<その2>



‥‥トントン‥‥トントン‥‥



『‥‥ん‥‥あ‥‥なんだ?』

「大神はん‥‥起きてはる?」

「‥‥ああ‥‥紅蘭かい?‥‥ちょっと待って‥‥」

寝付けなかった大神は、いつもより遅く起床した。

朝8時を少し回ったところ。

紅蘭によって起こされた感はあるが、それでも素早く身支度を済ませると、ドア

を開けて紅蘭を招きいれた。

「すんまへん、朝から‥‥大神はん、昨日えらい調子悪そうやったから‥‥なん

や気になってもうて‥‥」

「ちょっと頭が痛くなっただけなんだよ。もうすっかりよくなった」

頭痛は治っていたが、頭が重い感覚がまだ残っている。

不快感はない。



昨夜は頭痛に悩まされながらも、鞭打って見回りを行った。

二階から一階、地下へと、下っていく毎に頭痛はひどくなっていった。

そして地下格納庫に入った瞬間、大神の身体に変化が起こった。

‥‥身体から‥‥何か‥‥

激痛が襲った。

頭が割れそうだった。

兄さん‥‥

目の前に火花が散ったように見えた。

昔‥‥母さんと‥‥そして兄さんと一緒に見た花火‥‥

母さんが笑っていた。

兄さんは‥‥寂しそうな横顔をしていた。

僕を見て‥‥微笑んだ‥‥

兄さん‥‥

戻りたい、あの頃に‥‥

そして痛みは消えた。

身体が浮くような錯覚があった。

そして‥‥



「‥‥大神はん?」

「ん?‥‥あ、ああ‥‥」

「ほんまに大丈夫なんか?‥‥なんや打ち上げん時もそんなんやったし‥‥う

ち、痛み止めの藥ならすぐ持って来れるで‥‥」

「ありがとう紅蘭、平気だよ‥‥すまないな、心配かけて」

大神は自分を心配そうに見つめる紅蘭を、真正面から見つめ返した。

「そ、そんな、うちは‥‥」

紅蘭は頬を朱に染めて所在なげにうつ向いた。

昨晩もそうしたことが予兆を産み出した。

あの不可解な感覚。

だが何も変調は起きなかった。

頭痛が再発するでもない。

『気のせいか‥‥』

霊力が枯渇した感覚はない。意識を集中すると、花組の少女たちの気配を察知す

ることもできる。腹の下に溜まった膨大な力をうまく回すことができない、そん

な感じだった。

『‥‥よくわからないが‥‥紅蘭が‥‥引き金になっていると思ったんだが‥‥

違うのか‥‥』

紅蘭はずっとうつ向いたまま、手をもじもじさせていた。

なにか、いつもの紅蘭と違う気もした。

『やはり何か別のきっかけがいるのか‥‥』

ふとあの妖艶な笑みが浮かんだ。

甘い香り‥‥柔らかな肌‥‥

『暁蓮さん‥‥やっぱり、関係してんのかなあ‥‥』

「そ、そや、大神はん」

「う、うん?」

「あの懐中時計な、修理するのもう少し時間もらえまへん?」

「結構複雑なのかな?」

「ううん、そうやない。部品が特殊なのがあるんよ。それと‥‥」

「?」

「‥‥少しばかり確かめたいことがあってな」

「‥‥‥‥」

「‥‥ひとつ聞いてもええ?」

「なんだい?」

「あれ‥‥どこで手に入れたん?」

「兄からあずかったものなんだ」

「あの写真に写っとった人やね、大神はんによう似とる」

「‥‥‥‥」

「‥‥どこで買うたんやろな」

「中国に渡航した折りに譲り受けたらしいよ。もう10年も前のことだけど」

「‥‥!」

「今迄机の引き出しにしまっていたんだけど、昨日になって思い出して‥‥」

「お兄さんは今どこにおるん?」

「‥‥わからない」

「え?」

「9年ほど前からかな、行方がわからないんだ‥‥その時計もその時に止ったま

ま‥‥」



‥‥一郎に持っていてもらったほうがいいような気がしてね‥‥

兄の優しい笑顔が、あのときのまま脳裏に浮かんだ。

『‥‥よそう、考えるのは』

人の夢と書いて儚いと読む。

自分の子供のころの夢はまさにそうだった。

父がいて、母がいて、そして兄がいて‥‥ありきたりの夢。

それを今更掘り起こすことなど、空しいだけ‥‥

今は、もっと大事なことが‥‥やるべきことがあった。

降魔を凌ぐ‥‥あれ以上の敵が、これから先現れない保証なんてどこにもない。

ただ単に感情的になって、花組隊長に残留したわけではない。

事実、花組の出動を必要とはしないものの、降魔は断続的に出現していた。根元

ともいうべき魔界の長を駆逐したにも関らず。

それに‥‥あやめはもういない。

守護天使はあのときに‥‥帰っていった。

自分に潜在するあの力を‥‥制御できるようになれれば‥‥





昨夜の大神の変調は夜半の見回り‥‥

それは地下格納庫に至って、頂点を迎えた。

頭痛の消失とともに発生した身体の浮遊感覚。

同時に自分の身体から何かが吹き出してくるのがわかった。

恐ろしく巨大な何かが腹の底の、さらにその奥底から沸き上がってきた。

ただ単に霊力と称するだけでは済まないような気がした。

止める術など知るはずもなかった。

 『‥‥な、なんだ‥‥これは‥‥』

自分の身体に青白い稲妻が奔った。

それは霊視でなくとも、はっきりと稲妻と認識できるほどだった。

緊急照明の赤いランプが点る。

高負荷霊力そして妖気を検知した時に、霊子力レーダーから連動する。

だが‥‥どういう訳か警報は鳴らない。

大神は携帯型霊子力追跡機に目を移した。

まさか‥‥敵か‥‥

『違う‥‥こ、これは‥‥お、俺の力なのか‥‥』

自分が動く度に、レーダーの映し出す輝点も移動する。

戦闘時の霊力とは、少し違うような気もした。

だが、数値が示す事実は‥‥霊力を蓄積して放つ必殺技、その10倍以上。

攻撃時の瞬間値ではなく、定常状態の値であることは、さらに驚異だった。

霊子力レーダーの数値上昇は止まることを知らなかった。

正義降臨‥‥帝撃花組の最終奥義‥‥それをも超える勢いだった。

蒸気音で大神は我に還った。

自分の愛機である純白の神武が、まるで命を与えられたかのように火が入ってい

る。

「だ、だれだ!?」

返事はない。

だれもいなかった。

自分以外は。

大神には何が起こっているのか、まるで理解できなかった。

自らの身体、その奥底から噴き上がる、巨大な霊力の奔流‥‥それは空間を伝搬

し、神武の霊子力機関に起動を促した。

大神の意思によらず、その力は霊子反応基盤に起動の命令を上書きした。

注入される巨大な霊力は、すぐに霊子甲冑の蓄積限界に達した。

卯型‥‥つまり神武の霊子力機関部が有する、大容量のプールすら満水になり‥

‥いよいよ、過剰霊力を外部に放出し始めた。

青白い稲妻が7体の霊子甲冑を結ぶ。

自分の身体が輝いているのが霊視でなくともはっきりとわかった。

前代未聞の自らの霊力の大きさに、質の高さに大神は戦慄した。

「こ、これは‥‥これは、いったい‥‥な、何なんだ‥‥」

自分の‥‥命と、引き替えに‥‥霊力が、放出されて、いるのでは‥‥

俺は‥‥死ぬ、のか‥‥

大神は刹那、恐怖した。

訳がわからない。

どうすれば‥‥止められる?

純白の神武は、まるで生きているかのように自分の元へ動き始めた。

身体の変調は、霊力の増大に肉体がついていけない、その現れだったのか‥‥

全ての機体を起動させた後、霊力は平衡状態になり、噴出は停止した。

身体が再び浮くような感覚になった。

気が遠くなる‥‥

だれかが呼んでるような‥‥気がする‥‥

‥‥少尉‥‥少、尉‥‥

すみれ‥‥くん‥‥

大神は気を失った。





『あの力が制御できるようになれば‥‥』

そうすれば、もう、あんなことは‥‥

『もう‥‥あんな思いは‥‥たくさんだ‥‥』

大神は一年前の大戦の終焉を思いだしていた。

復活した聖魔城での最期の決戦‥‥

カンナ、すみれ、目の前にいる紅蘭、マリア、アイリス‥‥

霊子砲の封印のために犠牲になった。

次々と身を呈して。

それを止められない‥‥自分。

たどりついのは、俺とさくらくんだけ。

だが、さくらくんも、あやめさんに‥‥

そして‥‥俺自ら、あやめさんを‥‥

大神は唇を噛みしめた。

ああやめさんは復活した‥‥

あやめさんは天使だった‥‥

そして、花組も‥‥復活した。

今こうして平和に暮らしていけるのも‥‥彼女の力によるものだ。

だからいい、というものではなかった。

あやめさんは‥‥もういない。

これ以上はもう何も失いたくない。

この平穏を脅かす物が現れたら‥‥

自分で倒すしかない。

俺が‥‥



「‥‥大神はん」

「‥‥‥‥」

「なあ、大神はん‥‥あんまり焦らんほうが、ええちゃうんかな‥‥」

「え?」

「うち、そうすることにしたんや。昨日からな‥‥」

「‥‥‥‥」

「あの時計、たぶん直せると思う‥‥いや、うちが必ず直してみせる‥‥そした

らきっと、うちは‥‥それに、大神はんも‥‥」

「?‥‥紅蘭?」

「あ、あははは、心配せんかて大丈夫やて!」

いつもの紅蘭の笑顔だった。

「うちにまかしときっ」

そう言い残して紅蘭は大神の部屋を出ていこうとした。

ドアノブに手をかけて、ちらっと大神を横目で見た。

「大神はん‥‥」

「うん?」

「‥‥神武動かしたの、大神はんやろ」

「!!」

「あせったら‥‥あせったら、あかんで」

紅蘭は微笑みを残して、部屋を出ていった。

大神は茫然と立ち尽くしていた。

「東京、自由の都〜♪‥‥それが、とう〜きょう〜‥‥」

廊下から聞こえる紅蘭の歌声に、大神は少しだけ重荷が減った気がした。

そして口元に自然と笑みが浮かんでいた。

‥‥きっと役にたつ時がくるよ‥‥それに‥‥

大神は兄の最期に言った言葉を‥‥

忘れていた、いや、意味がわからなかった、その言葉を思いだした。

‥‥それに、お前には仲間がいる、大切な仲間が‥‥その時のために‥‥







「なんかおかしいと思いませんこと」

「なにが」

「昨夜の少尉と紅蘭のことですわよっ」

「‥‥紅蘭が隊長のこと、好きだってことだろ」

「カンナさんと話すのは時間の無駄のようですわね」

「‥‥‥‥」

「確かに、なんか少し変でしたね‥‥それに‥‥」

「それに‥‥なんですの」

「なんか‥‥マリアさんも‥‥」

「ん〜っ、もうっ。少尉ったら、わたくしというものがありながら‥‥このやり

場のない憤り、どこにぶつけたらよろしくってっっ!!」

「落ち着けよ、すみれ」

「ああっ、アイリスっ、またわたくしのティーカップを勝手に使って!」

「アイリス、これ気に入ったんだもん‥‥すみれの顔‥‥こわいよ」

「な、なんですってぇ」

「す、すみれさん、落ち着いて‥‥」

「まったく、いつものお前らしくな‥‥」

「はあ、はあ、こ、こうなったら、容疑者に直接聞いてみるしかありませんわ‥

‥」

「‥‥あたいの言うことなんか聞いちゃいねえな」

「待ってください、すみれさん」

すみれ、さくら、カンナ、アイリスがサロンでの休日の朝を楽しんでいた‥‥よ

うに見えた。

だが、さくらとすみれ、特にすみれの表情は、そんな朝の清清しさとは対照的に

だった。

大神のことを、そして‥‥紅蘭と大神の間に見え隠れした何かを思って、すみれ

はひどく苛立った。

さくらの言ったようにマリアのことも気にかかるが‥‥紅蘭だ。

それに‥‥昨夜のあれは‥‥普通じゃない‥‥何があったの‥‥

すみれは殆ど寝ていなかった。

「カンナぁ、すみれとさくら、行っちゃったよ」

「‥‥‥‥」

「‥‥お兄ちゃんとこ‥‥もう行ってもいいのかな」

アイリスの目はカンナの同意を求めていた。

カンナは‥‥サロンのドアを見ていた。昨日の夜起こった‥‥その場所を。





‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥





「あら‥‥懐中時計ですわね、どなたのかしら」

昨夜のサロン、カンナとさくらを向こうに廻したいつもの口喧嘩も収束し‥‥何

げなくソファに目を移すとそれはあった。

鈍く光る銀色の懐中時計‥‥随分古い。

「どれどれ‥‥」

「そこ、大神さんが座ってましたよね」

「ふーん、隊長、こんなの持ってたのか」

カンナが手にしようとすると、すかさず、すみれが奪いとった。

「お、おい」

「こんな古ぼけた時計、少尉にはふさわしくありませんわね‥‥そうですわ、わ

たくしのものと取り替えて‥‥」

すみれはそう言って時計を握り締めたまま、自分の胸に押し当てた。

大神の手が触れているような、そんな気がしてすみれは胸が熱くなった。

「おい、ちょっとよく見せてくれよ」

「あなたの視線を浴びたのでは、時計が止ってしまいますわ、カンナさん」

「な、なんだと、コラ‥‥」

「アイリスも見たーい」

すみれの手の中から時計が消え、そしてアイリスの手元にそれは突如出現した。



先の大戦、そしてこの一年でアイリスの持つ力は格段に成長した。

霊的能力に付随する超感覚的知覚。

物理的な効力を持つ念動力と物質透過能力は、意思によって完全に制御できるよ

うになった。瞬間移動の対象となるものを遠隔操作できる、という能力までアイ

リスは身に付けていた。

そしてなにより‥‥アイリスの精神は、既に大人の思考を模倣できる程にまでな

っていた。

精神感応にはよらない、人の心‥‥それが理解できる。

人の痛みがわかる、ということ。

最初に気付いたのは、やはり大神だった。

「なにするんですの、このクソガキャ‥‥」

「あれ、この時計動いてないよ」

「え‥‥」

アイリスの周りに集まる面々。

「螺子をまわしてもだめ?」

「うーん、だめみたい」

アイリスの手には少し大きめの、上蓋が開かれた時計。

精妙な彫刻で形成された内部とは対照的に、上蓋の裏側に張られた小さな古い写

真。中央には藍色の着物を着た女性。左には大神によく似た青年が、そして右に

は少し痩せぎすの少年が立っている。

「やはり止ってしまいましたわね、カンナさん。おほほほほ」

「‥‥あたいは‥‥何もしてねえだろうがっ」

拳をふるふると震わせながら、カンナが殺気立つ。

「この左の男の人、お兄ちゃんに似てる」

「ほんと、そっくり。大神さんかしら。でも‥‥なんか、少し‥‥」

すみれとカンナは自分達の口論を無視して、さくらとアイリスが時計の中の写真

に魅入っていることに気づいた。

「この真ん中の女の人、誰かな。すごくきれー」

「ほんと‥‥」

すみれはすかさず二人の間に割り込んできた。

「な、なにするんですか、すみれさん」

「もうっ」

「やかましいですわ」

「どれ‥‥へえ、ほんとにきれいな人だな‥‥なんか、さくらに似てるな」

「えっ」

さくらは訳もなく頬を赤く染めた。

「やだ‥‥わたしなんか」

「別にさくらさんをきれーだと言っているわけではなくってよ」

「むっ」

四人はあらためて写真に魅入った。

未だに大神の視線を反芻して、瞳が潤んでいる紅蘭を除いて。

「左の青年はやっぱり隊長かな」

「うーん、すごく似てるけど‥‥ちょっと違うような‥‥」

「右の少年はどうだろ、なんかこっちの子も似てるよな」

「言われてみればそうですね‥‥」

「真ん中の女性ですわっ、問題は‥‥まさか少尉の愛人では‥‥」

「しかし、お前はどーしてそう発想が跳ぶんだ?‥‥どー見たって歳が離れてる

だろ」

「‥‥うぐっ、そ、それは‥‥」

そうこうしているうち、大神がポットを持ってサロンに戻ってきた。

花組の視線は一斉に大神に注がれた。

「な、なんだい」

「‥‥少尉、この時計‥‥」

大神はトレーをテーブルに置くと、ポケットを探った。

ない。

「落としてたのか、ごめん、それ俺のだ」

「お、大神さん、随分古い時計ですよね。なんか骨董品か、何かですか」

「うーん、そんなおおげさな物ではないはずだけど‥‥まあ大事ではあるな」

「あ、あの、‥‥中を‥‥開けてみても‥‥いいですか?」

「ああ‥‥お茶、入ったよ。みんな一服して」

「わーい、わーい」

「よっしゃあ」

大神はふと紅蘭に目を向けた。

紅蘭は大神の視線を受けて、ようやく我に還った。

「紅蘭」

「は、はいな‥‥」

「飲もうよ」

「う、うん‥‥」

またしても、二人の間で視線が交錯し‥‥ほんの少しの間停滞した。

大神の目からは光がなくなっていた。表情も消えている。

何か思案しているのか、それとも‥‥

すみれは、大神の様子がおかしいことに頭の片隅では気づいていながら、二人の

雰囲気が気に入らず、たまらず口をはさんでしまった。

「少尉!」

「はっ」

「‥‥お茶が冷めてしまいますわ」

「そ、そうだね」

「あ、そういえばマリアいない。どーしたんだろ」

「‥‥‥‥」

「なあ、隊長」

「‥‥うん?」

「この時計についてる写真なんだけど‥‥」

「こっちのかっこいい男の人、お兄ちゃんだよね」

アイリスが指した左の、優しいが少し大神よりは鋭い目をした男性。

「‥‥それは」

「じゃあ、さ、真ん中の女の人はお兄ちゃんの”あいじん”なの」

さくらとすみれは同時にアイリスの頭に拳骨をいれた。

「いったーーい」

「このお子様は‥‥なんっつーことを」

「母だよ」

「‥‥えっ」

「真ん中の女性は俺のおふくろだよ。左の男の人は‥‥兄なんだ」

アイリスとさくらは写真を食い入るように見た。

「じゃあ‥‥」

「右の痩せているのが俺だよ‥‥俺は子供のころ身体が弱くってね、あまり外で

遊んだ記憶がないんだ。‥‥中学を卒業する頃には随分逞しくなったけどね」

大神はカップの紅茶を飲み干して答えた。



大神は紅蘭を見つめていた。

紅蘭は紅茶を飲みながらも、視線は大神に固定されていたため、またぞろ頬を赤

く染めた。

「大神さんのお兄様って、大神さんにそっくりなんですね、なんか素敵‥‥」

「‥‥‥‥」

「だめだよ、さくら‥‥隊長、聞いてねえよ」

「むかっ」

大神のみならず紅蘭の様子もいつもと違うことに、いち早く気づいていたすみれ

は、自分でも陰険だなと思う口調で話し掛けた。

「紅蘭!」

「へっ?」

「何故そんなに少尉を見つめるのですか」

「あ‥‥その‥‥すんまへん‥‥」

「わたくしは、どうしてそんなに少尉を見つめているのか、と聞いているので

す!」

「あ、あの、うち‥‥」

「少尉の様子も何だかおかしいですけど‥‥」

「‥‥え‥‥俺?‥‥な、なんか言った?」

「少尉‥‥あなた‥‥」

憤りを抑えて、もう一人に詰問する。

「紅蘭、あなたも‥‥いつものあなたではありませんわ。いったいどうしたので

すっ?」

「うちは‥‥」

紅蘭はしゅんとなった。

すみれの言うことも、満更ではなかった。

確かに紅蘭の様子は‥‥いつもの明るさとは掛け離れたものだった。

それは‥‥大神の視線によるものなのか‥‥



『いつから大神はんのこと‥‥好きになってしもうたんやろか‥‥』

初めて会ったときから?

あやめはんが‥‥おらんようになって‥‥泣いてもうて‥‥

大神はん‥‥うちを抱いてくれはった‥‥

『うれしかった‥‥うち、うれしかった‥‥あん時には、もう大好きになってた

んや‥‥』

自分に向ける大神の視線がいつもと違う。

もしかして、うちのこと‥‥

『そないなこと、あるわけないな‥‥でも‥‥』

絶対に言えなかった。

決して打ち明けてはいけない想い。

決して悟られてはいけない想い。

『うちの居場所が‥‥なくなってしまう‥‥』



「‥‥らしくないぜ、紅蘭」

「‥‥カンナはん?」

カンナの笑顔があった。

真夏の太陽に照らされているようだった。

「隊長はいい男だしな!」

「お、おい、カンナ‥‥」

「へへっ、あたいだって見惚れてしまうことがあるからな、無理ねえよ」

日焼けした顔も、よく見れば少し赤くなっている。大神は、そして花組の女性達

も、カンナ独特の照れ顔が大好きだった。

「こいつなんか、ほれ、しょう〜い〜、って、いつもいつも隊長追いかけてるじ

ゃねえの‥‥人の迷惑も省みず。それに比べりゃ奥ゆかしい‥‥」

「わーっ、わーーっ!、だ、だまらっしゃいっ!!」

すみれの顔が真っ赤になっているのは、ただ単にカンナに煽られためではない。



紅蘭にはよくわかっていた‥‥そして、勿論、すみれの優しさも。

カンナの爽やかな笑顔も紅蘭には眩しすぎた。

『うちは‥‥』

マリアはんみたく綺麗じゃあらへんし‥‥

さくらはんみたく優しくて強くもない‥‥

アイリスみたく可愛らしくもなれへんしなぁ‥‥

『大神はん‥‥』

大神は笑っていた。

見るものを温かくする、そんな笑顔だった。

先程とは違う目で紅蘭は大神に見惚れてしまった。

大神は紅蘭を見た。

「なあ、紅蘭‥‥」

「‥‥‥‥」

「適えられない夢ってあるけど‥‥」

「‥‥‥」

「全てがそうじゃないよな」

「‥‥」

「いつか紅蘭が話してくれた、あの夢‥‥」

「!」

「俺はきっと適うと思う‥‥その時は、俺もそばにいるから、さ」

「!!」

「夢があるから、きっと人は生きていける‥‥がんばっていける‥‥それを教え

てくれたのは、君だよ、紅蘭」

「お‥‥」

「‥‥君がいてくれないと‥‥俺は困る」

そして、大神は困ったような照れくさそうな笑顔を見せた。

紅蘭の想いを代弁するかのように。

紅蘭を迷いから導くかのように。

そして紅蘭のために。

「大神はん‥‥」

「お兄ちゃん‥‥紅蘭泣かせちゃだめだよ!」

「‥‥あ‥‥ちゃう‥‥ちゃうで、アイリス」

「ああ、そうだね、アイリス‥‥ごめんな紅蘭」

いつしか横にはさくらがいた。

満開の桜そのものの笑顔がそこにあった。

その横にはボロボロになったすみれとカンナがぐったりと横たわった。

困ったような笑顔で。



あやめはん‥‥ありがとな。

うち‥‥ここきて‥‥ほんまよかった。



「こ、紅蘭、ま、まだ答えを聞いていませんわよ‥‥」

すみれが這って近づいてきた。

「お、おまえ、まるでヘビだな‥‥」

「えへへ、うち‥‥大神はん、大好きやもん」

すみれとさくら、そしてアイリスの目が妖しく輝いた。

「な、な、な、なんですっってえーーーー!」

「あははは、紅蘭、よく言った。これからはライバルだな」

「だまらっしゃい、この、この、‥‥しょ、少尉はわたくしのものですわっ」

「ちょっと、すみれさん、それは話が違うでしょう!」

「なにが違うというんですのっ」

「お兄ちゃんはアイリスのだもん!!すみれなんか、すみれなんか‥‥」

また始まってしまった、という思いが大神の頭に中で擡げた。

だが、こんな自分に好意をよせてくれる‥‥大神は嬉しかった。

大神のまわりには‥‥いつも花が咲いていた。

再び紅蘭を見る。

そこにはいつもの笑顔の紅蘭がいた。





「あ、そうだ‥‥紅蘭、実はさっき言いかけたことがあって‥‥」

「うん?」

「その時計のことなんだ」

「これ?」

紅蘭はここにきて初めて懐中時計の存在に気がついた。

手に取ってみると意外としっくりした感触だった。

「ずいぶんと古い時計やね‥‥」

記憶の片隅で鐘がなっているような気がした。

上蓋を開けた瞬間、紅蘭の目の色が変わった。

先程の逡巡の色あいなど微塵もない。

笑みも完全に消失していた。

「俺が持つようになってから全然動かないんだよ‥‥直せないかな?」

「‥‥‥‥」

「結構いろんな職人さんをあたってみたんだけど、だめだったん‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥聞いてるかい?」

「‥‥‥‥」

紅蘭はじっと時計を見つめていた。

針の作りから縁取りの模様まで、何かを思いだすように。

「紅蘭?」

「‥‥天塵‥‥」

「え?」

紅蘭はひとつ深呼吸をした。ゆっくりと息をはいてから言った。

「動かない言うてたな、大神はん」

「う、うん」

「見てみるさかい‥‥しばらくうちに預からしてもらえる?」

「あ、ああ‥‥紅蘭?」

紅蘭は上蓋についている写真をちらっと見て、すぐ閉じた。



大神はしばらく紅蘭を見つめていたが、ふいに目を閉じた。

頭痛がまたぞろ再発した。

かなりひどい。

『‥‥んぐぐぐぐ‥‥こ、これは‥‥』

大神は気づかれないよう、うつむいて眉をしかめた。

目を開けた後にはもう紅蘭の姿はなかった。

「隊長」

「ん‥‥?」

「身体の具合、悪いんじゃないか?」

「い‥‥いや‥‥紅蘭、は?」

「先に休むって部屋に戻ったぜ‥‥おい、大丈夫かよ」

「ああ‥‥」

「顔色‥‥真青だぜ、休んだほうが‥‥部屋まで送ろうか?」

「大丈夫、だよ、カンナ‥‥悪いけど‥‥先に‥‥休ませて、もらうよ」

大神はゆっくりと席を立った。

漂うような足取りで歩きはじめた。

「少尉‥‥」

「お兄ちゃん‥‥」

「大神さん‥‥」

『まずいな、顔に完全に出てしまった‥‥しかし、これは‥‥』

大神は歩くことだけに意識を集中した。

油断すると倒れてしまいそうだった。頭の中でドラムが鳴り響いていた。

さくらたちに悟られないよう、大神はサロンのドアまで行くことには成功した。



ドアを開けると、そこにはマリアが立っていた。

「マリ、ア‥‥」

「隊長‥‥」

遠目には見えなかったが、マリアの目は少し赤くなっていた。

マリアに意識が向いた時、大神は平衡感覚を失った。

『しま‥‥った‥‥』

「隊長!!」

大神はマリアに抱きかかえられるような形で停止した。

「大神さん!」「少尉!」「隊長!」「お兄ちゃん!」

駆け寄ってくるさくらたちをマリアが制した。

「隊長は私が部屋まで連れていくから‥‥」

「でもっ」

「多分疲れが溜まっていたんだと思うわ」

「でも‥‥」

マリアは泣く子を諭すように優しく言った。

「あなたたちもお休みなさい。今日は大変だったんだから」

「マリア‥‥俺は、一人で歩けるよ」

「無理をなさらないで。さくらたちを心配させていいんですか?」

耳元で囁くマリアに、大神は心の中で妙な感情が動いたが、すぐに頭のドラムが

それを打ち消した。

またしても‥‥マリアに助けてもらった。

大神は自分の不甲斐なさを呪った。

「‥‥すまない」

「いいえ‥‥」



アイリス、カンナは少しためらいながらも自室に戻った。

明日になれば、きっと‥‥

ふたりは信じるしかなかった。



さくらは、大神に寄り添って部屋に入ったマリアの、大神の肩越しに浮かべた表

情を見逃さなかった‥‥初めて見るマリアの女の表情を。

そして大神を見る目を。

さくらにはない艶で大神を見る、その瞳を。



すみれは‥‥顔面蒼白になっていた。

大神の変調に気づいていながら、何もできなかった自分を罵った。

横になっても眠ることができなかった。

「少尉‥‥」

うっすらと目に涙が溜まっては、こぼれないようぬぐった。

大神の部屋の前に行っては、思い直して戻る。

それを何度も繰り返した。





「隊長、お願いですから‥‥わたしには隠し事はしないでください」

部屋に入ってドアを閉めたマリアは、開口一番大神を叱咤した。

「それに‥‥無理はしないで‥‥‥‥心配なんです」

「‥‥‥‥」

「悩んでいることがおありでしたら‥‥」

「‥‥‥」

「わたしにできることがあったら‥‥」

「‥‥」

「わたしでは‥‥だめですか‥‥」

大神には選ぶ言葉がなかった。

言葉では言い表わすことなどできなかった。

言いたくても言えない二人の‥‥悲しい擦れ違いがあった。

少しずつトーンが落ちてくるマリアの声を耳元で聞きながら、大神の鼻孔を花の

香りがくすぐった。

『あやめの花の‥‥香り‥‥』

大神は目を閉じた。

そしてゆっくりと顔をマリアの襟元に近付けた。

『マリアの香り‥‥』

頭に鳴り響くドラムが少しずつ和らいでいくのを感じた。

マリアの柔らかな肢体が‥‥大神の気を遠くさせた。

『あたたかくて‥‥やわらかい‥‥‥‥母さん‥‥』

マリアは大神の体温を、吐息を感じていた。

そこには給湯室で取り乱したマリアはもういなかった。

「‥‥大神‥‥さん」

大神はマリアの胸に顔を埋めるようにして気を失った。



大神をベッドに連れていき、マリアは静かに毛布を掛けた。

大神の寝顔を優しく見つる。

微睡む聖母の姿がそこにあった。

大神の額に手をあてる。

『あの時とは‥‥違う‥‥』

冷たい手。

‥‥あなたは隊長失格です‥‥

自分の放った言葉に、耳を塞ぎたくなる。

『あなたしか‥‥いません‥‥』

俺は‥‥確かに、隊長失格かもしれない‥‥

でも、俺は、君を見殺しになんか、できない‥‥

君は‥‥俺が護る‥‥

『わたしは‥‥あなた‥‥しか‥‥』

冷たい手が‥‥熱くなる。

少しして離す。

指先で大神の横顔を、ゆっくりとなぞるように動かす。

白く細い指先が大神の唇で停止した。

‥‥タンザク、ですか?

ああ、それに願い事を書いて、笹に飾るのさ‥‥

‥‥隊長なら‥‥どんな願い事を?

そうだな‥‥マリアと仲良くなれますように、かな‥‥

‥‥そ、そうですか‥‥ありがとう、ございます‥‥

『わたしは‥‥何を書いたんだろ‥‥あの時‥‥』

マリアの指先が触れる大神の唇。

優しい吐息がかかる。

「そう‥‥そう、だった‥‥」

マリアのタンザクは‥‥飾られることのないまま、机の引き出しに仕舞われた。



それを人目に曝すなど‥‥できるはずもない。

指先をゆっくり離す。

指先の位置を忘れないように。

そしてマリアは、その指先の位置に‥‥

自分の唇を重ねた。



大神の部屋を出ると、そこにはさくらが立っていた。

まぶしい瞳。

マリアの胸に再び暗い感情が擡げ始めた。

まともに目を合わせられなかった。

うつむいたまま‥‥

「‥‥隊長はもう眠ったから」

さくらは何も言わず、マリアを見つめていた。

「‥‥ずっと立っていたの?」

「‥‥‥‥」

「もう休みなさい、心配いらないから‥‥」

「マリアさんを待っていたんです」

「!」

マリアは思わずさくらを見た。

心の中を見透かされるような視線。

「わ、わたし、を?」

「‥‥‥‥」

『そんな‥‥そんな目で‥‥わたしを見ないで‥‥』

「‥‥‥‥」

『そんな目で‥‥わたしを責めないで‥‥』

「‥‥‥‥」

『わたしだって‥‥わたし‥‥だって‥‥』

「マリア‥‥さん‥‥」

『一人は‥‥いや‥‥一人ぼっちは‥‥いや‥‥』

マリアは心の中で叫んでいた。

それはマリアの瞳に彩られて、さくらには伝わった。

「マリアさん‥‥わたしは‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥絶対に負けませんから」

さくらは部屋に戻っていった。

マリアは目を見開いたまま立ち尽くすだけだった。





マリアが立ち去って一時間ほどして大神は目覚めた。

「‥‥夢か‥‥」

ゆっくり起き上がると、ずれた毛布から香水の残り香が漂った。

「花の香り‥‥」

あやめの花の香り。

「泣いていたのか‥‥マリア‥‥」

頭の中でドラムが再開した。

「‥‥見回りをしたほうがよさそうだな」

もう眠れない気がした。

大神は部屋をでた。





すみれは遂に大神の様子を見に行く決心をした。

‥‥トントン‥‥

トントン‥‥

「‥‥少尉?‥‥寝てらっしゃるの?」

すみれは小声で問いながら、ドアノブに手を掛けた。

鍵はかかっていなかった。

すみれは少し間をおいて、ドアを開けた。

「‥‥少尉?」

大神はいなかった。

「何処へ‥‥」



すみれは帝劇を探し回った。

「あんな‥‥あんな身体で‥‥いったい何処へ‥‥」

地下への階段にさしかかるとすみれは奇妙な感覚に陥った。

『‥‥なんですの?』

一瞬立ち止り、周囲の気配を探った。

そして踊り場に足を踏み入れた瞬間、あれは起こった。

『な、なんという‥‥‥‥この力は一体‥‥』

すみれは思わず自分で自分を抱きしめるような態勢をとった。

長刀を持たなかったことを一瞬後悔したが‥‥花組随一の霊的認識能力は、それ

は無駄であることを、すみれ本人に伝えた。

『‥‥地下格納庫からのようですわね‥‥でも、あそこは‥‥』

地下格納庫の隔壁は三重の肉厚シリスウス鋼で形成されており、妖力のみならず

霊力までほぼ完全に遮断する。

それを突き抜けて、すみれをしてここまで震撼させる力‥‥

すみれは戦慄した。

『妖気は感じられませんわね‥‥殺気もない‥‥敵でないことを祈るしかありま

せんわ』

すみれは覚悟を決めて地下格納庫に入った。

そして、そこにいたのは‥‥すみれが探し求めていた、大神少尉その人だった。



霊力の暴走は既に収束していた。

大神はくずれるように倒れていた。

「少尉!」

すみれは駆け出した。泣きだしたいのを必死で抑えて。

「‥‥少尉‥‥少尉!」

すみれは大神を抱き起こそうとした、その時、霊気とともに何かがすみれに流れ

込んできた。

少尉‥‥いえ少尉によく似た青年。

花の‥‥香り‥‥

桜の花びら。

時計‥‥あの時計。

チャイナドレスの女‥‥紅蘭?‥‥違う。

おさげ髪の少女‥‥紅蘭。

霊力の奔流は、大神の得た不可解な感覚まですみれに伝搬させた。





‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥





すみれは紅蘭の部屋へ向かう途中、昨夜のことを反芻した。

『‥‥紅蘭が関係しているとしか思えませんわ』

すみれの解釈はある意味大神と一致していたが、受取方はまるで違っていた。

いつしか霊気が‥‥そしてそれは殺気となり、すみれの体内に渦巻いていた。

「紅蘭‥‥紅、蘭んんっ」

すみれは歯ぎしりした。

『返答次第によっては‥‥』

まるで自分の意思ではないかのように、殺意がすみれの中で燃え始めた。



すみれの後を追うさくらは、燃えるような霊力を感じて走りだした。

紅蘭の部屋の前に佇むすみれの姿を捉えた。

「!‥‥す、すみれ‥‥さん‥‥」

炎のような霊気を受けて、さくらは逆に凍りついた。

すみれの中に戦闘時の必殺の気合いが満ちていた。



‥‥霊子甲冑は一定量以上の霊力注入により駆動するが、必ずしも霊的攻撃力が

上げるわけではない‥‥

さくらは花組に配属された折り、米田から言われたことが頭に過った。

‥‥戦闘力の基本は自分の素霊力にある‥‥修業は怠るなよ‥‥

特に霊力を蓄積して放つ必殺技にはそれが言える。

霊子力エンジン及び霊子増幅器の役割は、霊子甲冑の能力そのもの、即ち機動

力・防御・物理的攻撃に霊力を分配することにある。

従って、機動力を伴う物理的攻撃の延長線上に、その必殺技を持つもの‥‥大神

やカンナは、霊力蓄積により攻撃力が大きく向上する。

間接的ではあるが聖獣ユニットを用いる紅蘭、蒸気速射砲に霊力を凝縮し、結果

冷気を帯びるに到るマリアの必殺技、そして、回復能力を”癒し”の力まで昇華

したアイリスの必殺技もこれに準ずる。

対してすみれやさくらの放つ必殺技は、霊力そのものが物理的衝撃を随伴するも

のであるため、素霊力が霊的攻撃力を支配する主要因となる。

逆に言えば、生身であっても神武に乗った時の攻撃力を維持できることになる‥

‥



『まさか‥‥まさか、紅蘭を‥‥』

さくらは、その破壊力が広範囲に渡るすみれの必殺技を脳裏に浮かべ、一滴、冷

たい汗が頬をつたうのを感じた。

『‥‥本気‥‥なの?』



確かに昨夜は‥‥花組ならではの事件が断続的に発生した。

だがここまですみれが追い込まれるとは‥‥

さくらは止めるのを忘れて‥‥懸命に昨夜の記憶を掘り起こすことに努めた。

だが、紅蘭の挙動にすみれをここまで励起する要素は見いだせなかった。

あるいはすみれだけが感じとれるものがあったのかもしれない。

大神がたおれたことで。

でもなぜ?

なぜこれほど‥‥

さくらは殆ど硬直した状態ですみれを見つめていた。



「‥‥紅蘭、いるのでしょう‥‥聞きたいことがあります。開けてもらえません

こと」

「‥‥すみれはんか、すんまへんけど手ぇ離せまへんよって、後で‥‥」

「わたくしは、今、話を聞きたいのですわっ」

「‥‥できまへんな。出直してもらいまひょか」

「‥‥少尉の‥‥ことですわ‥‥あなたは‥‥」

「言うことは何にもあらしまへんで」

「‥‥ならば‥‥力づくということに‥‥なりますわよ」

「‥‥止めときなはれ」

「そうですか、仕方ありませんわね‥‥死んでもらいますわっ」

「すみれさん!?」

さくらはすみれが必殺技を発動する態勢に入ったのを感じ、思わず叫んだ。

すみれはちらっとさくらを見た。

その瞳は帝国華撃団花組、神埼すみれのそれであり、神埼財閥のひとり娘‥‥子

供の頃の、その孤独な瞳でもあった。

さくらはすみれの瞳を見た。

『違うっ‥‥すみれさんの目じゃない‥‥何か、何かおかしい』

それがなんであるのか、考えている余裕など勿論なかった。

紅蘭は一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、すぐに作業を続けた。

目の前には大神から預かった懐中時計があった。

すみれに躊躇いはなかった。

想い人を傷つけられた‥‥

すみれには我慢できなかった。

他のことはどうでもよかった。

花組のことなど‥‥もう、どうでもいい。

大切な人‥‥そばにいてほしい人‥‥それ以外は。

愛しい人を奪う者。

愛しい人を傷つける者‥‥死あるのみ。

「神埼風塵流‥‥」

「やめて!!」

大神を想うことで、その潜在能力をも凌駕する力が得られる花組の女性達。

このときのすみれの力は一年前の大戦終焉時の‥‥それをも凌ぐ霊力を有してい

た。

「‥‥鳳凰の舞!!」

霊気の炎を帯びた紅蓮の鳳凰がすみれの想いを乗せて奔りぬけた。





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Uploaded 1997.11.01




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