ツバキ大戦<第参章>


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       (二)


「――どうだ。久しぶりに剣の稽古でもしないか?」

朝食を終え、椅子の上にふんぞりかえって、のんびりとした風情で窓から外を眺めながらつまようじでだらしなく歯のすき間を掃除していた神代は、ふいにかけられた声に、顔だけを上に向けた。 逆転した視界の中に、端正な面差しの親友の姿を見てとって、にやりとふてぶてしい笑みを浮かべる。

「そいつはいい。こうも何もすることがねえと、体がなまっちまいそうだからな」

「ずいぶんと待遇のいい居候だからな、お前は」

神代が来てからすでに一カ月半の月日が過ぎ、帝劇の修繕も、ほぼ終了している。だが、この居候はその後も何やかやと帝劇に居座り続けていた。
もっとも、その他雑用一切をほとんど文句も言わずにやってくれるこの男は、事務仕事に追われるかすみや由里にとってはありがたい猫の手であった。 この前の公演では人員整理に駆り出され、目覚ましい活躍をしたものだから、妙に頼りがいがあると評判もいい。
本人も、気さくな態度で仕事を引き受けてくれるので、由里などからは「でっち2号」などというありがたい称号ももらって、いつの間にか帝劇に居座っている。
とはいうものの、先日の事件で休業状態になってしまった現在では、いい身分の居候と言われてもしかたがないほど、暇を持て余していたのであった。

「……おおし、久しぶりにやってやるかっ!! お前がどこまで強くなったか、見てやるぜ」

身体を起こし、神代はにやりと笑って、大神の手にしていた木刀の一本をつかみ取った。それを見て、大神もうっすらと笑った。

「稽古を付けてやるぞ、神代。有り難く思えよ?」

「ぬかせ。返り討ちにしてくれるわ!」

笑いあいながら、大神と神代は仲良く食堂を出た。脇の非常口から、中庭へと出る。
すでに季節は秋の気配をにじませていた。やや肌寒い風が吹き、冬も間近と思わせる。見上げた天はきれいに晴れ上がっており、薄い青色の空に霞んだ雲が浮かんでいた。
帝劇の中庭は、きれいに芝生が敷き詰められ、小さな花壇があちらこちらに造られている。 約三〇メートル四方の空間には樹木は植えられておらず、中庭に面している窓であればどこからでも、そこでの様子を眺めることが出来るようになっていた。
その中庭の中央部、周りには花壇もない、少しばかり開けた場所。そこに、大神と神代は立っていた。

「……で、どうする、大神? 小太刀も使うか?」

のんびりとした様子で問いかけた神代に、大神は真剣な表情で頷いた。

「ああ、そうだな。いくら腕が落ちたとは言え、まぐれにも俺を負かしたお前だからな。どんな卑怯な手を使うか知れない。俺は全力で戦わせてもらうぞ」

「ふん。ま、腹ごなしにはちょうどいい相手かもしれんな。せいぜい負けたときの言い訳を考えるこった」

にや、と笑って神代は無造作に剣を構える。対して大神も、その両手に持った木刀を構えた。
大神の構えは、右手の太刀を中段、左手の小太刀を下段。受けにも攻めにも瞬時に移れるように軽くかかとを上げた姿勢である。 対して神代の構えは、右手で太刀を八相――というよりは、切っ先が後ろ過ぎるため、やや右肩にかつぎ上げたような構えであった。 受けを気にせず、攻めを重視した構えである。といっても、八相である以上、やはり受けにも神経を向けていることは確かだった。

「!」「!」

何の合図もあったわけではなかった。
瞬間、二人の影が交錯する。ガキッという鈍い音が中庭に響いた。常人にはほとんどわからぬほど瞬時に、二人は相手に向かって踏み込み、斬撃を繰り出したのである。
ふたりの太刀が激しくかみ合う。さらに死角をついて伸びてくる小太刀を、ほとんど本能的に神代は避けた。剣先を返して逆袈裟に跳ね上げる。同時に大きく踏み込んで、無造作に剣を振るう。 無造作に見えて、その剣にはずっしりとした重みが加わっていた。受けた太刀に伝わってくる衝撃に、大神がわずかに眉をしかめた。手首を柔らかく返し、力を受け流しながら飛びのく。二撃目を牽制するために小太刀を振るう。 追撃を阻まれ、神代は舌打ちをもらす。だが、同時に鈍く重い斬撃を連続して大神にたたき込んだ。右手の太刀でこれを受けるが、小太刀を振るう余裕は大神にはなかった。 一撃一撃に体重がしっかりと乗った攻撃は、右腕一本では支え切れない。小太刀を交差させて、ようやく支える。鋭い瞳で、剣筋を見切る。
そして、ほんのわずかの攻撃の間隙を突き、大神は動いた。右手に握られた太刀、左手に握られた小太刀が、まるで別人に操られているかのように、神代へと襲いかかる。 今度は神代が防戦一方になった。二つの剣筋を見切り、よけ、あるいは受け止めることは、神代にしても骨の入ることだった。まして大神は熟練した二刀流使いである。 わずかずつ、微妙にタイミングとポイントがはずされたその攻撃は、まるで二人の熟練の剣士を相手にしているかのように神代に感じられた。

「チッ!」

激しく舌打ちして、神代は膂力にまかせて太刀を激しく大神の太刀にぶつけた。ほんのわずかだが、攻撃に隙が出来る。振るわれた左手の太刀を叩き付けるように下へ打ち下ろし、同時にとびすさる。

「行くぜ、大神っ!!」

気迫を込めて、神代は吼えた。ぶおん、という鈍く重い響きを伴って、神代の太刀が上下に空間を切り裂いた。

「……グッ!」

再び太刀を交差させて、大神はその凄じい一撃を受け止めようとした。だが神代の斬撃の破壊力は、大神の想像をはるかに越えていた。 凄じい剣圧に衝撃が空気の刃となって、大神に襲いかかる。受けた太刀を流し、とっさに身体をひねっていなければ、大神の顔に傷あとが刻まれていたかもしれなかった。 髪の毛を数本切り飛ばし、さらにその後ろに広がっている芝生を大地ごと切り裂いて、衝撃波が走り抜けていった。大神の身につけていたモギリの服が、ばっさりと切られる。
横に身体を投げ出し、距離をとって立ち上がった大神の背中に、冷や汗がどっと流れ出した。

「……おい、神代! お前、俺を殺す気かっ!?」

「悪い悪い」ちっとも悪いと思っていない顔で、神代はにやにやと笑いながら大神を見た。 「ちぃとばかり、力が入っちまった。……けどな、大神。あのぐれえ、気迫で止めてみろよ、な?」

「……よかろう。お前がその気なら、全力でやってやる!」

「へ? ぜ、全力!?」

神代の顔に、滅多に見られないものが走った。狼狽である。慌てて太刀を構え直す暇を、大神は与えなかった。あふれでる闘気が殺気に変わり、雷鳴が轟く。 ひた、と自分に見すえられた大神の瞳が据わっているのに気づき、思わず神代は身をかがめた。

「狼虎滅却・快刀乱麻ぁ!!」

「う、うそだろ、おい……!!!」

悲鳴を上げて、神代は飛びのき、放たれた必殺技から逃れようとした。だが、文字通り雷のように襲いかかる狼の牙は、それを許さなかった。全身に二発くらっただけで済んだのは、僥倖であっただろう。 とっさに後ろに飛びのいていなければ、それこそ命が危なかったに違いない。ずたぼろになり、地面を転がって、神代は何とか必殺の一撃を耐え抜いた。

「お、おめえっ! マジだったろっ? 今おめえ、マジに俺を殺そうとしただろぉっ!?」

「……さあ?」

涼しげな顔で大神はとぼけた。神代の眉がつり上がった。

「……て、てめえ、殺すっ! はいつくばって許しを乞わせてやるっ!!」

ぎりっと奥歯を噛み締め、神代は右手から左手に太刀を握り直した。今度は大神が青ざめる。

「お、おい、冗談だ、冗談! 本気になるな、神代っ!」

「るせえっ! 落とし前はきっちりつけてやるっ!!」

神代の左腕が震え出す。全身からあふれた気が収束し、練り上げられる。立ちこめる闘気が、嵐のように風をともない荒れ狂い始めた。神代の瞳が細められた。

「我竜猛吼・風神烈破ぁ!!」

「げひっ……!!!」

おかしな悲鳴を上げて、大神は横に飛びのいた。だが、それでもかわし切ることは出来なかった。それこそ風神の操る風のごとく、真空の刃が襲いかかる。 無意識のうちにはりめぐらした霊気障壁がなかったら、ただではすまなかっただろう。大神の周囲十メートルほどの大地は、まるでバターにナイフを入れたかのようにすっぱりと格子状に切り刻まれていた。

「……こ、神代っ! お、おまえ、少しは加減しろっ!!」

「るせえやい! てめえが必殺技なんか出しやがるから、こーゆーことになるんだ!」

「せめて右手で使えっ! 俺はあれでも加減したんだからなっ!!」

「俺だって加減したぞっ! それが証拠に、被害はてめえの周りだけだっ!!」

「それが加減っていうかぁっ!?」

罵りながら、大神は太刀を神代に振るった。それを受け流し、神代はいつの間にかまた右手に持ちかえた太刀を叩きつけた。
重い斬撃をそらして大神は懐に踏み込み小太刀を振るうが、神代はすでに太刀を引いて受けにはいっていた。小太刀を受けると同時に体当たりを食らわせて、強引に間をとる。 だが、大神とて易々とは間をとらせなかった。わずかに空いたすき間を強引に埋めるように踏み込んで、同時に両手の太刀を振るった。 肉薄した状態から振るわれた剣にはスピードと重さが乗っていない。それを百も承知で大神は攻撃をしたのだが、それには目算があった。
至近距離で二方向からの攻撃を行えば、どうしても相手は両方の剣筋を見切ることは出来ない。一方を受けてももう一方が確実に相手に届く。 重さが乗らないために攻撃力は落ちるが、相手の力を殺ぎとるには十分な攻撃だった。
だが、神代とてそのことはわかっていた。懐に飛び込むと同時に振るわれた剣を無視し、神代は左肩を大神の右肩にぶつけた。同時に右手の太刀で大神の小太刀を受ける。 肩への衝撃で鈍った右腕の剣の方向はそらされ、当たりを喰らった大神の上体が揺れる。そこへ左手の小太刀をはじいた神代の太刀が襲いかかった。
これが大神でなければ、その一撃は左わき腹に打ち込まれ、よくてあばら骨が数本折れ、悪ければ肺腑をえぐり心臓に衝撃を受けてショック死ぐらいはしたかもしれない。 だが大神は、剣のほかに格闘術も身につけていた。しかも、桐島流の優秀な師範もいた。
とっさに左ひじを繰り出された神代の太刀に叩き付ける。その衝撃はまるで太刀で叩きこまれたかのように重かった。剣先がそれただけでなく、神代の右腕にしびれが走った。 下手をすれば筋さえも痛めたかもしれないほど、それは強烈だった。

「!!……やるじゃねえか、大神」

後ろに飛びのき、剣の構えを直して、神代はにやりと笑った。大神も、体勢を立て直して、向き直る。

「あたりまえだ。伊達に軍人はやってない。のんべんだらりと怠惰な生活を送っていたお前に負けはしないぞ?」

「一年以上もモギリ生活のてめえに、んなこと言われたかねえな」

ふと、大神の顔が引き締まった。その口元に、笑みが浮かんだ。

「……残念ながら、モギリだけやってたわけじゃない」

「……」

その口調、その言葉に、神代の眉が動いた。顔が険しくなる。
大神が何故そのようなことを言い出したのか、やや考える風だったが、それもほんの一瞬だった。ふてぶてしい笑みが神代の顔に浮かんだ。

「……そういうことか。だが、俺を説得できるか、大神?」

「何を言っているのかわからないな」

そう言った言葉とは裏腹に、大神は神代の言葉の意味を正確に捉えていた。やはり、という思いが駆け巡る。
神代は気づいていたのだ。大神のこと、帝国華撃團のことを。そして今、大神が神代を丸め込もうとしていることに、気づいたのだ。
だからこそ先手を打って、素直に従う気はない、と言ったのである。
ふん、と、神代は鼻を鳴らして見せた。

「……まあ、万が一、俺を負かすことができたら、考えてやってもいいぜ?」

「……」大神の切れ長の瞳が細められた。「……よくわからんが、お前を負かせれば、何かと便利だ。遠慮なく叩きのめそう」

「はん。遠慮なんぞしなくても、俺は一向に構わないぜ?」

「空いばりはそれぐらいにしておけ。言い訳が苦しくなるぞ?」

「ぬかせ。お前こそ、負けたときの言い訳、少しは考えているのか?」

「必要ない。俺が勝つのだからな」

呟いた瞬間、大神の姿が消える。いや、消えたかに思えるほどの速さで神代に襲いかかったのだ。

「ちいいっ!」

盛大に舌打ちをもらしつつ、神代は受ける。そして次の瞬間、神代もまた神業とも思えるほどの速さで大神を襲った。
それからの戦いはもはや、常人の域を越えていた。 大神の波状攻撃、神代の暴風のような猛攻撃、ともに熟練した剣士でも対応し切ることができないほどの二人の攻撃。 そして、それにもかかわらず、二人とも相手に決定打を放つことが出来ないでいる。 互いに技を繰り出しつつ、大技を出す機会を狙っていたのだが、そう易々と機会を与えてくれる相手ではなかった。

(……さすがに神代だ。必殺技を出すための間がとれん!)

びっしょりと汗をかき、浅く小さく息継ぎをしながら、大神は鋭い瞳で神代の太刀筋を見極め、予測し、対応する。
そして二手、三手先を読んで技を繰り出すが、相手もその先を読んできている。
勝負は意外に長時間にわたった。
太刀と太刀がぶつかり合う鈍い音が、間断なく中庭に響く。土を蹴る音、大地を踏み締める音、空を切る音がそれに混じる。
それでもまだまだ、決着はつきそうにない。さすがに大神、神代とも、息が乱れてきていた。

「……し、しぶてぇ野郎だなあ、大神!?」

「お、お前こそ……早く、参ったと言え!!」

「だ、誰、が、……するもんか、ってぇのっ!」

「……やせ、我慢も、たいがいに……しろっ!!」

そのころになると、かわす言葉もとぎれとぎれになる。それでも剣筋がほとんど鈍らないのが、さすがであった。
だが、もう限界だった。すでに一時間近く、全力で戦っているのである。 始めは余裕でかわしていた攻撃もしだいに身体にかするようになり、今ではほとんどよけ切れない。 だが攻撃力も落ちているため、決定的なダメージにはならなかった。
それだけに、ほとんど意地で二人は剣を振るい続けている。子どもの喧嘩のレベルになっていた。

「……は、早く、くた、ばれ、馬鹿……野郎……」

「は、はいつくばって、こ、降参するなら……な……」

「……」

「……」

「……」

「……」

死闘、というには、どうも迫力と殺気がない戦いは、あきれるほど情けない状態で終わった。互いに相手を罵っている途中で、力が尽きたのである。
どうやら舌戦が最後の決め手となったようだった。
ごろりと転がった二人の男の視界に広がる、秋空。肌寒さを感じる風が通り過ぎる。
しばらく黙って、二人はその青空を眺めていた。噴き出した汗がひいていき、乱れた呼吸が静まっていく。 ゆったりとした落ち着いた時間が流れ、やがて、ぽつり、と大神が呟いた。

「神代……お前、帝撃に入る気はないか?」

「……俺には芝居はできねえが?」

言葉の前に続いた数瞬の間。故意に勘違いしたことは、大神でさえも気づいた。そして、神代もまた、そのことを隠そうとはしなかった。
また、雲が流れていく。

「……俺は、南蛮人だ。帝都なんてえもんを守る権利も義務もねえし、世界の平和とやらにも興味はねえよ」

「……」

「まして、この国は……この、日本は、俺を追い出した国だ。別にどうなろうと、俺は構わねえ。恨む気もねえが、助ける気もねえ」

「……」

「なぁんもかんも、俺に命令する権利はねえ。俺は、ただ自由でいてえ。何もんにも縛られずに、な……」

「……」

「……」

しばらく、沈黙が続く。神代は碧色の瞳を閉じた。

「……けどな。俺が好きな奴がアブねえってんなら、話は別だ。俺の大切なもんを壊すようなふざけた馬鹿には、馬鹿相応の報いをくれてやる。
そして――それだけの力が得られるなら、俺は帝撃に入る。俺と俺の大切なもんに危害を加える奴を、敵として倒す」

「……」

「……どうする、大神?」

ちら、と、神代は大神に顔を向けた。その顔には悪戯そうな表情が浮かんでいた。

「俺は、帝都にはなんの未練もねえし、守る気にもならねえ。ただ、俺の大切にしている奴等を守るためだけに、戦う。
……こんな、偉大なる大日本帝国の国民にあるまじき不遜なやからを、迎える気があるのか? 自分のためにしか働かないようなやつを、果たして迎えてもいいのか?」

「……」

ゆっくりと深呼吸して、大神は、神代に視線を向けた。その端正な顔は引き締まり、その瞳は決意に満ちていた。

「構わない。お前はお前の大切なものを守ればいい。……俺は、帝国軍人だが、お前は違う。俺は帝国の規律に縛られるが、お前は縛られなくても構わない。
ただ――これだけは言っておきたいし、誤解してほしくない。
帝撃は――俺たち帝撃は、決して、日本帝国だけのものではない。国の枠を超えて戦わなくてはならない相手に戦いを挑むもの、世界を守るために戦うものであるべきなんだ。 それは、お前に誤解してほしくない。それだけは、お前には判っていてほしい」

「……」

深く、神代はため息をついた。瞳を閉じ、にっと、笑みを口元に浮かばせる。それは苦笑に近かった。

「……これだから、お前には勝てないんだよな……」

小さく、ほとんど聞き取れないぐらいかすかに、神代は呟いた。その瞳が開くと、強い決意の視線が大神に向かって放たれた。

「……俺も、お前の考えに賛成だ。そして、もし帝撃がお前の考え通りの組織であるならば――俺は、全ての力を預けよう。
俺たちが守るもの――俺たちの、大切なもののために」

「ああ……」

大神は深く頷いた。その端正な顔が爽やかな笑みに彩られた。全てのものを飲み込み、包み込む笑顔。花組の少女達を魅了してやまない、最高の笑顔がそこにあった。
ふん、と、神代は鼻を鳴らした。

「……てめえ、やっぱり何か許せねえな。女の敵だぜ、お前は」

「……何か言ったか?」

「いや、独り言だよ!!」

言いはなって、よっこらせっ、と神代は立ち上がった。右手に握った木刀の切っ先を、まだ寝転がったままの大神に向ける。

「もう一番、勝負しようぜ、大神! 俺の隊長としてふさわしいかどうか、試してやる」

「面白い。今度こそはいつくばって許しを乞わせてやる!」

続いて立ち上がった大神は、不敵な笑みを浮かべて見せた。
そしてまた、飽くことのない、剣士達の戦いが始まった。



帝撃地下、鍛錬室。
神代との一戦の後、シャワーでも浴びようかと地下に下りてきた大神は、ふと物音がするのに気づいて、ここにやってきていた。

(また誰か……特訓でもしているんだろうか?)

この間の戦闘は、花組のメンバーにとってショックであった。自分の技が相手に通じなかったこと、隊長一人を残して撤退してしまったこと。 全てが、多感な少女達の心を傷つけていた。
そして、さくらやすみれ、マリアといった面々は、その日を機会にこの鍛錬室に籠るようになっていたのである。
昼夜を問わず、誰かしらここに来て、さくらやすみれならば剣、マリアならば射撃といった訓練をしていく。 大神もたまに顔を出してはいたが、彼女たちの真剣な様子に、そっとそのまま出ていくのが常であった。
それは、彼女たちに自分がしてやれることは少ないからというよりも、自分がいては邪魔になりそうな印象を彼女たちから受けていたからだった。 どの少女も真剣に、自己を鍛えようと懸命になっている。ここで大神が出ていっては、彼女たちの決意が揺らいでしまうのでは、という、根拠のない印象を受けたのである。
そしてそれは、あながちはずれでもなかったのだった。

(……自分は、隊長を守れなかった……)

彼女たちを駆り立てるものの一つが、その思いであったからだ。戦いの後、半身を血に染めた大神を、誰もが言葉を失って眺めていた。 そして、それほどの傷を負わせる原因が、自分のいたらなさなのだと、未熟さなのだと、彼女たちは痛烈に思い込んでしまったのである。
今、鍛錬室に響く音も、誰かが訓練をしている音だと大神は思ったのだが――

「――カ、カンナッ!!」

こっそりと覗き見た大神は、慌てふためいて、鍛錬室に駆け込んでいた。
中央に敷かれた布の上に十数枚の瓦が積み重ねられ、緩衝用の手拭いがその上にかぶせられている。 そこへ向かってカンナは一心に拳をたたき込んでいた。
それだけ見れば、空手の鍛錬かと思われるのだが、しかしカンナのそれは、全く異なっていた。
積み重ねられた瓦はすでに粉々に砕け、床一面に飛び散っている。もはや一つとしてまともなかけらはない。にもかかわらず、カンナはまるで悪鬼が乗り移ったかのように、一心不乱に拳をたたき込んでいたのだ。
粉々になってもまだ振るわれる拳は破片に傷つけられており、流れ出した真っ赤な血が辺りに飛び散っている。しかし、カンナの表情に、痛みを感じている様子はない。 ただただ何かに取りつかれたように、何かを渇望するように、カンナの血走った眼は床の一点に向けられ、そして血まみれの拳が振り上げられ、叩き付けられているのだった。

「やめろ、カンナ!! 拳を痛めるぞっ!!」

駆け寄った大神は、振り上げられていたカンナの右腕を、がしっとつかまえた。だが、カンナは全く気づかない様子で、そのまま振りおろそうとする。 膂力に優るカンナの腕が、大神を引きずるようにして床へ伸びる。

「ぐっ……カ、カンナッ!」

歯を食いしばり、大神は全身の力を込めて、叩き付けられるカンナの拳を引き戻した。勢い、カンナの上体が揺らぐ。 どたり、と鍛錬室に仰向けに倒れ、その頭が床に打ちつけられた。

「!……ってぇ……」

それが丁度カンナの目を覚ますのに役立ったようだった。ふっ、と、何か憑き物が落ちたかのように呆然とした顔をして、カンナは上を見上げた。 視界に映ったのは、男らしい端正な顔。その優しそうな瞳が、心配げにカンナを見つめた。そっと、大神はカンナを抱き起こした。

「大丈夫か、カンナ?」

「う……あ……隊長……」

軽く目をしばたいて、カンナはぼうっとした表情のままで大神を見ていた。その明るい紫色の瞳がわずかに揺れたが、感情が動く前に彼女は、自分がどういう状況になっているかを把握した。
赤褐色の髪がちょうど大神のあごの下にある。背中に感じられる胸板は、大神のものであろう。暖かく心地の良い、すべてを包み込むような感じがとりまく。 背中から回された大神の腕が、カンナを抱きしめている。
そう、まるで大事なものを守るかのように後ろから抱きかかえられた形で、カンナは大神の胸の中にいたのである。
ようやくそれが理解できたとたん、カンナの顔が真っ赤に染まった。

「あ、あわわわわっ、ご、ごめん、隊長!!」

慌てて体を起こし、飛びはなれる。大神は不思議そうな顔で、カンナを見た。

「どうしたんだ、カンナ?」

「い、いや、何でもねえんだ」

(こんなとこ、他の連中に見られちゃあ、たまんねえもんな!)

小さく心の中で呟く。念のために室内を見回し、自分と大神以外の人影がないことを確認して、ほっとカンナは安堵のため息をついた。
と、忘れかけていた痛みが、痛覚を強烈に刺激し始めた。

「うっ、痛てててっ!」

「だ、大丈夫か、カンナ!?」

右手を押さえて苦痛に耐えるカンナに大神は急いで駆け寄った。そして、カンナを支えるようにして立ち上がらせると、そのまま鍛錬室を出て医療室へとむかった。
消毒薬とガーゼ、包帯を取り出し、手早く治療する。紅蘭特製の軟膏を、しばし迷ったのち、思い切ってつけた。

「……っっ!!」

「我慢しろ、カンナ」

痛みにうめくカンナを励まして手当てを終えると、大神は改めて彼女に鋭い視線を向けた。

「いったい、どうしたんだ? あんなことをするなんて」

「……ただの、特訓じゃねえか。気にしないでくれよ」

顔を背けてカンナはぼそりと呟く。大神は眉を険しくした。

「どこが特訓だ? あれは技を鍛えるためのものじゃない。自分を壊そうとするものだ。身体を壊して何が特訓だ?」

「……いいじゃねえか、別によおっ!!」

ふりほどくように、カンナは腕を振るい、立ち上がった。陽気な顔が曇り、明るかった瞳が翳る。
大神はしかし、追及をやめなかった。

「何があったんだ、カンナ? 自暴自棄になるなんて、おかしいぞ?」

「んなもんになってねえよ、あたいは! ほっといてくれよ!」

「カンナ!」

咄嗟に伸ばした腕が空を切る。身を翻したカンナは大神の腕をすり抜け、医療室から駆け出していってしまった。
やや呆然として、大神はその背を見送る。伸ばした腕を引き寄せ、眉をひそめて一人ごちた。

「いったい、何があったんだ、カンナ……」

気がかりだった。いつものカンナではない。いつも元気であふれるほどに生命力に富んだ彼女だけに、その後ろ姿はどことなく危うく、触れたら壊れそうな儚ささえ感じた。
あのようなカンナを、大神は見た覚えはない。どこか投げやりな彼女の姿を見てしまった以上、大神としては、たとえ拒絶されようとも、彼女と話し合う必要を感じざるをえなかった。

「……放っておけないよな、やっぱり」

小さく呟いて、大神は医療室を出ようとした。ふとその視界にキラリ、と光るものを感じて足を止める。
扉の影にそっとたたずんだ人影を認め、大神は瞳を向けた。

「……隊長……カンナは……?」

そっと、囁くような声で、マリアは大神に訊ねた。翡翠色の美しい瞳が翳りを帯びているのを見て、大神は安心させるように微笑んだ。

「心配ないよ、マリア……カンナは、俺が何とかして見せる」

「……」

マリアは心細げに優美な眉をひそめた。そんなマリアの様子にわずかに瞳を険しくして、大神はマリアに向いた。

「何か思い当たる節でもあるのか、マリア?」

「私もよく……わからないのですが。あの戦闘以来……カンナの様子が、変でした。何かに怯えているようで、夜中に時々、飛び起きたりしているようです。 どうも、あまり眠れていないようで……カンナ自身、そのことに戸惑いと苛立ちを覚えているようでした」

「……」

「どうも……自信を無くしかけているみたいです」心配そうに顔を曇らせて、マリアは大神を見つめた。
「隊長……何とかカンナを、力づけてやってくれませんか?」

「ああ、俺も何とかしようと思っていたところだよ」

力強く、大神は頷いた。安心させるように微笑みを浮かべる。

「カンナは大事な仲間だ。ほうってはおけないよ」

「……そうです、ね……」

マリアはかすかに眉をひそめ、だが、頷いた。その心の中で、つけ加える。

(カンナにとっては、隊長は、仲間以上のものなのですよ……?)

だが、その言葉を口にするのは躊躇われた。自分がいう台詞ではない気がしたからである。だが……その奥底に蠢く感情があったことも、否定は出来なかった。

(私は……ずるいのかしら……カンナの気持ちを知っていながら……)

ぎゅっと、無意識のうちに、首に下げたロケットを握りしめる。幽玄な美貌が翳ろう。
その様子を、親友を心配するがゆえと大神は取ったのだろう、気遣わしそうな表情を浮かべ、大神はマリアの両肩を軽く抱き寄せた。

「あ……!」

思わぬことに、白磁の肌が朱色に染まる。そのマリアの耳元で、大神は優しく囁いた。

「心配するな、マリア。必ずカンナに自分を取り戻させてやるさ」

「隊長……」

そっと、マリアは瞳を伏せた。大神のぬくもりが伝わる。
勘違いしていてもよかった。ただ、このひとときをマリアは大事にしたかったのだ。大神の胸の中にいる、このひとときを――

(私は……ずるい女だわ……)

(隊長の……隊長の、カンナを思う気持ちを利用するなんて……)

それでもマリアは、この時はただの恋する乙女であった。どうしても止められない想いに心揺れ、愛しい人のぬくもりを感じることにこの上ない喜びを覚える、ただの女だった。




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