであります。

   では、小乗の悟りとは何かといえば、それは自分一人だけの悟り、他の人の幸せを願わず、ただ自分だけの小さな、泡のような、はかない幸せを追い続ける、自分中心の悟りのことであります。大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、「善なれども大善をやぶ(破)る小善は悪道に堕つる悪道に堕つるなるべし」(御書323ページ)と仰せであります。すなわち、自分だけの幸せを求める考えは、たとえそれが善であったとしても、その善は「大善をやぶる小善」すなわち「悪道に堕つる」ことになるのであります。

 結局、自分だけの信心では本当の幸せを築くことはできないのであります。自分のためだけの幸せを求める利己的な姿勢は、実は仏様が最も嫌った姿勢であります。爾前経において、二乗が「永不成仏(ようふじょうぶつ)」、すなわち、永遠に成仏できないと言われこともここに起因しているのであります。大聖人は、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(同1594ページ)と仰せであります。「自行化他に亘る」信心とは、自らも強盛なる信心に徹するとともに、すべての人を正しい真実の道に導き、間違った教えや考えによって自分だけの幸せを求めている人、あるいは池田創価学会のような間違った謗法の教えによって、知らず知らすのうちに貪瞋痴の三毒に蝕まれ、塗炭の苦しみに喘いでいる多くの不幸な人々を救うことであります。

 『曽谷殿御返事』には、「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同1040ページ)と仰せであります。まさしく、謗法を責め、折伏を行じなければ、成仏ははかないことを知らなければなりません。

 『善無畏三蔵抄』には、「仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語・軟語(なんご)なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり。当世学匠等の法門は、軟語・実語と人々は思(おぼ)し食(め)したれども皆強言・妄語なり。仏の本意たる法華経に背(そむ)く故なるべし。日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つベし、禅宗・真言宗も又謬(あやま)りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし」(同445ページ)と仰せであります。大聖人様が、念仏に対しては無間地獄に堕ちると言い、あるいは禅宗や真言宗に対しては誤りの教であると断じて言うのは、一見すると妄語・強言のようでありますが、実には相手を救い、幸せの境界に導くための慈悲の言動であって、けっして妄語。強言ではなく、これこそ真実の言葉、相手を思う優しさを持った言葉であると仰せであります。折伏は相手の幸せを願う慈悲行であります。

 そこで、講中を束ねる講頭・副講頭の折伏に対する心得として持つべきは、私は真の勇気と大御本尊に対する絶対の確信ではないかと思います。大聖人様は『教行証御書』に、「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(同1109ページ)と仰せであります。臆病では何事も成就しません。

 「慈なり。故に能く勇なり」という言葉があります。慈とは慈悲、慈悲とは人々を哀れみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くことで、『大智度論』では、一切衆生に楽を与えること、与楽を慈とし、苦を抜く、抜苦を悲としています。勇とは勇気であります。すなわち相手を思い、謗法によって知らず知らすのうちに不幸に落ち込んでいる相手の苦しみを取り除き、楽しみを与えられる真の優しさ、すなわち慈悲の心から、実は最も大きな勇気が生まれてくるのであります。ちょうど、子供を守る母親の慈愛であります。

 今日、新たなる目標のもとに大折伏戦に入るとき、講頭・副講頭として求められるのは、まず、この慈悲に基づく真の勇気であります。講頭・副講頭が勇気を持って折伏を行じ、指導教師の指導のもとに実戦的に折伏の指揮を執り、異体同心して折伏を推進していけば、必ず講中全体に折伏の気運が高まってまいります。もちろん困難もあります。あらゆる障魔が競い起こることも必定であります。

 しかし、「末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり」(同1762ページ)の御金言を信じ、自身の一生成仏のためには、困難や苦難が襲い来たることは、かえってそれを喜びとして迎え、一層の精進をしていくことが大事であります。困難に出遭ったとき、その難に押しつぶされているようでは、絶対に解決はできません。いかなる困難が襲い来ても、一閻浮題第一の御本尊を信じている我々は、「されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(同298ページ)との確信を持って困難に立ち向かっていくことが、解決への最善の道であることを知るべきであります。この大御本尊に対する絶対的な確信が大事なのであります。

 また、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」(同986ページ)と仰せの如く、魔も襲ってこないような信心をしていたのでは、過去遠々刧からの罪障も消滅できず、一生を空しく終わってしまいます。否、命終ののちに三悪道に堕ちてしまうことを、よくよく用心しなければなりません。したがって、いかなる障魔が襲い来たろうが、それに負けないで信心を貫きとおしていけば、現世はには必ず幸せを築き、三悪道の流転から逃れることができるのであります。

 また、このなかで折伏の方法が解らないという人がいたら、もちろん、そのような方々は今日はおいでになっていないと思いますが、そういった心配事があるとすれば、何はともあれ動いてください。折伏はこうやったら絶対にうまくいくというような秘訣はないのでありますから、まず立ち上がって動くことであります。折伏に打って出ることであります。動けば必ず智慧が湧きます。難敵に対しても、どのような人に対しても、どうしたら折伏できるか、それを失敗からも必ず学ぶことができます。だから失敗を恐れずに、まず動くことです。まず折伏に立ち上がることであります。

 しかし、動かなければ智慧も湧いてきません。例えば朝夕の勤行でも、思っただけでなんの役にも立ちません。もちろん功徳もいただけません。自分自身も変わることはありません。動かなければ何も起きないのであります。ですからまず、講頭さん、副講頭さんは立ち上がって、自ら折伏に動いていただきたいと思います。

 どうぞ、講頭さん、副講頭さんには、このことを心肝に染めて、新たなる目標である、平成27年・講員の50%増を目指して、さらに平成33年の法華講員80万人達成を目指して、講中の先頭に立って戦っていただきたいと思います。講頭さん、副講頭さん方が動くことから、すべては変わります。講頭さん、副講頭さん方が動けば、その支部は必ず見違えるように変わります。否、必ず変えていただきたい。すばらしい講中に変えていただきたいとお願いする次第であります。「索(もと)めずんば何をか獲(え)ん」であります。

 これからの各講中の御精進を心からお祈りするとともに、講頭さん、副講頭さん方の御健勝を心からお祈りいたしまして、私の挨拶といたします。



○総監 八木日照御尊能化 「平成27年の目標完遂へ向かって」

皆さん、こんにちは。本日は全国の講頭・副講頭各位、また僧侶側といたしまして全国支院長・副支院長、並びに広布推進者各位にもご参集いただきました。まことにありがとうございます。ここにおいでの全国の講頭・副講頭各位は、先般の7万5千名大結集総会を大勝利に導いた立役者であり、住職・主管方と一緒になって組織戦を展開して結集の啓蒙推進に当たってくださったそのご苦労に対しまして、甚深の謝意と敬意を表すものであります。たいへんありがとうございます。

そしてまだ一週間しか経過していない今日、あの雲霞のごとく一山を埋め尽くした興奮冷めやらぬこの聖地に再びお集まりいただきました。遠方の方は、その慌ただしさを余計感じられたことと思います。

そこで、その理由をよくお考えいただきたいと思います。皆さん、たいへんな思いをして7万5千をやり遂げた。その疲れを癒す間もなく再びお集まりいただきました。それ程、今般戴いた御命題の意味は重大であると、そういうことでございます。

当日、御法主上人猊下から賜った御命題についての御言葉は、時間にすればわずか数分でございました。しかしながらその持つ意味は、今後、宗門僧俗全員が一体となって取り込んでいく大事な目標であり、課題であり、まことに重大でございます。それ故に、各講中を束ねリードしていく皆さん方が、まずしっかりと認識をし理解をし、どう取り組んでいくか、具体的な方策をもって立ち上がっていただきたい。それには、その総会からひと月ふた月も間をおいたのでは遅れを取ってしまう。それで間髪を入れず、今日の会合ととなった。まずこのことをよくご理解をいただきたいと思います。

 そこで、このたび賜りました新しい御命題。年代の順でいきますと、まず、

@ 6年後、平成27年、二祖日興上人御誕生770年それまでに全支部が現在講員数の50%増をめざしていく、ということ。
A 12年後、平成33年、大聖人様御聖誕800年その年に因んで法華講八十万人の体勢を築く、

という2つの御命題でございます。

まず第一番目の御命題、二祖日興上人様は鎌倉時代、寛元(1246)年の3月8日、甲斐の国・鰍沢で御誕生あそばされました。したがって、御誕生770年というのは、3月8日ですから実質的には、今から5年半後に巡ってくるということになります。

毎年確実に、支部の講員数の一割を折伏誓願目標として推進し、これを達成していけば悠々と成就できる数であります。しかしながら実際には、組織の中をよく点検すると、休暇状態の人、行方不明になっている人などがいます。勤行をし、折伏に動き、育成に手を差し伸べる、そういう人数は帳簿上の人数からはかなり減ってくる。こういう支部もあるのではないかと思います。

常に小まめに御講参詣、あるいは広布唱題会、様々な行事に参詣あるいは参加を呼びかけ、当日は実際に連れ立って一緒に行く。また、折伏に出かけるときには声をかけて一緒に誘って体験させる。このような育成を個人個人自主的に行うことはもちろんでありますけれども、やはり指導教師のもとに計画を立てて、組織としてこれを実践していくというこが大事であろうかと思います。

また、折伏を成就する上で大切なのは、下種に力を注ぐということであります。かつて法道院の観妙院日慈上人は、「折伏をしたければ100人に下種しなさい」、こういう御指導をされたと伝え聞いております。100人と言われると「え、そんなにたくさん」というふうに思う、それほどたくさんの数でありますが、それくらい精力的に絶えず自分の近くの人や、いろいろな縁故をたどって下種をしていく、これを続けていかなければ決して一人の折伏成就に繋がらないということであります。

また、その元になる大事なことは、基本に忠実であるということであろうかと思います。即ち折伏に打って出る、そのためには、自分自身がまずしっかりと朝夕の勤行、唱題を欠かさず実践していく、その功徳を積んで勇気をいただき、化他行に打って出るということであります。「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段219ページ)と日寛上人は我々に御指南くださっていらっしゃいます。

そして二番目の御命題であります大聖人御聖誕800年、その大佳節をめざして法華講衆80万人の達成。これは今から12年後になりますが、毎年の折伏誓願目標を全講中がコツコツと確実に実践し達成してけば、必ず80万は成就できます。少なくとも日本乃至世界広布、遠大な大聖人の御理想の仏国土を建設していくには、常に目標を高く揚げ、これに向かって孜々営々と努力を重ねていく以外にありません。

現在、日本の人口は1億2700万、また世界の人口は68億と言われております。『法華経』には、「後五百歳中 広宣流布」(法華経539ページ)と予言され、大聖人様も、「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮題うちみだすならば、閻浮提内広令流布(こうりょうるふ)はよりも疑ひ候はじ」(御書926ページ)と仰せであります。

我が宗門の現況を考えますと、大聖人様に「まことに申し訳ございません」と申し上げる以外にない。しかし、いくら現実を悔いてみても、ただそれだけでは発展はありません。我々は足元をしっかりと見つめながら、元気よく、そして堂々と、ただただ御法主上人猊下の御指南のもとに異体同心して一歩一歩、着実に前進するのみであります。自らの使命を自覚し、精一杯のご奉公に励む、そして法統相続を心がけていく、この精神でがんばっていきたいと思います。

さて、今までは前御法主日顕上人猊下から賜りました御命題につきまして一生懸命修行してまいりました。本年度の各支部折伏誓願目標を年内に必ず成就する。また、50万総登山につきましても、各支部それぞれ、全講員一人残らず登山して目標を達成すべく、懸命な努力をしてまいらなければなりません。そして、その上で今般、御当代御法主日如上人猊下から直接、私共が賜りました新しい御命題を我が肝に銘じ、平成27年、さらに平成33年をめざして新たな闘いに挑んでまいりましょう。

皆さん方は、それぞれ各講中の責任ある立場におられます。新御命題を自ら実践し、率先して行っていく。それはもちろんのことでありますけれども、さらに、講中のずみずみにまでこれを浸透させ、講中が指導教師のもとに一結して前進するようにリードしていく、そういう大事な役目をお持ちであります。どうか、御法主上人猊下の御心に適う信心を心がけ健康に留意して活躍されるよう、お祈りいたします。

また全国宗務支院長・副支院長各位も、これから賜ります御法主上人猊下の御指南を拝聴し、しっかりと教区内の方々にお伝えをいただきたいと思います。さらに広布推進員の方々も、御法主上人猊下の御指南を体して、今後のその立場においていよいよ充分なるご活躍をされるようお願いいたします。




御法主日如上人猊下御言葉

8月度広布唱題会の砌
平成21年8月2日 於 総本山客殿


 皆さん、おはようございます。本日は、総本山における8月度の広布唱題行に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労様でございます。

 まず、先般7月26日にに行われました「立正安国論正義顕揚750年記念7万5千大結集総会」が、全国法華講支部の指導教師ならびに講員御一同の弛まぬ努力によりまして、予定を上回り、7万8423名の大結集をもって見事に開催され、大勝利を収めたことに対しまして、心から有り難く、厚く御礼を申し上げます。また、まことにおめでとうございました。

 御承知のとおり、この立正安国論正義顕揚750年記念7万5千大結集総会は、平成14年に日顕上人猊下からいただいた御命題でありますが、その御命題をいただいてから7年間、講中が一丸となり、総力を結集して成し遂げた結果であり、この大勝利はそのまま各支部講中の歴史のなかに、永久に残る大勝利であります。おそらく、多くの講中が最後の最後まで戦ってきた結果の勝利でありまして、その間の戦いには筆舌に尽くせぬものがあったと思いますが、その戦いが今後の新たなる目標達成に、大いに役立つものになると固く信ずるものであります。

 7万5千名の大結集総会の時にも申し上げましたが、法華講は、平成2年の「三万大総会」、平成6年の「地涌六万大総会」、平成10年の総本山客殿落慶を記念しての「十万総登山」、平成14年の「宗旨建立750年慶祝記念30万総登山大法要」、平成20年「プレ大会」、そして本年の7万5千大結集総会と、ことごとく勝利し、御命題をいただくたびごとに確実に地力をつけ、大きく発展を遂げてきたのであります。

 法華講はこの勝利の感激と勢いをもって、今後は折伏に重点を置き、全力を傾注して平成33年、80万人達成へ向けて戦っていかなければなりません。

 そもそも、折伏は広宣流布達成の絶対的要件であります。御本仏の御出現も、折伏をもって末法の一切衆生をして本因下種の妙法に帰依せしめ、仏国土を実現するためであります。したがって、日蓮大聖人の御一生が「『立正安国論』に始まって『立正安国論』に終わる」と言われているのも、折伏の実践をもって国を安ずることを言っているのであります。

 今、現代の世相を見ますと、まさしく三災七難をはじめとする様々な災難が頻発しております。これらの災難をはじめ、五濁を根本的に浄化する方途こそ『立正安国論』の原理でありまして、その具体的な実践が折伏であります。法華講は今まで、結集の戦いはすべて勝ってきました。しかし、次は折伏の戦いを完全勝利することであります。折伏なくして広宣流布は達成できないからであります。

 大聖人様は『諸法実相抄』に、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり」(御書666ページ)と仰せられております。すなわち、広宣流布への道は、妙法五字を二人、三人、百人と次第に伝えていくことが肝要でありまして、一人ひとりが真剣に折伏に取り組んでいくことが、現代における折伏実践の原点であります。

 一人ひとりが御本尊に対する絶対の確信を持ち、池田創価学会をはじめ邪義邪宗は不幸の根源であり、本因下種の妙法以外に我々が幸せになる道はないと、大確信を持って人々に強く訴えていくことが折伏であります。それが一番大切であります。したがって、折伏を行づるに当たっては、不幸と混乱と苦悩の原因がすべて邪義邪宗の害毒にあることを、しっかりと相手に教えていくことが大事であります。

 大聖人様は『曽谷殿御返事』に、「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同1040ページ)と仰せであります。折伏は、邪義邪宗こそが人を不幸にして、世の中を危うくする元凶であると言い切り、一切の謗法を破折することが大切なのであります。つまり、折伏に当たっては、消極的な弱い姿勢や、善悪をはっきり言わないような折伏であってはならないのであります。

 大聖人様は『善無畏三蔵抄』に、「仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語・軟語(なんご)なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり。当世学匠等の法門は、軟語・実語と人々は思(おぼ)し食(め)したれども皆強言・妄語なり。仏の本意たる法華経に背(そむ)く故なるべし。日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つベし、禅宗・真言宗も又謬(あやま)りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし」(同445ページ)と仰せであります。

 大聖人様が、念仏に対して無間地獄の堕つると言い、禅宗や真言宗は誤りの教えであると厳しく断ずるのは、一見するとたしかに世間的には乱暴な言葉のように思いますが、実には相手を救い、相手の幸せの境界に導くための慈悲の言動であって、けっして非常識で乱暴な強言ではなく、これこそ真実の言葉、相手を思う優しい心を持った言葉であると仰せであります。間違いを間違いと指摘して、「間違った教えを捨てて、大聖人の仏法に帰依する以外に幸せになる途(みち)はない」とはっきりと言うことが、相手を救う最善の方途であります。それが折伏であります。折伏は相手の真の幸せを願う慈悲行であるからであります。

 どうぞ各位には、このことをしっかりと心肝に染めて、一意専心、新たなる目標達成へ向けて講中が一結して折伏に取り組み、広宣流布に資するよう心から念じ、本日の挨拶といたします。





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