○経過報告 清涼寺住職・野村慈尊御尊師
本日は、もったいなくも御法主日如上人猊下の大導師を賜り、秀興山妙聡寺、落慶入仏式がかくも厳粛かつ盛大に奉修されましたこと、まことにおめでとうございます。僭越ではございますが、妙聡寺落慶までの経過報告をさせていただきます。
妙聡寺建立に至りましたことは、発願主である清涼寺総代・塚本総業社長・塚本清士郎氏が、平成17年12月、総本山第68世御法主日如上人猊下御登座の砌、「日如上人猊下の御登座を祝して、何かお祝いさせていただきたいのですが、何がよろしいのでしょうか」と問われたことが契機となったのであります。私は日如上人猊下が御登座以前より、千葉に寺院を建立したい旨のお考えがあり、法道院のご信徒を通して候補地を探されていたことを知っておりましたので、「日如上人猊下が一番お喜びになられるのは、千葉に寺院を建立し、御供養されることです」とお答えしますと、「それではぜひ、寺院を御供養させていただきます」とご決断されました。この旨を早速、御法主上人猊下にお伝え申し上げましたところ、「謹んで寺院建立の御供養をお受けいたします」と、たいへん快い御言葉を頂戴することができました。
御法主上人猊下の御認可を賜りました塚本社長は、千葉に土地を求めることから始まりました。しかしながら、500坪を超える宅地はそう簡単に見つかるものではありませんでした。そこで、先代塚本総業社長・塚本素山氏が求められ、塚本総業の従業員宿舎「素山荘」として使われておりましたこの川戸の地を寺院建立の候補地とされたのでございます。この土地は、場所的にも、また700坪に及ぶ大きな土地としても、申し分なくすばらしいもので、日如上人猊下もたいへんお喜びになり、土地を探し求めていた法道院のご信徒方にも喜んでいただいたことから、千葉市内の三番目の寺院として建立されることになりました。その後、2棟あった宿舎を解体し、土地をならして、本年2月26日に起工式を、そして8月21日には上棟式を行い、大成建設のご尽力により10月に見事完工し、本日晴れて落慶入仏式を迎えるに至った次第でございます。
次に本堂並びに庫裡の概要を申し上げます。敷地面積は、704.9坪で、建物は鉄筋コンクリート造りの平屋の本堂と2階建ての庫裡となっております。本堂は、20畳の内陣と65畳の外陣になっており、本堂後部には、8畳1室、6畳2室の控え室が設けられております。この建物の特徴は、塚本社長の要望で、大地震に備えて万全なコンクリートの基礎で固められており、安心、安全な建物であります。さらに、近隣にお住まいの方々にもご迷惑がかからないようにと、塚本氏が切望した防音設備が完備された造りとなっております。庫裡は1階に玄関、受付、ホールを含め、10畳の和室、6畳の和室2室、洋室2室の他、倉庫が設けられ、2階は10畳、6畳の和室が1室ずつと洋室が1室となっております。特に床はクッション付きのバリアフリーとなっており、健康に配慮された機能性に優れた建物です。さらに冷暖房が完備されている上、驚くことにエレベーターも設置されております。
以上のようにかくもすばらしい寺院を御供養され、本日、御法主日如上人猊下の御下向を賜り、このように盛大な落慶入仏式を迎えるに至りましたことは、功徳主である塚本清士郎氏にとって、この感激はいかばかりでありましょうか。心よりお祝い申し上げます。
さらに御法主上人猊下には、この土地を求められた先代社長・塚本素山氏(※現在の法清寺の敷地3千坪を御供養され、秀興院素山日泰大居士と尊号を賜っている)を称えられ、もったいなくも素山氏の院号を当寺の山号におつけあそばされ、秀興山妙聡寺と命名されましたことは、先代素山氏のお喜びはもちろんのこと、奥様、お子様方、塚本家ご一統の喜びであり、重ねてお祝い申し上げるものです。
この秀興山妙聡寺は、今日まで千葉で活動されてきた法道院支部の法華講員の方々の道場として出発されますが、どうか、大聖人様御聖誕の意義深い当地、千葉の広布に向かって大発展していただきたく存じます。この大発展こそが、御法主日如上人猊下にお応えする最も大事なことであって、功徳主である塚本清士郎氏にとっても、最高の喜びであると思います。どうか、妙聡寺信徒の皆さん、今日よりは、御法主上人猊下の御指南のもと、新住職と僧俗和合・異体同心の信心をもって、平成27年と平成33年の御命題に向かって大前進されますことを心より念願いたしまして、粗略でありますが、経過報告とさせていただきます。本日はおめでとうございました。