ツバキ大戦<第壱章>


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       (六)


帝劇の前に、奇妙な物体が、置いてあった。人の背丈の優に2倍はあり、蒸気自動車のように6輪のばかでかい車輪をつけている。 腕のようなものが2本、その脇から前方に延び、その先には鉄製の爪がついていた。動力はやはりこの時代の主流である蒸気エンジンなのだろう。 後部に蒸気槽と燃焼槽が取り付けられ、天に突き上げるように立てられた4本の煙突を持っている。

「……ほんとに大丈夫なの、紅蘭?」

心配そうに操縦席を見上げて、少女は声をかけた。桜色の小袖に赤い袴。つややかに風に流れる漆黒の髪を大きな赤いリボンで結んでいる。 ハシバミ色の瞳が、不安をたたえて頭よりも上に位置する操縦席で何やら一生懸命に作業している少女に向けられていた。

「だーいじょうぶやて! 心配性やな、さくらはんは。ウチが失敗するわけあらへんやろ?」

「失敗しないほうが珍しいと思うんだけど……」

紅蘭に聞こえないように小さくさくらはつぶやいた。事実であったが、本人の前では言えないことである。 当の本人はさくらの気づかいにも全く頓着せずに、嬉々とした表情で機械をいじくり回している。 その大きな瞳が、満足そうに細められた。うん、とひとつうなづいて、眼下のさくらに紅蘭は声をかけた。

「ほな、いくでぇ。ウチの最新土木作業用人型蒸気”どかたくん”、始動や!」

ぶるるるっ、と巨体を震わせて、その人型蒸気は起動を始めた。さくらは慌てて退いた。 ごうん、と鈍く響く音を発し、人型蒸気はゆっくりと前進していく。

「やたっ! 成功や!」

喜びの声が操縦席からあがる。だが、さくらはしっかりと見ていた。人型蒸気の蒸気槽から、盛大な蒸気が吹き上がるのを。

「こ、紅蘭! 危ないわ、爆発するわよっ!!」

「なーに言うとるんや、さくらはんは。ウチが失敗するわけ――」紅蘭の声がとぎれた。次の瞬間、慌てふためく声がした。 「あ、あかん、蒸気槽の圧力バルブがいかれた!」

「紅蘭!」

さくらの叫ぶ声は、次の瞬間に起こった爆発音にかき消された。盛大な水蒸気がもうもうと立ちこめ、霧がかかったように視界をかすませる。 その中、けほけほとむせながら、とぼとぼと歩いてくるほっそりした姿があった。

「紅蘭、大丈夫!?」

またやってもうた・・・

慌ててかけよって、さくらは紅蘭の華奢な体を支えた。当の紅蘭はというと、無念そうに顔をしかめて、水蒸気をあげてひっくり返っている人型蒸気を見つめていた。

「どこで失敗したんやろ? 安全係数はかなりとっておいたはずやのに。起動軸へのパワー配分が理論値より大きいのやろか……」

ぶつぶつとつぶやく紅蘭の言葉は、さくらにはまるで理解できない。機械いじりが趣味であり、帝国華撃團の主要武装である神武の主要開発者でもある紅蘭の言葉は門外漢のさくらにはほとんど外国の言葉も同然だった。
だが、それでも紅蘭が落ち込んでいることはわかるので、さくらは元気づけるように軽く彼女の肩をたたいた。

「まあ、そう落ち込まないで。また作ればいいじゃない?」

「そうはいうけどなぁ……」紅蘭ははあ、と、大きくため息をついた。 「早いとこ土木用の機械作らんと、銀座の町が復興するのが、のびのびになってしまうんや。 力仕事は、ほとんど機械に任せることが出来るはずなんやけど、あっちもこっちも、まだまだ人の手に頼るしか方法はないんねん。 そんなつらい思いしとる人のためになるようなもんを、早いとこ作らんといけへんやろ?」

「紅蘭……えらいのね」

目を丸くして感心するさくらを見て、紅蘭は照れくさそうに頭をかいた。

「ウチにはこんなことしかできへんさかい、な。……それに」にやり、と、紅蘭は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「こういうときこそ、いろんな実験ができるさかい。普段は危のうてかなわんもんも、今ならできるやろ?」

「……そ、そう、なの……」

ひきつった笑みでさくらは答えた。紅蘭の「実験」には、幾人もの”被害者”が出ている。 さくらも危うく実験台にされかけたことがあり、思わず大神をいけにえにさしだして逃れたものだった。 ……ちなみに翌日、大神の姿が医務室の医療ポッドにあったことは、花組公然の秘密である。

「……まぁ、落ち込んでてもしゃあないな」丸く大きな眼鏡を押し上げ、うん、と背伸びをして、紅蘭は笑顔でさくらをみた。そばかすが残る顔には、さっきまでの落ち込みぶりは全く見えなかった。

「さくらはんの言う通り、また壱からやり直しや! よぉし、今度こそ作ったるで、ウチの最高傑作を!」

「頑張って、紅蘭!」

とりあえず彼女が元気になったことに胸をなで下ろして、さくらも元気づけるように笑いかけた。照れくさそうに頭をかいた紅蘭だったが、ふと、通りをこちらにかけてくる人影に気づき、首をかしげた。

「ありゃ? あれ、椿はんやあらへんか? なんや、ずいぶんと急いで帰ってくるやないの。どないしたんやろ?」

「え!?」

さくらも振り向く。見ると確かに、小柄な人影が通りを小走りに走ってくる。 ここからでは顔は判然とはしなかったが、鮮やかな菜の花色の小袖に紅赤色の半纏(はんてん)をかけた売り子の姿は、まさしく椿以外の何者でもなかった。

「どないしたんやろ、椿はんは? 泣いとるようやけど……」

呟く紅蘭から離れ、さくらはかけてくる椿に近づいた。そして、ぎゅっと目をつぶったまま帝劇の中へとかけこもうとした椿を呼び止めた。

「どうしたの、椿ちゃん?」

びくっ、と肩を一瞬震わせ、椿は立ち止まった。そして、ごしごしと顔をこすってから、さくらに向き直った。

「いえ、何でもないんです。さくらさん」

椿の顔には微笑みが浮かんでいたが、それは明らかに無理をして浮かべたものだった。 目の下には明らかに泣きはらした後があり、頬には涙が流れた跡があった。 それだけにむしろその微笑みは痛々しげでさえあり、さくらの眉をひそめさせるのに十分だった。

「いったい何があったの?」

椿の様子に驚いて、さくらはたずねたが、椿はぶるんぶるんと首を振ると、 「何でもないんです」とだけ言い残して、逃げるように帝劇の中にかけ入ってしまった。

「いったい、どうしたのかしら?」

「結構、大神はんと何かあったんとちゃう?」

小首をかしげて考え込むさくらに近づいてきた紅蘭がつぶやいた。

「何かって、何!?」

たちまち顔色を変えてさくらが問いかけてくるのへ、紅蘭は面白そうな顔で答えた。

「由里に聞いたんやけど、椿はん、さっき大神はんと壁紙もらいに行ったそうなんや。荷車借りて。 ――せやのに、椿はんだけ先に帰ってきてもうたし、泣いてはるみたいやったし……
これは、何か、大神はんとあった、ちゅうのが、まあ、普通の見方やないか、思うてなぁ」

「……」

む、となったさくらの顔を見て、紅蘭が笑いながら言った。

「……さくらはん、顔、こわいで? そないな顔しとったら、さくらはんの大切な大神はんが逃げてまうで?」

「ち、ちょっと、紅蘭! からかわないで!」

たちまち真っ赤になったさくらである。おかしそうに笑ったあと、紅蘭はまじめな顔になって、椿のかけ入った帝劇の玄関へと目を向けた。

「まあ、冗談はともかく、や。とりあえず大神はんに訳を聞いた方がええと思うんやけど」

「そ、そうね……とりあえず、大神さんを待ちましょう」

顔をほてらせたまま、さくらが言うと、紅蘭はちょっと眼鏡の位置を直して、通りの向こうを見た。

「……そう待つこともないようや。見てみい。大神はんが帰ってきたわ」

確かに、通りの向こう、日本橋の方に続く中央通りの街路に、山のように壁紙を積んだ荷車を引いている男の姿が見えた。 すらりと背の高い、モギリの洋装に身を包んだ姿は、確かに大神であった。
だが、その横に、大神よりも背の高い金赤色の髪の男がおり、共に荷車を引いているのを見て、二人の少女は不思議そうな目を見交わした。

「……誰やろ? お客さんかいな?」

「大神さんの知り合いなのかしら? 紅蘭、知ってる?」

「いや、知らんわ。第一、大神はんのこと一番良く知ってはるのは、さくらはんやないか?」

紅蘭の言葉に、再度さくらは真っ赤になって否定した。

「え? あ、あたしは、大神さんとはそんな仲じゃ……」

「隠さんでもええやないか。別に」

「そ、そんな、あたし……」

消え入りそうな声になるさくらに、紅蘭はくすっと笑った。 ほんの一瞬、その顔にうらやましそうな表情が浮かんだが、すぐにそれを消して、紅蘭は近づいてくる大神に手を振った。

「おおい、大神はん。ちょいと、ちょいと!」

呼ばれた大神は、軽く手を振り返して、荷車を引く速度を上げ、じきに二人の前にやってきた。

「どうしたんだ、さくらくん、紅蘭?」

聞こうとした大神だったが、それより早く、少女たちの前に、金赤色の髪の男が現れた。

「あれま、美人が二人して、大神を出迎えかい?」

「え?」「あん?」

いきなり話しかけられ、さくらと紅蘭はそろって目を丸くした。ついで、さくらが大神に困ったように視線を向けた。

「あの、大神さん……このかた、誰です?」

「あ、俺、神代誠一郎! 大神の親友ってとこ。よろしく」

大神が口を開く前に、神代は馴々しくさくらに話しかけた。さらに、さくらの手を取って軽く引き寄せる。

「君、美人だね。どう? 大神はやめて俺と……」

ぴくり、と大神の眉がはねた。不機嫌な顔になり、つかつかと神代とさくらの間に割って入る。

「いいかげんにしろ、神代! さくらくんが困ってるじゃないか」

「へぇぇ、さくらくんか」名残惜しそうにさくらの手を離し、神代は紅蘭の方に目を向けた。
「で、こっちのキュートなチャイナドレスの彼女は?」

「ウチは李紅蘭やけど……何や、軽いお人やね?」彼女にしては珍しいくらいにあからさまに不信感をおもてにあらわして、紅蘭が神代を睨み付けた。 「ほんまに大神はんの知り合いなん?」

「まあね。士官学校じゃあ、よく悪巧みしたものよ」

「ほとんどお前しかしていなかったじゃないか。俺を一緒にするな」

「あ、おまえ、親友じゃないか! ひどいな!」

「どっちがだ。俺を無理矢理巻き込んだくせに」

言い合いを始めた大神と神代を見て、紅蘭はため息をついた。

「なんや、子供みたいやな。――それより、大神はん。ちょいと、大神はん!?」

「ん? 何だい、紅蘭?」

神代とじゃれあうように口げんかを繰り広げていた大神は、紅蘭へと顔だけを向けて聞いてきた。 それへ、紅蘭はこめかみを押さえながら、先ほどの椿の様子を説明した。

「……というわけでな。椿はんの様子がどうもおかしいんで、何があったのか説明してほしいんやけど」

「説明、といわれてもなぁ……」

困った様子で大神は頭をかいた。そこへ、頼まれもしないのに神代が口を挟んだ。

「あ、椿ちゃん泣かせたの、この大神だから。いやだねぇ、女心をわからない奴は」

「おい、神代……」

苦虫をかみつぶしたような顔で大神が止める。
それを無視して神代は説明をしようとしたが、ふと、何かに気づいたように、さくらに目を向けた。 しばらく何かを考えるように首をかしげていたが、ふいに真剣な目で、大神を見た。

「なあ、大神。一つ聞いていいか? ――お前の彼女って、さくらちゃんか?」

「え!?」

突然の質問に、大神はてきめんにうろたえた。端正な顔に見事なくらいくっきりと”狼狽”の表情が浮かんでいる。 さらに、わずかに赤味までさしている。きょときょとと落ち着きのない目が、真っ赤になっているさくらに向けられる。
神代はむしろあきれたように肩をすくめた。

「……本当におまえってわかりやすい奴だな。――よし、わかった。椿ちゃんは俺に任せろ!」

どん、と胸を叩き、帝劇へと入ろうと階段を上り始めた神代だったが、ふいにその肩をがしっとつかまれた。 さらに、ぐいっと後ろに引っ張られ、神代はたたらを踏みながら、道路に戻った。

あたいが桐島カンナだっ!

「帝劇はまだ修理の途中で、関係者以外は入れないんだ。すまねぇけど、再開するまで待っててくれよ?」

陽気な声が神代の上からかかる。日に焼けた端麗な顔に輝く紫色の瞳が、神代を見すえていた。

「カンナ!」

「よう隊長。今戻ったぜ」カンナは神代の肩をつかんだまま、大神に笑顔を向けた。 「で、こいつ、どうしたんだ?」

「こいつはないぜ、お嬢さん!」神代は即座に言い返した。 抗う様子も見せずにおとなしくカンナにつかまれたまま、紺碧の瞳をカンナに向ける。
「俺には神代誠一郎って名前があるんだ。誠一郎さん、とでも呼んでくれ」

「へぇ、お嬢さんか。そいつは嬉しいね」カンナは本当に嬉しそうに笑った。だが、神代をつかむ力は全くゆるんでいなかった。 「で? その誠一郎さんとやらには、何の用が帝劇にあるんだい?」

「そりゃあ、大神という女の敵に傷つけられた、かわいそうな少女を慰めるために……」

「……おい神代。なんだその”女の敵”というのは?」

「違うのかい? 大神”隊長”?」

軽く言い返した神代の言葉に、大神を始め帝劇の少女たちは凍りついた。 カンナの何気ない言葉に含まれていた隊長、という言葉を神代が耳ざとくとらえていたという事実。 それは、帝國華撃團という秘密部隊の存在に、神代が何かを気づき始めたことを意味していた。

(やべぇ……)

カンナは慌てたように神代を放した。 だが、それがかえって神代に不信感を与えることに気づいたのは、別の女性だった。

「……何やら表が騒がしいと思えば、何ですか、あなたは?」

追及しようとした神代の後ろから、冷ややかな声がかかった。振り向いた神代の目に映ったのは、翡翠色の瞳を鋭く切り裂くように彼に向けるマリアの姿であった。 背筋を伸ばし、帝劇の階段をゆっくりと降りてくる姿には、神代でさえも気圧されるような威圧感がある。 以前、まだ大神が帝劇に来たばかりの頃のように鋭い視線を向けるマリアに、さしもの神代も、軽口を叩く気が起きなかったらしい。 一転して真面目な顔で、神代はマリアに対した。

「私は神代誠一郎といいます。ここにいる大神一郎の旧友です」

「……大神さんの旧友の方が、何用でこられたのですか?」

マリアは物静かな声で問いただした。「大神さん」という言葉は使い慣れていないはずだったが、そんなことは全く感じさせない。 マリアらしい配慮である。
果たして神代は、特にそれと気づかなかったようで、マリアの言葉を受けて答えた。

「実は先ほど、大神と偶然に会いまして。その時に一緒だった、椿ちゃんという少女に、私はひとめぼれをしてしまったのです。 それで、その椿ちゃんに会いに、この胸の思いを告げるためにここに来たのです」

堂々と、というより、ぬけぬけと言い放つ神代であった。
大神は頭を抱え、さくらと紅蘭は真っ赤になって神代を見ている。
カンナにいたってはあまりのことに冷や汗をたらして後ずさっているぐらいだった。
マリアだけが冷ややかに神代を見ている。その真意を量るようにしばらく神代を観察した後、おもむろに口を開いた。

「それで?」

「それで、って……」

神代は一瞬言葉を失った。うーん、と空を見上げ、しばらく考えた後、マリアに答えた。

「とりあえず、デェトに誘おうかと・・・」

「認められません」

きっぱりと言い切るマリアであった。

「あ、それってなんか、ひでぇ。人の恋路をじゃまするなんて!」

抗議する神代に向かって、マリアは厳然とした態度で言い渡した。

「あなたは現在の状況をどう考えているのですか? 今はこの帝都を復興させるために力を合わせて努力すべきときです。
そのような状況で、のうのうと無駄な時間を過ごしている暇はありません。
椿には私たち帝劇での仕事、この帝劇の再建に向けての仕事がたくさんあります。 その時間を浪費させるわけにはいきません。お引き取りを」

「それじゃあさ……」

腕を組んでしばらく考えた後、神代はにやりと笑って、マリアを見た。

「その”状況”ってやつが改善されりゃあ、文句はないわけだ。
ってことはだ、帝劇が再建したら、堂々とデェトに誘ってもいいってことだよな?」

「それは……」

「よっしゃ! そういうことなら、俺も協力させてもらうぜ!」

いきなり、神代は腕をまくり上げた。そして、大神を始め目を丸くしている花組の少女たちに向かって、こう告げたのである。

「俺も帝劇の再建を手伝うことにする!
だから何でも言ってくれ! 俺にできることだったら何でもやってやるぜ! そして帝劇が元に戻ったら、その時こそ椿ちゃんをデェトに誘ってやるぞ!!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! そんな、急に手伝うといわれても、困ります」

すぐにでも何かを手伝おうかと帝劇内に入ろうとする神代を、慌ててマリアが止めた。

「どうして? 猫の手を借りたいほど、人手は不足してるんだろ? メシでも食わせてくれるんなら、俺は別にそれ以上の賃金なんざいらねえ。 こんないい条件で雇えるんだから、そっちとしても願ってもないことだろ? 違うのか?」

「そ、それは……」

困り果てた様子で、マリアは大神を見た。
帝劇で働く人のほとんどは、実は帝國華撃團の月組に属している、いわば、身内である。 これは、帝國華撃團としての活動を察知されないよう、無関係の人々を巻き込まないように配慮された結果である。 アルバイトあるいはパートとして雇われる者は、食堂の厨房や、売店の売り子の手伝いといった場所に配置され、極力帝劇の裏の面に触れられないようにされているのである。
これは再建作業に取りかかっている現在でも変わらない。
いや、むしろ、帝劇の構造――帝國華撃團としての様々な特殊装備を備えている内部についての情報が漏れる可能性があるため、 作業に携わるものはすべて月組に依存され、民間からの雇用は全くしていないのである。
そのため、神代のように申し出てくる雇用希望者については、必ず断るようにしているのだが――
今回の神代の示した条件をはねつけられるほどの理由、少なくとも、神代が納得できるような理由、怪しまれずに追い払えるほどの理由を作ることは、マリアにはできなかった。
それは、救いを求められた大神も同じだったらしい。
神代の示した条件は、この人手不足の世の中では、飲まないほうがむしろ不自然過ぎるのだった。
仕方なく、大神は、時間に頼ることにした。

「とりあえず、支配人に相談してみないことには、な。またあとで来てくれないか?」

「おうよ。雇ってくれるまで、毎日毎晩でも通ってやるぜ!」

カラカラと笑って、神代はふところに手を入れた。小さな手帖をとりだし、さらさらと何かを書き留めて、大神に渡す。

「今俺は、ここに住んでるからよ。何かあったら連絡しろよな! 必ずだぜ!? 何にも連絡なかったら、こっちから押しかけてくるからな!」

「あ、ああ……」

「じゃあ、出直すとすっか」神代は大きくのびをすると、鼻歌を歌いながら通りを歩いていってしまった。 その後ろ姿を呆然と見送りながら、大神は大きなため息をついた。

「……どうします。隊長?」

階段を降り、大神のそばに近寄ってマリアが囁くと、ぽりぽりと頭をかきながら、大神は苦い口調で答えた。

「とにかく米田支配人に相談してみよう。あいつは結構頭が切れる。 下手な言い訳じゃあ、納得するどころかこっちの本来の姿、帝國華撃團という存在に気づく可能性もある。
やっかいな奴だよ……」

「そうみたいですね」

マリアを始め、さくら、紅蘭、カンナも、歩いていく神代の後ろ姿に視線を向けた。
気楽そうに歩いていく金赤色の髪の青年は、しかし、彼らの視線に気づくこともなく、のんびりとした歩調のままに歩み去っていくのだった。


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