<その4>



「‥‥という次第です」

「‥‥‥‥」

「事の発端は自分にあります。如何なる処分も覚悟しております」

「‥‥大神」

「は」

「花組全員を集めて、一時間後にもう一度来い」

「は?」

「そのときに言い渡すことがある」

「‥‥わかりました」

街の燈がともり始めた頃、大神は支配人室を後にした。

外にはマリアとカンナが待っていた。

「‥‥二人の様子は?」

「さくらはいい。問題はすみれだよ、隊長」

「‥‥」

「ポットから出るなり、部屋に閉じこもりやがって‥‥返事もしねえ」

「俺が話してみるよ‥‥さくらくんは?」

「サロンにいます」

「そうか‥‥ふたりとも一時間後に支配人室前に来てくれ。さくらくんとアイリ

スも連れて。支配人から話があるようだから‥‥すみれくんは俺が連れてくる」



「わかりました」「ああ」







大神は事の真相をアイリスから打ち明けられた。

アイリスは紅蘭から‥‥

‥‥すみれの放った必殺技‥‥その炎の奔流は全てを焼き尽そうと、紅蘭のいる

その部屋に襲いかかった。

鳳翼が部屋のドアに触れようとした、その瞬間、それはまるで壁から意思を与え

られたかのように反転した。

炎に身をつつんだ鳳凰は、主に襲いかかった。すみれには、全ての霊力を注いで

産み出した最強の分身、その逆襲を防ぐ術などなかった。

すみれは目を閉じた。

さくらは鳳凰が生まれた瞬間に奔りだしていた。

二人の、すみれ色とさくら色の着物の袖が燃えだそうとした、その時、さくらの

頭の中で火花が散った。

破邪の力が産み出す球形の亜空間は、鳳凰を吸収し、そして壁と床をも飲み込ん

だ。触れてはいけない、その壁だけを避けるように。

‥‥紅蘭は、自分がすみれを煽ったから結果そうなった、とアイリスに告げた。



嘘が大嫌いな紅蘭。

大神には、そんな優しい嘘が‥‥すみれに対する想いなのだと、すぐにわかっ

た。

そして‥‥紅蘭がアイリスに託した最も重要なこと。

それを大神はあえて米田の耳には入れなかった。

それは大神が自分自身で解決すべきと判断したからだった。

「アイリス‥‥このこと、みんなには言わないでくれるかい」

「わかってる」

「ありがとう‥‥アイリス」

「お兄ちゃん‥‥」

「紅蘭のことは‥‥」

「わかってる、わかってるけど‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥アイリスは優しいね」

「そんなこと‥‥ないもん」

「‥‥アイリス」

大神はアイリスを優しく抱きしめた。

一年前翔鯨丸でそうしたように。

その時よりも‥‥優しく。

こわれないように。

こわさないように。

「アイリス‥‥お兄ちゃんのこと‥‥大好きだよ‥‥」

「うん‥‥」

アイリスの瞳から堪えかねたように涙が零れた。

それは大神の頬をぬらした。

大神は、腕の中の愛しい妖精の‥‥その羽根のような柔らかい髪を撫でた。

その羽衣のような薄く華奢な背中を優しく、優しく撫でた。

「お兄ちゃん‥‥」

「うん?」

「‥‥アイリス、紅蘭のことは心配しない」

「うん‥‥」

「紅蘭のこと、信じてるから」

「うん」

「‥‥でも、お兄ちゃんは?」

「え?」

「お兄ちゃん自身のことは?」

「‥‥!」

「アイリス、お兄ちゃんのこと‥‥」

そう言って、アイリスはしがみついてきた。

アイリスは‥‥大神について紅蘭から聞いたこと、そして大神が自己嫌悪に陥り

そうになったのを読み取って、大神を守ろうと‥‥自分の腕で大神を包もうとし

た。

その小さな華奢な腕で。

紅蘭が語り部にアイリスを選んだこと。

それは大神にはなんとなく自然のように思えた。



突如大神の脳裏に、まるで活動写真のように明確な形となって何かが現れようと

していた。

それはアイリスの想いだった。

アイリスの強い思念は、読心能力とは別の力を芽生えさせようとしていたのだっ

た。

神語り‥‥大神はそんな言葉だったように記憶していた。読心とは対極にある、

離れていても意思を伝えることのできる力。

‥‥アイリス、子供だから、約束なんてできない‥‥

‥‥アイリスは、お兄ちゃんのためなら‥‥

一年前のその言葉が‥‥冬の空、さしこんだ陽の光がつくる二人の影‥‥翔鯨丸

のデッキで聞いた言葉が、その映像とともに再生されていた。

アイリスの心は、大神の心に‥‥明確に伝わった。

抱きしめた妖精の甘い香りに、柔らかい羽根の感触に心行くまで浸っていたかっ

た。

「もう少し‥‥もう少しだけ、こうして‥‥いさせて、くれ」

「‥‥いつまでだって」

部屋の窓からさしこむ暖かい夕陽は、部屋の壁にひとつの影を創った。



大神の部屋からアイリスが再びその姿を見せた時‥‥マリアはその変貌ぶりに驚

きを隠せなかった。アイリスの表情からは、無垢や無邪気といった子供の持つ影

が消えていた。それは、アイリスを大人として見ていたはずのマリアをして、ひ

どく混乱させた。

カンナも同じだった。特にカンナは、マリアにすら覚えなかった、嫉妬のような

焦りのような、そんな感情がうずまいて、あからさまにうろたえた。

一年前、そして今回。アイリスは二度、脱皮した。

それは、大神の触媒としての力ではない、大神の男性としての力のように‥‥二

人には思えてならなかった。



‥‥二人が目覚めても、話しを聞くのは控えていてくれないか‥‥

部屋から出てきたアイリスが自室に戻った後、二人は大神に釘をさされた。

アイリスは何を隊長に言ったのか‥‥

アイリスの様子も違う、いや変わったと言っていい‥‥

マリアとカンナはその辺も気になってかなり躊躇ったが、結局従うことにした。

何か考えがあってのことだろう‥‥そう判断して二人は地下治療室に向かった。



夜になり、さくらとすみれは復調した。そして米田が劇場に帰還し、大神は支配

人室へと入っていった。







「まずいことにならなきゃいいけどな‥‥」

「‥‥‥‥」

「全員を招集するとは‥‥あんまりいい予感がしないぜ」

「‥‥わたしたちが何を言っても何も変わらないわ」

「冷静だね」

「‥‥皮肉かしら」

「別に」

「‥‥‥‥」

「‥‥紅蘭もどっか行っちまったままだし‥‥いったいどうなっちまうん‥‥」



「よしなさい、カンナ」

「マリアはいいよな、隊長がついててくれるしよ」

「‥‥どうゆう意味?」

マリアの目が鋭く輝いた。

カンナはそれを平然と受け流す。

「自分が一番よくわかってんじゃねえの?」

「‥‥‥‥」

マリアは一瞬何かを言い掛けたが、一瞥しただけで離れていった。

カンナはマリアの横顔に一瞬光るものを見た気がした。

涙‥‥?

「あ‥‥」

カンナはまたもや取り残されたような気になった。

『くそっ‥‥あたいはいったい何を‥‥あんなこと、言うつもりじゃ‥‥なかっ

たのに』

カンナはうつ向いた。今度は顔を振り上げることは‥‥出来なかった。





マリアは部屋に戻っていた。

灯りは点けなかった。

ベッドに身体を投げ出し、枕に顔を埋めた。

開け放った窓から入り込んだ風がブロンドの髪を撫でた。

チリーン‥‥

風鈴の音が聞こえた。

マリアは顔を上げた。

枕には濡れた跡があった。

チリーン‥‥

『あやめさんから貰った‥‥風鈴』

チリーン‥‥

‥‥マリア‥‥

‥‥しっかりしなさい‥‥マリア‥‥

‥‥あなたは‥‥一人ぼっちじゃないわ‥‥

チリーン‥‥

『わたしは‥‥』

マリアは起き上がった。

質素な部屋の‥‥机の上にある小物入れ。

開けると金色のロケットがあった。

手を延ばして‥‥止った。

マリアは窓を閉めた。

いつもの黒いコートを着て。

そして何事もなかったように、アイリスを伴い支配人室へ向かった。





トントン‥‥トントン‥‥

「すみれくん‥‥大神だけど‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥少し話しをしないか?」

「‥‥‥‥」

「俺‥‥部屋で待ってるから」

「‥‥‥‥」

「待ってるから‥‥」

大神は目を一瞬伏せ、そして歩き去った。





「よ、よう、さくら」

「あら、カンナさん‥‥」

「あ、あたいも、お茶でも飲もうかな」

「‥‥‥‥」

「どうだい身体の具合は」

「ええ、まあ‥‥なんとか。身体が丈夫なのが取り柄みたいなもんですからね」



「ははは、そりゃあたいのほうさ」

「‥‥そうでしょうか」

「え?」

「カンナさん‥‥」

「お、おう」

「わたし、帝劇が‥‥花組が大好きです」

「‥‥‥‥」

「カンナさんも‥‥そうでしょう?」

「あたいは‥‥」

「それに、わたしは‥‥わたしが大好きです」

「さくら‥‥」

さくらは微笑んだ。

ゆっくりと立ち上がり、棚からカップを取り出す。

「わたしが入れますから」

カンナは、すみれにも匹敵するその優雅な立ち居振る舞いに魅入った。そのひと

つひとつの仕草に魅了された。

「あたいも‥‥そんなふうになれるかな‥‥」

「え?」

「いや‥‥」

カンナは少しだけ重いものが外れたような気がした。

『やっぱり嫉妬してたんだろうな‥‥ちくしょう、あたいらしくもねぇ』





コンコン‥‥

「‥‥開いてるよ、入って」

「‥‥‥‥」

「‥‥すみれくん?」

カチャ‥‥

「ありがとう、来てくれて‥‥ここに座って」

「‥‥‥‥」

大神は肘掛けのついた椅子をベッドに向かい合わせるように置いた。

大神自身はベッドに腰掛けるように座った。

「‥‥座ってくれないか」

すみれはようやく腰を下ろした。

いつものすみれ色の着物ではなかった。

それは既に自らの必殺技によって焼失してしまっていた。

今着ている蓬色の訪問着、それはあやめを彷彿させた。

大神はその色に目を奪われていた。

『‥‥はあ‥‥いいなあ』

「‥‥‥‥」

『い、いかん‥‥何考えてるんだ、俺は』

大神の視線を胸元に受けて、すみれはようやく口を開いた。

「‥‥どこ見てるんですの」

「え?‥‥あ、あの、そ、その‥‥ご、ごめん」

大神は思わずどもってしまった。

「い、いいい色だなあ、と、思って、その‥‥ごめん」

大神はそこまで言ってしゅんとしぼんだ。

何を言っていいのかわからないまま、すみれを招いた。

その矢先に自分の情けない姿を披露してしまったこと‥‥大神は落胆の極地にあ

った。

すみれの青ざめた顔に少しだけ赤みがさした。

大神はうつ向いてしまっていたため、すみれの表情は見て取れなかった。

口元が少しだけ‥‥ほんの少しだけ緩みはじめていたのを。

「‥‥胸を見ていたのではなくて」

「ち、ち、ちが‥‥」

「乳ですって?」

「わあっ」

すみれはそれまで閉じていた胸元を思い切りよく開けた。

勿論それはいつものすみれの格好であったのだが。

「わ、わ、わ、わ‥‥」

大神は顔を真っ赤にして、それでも目を離すことができなかった。

「い、い、いけないよ、す、すみ、すみれくん、こ、こんな‥‥」

「何をうろたえているんですの‥‥これがわたくしの、いつもの着こなしですの

に‥‥」

「こ、こん、こんな、そんな、あんな‥‥」

すみれは笑顔を見せた。

大神はそんなことも露知らず、ひたすらうろたえまくっていた。

自分の見せた態度がすみれを氷解させたとも知らずに。

すみれはついでに足元の着物の合わせ目まで開けた。

無論それもいつものすみれの姿だった。

白い太股が視界に入った瞬間、

「ぶっ」

鼻血が盛大に飛び散った。

「しょ、少尉!?」

「だ、だ、大丈夫、大丈夫だから‥‥わあっ」

すみれは大神を介抱すべく、ベッドの上に這い上がった。

胸元が大きく開かれたそれは、大神の視界に深い谷間となって照射された。その

暗闇に、まさに釘付けとなった。すみれの芳香が大神の気を遠くさせた。

「これで拭いてくださいな」

「い、いけ、いけない、いけないよ、す、すみれくん」

「どうしていけませんの」

ベッドに就いた自分の手に、躙り寄ってきたすみれの太股が触れた。

「も、も、もう、げ、限界だ‥‥」

大神はすみれから布切れを奪うと、一目散にドアから飛び出していった。

「‥‥少尉ったら」

すみれは大神が立ち去った後も、ドアを見つめていた。

いつものすみれの笑顔がそこにはあった。

しばらくして視線を自分が佇んでいるベッドに向けた。

「少尉の‥‥ベッド」

すこし躊躇いがちにすみれは横になり‥‥そして目を閉じた。

「少尉の‥‥匂い」





「はあ‥‥」

「ん?」

「あれ」

『なにやってんだろ、俺‥‥‥あの着物の色、あやめさんのに似てたからかなあ

‥‥』

「大神さん‥‥」

「や、やあ」

「どうしたんだ、隊長‥‥そのツラ」

大神は布切れを二枚に裂き、鼻につっこんでいた。まだ少し血がにじみ出してい

た。肩を落としてサロンに来た大神の姿は、”悪いこと”をして叱られた子供の

ようだった。

「‥‥なんでもないよ」

「さては、すみれに‥‥なんか言われたか」

「そ、そんな、そんなこと‥‥」

「それにしては‥‥態度がおかしいですね‥‥」

さくらの目が細く険しくなった。

「まさか、大神さん‥‥」

『ギクッ』

「まさか‥‥すみれさんが、あんな状態なのをいいことに、まさか、まさか‥

‥」

『な、なんで?』

「なにいっ、隊長、おめぇ‥‥」

「ち、ち、ちが‥‥」

「ほほほほほ‥‥」

「すみれっ」「すみれさん‥‥」

すみれは以前と全く変わらない、着物は変わったが、そのいつもの姿を現した。

少しの間大神の横に貼り付くように停滞し、いつものサロンの定位置に腰掛け

た。

「少尉ったら、そんな照れることはなくってよ‥‥でも、少尉って結構‥‥うふ

ふふ」

「‥‥なんだよ、その意味深な笑いは」

「‥‥大神さん」

「ち、ち、ちが‥‥」

「‥‥乳がなんですって?」

「隊長、おめえ、まさかすみれの‥‥」

「いやですわ‥‥さくらさんも、カンナさんも‥‥」

すみれは頬を赤く染めて気怠げに肘をついた。

さくらは顔が赤くなるのを通り越して青くなりながら、大神に喰ってかかってき

た。

「どーゆーことですか?」

「あ、あの、あのね‥‥」

「ど・お・ゆ・う・こ・と・で・す・かっ!?」

「お、俺の話を、聞い‥‥」

「あら、さくらさん‥‥少尉の口からそんなこと、言えるわけありませんことよ

‥‥隊長である少尉が、このわたくしを‥‥いやですわ、わたくしったら‥‥」



そう言ってすみれは頬を手で覆い隠すような仕草をした。

「むっかーーーーっ」

さくらは完全に切れた。

大神の胸倉を掴むや、

「‥‥違いますよね?」

「さ、さく、さくらくん、あ、あの‥‥」

「ち・が・い・ま・す・よ・ねっ!?」

「もう、さくらさんたら、わたくしの少尉になんてことなさるの?」

「そうだわ‥‥きっと、すみれさんが大神さんを、そうよ‥‥すみれさんが大神

さんの部屋に無理矢理入ってきて、きっとそうよ‥‥すみれさんが大神さんを無

理矢理押し倒して‥‥きっとそうに違いないわ!」

さくらは大神の胸倉を相変らずしっかりと握りしめたまま、ぶつぶつと、そして

最期は聞こえるように大声で言った。

目が完全に妄想の世界に入っている色を示していた。

さくらに首まで締めつけられて大神の顔色は土気色を呈していた。

「‥‥すみれさんが大神さんを無理矢理‥‥そうでしょ!」

「な、なんですってえ?‥‥こ、この、この、い、田舎娘が」

「日本社交界のトップレディですって?‥‥ふんっ、片腹痛いってこのことだ

わ、いやらしいったら、ありゃしないわっ、まったく‥‥ああ、いやらしいっ。

仮にも隊長である大神さんを、無理矢理‥‥ああっ、もうっ、なんて人なのっ

!?」

「き、切れましたわよ、も、もう、許しませんわ‥‥この、こんの、クソガキャ

ーッ」

昨夜のカンナとの取っ組み合い、それが今夜、すみれはさくらと再開した。大神

とカンナはしばらく茫然として見入っていたが、すぐ我に還った。大神はさくら

を、カンナはすみれを引きはがしにかかった。

「離してください、大神さん!この恥知らずには常識というものを‥‥一度きっ

ちり叩き込まないといけませんから!」

「離しなさい、カンナさん!この田舎娘には礼儀というものを‥‥一度きっちり

教えてあげないといけませんわ!」

「落ち着けよ、二人とも‥‥後でやり直してくれ、止めねえから。ちょっとこれ

から行くところがあるんだよ」

「そ、そうだよ‥‥さ、さあ、支配人が呼んでるから、み、みんな、行こうか」



二人の鋭い視線を浴びて、大神はサロンのドアまで一気に後退した。

「き、きっと、マリアたち、待ってると思うし、急ごうよ、な、な」



カンナに促されて、すみれとさくらは渋々移動を開始した。

ただし、一瞬たりともお互いの目を見離さずに。

カンナはとぼとぼ歩く大神の横に来た。

「サンキュ、隊長‥‥」

「は?」

大神はまだ鼻に布をつっこんだまま、ぼけた顔でカンナを見返した。

カンナの顔には、いつしか笑顔が浮かんでいた。

「‥‥あたいにも‥‥少しわけてほしいな」

「へ?」

「あはは、なんでもない。行こうぜ」

「あ、ああ」

カンナは思いきり大神の背中をたたいた。

いやな予感も払拭されていた。

不安を感じていた自分を少し恥じた。

『‥‥しっかりしなきゃな‥‥‥‥それに‥‥隊長もいてくれる』





支配人室の前には既にマリアとアイリスが待っていた。

二人の表情は対照的だった。

少し照れて赤らんだアイリス、そして氷のように無表情のマリア。

『‥‥謝らないとな』

カンナの表情が再び暗みを帯びた。

「マ、マリア、あのな、さっきは、その‥‥」

「‥‥別に気にしてないわ」

「でも‥‥」

「隊長、そろそろ‥‥支配人もお待ちでしょうから」

「ああ、そうだな」

カンナは肩を落とした。

カンナのマリアに対する態度がどこかおかしい。ふいにそう感じた大神は、何を

するでもなく、ただカンナの肩に手をおいた。

「隊長‥‥」

「あせったら、あかんで」

「へ?」

「紅蘭が俺に言った言葉さ」

「!!」

なんの気なしに言ったその言葉は、今のカンナの心に、まるで水が土に染み込む

ように伝わった。

「大神以下、花組隊員集合しました。入ります」







「‥‥紅蘭がいねえようだが」

「自分が依頼した仕事の関係上、出席できません」

「‥‥」

すみれは眉をひそめた。

唇を‥‥血がにじむほど噛みしめていた。

「公務か?」

「違います」

「‥‥ふむ」

米田は椅子に座ったまま、花組の面々全員を見渡した。

「話は大神から聞いた。すみれ、さくら‥‥前に出ろ」

「はい‥‥」

さくらは大神たちの三歩ほど前に出た。すみれは何も言わずさくらの横に並ん

だ。表情は若干暗いものの、それでもポッドからでた時に比べると格段に顔色は

よかった。

「今の劇団の経営状態は、赤字を生むほどではないが‥‥裕福でもない。それは

承知してるな?」

「はい‥‥」

「ふむ‥‥神埼すみれ及び真宮寺さくらの両名を、向こう三箇月間、三割の減俸

処分とする」

「は?」

「以上だ。下がっていい」

「‥‥それだけですの」

すみれが低い声で言った。

「ん?」

「納得できませんわっ、わたくしは、紅蘭を‥‥」

大神はすかさずすみれの口を塞ぎ、下がらせた。

すみれは、ほとんど殺人未遂とも思える自分の所業に対し、どのような処分を下

されてもおかしくはないと覚悟していた。

それが‥‥減俸?それだけ?

「ありがとうございました」

大神はすみれをカンナに預けてそう言った。

「大神、てめえは半年の減俸だ!」

「げっ」

「あたりめえだろうが。俺が不在の間はおめえが支配人代行だ。責任はとっても

らう」

「が〜ん」

「帝国歌劇団支配人としては以上だ‥‥」

「‥‥」

大神は襟をただした。そうする雰囲気を感じとったからだ。

「これより帝国華撃団司令として周知することがある」

街の灯りが消えようとしていた。

大神は、暗闇はきっと何かの前触れのような、そんな気がした。

昨夜もそうだった。





「まずは‥‥辞令が二つほどある」

「‥‥?」

大神以下花組の面々は神妙な顔つきで聞き入った。

「大神少尉、前に出ろ」

「は」

大神の顔は既に帝国華撃団花組隊長のそれになっていた。

「大神一郎少尉‥‥貴様を本日付けで帝国空軍大尉に任命する」

「は?」

「‥‥復唱はどうした?」

「は、はい。大神一郎、本日をもって帝国空軍大尉に着任いたします‥‥です

が、どうして‥‥」

大神はたまらず米田に問いただした。

自分は海軍復帰を蹴って‥‥もう昇進など有りえないはず。

それが‥‥空軍?

まだほとんど主力にならない軍隊だと聞いてるが‥‥しかも二階級の昇進。

花組の面々も、さすがに驚きを隠しきれず、ざわめき始めた。

「二階級特進かよ‥‥」

「すごい‥‥」

「さすがは、わたくしの少尉‥‥いえ、大尉ですわ」

「お兄ちゃん、えらくなるんだね」

「さすがは、隊長‥‥」

米田はおもむろに席を立った。

「本当は‥‥一年前の大戦終了の時点で、お前は中尉に昇進するはずだったん

だ」

「はあ‥‥」

「ところが‥‥まあ、ちょっとした手違いがあってな」

米田らしくもなく、言い淀んだ。

「今回の昇進はその時の分も含んである‥‥それと空軍に移したのには‥‥」

「‥‥?」

「海軍は無理だ。そして陸軍は‥‥これが問題でな。おかしな権限の及ばない空

軍に移すのが一番安全だ」

「はあ?」

「それは‥‥いずれわかる。おまえには引き続き、花組の隊長として働いてもら

うからな」

「わかりました」

「下がっていい」

大神を取り囲む花組の少女たち。

みな大神を祝福していた。

大神の表情は、額面上は笑顔を見せているものの、内心穏やかではなかった。

『俺は昇進しても‥‥彼女たちには、なんの報いもない、か』

そんな大神の心情を知ってか知らずが、米田は続けた。

「まだある」

一同は列をただした。

「マリア‥‥出ろ」

「はい」

『‥‥マリアに?』

大神はふと頭をもたげた

「マリア・タチバナ‥‥本日付けで、貴殿を帝国華撃団・副司令に任命する」

一瞬の静寂。

「えーーーーーーーーっ!?」

花組の少女から一斉に喚声が上がった。

「静かにしねえか!」

「‥‥司令、いったい‥‥どういうことでしょうか」

さすがに冷静なマリアも訳がわからず、聞くより他はなかった。

「理由は追々わかると思うから、詳細は省く‥‥空席だった副司令職に相応の人

材が必要になったからだ。適当な人間が司令部にはおらん。暫定的だが、まあ気

楽にやれ」

「‥‥‥‥」

「無論、お前は軍人ではないから、権限はかなり限られてしまうが‥‥」

「‥‥‥‥」

「もともと、帝撃は超法規的な存在だからな。指揮官クラスに民間人を採用して

はいけない、という決まりはどこにもない」

「それはそうですが‥‥」

「権限は限られると言っても、軍級で言えば少尉階級以上の特権は与えられる。

さらに副司令として帝撃に属する部隊‥‥即ち花組を含む五師団はお前の管轄下

に置かれる。一年前の戦果としては当然と言えるがな。だが、最も重要なのは‥

‥司令の補佐だ」

「‥‥わかりました」

「聞いたとおりだ、大神。階級はお前が上だが、作戦行動中はマリアがお前の上

官になる」

「承知いたしました‥‥ひとつ質問してもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「帝撃花組の‥‥マリアの処遇はどうなるのでしょうか」

「兼任、という形になるな。帝国華撃団・花組は‥‥大神、そして、マリア‥‥

お前らを含めて七人で一つだ。従って実戦では、大神、お前が指揮官であること

に変わりはない」

「了解いたしました」

花組の少女たちは口をあんぐりと開けたまま、なにも言えずにいた。

マリアも複雑な表情をしていた。

大神の視線を受けると、少し躊躇いながら、口をゆっくり開いた。

「‥‥よろしくお願いします‥‥大神‥‥大尉」

「こちらこそ、タチバナ副司令」

「‥‥マリア、と呼んで‥‥くれませんか」

「‥‥!」

ここは藤枝副司令の部屋だったんですね‥‥

ふふっ、副司令なんて、なんだかくすぐったいわ‥‥

”あやめさん”でいいわよ、大神くん‥‥



‥‥あやめさん‥‥



大神は暫し茫然とした。

マリアの姿は最早、完全にあやめと重なって見えた。

「大神‥‥大尉?」

大神はマリアの声で我に還った。

目を閉じて、そして、口元が自然にほころんだ。

「マリア‥‥」

「‥‥はい」

「俺のことも、大尉ではなく‥‥そうだな、”大神さん”って呼んでくれるか」



「は、はい‥‥」

マリアの顔は真っ赤になっていた。

氷のような表情はすっかりとけていた。

なんとなくいい雰囲気の二人に、おもしろくないのは残った花組の面々だ。

「なんだか‥‥むかつくわ」

「‥‥気に入りませんわ」

「なんだよ‥‥なんだよ、二人して、ちくしょう」

「お兄ちゃんは‥‥」

二人は頬を赤らめて離れ、もとの位置に戻って青くなった。

ものすごい視線を浴びたために。

「お前らに直接関係する辞令は以上だ‥‥あとは‥‥」

「?」

「‥‥まだあるのかしら」

「‥‥」

米田は一瞬うつ向き、そして花組を再度見つめた。

「実はもうひとつ‥‥マリアには司令の補佐と言ったが‥‥」

「‥‥?」

「それは司令の交代のためでもある」

「‥‥‥‥」

大神たちは一瞬なんのことか、理解できなかった。

マリアがそれをつないだ。

「まさか‥‥米田司令が退く、ということですか!?」

「そうだ」

「そ、そんな!!」

大神は悲壮な思いで叫んだ。

米田司令、そして政界の花小路伯爵‥‥

この二人の存在は帝国華撃団の設立そして維持には絶対に不可欠だった。

ともすれば軍気一色になりがちな戦いにあって‥‥勝利することが最優先とされ

る気運にあって‥‥それが全てではないことを教えてくれた。

帝国歌劇団としての生きがいとやすらぎも与えてくれた。

なにより少女たちに人としての正しい道を示してくれた。

それは大神にとっても同じであった。

「そんな顔するんじゃねえよ‥‥まあ、司令官身寄りにつきるが、な」

「司令‥‥」

「交代っつうても、俺は引退するわけじゃねえ。大神、お前と同じように俺も昇

進したんだよ」

「え‥‥」

「一応肩書きとしては大将になった」

「そうなんですか?」

「ああ、ただ司令部のほうが‥‥少し騒がしくなったんでな。花小路伯爵一人じ

ゃ辛えとこにまで来ちまった。それで席を向こうに置くことにした」

「それはいったい‥‥」

「おめえはここのことだけ考えていりゃいい。マリアを副司令にしたのは、半ば

そのためのようなもんだからな」

「‥‥‥‥」

「着任する新司令は、俺の教え子だから‥‥信用していい」

「‥‥いったい何方が」

「陸軍第七特殊部隊の指揮官で‥‥一年前は帝撃月組の隊長だった男だ」

「月組の隊長‥‥」

マリアが呟いた。

覚えがあるようだった。

「名は神凪龍一、階級は大佐だ」

「神凪大佐ですって!?」

大神は驚いた。

神凪龍一‥‥

隠密行動を主体とする月組にあって、実戦部隊である花組及び雪組を凌ぐ戦闘力

を持つと言われていた、当時の隊長。

そして‥‥あの日本橋の決戦の折り‥‥

「隊長‥‥知ってるのか?‥‥その‥‥かんなぎ‥‥大佐って人」

カンナが聞いてきた。

「‥‥日本橋の戦い、覚えてるか‥‥カンナ」

「ああ。天海を仕留めたときのことだろ‥‥突入したのは‥‥隊長とさくら、す

みれ、それに紅蘭だったな。地上は‥‥マリアとアイリス、それにあたい‥‥雑

魚は任せろって言っときながら、あんときは死ぬかと思ったけどな‥‥」

「その時に現れた漆黒の光武‥‥」

マリアが続けた。

「あれを操っていたのが‥‥神凪大佐」

「‥‥マリアも知っていたのか」

「ええ‥‥今、思いだしても冷たい汗をかきそうですが‥‥あの戦闘力は尋常で

はありませんでしたからね。調べさせてもらいました。もしかしたら、今の隊長

‥‥あ、いえ、大神さんを凌いでいたかも‥‥」

「じゃあ、なにか‥‥あの時の、あの黒い光武に乗ってた人が司令になるのか」



「ただ、わたしも‥‥詳しいことはわからないわ。調べたと言っても大戦畤のそ

れだけで‥‥以前の記録がどうしても見つからなかったから」

そこで米田が口をはさんだ。

「あいつの記録は意図的に抹消してある‥‥理由は簡単だ。隠密部隊の隊長だか

らな」

「‥‥なるほど」

「自分は実際お会いしたことがないのですが‥‥しかし、神凪大佐が帝撃司令と

は‥‥よく陸軍が承諾しましたね」

「この二日間は殆どそのために費やしたようなもんだったからな。まあ、あいつ

の一言で決まったわけだが‥‥」

「それでは七特はほとんど解体になるんじゃ‥‥」

「まあな」

「‥‥‥‥」

陸軍第七特殊部隊‥七特と称される帝国隠密行動部隊。

国内のみならず世界各地に派遣され、主にファシズムの台頭する国家の内乱や革

命を、影で援助すると言われている機動部隊。実体はほとんど不明だが‥‥マリ

アがいた頃のロシアにも出現したらしい。

「実戦には‥‥参加されるんでしょうか」

「どうかな‥‥神武の搬送手続はしているようだな‥‥できれば、出撃しねえで

ほしいが‥‥」

「ねえ、ねえ、どんな人なの?‥‥その、かんなぎ‥‥うーんと‥‥りゅうい

ち、さん?‥‥て人」

「そうだな‥‥アイリス、おめえ、案外惚れっちまうかもしれねえな‥‥」

米田はニヤッと笑って言った。

「‥‥大佐なんでしょう。中年の方ではありませんの?」

「ヤツは‥‥若えぜ。大神よっか5、6歳程度しか離れてねえよ」

「なんですって?」

「いい男だぞ」

「‥‥‥‥」

少女たちは黙り込んだ。

「神凪の着任は一週間後だ。やつには支配人としての仕事もしてもらう。俺は明

日から向こうに行かなきゃならん。大神、その間はお前が代行しろ」

「えっ、ずいぶん急ですね」

「そんだけ、やばい状況なんだよ‥‥まあ、気にするな」

「わたしは‥‥お手伝いできることがあれば‥‥」

「マリア、おめえは明日から花やしきに行け。向こうには話をつけてある。舞台

のほうも、明日から始まんのはすみれとカンナが主演のやつだっただろ。‥‥心

配すんな、5日間程度だ。だがそれ以降‥‥神凪が来るまでの間は‥‥おめえが

帝撃を指揮しろ、いいな」

「はい‥‥」

「以上だ、解散していい」

花組の面々は複雑な表情を隠しきれなかった。

冷静なマリアにして、当事者のせいもあるが、なにやら思案深かげに歩き始め

た。

「‥‥大神、おめえは残れ」

「は?‥‥はい」

少女たちは大神を横目で見ながらも、支配人室を後にした。



サロンでの話題は副司令となったマリアと、そして新司令のことだった。

彼女たちの間で生まれつつあった確執は完全に消失していた。





<一章終わり>


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Uploaded 1997.11.01




ふみちゃんさんの大作、「花組野外公演」の第一章でした。





大神を想う、紅蘭、マリア、すみれ、さくら、カンナ、アイリス。





それぞれの切ないほどの想いが、大神の変調を機に、帝劇に渦巻きあふれてきています。

そしてそれに伴う、何か得体の知れない事件の予感・・・・





素晴らしい描写力。このひとことに尽きます。

時に胸が熱く、痛くなります。





これほどの作品は、滅多に見られませんね。

何か、感動だなぁ・・・





次からは第二章に入ります。

大神は、花組の少女達は、いったいどのようなことになるのでしょう?

新しく赴任する司令、神凪大佐とは!?



とっても楽しみです!

#すでに一読者と化している撞鐘Boy(笑)




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