ツバキ大戦<第四章>


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       (六)



 帝劇地下整備場。ひしめきあう様々な工業用蒸気機械が、激しい金属音を散らし、熱い蒸気を吐き出す。薄く煙った整備場内、純白の神武を一心に整備するおさげの少女。 常ならば彼女一人が独占していたその整備場内に、今はもう一人の人影が同様に一心に整備を続けていた。
 風杜 涼。風組の隊長。そして、神威・改の専属整備士。その左腕は、肩から下が失せている。

 だが―――

 まるでそのようなことは、些細なことなのではないか。そう思わせるほどに、風杜の整備の腕は、紅蘭でさえも刮目すべきものであった。
 その端正な口にくわえられた、小さな手巾(ハンカチ)を巻きつけた工具が、残る右手に添えられた工具とともに、見事な手際で神威の操縦席まわりを分解、整備、改造していく。 ひらめく腕が手元の操作盤を操作して、巨大な蒸気機械を操り、魔法のように口元の工具が舞う。瞬く間に神威の巨体が解体されていくのを見て、紅蘭は思わずため息をついた。

「はあ………さずがは風杜はんやな。えらいもんやで」

 その見事な手際もさることながら、紅蘭が最も驚いていたのは、神威をまるで自作機であるかのように扱う風杜の手腕であった。 神崎重工で人型蒸気および霊子甲冑の構造、特質、そして整備方法をそれこそ必死で会得した紅蘭であるだけに、基本は神武や光武と同じだが、その内部構造にかなりの差異が見られる神威を、これほどたやすく分解して整備することがどれだけ困難かはよくわかる。 だが、風杜は一切そのような困難さを見せてはいない。分解する前にあちらこちらをなでたり、内部にもぐりこんだりしただけで、全て構造が把握できた、とばかりに腕を振るい始めたのだ。 同じ整備士として、紅蘭は、自分の闘争心が刺激されるのを感じた。明るい笑顔の似合う顔をひきしめ、自分の仕事に専念し、黙々と作業を続けていたのだが。
 どうしても紅蘭は、神威の構造が気になっていた。新しいもの、その構造がよくわからないものに対する好奇心、探究心が、むくむくと頭をもたげてくる。 それを必死で押さえつけながら大神の神武へ搭載する霊子増幅器の作成と霊子力の内圧調整、そして複合型霊子加速器への霊子流出力のテストをしていたのだが………その作業が終了したところで、どうにも我慢が出来なくなって、紅蘭は風杜のところへ行った。

「な、なあ、風杜はん。………ウチにも、神威の中、見せてくれへん?」

 もどかしげに問いかける紅蘭を、風杜はちらり、と横目で見た。そして、かすかな苦笑を口元にたたえると、そっと身を起こした。くわえていた工具をそばの工具箱へと戻す。

「―――君の仕事は終わったのかい、紅蘭?」

「あ、う、うん。………あとは、最終調整のみや。ほとんど終わっとるさかい、な?」

「仕方ないね―――」

 軽い笑みを浮かべて、風杜は紅蘭を手招きした。ほとんど跳び上がるようにして操縦席へとよじ登ってくる紅蘭のために、場所をあける。 神威の内部を見た紅蘭が、かすかな驚きと感嘆の声を上げた。

「うわあ。これが神威かぁ………」

 神威の操縦席の基本構造は、神武とはほとんど異ならない。コントロール用スティックは間接操縦のためにやや斜めに配置され、左右への霊力配分のバランスを調節するためのものと蒸気圧の圧力弁に直結しているペダルが足元に並ぶ。 ただ、神武と異なり、シートはやや柔らかめで、それ自体が操縦者の全半身を包み込むように曲線を描いている。 これは、霊力を効率よく取り出すためのインタフェースとして設計されているためである。
 神武では各自の戦闘服および専用インタフェースがこれに相当しているが、神威では生身の状態で戦うことを前提として造られているらしい。 霊子水晶を繊維状に溶かして引き伸ばした特殊繊維がシートの表面を縦横に走り、包み込んだ操縦者の霊力を吸収する仕組みになっている。
 また、神武と異なり、頭部に直結するカメラは通常の光学測定型、赤外線測定型、暗視型、霊力探知型をひとつで兼用する構造で、切り替えは霊力に依っている。 さらに、本来ならば外部設置になるはずの霊子増幅器が両脇から前方に伸び、伝達経路を短くする設計になっているのが大きな特徴だった。

「これに加えて、この子には霊子核機関――最も、小型試作品だが――搭載されている。最高出力は、おそらく神武の3倍にはなるだろう」

「霊子核機関、かあ………こないなこと、あんまり他では言えんのやけど、ウチ………あれ、嫌いですわ」

 紅蘭の顔が曇るのを、風杜は優しく見つめた。その口元がかすかにほころび、同意の眼差しが紅蘭に注がれた。

「僕もね。――あれは、人の手には余るものだ」

「………」

 霊子機関と、霊子核機関。名称はほとんど異ならないが、大きな違いがこの二つにはある。
 霊子機関は、操縦者の霊力を霊子増幅器で増幅させ、霊子加速器で限界まで速度と圧力をあげ、その力で機械を動かすものである。 いわば、蒸気機関の燃料兼水蒸気として霊子を使用する機関のようなものである。
 これに対して霊子核機関は、限界まで速度をあげた霊子の核に対して、ある粒子を衝突させて核分裂を引き起こさせ、その時に発生する巨大なエネルギーをもって機械を動かすものである。
 ただ、霊子核機関には、構造として問題となる点が多い。

 第一に、霊子が核分裂した際に引き起こされる、周囲に存在する生命体からの霊力奪取。

 これは、分裂した核を復元させようとする力(霊子の復元性)が、周囲の霊力を復元のために吸い取ろうとする特質が引き起こす現象である。 霊子は粒子と同じく、同一空間に均一に広がろうとする特性がある。ある一部分で霊子が失われた場合、その穴を埋めようと他の霊子が集まってくるのである。
 これがいわゆる『霊子核機関は、霊力を奪い取る』という通説を生むことになった。

 第二に、核分裂した霊子の拡散。

 核分裂した霊子は、通常の霊子の数倍の速度とパワーで周囲にまき散らされる。 霊子は中性子と同様、物体をすり抜けるほどに小さいため、通常の装甲では、これを内部に押し止めることも、逆に防ぐこともできない。 このため、霊力を伝達、遮断するため、シルスウス鋼が霊子核機関には必要不可欠となる。
 だが、その爆発力が大きい霊子核機関ともなると、シルスウス鋼による一体成形型の霊子炉は非常に重く、かつ巨大にならざるを得ず、神武や光武のようなものに搭載するのは困難なのである。 現在帝撃が保有しているものの中で霊子核機関が搭載されているものが翔鯨丸のみであるのも、このような理由からである。

 そして第三に、霊子核分裂に伴う、霊的放射性物質の放出と、それによる周囲に存在する生命体の霊体に対する致命的なほどの悪影響、があるのだが………この時点では、まだ、精神失調ぐらいしか報告は出ていなかった。

「………それでも、霊子核炉をこれだけ小型にするなんて、技術者としては超一流やったんやな、葵叉丹は」

 嘆息して、紅蘭は神威の背面を眺めた。二基の直結型霊子加速器に挟み込まれる形で背面上部に設置された霊子核炉は、霊子加速器に比べてさえも小さい。 小型だけに出力は落ちるだろうが、それでも霊子甲冑に搭載するには十分過ぎるものであった。

「………確かに、技術力が凄いことは認めるよ」

 紅蘭の言葉に頷きつつも、風杜の表情は暗かった。

「でもね………この霊子核炉は、まだまだ完成にはほど遠い。見てみて、紅蘭。ここに、シルスウス鋼と通常の装甲との間にわずかなすき間ができている。 補強はもちろんしなくちゃいけないけど、何度も使用できるほどにしっかりとは造られていない。あと八回―――いや、五回ぐらいの行動が、限度だ」

「五回―――」紅蘭の顔もまた、暗くなった。「神代はんには、あんまり無理させられへんな」

「―――いや、五回あれば、十分だ」

 ふいに聞こえてきた声に、紅蘭と風杜は、同時に振り向いた。整備場の入り口、かすかに廊下から漏れ出る光の中に佇む、大柄な男の姿。 金赤色の髪をかきあげ、ふてぶてしい笑みを浮かべて、神代は言葉を続けた。

「それに、七宝聖剣の霊力で補強すれば、霊子核炉の耐性は飛躍的にアップするはずだ」

「それはそうだが………」答えたのは、風杜だった。もの柔らかな口調で、年下の神代に告げる。 「それでも、十回ももたない。この先何回出撃があるか分からないのに―――」

「そのときはそのときだ。それに、ここでどうこう言っていても、状況がよくなるわけじゃあねえだろう? ―――なら、今できることをしようじゃねえか。とりあえず、神威の改造を再開してくれ」

「………」軽くため息をついて、風杜は頷いた。「わかった。あなたがそういうなら、そうしよう」

「そうしてくれ。それも、できるだけ早く、な」

 神代の声が、真剣味を帯びた。その深い海の碧色の瞳が、鋭く風杜に向けられた。

「どうも、風がうるさい。………あんまり悠長なこと、してられないんだ」

「わかった。三時間待ってほしい。それだけあれば、神威を完成させられる」

 そう言うや、風杜は身を翻した。片手で器用に神威によじ登り、紅蘭と話し込む以前よりもさらに手際よく作業を始めた。
 ややぼうっとなって紅蘭はその様子を眺めた。小首を傾げ、紅蘭は整備場の入り口にいる神代へと駆け寄った。

「ち、ちょいと、神代はん! なにかあるんか?」

「どうも、よくねえ気がするんだ」神代の顔がかすかに顰められた。碧の瞳が薄墨色の円らな瞳を見返した。 「紅蘭ちゃん。大神の神武は、もう出来上がっているのか?」

「それはばっちしや! 最終調整が残っとるけど、その気になれば数分で仕上げたるさかい」

 軽く笑みを浮かべて紅蘭が断言する。神代の顔に、微笑が浮かんだ。軽く彼女の肩を叩き、神代は整備場に背を向けた。

「お願いする、紅蘭ちゃん。できるだけ早く、仕上げてくれ」

「わかったで。まかしとき」

 元気良く、紅蘭は請け合った。そして、神代の背中が地下整備場から地下一階へ昇る階段へと消えていくのを確かめて、華奢な体を翻した。 二、三歩、歩いて、ふと、紅蘭は眉を寄せた。不思議そうな呟きが、小さな唇から漏れた。

「それにしても―――風がうるさい、って、なんのことやろ?」



 帝都東京、麹町區。三宅坂のふもと、内堀通りに面する場所に、帝国陸軍省がある。 日本本土を守る陸軍の総括たる存在であり、帝都を守る各師団を統括する、要となる存在だった。 そしてまた、先月から再び跋扈し始めた魔物に対する、(公的には)唯一の防衛組織でもあった。
 その巨大な門には常に衛兵が詰め、近隣には常に一個連隊が詰めている。 そして、先月からの魔物騒ぎにより、陸軍省に属する部隊は、常時内堀通りを巡回するようになっていた。
 その一部隊、内堀通りを反時計回りに巡回していた部隊の隊長は、英國大使館を過ぎ、左手に壮大な陸軍省の建物を認めたところで、ほっとかすかに安堵の吐息をついた。 肩にかけた小銃を抱え直し、部下たちを一瞥する。そのこわい顎髭の生えた顔が、かすかに笑みを浮かべた。

「さあ、もうすぐだ。第二八部隊に巡回を引き継げば、今日は解散できるぞ」

「はいっ!」

 ほっ、と、安堵とともに、元気のよい声が返ってくる。
 先の魔物に対し、陸軍に属する部隊もまた、迎撃に立ち上がった。この部隊もまた、魔物の徘徊し始めた有楽町から新橋のあたりで、気味の悪い魔物と遭遇し、一戦を交えたのだった。 だが、数十人の兵士が群がってさえ、たった一匹の魔物には歯が立たなかった。 腕や足をはじめとして、頭や、下半身を食いちぎられる仲間たちを見て恐慌を来した彼らは、もはや逃げるしかすべはないことを悟った。
 魔物相手に、通常の武器は通用しない。その、当たり前とも言うべき事柄を、身をもって経験してしまったのである。
 しかし、皇居には太正天皇がおわす。その住まいたる場所を守るためには、巡回を欠かせることはできない。たとえ、魔物に遭ったが最後、抵抗もむなしく自分たちの命を失うだろうことが分かっていても。
 そして、各部隊の隊長はみな、魔物に遭わないよう心に念じながら、巡回するのが常だったのである。
 この部隊の隊長も、そんな一人だった。
 銃で倒せる相手ならば、恐くはない。だが、相手が魔物であったなら、銃などものの役には立たないのである。
 無駄に命は散らしたくない。それは、誰もが思っていることであった。
 だからこそ、巡回の終わりを知らせる陸軍省の建物が見えたとき、思わず安堵感に部隊全体が包まれたのは、無理もなかった。 それまで張り巡らされていた神経が、ふと、ゆるんだのも、無理もないことだった。
 だが、それが彼らを、永遠の巡回へと落としこんだ。
 月のない闇夜。蒸気ランプの照らす、大通り。そこに不吉な影が落ちたことに、果たして何人の兵士が気づいただろうか。
 ドサリ。
 奇妙に重い音が、隊長の耳に届いた。不審げに振り返った隊長の目に映ったのは、赤黒く汚い、造魔のあぎとだった。悲鳴を放ついとまもなく、隊長の上半身が造魔の口中へと消えうせた。 がぼり、ぼぎり、と骨をかみ砕く音と共に、大量の血が、造魔の口元から大通りへとなだれ落ちていった。
 瞬く間に、数人の隊員で構成された巡回の部隊は、五匹ほどの造魔によって文字通り平らげられた。ばさり、ばさり、と、蝙蝠のような骨ばった翼が動く。

「ククク………」

 気味の悪い声が、夜の通りに流れた。聞くだけで不快感をもたらすような声。魔風の声だった。

「さあて、どれだけ楽しませてくれるかな、帝国華撃團よ?」

 いやらしい笑い声とともに、風が渦巻いた。その風は、通りをかけ過ぎ、英國大使館と陸軍省との間に建てられた建物の中へと消えていった。 白い壁、無機的な四角い建物。
 その門柱には、第一権戌病院、とあった。



「………三宅坂下、第一権戌病院付近に、魔物が現れた」

 作戦室に集った帝国華撃團花組のメンバーを見回して、固い顔つきで米田は言った。

「現在陸軍省に詰めていた部隊が応戦しているが、事態は一刻を争う。すぐに向かってくれ」

「長官、魔物の数と、その配置については?」

 大神が問うと、米田は白い眉を顰めて、首を振った。

「夜間戦闘だ。報告が整合性を欠いている。………とりあえず、十体以上であることは確実だが、どこにどのくらい集まっているのかもわからん。 だが―――他の場所からの報告がない所から、現在は三宅坂近辺に集中しているようだ」

「了解しました! 帝国華撃團花組、ただちに現場に向かいます!」

 敬礼し、立ち去ろうとした大神の視線が、一瞬紅蘭をとらえる。かすかに問いかける視線に、おさげの少女は笑顔で答えた。

「大丈夫や、大神はん。大神はんの神武は、ばっちり仕上がってまっせ!」

「助かった。ありがとう、紅蘭!!」

 端正な顔に、暖かな微笑が広がる。嬉しそうに、紅蘭は頬を赤くした。
 だが―――

「―――なんだってっ!? 神威が出せないってのかっ!?」

 切迫したような声が、大神の耳に届いた。眉を寄せて、大神は声の主を振り返った。そこには、風杜の襟元をつかみ、険しい表情で詰め寄っている神代の姿があった。

「――あれからまだ二時間半しかたっていない」神代と対照的に、風杜の声は落ち着いていた。青みがかった瞳が激しい碧色の視線を平然と受け止める。 「あと30分。それだけあれば、確実に出せる」

「………どうしても、それ以上短くならねえのか?」

「ぎりぎりの線に近い。だが、もし時間がもらえるなら、できるだけ短くできるよう努力しよう」

「………わかった」つかんでいた襟元を放し、神代は背を向けた。「翔鯨丸の中で、調整してくれ。済み次第、出撃する」

「了解」

 涼やかに答え、風杜は身を翻して作戦室を出ていく。それを無念そうに見送った神代に、大神は声をかけた。

「神代。風杜隊長を責めるのはよせ。彼も立派に役目を果たしているんだ」

「わかっているさ、それぐらい」眉を寄せ、軽く自嘲しながら、神代は答えた。そして、一つため息をついて、大神へと向いた。その碧色の瞳が真剣な光を浮かべた。 「すまない、大神。お前の役に立てなくて」

「大丈夫だ、お前がいなくても、勝って見せるさ」

 軽く笑って、大神はぐるりと花組の少女たちを見回した。そして、張りのある声で、出撃を告げた。

「帝国華撃團、花組。出動!!」

「「「「「「はいっ!!」」」」」」

 少女たちの声が綺麗に唱和した。



「―――敵の配置が分かった」

 翔鯨丸のブリッジ。
 大神は花組の少女たちと神代、椿を眺め回して、淡々とした口調で説明した。

「敵は三十匹ほどが、第一権戌病院の敷地に散らばっている。だが、平河町、山元町近辺にも幾匹か突出しているものがいるらしい。 陸軍はどうやら三宅坂まで戦線を後退させたみたいだが、それによって魔物が突出している様子ではなさそうだ。
 敵はどうやら、病院の敷地内で戦いたいらしい」

「病院、ですか―――」不安そうな様子で、さくらが問いかけた。「あの、患者さんとか、お医者さまは?」

「………確認されていない」

 沈黙が、ブリッジ内に落ちた。いらだたしげに、カンナが掌に拳を叩き付けた。

「くっそう、許せねえっ! あたいがぶっとばしてやるっ!!」

「落ち着け、カンナ」鋭く大神が叱咤した。 「いいか。最終的な目的は、敵のせん滅にある。だが、近隣の市民の避難のための魔物の足止め、および病院内の生存者の確認、救出が先決だ。順番を間違えるな」

「わかってるよ、隊長!」

 張りのある大きな声でカンナが答えるのを、紫色の戦闘服の少女が胡乱げな視線で見やった。

「………本当にお分かりになっていればよろしいのですけど」

「あんだと、すみれっ!?」

 眦をあげてくってかかろうとしたカンナだったが、冷静な声が、彼女の拳を止めさせた。

「やめなさい、カンナ。出撃前よ」

「けどよ、マリア……」

 不服そうに、カンナはマリアへと向いた。その紫色の瞳が、もの言いたげにきらめく。
 だが。カンナの顔に、不審そうな表情がひらめいた。かすかに眉を寄せ、カンナはマリアを見やった。

「……どうしたんだ、マリア?」

「……何が?」

 翡翠色の瞳が、カンナへと向けられる。整った麗貌。硬質の瞳。小さな紅色の唇。ふりかかる旭日のような淡やかな金色の髪。 漆黒の戦闘服を着込み凛然と立つ姿は、いつにも増して麗しい。
 だが―――その貌に彩られるのは、冷ややか過ぎるほど冷ややかな表情。優美な曲線を描く金色の眉の下に輝く瞳が映すのは、氷の鎗のように鋭く、どこか痛ましげな輝き。 普段の彼女からは考えられないほどに、何か、思い詰めたような気配を、カンナは敏感に感じ取っていた。

「何か、マリア――おかしいぜ?」

「そう? 私はいつも通りよ?」

 かすかに、その唇に微笑がたたえられる。だが、全体の雰囲気は変わらない。殺伐とした、どこか危ういものがあった。 だが、さらに追及しようとしたカンナを、大神の声がやめさせた。

「カンナ、マリア。作戦指示を出す。聞いてくれ」

「あ、わかった、ごめん、隊長」「……はい!」

 背筋を伸ばすカンナと、それまで通りの凛然とした姿勢のままのマリアを交互に見比べ、大神はかすかに眉を寄せた。 マリアの異変と、カンナの心配が、大神にも漠然とながらわかったのである。だが、そのようなことは口を出さず、大神は淡々と作戦を説明した。

「近隣の市民の避難を最優先するため、部隊を二つに分ける。第一部隊はマリア、カンナ、さくらくん。第二部隊は俺、すみれくん、紅蘭。 マリアたち第一部隊は病院の南、平河天満宮に降り立ち、病院裏手から魔物を追い立てる。俺たち第二部隊は、病院正門から突入。はさみうちの形で、敵をせん滅する。 このとき、アイリスには、病院内の生存者の確認と救出を行ってほしい。瞬間移動ができる君にしかできないんだ、やってくれるね?」

「もっちろん!」

 無邪気な笑顔で、アイリスは頷いた。大好きなお兄ちゃんに信頼されていることがよほど嬉しいらしい。きらきらと蒼い瞳を輝かせている。
 軽く微笑を返して、大神は神代を向いた。

「神代は、神威の完成と同時に出撃。どちらの部隊に合流するか、あるいは単独で突入するかの判断は任せる」

「ああ。そのほうがいいな」神代はかすかに笑みを浮かべて答えた。先ほどの焦燥も、今は落ち着いたらしい。いつものふてぶてしい顔つきで軽く頷いた。 「俺はとやかく命令されるのが嫌いだからな。それに、戦場は常に変化している。下手に決められると、身動き取れないこともあるしな」

「そうだな」

「………あの、大神さん。私は、どうしたらいいですか?」

 頷いた大神に、ためらいがちにかけられた声があった。椿であった。風組の制服を着込み、かすかに不安の表情を浮かべて立っている。

「椿くんは、翔鯨丸で待機だ」

 端的に答えた大神だったが、ふと思いついた様子で椿へと問いかけた。

「………なあ、椿くん。この前のように、力を使うことはできるかい?」

「あ、あれからまだ、試してません。ごめんなさい」しょぼん、とした顔で、椿は答えた。「できるかどうか、まだ、私、自信なくて………」

「機会があったら、この戦闘中に試してみてくれ」大神は優しい眼差しで、椿を見た。 「いざ、というときに君の力があるとないとじゃあ、全く違う。君が自由に力を使えるようになれば、かなり有利になる。 是非とも今度の戦闘で、力の出しかたと制御のしかたを覚えて欲しいんだ。できるか?」

「や、やってみます………」

 こくん、と、椿は頷いた。その幼い顔にはまだまだ不安が色濃く出ている。だがそれでも決意に溢れた表情で頷く椿を大神は優しい微笑を浮かべて見つめ、信頼の籠った声で言った。

「頼む、椿くん」

「は、はいっ!!」

 かすかに朱を散らせた顔で、椿は元気良く答えた。
 大好きな人が、信頼を寄せてくれる。優しいまなざし、暖かな気遣いを寄せてくれる。胸の中に渦巻いていた不安が、たちまちのうちに消え去っていくのを椿は感じた。 そしてそのかわりに広がる、暖かな想い。幸せな、想い。心を疼かせ、蕩かすような、満ち足りた想い。
 うっとりと瞼を閉じ、椿はぎゅっと自分の胸の前で祈るように両手を組んだ。そばかすの散る小さな顔に、天使のような清らかな微笑が広がった。
 再び瞳を開いたとき、そこにいたのはかつての椿ではなかった。輝くような美しい光を放つ、天使の少女であった。純真で清純、そしてなによりも、見るものを魅了するような、美しくも澄んだ、光の天使。

「やってみます、大神さん!」

「………あ、ああ」

 ぼうっとした顔をしていた大神は、椿の声にはっ、と我に返った。思わず椿の微笑に見惚れていたのである。それほどに強く美しい輝きを放つ微笑を、彼女は浮かべていたのであった。
 見るものを魅了せずにはおかないほどの美しい輝き。
 それは、大神だけではなく、他の少女たちをも魅了していた。本来ならばそんな大神の様子を見逃すはずのないさくらでさえも、一時心を奪われ、大神に対するチェックを怠ったほどである。 はっと気づいて持ち前の嫉妬心がむくむくとふくれだす。眉をぎゅっと寄せ、ふくれっ面で大神に近づこうとする。
 だが、一瞬遅かった。再び真剣な顔になって、大神が花組の少女たちを見回したのである。その端正な面ざし、きりり、とした男らしい眉、深みを帯びた黒く暖かな眼差し。 そんな大神の顔に、さくらは滅茶苦茶弱かった。思わずその男らしい顔に見惚れて、追及の言葉を失ってしまった。

「では、椿くんは翔鯨丸で待機。俺たちの後方支援として、可能な限り力を試用してくれ」

 恐るべき事態を知らずに回避できたことに全く気づくこともなく、大神はしっかりとした声を発した。 そして、ぐるりと花組の少女たちを見回して、確認する。

「他に、何か意見があるものはいないかい? いなければ、全員神武に搭乗、出撃あるまで待機するが」

「―――ひとつ提案があります」

 静かに答えた声があった。大神の視線が、発言者に向けられる。切れ長の瞳がかすかに細まった。

「なんだい、マリア?」

 問いかける大神の視線を真正面から受け止めて、マリアは冷静な口調で答えた。

「私を第一部隊からはずし、第二部隊に加えてください」

「―――理由を聞きたい」

「はい」背筋を伸ばし、凛然とした様子でマリアは淡々と説明した。 「第一部隊、魔物を追い立てる役目として、私は不適合です。機動力よりも攻撃力が優っており、また移動しながらの攻撃には不向きです。命中率が下がりますので。 むしろ紅蘭のほうが、敵を追い立てる役目としては適合していると考えます」

「一理あるな」大神も頷いた。かすかに切れ長の瞳に迷いが見えた。「第一部隊の指揮をマリアに任せるつもりで配置したんだが………俺が指揮を取ったほうがよかったか?」

「それは駄目です!」強い否定が、麗しい唇からほとばしった。「隊長には、全体を把握してもらうために、第二部隊にいてもらわなければなりませんっ!」

「だが………では、第一部隊の指揮を、誰に任せればいい?」

「それは………」

 マリアの麗貌に迷いが現れる。かすかに顔を曇らせ、躊躇うようにマリアは神代を見た。翡翠色の瞳が、何かを訴えかけるようにきらめいた。 かすかに苦笑して、神代が口を開いた。

「大神。俺が第一部隊の指揮をとる」

「神代―――だが、お前の神威が、まだ………」

 躊躇いを見せる大神に、神代は陽気な口調で答えた。海の碧色の瞳が明るく輝いた。

「心配ねえよ。第一部隊の相手する魔物は、少数だ。聖剣があれば、神威を完成させて降ろすぐらいの時間は、生身でも戦えるぜ?」

「いくらなんでも、無茶過ぎるぞ、それは?」

「―――隊長。あたいが神代を守る、ってことで、どうかな?」

 意外なところから声がかかり、大神は驚きに瞳を丸くした。黒い瞳が、陽気な紫水晶色の瞳の少女に向けられた。

「カンナ?」

 親友の言葉に、マリアも翡翠色の瞳を丸くする。そんな二人を見比べて、照れたように苦笑を浮かべたカンナは、ぽりぽりと頭を掻いた。

「あたいの神武なら、装甲も厚いし、いざとなりゃあ強行突破だってできるし、さ。どうだい?」

「俺からも頼む、大神」

 二対の視線を向けられて、それでも大神はわずかに迷うような表情を見せた。だが、結局大神は頷いた。黒い瞳がカンナと神代を交互に見た。

「―――わかった。第一部隊は神代に任せる。カンナ、神代の世話を頼む」

「まかせとけって!」

 どん、と胸を叩いて、カンナは明るい笑みを浮かべた。神代もかすかに苦笑を浮かべ、カンナを見た。

「大神の言い方は気に食わねえが―――まあ、よろしく頼むわ、カンナちゃん」

「ああ」

「では、第一部隊を神代、カンナ、紅蘭、さくらくん、第二部隊を、俺、マリア、すみれくんで行く」

「………あ、ちょっと、大神!」確認する大神の言葉を、今度は神代がさえぎった。 「第一部隊からさくらちゃんを第二部隊に移動してくれ。そっちの陣営が薄すぎるからな。支え切れない場合が出てくるかもしれねえ」

「………確かにそうだな」大神は頷いた。「よし、さくらくんは第二部隊に入る。神代、カンナと紅蘭を頼むぞ?」

「了解した」

 不敵な表情で神代が頷く。大神もかすかに微笑を浮かべた。そして再度少女たちを見回した。

「後は、意見のあるものはいないか?―――では、出撃準備にかかる!」

「はいっ!」

 少女たちの声が唱和する。三々五々、ブリッジを出ていく少女たち。そのうちの一人が、静かに、同じように格納庫へと向かう神代の傍らへ近づいた。マリアであった。

「………すみません。神代さん。役目を押しつけてしまって」

「いや、構わねえよ」申し訳なさそうに囁くような声に、神代は軽く苦笑を浮かべて呟くように答えた。 「けど、そんなにマリアちゃ……マリアは、大神をじかに守りたいのかい?」

「………」

 麗貌にかすかに朱が散る。だが、同時にその翡翠色の瞳に浮かぶものに、神代はわずかに眉をひそめた。碧色の瞳が真剣なものをたたえてマリアに向けられた。

「訳あり、ってやつかい、マリア?」

「ええ、まあ………え? カ、カンナ?」

 ふいに聞こえた声が神代のものと異なることに気づいて、マリアは慌てたように傍らを向いた。陽気な紫水晶の瞳が見返してくる。 親友の気遣うような表情に答えて、マリアは頷いた。

「カンナもごめんなさい。私のわがままにつき合わせちゃって」

「いいって、構わねえよ」カンナは陽気に笑った。「あたいん時も、マリアには迷惑かけちまったもんな。お互い様だぜ」

「………ありがとう、カンナ」

 感謝の微笑が、麗しい唇にひらめいた。硬質の翡翠色の瞳がかすかに潤んだが、マリアはそっと首を振り、一度瞳を閉じて、想いを心の奥へと押し戻す。
 ふと、肩に何かが置かれた気配がした。不審そうにマリアは傍らを見上げる。翡翠色の瞳が、金赤色の髪の青年の顔に注がれた。

「神代さん………」

「マリア。大神を頼む」軽い口調。不敵な眼差し。だが、どこか真剣なものが神代の顔に宿っていた。「あいつに無茶をさせるな。頼んだぜ?」

「………わかってます、もちろん」マリアの麗貌にも真剣な表情が広がった。固い顔つきで、マリアは頷いた。「私の命に代えても、隊長は守り通します」

「それは駄目だぜ、マリア」眉を寄せ、強い視線をマリアに向け、真剣な表情で神代は首を振った。 「これだけの美人がいなくなるなんて、もったいない。それこそ世界にとって大きな損失、ってもんだぜ?」

「―――神代、さん!」

 翡翠色の瞳にかすかに怒りがひらめいた。マリアの肩から手をはずし、軽い笑い声をあげて神代は背を向けた。陽気に左手をひらひらと振ってみせる。

「一応断っておくけど、嘘じゃあねぇぜ? 貴女がいなくなったら、大神だって悲しむだろう。 あいつのためにも、貴女には命を捨てて欲しくはねえ。だから、”命に代えても”なんて馬鹿な考えはよすんだな!」

「………」

 無言でマリアは神代を見送った。不快げな表情が麗貌に宿る。だが、それでも神代の言葉に含まれた意味に、気づかない彼女ではなかった。 かすかな呟きが、その唇から漏れた。

「ありがとう、神代さん………でも、私は………」

 その脳裏に浮かぶのは、あざやかな金色の髪とバルト海のような青い瞳の女性の姿。そしてその、音楽的ではあるが感情のうかがえない、美声の告げた言葉。

(あなたのかわりに、誇り高き戦士の魂を―――あなたの選んだ、戦士の魂を、導いてあげる………)

(………そんなことは、させないわ、リンデ。私は隊長を守って見せる)

 決意と共に、マリアはくっと顎をあげた。翡翠色の瞳が、強い光を帯びた。

「――さあ、行くわよ、カンナ」

「あ、ああ」

 気遣わしげに向けられる親友の視線を感じつつも、マリアは強い口調で言い、歩き出した。慌ててついてくるカンナにも構わず、マリアはまるですぐそばに敵がいるかのような鋭い視線を前方に向けていた。

(絶対に守って見せる。私の、隊長を―――)

(私の、大神さんを―――!!)




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