買い物の道すがら。
神代は、得々とした表情で、一人しゃべり続けていた。
時に身ぶり手ぶり、教官の物まねやら何やらを取り混ぜながら、おもしろおかしく神代は話し続けているが、
椿のほうはというと、神代の話にはほとんど興味を示そうとしなかった。
明るく無邪気なはずの彼女の顔は不機嫌そうな表情をたたえている。
ただ、時折、神代の言葉に決まった単語が出てくるたびにぴくり、と反応する所を見ると、全く聞いていないわけでもないようだった。
そう、その単語とは――
「……でさ、俺が『ここをやめることになった』と言ったときの、大神の顔ったらなかったぜ? まるでぼけたように、こう、真ん丸く口を開けて、しばらく声が出なかったくらいだからなぁ」
「……大神さんが、ですか?」
「そうそう」ようやくまともに反応した椿に、がぜん張り切ったようで、神代は得意そうに続けた。
「まったくあいつらしいよ。直談判する、とか言って、ホントに行きそうになるんだからな。もちろん俺は止めたぜ?
でも、あいつの頭はカチンコチンでね。言っても全く聞こうとしなかったんだ。
そこで、ちいとばかり申し訳なかったんだが、当て身食らわせて、ぐるぐる巻きに縛り上げて、部屋ん中にほっぽって、そんでもってとっととおさらばしたって訳だ」
「大神さんを……ひどいひとですね!」
厳しい目つきで睨みつけてくる椿の顔をのぞきこむようにして、嬉しそうに神代は答えた。
「そうは言うけどよ。そうでもしなきゃ何かしでかしそうな馬鹿だったんだよ、大神ってやつは。わはははは」
「大神さんは馬鹿なんかじゃありません!」
からからと笑う神代に、椿は食ってかかるように叫んだ。 頬を紅潮させて睨みつけてくる彼女の顔を見て、神代はふいにまじめな顔になった。
「まあ、馬鹿かどうかはともかく、大神ってのは、そういうやつだったんだ。
あいつは俺なんかより、ずっと才能があった。
剣の腕も銃の腕も、名人といっていい位だった。戦闘指揮においても、あいつにかなうやつなんていやしなかった。
そのくせ、驕ることもない。卑屈になることもない。あいつはいつも、堂々と、正道を歩くような奴だったんだ。
――だから、な。俺のせいで、あいつの未来を台無しにするわけにはいかなかったんだよ。
あいつには輝ける将来があった。軍の偉いさんも、かなりの期待をかけていた。
そいつをぶち壊す気は、俺はなかった。だから、あいつをふん縛って、よけいなことをさせないようにしたのさ」
「え……?」
面食らったように、椿はきょとん、とした顔をした。神代の顔を改めて見る。
陽気で軽い、いつもの神代ではなかった。
にやけた笑みをたたえていたはずの口元が引き締まり、その碧色の瞳にはきわめて真剣な光が宿っていた。
(――ただの軽い人じゃなかったんだ……)
彫りの深い横顔を眺めながら、椿は少しばかり神代を見直した。だが、それも一瞬のことでしかなかった。
ふいに神代が椿の方を向き、だらしない笑みを浮かべたのである。
「どう? 椿ちゃん。俺のこと、少しは見直してくれた?」
「……ふ、ふざけていたんですかっ!?」
椿はたちまち、激昂した。ほんのわずかとはいえ、神代の配慮に感心してしまったことが、猛烈に悔やまれた。
「ちょっとはまともだと思った私が馬鹿でした!」
ぷいっと顔を背け、すたすたと椿は足を速めて歩き出した。
「あ、ひでぇな。俺はしごくまともだぜ?」 早歩きで自分から離れていく椿に追いつこうと足を速めながら、神代は言った。 「だってよ、こぉんなに真剣に、一途に椿ちゃんを想ってるんだぜ? 純情な好青年だろ、俺って?」
「純情が聞いてあきれます!」
振り向きもせずに、椿は歩く速度を速めた。駆け足に近くなっている。追いかける神代も、次第に駆け足になってきた。
「ちょっと、椿ちゃん! そんなに急がなくても、もっとゆっくりお話しようぜ?」
「私はしたくありません!」
「――なあ、おい、椿ちゃん! 町中でそんなに駆け出すと、人にぶつかるぜ?」
「大きなお世話です!……って、きゃ!!」
ほとんど逃げるように神代から離れて駆けていた椿は、しかし、建物の角からふいに現れた人影に、よけようもなくぶつかってしまった。
小柄な体がよろめき、歩道から車道にでかかる。
だが、そのとたん、彼女の体は何者かに抱き留められていた。
ぐっとたくましい腕が包み込むように椿を抱き留め、碧色の瞳が気遣わしげに彼女に向けられた。
「……おい、大丈夫か、椿ちゃん?」
神代であった。常人離れした加速力で、ほとんど瞬時に彼は椿に追いつき、その体を支えたのである。 だが、椿にはそのようなことはわからなかった。やや呆然とした表情で、神代を見返す。
「……あ、ありがとうございます……」小さな唇からつぶやくように言葉が漏れたが、次の瞬間、はっとなって、椿は神代の腕の中から身を起こした。
頬がかぁっと赤く染まる。
だが、その視界に、うつ伏せに倒れ込んだ人影を見つけて、一転して椿は顔を青ざめさせた。
慌てて駆け寄って、椿は声をかけた。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですかっ!?」
「う……」
小さく、人影はうめいた。この時代ではまだ珍しい、洋装の少女だった。
しっとりとつややかな烏の濡れ羽色の髪が少女の顔を覆い隠しているため、その容貌は判然としないが、年ごろは椿と同じくらいか、やや上に見えた。
ほっそりとした手足が弱々しく動く。だが、それきりまた、少女は動かなくなった。
「ど……どうしよう!?」
椿はうろたえた。不安をたたえた瞳が、倒れ伏した少女に向けられる。 そして、無意識のうちに、椿は神代を見上げていた。茶色い大きな瞳が、救いを求めて神代を見つめた。
「……ここからだと、帝劇の方が近いかな?」
神代は、周囲を見回して答えた。 その声音はしっかりとした落ち着きのあるものであり、椿は、急速に不安がひいていくのを感じた。
「ちょっと、ごめんよ。椿ちゃん」
「あ、はい」
よけた椿のそばに屈み込み、神代は少女を注意深く、抱き上げた。顔を覆っていた黒髪が、さらさらと涼やかな音をたてて割れ、少女の貌が二人の前に現れた。
「あ……」
心配そうに少女をのぞき込んでいた椿は、思わず小さく声を上げた。茶色の瞳が、信じられないものを見たかのように見開かれた。
その少女は、美しかった。
はかなげで、繊細な幼い顔だち。濃いまつげに閉ざされた瞳、柔らかく通った鼻筋の下に、薔薇の花びらのように美しく可憐な唇がある。
天鵞絨(ビロード)のように美しい光沢のあるさらさらとした黒髪の合間に見えるほっそりとした首筋の描く曲線は、少女特有の固さの中に、どこかなまめかしいものをたたえていた。
象牙のようになめらかで白い肌はつややかであり、しっとりとした潤いを見せていた。
それは、同性の椿でさえも息をのむほどに、美しく可憐な少女だった。
「……さあ、行こうか、椿ちゃん」
声がかけられて、はっ、と、椿は我に返った。声の主を見上げる。
その椿の様子に、神代は軽く眉をあげて彼女を見返した。その陽気な表情には、少女の美貌に見惚れているような雰囲気は感じられない。
その様子を見て、なぜか椿は、ほっと胸をなで下ろした。
(え? あれ? 何でほっとするのかしら?)
「……おい、どうしたんだ、椿ちゃん? 行こうぜ?」
「あ、は、はい!」
自分の心にややとまどいを覚えた椿だったが、神代が少女を抱き上げたまま歩き出すのを見て、慌てて付き従った。
「……大丈夫。軽い脳震盪をおこしたようですが、別に異常はありません。しばらくしたら、気づくでしょう」
「そ、そうですか……よかった」
医療用具を片づけながら医者が言うのを聞いて、椿はほっとした様子で、ふとんの上に横たわる少女に目をやった。
あれからとりあえず宿直室に少女を運びこみ、医者を呼んだのだが、椿はやはり気が気ではなく、落ち着かない様子で医者が少女を診断するのを見守っていた。
本当ならば、地下にある医療ポッドに少女を入れて治療させたかったのだが、神代がいる手前上、それは絶対にできないことだった。
帝國華撃團としての活動は、まだ神代には知らされていない。あくまでも帝劇としての面しか現していない以上、うかつなことはできなかったのである。
「ありがとうございました」
椿と共につめていたかすみが医者を送るために立ち上がり、宿直室を出ていく。 それと入れ違いになるようにして、おそらく扉の前にいたのだろう、神代がひょろり、と部屋の中に入ってきた。
「どうだった、椿ちゃん?」
「あ、別に心配ないようです。もうすこしすれば、気づくだろうってお医者さんがおっしゃってました」
神代の問いに、笑顔で椿は答えた。それを見て、ひどく優しい笑顔を、神代は浮かべた。椿のそばへと歩み寄り、座り込む。
「そいつはよかった。椿ちゃんにも笑顔が戻ったし」
「え?」
きょとん、とした目を向ける椿に対して、神代は意地悪そうに、その両目を釣り上げて見せた。
「だってよ。いつもいつも、俺に対しては、こう、ぶすっとした顔してたじゃねえか? 椿ちゃんの顔って、こーゆーのだとばかり、思ってたんだけど」
「……わ、私そんな顔じゃありませんっ!」
顔を真っ赤にして、椿は抗議の声を上げた。
神代はけたけたと笑いながら、さらに両手でその顔をゆがめて見せた。
「じゃあ、こういうのが椿ちゃんの顔かな?」
「そ、そんな、かお、……ぷ、ぷぷっ」違う、といいかけた椿だったが、神代の顔のあまりのゆがみぐあいに、思わず吹き出してしまった。 小さな唇から、明るい笑い声が流れ出す。楽しそうな笑い声が、さして広くない宿直室に満ちた。
「……何や、ずいぶん楽しそうやな?」
扉からあきれた声が聞こえ、椿は笑いをかみ殺しながらそちらに向いた。そこには、声をかけてきた紅蘭を始めとした帝劇の花組全員が集まっていた。 大神も顔をそろえている。皆の顔には、やや拍子抜けしたような、あきれたような表情があった。
「お、みんなそろっておでましかい?」陽気に、神代は彼らに声をかけた。「何か用なのかい?」
「用も何も、女の子がかつぎこまれたからって、皆心配で来てみたのですが」
わずかに顔をしかめ、全員を代表するようにマリアが答えた。
「それで、どうなんです? その子は大丈夫なんですか?」
「ああ、心配いらねえってさ。じきに気づくらしいぜ?」
「それは良いことですけど……」マリアはしかめ面のままで、神代に言いさした。 「いい加減、その変な顔はやめませんか、神代さん?」
マリアと話をしている間も、神代は両手で顔をゆがめたままだったのである。ぐにゃりと曲がった顔つきに、マリアを除く全員が、笑い声をもらしていた。 紅蘭などは、腹を抱えて苦しそうにしている。きゃらきゃらとした愛らしい笑い声をあげて、アイリスが神代のそばにとてててとやってきた。
「きゃはははっ! ねえ、せいお兄ちゃん、もっとやって!」
「お? ――んじゃ、こうか?」調子に乗ったように、神代はぐいとばかりに鼻をもちあげ、奇妙な顔を作り上げて見せた。 本当に楽しそうに満面に笑みを広げて、アイリスは笑い声をあげた。
「面白いかい? アイリスちゃんも、やってみるか?」
神代が誘うと、アイリスはぱあっと顔を輝かせた。
「やるやるやるぅ! アイリスもやる!」
「こら、アイリス!」厳しい顔つきで、マリアがたしなめた。「静かになさい。怪我人が休んでいるのよ!?」
「あ……」小さな手を口に当てて、アイリスはしゅん、となった。「ごめんなさい、マリア……」
「わかればいいのよ。――神代さんも、わかってくださいね?」
アイリスには優しい笑顔を向けたマリアだったが、神代には厳しいまなざしを向ける。 いまだにおかしな風に顔を引っ張り曲げていた神代は、そのままで頷いた。
「わかった。静かにしよう」
「……本当にわかっているなら、そのふざけた真似も、やめなさい!」
鋭く、マリアは言いさした。その厳しい表情には神代に対するありありとした不信感と不快感が広がっていた。 どうも神代と言う男のふざけ方は、マリアの癇に触るらしい。こめかみをひくつかせ、めったにないくらいにいらいらとした様子で、マリアは神代を睨みつけていた。
「わかったわかった」神代はようやく両手を放した。お手上げ、といった感じで肩をすくめて見せる。 「美人の頼みとあっちゃあ、仕方ない。場を盛り上げるのは、後回しにしよう」
「場を盛り上げる必要など、ないでしょうっ!?」
思わずマリアは声を荒げた。凛と張った声音が、そこにいる皆の耳朶を激しく打った。
(これほどまで感情をあらわにするマリアも、珍しいな――)
細い眉を跳ね上げて神代を睨みつけるマリアを見て、大神はふと思った。
真面目で謹直なマリアは、確かに他の花組の少女をしかりつけることはよくある。
大神自身にさえ、必要とあれば寸分のためらいもなく諫言を行うのが彼女らしいところだが、それだけに、本気で声を荒げて激昂することはまずない。
むしろ感情を押さえ、淡々と、だが厳しい声音で諭すのが彼女の特徴であった。
だがそれも、相手が神代のような、不真面目さの生きた見本のようなものに対しては、マリアもその感情をおし殺すことが困難だったのだろう。
その白い麗貌にありありとした不快感をたたえて、神代を睨みつけていた。
「なあ、マリア――」
ややためらいがちに大神が声をかけると、マリアの鋭い瞳が、彼のほうにそのまま向けられた。
「た……大神さんからも何か言ってやってください!」
さすがに”隊長”という言葉を出してしまうほどには我を忘れてはいないようだった。 大神は小さくため息をつくと、マリアに囁くように言葉を返した。
「とりあえず、静かにしようじゃないか。君がそう言ったのだろう?」
「あ……」マリアの顔が、ほのかに赤く染まった。「……そ、そうでしたね。私としたことが……」
決まり悪そうにマリアは身じろぎした。だが、大神の忠告は、遅かったようだった。
「……あ……こ、ここは?」
小さな、とてもか細い声が聞こえた。一瞬、宿直室に静寂が満ちあふれる。
「あ、気がつきました?」
枕元につめていた椿が、ほっとしたように、声をかけた。布団に横たわっていた少女が、ややぼうっとした顔で、椿を見つめ返してくる。 と、ふいに怯えた表情が少女の貌に広がった。体にかけてあった上掛け布団をたぐり寄せ、体を縮こまらせて、少女は身を固くした。 小さな肩が震え出す。
「だ……大丈夫、ですか?」
椿は不安そうに少女に問いかけた。幼い顔に、何か自分がとんでもない不始末をしでかしたのではないか、といった表情が広がる。 だが、少女は小さく体を丸めたまま後ずさり、壁に体がつくまで椿たちから離れようとした。 大きな茶色の瞳がきょときょとと落ち着かなく動き回り、逃げ道はないか、どこかかくれる場所はないかと必死で捜している様子がありありと見てとれた。
「……ちょっと、失礼するぜ」
軽く声を上げたのは、神代だった。椿のそばから立ち上がり、宿直室の扉の前で、あまりの少女の怯えように目を丸くしている花組の少女たちと大神に近寄る。 そして、ほんのかすかに、囁くような小さな声で、大神に語りかけた。
「ここは椿ちゃんに任せて、俺たちは退散しようぜ。あの子、ひどく怯えてやがる。 なぜかは知らないが、少なくとも俺たちがここにいちゃあ、まずい。怯えさせるばかりのようだ」
「……そうだな」
短く、大神は答えた。そして、そっと花組の少女たちに、出るようにうながした。 マリアは即座に、すみれは不本意そうに、カンナは肩をすくめて、さくらは済まなさそうに、アイリスは残念そうに、紅蘭は仕方なさそうに宿直室を出ていく。 大神と神代も、その後ろに従った。
「あの……大丈夫、ですか?」
扉が閉まった後。
椿は、思い切って少女に問いかけた。一応声は小さくしたが、それでも少女は怯えた表情を浮かべたまま、椿をじっと見ている。
ちょっとでも近づいたらそれこそ脱兎のごとく逃げ出そうとするかのように体を震わせつつ、少女は緊張していた。
「……えーと、あの、私、椿っていいます。高村、椿」
とりあえず、椿は、そう名乗ってみた。わずかに少女が、小首をかしげた。
「あの、お名前、聞かせてもらえませんか?」
おそるおそる、訊ねてみる。椿の顔を、少女がじっと見つめた。先ほどは気づかなかったが、少女の瞳は、透き通るような美しい薄茶色をしていた。 長く濃いまつげが落とすかげりの中、その瞳はまるで蜃気楼か何かのようにはかなくゆらめいて見える。
(うわぁ……きれいな瞳だなぁ……)
思わず、しげしげと椿は少女の瞳をのぞき込んでしまった。神の恵みを全て受けたかのごとく美しい少女であったが、中でもその瞳だけは群を抜いて美しかった。 そこには清浄なほどの透明感があり、見るものを魅了するのに十分であった。
だが――
ふと、椿は奇妙な感覚に襲われた。何かが、違うような気がしたのだ。何と比べて、どこがどう違うのかは、判然としない。 だが、どこかが異なっていた。
(なんだろ……?)
小首をかしげて椿が考え込んでいると、ふいに少女は、ほんのかすかに唇を震わせた。
「……よつ…ば……」
「……え?」
椿は思わず聞き返した。少女はややびくり、と肩を震わせたが、それでも、一応唇を開いた。
「……よつ、ば……で…す…」
「よつば、さん?」
確かめるように、椿は繰り返した。こくん、と、少女が頷く。椿の顔が喜びに輝き渡った。
「よつばさんですね! どんな字書くんですか?」
「あ……え……」びっくりしたように、少女の目が丸くなった。だが、おずおずとではあったが、そっと、細くきれいな指で、畳に書き記した。 「……四つの、葉っぱ……四葉……」
「四つの葉っぱで、四葉ですか。なんだか、とっても可愛い名前ですね?」
「え……?」きょとり、としたが、少女――いや、四葉は、はにかんだ笑みを見せた。白いおもてがほんのりと赤く染まる。 椿は思わず、ため息をついた。
「きれいだなぁ、四葉さんて」
「そんな……私……」四葉は消え入るような声でつぶやき、首を振った。だがその顔には恥ずかしそうな笑みも浮かんでいた。 そんな彼女を椿はにこにこと見ていたが、ふいにはっと気づいて、四葉に声をかけた。
「あの、それで、お体のほう、大丈夫ですか?」
「え……?」
「あ、あの……」済んだ美しい薄茶色の瞳に見つめられて、今度は椿がやや赤くなった。 「さっき、私、通りの角で、あなたとぶつかってしまったんです。 そしたら、あなたが倒れたままで動かなくなっちゃったので…… この、私が勤めている帝劇に運んでもらってお医者さんに見てもらったんですけど」
「まあ……」四葉は、口元に手を当てた。「そ……そうだった……のです、か?」
「はい」椿はこくんと頷いた。「脳震盪をおこされたみたいで、私、心配だったんですけど、いかがですか?」
「……大丈夫」はにかんだ様子で、四葉は首を振った。「何ともありません。それよりも、ごめんなさい――え……と……」
「あ、椿、です。――でも、どうして、謝るんです?」
不思議そうな顔をする椿を見て、ようやく和らいだ表情になって、四葉は小さく頭を下げた。
「いえ、その……私、拐かされたのか、と、思ってしまったので……」
「か……かどわかされた、ですか?」丸く目を見開いた椿は、次の瞬間、吹き出していた。おかしそうに軽やかな笑い声をあげる。 「そ、そうですねっ、いきなり目覚めたら知らない人に囲まれていたら、誰でもそう思いますよね?」
「ご、ごめんなさい」
白い頬をあざやかに紅潮させて、決まり悪そうに四葉は頭を下げた。 それを見て、笑いをかみ殺しながらも、椿は首を振った。
「い、いいえ、気にしないで下さい。私たちもいけなかったんです。事情を説明もせずに大勢で取り囲んでしまって。 ――怖かったですか?」
「い……いえ、そんな、ことは……」
四葉は首を振ったが、さきほどの怯えようを見ている椿には、それが嘘であることは明白だった。
だが、それを指摘するような思慮のない椿ではなかった。
「よかったぁ」
大げさにほっとすると、肩をすくめて、ちろ、と舌を出す。その椿の無邪気な仕種に、四葉もおかしそうに口元をほころばせた。
同じ年ごろの二人の少女が打ち解けるまでに、大して時間はかからなかった――