<その2>



作戦室にいち早く到着した大神は、花組のメンバーが集合するのを待って、スク

リーンを投影した。

大神以下さくら、すみれ、アイリス、そしてカンナ。銀座に駐在する今の帝撃花

組はこの5人だった。



「上野公園に敵が出現しました。現在帝撃予備軍が足止めしていますが、そう長

くは持ちません。出動を要請します」

スクリーンにはマリアが写っていた。

「わかった。詳細は轟雷号で聞く‥‥出撃するぞ!」

「了解!」

久しぶりに機動する神武は、動きに些かのよどみもなかった。

紅蘭の尽力に、大神は一瞬哀愁にも似た感情が沸き上がったが、すぐに奮い立っ

た。

ほぼ垂直に投射され、螺旋軌道を描く轟雷号が受ける初期衝撃と荷重は、霊子甲

冑の中にいるパイロットにさえ伝達してくる。大神たちは戦場に向かう戦士に、

いやがうえにも駆り立てられた。

ほぼ水平になり、自力走行になった時点で振動は定常状態に達した。

大神は神武内のスクリーンに電源を入れた。

すぐにマリアが応対する。

「申し訳ありません、大神‥‥さん。わたしはこの場から離れられない状況です

ので‥‥」

「わかってる。フォローを頼むよ」

「はい‥‥敵は接近戦型の降魔のようです。数は五体ほど確認しています」

大神はわずかながら安堵感を覚えた。

中長距離戦には絶対不可欠のマリアと紅蘭、その二人を欠いた状態では、火縄・

大筒といった類の敵に対して、消耗を避けられない。こちらの陣形は、現状の戦

力で対処できる範疇で済みそうだった。

大神が思案しているのを承知で、マリアは続けた。

「‥‥ただし、形態が従来と異なる模様です」

「?」

「形状は下級降魔なのですが、表皮が外骨格のようなもので覆われています」

「‥‥甲冑のようなものか?」

「そのようです。魔操機兵のそれと酷似しています」

「隊長、行ってみりゃわかることだ‥‥どっちにしろ接近戦闘になるんだ、あた

いの出番だぜ」

「そうですわ、大尉。心配ご無用、この神埼すみれにおまかせあれ」

『‥‥ふっ』

大神は、ともすれば劣勢になるかもしれないこの状況下で、二人の言葉は頼もし

く思えた。決して油断など感じられない。

「‥‥そうだな。マリア、状況が変わったらまた連絡してくれ」

「わかりました」

「陣形はY字型でいこう、古典的な。敵の素性がわからん以上基本で攻める。両

翼をすみれくんとカンナ、中央先頭を俺、その後ろにアイリス。‥‥最後尾はさ

くらくんだ」

「了解!」

大神は、さくらを最後尾に配置したほうがいいような気がしていた。

なにか妙な胸騒ぎがしていた。

それはさくらに対してでもあったが‥‥敵の甲冑らしき物というのが、どうも気

にかかった。

大神は個人能力値の表示に目を向けた。現状で最も防御力の高いカンナ、すみれ

を先頭に。そして癒しの力を発揮できる範囲内にアイリスを配置。さくらは攻撃

力はともかく、防御力数値が低下していたため最後尾へ。

『‥‥疲れか‥‥まさかな』

大神は最後に通信を送った。

「さくらくん‥‥」

「はい?」

「‥‥君は必殺技を放つまで霊力を蓄積しておけ。それだけに集中しろ」

「わかりました」





上野公園は修羅場と化していた。

降魔の本体は頭部にあり、人間のそれを捕食し、胴体部に寄生する。戦闘で負傷

した帝撃予備軍の兵士の十数名が、標的にされ、そして変貌していた。数は二十

体ほどになっていた。

「‥‥ひでえ」

「なに‥‥これ‥‥」

「大神さん」

マリアが通信に現れた。

「増えた敵は従来の降魔と同一です。外骨格を有するものは先の五体だけです」



「わかった」

「ただし‥‥液射が三体ほど混じりこんでいます。注意してください」

「!‥‥了解だ」



カンナが液射の一匹を発見し、いち早く動いた。

優先すべきは中距離で攻撃してくる、その降魔だったからだ。

「チェストォーッ!!」

「ギュワッ」

カンナの臨界通常技がたたきこまれ、液射は一瞬で消滅した。

それに刺激されたように残る降魔が襲いかかってきた。

「‥‥わたくしの出番ですわね」

待ち構えていたかのように、すみれが対峙する。

既に必殺技を放つまでに霊力は蓄積されていた。

「神埼風塵流‥‥」

腕部を軸とする長刀の回転運動に随伴して、霊力が限界まで高まる。

大神がすみれの背後に回り込むように移動を開始した。

さくらがその軸線上に距離を置いて移動する。

「鳳凰の舞!!」

高く掲げられた長刀から飛び立った紅蓮の鳳凰は、翼の及ぶ領域にある全ての不

浄の物の怪を、一瞬で焼き尽くすはずだった。

「!」

すみれは息をのんだ。

鳳凰の洗礼を受けて消滅した通常降魔、その残渣を踏み付けながら、五体の甲冑

降魔は歩行を停止することはなかった。

「こ、これは‥‥」

1体の甲冑降魔が目の前に接近した、その時、すみれの神武の背後から白い影が

舞い上がった。

「狼虎滅却・無双天威!」

すみれの攻撃によりダメージを受けていたその甲冑降魔は、大神の神武が放つ必

殺の雷刃を受けて消滅した。

「こいつは‥‥霊力耐性が倍化してる。甲冑のせいか!?」

「二人とも、下がってくださいっ!」

三体の甲冑降魔が襲いかかろうとしていた。

二人は弾かれるように左右に散った。

「破邪剣征・百花繚乱!!」

さくらの神武から放出された高密度の霊力は、巨大な球形の爆炎となり、二人の

神武をかすめながら、三体の甲冑降魔を飲み込み、そして消滅させた。

「ちっ、アイリス、さくら!そっち行ったぞ」

残存する通常降魔を次々に片付けていたカンナが、液射を取り逃がした。

一瞬気を逸らしたカンナに、残る一体の甲冑降魔が、その汚泥物のようにどす黒

い鉤爪を降り下ろす。

「しまった!」

防御が間に合わないと判断したカンナは、意図的に態勢をくずした。

直撃を避けたはずのカンナの神武に、まるで紙を裂いたような切れ目が走った。



「がっ」

傷は操縦席まで達していた。

カンナの左腕から吹き出す血流で、操縦席は赤く染まった。

大神とすみれは奔った。

大神はアイリスとさくらに向かって。

すみれはカンナに向かって。

「アイリス!カンナのところへ跳べ!」

大神は叫んだ。

液射が同時に攻撃をしかけた。

アイリスの神武に降りかかろうとしていた液体爆薬は、瞬間移動によって消えた

後の空間に空しく落下した。

「イリス・ジャルダン!」

カンナのすぐ傍に出現したアイリスは、すかさず必殺技を放った。

アイリスのみが持つ、回復力を癒しの力まで高めるその浄化光は、霊力の回復の

みならず、生体の本来持っている修復機能まで加速する。

流血は停止し、カンナの霊力は充実した。

「サンキュー、アイリス」

「へへっ」

甲冑降魔はすぐに追撃を開始した。

キンッ

標的をアイリスに向けたその一撃は、すみれの長刀によって阻まれた。

「させませんわよ」

「すみれ!?」

「てぇい!」

すみれはすかさず風塵流の一振りを浴びせた。

ガキッ

霊力の刃は甲冑の表面に傷をつけただけだった。

「か、堅いですわね」

「どけっ、すみれ!」

アイリスとすみれの間を擦り抜けるように、カンナが突進した。

「死にやがれ!四方攻相君!!」

武道家としてのカンナが会得した勁の力に、高密度の霊力を添付し、さらに腕部

で凝縮させて放つ花組最強の必殺技。

それは怒気をもはらんで甲冑降魔の腹部に炸裂した。

10メートル以上吹っ飛ばされた後、それは消滅した。

目標を失った最後の降魔、液射はさくらを標的に選んだ。

さくらはその霊力を全て必殺技に注ぎ込み、ほとんど動けなかった。

さくら色の機体に不浄の唾液が襲い掛かる。

「きゃっ‥‥」

目の前に現れた純白の神武。

「あ‥‥ありがとうございますっ」

小太刀二刀の銀光が続けざまに液射に叩きこまれ‥‥そして天高く振り上げた太

刀の先端に、霊気が作る光の円環が収束した。

「でぇいりゃぁああああ!!」

大神は烈迫の気合いとともに斬り下した。



「損耗は‥‥カンナの負傷と神武六番機の破損、か‥‥傷の具合はどうだ、カン

ナ」

「なんとか‥‥アイリスのおかげで」

「でも、久しぶりに神武動かして‥‥アイリスたちが弱くなってるんじゃ‥‥な

いよね?」

「しかたないですわ‥‥通常技がほとんど効果なし。あの甲冑をなんとかしない

と‥‥」

すみれがあたりを見回すように言った。

「‥‥それに攻撃力が半端じゃないぜ。新型装甲を紙のように裂きやがる」

「しかも防御力の高いカンナがそれだからな。どうしたものか‥‥」

大神は途方に暮れた。

「とにかく帰還しよう。まずはカンナの治療だ‥‥」

大神はさくらを見た。

「疲れてるんじゃないか?さくらくん」

「え?いいえ、平気ですよ‥‥」

「‥‥そうか」



帝国華撃団・花組は凱旋の気分とは程遠い面持ちで帰路についた。



戦場となった上野公園、その不忍の池にほど近い樹木に隠れるように、

一人の男が立っていた。

白い英国調のスーツに身を包み、銀髪にサングラスをした、何か異様ないでた

ち。

20代前半とおぼしき端正な顔だちと、ぬけるように白い肌、その色艶からは、

男にあるまじき妖艶な雰囲気を醸し出していた。唇は血の色をしていた。

ふいにサングラスをはずす。

目は猫科のそれ、しかも朱に染まっていた。

瞳は縦に長く、切れ込むように伸びていた。

明らかに人間の目ではなかった。

妖艶さをさらに助長するような笑みを浮かべた。

口元に一瞬光が奔った。

人間ではなく‥‥狼のような、犬歯。

再びサングラスをかけ、その男は消え去った。



「‥‥という具合だよ、マリア」

「そうですか‥‥神武六番機の修復は花やしきで行います。轟雷号の進路をこち

らに向けてください。カンナの治療もこちらで」

「了解した‥‥ああ、それと‥‥」

「はい」

「夢組の誰か‥‥腕の立つ人間を呼べないか」

「?‥‥どうかしたのですか」

「詳しいことはそっちに行ってから話すよ」

「わかりました」

大神は通信を切り、神武のシートに背をあずけた。

そして短く浅い眠りについた。







「これは‥‥第弐装甲板まで切り裂かれてますね。よく助かったわね‥‥カン

ナ」

マリアが溜息と驚嘆の混じりあった声で言った。

大神たちの運用する神武は、一年前聖魔城から回収された段階で著しく劣化して

いた。当然と言えば当然だが、特に外郭装甲の損耗が激しく、最早使用に耐えら

れない状態だった。

そこで一新するにあたり、光武及び神武前期型に用いられていた装甲板、即ち重

層化されたポーラス型のシリスウス鋼を破棄し、二重構造の新型装甲を採用し

た。

厚さ10ミリの薄膜積層化シリスウス鋼板を、厚さ10ミリに至るハニカム構造

のクロム・モリブデン鋼を介して2枚重ねられてた、都合30ミリの外部第壱装

甲板。剛性と強度はそれまでのものを遥かに凌ぎ、弾性力もある。

そしてフレームと直結する内部第弐装甲板は、鉛の組成比を変えた内径5ミリ肉

厚5ミリの軟化シリスウス鋼管を、三重の隙間のない網状に配列した構造で、軽

量で粘りがあり、しかも柔軟性がある。鉛の組成を変えたシリスウス結晶、それ

が初めて実現できた、花やしき工場会心の作品だった。

それが‥‥総厚60ミリ以上のこの二重装甲板を、いとも簡単に切り裂く威力。

マリアならずとも、動揺は隠しきれるものではなかった。花やしき支部の技術陣

も頭をかかえこむより他はなかった。

「紅蘭がいてくれたら‥‥」

「‥‥それは言わない約束だよ、マリア」

「そうですね。申し訳ありません‥‥大神‥‥さん」

「取敢ずカンナの治療が先だ」

カンナは地上にある治療室へ移動した。

花組の面々は地下のパイロット専用の休憩室で疲労をとることにした。





マリアは大神とともに司令室に向かって、足音の響く廊下を歩いていた。

「はっきりしたことは明日にもわかりますが‥‥修復は最低5日はかかります」



「そんなに?」

「ええ。新型装甲は製造も面倒ですが‥‥取付けもやっかいでしてね。それに花

組の神武に取付けたものは謂わば試作品みたいなものです。状況によって量産に

踏み切る、という出資元の条件付きで試作を開始したものですから‥‥予備品は

無いに等しい状態です。破損部を最初から造り直しということになります」

「‥‥厳しいな」

「カンナの怪我のこともありますから、妥当な線でしょう」

「確かに‥‥」

「敵に関する情報については、現在月組の結果待ちです。少し時間がかかるかも

しれませんが‥‥おまかせください」

「ありがとう‥‥」

大神はマリアをじっと見つめた。

「な、なんですか?」

「いや‥‥」

大神の口元が緩まり、そして微笑みをつくりだした。

目線を先に戻して。

「昨日、紅蘭の部屋で話したの、憶えてる?」

「‥‥はい?」

「昨日のことなのに‥‥なんか随分時間が経過したような気がするけど‥‥あ、

いや‥‥自然の力のことだよ」

「‥‥風水、でしたか?」

「うん‥‥紅蘭の部屋にあった、木彫りの置物、四聖獣‥‥紅蘭の必殺技もそう

だね」

「‥‥‥‥」

「四聖獣‥‥四神獣とも言う‥‥方角を司る神の使い。見立てられた神獣によっ

て正しい方向に気が流れる。自然の回復力もそう‥‥」

「‥‥‥‥」

「正しい気の流れによって、繁栄を得られる‥‥大陸ではそう信じられている」



「気の‥‥流れ、ですか‥‥」

「‥‥子供の頃、兄から教えてもらったのさ‥‥兄さん、大陸に渡ったことがあ

って、向こうの人から色々と師事されたらしい‥‥」

「‥‥‥‥」

「もしかしたらマリアが副司令になったのは、そんな自然の力が働いたのかもし

れない、マリアは副司令として見立てられた‥‥そんな気がしてね」

「わたしが‥‥」

「マリアが副司令になることで‥‥もしかしたら、帝撃は、花組は‥‥これから

起こるかもしれない何かから、護られるんじゃないかなって‥‥」

「そんな‥‥‥」

「‥‥紅蘭がいなくなったのも、そのためなのかな、なんて‥‥おかしいかな‥

‥」

「大神‥‥さん」

「‥‥‥‥」

「紅蘭は‥‥きっと、いえ必ず帰ってきます。わたしは‥‥自分の仕事をするだ

けですから」

マリアは、最初は強く、そして最後は消え入りそうな声で言った。

大神はもう一度マリアを見つめた。

マリアはうつむいていた。

二人はいつしか立ち止っていた。

「‥‥ここって、監視されてる?」

「はい?‥‥いいえ、そんなことは‥‥あ‥‥」

大神はマリアの唇を優しく塞いだ。

自分のそれで。

初めて自分の意思で。

マリアの腰に手をまわし、ゆっくりと引き寄せた。

その芳しく、信じられないほどに柔らかい肢体を‥‥大神はきつく抱きしめた。



花の香り。

『マリアの‥‥香り‥‥』

『お、お‥‥が‥‥み‥‥さん‥‥』

時間がそこだけ、そして少しだけ停っているように、二人には思えた。

大神はマリアから離れた。

その余韻を確かめるように、ゆっくりと。

大神らしく、顔を赤く染めて‥‥下を向いたまま。

マリアは、やはり頬を朱に染めて‥‥目を閉じて立っていた。

マリアの目がゆっくりと開けられた。

「ご、ごめん‥‥ああしないでは‥‥いられなくて‥‥その‥‥」

「そんな‥‥そん、な‥‥」

「‥‥行こう、か」

「はい‥‥」

大神の横、少し後ろを歩くマリアの表情には、いつしか聖母のそれが甦ってい

た。





「さくらさん、なんか顔色がよくありませんわよ」

「‥‥はい?」

「さくらぁ、なんか、さっきから、ぼーっとしてない?」

「そ、そうかしら」

「どれどれ‥‥」

すみれはおもむろに自分の額をさくらのそれにあてた。

あまりにも珍しいすみれの挙動に、一瞬さくらは固まって‥‥そして顔を真っ赤

にして喚いた。

「な、なに、なにするんですかああっ」

「ん?熱でもあるのではと‥‥」

「きゃははは、さくら、照れてる」

「ば、ば、ばか、ばかなこと‥‥」

「ちょっと‥‥じっとしててくださいな、さくらさん」

「は、はい‥‥」

さくらは、これもまた珍しく、すみれの言うとおり大人しく従った。

顔は相変らず真っ赤になったままで。

『はあ‥‥なんか、すみれさんって、いい香りがするなあ‥‥』

さくらは恍惚として、表情を和らげた。大神に見せるそれとは少し違う、少し幼

げな、少し儚げな笑みを浮かべて。

アイリスが、その時だけは子供のような無邪気な笑顔で、さくらを覗き込んだ。



アイリスの笑顔はすぐに凍りついた。

その目が細く、そして、そのつぶらな瞳は鋭く光り始めた。

それはまるで、遠くにある何かを必死で見極めているようにも見えた。

すみれはさくらに額を付けたまま、やはり目が真剣そのものだった。

透きとおるような瞳の奥に、青白い光が点っているように見えた。

しばらく経って、すみれはゆっくりとさくらから離れた。

アイリスと目が合う。

「アイリス‥‥わたくし、のどが乾いてしまいましたわ。大尉に言って何か用意

させてくださいまし」

「うん」

「あ、わ、わたし、行ってきますよ」

「いえ、アイリスにお願いしますわ」

「アイリスが行ってくるよ。花やしきの中、少し見てみたいし」

「そ、そう?」

アイリスは休憩室を出ていった。

すみれはさくらをじっと見たまま‥‥さくらの手を握った。

「す、すみれさん!?」

「‥‥なんか熱があるみたいですわね、さくらさん‥‥わたくしが手を握ってい

てさしあげるから、少し眠りなさいな」

「あ、あの、あの‥‥」

「‥‥いいから」

すみれはそう言って、さくらを半ば強引に自分の膝に押し倒した。すみれの膝枕

を受ける形になったさくらは、真っ赤な顔を見られないよう片手で隠した。

恥ずかしかった。

でも、なにか‥‥うれしいような、せつないような。

もう一方の手はすみれに握られたままだった。

赤いリボンで纏められた、さくらの柔らかな黒髪が、すみれの膝から足首にかけ

て流れ落ちた。

すみれは残った片手でそれを愛しそうにすくった。

「す、すみれ‥‥さん‥‥」

さくらは顔を隠したまま呟いた。

「‥‥お静かになさい」

「‥‥はい」

さくらは手を下ろした。

真っ赤になった顔はそのままに表情は、少女だった頃の‥‥一年前、花組を日本

橋へ導いた、あの、少女の姿だった頃の‥‥あの表情に還っていた。

『お母さん‥‥』

さくらの閉じた目から、自然に涙が零れてきていた。

すみれはそれを、優しく拭った。





「いてっ、いてててて‥‥もっと優しくしてくれよ」

「この傷でよく‥‥まったく信じられないわ」

花やしき支部駐在の女医が‥‥この時代としては極めて稀といえる‥‥感嘆の声

を発して、それでも治療の手は休めず、その傷に見入っていた。

カンナの怪我は左肩から肘にかけて、長さ10センチ以上パックリと割られてい

た。

アイリスの癒しの力により出血は停止し、付着が開始されていたものの、斬られ

た断面は最も深いところで1センチ以上あった。

「なるべく傷痕は残さないようにするわ‥‥女の子ですものね」

「そ、そんな、気遣いは無用だぜ」

「無理しないで。‥‥大神少尉‥‥あ、大尉になったんだわね、あの方‥‥」

「うっ‥‥」

「素敵よね、こんなおばさんでも惚れぼれしてしまうわ」

「‥‥‥」

「まかせなさい。こう見えても外科の腕は、日本国内なら誰にも負けない自信が

あるから」

「だから、別にいいって‥‥」

「だめよ。あなたは‥‥あなたは、自分で思っているほど強くはない子だから」



「そ、そんなこと‥‥」

「強がるのはおよしなさい。わたしと‥‥それと、あの、大尉の前ではね」

「!」

「うふふ‥‥いいわね、若い子は。きっと他の‥‥あの女の子たちも、あなたみ

たいに可愛らしいのよね」

「あたいなんか‥‥そりゃ、あいつらのほうがずっと‥‥」

「あなたは可愛いわよ」

「え?」

「あなたは魅力的な女の子よ‥‥そうね、わたしよりも‥‥きっとあの大尉のほ

うがよくわかっているわね‥‥」

「‥‥‥‥」

カンナは顔をそむけて、沈黙した。顔は少し赤くなっていた。

カンナは、この女医の言葉がなんの抵抗もなく自分に入ってくるのに、少し驚き

と戸惑いも覚えていた。

あやめさんが‥‥歳をとったらこんな感じになるのかな‥‥

おふくろも‥‥こんな感じだったのかな‥‥

そう感じてさえいた。

「‥‥ふむ、これでいいわ。少なくとも一週間は絶対に無理はしないで」

「わからねえよ、そんなこと。敵が現れたら、そんなこと言ってられ‥‥」

「だーめ。大神大尉にはわたしから言っておくから」

「そんな‥‥」

「約束して」

「‥‥‥‥」

「お願い」

「‥‥‥‥うん」

「いい子ね。‥‥これから毎日来て。包帯も取り替えないといけないし」

「‥‥うん」

「これ、お藥ね‥‥ごはん食べた後で飲むのよ。よし、戻っていいわよ」

「うんっ」

カンナは治療室を後にした。

まるで子供のような含羞んだ笑顔で。

『‥‥いいな、マリアのやつ、こんなとこにいられて‥‥あの人、銀座に来ねえ

かな‥‥』

カンナはうつむき、そして少し思い直したように再び笑った。

『‥‥そっか、あたいが毎日来ればいいんだ‥‥そうか、そうだよな』



カンナはふと窓の外を見た。

すっかり陽は落ちて浅草の夜の帳が視界に入った。

空には、三日月が‥‥赤い三日月が点っていた。

『‥‥赤い月‥‥くそっ、いやなもん見ちまった』

赤い満月‥‥一年前、花組にとって一番大切な人を奪った‥‥あの赤い月。

カンナは網膜にこびりついたそれを掻き消すように、窓の反対側、明るい照明の

点った広い空間に視界を移した。

そこは地上格納庫だった。

カンナが歩く廊下を介した二重の壁、しかも偏光性の窓で覆われているため、外

部から発見されることはない。外壁は無論完全防音だった。

轟雷号が収容されている場所とは司令室を挿んで反対側に位置していた。

『へー、花やしきはでかいって紅蘭から聞いてたけど、格納庫が二つもあるとは

‥‥』

夜になっても、何かしら作業は続けられていた。

花やしきは不夜城だった。

「へへ、いいね、みんな元気で」

カンナは行き来する作業員の、真剣な顔つきに感動していた。

ひととおり見渡してふと一角に、そこだけ何か光を吸収するような物体があるこ

とに気づき、目を凝らした。

『‥‥なんだ、あれ』

それは人型だった。

人型蒸気だった。

人型蒸気‥‥即ち、霊子甲冑だった。

黒い霊子甲冑だった。

『黒い‥‥神武‥‥!』

カンナの願いは、半ばその漆黒の霊子甲冑により適えられた。

カンナの網膜にあった赤い月は、その黒い神武によって完全に焼き消された。

『あの時助けてくれた‥‥黒い‥‥霊子甲冑‥‥』



カンナは、格納庫側壁に設置してある、地上三階から地下一階までのタラップを

駆け下りた。左腕に巻き付けられた包帯が、走るカンナに抵抗を示したが、それ

を庇うようにして走り続けた。近くにいた若い技術者を捕まえる。

「あのさ、この霊子甲冑に乗っている人、今何処にいるんだい」

「神凪大佐のことですか?‥‥こちらにはおみえになってないようですが」

「なんだ、そうか、ちぇっ‥‥‥な、なあ、ここにはよく来るのかい?」

「この霊子甲冑も、先程ここに到着したばかりですし‥‥どうでしょうか。帝撃

司令になられたんですよね‥‥米田司令の後任として。わたしが聞いた限りで

は、ここにはいらっしゃらずに直接銀座に伺うとの‥‥」

「そっか‥‥ん?」

「?」

「あれ‥‥この神武、あたいらが使っているのと、ちょっと違うように見えるん

だけど‥‥」

その黒い神武は、見かけ上、カンナたちが使っている神武と変わりないように思

うが‥‥よく見ると、背負う形で横置された直列霊子力エンジンの、そのストロ

ークがかなり短い。

通常の神武は肩から完全にはみ出すほどの大きさだが、それはコンパクトに見え

た。

それに蒸気排管も短めになっている。

後ろに回ると、あの巨大な冷却用ファンがなく、変わりに長方形のスリットのよ

うなものが、後部にはみ出すようについていた。よく見ると横にもついている。



装甲もなんとなく丸みを帯びていて、俊敏な動きを予測させた。

足を見てみると‥‥ここが決定的に違っていた。

神武に採用された高速移動用機動装置。

爪先から中心部に渡って取付けられたキャタピラと、踵の部分につく補助車輪。

短時間ではあるが、これにより、間合いを必要とする接近戦闘では絶大な効果を

発揮する。

それが‥‥なかった。

カンナは思わず這い蹲って、わずかな、その隙間を覗こうと試みた。

『なんだ、あれ‥‥』

「‥‥失礼ですが、あなた、花組の‥‥桐島カンナさんでは?」

「え、あ、ああ、そうだけど‥‥」

カンナは起き上がって、若い技術者と向かい合った。

「はあ、どうりで‥‥見る目はお持ちのようですね」

「なあ、ひとつだけ聞きたいんだけど‥‥」

「なんでしょう」

「この神武‥‥足が違うよな。なんで?」

「‥‥‥‥」

「あの機動装置、結構いけてると思うんだけどな‥‥」

「これには代替装置が取付けられています‥‥いえ、むしろ、通常の神武のあの

高速移動ユニットのほうが、それの代替と言うべきでしょうね」

「‥‥なんだい、それは」

「神凪大佐がこれを花やしきに持って来た以上、あの方の出撃はあるでしょう。

ないに越したことはありませんがね‥‥その時に、おそらくわかると思います

が」

「‥‥‥‥」

「量産型の神武にそれが採用できなかった理由は、消費するエネルギーが異常に

高いためと‥‥エンジン出力とのバランスがとれないためです」

「?」

「ちなみにこの神武の霊子力エンジン‥‥もう気づいていると思いますが、違う

でしょう、後ろも‥‥通常の直列二基型のそれと違って、一体形成されていま

す。出力は量産型神武の3倍はあります」

「なんだって!‥‥まさか、これも紅蘭の隠し種かよ‥‥」

「この神武に李主任は直接は関係していませんよ」

「李主任?‥‥あははは、紅蘭のやつ、ここじゃ、そう言われてんのか」

「李紅蘭‥‥主任は我々の目標ですよ。あの方なくして花やしきは有りえませ

ん」

「‥‥へえ」

カンナは少し口元を綻ばせた。

目の前の若い技術者の目は真剣だった。

紅蘭の少し華奢な姿が‥‥笑顔がカンナの脳裏を過った。

『あのバカ‥‥さっさと帰ってくりゃいいのに‥‥』

「‥‥李主任が関わったのは、量産型に採用されたのと同じフレームと、あとは

花組のみなさんの神武にだけ取付けられている、あれと同じ霊子増幅器ですね。

もっとも増幅器はつい最近取付けられたようですが‥‥霊子反応基盤とエンジン

そのものは‥‥実は、神凪大佐自ら手をかけられました」

「はい?」

「そういう意味では、この神武は神埼重工製とは言えないかもしれませんね。神

凪大佐は‥‥天才ですよ。以前こちらにいた‥‥山崎少佐‥‥あの人に比肩する

能力を持っておられると、わたしは思いますが」

少しだけその技術者は言い淀んだ。

技術者としての嫉妬?

カンナは一瞬だがそう感じた。

「この神武は‥‥試作型でしてね」

「え?」

「試作型神武‥‥型番無しってやつですよ」

「‥‥そんなもん、まともに動くのかい?」

「ええ。ただ、これはもともと封印されていたんですよ‥‥理由はちょっと。大

戦初期には既に完成していたのですが。神凪大佐が使われていた光武が使用に耐

えられなくなって、一度封印を解かれましたけどね。開発者の間では通称‥‥零

式神武‥‥そう呼ばれていますよ」

「零式‥‥神武?」

「型番がありませんからね‥‥それと‥‥」

「うん?」

「‥‥普通の人には動かせないんですよ」

「そりゃ神武は‥‥光武もそうだったけど、霊力のない人間には‥‥」

「そうではありません」

「??」

「この霊子甲冑は‥‥」

「ん?」

その技術者は躊躇いながらも続けた。

「‥‥霊力を喰うんですよ」

「はあ?」

「霊気を、そして妖気を喰う‥‥まあ、その辺りも、これが封印された理由かも

しれませんが」

「よくわからないな‥‥これは霊子甲冑だろ」

「‥‥これは極秘なんですが‥‥花組の方ですし」

技術者は、持っていた何かの部品を床において、周りを見回した。

そして、カンナに近づいて小声で話し始めた。

背丈が2メートル近いカンナは、少ししゃがんでその技術者の話を聞いた。

「霊力を持った人、それも光武での実戦経験者が何人か、これの試験運用のため

に投入されたんですが‥‥その殆どが廃人にされてしまいました」

「!」

「それに、無人なのに勝手に動いたりして‥‥」

「‥‥‥‥」

「とどめは、一年ちょっと前まで封印されていた場所、川崎にある神埼重工の倉

庫。わたしはそちらのほうには行ったことがないので詳しくは存じませんが‥‥

聖魔城でしたっけ、あれが現れた時期に暴走したらしくて‥‥」

「‥‥!」

「勿論無人でした。倉庫は跡形もなく消滅ですよ‥‥残った焼け跡から、これが

出てきたという話らしいです」

「‥‥そんなやばいのを操縦するのか‥‥神凪大佐は‥‥」

「あの方も普通じゃありませんからね」

「え?」

「日本橋の戦いは‥‥桐島さんのほうが詳しいでしょう」

「ん‥‥まあ」

「あの翌年‥‥降魔が出現して‥‥末期はひどかったんですよね、帝都は」

「ああ‥‥」

「あの聖魔城から降魔が大量に出てきて‥‥帝都はそれこそ、修羅場でした‥‥

逃げ遅れた民間人がかなり犠牲になって‥‥」

「‥‥‥‥」

カンナは眉を顰めた。

自ら目の当たりにして、彼女はいやになるほどよくわかっていた。

民間人が降魔の犠牲になる、その意味を。

安息の臨終が奪われる‥‥死すら冒涜する、その意味を。

「神凪大佐は‥‥光武はもう殆ど使用不能状態でしたから‥‥これを引っ張り出

して‥‥止めたにもかかわらず‥‥‥‥後はもう廃墟でした」

「‥‥?」

「晴海だったんですけど‥‥あのあたり一帯は、神凪大佐が操るこの零式で、完

全に破壊されてしまったんですよ。降魔ともども。たった1体のこの神武で」

カンナは思いだしていた。

聖魔城での戦いに勝利した後、銀座に帰還する折り、翔鯨丸の窓から覗いた‥‥

上空からしかその大きさがわからないほどの‥‥火山の火口のような焼け跡。海

沿いの街がひとつ消滅していた、あの凄惨な風景を。

あれはサタンの力によるものだと‥‥思っていたのだったが。

『マジかよ‥‥』

「でも、普通の時の大佐は、それこそ本当に頼りになる方ですよ‥‥それでいて

軍人には見えないところ‥‥米田司令に少し似てますかね、雰囲気が。‥‥待て

よ」

「ええっ、米田長官に似てるって!?」

「雰囲気ですよ‥‥いや、それよりも‥‥」

「なんだよ」

「大神大尉に‥‥」

「隊長がどうしたよ」

「あ、いえ、どうも長話をしてしまったようで‥‥わたし仕事の続きありますか

ら‥‥」

技術者は慌てて去っていった。

カンナはしばらく茫然として立っていたが、いつものカンナらしい仕草でしめく

くった。

「ちっ、なんだよ。隊長のこと最後に出しといて、中途半端に話終わらせやがっ

て‥‥思わせぶりな‥‥気になるじゃねえかよ」

カンナは近くにあったスパナを思いきり蹴飛ばした。

そして目の前にそそり立つ黒い神武を見つめた。それは何か異様な気配を放出し

ているような気がして、カンナは鳥肌がたった。

「強力な助っ人になることに変わりはねえな‥‥さっきの戦闘のこともあるし‥

‥」

手を延ばして、その神武の外郭に触れようとして‥‥止めた。



カンナはタラップを駆け上がって、休憩室を目指した。

黒い神武の‥‥その蜘蛛の単眼のような追尾視鏡が、ゆらっと薄く閃いた。







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Uploaded 1997.11.01




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