大白法

平成21年11月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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宗務院に布教部が誕生
新たな御命題達成に向けて力強く出発


このたび、御宗門の宗務院に布教部が誕生し、また新たに折伏推進委員会が発足しました。

この布教部は、御法主日如上人猊下が、大法広布の布教体制の中軸として、かねての御構想を具体化されたものです。布教部を設けるには、日蓮正宗の規則にそのことを規定する必要があり、御宗門の法規改正委員会、宗会、責任役員会の議決を経た上、文部科学大臣の認証を受けることが条件となります。このたび11月12日付で規則変更の認証書が交付され、すべての手続きが完了したことにより、11月13日をもって布教部が誕生しました。

従来、宗務院は庶務部・教学部・渉外部・海外部・財務部の5部体制で宗務行政を執行してきました。布教に関しては庶務部・教学部が中心となり各部が連携して行ってきました。布教部の誕生により、今後、布教に関する宗務はすべて布教部が担当することになります。具体的には、これまで庶務部が担当してきた法華講の指導・育成等の広布推進の諸活動、教学部で担当していた法華講夏期講習会などは、今後はすべて布教部へ移管されます。

特に、布教部は、御法主日如上人猊下より賜った、
一、平成27年・二祖日興上人御生誕770年の佳節までに、すべての法華講支部が現在の講員数を50%増加すること。
二、平成33年・宗祖日蓮大聖人御聖誕800年の大佳節までに、法華講員80万人の体勢を築くこと。
の新たな御命題達成に向かっていく中で、布教の牽引車となって広布推進の大道を切り開き、力強く突き進んでゆくものと期待されます。

法華講員各位には、布教部の誕生を慶ぶと共に、平成27年・同33年の御命題達成をめざして、布教部の指導のもとに広宣流布大願成就へ向かって異体同心に精進してまいりましょう。


布教部の誕生に併せ折伏推進委員会が発足

布教部の誕生に併せ、法華講各支部の折伏推進活動を支援するため、布教部のもとに新たに折伏推進委員会が設置され、15人の御尊師が折伏推進委員に任命されました。これは、法華講各支部の折伏推進状況に応じて、折伏推進委員が当該支部等へ出張し、各支部の実情に応じたきめ細かい指導と助言を行うために設置されたものです。同委員会は明年1月から具体的に活動を開始します。布教部長・阿部信彰御尊師をはじめ折伏推進委員の各御尊師のご活躍により、折伏の気運が一段と高まり、新御命題達成に向かって各支部の折伏活動が飛躍的に進展することを心から期待いたします。


布教部長に阿部信彰御尊師が就任

11月13日、布教部の新設に伴い、宗制第17条の規定により同日付をもって、庶務部長・阿部信彰御尊師が御法主日如上人猊下より、新たに布教部長の御任命を受けられた。阿部御尊師は、これまで庶務部長をはじめ、法華講本部指導教師、全国布教師、富士学林教授、立正安国論正義顕揚750年記念局常任委員などの宗門の要職を歴任されている。


庶務部長に斎藤栄順御尊師が就任

11月13日、前庶務部長・阿部信彰御尊師が布教部長の御任命を受けられ、宗制第17条の規定により同日付をもって、庶務部副部長・斎藤栄順御尊師が御法主日如上人猊下より、新たに庶務部長の御任命を受けられた。斎藤御尊師は、これまで庶務部副部長、立正安国論正義顕揚750年記念局常任委員をはじめ宗務行政の要職を30年余にわたり歴任されている。





信心のしおり 占いについて
努力なくして幸せはなし


皆さん、こんにちは。今回は、占(うらな)いについてお話します。

テレビや雑誌などには、必ず占いのコーナーを見かけます。「血液型占い」「星占い」「動物占い」などがありますね。私たちの周りに多くの占いが目につくのは、これらを見る人が多いということです。皆さんは、これらの占いを見て、どう思いますか。


占いの実体

人相や手相を見る占いがあります。これらは、顔つきや手のひらの形から占うものですが、よく考えてみてください。笑っている顔、、喜んでいる顔、怒っている顔、悩んでいる顔などを見て、皆さんも相手の心情を知ることができますね。人は感情などを顔に出すからです。ですから、人の顔や姿を見て、その人の性格や健康状態を判断することは難しいことではありません。このようなことを細かく研究して作り上げたのが人相・手相学です。

また、血液型占いはどうでしょうか。それぞれの血液型によって特徴があるのは事実でしょう。しかし、その特徴をもって自分の性格などを決め込むのは正しくありません。多くの血液型の本が出版されていますが、多くの人たちに当てはまるような物事を示して、当たっていると思い込ませる内容にしていることも事実なのです。ですから、「私はA型だけど性格は0型です」などと言う人もいます。おかしな話です。

この世の中のどこに自分と同じ性格の持ち主がいるでしょうか。人はそれぞれ住んでいる国や家庭環境が違うのですから、血液型だけで人の性格を判断することができるはずがありません。


占いに頼ってはダメ

人々はなぜ占いに夢中になるのでしょうか。それは、誰しもが「幸せになりたい」「対人関係をよくしたい」と考えるからでしょう。そのために参考になるならと思って、占いを信じるのかもしれません。しかし、占いは人生の指針とはなりません。

大聖人様は「利根と通力とにはよるべからず」(御書233ページ)と仰せです。つまり、占い師などの見たり聞いたりする能力に長けている人や超能力を持つ人はいても、私たちがそれらの人々の教えに耳を傾けて信じ、様々な問題や悩みを解決するより所にすることは謗法なのです。

また、誤った宗教では、独自の教義が低劣なため占いなどを利用していることもありますし、人の弱みに付け込んで悪質な商売をする者もいます。神社に行っておみくじを引くと、何が書いてあったとしても、その行為が謗法であるため不幸になるのです。


努力なくして幸せなし

占いを信じて幸せになった人が、皆さんの周りにいますか。多くは、占いによって喜んだり心配したり…ただそれだけではないですか。それは、占いが何の役にも立っていない証拠です。

大聖人様は、「私たちの悩み苦しむ心は磨かない鏡のようであるが、磨けば真実の悟りを得ることができる。しっかり信心しようと決意して、なまけることなく、毎日、南無妙法蓮華経と唱えることで自分自身が磨かれ、立派に成長することができる(趣意)」(同46ページ)と仰せられています。つまり、幸せになりたいと思うなら、正しい御本尊様を信じて、自分自身が決意をもって実際に努力する。真剣に御題目を唱えて自らを鍛えて、どのような壁にぶつかっても乗り越える力をつけていく以外にないのです。

「困ったときの神頼み」という言葉がありますが、困ったときのみ何かを信じるという行いでは何事も成就しません。日頃から、正しい教えのもとで努力することを忘れてはならないのです。

皆さんのお友だちに占いを信じる子がたくさんいると思います。ぜひ、日蓮正宗の正しい信仰を教えてあげましょうね。





総本山を歩く 第22歩 〜大聖寺藩前田家墓所〜


大納骨堂の東側に、大聖寺藩第10代藩主利極(としなか)の正室であった勇姫をはじめとする加賀大聖寺藩前田家の墓所があります。墓石は、天保9(1838)年、第51世日英上人の代に建てられました。

さて、加賀藩の信仰は、第5代藩主綱紀(つなのり)の代に、藩の武士たちが参勤交代で江戸の加賀藩上屋敷に来ていた際、常在寺で第17世日精上人の御説法を聴聞して入信したことによります。しかし、第6代藩主吉徳(よしのり)の代になると、藩は、幕府の宗教政策に則り、本宗を厳しく取り締まるようになりました。

享保11(1727)年4月には、加賀の法華宗慈雲寺の僧・了妙が本宗に帰伏し、これを慈雲寺が寺社奉行に訴えたため、本宗の信仰は完全に禁止となりました。この当時、加賀の信徒は数千人となっていました。そこで第28世日詳上人は、大聖寺藩の領内に寺院建立を願われましたが、認められませんでした。これに対して藩では、さらに大石寺信仰禁止令を出し、背いた者は、閉戸・入牢(じゅろう)などの刑に処され、獄死する者も出ました。これが金沢法難です。

この法難は、約150年間続きましたが、信徒たちは弾圧に負けず参勤交代に際して宿場町から大石寺へ夜通し駆けて「抜け参り」を行うなど、強盛に信仰を続けました。そして、禁制が解かれ明治12(1879)年、第52世日露上人により、金沢の地に悲願の妙喜寺が建立されたのです。

この加賀藩の支藩が大聖寺藩です。大聖寺藩において前田家・勇姫が入信したのは、江戸時代後期です。勇姫は、13歳で母を亡くし、大聖寺藩に嫁いだ3年後に夫の利極が27歳の若さで急死、翌年にはただ一人の娘も2歳で死去し、自らも病に伏し、容態は次第に悪化していきました。

そこで、第48世日量上人は、勇姫の病気平癒のため、戒壇の大御本尊に御祈念され、御本尊を下付し、勇姫付きの武士・小塚与平や、国許で講頭をしていた窪田善領等の信徒は、講中一丸となって唱題に励んだのです。その結果、5カ月後には病気が快復しました。これを機に、藩内の武士や側近の女中たちも信仰に励むようになりました。

また、大聖寺藩第11・12代正室、そして最後の藩主である第14代利鬯(としか)も、勇姫の教化により入信しました。そして、勇姫は、明治8(1875)年、64歳で逝去しました。法名は、寿正院殿妙量日詮大姉と言います。勇姫の遺言により、遺骨は江戸常泉寺に埋葬され、遺髪が総本山の墓地に納められました。

我々は、言語を絶する厳しい法難に耐え抜いた金沢信徒の信仰の姿勢を受け継ぎ、未来にわたって布教に励んでいくことが大切です。




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