<その2>



帝劇の朝は、いつも早い。

7時にはもう椿が売店の準備をしていた。

事務室ではかすみと由里が公演の準備に忙しかった。

二人はいつもより早く劇場入りした。今日の公演は特別だったからだ。



一階の洗面所で一人の青年が顔を洗っていた。

逆立った髪形も、今日は勢いがない。

「‥‥はあ‥‥なんて顔だよ‥‥‥‥飯、食えるかな、俺‥‥」

大神の顔からは血の気がほとんど失せていた。

目の下にはくっきりと隈ができていた。食欲もない。

顔を拭いていると、舞台からやはりもう一人の青年がやってきた。

そして大神のとなりに配置した。

鏡をじっと見ていた。

「‥‥‥‥し‥‥死ぬ‥‥」

山崎の顔色は、大神のそれを遥かに凌いでいた。

山崎の顔立ちは、兄である真之介に似てかなり整っており、大神とはまた別の

凛々しさを漂わせていた。

しかし、今はそれも片鱗すら感じさせない。

カンナの宣言どおり、山崎の特訓は貫徹で続けられた。

「ふっ‥‥」

「お、おいっ‥‥」

「‥‥‥‥あ‥‥」

「う、うわっ」

山崎が直立姿勢を保ったまま、大神に向かって角度を傾けていった。

かろうじて大神が支えたが、当の大神も絶不調であったために、重なるように床

に倒れた。

「す‥‥すいません‥‥大神、しゃん‥‥」

「い、いや‥‥」

「な、なにをしてらっしゃるの‥‥不潔ですわ!」

二人が振り返ると、すみれが立っていた。

目の腫れは、かなりひいていたが、青々とした痣がしっかりと残っていた。

「お、おはよう、すみれくん‥‥」

「‥‥お、はよう‥‥ごじゃいましゅ‥‥しゅみれ、しゃん‥‥」

「ふんっ、あれしきのことで‥‥情けないったらありませんわね‥‥」

すみれは捨て台詞を残して食堂へ向かった。

大神と山崎も連れ立って食堂へ向かった。

そこには既に花組の面々が待機していた。

「よー、隊長に‥‥へっへっへ、旦那。まあ座りなよ」

同じく徹夜のはずのカンナは、いつもと同じく血色のいい顔をしていた。

「おはよう‥‥カンナ」

「‥‥‥‥」

ろれつがまわらないほど疲れきっていた山崎は、話す力もなくなっていたようだ

った。

「まあ、見られるようにはなったかな‥‥まだまだだけどな。公演、午後の部だ

ろ。一休みしたら、もういっちょ最後の仕上げと行くからな」

「‥‥うぶっ」

山崎は、カンナの喰っていた山盛りの朝飯を見て、さすがに逃げ出した。

「けっ、情ねえなあ。まあ、しょうがねえけどよ‥‥隊長は大丈夫みてえだな。

さすがだぜ」

「俺も‥‥横になりたいんだよ、実は。‥‥朝飯だけでも詰め込んどこ‥‥」

大神は自らカツを入れて、立ち上がり、厨房へ入った。

「‥‥へへ」

「さすがは大神さんですね。でも顔色あんまりよくないみたい」

「あーら、さくらさん。あなたの顔には勝てませんわよ、おーほほほほほほ」

「‥‥‥‥お年をめしたら、その痣、残るんじゃありません、すみれさん」

「くわっ」

歯形はとれたものの、口まわりに痣がまだ残っているさくら。

そして片目痣のすみれ。

再び視線が重なりあった。

「‥‥よしなさい、二人とも」

静かに朝食をとるマリアが制した。

「‥‥余裕ですね、マリアさん」「‥‥ですわね」

「‥‥ふっ」

マリアは、そのとおり余裕の笑みを浮かべて立ち去った。

「‥‥んむむむむむ」

「‥‥んぬぬぬぬぬ」

何もリアクションのとれないさくらとすみれだった。



山崎は個室として暫定的に与えられた宿直室で横になっていた。

疲れ果てて、仮眠もとれないほどだった。

『‥‥彼女たち、いつも、こんな稽古してんのかな?』

戦闘では帝撃の先陣を切る花組。それもまだ年端もいかない少女たち。

そして、そんな彼女たちを率いる、隊長の大神。

その日常に触れた山崎は、生命力とでも言える花組の力の源を垣間見た。

しかし、それは影の姿で、山崎はその本当の意味を公演後に知ることになる。

『‥‥なんか‥‥ほんと、情けないな‥‥俺‥‥』

いつしか山崎は浅い眠りについていた。



大神は喰っている最中に眠っていた。箸を持ったまま。

「‥‥器用ですわね」

「疲れてるんですよ‥‥でも‥‥」

さくらとすみれは、そんな大神に魅入っていた。

「素敵ですわ‥‥」「素敵ですね‥‥」

「‥‥‥‥」

アイリスも大神をじっと見ていた。

しかし、その目は子供のそれでは最早ありえなかった。

さくらもすみれも気付かない、それは明らかに一人の女性の目であった。

自分の声に応えてくれた‥‥

自分を護ってくれた‥‥

アイリスは二度脱皮した。そして‥‥

大好きなお兄ちゃん‥‥それからも抜け出そうとしていた。

カンナはそんなアイリスを見ていた。

二度目の脱皮直後を目にしたカンナは、アイリスの内変に気付き始めていた。

その瞳は‥‥あくまで優しく、そして喜びと少し悲しみが混じり込んだものだっ

た。

『こいつも‥‥いい女になるなあ‥‥ちぇっ、前途多難だぜ‥‥』

そう心の中で愚痴って、天井を見上げた。





マリアは再び舞台の上に一人立っていた。

昨夜から続いた稽古。

マリアは目を閉じて反芻していた。

大神の声。

大神の演舞。

大神とのからみ、その全て。

「‥‥‥‥」

一年前の大戦のさなか、ふと衣装部屋に立ち寄って胸にあてた街娘の衣装。

‥‥なかなかよく似合うよ‥‥

『‥‥わたしには、こんなもの‥‥』

‥‥そんなことないよ‥‥普段からそんな服を着ればいいのに‥‥

人前で照れるなど‥‥顔が赤らむなんて‥‥

自分が信じられなかった。

ロシアにいた頃捨てたはずの想いが‥‥凍り付いたはずの想いが‥‥

甦ってきていた。

自分は女だった。



わたしは女‥‥です。



わたしを見て‥‥ください。



わたしを‥‥受け入れて‥‥ください。



マリアは願った。

それが今実現しようとしていた。

マリアは目を開けた。

スポットライトはマリアを照らしていた。

マリアの背中には、白い翼が透けて見えるようだった。

「‥‥大神‥‥さん‥‥」

それは、祝福する天使が舞っているかのようだった。







昼になると舞台の準備は本格化してきた。

裏方どころか事務方まで全て駆り出された。時間がなかった。本来は花組メンバ

ーが参加するのだが、今回はそうもいかない。演目決定がなにしろ昨日の今日だ

ったために、演技に集中するしかなかった。

最後の台詞合わせも終り、あとは舞台衣装合わせだけになった。

ここで問題が生じた。

大神の着る衣装はもともとマリアの体格にあわせて作られたもので、身長はい

い。が、胴回りが大神にはきつすぎた。あと最低10センチは広げないと演舞は

無理だった。

街娘の衣装に至っては論外と言えた。

予想できたはずなのに‥‥小柄なさくらに合わせてあった衣装のため、マリアに

は当然合わない。

「‥‥くそっ、迂闊だったな」

大神がほぞを噛んだ。

「‥‥‥‥」

マリアは悲しそうな顔をしていた。

夢にまで見た街娘の衣装。

‥‥やはり、自分には‥‥

悲痛な面持ちの二人に、動いたのは‥‥なんと、山崎だった。

「わたしに心あたりがあります。その人に頼んでみましょう。時間的には‥‥か

なり厳しいですが、何もしないよりはマシでしょう。待っていてください」

そう言うと、山崎は二人の衣装と二人の普段着を持って、駆け出した。

「ちょっと待った。あたいもいくぜ」

「頼むよ‥‥待ってるからな!」

まるでマリアの気持を代弁するかのように、大神が叫んだ。

マリアはその横に座って、じっと大神を見つめていた。

「大丈夫だよ、マリア」

「‥‥はい」

短い返事をした後、マリアはうつ向き、そして続けた。

「本当は‥‥わたしが‥‥大神さんを‥‥フォローしなければいけないのに‥‥

すいません。わたし‥‥なんか‥‥ほんとに、情けないです‥‥」

深く頭を擡げるマリアの、その眩いブロンドに、悲しい表情は全て覆い隠され

た。

花組の少女たちは‥‥何も言えなかった。

さくらでさえ、声をかけられなかった。

誰もがわかっていた、その役割を担う人。

大神はマリアの髪を優しくかきあげて、その蒼い瞳で自分を見えるようにした。



「‥‥マリアには舞台でフォローしてもらうさ。‥‥舞台の外は、俺が支配人

だ」

大神は満身の笑顔で言った。

ほんとうに冗談抜きで言った。

‥‥‥‥

花組に笑顔が戻った。

笑い声が戻った。

「まあ、確かにそうですわね。ここは舞台ではありませんものね」

「俺が支配人‥‥ですか。うーん、言われてみればそうでしたね、代理ですけ

ど」

「‥‥あのな」

マリアはいつしか顔をあげていた。

大神の横顔を見ていた。

『‥‥大神‥‥さん‥‥わたしは‥‥わたしは‥‥あなたが‥‥』

そこまで考えて、マリアは止めた。

そして微笑みがそれをつないだ。

「大丈夫ですよね‥‥きっと」

「ああ、勿論さ」

マリアを見て、照れくさそうに笑う大神がそこにいた。

『‥‥大神さん』





山崎は開演10分前に到着した。

「なんとか‥‥間に合い‥‥ましたね‥‥」

「ありがとう、山崎‥‥」

「ありがとうございます、山崎さん‥‥」

「い、いや、そんな‥‥がんばりましょう‥‥さあ、舞台が待っていますよ!」



「なんか‥‥調子にのってませんこと?」

「まあいいじゃありませんか。がんばりましょう、すみれさん」

「‥‥そうですわね」

山崎の持ってきた衣装。それは帝劇の保有するものではなかった。

山崎が向かった場所。そこはフランス領事の滞在する家だった。現衣装の修正は

時間的に無理と判断、山崎は代替え衣装を借り受けるために走った。

そして、見つけた‥‥それはまさに、フランス貴族の、そして、フランス庶民の

服だった。

それは二人の身体のために作られたように、ぴったりと合った。



大神は、まさにオンドレそのものだった。

端正で凛々しい顔だち、精悍な瞳、鍛えられた肉体。

その闇を裂くような純白の軍服衣装は、大神の色であり、オンドレの色であっ

た。

花組の少女たちは全員顔を朱に染めて、茫然と魅入った。

「はあ‥‥」

溜息しかでなかった。



マリアは‥‥

「!!!」

大神は、山崎は、さくらは、すみれは、アイリスは、そしてカンナは‥‥目を見

開いた。

マリアは街娘ではなかった。

マリアは‥‥聖母だった。

透き通るように白い柔肌、神が創った嵋梁。

柔らかな曲線を包む、可憐で軽やかな純白のワンピース。

金色になびく髪は、動くたびに淡い光を散らした。

蒼く澄んだ瞳は、微笑むたびに宝石の珠のように光り輝いた。

そして、薄紅色に光る少女のような唇は‥‥その人のためにあった。

輪郭がぼけて見えた。

産毛が光を放っていた。

見る者全てが息をのんだ。

見る全ての者が、そこを動けなかった。





開演のベルが鳴った。



大神が動いた。

「マリア‥‥」

「‥‥はい」

「行こう、か」

「はい」

花やしきで触れあった最後の言葉。

それを二人は繰り返した。



舞台の幕が開いた。







夕陽が帝国劇場を赤く染めていった。



街の雑踏が劇場の外壁に反射されて鈍く響いた。

行き交う人々。

そこを通り過ぎる人は、必ず振り向いた。

帝国劇場を。

そこは淡い光を放っているかに見えた。







幕は降りた。



音はなかった。

ただ幕の降りる音だけが劇場に響いた。



そして‥‥歓声が沸き起こった。



地鳴りのような歓声だった。

歓声は終わることがなかった。

観客は誰一人席を動こうとしなかった。



帝国劇場の舞台は閉幕した。



静寂が帝国劇場に訪れた。



舞台は‥‥終わった。







「‥‥はあ‥‥すごかったなあ‥‥」

「‥‥ま、まあ、なかなか、でしたわね」

「わたし‥‥もう、街娘できないかも‥‥」

「アイリス‥‥グスッ‥‥感動しちゃったよー‥‥」

「はあ‥‥すんげえ舞台に‥‥なっちまったよなあ‥‥」

「‥‥わたくしにだって、あれぐらい‥‥あれぐらい‥‥」



花組の少女をして感動させてしまった”愛ゆえに”‥‥



大神の描き出すオンドレは、舞台で生命を与えられた‥‥オンドレが舞台で闘っ

ていた。

マリアの創る街娘は、舞台で洗礼を浴びた‥‥聖母が舞台に降臨していた。



「‥‥‥‥」

山崎は何も言わなかった。

何も言うことができなかった。

舞台に立ったとき‥‥自分が自分ではなくなっていた。

宮殿兵士としての自分。

そして大神‥‥いや、オンドレとの死闘。

そこは、舞台ではなかった。

フランスの荒廃した宮殿だった。

魂がすり変わったようだった。

群を抜く精神感応、それに付随する能力では得られない、得たことのない感覚だ

った。

そして、舞台で舞う聖母マリア‥‥彼女を護るように闘う騎士、大神‥‥

これが舞台というものなのか‥‥

これが感動というものなのか‥‥

山崎は虚空を見つめ、頭の中では、ただ舞台での映像を繰り返し再生していた。



「‥‥どうだい、旦那。くせになるんじゃねえかい」

いつのまにかカンナが横に座っていた。

「はあ‥‥‥‥」

ようやく口を開いた山崎だが、溜息しか出てこなかった。

「へへへへ‥‥まあ、しばらく、そうしてな」

「マリアさんと大神さん‥‥遅いですね。何してるんだろ」

「‥‥少尉、ちょっと、山崎少尉!お二人を呼んできてくださらないこと」

「あたいが行ってくるよ‥‥きっと舞台だろうしな」

カンナは振り向いて再度山崎を見た。

「よくやったな、山崎隊長」

そう言ってサロンを出た。





大神とマリアは並んで舞台に立っていた。

スポットライトはない。

舞台袖から入り込む廊下の灯りが、二人の横顔を照らしていた。

「わたし‥‥女役、初めてだったんです‥‥」

「ほんとに?」

「ええ‥‥緊張しました。でも‥‥」

「俺も緊張したよ‥‥でも、マリア、助けてくれたし‥‥」

「‥‥‥‥」

「舞台っていいよな。‥‥なんか、こう‥‥」

「‥‥‥‥」

「スポットライトって結構あたたかい気がするし‥‥」

「‥‥‥‥」

「一瞬‥‥おふくろのこと、思いだしてしまった‥‥」

「‥‥‥‥」

「ほんと、カンナの言ってたとおりだな‥‥」

「‥‥‥‥」

「舞台っていいよな‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥大神さん‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥うん‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥わたしは‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥わたしは‥‥あなたが‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥あなたが‥‥好きです‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥うん‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥もう少しだけ‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥もう少しだけ‥‥ここに‥‥いよう、か‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥はい‥‥」



並んだ二人の距離が、少しだけ短くなっていた。



『ちぇっ‥‥』

舞台袖でカンナが背を向けて立っていた。

『‥‥貧乏くじ‥‥ひいちまったかな‥‥』

少しだけうつ向いて、そしてすぐに天をふり仰ぎ、歩きだした。

『‥‥へっ、まだまだ‥‥これからだぜ』





‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥





「おはようございます、山崎さん」

「おはよう、椿さん‥‥随分はやいんですね」

「午前の部がある日は、このぐらいから始めないと間に合わないんですよ」

「へえ‥‥」

「‥‥でも、今日は午後からですけどね。他にお手伝いすることがあるんで」

「?」

「昨日の舞台、わたし、感動しちゃいましたよ‥‥」

「‥‥わたしも‥‥感動しました‥‥‥‥舞台って、いいですね」

「山崎さんもすごくよかったですよ。とても初めての方とは‥‥」

「ははは‥‥ありがとう」

「浮かれないでいただきたいですわね!」

あたたかい朝の陽射しを浴びて、のどかな会話をしていた山崎と椿の間に入る、

甲高い声。

ずかずかとロビー横の階段を下り、速度を緩めず接近してくる紫煙、神埼すみ

れ。

「あれしきで自惚れるなど‥‥100万年早いですわよ!」

「は、はい‥‥」

「まあ、あなたも、この、わたくしの演技をごらんになれば少しは‥‥」

「すみれー、はやくしてよー‥‥」

「‥‥ったく、あのガキャ‥‥レクチャーは次にお預けですわ、少尉、よろしく

って?」

「は、はあ‥‥」

「あなたもはやく来るのですよ、おわかり?」

「はあ?」

「よう、はええじゃねえか、旦那」

地下鍛練室での朝の稽古も終り、カンナは食堂に向かう途中で山崎に目をとめ

た。

「なんかやってるんですか、上で」

「ああ、歓迎会の準備だよ、新支配人の」

「あ、今日でしたね、そう言えば‥‥神凪大佐の着任」

「なんだよ‥‥隊長だろ、おい‥‥まあ、なんだ、ついでだから、旦那の分もや

ってやるよ」

カンナは少し照れた口調で、山崎に言った。

「‥‥そんな、でも、ありがとう‥‥カンナさん」

「よせよ、おい、そんな‥‥照れるぜ‥‥」

「おはよう‥‥はやいな二人とも‥‥」

寝ぼけた顔で大神がロビーに現れた。

さくらとすみれは、ほぼ完全に復調した。よく見ればまだ痕が残っているが、化

粧でカバーできる程度になったため、大神はお役御免となった。

今日の大神はただのモギリに戻っている。

支配人代理も免除だ。

「‥‥隊長。なんか気いぬけたツラしてるな‥‥いっちょ、もんでやろうか?」



「え?‥‥そうだな。久しぶりにやるか」

「へへへ‥‥そうこなくちゃ、な‥‥どうだい、旦那も」

「え?なにを‥‥です?」

「組手だよ、組手。闘いとは常に隣り合わせだからな、油断なんてしちゃいけね

え」

「ふっ‥‥でもカンナ、あんまり無理するなよ。左腕まだ直ってないんだからな

‥‥」

「こっちは何か充ててやるさ。さあ、行こうか、二人とも」

「わたしは‥‥格闘は‥‥弓専門ですし‥‥」

「弓?」

「ええ、弓です。昔祖父から受けたもので、実戦にはなかなか使えませんが‥‥

わたしは霊力がそれほど強くないので、実戦に参加する場合、それを強化する媒

体が必要になるんですよ。弓矢がそれでしてね。力をしぼれますし‥‥兄は剣で

したけどね」

「へえ‥‥」

「それに、わたしの本来持っている力、精神操作も、矢を介して遠隔伝送が可能

なんです。もともとは接触してやるもんですからね」

「そうなのか‥‥でも、それは十分戦力になるよ」

「そうだな‥‥でも肉弾戦も重要だぜ。まあ、試しに見てみなよ、あたいと隊長

の組手」

「そうですね」



朝の静寂をやぶるように、その時警報は鳴り響いた。



「ちっ、おあずけだな、カンナ。行くぞ!」

「おおよ!」

「山崎隊長、君も来てくれ」

「ええ」







場所は前回と同じ上野公園だった。

数も同じ5体の降魔‥‥外郭装甲をまとった、これも前回と同じ甲冑降魔だっ

た。

花組のメンバーは全て‥‥紅蘭を除いて‥‥作戦室に集合した。

「‥‥どういうことだろうな」

「なにが?」

大神には何か腑に落ちないところがあった。

カンナが聞き返す。

「目的がわからん。破壊活動がそうだとも思えんし‥‥数も場所も同じというの

も気になる」

「そうですね‥‥試されている、という気も‥‥」

「冗談じゃねえぜ、マリア。それじゃ、一昨日のやつらは様子見だっていうの

か?」

「‥‥」

「とにかく出撃だ‥‥カンナ、君は当然待機だが‥‥さくらくん、君もだ」

「え?‥‥どういうことですか!?」

「霊力値が落ちてる‥‥特に、この敵に防御力低下は致命的だ。それに‥‥これ

は新司令の指示でもある。待機していてくれ」

「そんな‥‥」

「出撃するのは‥‥俺、すみれくん、アイリス‥‥この三人だ。すまんが‥‥す

みれくん、アイリス、よろしく頼む」

「おーほほほほほ、この神埼すみれにおまかせあれ。楽勝ですわよ」

「アイリス‥‥お兄ちゃんと一緒なら‥‥怖くない」

「そんな‥‥無謀すぎます‥‥」

「隊長。わたしも行きますので」

「マリア、君は‥‥」

「副司令の権限で‥‥山崎少尉を臨時に代行させます。よろしいですね、少尉」



「!‥‥わかりました」

「‥‥ありがとう‥‥マリア」

「それでも、たった四人でなんて‥‥あの敵に‥‥」

「さくらくん‥‥」

「‥‥」

「俺が帝撃に来て、初めて戦闘に参加したときも四人だったよ‥‥同じ上野公園

か」

「‥‥!」

「‥‥皮肉だな。だが、こちらが不利だとしても、行かなくちゃ‥‥俺達はその

ためにいる」

「‥‥大神さん」

「心配しないでいい。絶対に負けない!‥‥‥‥帝国華撃団、出撃だ!!」

「了解!」



大神の決意はいつしか青白い霊光となって放たれていた。

出撃する三人の少女たちにも、それは伝染していった。



舞台に舞う少女たち‥‥そして戦士になった。







甲冑降魔は何をするでもなく、大神たちの到着を待ち構えていたようだった。

「マリアの言うとおりかもしれんな‥‥」

「なんか、いやな‥‥気配が‥‥しますわ‥‥」

「どうした?すみれくん」

「あ、いえ‥‥あの時と同じ‥‥」

「相手に通常技がきかんのは、先の戦闘で知ってのとおりだ。攻撃は必殺技に限

定する。すみれくんは俺の背後につけ。マリアはアイリスの後ろだ。アイリス、

君は防御のことだけ考えろ‥‥いいね」

「うん」

「よし。二体一組、一撃離脱でいくぞ」

「わかりました」

「なるべく甲冑の隙間をねらおう‥‥俺が突っ込んで引きつける。その直後にす

みれくんの必殺技で先制だ。‥‥いくぞ!」

「了解!」

大神の神武は、脚部の高速機動装置を全開にして走りだした。

すみれが、その陰にぴったりと寄り添うように後を追った。

知らず知らずのうちに大神ユニットの周辺部には、青白い光が稲妻となって収束

していた。

『!‥‥隊長‥‥』

マリアの脳裏には、花やしきで見た、あの白狼が浮かんできていた。



「ちっ、歯痒いぜ‥‥怪我さえなきゃ‥‥」

「‥‥大神‥‥さん‥‥」

山崎は後ろで苦悩するカンナとさくらを気配で感じていた。

精神感応によらなくとも‥‥それは痛いほどよくわかった。

『‥‥くそったれが』

己の非力さを呪わずにはいられなかった。

自分の力など‥‥なんの役にもたたないではないか。

山崎はスクリーンに映し出される、今まさに始まろうとする死闘を、血走った目

で見つめていた。



「鳳凰の舞!!」

大神機に群がるように集まった甲冑降魔は、爆炎の翼に包み込まれた。

大神は寸前に舞い上がり、必殺の気合いを太刀に集中させた。

「マリア!」

「パールク・ヴイティノーイィ!!」

これまでにない攻撃力の充実を得たマリアの神武は、その右腕の霊子速射砲に蓄

積した霊子力を全て放出した。

凝縮して放たれた必殺の霊力は、一直線に伸びる光の帯となり、目標に接すると

同時に周辺部に拡散、極寒の冷気が不浄の物を凍結させた。

すみれとマリアの霊力、そして鳳凰の超高温と雪娘の極低温に曝され、甲冑降魔

は瞬殺された。

舞い上がっていた大神機は、残る一体の甲冑降魔の頭上から襲いかかった。



「んぬおわあああああ!!!」



ズズーーーーンッ



無数の稲妻とともに爆音が響き渡った。

大神の放った無双天威は、その名のとおり、並ぶ者などない無双の破壊力を以っ

て天をも威嚇した。

甲冑降魔は残骸どころか、周辺部には絨毯爆撃をしたような破壊孔を残して、消

滅していた。



「す、すごい‥‥」

「お、お兄ちゃん‥‥」

「こんな‥‥」

大神の放った必殺技は、今までよりも遥かに巨大な破壊力を示していた。

三人の少女たちは、今は光を失ったその純白の神武を、ただ見つめるしかなかっ

た。

「ハア、ハア、ハア‥‥‥‥」

操縦席で大神は肩で息をしていた。

自分でも信じられなかった。

なぜ、あれほど力が‥‥



‥‥あせったら、あかんで‥‥



『!!‥‥紅蘭‥‥』

あの時の力なのか‥‥紅蘭‥‥しかし‥‥

大神の放った必殺技は巨大だった。

だが格納庫で示した力はこんなものではなかったはず。

『いったい、どうすれば‥‥』



「すげえ‥‥さすが、だぜ‥‥」

「大神、さん‥‥」

スクリーンでその威力を目の当たりにしたカンナとさくらが、驚嘆の声をあげ

た。

山崎は‥‥なぜか、腑に落ちない顔つきをしていた。

『‥‥これほどとは‥‥しかし、なんか、おかしい‥‥いやな、気配が‥‥』



「さすがですわね、大尉」

「お兄ちゃん‥‥平気?」

「‥‥ああ‥‥」

マリアが周囲を伺った。

「‥‥もう大丈夫みたいですね」

「ああ‥‥」

『‥‥大神隊長』

「ん‥‥山崎隊長か?」

『‥‥周りには‥‥なにもありませんか?』

「え‥‥ああ」

『そうですか‥‥さすがですね。では、帰還してください。お待ちしておりま

す』

「!!!」

アイリス機が突如大神の背後にまわった。

「アイリス!?」



大神の背後の空間にいきなり闇が形成された。

その闇の中から鉤爪が降り下ろされた。



ガキッ‥‥



アイリス機は‥‥腕ごと左半分が引き裂かれた。

「アイリス!!」

「お兄‥‥ちゃん‥‥」

「アイリーースッ!!!」



頭の中が真白になっていた。

大神は、アイリスの駆る山吹色の機体がくずれていくのを、ただ見ているしかな

かった。







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