地下から二階まで、帝劇中を大神はカンナを探して駆け回った。だが、何処に行ったのか、カンナの姿を大神は見つけることが出来なかった。
この時カンナは外にある食べ物屋で羅閻と出会っていたのだが、大神にはそんなことはわからない。あせりをあらわにして探し回ること三十分あまり。
ようやく外に出ていったのではないかと気づき、大神は情報を得るために事務室へと立ち寄った。
「……あら、大神さん。どうなさいましたか?」
事務室では、かすみだけが黙々と事務仕事をしていた。穏やかな美貌に笑みを浮かべて見上げてくるかすみに、大神は訊ねた。
「あれ? 由里くんは?」
「由里でしたら、さきほど米田司令のところへ書類を届けにいきましたが……何か、急用でもあるんですか?」
「あ、別に急用ってわけでもないんだけど」大神はわずかに頭をかきながら、かすみに言った。「ただ、カンナをどこかで見なかったか、と思ってね。かすみくんは、カンナを見たかい?」
「……カンナさんですか?」かすみは小首をかしげた。「私は見ていませんが……あ、由里。丁度いいところに戻ってきたわ」
かすみが呟くのを聞いて、大神は事務室の扉に振り向いた。そこには、ちょうど扉を開けた状態で目を丸くしている由里が立っていた。
「……あら、どうしたんですか、大神さん?」
「ああ、よかった。由里くんに聞きたいことがあってね」
「あら、何かしら? もしかして、デェトしたいから空いてるお休みの日を教えてほしい、とか? やあだ、もう!!」
「……ぜんぜん違うんだが……」
頬に手を当ててきゃっきゃっと恥ずかしそうに身をくねらせる由里を見て、大神は思わず疲れた顔で嘆息した。
「んもう、冗談ぐらいつきあってくれてもいいのに」ぷくっとふくれて、由里は大神を睨んだ。だが、本気でないことは確かで、その栗色の瞳は面白そうに輝いている。 「で、何のご用なんです、大神さん?」
「……あ、それなんだが、カンナを見なかったかい、由里くん?」
何とか立ち直って問いかける大神に、由里は人さし指をほっそりしたあごにあてた。考え込むように首をかしげる。
「んーと、今日は朝六時に起床して、二時間ぐらい早朝トレーニング、八時に朝食後、鍛錬室で鍛錬してました。九時に一度休憩、その後で銀座の近辺をランニング。
それからまた鍛錬室に戻って、今ごろは瓦割りでもやっていると思います。
あ、でも、もうすぐお昼だし、食堂――いえ、食べ飽きてきているから、外に出ている可能性が高いわね。
おなじみの店と言えば煉瓦亭だけど、カンナさんは庶民派だから、居酒屋とか小さな食堂に行くんじゃないかしら?
とすると、朝日屋食堂か、紀陽軒……でも、こんな晴れた日だから、外がよく見えるばんび亭ってところですね。
お昼のメニューに関しては、朝が肉類中心だったし、ばんび亭は築地の魚市場から仕入れた新鮮な魚が豊富だから、焼き魚定食と魚のすり身と鶏がらのおひたしを五人前ってとこだと思いますけど。
……って、あれ? どうしました、大神さん?」
ずるずると崩れるように事務机に寄りかかり、何か得体の知れないものを見る目で自分を見つめる大神に、由里は不思議そうに問いかけた。 その後ろでげっそりとした顔で額に手を当てているかすみに目を向ける。
「何か、ずいぶん疲れているようね、大神さん……かすみさん、こき使い過ぎたんじゃないの?」
「私はまだ、今日は一度も事務仕事を頼んでないわよ」深々と嘆息して、かすみは由里を見た。「大神さんは、ただあなたのおしゃべりに当てられただけよ、きっと」
というよりも、由里のとんでもない情報網に恐れをなした、というのが正解である。
(このぶんじゃあ、俺のスケジュールも押さえてあるんじゃないか!?)
大神の胸に、恐怖に近い疑念が湧き起こる。何となくうそ寒さを感じて、冷や汗が背中を伝った。
由里の顔に心配そうな表情が広がる。
「大丈夫ですか、大神さん?」
「あ、だ、大丈夫。うん。大丈夫だよ」
大神はかくかくと頷いた。と、その時ふいに、元気の良い声が、事務室に響いた。
「あ、大神さん、ここにいたんですか?」
「あら、椿ちゃん。もうお話、終わったの?」
ほとんど一瞬にして表情を明るくして、由里が微笑みながら言った。どうやら大神へ向けていた心配そうな顔は、演技だったらしい。うなだれた大神を何となく気の毒そうにかすみが見た。
そんな些細なことには構わず、由里はさっそく興味津々で椿に近づいた。
「ねえねえ椿ちゃん。米田支配人の用事って、いったい何だったの?」
先ほど書類を届けに入った配人室で、由里が退出しようとしたとき、入れ違うようにして椿が入室してきたのである。 何か重大な話でもあるのかと、思わず聞き耳を立てたくなった由里ではあったが、さすがに米田の顔が帝劇支配人のそれではなく、帝撃司令のそれになっていることに気づき、泣く泣く支配人室を後にしたのであった。
「ねえ、椿ちゃん、何だったの?」
瞳をきらきらさせて詰め寄る由里の迫力に思わず後ずさりしながら、椿はちょっと強ばった笑顔で答えた。
「あ、あの……今日、今から、浅草の花やしき支部に行くようにって……テストが、あるらしいです」
「テスト!?」
何の?といいたげな由里の後ろで、大神が、ああ、と頷いた。
「そうか、今日になったのか」
「何があるのか、知っているんですか、大神さんっ!?」
ほとんど瞬時に大神に向き直る由里。目の前ではなたれる強烈なきらきらにのけぞりつつ、大神は説明した。
「あ、ああ……椿くんの力を、検査したいそうだ。日時は決まってなかったんだが……」
「あ、そういえばマリアさんがそんなことを言ってたわね」真相を聞き出せたためか、ようやく少し落ち着いて、由里が言った。 「大神さんにも伝えなくちゃ、って、さっき上に行きましたよ?」
「あれ、それじゃあ行き違いになったのか」
ちょっと考えて、大神が呟いた。大神自身はさきほどまでカンナを探して二階にいたのである。ただ、ロビーから食堂を通って事務室に来たため、支配人室横の階段から昇っていったマリアとは行き違いになっていたのである。
「……あの、それじゃあ私、これから花やしき支部に行きますので……」
ぺこり、とおじぎをして椿は事務室から出ようとした。その細い腕を、そのとき、がしっとつかむ者がいた。
「……ねえ、椿ちゃん。ちょっち、時間とれない?」
「……え?」
瞳を丸くする椿に、腕をつかんだまま由里は微笑んだ。それはほとんど、面白いことを思いついた悪戯小僧の表情だった。
何となく嫌な予感を覚える。椿は、助けを求めるように、大神に顔を向けた。
「え、あの、その……」
「あ、大丈夫よ、椿ちゃん!」その視線の先を見て、さらに由里の悪魔の表情がひときわ輝いた。「大神さんも、頼みますよ?」
「……へ? 俺? な、何を?」
何か不吉なものを感じて、大神は思わず顔をひきつらせた。視線がさまよい、脱出口を探す。 だが、それを遮るように、由里がにこやかに微笑んだ。
「何って、決まってるじゃないですか? 椿ちゃんを花やしき支部まで送っていくんですよ」
「……ええっ?」
「感謝して下さいねっ! こんなに可愛い娘とデェトさせて上げるんだからっ!!」
「……で、でぇとっ!?」
大神はその時、なぜかは知らないが、自分の身にふりかかるであろう未来が見えた。
花組の少女達に囲まれてずたぼろにされている自分の姿を。
だが、目の前に立った少女の頬が紅潮し、その瞳が期待と不安に揺れながら自分に向けられているのを見てしまったとき、もはや大神には選択の余地はなかった。
その少女の顔が悲しみに彩られるような選択が、大神に出来るはずがなかった。
「さあてと、椿ちゃん! おめかし、おめかし!!」
「ええっ!? いいんですか、私なんかが……」
「もっちろんよっ! さいっこーっに、可愛くしてあげるっ!!」
「うわあ、ありがとうございますっ!!」
少女達の楽しそうな声を聞きながら、大神は暗澹たる思いで自分の不幸を嘆いていた。
「……うーん。ここが帝撃の花やしき支部か。すごい人出だな」
感慨深そうに目の前に広がるエントランスを眺めて、大神は一人ごちた。
でかでかと”歓迎”と描かれているアーチ、にぎやかなざわめきと、陽気で軽快なメロディが場内を流れ、様々な乗り物がひしめき合う。
帝都浅草、花やしき。
帝都でも有数の繁華街であり、活動写真からオペラ、劇場などがひしめく一角。浅草寺の西、仲見世通りから外れたところに、それはあった。 この時代珍しいほどのアトラクションの数々。延々と続く長蛇の列が、人気の乗り物につらなっている。 そして行き交う人々の目は生き生きとしており、ここが庶民の娯楽としてまたとない盛況ぶりを発揮していることを如実に表していた。
「皆さん、本当に楽しそうですね?」
にこやかに答えたのは、大神のとなりに立った椿だった。
そばかすの浮いた幼い顔だちに、きらきらと輝く大きな茶色の瞳。肩口で切りそろえた髪。つんと上を向いた小さな鼻。その下には、まるで桜の花びらのような可憐な唇があった。
だが、今の彼女を見て、帝劇の売店の少女だとわかるものは、そうはいないだろう。
身につけているものは、明るい橙色のシャツに、赤と緑のチェックの編みスカート。上に羽織っているのは、焦げ茶色のストール。小さな頭にちょこん、という感じでのっている濃緑色の帽子。
くるぶしまである柔らかな皮製の靴の紐には可愛らしい白と赤のボンボンが飾ってあった。
可憐で純真。少女と女性の狭間、微妙なバランスで織り交ぜられた、清純さと妖艶さ。
愛らしさと同時に抗いがたい艶めいた色香がわずかに漂う。
思わずごくり、と、大神は唾を呑み込んだ。
(椿ちゃんて…………こんなに、可愛かったっけ?)
思わず知らず、しげしげと彼女を眺めてしまう。その視線を感じ取ったのか、椿はちょっと大神を見上げ、そしてあどけない顔を、ぱあっときれいな桜色に染めた。
恥じらってうつむいた彼女の首すじから肩にかけてのゆるやかな曲線が、思わずどきりとなるほどになまめかしい。
後れ毛を気にしてそっと添えられたほっそりとした繊手。襟元を直す仕種が、その外見に似合わず色っぽい。
(……い、いいなあ……こういう娘って……)
「ふふっ……どうしたんですか、大神さん?」
わずかに恥ずかしそうな、けれどどこか悪戯めいた口調で椿が問いかける声に、はっと大神は我に返った。なぜか頬が赤くなる。
「い、いや、べ、別に何も……」
「そうですか?」
思わず見とれてしまうような微笑みを、椿は浮かべた。柔らかく暖かな、けれど妙につやめいた表情。
あどけない少女としか思えなかったこれまでとは全く異なった表情。少女から女へと変貌を遂げたときの、あの表情。
それは、恋をしている少女の顔だった。
だが、大神はそんなことは全くわからなかった。ただただどぎまぎとして、大人になりつつある少女を当惑げに眺めている。
どこか違う、自分が知っていた少女と。
それだけはわかるのだが、それが何なのか、経験が非常に少ない大神には、全くわからなかった。
「……さあ、行きましょう、大神さん」
元気の良い――けれど、それまでとは異なった、とても甘やかでしっとりとした声で、椿は言った。そしてそっと、大神の左腕に自分の右腕を絡めた。
「あ、お、おい、椿くん……」
情けないほど慌てふためいて、大神は腕をはずそうとした。だが。
「……ご迷惑、ですか?」
その小さな顔が気の毒なくらいに暗く陰り、悲しそうな声が届く。しっとりとうるんだ瞳に見つめられて、体が硬直した。
自分は何と言うひどいことをこの少女にしたのだろう、という、えも言われぬ罪悪感が襲ってくる。
さくらやすみれといった花組の少女達の腕を振りほどこうとするときには、そんなことはあまり感じなかったのだが、椿のその暗く沈んだ顔、寂しそうな表情は、大神の心にずきりとした痛みを与えた。
思わずはずそうとした腕をもとの通りに、からめる。
その瞬間に、可憐な花は再び鮮やかで美しい光を放った。ばら色に頬を染めて、椿はそっと寄り添うように、大事そうに大神の左腕を抱え込んだ。うっとりと、目を閉じる。
「……お、おい、つ、椿くん?」
かすかな胸のふくらみを感じて、やや上擦った声を大神は上げたが、椿は今度は手を離そうとはしなかった。夢見るように、小さく呟いた。
「……お願いします。大神さん。もう少し――もう少し、このままで、いさせて下さい…………」
「……」
もう何も、大神は言わなかった。黙ったまま、ゆっくりとした歩調で、花やしきへと歩き出した。そっと、少女も寄り添って歩く。
その二人の歩く姿は、見まごう事なき恋人同士のそれであった。
「……な、なんですの、あのラブラブチックな雰囲気は……!!」
「……お、お兄ちゃんは、アイリスのもんだもん…………!!」
「……うかつだったわ。あのような伏兵がいたなんて……!!」
そこにはとんでもない殺気が渦巻いていた。
ぎらぎらと燃え上がる瞳。般若のようなすさまじい怒り顔。気のせいか、稲光がその背後にきらめいているようであった。
周囲10m以内の人々が、恐れをなして逃げ出す。ばきばきっ、と、売店の柱が砕ける音がした。
「お……お客、さん……ち、ちょっと……」
震える声で、入り口を占拠するその一団に、店主はこわごわと声をかけた。だが、ぎろり、と振り向いた一団の視線に、ひぃっ、と悲鳴を上げる。
けらけらと笑い出すひざをなんとか抑えて、この恐怖の場から逃れようと、店の奥へと店主ははいずっていった。
だが、そんなことにその鬼の一団は構いはしない。再び視線を、花やしきのエントランスへと向ける。
「……ね、ねえ……あたしは、もう、いいでしょ?」
あははははっ、とひきつった笑いを浮かべて、その一団に襟首をつかまれている娘がささやいた。 赤い帽子に目の覚めるようなモダンな洋装。明朗快活を絵に描いたような彼女だったが、さすがにその栗色の瞳には、恐怖が浮かんでいた。
「ね? ちゃんと、案内したんだから……もう、いいわよねっ!?」
そぉっと指をはずして忍び足でその場を離れようとする。だが、彼女の努力は無駄に終わった。翡翠色の瞳が冷徹な光を浮かべた瞬間、由里は自分が金縛りにあった気がした。 音も立てずに目の前に移動した淡い金色の髪の美女は、氷の微笑を浮かべる。
「お待ちなさい、由里。まだ用があるのよ、あなたには」
「あっはは、ははは、ははははっ、マ、マリアさん………そ、そんな、睨まなくても……」
「お黙りなさい、由里さん」
脇からぬっと顔を出す、繊細な美貌の少女。その切れ長の瞳にちらつく妖気めいた光に、由里は怯えるしかない。
「す、すみれさんまでぇ……だいたい、あたしが何をしたって言うのよぉ…………」
「椿さんにお洋服をお貸しして、頑張ってらっしゃいって送り出したことをお忘れですの!?」
「あ、あれは、単なる言葉のあや、ってやつよぉ……マリアさんは聞いてるでしょお? 今日ここで椿ちゃんの霊力テストがあるのを?」
「私が聞いたのは、椿のテストのことだけよ。隊長がついてくることは聞いていなかったわ」
「アイリス、知ってる。かすみお姉ちゃんに聞いた。お兄ちゃんがいたほうが結果がよくなるとか言って、由里お姉ちゃんが無理矢理送り出したって!!」
「「由里(さん)!!」」
「ひ、ひええぇぇぇ!!」
かすみさんのばかぁ!!っと、由里は心の中で叫んだ。どうして言っちゃうのよぉ、あたしがどうなってもいいのっ!? とわめきたくなる。
(そりゃあ、椿ちゃんを着飾らせたのも、大神さんを連れていかせたのも、あたしだけど……)
(でも、あんなに可愛くなるなんて、思わなかったし。大神さんだってまんざらじゃないようだったし)
(面白そうだと思って、しゃべったのが間違いだったわ。まさかまさかあたしまでここに連れてこられるなんてっ!!)
(ああんっ、どうやって逃げ出そうかしらっ!? 由里ちゃん、絶体絶命のピィーンチッ!!)
あせっているわりには、どこか余裕がある。頭を抱えて座り込みながらも、由里は脱出口を求めて視線を左右にめぐらせた。
その視線がふと、ある一点にとまった。
(……え? うそ……)
由里の瞳が丸くなる。小作りの顔に、不審げな表情が浮かんだ。
彼女の視線の先には、一人の青年が立っていた。
つややかな黒い髪。何やら大陸風の上着を着ており、薄紫色の帯で腰を締めている。すらりと立つ姿は、みとれるほどに凛々しく美しい。
そしてその顔だちも、まるで絵の中から現れたかのような美しさだった。
すっと刷毛で描いたように整った鼻梁。切れ長の瞳は薄めの黒。女性でもめったにみられないほど美しいカーブを描く、ほっそりとした首筋。
小さな口元は優しくほほ笑んでおり、芸術の域にまで達している美しいかいなが落ち着いた様子で胸の前に組まれている。
男にしてはほっそりとした体格だったが、その胸は広く、女性ならば誰でも嫉妬を覚えるほどに細い腰と絶妙のバランスを保っていた。
美しさと凛々しさ。繊細さと大胆さ。男と女のもつ美が、そこに調和しているかのようだった。
だが――
(……気づいて、ない? 誰も?)
その男の周囲を行き交う人々は多い。老若男女、様々な人々が往来する街路である。
だが、誰一人として、その男に視線を向けるものはいない。
あれほどの美貌の男であれば、幾人かは必ず振り返り、その美しさに心を奪われて立ちすくむだろうに、そのような人は誰一人としてなかった。
まるでそこには誰もいないかのように。
(……ということは、やはり……)
由里の瞳が、険しくなった。それは、帝撃風組の隊員の目でも、ましてや帝劇の事務をしているときの目でもなかった。 まるで、旧知の人物を見たような、それも、ここにいることは決してないはずの人物を見るときのような、懐かしさと共に不審さ、そしていくばくかの悲しさをこめた瞳であった。
(なんで、あなたがここにいるの?)
由里の視線が強くなる。
その由里の視線に気づいたのか、ふと、男は顔を上げ、由里の方を見返した。
その小さな唇が、横に開く。何かを告げたいかのように口が上下したが、声は全く発せられなかった。
(何を言いたいの、あなたは!?)
由里の瞳が、わずかにゆるんだ。明るい栗色の瞳がかげり、熱いものが湧き出てくる。
心の奥に、何かおかしな想いが広がる。懐かしいけれど許せない想い。
(何よ、何が言いたいの?)
きっ、と、由里は男を睨み付けた。彼女の視線に、男は微笑った。とても悲しく、申し訳なさそうな笑みだった。
その唇が、再び開く。それは今度は、ゆっくりと、一連の言葉を形づくった。
(******)
「あ……」
口元を由里は両手で覆った。もはや疑う余地はなかった。由里ははっきりと男が誰だか判ったのだ。
想いがこみあげる。口からその言葉があふれてくる。だが、ここでそれを口にすることは出来なかった。
(……)
男は、またほほ笑んだ。わずかに苦笑の混じった笑み。
そして――
ふっ、と、蝋燭の炎が消えるように、男の姿は消えうせた。人々の波が、由里の視界をさえぎった。
「……ドゥ……クン……」
小さな声が、由里の口元から漏れ出た。だが、それを聞いたものは誰もいなかった。
「……何、ぼけぼけっとしていらっしゃるのっ!?」
「……えっ!?」
ふいに耳元ではじけた怒鳴り声に、由里は、はっ、と我に返った。慌てて首を巡らすと、イライラした様子で三人の鬼娘がぐるりと由里を取り囲んでいた。
「ど……どうしたんです、皆さん?」
「どうしたもこうしたもありませんわっ!! なにぐずぐずしてますの? 行きますわよっ!!」
「……へ?」間の抜けた顔で由里はすみれを見上げた。「行くって……どこへ?」
「もちろん、花やしき支部よ」答えたのはマリアだった。翡翠色の瞳が冷たく由里を見すえる。 「あなたには私たちを案内してもらわないといけないから」
「え……ええええっ!?」
「ほらほら、行くよっ、由里お姉ちゃんっ!!」
金色の天使が催促する。そのつぶらな青い瞳は、言うことをきかないと何するかわかんないよっ!!っという脅しがたっぷりとこめられていた。
ぐるりを見回しても、もはや自分の逃げ場はない。
由里は、絶望のため息をついた。
もはや、さきほどの男のことなど、由里の脳裏からはすっかりと忘れ去られていた。
「霊力、12……15……20……24、安定。……起動レベルまであがりません」
「脳波パルス正常。知覚神経反応増大……通常の3%まで拡大しましたが、あがりません」
「運動神経反応、通常よりも2.5%あがっていますが、それ以上にはなりません」
「攻撃霊力、変化なし」
「防御霊力、変化なし」
「移送霊力値、ゼロ。回復霊力値、ゼロ」
「霊子甲冑、起動しません……」
「……だめか……」
大きなため息と共に、大神は目の前の機械に座った少女を見上げた。その幼い顔は、ひどく申し訳なさそうに沈んでいる。
「……椿くん。もういい。降りてきてくれ」
「……はい……」
大きな瞳が翳る。しょんぼりとうなだれて、椿は大神のもとに降り立った。その瞳がうるむ。
「ご……ごめんなさい、大神さん……私、私……」
「気にしなくていいんだよ、椿くん」その小さな肩を優しく叩いて、大神はほほ笑んだ。 「椿くんのせいじゃない。それに……椿くんの力は、霊力には起因していない。そのことが証明されただけでも、大きな成果だよ」
「でも……でも、私……私……」
こらえ切れずに椿は瞳から涙をあふれさせた。ぎゅっと小さな拳を握りしめる。
「私……やっぱり、大神さんの役に……役に、たてない………」
視線が落ちる。由里から借りた洋服が目に入る。
これだけ着飾ってきたのに、結局私はあの人の役に立てない。あの人を守ることも出来ない。
私ってば、なんてばかな娘なんだろう。厚かましくも、自分の力を過信して、こんな風に着飾るなんて。
さくらさんやすみれさん。マリアさんやカンナさん。アイリスちゃん、紅蘭さん。
みんなみんな、大神さんの役に立っているのに、私にはそんな人たちと張り合う力がないのに、浮かれて、調子づいて……大神さんと一緒にいられるなんて、思ったりして。
何て馬鹿な、みじめな、あわれな小娘なんだろう、私は……
そんな資格なんて、ないのに。あの人たちと張り合える力なんて、ないのに……!!
「……私、帰ります……!!」
「あ、つ、椿くんっ!!」
慌てて大神は腕を伸ばし、走り去ろうとする椿の腕をつかんだ。だが、その腕のあまりの細さ、繊細さに、折れてしまうのではないかと思わず力がゆるむ。
そんな大神の躊躇を幸いに、その腕を振りほどいた椿は、その実験室から走り出ようとした。
だが、扉の目の前に、ひとつの人影がたちはだかった。
「……何や、椿はんやないか? どないしたんや、そないに慌てて?」
「こ、紅蘭!?」
驚いた顔をしたのは、大神だった。切れ長の瞳が丸くなる。
それもそのはずだった。紅蘭は霊子甲冑”神武”の整備、特に大破したカンナ機の修理に追われて帝劇を離れられないはずだったからだ。
大神の神武ほどにひどくはなかったが、それでもカンナの神武の損傷は他の少女達の神武よりもひどかった。
ほぼ全ての部分をオーバーホールしなければならないうえに、左腕の脇、背中の霊子機関と脚部の動力部とを結ぶ蒸気パイプ、排気のためのタービン、および霊子伝達用の回線が、装甲板ごとえぐりとられていたのである。
最も運動が激しい腰部、臀部の機関も集中しているそこを破壊されたのはかなりの痛手であり、紅蘭はほとんどカンナ機の修理にかかりきりになっていた。
その作業は紅蘭ほどの熟達した腕を持ってしても容易に完了できるものではなかった。
今日も今日とて、朝方食堂で顔を合わせた後は、地下の整備場へもぐりこんでいったはずだったが。
「修理するんに足りん部品があってな、花やしきにあるかどうか、来てみたんや」
大神達の?な顔に紅蘭は明るく笑って、説明した。だが、ふと椿の顔を見て、眉をひそめた。
「……何か、あったんか? 椿はん、えらいしょげた顔しはって?」
「こ、紅蘭さん……いえ、その……」
「実はね……」
うつむいて震える椿の肩を気遣わしそうに抱きながら、大神は紅蘭に実験の結果をかいつまんで話した。
紅蘭はちょっとうらやましそうに椿と大神を見比べていたが、話を聞き終わると、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「なんや、そないなことで落ち込んではったん、椿はん?」
軽く肩をすくめて、紅蘭は椿を見た。椿がぴくっとふるえた。
「おい、紅蘭……」
声を上げる大神を制して、紅蘭は椿の顔をのぞき込んだ。
「椿はん。人には誰でも向き、不向きいうんがあるやろ? たかが霊子甲冑動かせへんかったからいうて、何も力ないん思うんは、ちと早いんとちゃうやろか? 他に何かできることあるかもしれへんのに、確かめもせずに逃げ出すんかいな? そないなこと、許さへんで、ウチは!」
「……」
だが椿は顔を上げようとしなかった。うつむいたままの椿を見て、紅蘭は眉根を寄せた。
しばらく何かを考えるように腕を組んで宙を睨んでいたが、やがて紅蘭はふと何かを思いついた様子で、大神を見た。
「なあ、大神はん。ちいとばかり椿はん、借りても構わしまへんか? やってみたい実験があるんや」
「実験?」
やや不安そうな様子で問い返す大神を見て、照れくさそうに頭をかく。
「ん、まあ、たいした実験やあらへん。危ないこともあらへんのやけど」
「本当に大丈夫なのかい? 爆発したりしないかい?」
「……そないに念を押されると、何やウチが爆発ばっかしとるようやないの、大神はん?」
今度は明らかに気分を害した様子で、紅蘭は大神を睨み付けた。 さすがにここで、「いつも爆発しているじゃないか?」などとは口には出来ない。大神は青ざめた顔でかくかくと首を縦に振った。
「わ、わかった。悪かった。紅蘭を信頼していないわけじゃあないんだ」
「ならええけど」紅蘭は半目で大神を見ていたが、それ以上は追及することもせず、椿をのぞき込んだ。 「で、椿はん、協力してくれへん?」
「……」
椿はしかし、沈黙したままだった。だが、紅蘭は構うことはなかった。その沈黙を肯定と見なして、椿の腕をひっつかむ。
「じゃあ、ちょいとこっち来てくれへん? あ、大神はんも一緒に来ますか?」
「……ああ」
大きく大神は頷いた。紅蘭の実験というものに興味を覚えたからだが、その心の片隅に、
(椿くんが爆発に巻き込まれたらかわいそうだもんなぁ……)
という思いがあったことも事実だった。
それを知ってか知らずか、紅蘭は不審そうにじとっと大神を見た後、部屋を出ていった。椿の手を引きながら。
慌てて大神もその後を追った。
花やしき地下。通常の整備場、開発用研究室、実験室、制作室などのある層のさらに地下に、紅蘭専用の研究室があった。
「ここなら、ちいとばかり危険な実験しても、誰にも迷惑かけへんからなぁ」
のんきそうな表情で紅蘭が説明する。大神の顔にひとすじ汗が流れた。
(俺たちには迷惑かからないのか?)
もちろん口に出すことはしない。触らぬ紅蘭にたたりなし、である。
「じゃあ、椿はん。ちいと、その椅子に座ってくれへんか?」
紅蘭の指し示したのは、『実験室5』と書かれた室内の中央に設置された椅子だった。何やらわけのわからないチューブや配線がつながっている。
不安そうな顔でそれを眺めた椿だったが、しばし躊躇った後、ゆっくりと室内に入って椅子に座った。
「よっしゃ。んじゃあ、大神はんはこっちの部屋に入ってや!」
「……え? 俺も?」
慌てて自分を指さす大神を、紅蘭はジト目で見た。
「あたりまえやんか。大神はん、男やろ? 椿はんだけを危険な目にあわせる気なん?」
「そんなに危険な実験なのかぁ、紅蘭!?」
「ええい、ごちゃごちゃ抜かしとらんと、はよ入りい!!」
癇癪を起こして紅蘭は大神を『実験室3』と書かれた、椿のいる部屋の向かいの部屋の中に押し込んだ。素早くドアを閉めて、鍵を掛ける。
『お、おい、紅蘭!! 何で鍵を掛けるんだっ!?』
「もちろん、大神はんを逃がさへんためや」
何をいまさら、という感じで紅蘭は答えて、いそいそともう一つの部屋の中へと入ろうとする。
『こ、紅蘭さん! ほんとに大丈夫なんですか!?』
不安そうな椿の声がする。紅蘭は無視した。その眼鏡が、きらりん、とひかる。
妙に狂気じみた笑みが、口元に広がった。
「うふふふふ。ようやっとモルモットが揃うた。これで、あの実験が出来るわあ。……ああっ、夢みたいやわあ!!」
『ち、ちょっと、紅蘭? 紅蘭っ!?』
『わ、ちょっと、何これ、なにーっ!?』
慌てふためく声がする。椿の椅子からほとんど瞬時に拘束具がせりだし、椿の四肢を椅子に固定したのである。
それと時を同じくするように、大神の部屋に、妙なものが数体出現した。かしゃかしゃと作動音をたてる、小さな機械。
嫌な予感が、大神の脳裏を走った。
『こ、紅蘭? 何だ、これは?』
「心配せんでもええって、大神はん」紅蘭はにやにやと笑いながら、ガラス窓ごしに大神に言った。「ウチの最新作、”おしおきくん”の試作品や!」
『お、俺、何か悪いことしたかーっ!?』
「はん、何を言うてまんのや。椿はんとえらいええ雰囲気で、ここに来たこと、ウチが知らんと思うとったんか?」
紅蘭は眼鏡を押し上げ、大神を睨み付けた。その様子は、まさに花やしきの前で怒りと悔しさに凄じい殺気を放っていた他の少女達と同じものだった。 いや、むしろいつでも実力行使に出られる状態にあることを考えると、こっちのほうが数段怖い。
「何や、腕まで組んではった、言うことやけど?」
「その通りですわ、紅蘭さん!」
「お兄ちゃんの、バカアッ!!」
「……あなたには失望しました、隊長!」
いきなり。
ぞろぞろ、という感じで紅蘭のいる部屋に現れたのは、すみれ、アイリス、マリアの面々だった。後ろに小さくなって由里もいる。
花やしき支部に入った彼女たちは、偶然行き合わせた紅蘭に全てを話し、協力を仰いだのだった。もちろん紅蘭は快諾した。
自分にも内緒だった上に、デェトしている相手がさくらではなく椿であったことも起因していた。
(さくらはん、泣いとったんやでっ!!)
心の奥だけで叫ぶ。
あの日、さくらとともに売店に寄ったとき、椿が大神を好きなのだと知ったとき、紅蘭の心には確かにさざ波が立った。椿に対して嫉妬も覚えた。
だが、それよりも紅蘭にとってショックだったのは、さくらがそのことを知っていたことだった。
いつの間にかいなくなったさくらを追って彼女の部屋にいき、そこで彼女がかすかに泣いているのを見たときに、紅蘭は例えようのない怒りを覚えずにはいられなかった。
なぜ、そんな気持ちになったのかは、実は良くはわからない。
だが、いつもならばどんな相手が現れようとも敢然と立ち向かい、絶対に負けないからっ、と力強く叫ぶはずのさくらが妙に気落ちしているのを見たとき、思わず紅蘭は彼女のそばに駆け寄ってなぐさめずにはいられなかった。
そして彼女の口から、あのときの戦いの後に起こった出来事を聞いたのだった。
(隠すことなんか、あらへんやないのっ!! 言い訳でもええ、さくらはんに何か言葉、かけたんかいなっ!?)
自分でも理不尽な怒りだと承知していたが、さくらの様子を見た以上、紅蘭としては大神を責めずにはいられなかった。
自分の大神に対する気持ち。彼を求め、焦がれてやまない心。さくらと同じ気持ち、さくらが大神に寄せているのと同じ気持ちを、その時否定された感じがしたのだ。
とにかく、紅蘭は、さくらがその時負った心の傷が、まるで自分に与えられた傷のように思えたのだった。
「……大神はんへのおしおきは、この実験につきおうてもらうことで、ウチは許してやることにしますけど、皆はんはどうや?」
キラリ、と眼鏡を光らせ不気味に笑みを浮かべながら紅蘭が振り向く。
いつもならその紅蘭の不気味さにひきつるメンバーだったが、今は嫉妬の炎の方が大きかった。視線をかわす。
「わたくしは、銀座でのお食事と芝公園の散策で手を打ちますわ」
「あ、アイリス、今度の休みに花やしきでデェト!!」
「私は、横浜のカフェにともに行く事でよろしいわ」
「……なんや、みんな結局デェトですますんかいな?」
口をとがらせて、紅蘭は文句を言った。ウチもデェトにしとけばよかったかなぁ、とちょっと後悔する。
そこに、おずおず、とした声が届いた。
「あ、あの、あたし煉瓦亭のオムライス、おごって欲しいなぁ……」
「「「「由里はだめっ!!」」」」
「しゅん……」
四対の凄じい視線を浴びて、由里はさらに小さくなった。
「いいわよ。どうせあたしは、わき役よぉ……」
いじいじと床に指で”の”の字を書く由里。しかしもちろん、誰もそんなことを見てはいなかった。
さらにいじける。
「どうせみんなあたしのことなんてどうでもいいって思ってるんだわ。三人娘の中で一番影が薄いし、ファン倶楽部も会員少ないし。
おまけに、あたしが主役している小説『由里ちゃん帝劇日誌』だって、続きが全然できてないし……
いじいじいじいじ……」
くじけるな、由里。『帝劇日誌』はそのうち書く!(来年になるだろうけど)
「ああっ、あたしって不幸……!」
「……アホは放って置いて」冷たく紅蘭は言って、何やら得体の知れないスイッチを手にした。「ほなら、始めるで、大神はん?」
『ち、ちょっと待ってくれよぉ、紅蘭! 俺の話も……』
「あ、それ。ポチッとな」
『何か時代と番組が違う……って……うわわわわわわぁぁぁっっっっっ!!』
素っ頓狂な声を上げて、大神は慌てて飛びのいた。今まで大神がいた場所に、”おしおきくん”の電撃がはじけた。つんと鼻を突く匂いとともに、黒ぐろとした穴が開く。
『お、おおおおおおい、紅蘭! あ、あああ、あああ穴、穴、穴あなあなが!で、でででできたぞっ!!』
「うーん、攻撃がまだまだ甘いなあ。照準はあいまいでええから、駆動系をもうちょいアップした方がええかも」
悩む紅蘭の見守る中、大神は奇妙なステップで”おしおきくん”の攻撃を避けている。その端正な顔が、ふと真剣になった。
『ええい、仕方ない。これでもくらえっ!!』
反撃に転じる大神。カンナゆずりの霊気を乗せた拳が、”おしおきくん”に叩きつけられた。
「あ、大神はん。いい忘れとったけど、”おしおきくん”、外装は神武と同じもん使うてるから、霊力の攻撃は効かへんで?」
『……それを早く言ってくれぇっっっ!!』
赤くなった拳にふぅふぅと息を吹きかけながら、大神がわめく。その顔が、ふと気づいた様子で壁に向いた。
『それならこれでどうだっ!!』
「……あ、ちなみにその部屋、呪紋処理して霊的防御されとるから、必殺技放っても壊れへんで?」
『……っっっっっ!!』
悶絶して部屋を転がる大神だった。
『ああっ、大神さん!!』
悲痛な声が届く。紅蘭は向かいの部屋に視線を向けた。
椅子に縛りつけられた椿が、幼い表情を青ざめさせている。その小さな体が、拘束具をひきちぎるほどに前に乗り出していた。
ちらっと、紅蘭は手もとの計器に目を落とした。かすかに残念そうな顔になる。
「んー、やっぱ、霊力は上がらへんか……ん?」
ふと、その表情に小さな驚きが走った。慌てて幾つかのスイッチを操作し、表示された図形に見入る。目まぐるしく変化するパターンをしばらく凝視した後、小さく紅蘭は頷いた。
「そうか、こういうことやったんか……」
「……ちょっと、紅蘭。本当に大丈夫ですの?」
おわっ、とか、うへぇっ、とか叫びつつ跳ね回るように部屋中を逃げ回る大神の姿を見て、不安になったらしい。
すみれが顔を曇らせて紅蘭に問いかけた。その後ろで、同じく不安そうな顔のアイリスと、彼女を支えるようにして立つマリアも、じっと見つめる。
計器類に視線を固定させたまま、紅蘭は明るい表情で言った。
「だーいじょうぶやって。殺したりはせえへんから」
「こ、殺したり、ねぇ……」
「まだ”おしおきくん”は試作の段階やから、攻撃力も移動力もたいした事あらへんのや。ま、ほんまに危なくなったら、ウチが止めるさかい、黙ってみててや」
「……」
三人は顔を見合わせた。どの顔にも、不安が渦巻いていた。
「ねえ、紅蘭。やっぱりこのぐらいでやめたほうが……」
マリアが言いかけたときだった。ふいに、逃げ回っていた大神の脚がすべった。バランスを崩して倒れ込む大神に、まるでバッタのように数体の”おしおきくん”が跳び上がる。
その小さな電撃発射口が、一斉に大神に向いていた。
『うわぁぁぁぁぁっっっっ!!』
「あっ!!」
「お……」
『大神さああああんっっっ!!』
そのとき。その声が響いたとき。
誰もが目を疑った。
光が――その部屋にあふれていた。
まるで、大事な宝物を守るように、光の翼が大神を包んでいた。
柔らかく、暖かな光を放ち、ゆうるりと大きく広がった翼が、大切な人を覆っていた。
……そう。
それは、天使の羽根だった…………