平成6年法華講地涌六万大総会と台風7号の軌跡


平成の法華講衆躍進の重大な契機となった、平成6年・地涌六万大総会――あれから10年が経過し、全国の法華講員も30万名を超え、あの大総会を知らない方も多くなっている。そこで、天気図と写真をもって振り返り、当時の感動を僅かではあるが再現してみたい。

総会110時間前 平成6年7月19日21時の天気図 日本の南海上を3つの台風が、それぞれ北東に進路を取りながら並走している。このうち真ん中にある、大型で非常に強い台風7号(気圧925hPa)の進路が、総会開催を目前に控えた法華講に衝撃をもたらす。

法華講地涌六万大総会は平成6年7月24日(日)午前10時30分より開催された。天気図は総会開始110時間前のものである。(朝日新聞より)

富士会館での準備風景

富士会館(東京)での準備風景。左手前より、石毛副委員長、柳沢委員長、島崎総務部長(故人)。
総会86時間前 7月20日21時の天気図 台風7号が引き続き北東に移動中。このまま、銚子沖を通って三陸沖に抜けてくれれば良かったのだが・・・。

総会開始86時間前。

西日本渇水 余談ではあるが、平成6年はカラカラ猛暑で特に西日本では水不足に悩まされていた。香川県をはじめ、愛媛、広島、奈良の4県では、夜間断水などの時間断水に加えて減圧給水も行われた。

日本経済新聞平成6年7月21日 水不足の香川に全国から飲料水

深刻な水不足に悩む香川県に全国各地から飲料水が贈られている。既に鹿児島県、岩手県から地元麓のミネラルウオーターなどが届いたほか、横浜市からの水も近く届く。香川県渇水対策本部にはこのほかにも宮城県、山形県西川町、青森県十和田湖町、長崎県島原市など各地から飲料水提供の申し出が相次いでいる。

総会73時間前 7月21日9時の天気図 大型の台風7号は北に向きを変え、本土に接近する可能性が出てきた。中心気圧945hPaと非常に強く、雨雲が固まっている。総会開始63時間前。

総会に参加する登山者のうち、一泊者は23日の午前中に着山、また日帰り者は未明から24日の早朝にかけて順次着山し、境内各所に設けられた仮眠所で休憩する予定である。飛行機などの交通機関の乱れが心配される。

総会70時間前 7月21日12時の予想進路 大型で非常に強い台風7号は21日午前、小笠原諸島・父島の西沖の太平洋上を北に進み、本州・四国に接近している。22日午前には伊豆諸島・八丈島、23日午前に本州から四国の南岸が暴風域に入り、上陸する可能性もあるため、気象庁では今後の進路に注意するように呼びかけている。(日本経済新聞21日夕刊)

気象庁の予想では、総会前日の23日午前9時には潮岬の南250キロの海上に到達し、静岡県から愛知県にかけて上陸する可能性が最も大きい。まさに、総本山直撃のコースである。

仮設テント 仮設テント 未明から早朝にかけて到着する日帰りの登山者の仮眠・休憩場所として、客殿前広場や塔の原グランドに準備された仮設テント群。もしも、このまま台風が上陸したら吹き飛ばされる恐れがある。

法華講連合会の理事会でも、当日雨天だったらどうするのかという懸念が示されたが、柳沢委員長の答えは「絶対に雨は降らない」の一言だったという。台風どころか雨が降っただけでも、屋外をメイン会場とする大総会は実行不能となるのだ。

総会61時間前 7月21日21時の天気図 大型で強い台風7号が週末ごろ、日本列島に接近する公算が大きくなってきた。すでに南岸沖には大きなうねりも押し寄せてきている。夏休みで、海や山に出かける人も多い時だが、ここ数日間は自宅待機が安全だろう。(朝日22日日刊)

さらに、台風が大石寺に近づいていく。対立する一凶宗(仮称)の信徒は狂喜乱舞し、更に呪いの題目をあげていたという――総会開始61時間前。

総会49時間前 7月22日9時の天気図 台風7号は、日本の東海上の高気圧の張り出しが強いため、北から西よりへ進路を変えた。また、上空の風が弱いため自転車並みの速さで進んでいる。今後、不規則な経路をとることもあるので、常に、最新の気象情報の入手を。(朝日22日夕刊)

総会まであと49時間となって、台風が進路を突然進路を変えた。台風の雨雲は東海上の高気圧の力によってばらけるとともに、西側に集中し列島には晴れ間が広がっている。いよいよ、日本各地からの信徒の参集が始まる。

登山 無事に旭川空港を離陸した北海道の法華講員。羽田空港に向かう機中にて。
着山 雲間からのぞく月光天子の守護のもと、未明から続々と総本山に着山する法華講員。

写真を見て思い出したが、ちょうど満月だったようだ。筆者は高校生だったが、天の守護というものが本当に存在するんだということを朧気に感じたのは、この登山の時が初めてであった。

休憩 仮設テントで仮眠をとる。大総会開催まで、あと約7時間。
休憩 晴れた!−−−夜明けと共に総会前の御開扉に向かう登山者。朝から富士山が全体を現した。大石寺からの富士山は左右対称で、最も美しいといっても過言ではない。南条時光殿がこの地の領主であったのも、戒壇建立の霊地たるべき不可思議な因縁によるのだろう。

富士山の火口は八葉の白蓮華を象っており、また富士山の勇姿は仏様がお座りになられた形であると伝承されている。したがって、富士山の絵を描くときは頂上を平らにせずに、必ず剣が峰の凸を描くのである。

会場へ 御開扉を戴いて、いよいよ会場へ。「広布の広場」は、地涌六万大総会の本会場として、総一坊と総二坊の間に造られた。

ちなみに、平成2年の大石寺開創700年法華講3万総会は客殿前広場で行われた。その後、平成2年末に一連の学会問題が勃発し、平成3年には創価学会が組織破門となったため、以来はじめての大結集となる平成6年法華講地涌六万大総会は、日蓮正宗と法華講の大試金石であった。

会場 午前8:30、総会開始まであと2時間。まず、一泊の登山者から順次着席。

広布の広場に約3万名で、広場の両脇の総一坊・総二坊・広布坊に残りの3万名(特にお年寄りや子供連れは室内)が入場し、同時中継で参加した。

なお、この広布坊は総会前日の23日(土)に落慶法要が行われた。先の新六万塔の建立御供養が予想額を遙かに超えたため、広布坊の建設は総本山の事業として行われていたが、結果的に法華講連合会でその建設費を御供養することができた。

会場 午前9:30、総会開始まであと1時間。既に御開扉を受けた早朝着山組や、総会直前に着山したグループも順次着席。

早朝着山組は主に遠隔の地方部で、日帰りは午後の御開扉を受ける近隣の地方部。

会場 こうして、仏天の御嘉納される地涌六万大総会が開催された。御法主上人猊下からは、晴天を心配されて脱帽の必要はない旨ご配慮があったが、猊下が御登壇されるとどこからともなく流れて来た雲によって時おり日が蔭るのは、子供心にも本当に不思議な事に思えた。

時折そよそよと流れる風が心地よかったが、これは台風が珍しく「西」へ曲がったことによるものである。台風が来なかったといっても、通常通り「東」へ逸れたのだったら、いわゆる台風一過で南風が流れ込んで酷暑となり、とても屋外で集会など開けるものではなかった。

私は、ブラスバンドの隊員として鼓笛隊の子供達と一緒に行動していたが、関西地方部で子供2人が少し気持ち悪くなっただけで(※黒を基調とした制服だった)、みんな元気に総会後に行われた鼓笛フィステバルにも参加できて、本当によかった。


○ 御法主上人猊下御言葉 地涌六万大総会の砌

○ 御法主上人猊下御言葉 新六万塔開眼法要の砌

御僧侶入場 総二坊
総会 移動
下山 鼓笛
総会13時間前 そういえば台風は何処に行った? 東経140°線に沿うように北上してきた台風7号は、北緯30°線まで来たところで西に直角に進路を変えて、総会前夜には九州の南海上に到達していた。

もしも、真っ直ぐ進んでいれば、恐らく前日から当日にかけて上陸して、登山者の交通や会場の準備等に重大な影響を及ぼし、また当日も雨が残るか台風一過の酷暑となって総会を混乱させたことだろう。(予想図は日経24日朝刊)

御法主上人猊下より、六万総会に向かって何が出来るのかと尋ねられた柳沢委員長は、熟慮の末、江戸時代に建立された六万塔に思い至り、平成法華講衆による新たなる六万塔の建立を発願された。

そして、平成6年の元旦から4月10日までの100日間に、僧俗12万名が1日5000遍(2時間)の唱題を挙げ、合計600億遍の題目を以って『新六万塔』を建立した。その功徳は、大型台風をも退ける大利益として現れたのである。

四国に恵みの雨 西進した台風7号は、「一日5時間しか水が出ない日が10日続」き、過時不雨の難に喘ぐ四国地方に思わぬ恵みの雨をもたらした。

完全な水不足の解消には至らなかったものの、高知県では合計200ミリの降雨があり、四国の水瓶といわれる早明浦ダムでも52ミリの雨が観測された。

(画像は読売25日夕刊)