ツバキ大戦<第壱章>


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       (三)


「これが、銀座か……」

やや息を飲んで、大神はつぶやいた。瓦礫に埋もれた大通りにも、向こうに見える半壊したビルヂングにも見覚えがある。 ショーウインドウに飾られていた銀のモールが、微風に力なく揺れている。どこもかしこも、注意すれば見覚えのあるものばかりだった。
ただひとつ、その全てが、破壊の限りを尽くされていると言う点以外は。

そして、その中で、力なく地面に座り込んでいる少女。

「椿くん……」

大神が近寄ると、椿のそばで困惑の表情を浮かべていた由里が、顔を向けた。
「……あ、大神さん。お疲れさまでした」
そう声をかけてくる。だが、常ならば元気いっぱいの声にもあまり力はなかった。表情を曇らせて、肩を震わせている椿を見ている。

「どうしたんだ、椿くんは?」

「それが……えーと……」

不審そうに訊ねる大神に、弱り切った表情で、由里は椿の胸元を指し示した。そこには、力なく垂れ下がった、黒猫の死骸があった。

「そうか……」

それだけで、大神には椿がなぜこのような状態になっているかを察した。椿のそばに屈み込み、冷たい骸を抱きしめて嗚咽している彼女に優しく語りかけた。

「椿くん……」

ぴくり、と、椿の肩が震えた。だが、胸元にしっかりと猫を抱きしめたまま、顔をあげようとしなかった。 しかし、辛抱強く大神が待っていると、やがて、ぽつり、とつぶやくようにかすかな声で、椿が口を開いた。

「……大神さん」

「ん……何だい?」

優しく、大神が答えると、わずかに顔を上げて、椿は大神に泣き腫らした瞳を向けた。

「どうして――どうして、戦争なんか、おこしっちゃうんですか?
どうして、私たちの街を、こんなにしちゃったんですか?
どうして、この子を、こんな風にしちゃったんですか?
戦争なんて、この子には何にも関係ないのに!」

「確かにそうだね」大神の声は、ひどく優しかった。切れ長の瞳が、少女の真摯な視線を真正面から受け止める。 「この子だけじゃない。みんな、今回の戦いがなければ、幸せに暮らしていられただろう。 楽しいひとときを過ごしていられただろう。
――けれどね、椿くん。そんな人々の幸せを憎む敵がいた。楽しいひとときをぶち壊そうとしていた敵がいた。 彼らを倒さなければ、人々の幸せを、未来を、もう一度取り戻すことはできなかったんだ。
そして、だからこそ、俺たちは戦ったんだ。それは、わかるよね?」

「……でも!」椿は、抑えていた感情のままに、大神に怒りをぶつけた。
「でも、街は壊れちゃったわ! こんなに、悲しいぐらいに跡形もなく!
大神さん、どうして、戦うことしかできなかったの? 戦うこと以外に、何もできなかったの? 私たちは、そんなに無力だったの?」

「椿ちゃんっ!」

慌てた様子で、由里が椿の言葉をさえぎろうとした。だが、大神は黙って、由里を制した。

「この子だって、もっと生きたかったはずなのに。誰が、この子の生きる権利を奪えるの? どうしてみんな、戦うことしかできないの? 命を奪い合うことしかできないの?」

「……それは、みんな生きているからさ」

静かに、大神が答えた。その、あまりにも静かで、悲しげで、しかし強い意志を感じさせる声に、椿はびくり、と、身を震わせた。 しかし、椿の反応に一切構うことなく、大神は言葉を続けた。

「俺たちが生きる以上、どこかで、誰かが、生きる権利を奪われている。人に限ったことじゃない。 鳥や魚や獣たち、みんなが、生きるため、生き続けるために戦っている。それは、自然の摂理だ」

「……」

「――だが、それだけに、生き残ったものには生き続ける義務もある。 自分が誰によって、何によって生かされたかを考え、そして、その与えられた命に対して恥じることのない人生を歩まなければならないんだ」

そこで大神は、いったん言葉を区切った。そして、強い視線で、椿に語りかけた。

「だからこそ、むやみに命を奪う行為は、許されない。叉丹たちは、自分たちが生きるためではなく、ただ快楽のため、あるいは憎悪のために命を奪おうとしていた。 この地に必死で生きている俺たちを、俺たちの命を、ただ破壊のため、自らの欲望のために、奪おうとしていたんだ。 俺たち華撃團は、そんなやつらに好き勝手をさせないように、戦わなくちゃいけない。生命を、生き続けるということを冒涜するやつらを、俺たちは決して許さない。いや、許してはいけないんだ」

「……それが……」椿は、きゅ、と眉を寄せた。そして、敵を見るような険しい瞳で大神をにらみつけ、叫んだ。 「それが、こんな風に街を破壊することになっても!?」

「……そうだよ」
苦しそうに……しかし、きっぱりと、大神は頷いた。
「正義とは、そういうものだ。人として、いや、この大地に生きるひとつの生命体として、決して譲れないものがある。 命を育み、命を尊び、生きること、生き続けることに誇りを持ち、そして、それを侵すもの、冒すものには全力で立ち向かう。
――それが、正義なんだ」

大神は、ゆっくりと周囲を見回した。

「確かに、この街は、こんなにまで破壊されてしまった。この猫のように、死んでしまったものもいるだろう。
――だが、それでも生きている人がいる限り、いつか、街は新たに生まれ変わることができる。より強く、より美しい街として、よみがえることができるんだ。 それこそ、今、俺たちがするべきことなんじゃないかな?
その猫のように――死んでしまったもののためにも」

「大神さん……」

椿の大きな瞳が、また、潤み始めた。ぽろぽろと、透明なしずくが幼い顔を伝って地面に落ちていく。
大神は、優しく椿の肩を抱いた。

「君の気持ちもわかるが、そのままいつまでもその子を抱いているわけにはいかない。
さぁ、その猫を、埋葬してやろうよ」

「……」

こくん、と、椿は頷いた。大神は優しく椿を立ち上がらせた。 そして、ぽろぽろと涙をこぼす彼女の肩を抱くようにして、瓦礫の一部、石畳がめくれ上がって土が見えているところへと行き、地面を掘り起こし始めた。

「……さすがは、大神さんね」

軽くため息をついて、由里は一人ごちた。大神の言葉には、忌憚ない彼の本心が常に表れている。彼の思い、願いが込められている。 生半可な慰めの言葉ではない、彼の心からの言葉、飾ることのない言葉であるからこそ、椿の心を開いたのだろう。

「……やさしいですね。大神さんは」

ふと、静かな声が、由里の耳に届いた。傍らを見ると、いつの間にかさくらが立っていた。 ハシバミ色の瞳にやや憂いを秘めて、屈み込んでともに穴を掘っている大神の背を、見つめている。

「さくらさん……あのね、あれは……」

「わかってます。由里さん」

椿のために弁護しようと口を開いた由里を、さくらは微笑を浮かべて止めた。

「わかってるんです。全部じゃないけど、大神さんと椿ちゃんの会話、聞いてたから。わかってるんです」

「さくらさん……」

「……でも」小さく、ほんのわずかに悲しそうに、さくらは微笑んだ。
「大神さん、やさしいから。誰に対しても、やさしいから――
いやですね、あたし。情けなくなります。自分で自分が嫌になります。
わかってるのに――大神さんはただ椿ちゃんを慰めようとしているだけだって、わかってるのに。でも……」

そのあとを、さくらは続けようとはしなかった。だが、由里には、さくらの心の声が聞こえたかのような気がした。
心に波立つ感情を必死に抑えているかのように伏せられた瞳、きゅっと引き結ばれた唇の間から苦しげに漏れる息づかい、そして、胸元で固く握り締められた手――

「……」

由里はさくらから目をそらした。さくらのその姿には、なにかひどく心を詰まらせるような想いが満ちあふれていて、由里にはつらかった。

「……さあ、由里さん。行きましょう! 米田長官が、翔鯨丸の中で待ってます!」

想いを吹っ切るように、さくらが声をかけた。由里が目を戻すと、さくらはいつもと変わらない笑顔で、由里を見ていた。 その瞳にはまだ、心の中のことがわずかに揺れていたが、それでもさくらは元気に笑った。
そして、由里のそばをはなれ、大神と椿のもとへと歩み出す。その歩む姿には、さきほどの、溢れるばかりの感情の波に揺さぶられていた少女の面影はなかった。

「さくらさん……」

小さく、由里はため息をついた。さくらは、自分で立ち直ることができる。そして同時に、他人を思いやることができるのだ。 それは、さくらという少女の持つ、最大の美点であり、彼女の最高の魅力でもあった。

(……大神さんも、そこに惚れたのかしら?)

くす、と、由里は笑った。大神自身は隠しているつもりらしいが、彼がさくらに想いを寄せていることは、傍目には明らかであった。 帝劇一の事情通である由里には、大神がさくらのブロマイドを常に大事そうに懐に忍ばせていることも知っている。 今年の正月に明冶神宮へ共に参拝に行ったことも耳にしている。 口に出してそう言ったわけではないにしろ、大神とさくらが両想いであることは、誰の目にも明らかだった。

(たしかにお似合いのカップルだものね……)

由里は、さくらたちに目を向けた。猫の埋葬を終えた大神と椿に声をかけ、そして明るい笑顔で椿をなだめながら大神と共に歩んでくる様子は、確かに絵になる光景であった。 軽い雑談を交わしながら、時折椿の様子に目を配り、優しく話しかけるさくら。そして、それを微笑んで見守る大神。

(何だか羨ましいな……)

由里はちょっぴり妬けた視線を大神とさくらに向けたが、すぐに笑顔で三人を迎えた。そして、共に、着陸した翔鯨丸へと歩み出す。
しかし、目ざとい彼女でも、気づかなかったことがあった。

椿が大神を見つめる、その視線が、今までのものと、どこか異なっていたことに。

心の奥底に小さな想いが目覚め、それがかすかに揺らめいていたことに――

こ〜い〜の、めざめ〜〜っ!(笑)


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