<その6>



「はあ‥‥ようやく一息つけましたわ」

「ふう、疲れた‥‥」

昼前のサロン、さくらとすみれがお茶の一時を過ごしていた。

朦朧とした朝の朝食を済ませたあと、彼女たちはマリアの指示で稽古をつけてい

た。

舞台の稽古ではない。

マリアとアイリスは花やしきに向かい、そこで特訓を開始した。

マリアの射撃の腕は既に完成の領域に達していたが、どうもそれ以外の内容を求

めていたらしかった。

アイリスはその能力の改善であった。

無論一年前とは比較にならない程の、力強さと制御性を両立していたが、またア

イリスもマリア同様、違う目的があったようだった。

他の花組女性陣は、その意外な決心にかなり驚いたようだったが、アイリス本人

にしてみれば、それは当然のことだった。

このままではいけない‥‥このままではお兄ちゃんを‥‥護れない‥‥

その強い想いがアイリスをことさらに駆り立てた。

さくらとすみれは銀座に残った。

彼女たちの力は外部からの刺激によって得られるものではない。

勿論マリアとアイリスについてもそれは同様である。

しかし、さくらとすみれの力は武道のそれに根ざしている。

従って、場所、環境に依存することはほとんどなかった。

これもなかなか見られない珍しい組み合わせだったが、さくらとすみれは、劇場

の中庭で手合わせをしていた。

そして一服することになった。

「すみれさんの風塵流って、結構、力ありますよね。わたし、受けるの辛かった

もん」

「ほほほほほ‥‥わたくしが受け継いだ技が、あの程度と思っては困りますわ。

これからが本番‥‥覚悟なさい、さくらさん」

「えへへへ‥‥はい」

さくらはうれしかった。

久しぶりの剣の稽古もさることながら、なぜか、すみれと一緒に訓練すること

が、彼女にとって不思議な喜びを感じさせた。

『‥‥なんか‥‥お母さんと稽古してるみたいだなあ‥‥』

「‥‥なにをぼけっとしてらっしゃるの、さくらさん」

「えっ?‥‥あ、いえ、その、あはははは」

さくらは顔を真っ赤にして笑って誤魔化した。

すみれも、なんとなく心地よかった。

長刀の稽古は舞台の稽古ほど好きではなかったが‥‥さくらとの打ち合いは、す

みれの心をひどく和ませた。

そしてそれ以上にすみれの気合いを充実させた。

「わたしの北辰一刀流もあんなもんじゃありませんからね、見ててください」

「‥‥望むところですわ‥‥このわたくしの超華麗で超洗練された技の数々、思

う存分堪能させてあげますわよっ、おっほほのほーっほほほ‥‥」

「‥‥なんだよ、サロンの外にも聞こえるぜ‥‥おめえの、その、カラスみてえ

な鳴き声」

カンナが汗だくでサロンに入ってきた。

「こ、この、わ、わたくしの、超可憐な美声を、こ、こともあろうに、カ、カラ

スですって‥‥ゆ、許しませんわ‥‥鳩とお呼びっ、鳩とっ!」

「‥‥‥アホ」

「あははは。‥‥ところでカンナさん、なんか汗びっしょりですけど」

「ああ‥‥隊長と少しやってたから‥‥」

「な、なんですってーーっ!‥‥あ、あなた、い、いつから、そ、そんな、権利

を‥‥」

「‥‥あんだよ、アホ」

「‥‥んぐぐぐ、アホ!?」

やはり始まるカンナとすみれのいがみ合い。

さくらは止めるでもなく、お茶を堪能していた。

「はあ‥‥まあ、いいや‥‥疲れたぜ。あたいもお茶飲もーっと」

「んぬぬぬぬ、無視されてしまいましたわ‥‥」

「‥‥へっ、そのうちおめえにもお鉢がまわってくるって。今日のあたいみたい

にな」

「へ?」

「‥‥こてんぱんにやられちまったからな‥‥ま、しょうがねえか‥‥へへへ」



「‥‥大神さんって、そんな腕あげてたんですか?」

「でも、確かに大尉は‥‥あのときの戦闘では‥‥信じられないほどの力を見せ

付けてくれましたし‥‥当然といえば当然でしょう」

「隊長も勿論すげえよ、今迄にないぐらいな。ただそれ以上にすげえのが‥‥司

令だよ」

「は?」

「朝一番で神凪司令に稽古つけてもらったんだよ、あたいは」

「なんですってーーーーっ」「なんですってーーーーっ」

「わっ!な、なんで?」

「あ、あなた、た、大尉と、た、大佐に、囲まれて‥‥」

「ふ、二人と、ご、ご一緒だったったったんですかすかっ!?」

「‥‥あのな、だからっ、さっきも言ったろっ。おめえたちにも来るって、それ

がっ」

「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」

さくらとすみれは、今にもカンナに襲いかかろうとした姿勢で固まった。

そして目が、口が、朝の到来をまたぞろ告げていた。

「ああ‥‥」「はあ‥‥」

カンナはドカッとソファに腰を下ろし、お茶を啜り始めた。

さくらとすみれは、相変らず固まったまま目を宙に彷徨わせていた。

「はああ‥‥こりゃ、最初っからやり直さなきゃいけねえか‥‥司令も言ってた

しなあ‥‥だけどこのままじゃ‥‥くそっ」

さくらとすみれは、相変らず固まったまま耳をそばだてた。

「しかし、司令の技‥‥あれ、どうやったら会得できるんだ‥‥大陸とか言って

たな‥‥」

さくらとすみれは、相変らず固まったまま目をカンナに向けた。

「大陸‥‥中国か‥‥まてよ‥‥紅蘭、あいつ中国にいるんだったよな‥‥うー

む‥‥」

さくらとすみれは、顔を動かすことに成功した。

「中国か‥‥うーむ‥‥ん?‥‥そういや‥‥そうだ、横浜に‥‥うわっ」

「中国がどうかしたんですの?」「中国がどうかしたんですか?」

いつの間にか、二人がカンナの目の前に移動していた。

「お、おめえらなあ‥‥」

「た、大佐が、大佐が、こ、この、わ、わたくしに、稽古を、稽古をつけてくだ

さると、あ、あなたはおっしゃるのですね‥‥ま、間違いありませんわね、カン

ナさん!」

「わ、わたし、わたしにも、そ、そうなんですか、そうなんですか、カンナさ

ん!?」

「はあ‥‥おめえらなあ。夕べそんな感じのこと、言ってたろ。すみれは、えー

と、風‥‥塵流がどうのこうの‥‥なんか、今いち、なってないとか‥‥ダサイ

とか」

「ヒクッ」

「さくらも‥‥ほら、刀渡すって言ってたろ。それに、なんだ、奥義‥‥なんだ

っけ、はっちゃめっちゃけえす、だっけ?」

「くわっ」

「ほれ、恥かかねえよう、さっさと‥‥」

「解釈の問題っつうたんざましょうがっ!!!」

「はじゃけんせいですっ!!!」

「うぐっ‥‥」

さくらとすみれは、壊れそうな勢いでドアを閉めた。

ドカドカと音をたてながら廊下を侵攻し、再び中庭に向かった。

「へっ、ま、せいぜいがんばんな‥‥」

カンナはお茶を飲み干して、ソファに背をあずけた。

目は天井を向いていた。

‥‥できるだろ‥‥お前なら‥‥

「わかってるよ‥‥みてろ、このままじゃ終わらねえからな‥‥」

‥‥お前‥‥いい女だな‥‥

「‥‥うるせえ‥‥」

カンナは、目を半開きにして、顔を赤く染めた。

‥‥一緒にがんばろな‥‥

「‥‥‥‥」

カンナは目を閉じて‥‥そして浅い眠りについた。







「大神隊長の霊子甲冑に装備されている機能は、だいたいこんなところですね」



「‥‥‥‥」

「神凪司令ならいざ知らず、わたくしたちではこの部分のみを抽出することは‥

‥」

「わかってるわ。原理を知りたいのよ‥‥あとは、装置自体の構造ね」

「わかりました。ではこちらへ‥‥」

マリアは花やしきの浄化実験室にいた。

外気は多重高分子フィルタから吸入され、室内に百分の一ミリの塵も混入できな

い構造になっている。狭いが、精密部品の試験製造は可能な空間を持っていた。



「‥‥これですね。山崎真之介少佐の基本設計どおりです」

「‥‥‥‥」

「前以て言っておきますが、これの使用には特殊な霊気波長が必要です。それが

とりもなおさず、大神隊長のそれなんですが‥‥」

「‥‥‥‥」

「ご存じのように大神隊長の霊力は、花組の他の方とは違って三つに分配されて

います。攻撃‥‥誘導放出と蓄積放出‥‥所謂、通常攻撃と必殺技です。防御‥

‥文字どおり霊力による障壁形成と、必殺攻撃のための霊力蓄積、そして霊力回

復能力を含んでます。そして副司令の望まれている三つめが、保護‥‥遠隔防御

壁形成です」

「‥‥続けて」

「この遠隔防御に要する霊力は他の二つと‥‥特に自己防御機能と干渉しないよ

うに形成しないと‥‥全く機能しなんですよ」

「‥‥装置だけでは十分ではない、と」

「ええ‥‥神埼重工でもかなり苦労したんですが、これを搭載できるのはそれな

りの素養を持った人材が運用する機体に限られる、ということで終結を見まし

た」

「‥‥‥‥」

「原理的には、ある波長帯域の霊力を、霊子反応基盤がこの装置に振り分けま

す。ですから、基盤の変更も伴いますね。運用者が選出する機体‥‥つまり保護

対象なんですが‥‥その波長に合わせる操作をも基盤が行います。そして保護対

象の霊気波長に合わせて自動的に標準を合わせます。この装置で増幅された霊子

力は、保護対象の霊気波長が急減衰‥‥つまり何らかの攻撃に曝される直前にそ

れを認知、放出されることになります‥‥」

「‥‥複雑ね、かなり」

「ええ、そういう意味でも量産は不可能なんですよ。そして、放出された霊子力

は‥‥これはかなり増幅されていますから‥‥保護対象の被攻撃面で実体化す

る、という具合です。実体化する主な要因は、やはりこの霊気波長にあるらし

く、大気中の炭素のみを選択的に引き込んでいることまではわかっています。一

種の炭素鋼が形成されているようなものですね、霊波の消失とともに分解する。

物理的衝撃にも耐えうる理由もそこにあります。ただそれ以上はまだ‥‥‥」

「‥‥ひとつ聞きたいんだけど」

「なんでしょう」

「実体シールドを広範囲に展開することは可能なの?」

「‥‥不可能ではありませんが‥‥かなりの霊力を必要としますね。ただでさ

え、この霊気波長は他に比べて弱いですから‥‥大神隊長ですら」

「‥‥もうひとつ」

「はい」

「‥‥その霊気波長を外部から注入する‥‥例えば、人為的に霊力をそれに合わ

せるような操作を‥‥これも例えばなんだけど、それを持たない霊力保有者に施

す、ということをやったことがある?」

「‥‥‥‥」

「そう‥‥極秘ね」

「副司令におかれてましても、こればかりは‥‥申し訳ありません。ただ‥‥」



「‥‥?」

「神凪司令の試作卯型霊子甲冑‥‥所謂零式と呼ばれているあの神武には、それ

とかなり酷似したものが搭載されています。神凪司令自ら作製したものですが」



「!」

「しかし、これも神凪司令しか運用することができません。あれは危険すぎます

から」

「‥‥‥‥」

「あの方は‥‥大神隊長もそうなんですが、霊力素養が他の方とかなり違うんで

すよ。そういう意味でも、これらの機能はあのお二人だけに限定される、といっ

ても差しつかえないですね」

「‥‥そうでしょうね」

「‥‥暗い話ばかりではありませんよ、副司令」

「え」

「副司令が望まれる機能は‥‥不可能ではありません。しかも広範囲に形成する

ことも可能です。犠牲もありますが‥‥」

「‥‥言って」

「自己防御機能を取り外します」

「‥‥それしかないわけね‥‥仕方ないわ。それに変わるものを装備するわけ

ね」

「ええ‥‥外装シールド形成装置を取付けます。これも神凪司令が開発されたも

のです」

「!」

「防御機能の蓄積に要する部分は残すことはできます。ですから攻撃には差しつ

かえありません。ただ自己防御シールドは使えませんし、回復機能まで損ないま

すから、現実的には厳しいですね。それに‥‥」

「‥‥‥‥」

「やはり霊気波長をそれに合わせる訓練をしないことには‥‥」

「‥‥なるほど、ね。その装置の搬入はできる?」

「‥‥実は‥‥神凪司令が既に銀座のほうにお持ちになりました」

「!」

「取付けはしないが念の為、ということをおっしゃってましたが‥‥」

「わかったわ‥‥」

「あ、言い忘れてましたが、その装置はメリットもあるんですよ」

「え?」

「さすがは神凪司令ですが‥‥展開シールドを構成する霊子力を能動放出するこ

とも可能です。つまり、シールド形成領域周辺の物体に霊的攻撃を行えるんで

す。しかも、これは霊力蓄積が不要ですから、必殺技の使用に影響はありませ

ん。原理については、わたくしどもには全くわかりませんが‥‥」

「‥‥すごいわね」

「ただ、それも勿論訓練は必要です。意思で放出するわけですから」

「‥‥なるほど」

「威力は半端ではありませんよ。殆どの攻撃を無効化できるシールドですからね

‥‥その威力を反映して‥‥副司令の霊力を考えると、攻撃力は合体技をも遥か

に凌ぐと考えられます」

「!!」

「さらに、これを必殺技と併用した場合‥‥この時はどうゆうわけか、ピーク波

長が合致するんですよ‥‥形態は異なるはずなのに。神凪司令の製作品だからで

すかね‥‥。過程として、必殺技の指向性を受けてシールドから放出された霊子

力がそれに随伴します。その結果‥‥恐るべきことに‥‥花組の最終必殺技、即

ち正義降臨‥‥これをも上回る破壊力を持つようになります」

「な‥‥」

「しかし、これはあくまで計算上です。試行できるものでもありませんし。それ

と‥‥これは副司令自ら望まれているのを承知で申し上げるのですが‥‥できれ

ば装着は避けてください。自己防御と回復機能を犠牲にしてまで、それを装備す

るのは危険ですから。本当は副司令が戦闘に参加されるのも辛いのですが‥‥」



「‥‥ありがとう‥‥わかったわ」

マリアは実験室を後にした。

やることは決まっていた。

いずれにしても、あの甲冑降魔の攻撃は自己防御を上回っている‥‥回復すら追

い付かない。機動力を活かして、接触は避けるようにすれば‥‥

マリアの中で一人の青年が悲しそうな顔をしていた。

‥‥マリア‥‥君は‥‥

『‥‥あなたの‥‥みんなのためです‥‥許してください‥‥』

マリアは司令室へ向かった。





「ん?‥‥あら‥‥」

マリアは司令室に向かう途中の通路で、かなり広い部屋に一人佇むアイリスの姿

を見つけた。

アイリスは椅子に座っていた。中央より三分の一ほど端よりに。

その反対側には何か石、いや、煉瓦のようなものがテーブルの上に置いてあっ

た。

花やしきに来るまでは一緒だったのだが、アイリスは他に行くところがある、と

言って入り口で別れた。

マリアは通路に面した窓から覗いた。

「何やってるのかしら‥‥」

アイリスはその煉瓦をじっと見つめていた。

マリアもつられてその煉瓦に視線を移した。

「‥‥?‥‥??」

何か蜃気楼のようなものが煉瓦の周りに立ちこめていた。

煉瓦がすこしぼけて見える。

「何?‥‥」

煉瓦の輪郭が‥‥本格的にぼけ始めた。

マリアは目をこすった。

「‥‥疲れてるのかしら」

マリアは再び凝視した。

ボケはなくなっていた。

「‥‥気のせいね」

アイリスに視線を戻した。

アイリスは下を向いていた。

汗が‥‥かなりの汗が滴っていた。

「?‥‥アイリス?」

もう一度煉瓦を見た。

煉瓦はなかった。

「‥‥空間転移でもさせたのかしら」

マリアは少し思案した後、その場を離れた。



部屋の中のアイリスは‥‥完全に消耗していた。

「はっ‥‥はっ‥‥はあ‥‥はあ‥‥はああ‥‥」

汗が‥‥かなりの量の水分がアイリスから失われたようだった。

襟元は自分の汗でかなり濡れていた。そして床も。

落ち着いてきたアイリスは再度煉瓦を見た。

煉瓦はなかったが、テーブルの上には、何か赤黒い粉‥‥粉といっても、そこを

通り過ぎただけで舞い上がりそうな、微粒子ほどのサイズの粉だった。

「‥‥時間‥‥かかり過ぎる‥‥もっと‥‥もっと‥‥」





「副司令、お待ちしておりました‥‥実はあの材質の詳細が判明したのですが」



「!‥‥どうだったの」

「驚いたことに‥‥シリスウス鋼の最新型でした」

「なんですって!?‥‥あれは神埼重工の‥‥門外不出の‥‥」

「それで副司令には申し訳ありませんが、わたし‥‥花やしき支部長の権限で月

組をそちらに派遣させていただきました」

「かまわないわ。それで?」

「工場内部に諜報要員が混じり込んでいました。何者かは不明ですが‥‥しか

も、まずいことに‥‥外部に流出した形跡もあります。月組にはその先まで追わ

せていますが‥‥」

「通常攻撃が効かないのも無理はないわね‥‥いったいだれが‥‥」

「これは推測でしかないのですが‥‥」

「言って」

「‥‥国外の可能性があります」

「‥‥どういうこと?」

「月組だけでは有事の際に不安があったので、雪組の待機要員も派遣しました。

それで‥‥戦闘になったんです」

「!」

「その諜報員らしき人物‥‥一名は取り逃がしましたが‥‥二名は始末しまし

た。風貌は日本人らしいのですが。ただその遺留品から外国産‥‥中国のものら

しい金属片‥‥どうも貴金属、宝石のようなんですが‥‥それが見つかりまし

た」

「中国‥‥‥‥!!!」

「‥‥どうします?」

「向こうの‥‥中国駐在の帝撃派遣部隊には連絡つく?」

「半日もあれば」

「それと‥‥そうね、米田大将に連絡をとって」

「わかりました」

「神凪司令にはわたしから言っておくわ。派遣部隊に連絡がとれたら、わたしに

まわして」







昼下がりの帝劇ロビー。休演日のため人はいない。

売店も閉まっている。

午後の始まりを示す、時計の鐘が低く響いた。

「落ち着くけど‥‥やっぱり、公演してるほうが活気があっていいよな‥‥」

大神は階段を降りて、一人ロビーに立った。

いつもモギリで立っている場所。

ちぎって、ちぎって、ちぎって‥‥

ちょっと‥‥おい‥‥後ろ待ってんだぞ、早くしてくれよ‥‥

は、はいっ‥‥

ちぎって、ちぎって、ちぎりまくって‥‥

「‥‥‥‥」

ちぎって、ちぎって、ちぎって‥‥

ちょっとあんた‥‥始まっちゃうじゃないの、もう‥‥

いっ、はいぃ‥‥

ちぎって、ちぎって、あああ‥‥

「‥‥いや、休みは必要だな‥‥‥そうさ‥‥絶対必要だ」

大神は気を取り直して、支配人室へ向かった。

突然視界が暗闇に覆われる。

『うわ‥‥』

「だーれだ?」

さくらの声だった。

一年前の大戦。帝撃‥‥帝劇配属の初日。その時と同じ。

『‥‥ふふっ、さくらくん、か』

柔らかい手の感触。

大神は、その感触を留めて置きたくて、しばらくじっとしていた。

「‥‥わたしの声、忘れちゃったんですか?」

「いや、そんなことは‥‥ただ、もう少しこうしていたいから‥‥」

「もう‥‥大神さんたら‥‥」

さくらは照れた。そして思わずもう一度。

「だーれだ?」

「‥‥すみれくんだろ」

手が離れた。

たまにはからかってやろう。

振り向く大神。

「ははは‥‥あがっ」

「‥‥‥‥」

「じょ、冗談‥‥冗談だよ、さ、さくらくん‥‥あああ‥‥」

さくらはズンズンと支配人室へ歩いて行った。

大神もしょんぼりと後を追った。



コンコン‥‥

「開いてるよ」

「‥‥入ります」



「‥‥なんだあ?」

神凪の前に立つ、鬼母と、そのお子様。

「‥‥夫婦喧嘩か?」

「え‥‥」

鬼から天女に変貌するさくら。

「や、やだ、夫婦だなんて‥‥支配人たら‥‥わたしたちは‥‥ねえ、大神さ

ん」

「そ、そうですよ、そんなことは‥‥んがっ」

腕を思いきりつねられて黙ってしまう大神。

「ふふふ‥‥まあ、仲がいいことは結構だが、できれば二人きりでやってくれ」



神凪は席を立ち、窓際の片隅に置かれてある背の高い衣装棚を開けた。

「そ、そんな、仲がいいなんて‥‥そんな、二人きりなんて‥‥ねえ、大神さ

ん」

「そ、そうですよ、そんなことは‥‥んぎっ」

棚の中から紅色の布にくるまれた長い棒状の包みと、

紺色のやはり同じような包み‥‥これは二本‥‥を取り出す。

「さくらくんのは‥‥これだ。開けてごらん」

「あ、はい‥‥きれいな布ですね」

「京都に行った折りに買ってきたものだよ。それもあげるから」

さくらは頬を染めながら、包みを開いた。

自分の持っている父親の片身、霊剣荒鷹よりも少し長く、少し赤みの強い鞘だっ

た。

抜いてみると‥‥鎬から発する光、そして‥‥霊気‥‥

「うわ‥‥」

さくらは驚いた。

それを横で見ていた大神も感嘆の声を上げた。

「‥‥なんか‥‥お父さんの刀と違う‥‥全然違う‥‥」

「それこそが霊剣荒鷹‥‥真打の放つ光と剣気さ」

「ふわあ‥‥」

さくらは一発で魅了された。

比較的長い柄も、自分の手にしっくりと納まった。

「気に入ってくれたかな」

「はああ‥‥‥‥はっ、で、でも、いいんですか‥‥わたしなんかに‥‥」

「君が持っていてくれたほうがいいと思う‥‥わたしには他にあるからね」

「ありがとうございます‥‥大事にします」

「はははは‥‥でも、使わないと意味がないからね。そして、これは‥‥大神

に、だ」

「え?」

神凪は片手にまとめて持っていた二本の紺色の包みを大神に手渡した。

さくらに渡した荒鷹よりも少し短め。

「自分に‥‥ですか」

大神は包みを解いた。

漆黒の鞘に収められた二本の小太刀。

ただ小太刀にしては長い。太刀との中間ぐらいの長さだった。

大神は一本を抜いた。

刃が赤みを帯びていた。

「赤い‥‥刀‥‥」

「もう一本も抜いてみろ」

今度は青みを帯びた刃だった。

「これは‥‥」

「青いのが風神、赤いのが雷神という」

神凪は机の上の湯飲みを手にして、お茶を一杯飲んだ。

「荒鷹の親戚みたいなもんだ。鞘を間違えるなよ‥‥入らんがな」

「え?」

たしかに、鞘を間違えて入れようとしても、入らなかった。

「‥‥使うことがあるかわからんが、とりあえず持っとけ。それはお前のための

剣だ」

「自分の‥‥ための?」

「ああ‥‥」

「?」

神凪は机に立て掛けていた、自分の剣を持った。

さくらの荒鷹よりもかなり長い。

「‥‥そうだ、さくらくん」

「‥‥は、はい」

いきなり指名されて、さくらは面食らった。

「今‥‥暇かい?」

「え‥‥‥‥は、はい、も、勿論です」

さくらは舞い上がった。ついに自分にもお鉢が‥‥

「昨日も言ったけど‥‥君に渡すもの、日程を決める話。これから大神と出るん

だが‥‥一緒にどうだい」

「えっ!?」

大神さんと神凪司令と‥‥二人と一緒に‥‥

これは‥‥夢なの?

「少し時間がかかるが‥‥」

「も、ももも、勿論、ぜ、ぜぜぜ、全然、か、かかか構いませんっ!!」

「ふふっ‥‥では、各々がた、いざ参らん」

二人の大神の後ろを歩くさくら。

きょろきょろと二人の間を視線が往復する、ということはもうなかった。

二人の後ろ姿がばっちりと視界に入るよう、焦点は遠くに置いた。

それが今一つぼけて見えるのも気にせずに。

階段でこけて大神に抱かれ‥‥

ロビーでこけて神凪に抱かれた。

『‥‥つ、ついてるわ‥‥今日のわたしは‥‥‥ふっふっふっ‥‥』

玄関ですみれに遭遇し、嫉妬の罵声を浴びつつも意に介さず、劇場を後にした。



猛烈な視線が背中に突き刺さったが、これも全く問題なし。

『‥‥ふっふっふっ‥‥もらった‥‥』

と、勝ち誇った表情で。



「‥‥むかつきますわ、むかつきますわ、むかつきますわ、むむむ‥‥」

「‥‥‥何やってんだ、おめえ」

玄関の端から端まで行ったり来たりしているすみれの前を、カンナが通り過ぎよ

うとした。

「むむむむ、こ、こうなったら、尾行して‥‥‥‥ん?‥‥な、なんですの、カ

ンナさん」

「‥‥おめえ‥‥熱でもあんのか?‥‥ははは、鬼婆みてえな顔して」

「こ、この、超美麗な尊顔を‥‥‥‥猿に付き合ってる暇はありませんわ。よっ

しゃ‥‥」

カンナはボケッとした顔で、疾風のごとく街並みに消えていくすみれを見送っ

た。

「‥‥おっと、あたいもこうしちゃいられねえんだ。さっさと‥‥」

カンナは、すみれとは反対側の街へ消えていった。







「‥‥という状況です」

「ちっ、そういうことか‥‥派遣部隊のほうには?」

「不審箇所を洗うよう指示しましたが‥‥紅蘭の足取りの追跡を優先させてあり

ます」

夕陽が照らす帝劇支配人室。

神凪とマリアが立っていた。

アイリスは、まだやることがある、と言って花やしきに残った。マリアは少し思

案した後、微笑んでアイリスと別れ、帝劇に戻った。

神凪はさくらと大神に一通り手順を教え、しばらくしてから一人劇場に戻ってき

ていた。

夕陽の赤に染まった支配人室の壁に映る、同じ背丈の美影が二つ。

「よし。あいつらにも連絡しとこう。派遣部隊にも接触させる」

「‥‥あいつら?」

「歓迎会でも言ったが、紅蘭をガードする俺の部下だ」

「‥‥どういう方たちなのです?」

「‥‥帝国陸軍対降魔部隊のことは知ってるか?」

「7年前の降魔戦争の、ですか‥‥ええ、米田前司令から聞いてますが」

「あの後編成された別動隊があってな、帝撃とは指揮系統が違うんだが‥‥陸軍

第七特殊部隊‥‥俺が指揮していた七特の、その一部も含んでいる。‥‥四季龍

と呼んでな」

「しきりゅう?」

「ああ。極地戦闘を想定して組まれた部隊で‥‥当時はガキしかいなかったが

な。雪組の亜流だが、今は成長して、かなり強力になった。男女2名ずつ、どん

な辺境でも戦闘が行える。そして、どんな相手でも、だ。‥‥全員、帝撃の隊長

格に相当する実力があるからな」

「!!」

「それで米田の親父には‥‥」

「連絡しました‥‥米田大将は何か気付いている節もありそうでしたが」

「‥‥だろうな‥‥ちっ、全く、上がしっかりせんことには‥‥愚痴ってもしょ

うがないか。こっちはこっちでやること満載だし‥‥」

「それで‥‥司令、あの‥‥」

「ん?」

「その‥‥」

「‥‥‥‥」

「わたしの神武のことなんですが‥‥」

「‥‥外装障壁‥‥のことか?」

「‥‥はい」

「あれは‥‥できることなら避けたい」

「ですが‥‥」

「使わせたくないんだよ。‥‥君を副司令に推薦したのも、その一番大きな理由

だよ‥‥。君を‥‥君を戦場には‥‥送りたくないんだよ、マリア」

「え‥‥」

マリアは初めて聞く神凪の切実な声に一瞬胸が高鳴った。

そして、副司令という立場をも見失いかけた。

「勿論他のみんなも同じだよ‥‥さくらくんも、すみれくんも、アイリスも、カ

ンナも、そして紅蘭も‥‥だが‥‥君は‥‥君は特別なんだよ、マリア‥‥」

「!?」

驚いた。

君は特別だ、と言う神凪の表情はマリアの女性に深く突き刺さった。

普段であれば泣き出したいぐらいの喜びをマリアは感じた。

神凪は目を伏せがちにして、マリアから視線をずらした。

「わ、わた、わたしは‥‥」

「‥‥‥‥」

「で、ですが‥‥」

「‥‥条件がある」

「そ、それは‥‥」

「取付けた後‥‥君の出撃は‥‥俺が出動するときに限ってもらう」

「え‥‥そ、それは、いったい‥‥」

「大神には、その遠隔防御機能を他の花組隊員に働き掛けるよう指示する」

「え?」

神凪は再びマリアの目を見た。

強さの中に悲しさと優しさ、それに女性そのものが混じり込んだ瞳だった。

「マリア‥‥君は‥‥俺が護る」

「!!!」

マリアは心臓が止るぐらい驚いた。

そこにいたのは紛れもなく、大神だったから。

君は特別だ‥‥

君は俺が護る‥‥

「司令と副司令が連れ立って出撃というのも‥‥悪くないだろ。俺の零式にも同

様の機能があるからな、少し違うが、ま、期待してな‥‥‥聞いてる?」

「あ、ああ、ああの、あの、ど、ど、どうして、その、あの、わた、わたし、な

んかを」

「‥‥防御ができないんだ、あたりまえだろ」

「で、でも、あの、その‥‥」

「‥‥ほんと、かわいいよな‥‥マリアは‥‥‥‥昔から‥‥」

「え、ええっ!?」

マリアは真っ赤になっていた。

頭の中がもとの顔色同様真白になっていた。

神凪は夕陽が差し込む窓、そして赤く染まった銀座の街並みを見た。

大神麗一の瞳で。

「‥‥俺のこと、忘れちゃったかな‥‥」

「え、え?」

「ほんと、綺麗になった‥‥」

「えっ!?」

「ロシアで倒れている俺を助けてくれた‥‥優しい聖母マリア‥‥」

「え‥‥」

「‥‥クワッサリーという名の天使‥‥」

「‥‥‥‥」

背の高い大神がマリアを再び見た。

今度こそ間違いなく、大神そのものの瞳、そして口調で‥‥

「‥‥マリアは優しいね‥‥」

「‥‥‥‥!!!」



冬のロシア‥‥現クレムリンのある首都地域。

マリアは当時14歳だった。

市街地での銃撃戦で負傷した20歳前と思しき若い東洋人をアジトに連れ帰り保

護した。

そこになぜ東洋人がいたのか不思議ではあったが、放っておけるものではなかっ

た。

仲間からは不審の目で見られたが、隊長は違っていた。

訳も聞かずに介護することを許した。

なぜかはわからなかった。

傍にいると、なぜかあたたかくなるような人だった。

優しい瞳の日本人。

お兄さんのような人。

隊長とは少し違う寂しげな瞳。

でも、優しい瞳。

名前をレイチと言っていた。

レイイチって言うんだよ。

じゃあレイって呼ぶ。

レイと呼んで、傍にいつもいた。

白い頬を赤く染めて。

冷たい瞳が柔らかく潤んで。

冷たい手を額にあてて。

ああ‥‥なんかいい気持だよ、マリア。

‥‥レイ。

マリアは優しいね。

‥‥ばか。

傷も癒えて‥‥彼はいなくなった。

さよなら‥‥マリア‥‥

‥‥行かないで‥‥レイ‥‥

‥‥

ハア、ハア‥‥ハッ‥‥

ガガッ、ガガガ、ズズーン‥‥

隊長ーっ!

‥‥

今日も‥‥雪。

なんか寒い‥‥

一人ぼっち‥‥

‥‥

‥‥死ね!

死ねない‥‥

‥‥殺してやる!

死ぬわけには‥‥いかない‥‥

‥‥お前はただの人殺しだよ。

違うっ‥‥違うよ‥‥

‥‥殺し屋だろ?

違うっ、違うってば‥‥

‥‥殺し屋さ。楽しいだろ?

もう‥‥いや‥‥

‥‥もっと殺せよ‥‥ほら、早く。

いや、いやだ‥‥

助けて‥‥

だれか‥‥助けて‥‥

‥‥マリア‥‥

だれ‥‥だれなの‥‥

‥‥マリアは‥‥優しいね‥‥

レイ‥‥レイなの?

助けて‥‥レイ‥‥助けて‥‥



「あ‥‥」

「思いだしてくれたみたいだね‥‥マリア」

「あ‥‥‥ああ‥‥‥あああ‥‥‥‥」

「‥‥マリアは‥‥優しいよ」

「‥‥レ‥‥イ‥‥」

マリアは泣いていた。

辛い記憶の中で、ひっそりと闇を照らす灯火。

寒い記憶の中で、一瞬だけ得られる温もり。

辛く寒い過去は、夕陽に照らされた優しい笑顔で消し去られた。

「レ‥‥イイ‥‥」

「‥‥‥‥」

「探した、の‥‥わたし‥‥ずっと‥‥」

「‥‥ごめん」

「ずっと‥‥わたし‥‥会いた、かった、んだから‥‥」

「‥‥うん」

「ずっと‥‥一人ぼっち‥‥さみしかったんだから‥‥」

「‥‥うん」

「ずっと‥‥わたし‥‥‥待ってたんだからっ!!」

「‥‥うん」

「ばかあ‥‥」

「‥‥うん」

「レイチのばかあっ‥‥あああ‥‥」

マリアは子供のように泣いた。

顔を手で覆うこともなく。

零れる涙を拭うこともなく。

神凪はマリアの涙を優しく拭った。

少し照れくさい笑顔で。

大神と同じ笑顔で。

「ごめんな‥‥マリア‥‥」

「ばかあ‥‥ばかあ‥‥」

そして優しく抱いた。

そこにいたのは大神だった。

大神麗一その人だった。

「一郎は君が護れ‥‥」

「‥‥うん‥‥グスッ」

「君の背中は俺が護るから」

「うん‥‥グスッ‥‥うん、うん‥‥グスッ、グスッ‥‥レイチいい‥‥」

マリアは背の高い大神にしがみついて泣いた。

マリアを常に縛っていた過去という名の呪縛。

それは大神によって緩められた。

そしてもう一人の大神がそれを解放した。

マリアは失った少女の頃を、もう一度取り戻しつつあった。

ドアに映る影は、今はもうぼやけて一つに見えていた。







<三章終わり>


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Uploaded 1997.11.01




ふみちゃんさんの大作、「花組野外公演」第三章。





それまでと一転して、楽しい帝劇の舞台裏の騒動。

そしてなにより、マリアさまの街娘・・・聖母!!

いいなあ・・・見てみたいなあ・・・



もうこれは、一押しですね!!

またやってくれないかな、”愛ゆえに”変則版。



そして、いよいよ登場の漆黒の神武と、新司令の神凪龍一。

大神と瓜二つで、花組の少女がメロメロになるシーンも、その次の朝の

少女達のぼけ加減も、ほのぼのとしていて楽しいです。

そして度肝を抜くのが、霊子甲冑の構造の解説!

すごい・・・何かどこかで製造されてるんじゃないかと想ってしまいました。







疾風怒濤の展開が待ち受ける(と思う ^_^;)第四章も、必ず読みましょう!




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