<その5>



「はあ‥‥もう起きなきゃ」

朝6時。

さくらは結局一睡もできなかった。

手早く身支度を整える。

さくら色の普段着。

姿見の鏡に写った自分を見る。

「‥‥はあ。なんか冴えないなあ‥‥顔洗おっと」

バタン‥‥

ドアを閉める。

「大神さん、まだ寝てるよね‥‥」

さくらは隣の部屋をちらっと見た。

部屋はまだ修理中だったため、さくらはあやめの部屋に寝泊まりしていた。

階段に向かう途中で自分の部屋を見た。

仮補修は終わっているが、補強材がむき出しのままだった。

そして‥‥向かい側の部屋を見た。

「‥‥中国‥‥か」

あの時の記憶をさくらは思いだしていた。

紅蘭が出ていったのは、すみれとの不可解な確執によるものではなかった。

それはなんとなく解っていた‥‥あの時のすみれは、なぜか普通ではなかった。



理由はよくわからない。

勿論自分が遭遇した記憶の外で、何かがあったのかもしれない。

しかし、いくらすみれといえど、あそこまで感情的になるとは思えなかった。

なにかおかしい‥‥

すみれの目が‥‥

『‥‥あの時だけなのよね‥‥すみれさん』

さくらはふと、花やしきに泊まった日のことを思いだした。

すみれが額に触れ、そして‥‥

『すみれさん‥‥いい香りがしたなあ‥‥すみれさんって‥‥素敵だもんなあ‥

‥』

さくらの頬がほんの少し赤くなった。

目が眠れなかったせいもあって、さらにとろんとしたものになった。

『はあ‥‥いいなあ‥‥』

記憶がさらに進む。

すみれの膝で‥‥

髪を撫でられて‥‥

すみれの膝で‥‥眠った。

『はあ‥‥』

そして‥‥

目が覚めて‥‥

「‥‥むかっ」

さくらはずんずんと階段を下りていった。

行進は洗面所まで続いた。

人の気配がした。

「‥‥あれ?」

「ん‥‥?」

逆立った髪形。

まだ眠そうな目のその青年は、さくらを認めて声をかけた。

「あ‥‥おはよう、さくらくん」

さわやかな笑顔。

さくらは、してやったりという表情で喜び勇んだ。

頬が自然に朱に染まっていく。

早く起きた介があったというものだ。

「おはようございます。早いんですね、大神さん。今日はゆっくりできるのに‥

‥」

「‥‥俺、神凪だけど」

「え‥‥‥‥はっ、す、すい、すいません、し、支配人、あ、あの‥‥」

「ははは、いいよ、そんな‥‥‥‥待ってるからね、いつでもおいで」

神凪はすたすたと、支配人室へ戻っていった。

さくらは、しばらく神凪の後ろ姿を見つめたまま、硬直していた。

すっかり目が覚めたようだった。

「そ、そうだったんだ‥‥‥‥し、しまったあ‥‥」

さくらはふいに夕べの歓迎会を思いだした。

少し含羞んだ、大神とそっくりな笑顔。

そして、最後に見せた父のような笑顔。

‥‥さくらくん‥‥‥‥さくらくん‥‥

「‥‥はあ‥‥」

また顔が赤くなった。

「‥‥いいわあ‥‥」

眠くなってきた。

‥‥待ってるからね‥‥

「うん‥‥いい‥‥すごく‥‥いいわ‥‥」

さくらは顔を洗った。





「‥‥そ、そんなに、わたくしを‥‥ああ‥‥‥‥あ‥‥あ?‥‥‥‥朝‥‥」



朝6時半。

すみれは熟睡していた。

「ああ‥‥素敵な‥‥夢でしたのに‥‥」

完全に寝ぼける。

夢の余韻が表情に現れる。

目がとろんとして、口元が緩みきる。

今にも涎が垂れてきそうな状態になる。

「ああ‥‥大尉‥‥‥‥はあ‥‥大佐‥‥」

内容は推して知るべし。

しばらく放心状態が続く。

ぼけっとしたまま身支度を始める。

ぼけっとしたまま壁掛けの鏡を覗き込む。

「はあ‥‥わたくし‥‥どうしたらよろしいの‥‥‥‥‥‥はあ‥‥」

すみれはドアを開けて洗面所に向かった。

さくらの部屋の前を通りかかる。

床の補修跡。

さくらの部屋の壁、ドア。

「‥‥わた、くし、は‥‥」

すみれは必ずここで目が覚めた。

あの時の自分は、自分でなかった。

言い訳ととられても仕方のないことだったが、自分の中にまるで別の人格が形成

されたような感じだった。

心の中で沸き上がった暗い情念が、理性の止め金も空しく、急速に成長し始め

た。

それは水に墨を垂らしたように、止めることなどできなかった。

なぜ、あのようなことをしたのか‥‥全く理解できなかった。

大神への想いが、紅蘭への嫉妬として変換されたとしても、なぜあそこまで行き

着いてしまうのか。

それがわからなかった。

すみれの中には、拭い切れない罪悪感が形成されていた。

どんなに明るく装っても、部屋に戻るといつもそれは襲ってきた。

‥‥紅蘭のことは心配するな‥‥

「‥‥中国‥‥」

そして紅蘭の部屋を見る。

「はやく‥‥戻ってきて‥‥ください‥‥まし」

すみれはとぼとぼと歩きだした。

目の前に人がいたのに気付かず、すみれはその人の胸に顔をぶつけた。

「いたっ‥‥」

「あ、ごめんよ‥‥すみれくん」

顔を上げると、照れくさそうな笑顔。

対してすみれは、落ち込んだ表情をしていた。

朝はいつもそう。あの時から‥‥

「あ、大尉‥‥おはようございます‥‥」

「‥‥眠れなかったのかい?」

「え‥‥いえ、そんなことはありませんわ‥‥」

大神は、すみれがいつも悩んでいることに気付いていた。

紅蘭が消える前夜のこと。

紅蘭にしたこと。

紅蘭のこと。

外見上は明るく振る舞っても。

「えーと‥‥朝から、あれだけど‥‥おまじないをしてもいいかな‥‥」

「‥‥はい?」

そう言って大神はすみれの頬に口づけをした。

「あ‥‥」

「ご、ごめんね‥‥そ、それじゃ‥‥」

大神は逃げるように一階へ下りていった。

すみれはしばらく茫然として、そして‥‥寝起きの表情に戻っていた。

「もう‥‥大尉ったら‥‥」

へらへら笑いながら‥‥今度はしっかりと涎を垂らして、すみれは洗面所に向か

った。





『‥‥そろそろ朝食にしないと』

朝7時。

マリアは既に起きていた。

なぜか、よく眠れた。

めずらしく、何も考えずに眠れた。

考える余裕などなかった。

いつもの黒いコート。

備え付けの机に控えめに置かれた鏡を見る。

「‥‥く、暗い‥‥」

顔の左側を隠すように掛かるプラチナブロンドの髪を、手で少しかき分ける。

昨晩のことを思い出す。

大神のこと。

‥‥マリアは素敵だったよ‥‥

顔が赤くなる。

「‥‥か、かわいい‥‥かな‥‥」

また思い出す。

一昨日の舞台、そして自分の言葉。

‥‥あなたが‥‥好きです‥‥

顔がさらに赤くなる。

「‥‥か、かわいい‥‥よね‥‥」

さらに思い出す。

花やしきでのこと。

‥‥マリア‥‥

白いところがなくなる。

顔が茹であがる。

「‥‥こ、こ、これは‥‥」

ブロンドを下ろす。

深呼吸をする。

マリアは部屋を出た。

マリアは紅蘭の部屋の前に差しかかったところで立ち止った。

そして、部屋のドアを見た。

「中国‥‥か‥‥」

‥‥風水のこと‥‥マリアは知ってる?‥‥

マリアは大神との会話を反芻した。

紅蘭の部屋にあった四聖獣の置物。

「‥‥‥‥」

調査してもいいが、神凪大佐が既に把握している可能性もある‥‥意味がないだ

ろう。

マリアはそう判断し、考えるのを止めた。

他にやることもあった。

交差する廊下に少し立ち止り、左を向いた。

大神の部屋のドア。

昨日の戦闘‥‥もし神凪大佐の到着があと一秒でも遅かったら‥‥

‥‥帝国華撃団に絶望はない!‥‥頼む‥‥みんな‥‥

いやあああああああああ‥‥

マリアは震えた。

『あの人を失う‥‥いや‥‥絶対に、いや‥‥』

悪夢の再現。

忌まわしい過去への回帰。

マリアは直後に決意していた。

敵はわたしが倒すしかない‥‥と。

月組を動かし、調査は続行させていた。

だが未だ有用な情報は得られない。

日本橋は関係ないのか‥‥

マリアは内心焦っていた。

敵は明らかにこちらの能力分析を目的にしているようだった。

先の二度の戦闘に現れた敵は、単なる斥侯に過ぎなかった。

敵の攻撃と防御は、装甲と通常技が通じないという、こちらの脆さを露呈するこ

とになった。

そして、霊力を使い果たした後、追撃され、窮地に立たされた。

「敵を知るには己を知れ、か‥‥」

しかし逆に言えばそこが補強の要でもあった。

昨夜の神凪の指示はまさにそこだった。

もしや、敵の実態を既に把握しているのでは‥‥話の節々に、それを伺わせる匂

いもした。

マリアには山崎の処遇もそれに依存しているような気もしていた。

ただ単に、紅蘭の後継としてではないような気がした。

「‥‥指示を待ったほうがよさそうね」

神凪の力を目の当たりにしたマリア。

百聞は一見に如かず、とはまさにあのことだった。

マリアはまた震えた。

「‥‥あれは‥‥すごすぎる‥‥‥‥‥普通じゃない、わ‥‥」

黒い神武。

黒い鬼神‥‥破壊神。

それを駆る神凪龍一‥‥大神麗一‥‥大神の兄。

また思い出す。

神凪のこと。

昨夜のこと。

‥‥マリアしかいないから‥‥

震えが止る。

「‥‥‥‥」

さらに思い出す。

同じこと。

‥‥たのむよ‥‥マリア‥‥

「‥‥はい‥‥」

顔が赤らむ。

さらに逆のぼる。

電話のこと。

‥‥一緒にがんばろな‥‥

「はい‥‥はい‥‥はい‥‥」

口元が緩む。

マリアはぼけっとしながら食堂に向かった。





「‥‥うーん‥‥うぐっ‥‥はあ‥‥‥‥はっ‥‥‥‥夢、か‥‥」

同じ朝7時。

カンナはめずらしく寝坊した。

朝の稽古のため、いつもはあと一時間は早く起きるはずなのに。

「‥‥親父の夢なんて‥‥何年ぶりだろ‥‥」

布団を跳ね上げる。

着替える。

布団を畳む。

左肩を‥‥怪我をした肩を見る。

思い出す。花やしきでのこと。

‥‥あなたは可愛いわよ‥‥

「‥‥‥‥」

少し照れる。

カーテンを開ける。

眩しがる。

テーブルの上に置かれた小さな鏡を覗き込む。

また思い出す。

大神のこと。

‥‥うまい、うまいよ‥‥カンナ‥‥

「へへへ‥‥」

また少し照れる。

ドアのノブに手を掛ける。

さらに思い出す。

神凪のこと。

‥‥うまい、うまいよ‥‥カンナ‥‥

「へへへ‥‥‥‥ん?」

二人の顔がだぶる。

重なる。

同じになる。

ずれない。

「‥‥‥‥」

頭を少し振る。

カンナは部屋を出た。

紅蘭の部屋に差しかかった所で、振り向いた。

‥‥カンナはん‥‥

「‥‥‥‥」

カンナは少しうつ向いた。

「‥‥中国、か‥‥‥‥ちっ、遠すぎらあ‥‥」

すぐに顔を上げ、一つ溜息をついた。そして、もう一度ドアを見つめた。

『早く帰ってこい‥‥‥‥みんな‥‥待ってるぜ』

カンナは歩きだした。

「‥‥おや?」

図書室から山崎が出てくるのを見かけた。

なにやら本を抱えているようだった。

「よう、旦那、はええな‥‥‥なんだい、それ」

「あ、おはよう‥‥カンナさん。これは‥‥まあ、ちょっとした調べ物でしてね

‥‥‥‥あ、そうだ‥‥カンナさんの神武、昨夜地下格納庫に収容したんですが

‥‥」

「えっ?もうできたのか!‥‥よっしゃ、それじゃ‥‥」

「待ってください。まだ修理は完了してないんです‥‥それに、完全に機動でき

るのは後5日程度かかる見込みで‥‥」

「なんだって〜。‥‥はあ、それじゃ、あたいは‥‥」

「まあまあ。実はカンナさんの機体、神凪司令が手を入れることになって‥‥」



「な、なにいーーーーっ!!」

「うっわっ‥‥」

「あ、あの、か、神凪、し、支配人が自ら‥‥ほ、ほんとか‥‥ほんとなのか

!?」

「ええ‥‥わたしも手伝います。まあ、殆ど神凪大佐のオリジナルになるでしょ

うね。大佐曰く、カンナさんの機体を最優先にする、とのことです。期待してて

ください」

「‥‥‥‥」

「それで、理由については‥‥ん?‥‥‥必要ないみたいですね‥‥では」

山崎は地下へ下りていった。

カンナは下を向いて‥‥手を見つめ‥‥

「あの‥‥あの神凪司令が‥‥あたいの‥‥あたいの神武を‥‥」

そして、拳を握りしめた。

カンナの瞳の中は、神武同様、真紅の炎が見えるようだった。

「あたいは‥‥」

その口元には‥‥気付かないうちに‥‥不敵な笑みが浮かべられていた。

「‥‥へ‥‥へへ‥‥」

‥‥ふふ、無理しないでね‥‥

『‥‥わかってるよ、おばちゃん‥‥』

‥‥カンナはん‥‥あははは‥‥うちの出番やな‥‥

『‥‥わかってるって、紅蘭‥‥はやく戻ってこい‥‥』

‥‥カンナ‥‥ふふふ‥‥がんばってね‥‥カンナ‥‥

『‥‥ああ、あやめさん‥‥まかせとけ‥‥‥‥隊長は‥‥隊長は、あたいが護

るぜ!』

カンナは天を見た。

それは、今迄彼女がそうした時のどれよりも輝いて見えた。

「へへへ‥‥やったるぜ‥‥やってやるぜ!」





同じく朝7時。

アイリスも既に起き上がり、鏡台の前に座っていた。

大戦が終わったあと母が贈ってくれた。

「‥‥お兄ちゃん‥‥」

指先を唇に触れる。

思いだす。

治療室へ連れられて行った後。

「お兄ちゃん‥‥お兄ちゃん‥‥」

顔が赤くなる。

目が潤む。

‥‥好きだよ‥‥アイリス‥‥

「‥‥うれしい‥‥アイリス‥‥うれしい‥‥」

また思いだす。

さっきまで見ていた夢。

大人の姿をした自分。

一年前に見た同じ夢。

正装の大神。駆け寄る自分。そして‥‥

「‥‥アイリス‥‥はやく‥‥はやく大人になるからね‥‥待っててね‥‥」

さらに顔が赤くなる。

目が半開きになる。

‥‥素晴らしいよ‥‥アイリス‥‥

「‥‥アイリス‥‥うれしい‥‥ん?‥‥」

顔は赤いまま。

目が大きく開かれる。

また半開きになる。

「はあ‥‥アイリスのお兄ちゃん‥‥はあ‥‥アイリスのお兄ちゃんのお兄ちゃ

ん‥‥」

溜息を5回ほどつく。

着替える。

もたもたと着替える。

カンナの声が聞こえる。

耳から抜けていく。

溜息を更に5回ほどつく。

アイリスは部屋をでた。

目を宙に彷徨わせたまま、紅蘭の部屋を通過しようとした。

床の補修跡に足を引っ掛け、あやうく転びそうになった。

紅蘭の部屋のドアを見つめた。

「‥‥ちゅうごく‥‥遠いのかな‥‥‥‥‥‥紅蘭‥‥」

アイリスの表情は少し暗くなっていた。

アイリスは紅蘭の言葉を反芻してた。

アイリスに託した、紅蘭から大神への伝言。

『‥‥よう聞きや、アイリス‥‥大神はんのことや‥‥』

アイリスの目は紅蘭の部屋、そのドアの向こう側にある別の何かを見ているよう

だった。

花やしきで、さくらのことを見つめたときの、それと同じく。

『‥‥ええか‥‥大神はんには‥‥実はな、うちらが及びも着かへん力が眠っと

る。ごっつうでかい力が‥‥大神はん自身もなんとなく気づいてはるみたいやけ

ど‥‥せやけど‥‥それは無理に開けたらあかん。‥‥もしかしたら、大神は

ん、使い方、間違えるかもしれへんし。それに、大神はんの身体をも傷つけるこ

とになるからや。無理に開けても、そん力は半分も‥‥ううん何分の一も出せへ

んやろ。ゆっくり、時間かけて、少しずつ目覚めさせなあかんのや‥‥』

アイリスはうつ向いた。

そしてもう一度紅蘭の部屋に目を向けた。

『‥‥ただな、大神はんのその力を起こすには、ちょいとしたおまじないがいる

んよ。四つほどな。‥‥なんで、そんなことわかるか言うたら‥‥ま、夢のお告

げかな?一つは時計‥‥アイリスも見たやろ、大神はんの持っちゅう、あの銀色

のや‥‥』

そして‥‥となりの‥‥すみれの部屋を見た。

『一つは、うちにはようわからん。たぶん、そのうち大神はんの前に現れるもん

やと、思うけどな‥‥‥‥そして、三つ目‥‥これが、最初に‥‥大神はんに‥

‥関わる気がするんや‥‥それは‥‥』

その時の紅蘭の表情に、初めて見せる、女の‥‥嫉妬めいたものが見えた。

勿論アイリスにはわかるはずもなかった。

『‥‥すみれはん、や‥‥すみれはんしか、おれへんやろ、な‥‥うちなんか、

じゃ‥‥あ、あはは‥‥な、なんでもあらへん‥‥こ、これは言わんでよろし‥

‥』

アイリスは反対側‥‥さくらの部屋を見た。

さくらはいない。気配を感じなかった。

部屋はまだ補修中だった。

『‥‥最後の一つは‥‥これは大神はんには言わんといてや‥‥たぶん、さくら

はんや。どういう具合に関るんかは、うちにもようわからん。ただ、こん事は、

大神はんには最後に知ってもろたほうがええ思うんよ‥‥。黙っといてや、ほん

まに‥‥‥‥そない心配することあらへんて。たぶん‥‥さくらはんにとって、

そんなに悪い結末にはならん思うで‥‥‥』

アイリスは花やしきでのことを思いだした。

ほんとに?‥‥ほんとに大丈夫なの?‥‥紅蘭‥‥

アイリスはもう一度紅蘭の部屋を見た。

『‥‥うちが関るんは時計や。‥‥あの時計動かんの、アイリス知っとるか?‥

‥あれを動かす必要があるんよ。そんこと調べるために‥‥直すために‥‥うち

は帝劇離れなあかん。アイリスには教えたるけど、あれ、ほんまは‥‥うちの姉

ちゃんの時計なんや‥‥』

アイリスの表情からは暗い色は消えていた。

瞳の中に強い意志が芽生えてつつあった。

『‥‥ええか、アイリス‥‥もし、大神はんが、力使いそうになったら‥‥アイ

リス、おまんが止めるんやで。アイリスしかおれへんのや。‥‥四つのおまじな

いが為しえても、まだ、なんか足りない気もするし。‥‥‥まだあるような‥‥

うちらの近くにおるような‥‥そんな気がする。すごく大事なことのような‥‥

あ、そろそろ‥‥アイリス、くれぐれも無理せんよう、大神はんに言うといて

や。アイリスもやで。無理したらあかんで。‥‥ええな‥‥』

アイリスは一度目を閉じて‥‥

「紅蘭‥‥すみれ‥‥さくら‥‥そして、もう一つ‥‥四つのおまじない。‥‥

でも、まだあるかも、しれない‥‥か」

そして再び、その瞳は強い意思を持って開かれた。

「お兄ちゃんは‥‥アイリスが‥‥お兄ちゃんは‥‥‥‥アイリスが‥‥絶対に

‥‥お兄ちゃんを護るんだから!」

そして、アイリスは歩き始めた。

覚醒した、その強い想いと共に。







「お‥‥はやいな、大神」

「あ‥‥お、はよう、ございます‥‥‥‥神凪‥‥支配人‥‥」

「‥‥今いち照れがないかい?‥‥ま、いいか」

「早いんですね、支配人‥‥米田前支配人は年中寝てましたけど‥‥」

「あっはははははは‥‥そうだあ、あのクソジジイはそれが生きがいだからな、

酒と」

「そうですね‥‥でも、なんでこんな早く?」

「ん?‥‥山崎のケツ叩かねえとな。それに早く飯喰って下に行かんと。カンナ

も待ちくたびれてるだろうし」

「?」

「さっき部屋の前で会ってな‥‥いきなり、手合わせしてくれ、だと。あいつ‥

‥怪我してんのになあ、大丈夫か?‥‥それに、なんか‥‥えらい張り切ってた

な‥‥なんで?」

「へえ‥‥‥‥あ、自分が朝食の用意をしますから‥‥」

「お、おい‥‥」

神凪は食堂の窓際に座り、その窓から見える朝の雑踏を眩しそうに見た。再会し

たときに見せた、目を細める、大神よりも少し大人の表情で。

「なんか‥‥久しぶりだな‥‥一緒に朝飯なんて」

とても遠いものを見つめるような表情で。



『あら‥‥隊長‥‥‥‥ん?‥‥‥‥司令?』

マリアは、事務室に立ち寄った後食堂に入り、そこで窓際に座る一人の青年を見

つけた。

レースのカーテンで緩められた朝日に微睡む、その端正で凛々しい横顔‥‥それ

は光で輪郭がぼけて、マリアを別世界へ誘った。

「はああ‥‥‥‥」

入り口で茫然と立ち尽くすマリア。

後ろから近づく人の気配にすら気付かない。

「マリアさん。どうなさっ‥‥」

すみれはマリアの視線を追って、同じように、しかるべきものを発見した。そし

て同じように恍惚とした表情で立ち尽くした。今度はなんとか涎は流さずに。

「ああ‥‥‥‥」

さくらが到着した。

「あら、お二人とも何‥‥」

これも同じだった。

 は‥‥う‥‥‥‥あ‥‥‥‥‥‥」

アイリスが到着した。

やはり同じだった。

「はあ‥‥‥‥お兄‥‥ちゃん‥‥‥の‥‥お兄‥‥ちゃん‥‥‥」

「‥‥おはよう、みんなもはやいね」

入り口に立ったままの花組四人は、これも口を開けたまま不動の体勢で、目だけ

を声のした方向に向けた。

そこにも同じ青年が立っていた。トレーを持って。

薄い逆光に斜めよりの顔向きの、その輪郭がぼけていた。

夢のような笑みを浮かべていた。

「はああ‥‥‥‥‥‥」

溜息はついに声になっていた。

歩きだす青年。そして席につく。

二人の横顔は‥‥ぼけて‥‥そして、二人とも笑みを浮かべていた。

一人は照れくさそうに、少年のように‥‥

一人は微睡む微笑みで、父親のように‥‥

「ふああ‥‥‥‥‥‥」

そこは天国に違いなかった。神とその使いがそこにいた。

四人は猛烈な脱力感に見舞われ、そこに立っているのも辛くなった。

少女たちはぞろぞろと、昨夜と同じように、死霊のように席へ移動した。

やはり手前の席に足を引っ掛け、お互いの身体をぶつけて、取敢ず我を取り戻し

た。一時的に。

少女たちは大神と神凪の座っているテーブルとは反対の、廊下側の席についた。



とても同席できるものではなかった。

自分の位置がしっかりと固定されたのを確認した後、また静観は開始された。

手はテーブルの上に乗せる。

また口を開ける。

「ん?‥‥こっち来いよ‥‥な、なんだ、その顔」

「え?‥‥あ、みんな、一緒に食べようよ‥‥」

神が、天使が、手招きをしていた。

思わず腰が浮きかけた。

しかし腰がぬけて、もう一度着席した。

「はああ‥‥‥‥‥‥」

「大丈夫か?‥‥‥‥ここの飯、うまいな」

「あはははは、よっぽど、ひどかったみたいだね‥‥ですね、普段の食事‥‥」



「ふふ‥‥まあな。こちらのお嬢さんたちの料理にも驚かされたが‥‥」

「ふわあ‥‥‥‥‥‥」

「こうやって席について飯喰うこと自体、月に何度もなかったし‥‥」

「‥‥あのさ」

「ん?」

「あの後‥‥何処に‥‥行ったの‥‥」

「‥‥‥‥もう一度中国に渡った。三年ほど‥‥」

「!」

「‥‥何か思いあたる節でもありそうだな。‥‥公務としては無駄に終わったが

ね、戦争始まったし‥‥‥‥‥‥あれは、失敗だった‥‥‥‥俺としたことが‥

‥」

神凪の表情はそれまでとはうって変わって、暗いものになった。

大神の苦悩する表情とは、これは明らかに違っていた。

「‥‥‥‥」

「ただ‥‥‥‥おもしろい娘を見つけた」

「‥‥?」

「おさげ髪は変わってないみたいだな‥‥」

「!!!!」

「‥‥いい娘だな‥‥目がいい。‥‥その前渡った時も似た娘に会ったんだが‥

‥」

大神は動揺を必死で抑えて、聞き入った。

自分の‥‥あの時感じたことは、間違いではなかった‥‥

「その娘は‥‥戦乱に巻き込まれて、その時以降所在が掴めなくなった。結構探

したんだが‥‥気になったし。‥‥そして‥‥会えた。飛行機が好きなんだよ

な。ふふ‥‥ほんと、可愛い娘だったな。まさか‥‥日本に‥‥帝撃に来ること

になるとは、な」

「‥‥‥‥!‥‥ま、まさか‥‥」

「ん?‥‥どした?」

「に、兄さん、飛行機に乗ったことあるんじゃ‥‥」

「ああ、そうゆう仕事もあったし‥‥好きなんだよ、俺、ああゆうの。‥‥つい

でに日本まで、それで帰ろうとしたんだが‥‥‥‥はああ‥‥途中で燃料切れに

なっちまってな」

「‥‥‥‥」

「‥‥中国にいる間、ロシアにも足を延ばした」

「え?」

「‥‥マリアもいることだし、これはよそう‥‥帰って来れなかったわけは、大

陸に定住する必要があったからだ‥‥もっとも、俺には結構あってたが」

「‥‥‥‥」

「他にいろんなとこ、まわったよ‥‥フランス‥‥アイリスのことだな。日本に

一時帰国しても、やることはあったし‥‥」

「‥‥‥‥」

「でも‥‥‥‥な‥‥一郎」

「!」

「お前や‥‥母さんのことを忘れたことは‥‥一日だってなかった‥‥‥‥元気

か?」

「‥‥‥‥うん」

「そっかあ‥‥‥‥この仕事、落ち着いたら‥‥‥‥帰ろっか‥‥」

「‥‥うん‥‥うん」

「‥‥さてと‥‥喰った、喰った‥‥」

「あ‥‥あの、自分も手伝うことがあれば‥‥」

「‥‥‥‥」

神凪は席を立ち、大神を見つめた。

少女たちはさらに恍惚とした。

神が天使に思し召す‥‥といった感じだ。

「ふわあ‥‥‥‥‥‥」

マリアはなんとか一線を保ったが、他の三人はもう限界だった。

脳が軟化し始めていた。目は完全に潤みきって、頬は赤くなり、口の端からは涎

がずり落ちてきて、テーブルクロスを侵食しつつあった。

「お前にはやってもらうことがある、そう言ったろ‥‥‥‥まてよ‥‥うん。お

前も来い。カンナと一緒に‥‥うわっ」

神凪は振り向いて、歩きだそうとした‥‥そして、視界に写る、目の前のエサに

待ったを掛けられた餓鬼軍団。

さすがの神凪もこれには後ずさった。

「な、なんだよ‥‥そ、そんな、腹へってんのか、お、俺は喰えんぞ」

「はああ‥‥‥‥」

「き、聞いちゃいねえな‥‥お、おい、大神っ、い、行くぞっ」

「待って‥‥う、うわっ‥‥お、お、置いてかないで‥‥」

二人は逃げるように食堂を去っていった。

少女たちは視線を一瞬たりとも離さなかった。

視界から消えて、しばらく経った後、同時に

ゴクッ

と、漸く唾を飲み込み、垂れ下がった涎を拭いた。

「はああ‥‥‥今日は‥‥いいこと‥‥‥ある‥‥かも‥‥」

「あああ‥‥‥大尉‥‥‥はあ‥‥‥大佐‥‥‥‥ああ‥‥」

「ふわあ‥‥いい‥‥‥すご、く‥‥いい‥‥いいわあ‥‥」

「あああ‥‥お兄ちゃん‥‥お兄ちゃん‥の‥お兄ちゃん‥‥」

目線が一瞬四人の間で交錯した。

目に光が宿った。

だが、それもすぐ消えた。

「はああ‥‥‥‥‥‥」

それから朝食が始まるまで30分かかった。







「待たせたな、カンナ」

「き、来てくれたのか、司令‥‥あ、隊長も一緒か‥‥‥‥今日は‥‥ついてる

ぜ」

「あ?‥‥ところで、お前、肩大丈夫か?」

「え‥‥ああ、まあ‥‥防具充ててるし‥‥」

「ほう‥‥‥‥‥‥じゃあ、手加減してやるか」

「む‥‥‥上等、だぜ‥‥‥‥隊長は‥‥そこで見物してな」

「おい、カンナ、ほんとに無理すんなよ‥‥」

「へっ、こんな機会、滅多にねえからな‥‥親父とやったこと、あんだろ、司令

‥‥あたいが、どれ程のもんか‥‥たっぷりと‥‥見せてやるぜっ」

神凪が訓練室へ着くなり、二人は対決ムード剥き出しで対峙した。

大神は入り口のところで二人を見つめていた。

「言っとくが‥‥‥‥お前の親父、俺には勝てんかった‥‥」

「!!!‥‥なっ‥‥なん‥‥」

「それと‥‥俺の得手は空手ではない。大陸の技だ」

「く‥‥くっ‥‥」

「‥‥どうした?‥‥遠慮は無用だぞ‥‥本気で来い」

「くくっ‥‥くそったれがあああっ!!!」

カンナは動いた。

それは、まさに電光石火だった。

大柄な身体と長い手足は、カンナの間合いを極端に広くしていた。

その脚力を以って、カンナは一瞬で自らの間合いに飛び込んだ。

当たれば大怪我確実の下段蹴りが神凪の脚を襲った。

神凪は浮いていた。

空を切ったカンナの左脚はフェイントだった。

その反動も利用して、次の本命、必殺の右足上段後ろ回し蹴りが、すかさず宙に

浮いた神凪の腹部に奔った。

「!!」

カンナは息を飲んだ

手ごたえがなかった。

決まったはずなのに‥‥

神凪は右手でカンナの後ろ右脚を流しつつ、自らはそれを支点に回転運動を行っ

た。

カンナの右足は水車を回す水流でしかなかった。

そして神凪は、重力の足枷のない羽毛のようであった。

「‥‥やるな、カンナ」

その回転のまま不意に何かがカンナに振ってきた。

「くっ!」

カンナは顔を引き攣らせながら頭を下げた。

鉄棒で振りきられたように、神凪の脚が赤い髪の毛をバサッと凪いだ。

そして着地するやいなや、カンナの懐に入ってくる様は、肉食獣のようでもあっ

た。

まるで足と地面の摩擦力が消失したような滑らかさと神速だった。

『やばい!!』

カンナは態勢を崩しながらも、背筋と軸足の筋力で、おもいきりのけ反り、跳ん

だ。

右頬に物凄い風を感じて、カンナは膝をついて着地した。

防御の構えは勿論忘れていない。

神凪は‥‥カンナの顔があった位置に脚を延ばしたままだった。

白鳥のような構えだった。

カンナは戦慄していた。

「ふむ‥‥かわすとは、な」

神凪はゆっくりと脚を下ろした。

カンナの背中は冷たい汗でびっしょりと濡れていた。

「お前の親父は‥‥防御しようとした。それが敗因だな‥‥」

「‥‥くっ」

カンナは背中の悪寒を振り切るように、腹に気合いを溜め込み、そして突っ込ん

だ。

それは‥‥獲物に襲いかかる虎の疾駆を思わせた。

「おおおりゃああああっ!!」

上段蹴りで牽制、そして、連続技‥‥神武の臨界通常技が神凪を襲った。

左右の連続正拳突きは、確実に神凪を捉えたはず‥‥だった。

これもまるで手ごたえがない‥‥距離感が消失したようだった。

間髪入れずに突風が神凪の足元から発生した。

カンナの左脚の残像が神凪の顔を‥‥これも擦り抜けた。

神凪の顔も残像のようだった。

神凪は足首の力だけで地を蹴って後退していた。

カンナは一回転して着地する態勢に入った。警戒して、かなり後方へ‥‥が、目

の前に神凪が現れた。

「!!!」

カンナは右肘で腹部をガードし‥‥直感だった‥‥両足で後ろに跳んだ。

右肘に恐るべき衝撃を受け、宙に浮いた状態のカンナは、吹っ飛ばされ壁に激突

した。

宙に浮くことで、衝撃を緩和したはずだった。それが‥‥右肘が痺れを通り越し

て、感覚がなくなっていた。

右腕は殺された。

肩で息をしていた。

左拳を前方‥‥神凪に向け、対峙した。

技がまるで通用しない‥‥空気を相手にしているかのようだ‥‥

汗が留めどなく流れてくる。

冷汗だった。

「たいしたもんだよ‥‥あれを受けて、まだ立っていられるとは‥‥」

神凪はいつもの表情でそこに立っていた。

『‥‥あの、密着した、至近距離、で‥‥どうやったら、これほどの‥‥‥く、

くそっ』

肉体も精神もこれまでにない疲労と苦痛を訴えていた。

たったこれだけの時間で‥‥

カンナは何が起こったのか、まるで理解できなかった。

気配だけが腹部をガードするように伝えた。そして逃げろと。

「今のは勁の力だよ‥‥お前の必殺技もそうだろ。霊力で練り合わせて、な」

「!」

「よし。これまでだな。カンナ‥‥お前の力は、だいたいわかった」

「な、なん‥‥」

「そうムキになるなって。‥‥お前は親父よりも強いよ」

「!!」

「お前の力を把握しておく必要があったからな、加減はしたが‥‥それでも、そ

うやって立っていられるのはお前が初めてだよ、カンナ」

「くっ‥‥」

「特に最後の受け方はいい‥‥もっとも、俺の勁を無効にできる力があれば別だ

が」

「‥‥?」

「躱せない攻撃はあるが‥‥それを相殺する方法、そして流す方法もあるんだ

よ。この意味わかるか?‥‥カンナ」

「‥‥‥‥!!!」

「ふっ‥‥やっぱりお前は花組の特攻隊長だな‥‥近いうちに、やり方教えてや

るよ。そしてお前は、お前自身の技を磨け。できるだろ、お前なら‥‥俺の勁に

対抗できるぐらいの、な」

「‥‥‥‥」

カンナはへたりこんだ。

「お前の神武は速攻で仕上げる。楽しみにしておけよ、すんげえの造ってやるか

らな。それまでは傷の完治に集中しろ。わかったな‥‥」

「‥‥うん」

「お!?‥‥お、お前‥‥か、かわいいな、結構」

「な、な、ななな‥‥」

カンナは日焼けした肌が関係ないぐらいに顔を真っ赤にしていた。

身体の発する熱では決してなかった。

脚を舞妓のように凪がし、肩も落とす。赤い髪は汗で濡れ落ちている。

汗はカンナの豊かな胸元に滴り落ちていた。

そして片手で身体を支える様は、その美形もさることながら、カンナを一人の女

性として認知させるに、十分すぎるほどの艶やかさを見せた。

神凪はかなり真面目な顔つきで続けた。

「うーん、いいぞ、カンナ、お前‥‥うん。いい女だよ、うん」

「ば、ば、ばばば‥‥」

「よーし‥‥大神、お前、暇なときにつきあってやれ。これは支配人命令だ。い

いな」

「はあ?」

「‥‥!」

「それと‥‥午後一番に支配人室へ来い。お前の場合はここではできんからな」



「‥‥わかりました」

「ん。じゃあな、カンナ。お疲れさん‥‥‥‥がんばれよ」

神凪は涼しい顔で訓練室を後にした。

大神はぼけっとした顔で見送った。

「すごいな、兄さん‥‥あんな強いとは‥‥‥‥はっ」

大神は、へたり込んで座るカンナに歩み寄った。

「怪我ないか?‥‥カンナ」

「‥‥はああ‥‥みっともないとこ、見せちまったよなあ‥‥‥‥まったく‥

‥」

「カンナ‥‥」

「‥‥すげえなあ‥‥神凪司令は‥‥隊長の兄貴は‥‥‥‥やっぱ兄弟だよなあ

‥‥」

「‥‥‥‥」

「へへへ‥‥でも、なんか‥‥‥ふう」

大神は膝をついてカンナを見入った。

「なあ、隊長‥‥」

「ん?」

「あたい‥‥強くなれるかな?」

「‥‥当然だろ。司令、いや、兄さんが言ったとおり、カンナは花組の特攻隊長

だからな」

「うん‥‥ありがと‥‥」

「‥‥‥‥」

カンナは大神を見上げて、そしてすぐにうつ向いた。

「あ、あのさ‥‥」

「うん?」

「あたい‥‥その‥‥あの‥‥」

「‥‥カンナは‥‥いい女だよ」

「!!!」

「‥‥俺も一緒に特訓するよ。がんばろな、カンナ」

カンナはもう一度見上げた。

照れくさそうな笑顔で、少し頬を染めて自分を見つめる大神隊長。

「うん‥‥うん!」







「ふふっ、なかなか期待させてくれる‥‥これは、忙しくなりそうだぜ‥‥」

地下訓練室を出た神凪はそのまま、地下格納庫へ足を運んだ。

山崎がカンナ機の動作確認をしていたようだった。

「あ、司令‥‥もう大丈夫でしょうか」

「おお。どれどれ‥‥」

損傷した二重新型装甲は既に換装され、外見状は問題なさそうだった。

「エンジンを下ろそう。それとフライホイール直下の腰部パーツ、肩と操縦席前

の装甲、それに腕部をはずす」

「エンジンは既に外しています。では両腕と装甲を‥‥」

神凪はスムーズに仕事をこなす山崎を横目で見て、傍らに置いてあったバラック

を三つほど取り出して、配置した。

カンナ機の両腕は10分足らずで取り外された。

『ほう、こいつも相当やるじゃねえか‥‥』

装甲も新型にも関わらず20分程度で外された。

「エンジンはとりあえず、外したままにしてありますが‥‥」

「よーし。装甲はお前にまかせる、山崎。肩の装甲には参型霊子核フレームを組

み入れろ」

「!‥‥そ、それは、まだ研究段階では‥‥」

「大丈夫だよ、カンナならな。霊子力の変わりに別もんを流し込ませる‥‥けっ

けっけ、これはいけるぜ。あとコクピットフロントは命綱だからな、参型の強化

版を差し込め。それと腰部の装甲、そこは殆ど関係ないからな‥‥俺のと同じヤ

ツを入れろ」

「!‥‥マジですか?」

「はあ?‥‥あはははは、お前、だいぶ花の色に染まったな‥‥かまわん、や

れ」

「はいはい‥‥」

「ケーブル接続とフレームとのマッチングはエンジンの取付け後だ、いいな」

「わかってますって」

「すんげえぞ、カンナ。これで俺の零式と同等の機動力になるぜ‥‥」

「腕部はどうします?」

「ああ、それは俺がやる‥‥あいつの力、一応わかったからな。それを見越して

変わり種を埋め込んでやる‥‥これは初体験だな」

「‥‥うげえ」

「あ、そうだ。山崎、俺は午後ちょいと出かけるから、その後はたのむぜ」

「はい」

「それと‥‥今日は徹夜だからな、覚悟しとけよ」

「わかりました」

「‥‥‥ふっ、役者になるのも悪くないってか」

「え?」

「いいや‥‥」

神凪は司令に赴任するにあたって、山崎を銀座に異動させる腹積もりだった。

その卓越した能力が必要になると判断したからであったが、どういうわけか、山

崎は既に銀座に常駐することになっていた。

神凪は運気の流れが自分たちをあるべき方向に導いていると、そう信じずにはい

られなかった。

地下格納庫には活気が生まれ始めていた。

紅蘭の仕事場。

紅蘭の愛べき場所。

おさげ髪の守護天使が愛する優しい地下牢。

そこを今、二人の青年が守っていた。







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Uploaded 1997.11.01




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