ツバキ大戦

第壱章 「帝劇再建」





       (一)


――帝都東京、銀座。

それは、帝都の繁栄の象徴。

きらびやかに街灯がともり、蒸気鉄道が盛大な蒸気を吹き上げて走り、その傍ら、石畳の歩道を人々が笑いさざめき流れていた、街。

蒸気四輪がせわしなく行き交い、ショーウィンドウに飾られた流行の洋装に憧れの瞳を向け、はしゃいだ声でおしゃべりを交わす、少女たちがいた、街。

大通りからちょっと横へ入った、やや薄暗くなった脇道で恋人たちが、ささやかな恋の語らいを繰り返していた、街。

天に戴く星々の輝きを、そのままそこにおろしたかのように、輝いていた、街。

永劫に、その輝き、その繁栄、その未来が続くものと、誰もが信じて疑わなかった、街――

「――これが、銀座……」

呆然と、椿はつぶやいた。大きな茶色の瞳が、まばたくことも忘れたかのように見開かれ、彼女の前に広がっている光景を映し出す。春先とはとても思えないような、冷たい微風が、椿の頬をかすめていく。

そこに広がっていたものは――空虚な、瓦礫の荒野だった。

割れ、砕けた敷石、崩壊した建物。人の腰くらいまで崩れ落ちた壁。押しつぶされ、ゆがみねじれている街灯。力なく風に揺れる、割れ砕けたランプの下、ショーウィンドウに飾られていたマネキンが、まるでうらみを込めているかのようなまなざしを天に向けている。煤けた屋根。焼け落ちた民家。道端に転がる、蒸気四輪。あめのように曲がりねじ切られた、蒸気鉄道の線路。もとの姿を思い出すのが困難なほどに崩れ落ちた、ビル。

それは、もはや、街ではなかった。かなたまで広がる、ただの、荒野に過ぎなかった。誰一人として住まうことを拒む、いや、生きるものがそこにあることさえも拒む、拒絶された大地――
それが、今、少女の足元に広がっているのだった。

「これは――ひどい有り様ね」落ち着いた、だが、悲しみに満ちた声が、椿の耳に届いた。薄墨色の長い髪の先端を赤いリボンで結んだ女性が、椿を支えるように後ろに立ち、暖かな手で椿の両肩を抱いた。かすみであった。

「かすみさん――」

椿は、虚ろなまなざしを、背後のかすみへと向けた。あどけない顔の中、大きな茶色い瞳が揺れる。

「私たち――何、してたんでしょう? こんな――こんなに、街がこんなになるなんて。どうして、どうしてこんなになる前に、私たち――」

「しっかりして、椿ちゃん」

明るい声が、椿にかけられる。背の高い、きびきびとした動作で歩み寄ってきた女性は、笑顔を見せて、椿をのぞき込んだ。「大丈夫。ここにいた人たちは、全員避難しているから。たとえ今はこうでも、じきに元に戻るわよ」

「そうよ。由里の言うとおりよ」力強く、かすみは頷いた。「壊れたものは、いつかは直せるわ」

「そう――そう、ですよね?」

やや血色を取り戻し、椿はかすかに笑顔を浮かべた。だが、次の瞬間、は、っとした表情で、身を起こした。周囲に目を走らせる。

「どうしたの、椿ちゃん?」

「今――何か、声が、しませんでしたか?」

「え?」

かすみと由里は、互いに顔を見合わせた。だが、互いがやはり何も感じていないことに気づき、同時に椿に視線を戻した。

「いえ、私には何も……」

聞こえなかった、と続けようとしたかすみの言葉を聞かず、椿はだっとかけだした。地面に転がる瓦礫にやや足をとられながら、ひときわ大きく崩れ落ちている巨大な柱のそばに近づく。そして、地面にぴた、と耳をつけ、何かを確認したかのように頷くと、その柱の下に詰まっている瓦礫をどけ始めた。

「椿ちゃん!」
「まさか――!!」

由里とかすみは、椿のもとに駆け寄った。

「まさか、誰か、いるの?」

問いかける由里に、瓦礫をどける手を休めることなく、椿は答えた。

「わかりません。ただ――何か、声がしたような気がして」

あいまいな答だったが、由里とかすみは、すぐに椿のそばに腰を下ろし、一緒に瓦礫をどけ始めた。もし、誰かがいて、救助を求めているのだったら――その可能性があるのなら、椿を手伝わないわけにはいかなかった。

だが――

彼女たちは、すぐに後悔することになった。
瓦礫の下から出てきたのは、一匹の黒猫だった。かすかにまぶたが震え、四肢が痙攣している。だが、はた目でもわかるほどに背骨がおかしな方向に曲がっており、じきに死へと至るのは確実だった。 くぅ、と、苦しそうに息をするが、それも弱々しく、ほとんど聞き取れないぐらいである。瓦礫の破片に傷つけられたのか、右肩のところに切り傷があるが、ほとんど血は止まっており、むしろそのためによりいっそう、痛々しい姿だった。

「ねぇ、しっかりして!」

震える声で、椿は瀕死の猫に語りかけた。だが、わずかに頭をもたげたのみで、猫はぐったりと横になった。 そして、一度大きく、ぶるる、と全身を痙攣させただけで、永遠に動かなくなった。瞳が反転し、その小さな体から力が抜けていく。

年下の少女をいぢめる年長組・・・じゃあありませんよ?(爆) 「……」

声もなく、椿は、瓦礫の下敷きになっていた黒猫を見下ろしていた。 やがて、ゆっくりと手を伸ばし、その、やわらかく、しかし力ない猫の体を抱き上げた。震える手で、しっかりと胸に抱きしめる。その体はまだほんのりとかすかに温かかったが、それも椿の胸の中で次第に冷たくなっていくのがわかった。
かすみはぎゅっと唇をかみしめ、由里は眉を寄せて、横を向いた。 二人とも、年下の戦友の、かぼそい姿を見つめ続けることができなかった。

やがて――

瓦礫の荒野に、弱々しく悲しげな泣き声が、風に散らされながら流れた……



       (二)


雲一つなく晴れ渡った空に、大きな影が差した。鋼鉄の飛行船、翔鯨丸である。聖魔城から、帝撃花組が戻ってきたのであった。まだあちこちからかすかに黒煙をのぼらせ、ねじ曲がったフラップを忙しげに動かし、姿勢を制御しているが、飛び方は比較的安定している。わずかに船首をあげ、空を進む姿は、誇らしげでさえあった。
やがて翔鯨丸は、ゆっくりと降下してきた。地上にいる椿たちを確認したのだろう。銀座の瓦礫の合間を見つけ、その巨体を悠然と地上に沈める。

「――さあ、みんなを出迎えなきゃ、ね?」

努めて明るく、由里が言った。肩を震わせている椿のそばに歩み寄り、そっと抱いて立ち上がらせようとしたが、椿は力を失ったようにぺたりと地面に座り込んだまま、嗚咽を漏らすばかりだった。
かすみはやや痛ましそうに椿を見たが、彼女のことは由里に任せることにし、二人の先頭に立つようにして、翔鯨丸の巨体のほうへとゆっくりと歩み始めた。

翔鯨丸のハッチが開き、ゆっくりと地上へと降りてくる帝撃の戦士たち。 彼らをかすみはほほ笑みを浮かべて出迎えた。

「……おかえりなさい、皆さん。ご無事で何よりでした」

一番初めに降りてきたのは、まばゆく輝く金色の髪の少女であった。綿毛のようなふわふわの髪を大きな赤いリボンで留めた愛らしい少女は、ぴょん、と、元気いっぱいに、ハッチから飛び降りてきた。 青い瞳が、かすみに向けられ、大輪の花が咲いたかのような愛らしい笑顔が満面に浮かびあがる。

「ただいまぁ、かすみお姉ちゃん!」

「アイリスちゃん。怪我はなかった?」

「うん。大丈夫だよ!」

本当に大丈夫のようだった。金色の天使は無邪気な笑顔でかすみに答えた。そして、きょろきょろと辺りを見回して、適当な瓦礫のうえに、ちょこんと座った。

次に現れたのは、すみれであった。細く繊細な美貌の少女は、つん、とおとがいをあげ、優雅な動作で降りてくる。

「すみれさん。ご無事でよかったわ」

「ありがとうございますわ、かすみさん」すみれはやや表情を和らげ、微笑んだ。
「でも、心配などご無用でしたのに。あのような下等なものどもに私が不覚を取るなど、万に一つもありえませんでしょう?」

「……もう、あいかわらずですね」かすみは、苦笑した。彼女にはわかっていた。すみれが虚勢を張っていることを。 この誇り高い少女は、決して他人に弱みを見せることを良しとしない。以前、彼女のその誇り高さゆえに、かすみはすみれと衝突したことがある。 だが、それがすみれの、硝子のように繊細で傷つきやすい己自身を守るためのものであると気づいたとき、かすみは、すみれをとても愛しく感じたものだった。 今でも、かすみの目には、すみれの様子は痛ましく映る。口で言うほど大丈夫とは、とても思えなかった。

気遣わしげに彼女を見やったかすみだったが、威勢のいい声がかけられ、再び視線を戻した。

「よう、かすみ。おめぇらも無事みたいだな。よかったよかった!」

「あ、カンナさん。お怪我はありませんでした?」

「まあな。あったとしたって、かすり傷さ」カラカラと軽やかな笑い声を上げ、カンナはかすみに答えた。陽に焼けた健康そうな肌、明るい紫色の瞳は陽気にきらめいている。 少年のように引き締まった体を悠然とすすめながら、カンナはちら、と、すみれを見た。 その明るい瞳に瞬間気遣いの色が浮かんだが、すぐに陽気な声でかすみに言った。

「あたいはバッチシ体を鍛えてるからな。あそこにいるお嬢ちゃんほどへばっちゃいないよ」

「……だれが、へばっている、ですって!?」 すみれが、ぎろり、とカンナをにらんだ。しかし、丁寧にほこりを払った瓦礫に、申し訳程度に腰を下ろしているのをやめようとはしない。 彼女の言葉が、虚勢であることは明らかだった。同時に、彼女がどれほど疲弊しているかを如実に示していた。

「……ったく。素直じゃねぇんだからよ」

苦笑して、カンナは周囲を見回した。そして、何かを見つけたらしく、小さく頷くと、ある瓦礫の山に歩み寄り、一抱えもありそうな壁の破片を無造作に取り除け始めた。

「――何してはるんや、カンナはんは?」

「さあ……」不思議そうに訊ねられて反射的に答えたかすみは、はっ、と我に返って、声をかけてきた少女に向き直った。「紅蘭?」

「そや」ちょっと笑って、紅蘭はうなずいた。
細く、折れてしまいそうな華奢な体に、大きくて丸い眼鏡。典型的な学者肌の少女だが、暗い感じはまったくない。 いつもにこにこと楽しそうに笑い、場の雰囲気を盛り上げてくれるので、自然と彼女は花組のムードメーカーになっていた。
だが今は少しばかり、研究熱心な発明家としての彼女が出ているらしい。やや体を丸めるようにして、興味深そうにカンナの行動を観察している。

「なんか、掘り起こすつもりかいな?」

「さぁ、どうなのかしら?」

小首をかしげて二人が見守っているうちに、カンナはうれしそうな声を上げて何かを瓦礫の下から引っ張り出した。

「……おおっ、あった、あった!」

それは、小さなソファだった。ホテルのラウンジに置いてあるような、一人がけのクッションの効いた皮製のものである。瓦礫の下につぶれかけていたが、その柔らかさゆえに、ほとんど損傷した様子もない。 カンナは引っ張り出したそれを、ほとんど重さを感じないかのように片手でつかみ上げ、すみれのもとへと歩み寄った。

「な……なんですの?」

目を丸くして問いかけるすみれに、カンナはにかっと笑いかけ、地面にソファを置いた。

「ほれ、すみれ。こいつに座れよ」

「カンナさん……」やや呆然としたすみれだったが、きゅ、と眉を寄せて、そっぽを向いた。「……結構ですわ。そのソファは、あなたがお使いなさいな」

冷たく言い放つ。だが、そっぽを向いた彼女の瞳が熱くうるんでいるのを、かすみも、そしてカンナも見逃しはしなかった。

「ああっ、ったく、しょうもねえヤツだな、おめぇは!」乱暴に頭をかくと、カンナはずい、とすみれに近寄った。思わず逃げ腰になる彼女の体を抱き上げ、なかば強引にソファに座らせる。

「な、なにをするんですのっ! カンナさん!」

「うるせぇ、四の五のいわず、黙って座ってろい!」

弱々しくばたばたともがくすみれと、彼女を押さえつけるようにソファに座らせようとするカンナを見やって、かすみと紅蘭は笑顔を見交わした。

「ほんまに仲がよろしいな、あの二人は」

「そうね」微笑みを浮かべてかすみは頷いた。「――それより、紅蘭。あなたは大丈夫? どこも怪我は無いの?」

「ああ、ウチは大丈夫や。というか、誰一人、怪我なんてせえへんかったで! 安心しいや」

「それはよかったわ……」ほっと胸をなで下ろしたかすみだったが、小首をかしげて訊ねた。 「でも、よくみんな、怪我もなかったわね。まぁ、怪我が無いのに越したことはないんだけど――」

「――あやめが、助けてくれたのよ」

物静かな声が、かすみの疑問に答えた。振り向いたかすみの瞳に映る、麗人の姿。 淡い金色の髪、細く優美な曲線を描く眉。理想的なまでの造形を見せる、幽玄的な美貌。 硬質の翡翠色の瞳が、かすみに向けられていた。
「マリアさん――」呼びかけたかすみだったが、彼女の瞳にたとえようもない悲しみの色を見つけ、続く言葉を失った。 だが、マリアは淡々と、自らの感情を全く見せることもなく、続けた。

「あやめが、私たちを生き返らせ――そして、勝利を導いてくれたの。今、私たちがこうしてここにいられるのは、あやめのおかげでもあるのよ」

「……そしてね。あやめお姉ちゃんは、女神さまになったんだよ!!」

そう、嬉しそうに口をはさんだのは、いつの間にかそばに来ていたアイリスだった。きらきらと瞳を輝かせ、興奮したようにしゃべりだす。

「あやめお姉ちゃんね。とってもきれいだったんだよ! 真っ白くて、とってもきれいな羽根をつけてね、ぱぁってお空にとんでったの。 ほんと、あやめお姉ちゃん、女神さまだったんだよ!!」

「……」

やや困った顔で、かすみはマリアに目を向けた。とてもじゃないが、信じられないことである。 アイリスは決して嘘をつくような子ではないが、あまりにもその言葉は夢か幻めいていて、物語にしか思えなかった。
だが、マリアは小さく頷いた。

「アイリスの言うとおりよ。――もっとも、女神さまというよりは、天使さま、だったけれどね」

「とても信じられません……」

かすみはかぶりを振った。もっともなことである。だが、もう一人の小さな天使はぷうっと頬をふくらませた。

「アイリス、嘘ついてないもん!」

「わかっているわ、アイリス」優しい瞳を向けて、マリアは小さく微笑んだ。
「私を含め、花組全員が、あの場にいたのだもの。誰も、アイリスが嘘をついているなんて思わない。――でもね、あの場にいなかったかすみには、信じられないのも無理はないわ。それは、仕方ないことなのよ」

「……わかりました」小さくため息をついて、かすみは頷いた。「よく、事情は飲み込めませんし、想像もできませんが、皆さんがそうだというなら、そうなのでしょうね」

「無理に理解しろ、とは言えないけれど」くす、と穏やかな笑顔を見せて、マリアは、天を仰ぎ見た。
「あのとき、私たちは、奇跡というものを見た気がするの。そしてそれは、まぎれもなくあやめが与えてくれたものだったのよ……」

マリアの視線は遠い。かすみはそこに、マリアの想いを見たような気がした。

「……あ、かすみさん。よかった。ご無事だったんですね」

明るい声が、かすみにかけられる。視線を戻すと、柔らかな微笑を浮かべた少女が立っていた。しっとりと濡れたような光沢のある長い黒髪を赤いリボンで束ね、ハシバミ色の大きな瞳がおだやかにかすみに向けられている。

「さくらさん。ご無事で何よりでした」

「そうですね。ほんと、よかったです」

うれしそうに、さくらは笑った。春のおだやかな日差しのように、暖かく優しく、そして、希望に満ちた笑顔。 かすみとマリアは、ややまぶしそうに彼女を見た。さくらの笑顔は、人の心を和ませる。生きることに希望を見いだすことができる。 そして、その彼女の笑顔が最高に輝くのは――

「――やぁ、かすみくん。みんな無事だったようだね」

「大神さん!」

さくらの笑顔が輝きを増した。全てのものを包み込むような笑顔が、全てのものよりも大切な人への想いに輝きわたる。
そのときの彼女は、かすみでさえも息をのみ、思わず見惚れてしまうくらいに、清々しく、そして、美しかった。
そしてその彼女の想いは、ただ一人の人物にのみ注がれているのだ。

大神、かっこよすぎ? さくらの視線の先を、かすみはたどった。そこには、純白色の軍衣に身を包んだ、背の高い若者が一人、立っていた。 切れ長の、鋭い瞳。細くややとがりぎみの顎。均整の取れた肢体には、無駄な筋肉一つついていない。 背筋を伸ばし、ゆっくりとかすみたちのほうに近づいてくる彼こそ、帝国華撃団・花組の隊長、大神一郎であった。

「大神さん。ご苦労様でした」

かすみは、丁寧に頭を下げた。悪魔王の手からこの帝都を守り抜いた、帝国華撃団。そしてその中心となった花組をまとめあげ、最終的な勝利を勝ちとったのは、まぎれもなくこの青年であった。
その青年、大神一郎は、やや照れくさそうに笑った。切れ長の瞳から鋭さが消え、気さくで明るい普通の青年に戻る。

「かすみくん。そんな大げさにしないでくれよ」心底困ったように、頭をかき、大神は言った。 「それに、ご苦労様なのはみんな同じだろう? かすみくんだって、帝都を守るために奮戦してくれたのだから」

「いえ、私などは……」

わずかに頬を染めて、かすみは首を振った。年齢からすればかすみのほうが大神よりも年上なのだが、誰に対してもかすみは丁寧な物腰を崩さない。 それが、彼女に奥床しい雰囲気を与えていた。そして同時に、しっとりと落ち着いた大人の女性の雰囲気も与えていた。

「……それより、かすみくん。由里くんと椿くんは、どうしたんだい?」

やや怪訝そうに、大神は周囲を見回して訊ねた。

「いつも君たちは一緒だったはずだろう?」

「ええ。ですが……」

ややためらって、かすみは自分が来た方向へと目を向けた。ここからは瓦礫にはばまれて見えないが、まだ、かすかに泣き声が聞こえる気がする。 由里が必死になって慰めているのであろうと考えると、かすみの顔に暗い影が差した。
それを敏感に感じ取ったのだろう、大神はやや表情を改めて、かすみの見ている方向へと歩き出した。

「あ、大神さん……」

思わず声をかけかけたが、かすみは思い直して、黙って大神を見送った。
――大神さんなら、椿を立ち直らせてくれるかもしれない……
そんな、漠然とした思いがしたからだった。


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