<その2> 「‥‥はっ‥‥‥‥夢‥‥か‥‥」 寝間着が汗でびっしょりと濡れていた。 大神は目の焦点があわないまま、しばらくベッドで呆然と天井を眺めていた。 目を閉じ、そして開け、ゆっくりと起き上がる。 身支度を手早く済ませる。 昨夜の事件を思い出した。 事の詳細は山崎から聞かされた。 不貞の輩は、山崎、すみれ、そして神凪によって始末されたが‥‥すみれの事件 もそれに起因するものだと、その時大神は理解した。 これまでにない敵の脅威を、まざまざと思い知らされた。 見た夢も‥‥一昨日の戦闘風景の再現だった。 ひいたはずの汗がまたじっとりと額に浮かび上がってきた。 「‥‥このままでは‥‥」 大神は二本の小太刀‥‥青と赤の刃を持つその剣を手にした。 「俺のための‥‥剣か‥‥」 青みを帯びた‥‥風神。 赤みを呈した‥‥雷神。 「‥‥俺に‥‥できるのか‥‥」 昨日の神凪との手合わせを思い出した。 ‥‥まずはこれだけを習得しろ‥‥ 「‥‥できるのか‥‥‥‥いや‥‥やるしか、ない」 ‥‥その後はお前次第だ‥‥‥‥お前の場合はまだまだ先がある‥‥ 「‥‥やるしか‥‥ない!」 ‥‥力を解放するのはまだ早い‥‥ 大神は駆け出した。 朝の食堂。 花組の少女たちが朝食をとっていた。 いつもと変わらない朝の風景‥‥紅蘭はいない。 すみれとさくらの表情が、なぜか、ほわっとしたものになっていた。 もじもじ‥‥と言ってもよかった。 頬も赤くなっている。 「‥‥なんだよ‥‥気色わりいな、おめえら」 「‥‥さくら‥‥あなた、大丈夫?」 「え?ええ、まあ‥‥なんか、ご迷惑おかけしました」 山崎の精神操作は、さくらの記憶を完璧にすり替えていた。 昨夜の行為は、さくらの嫉妬によるもの、という意味では一致をみたが‥‥ 「‥‥隊長の野郎‥‥ぶっ殺す‥‥」 「‥‥アイリス‥‥怒ったよ‥‥」 「‥‥料理してあげるわ‥‥」 口裏合わせなど、必要ではなかった。 不自然な部分もあったが、すみれが口添えする間も無い様相であった。 無論すみれとしては、それに越したことはなかったが。 現場から離れていた三人にしてみれば、大神の所業‥‥造られた記憶は、もはや 万死に値するものだった。 すみれの妙に淑やかな態度も気にさわった。 いつもなら‥‥ ‥‥おーほっほっほ、このわたくしの‥‥ と、くるはずが、それもない。 それが逆にこの三人にあらぬ信憑性を植え付けた。 怒りは頂点に達していた。 自分にならともかく‥‥と。 『‥‥ちっくしょう‥‥隊長のやつ、あたいのこと、いい女だって言ったくせに ‥‥すみれのやつを押し倒しただとおっ‥‥くっそー、もー許さねえ‥‥』 『‥‥アイリスのこと抱きしめて‥‥キスしてくれたのに‥‥‥‥アイリスのこ と、子供だと思ってるんだ‥‥あと5年もすれば、絶対負けないのにぃ‥‥』 『‥‥わたしを抱きしめてくれたのに‥‥あれは嘘だったの‥‥なんでわたしが 裸で寝てるのか、気づいてくれたって‥‥ち、違うっ‥‥‥‥こ、これまでよ‥ ‥』 燃え上がる三人とは対照的に、ほんわりしているもう二人。 さくらは一等切れていたのだが、すみれの部屋を出る頃には、この状態だった。 「‥‥うーん‥‥はっ‥‥夢‥‥‥‥‥‥ん?‥‥ここは‥‥だれの、部屋‥‥ だろ‥‥」 さくらはすぐ横に人の気配を感じて振り向いた。 ぴったりと寄り添ってすみれが寝ていた。 『‥‥すみれ‥‥さん‥‥‥‥ここ、すみれさんの部屋か‥‥』 さくらは目の前にあるすみれの顔をじっと見ていた。 息がふきかかるぐらいの距離だった。 『‥‥すみれさん‥‥』 すみれの寝顔は、確かに女のさくらから見ても美しいものだった。 花やしきでの出来事が再現されつつあった。 『‥‥すみれさん‥‥きれいだなあ‥‥』 記憶が蘇った。 『‥‥わたしを差し置いて‥‥大神さん‥‥許せないわ‥‥‥‥死刑よ、死刑だ わ‥‥』 もう一度すみれを見入る。 『‥‥‥‥はあ‥‥でも‥‥無理、ないか‥‥‥‥はあ‥‥』 すみれの髪を撫でる。 すみれの唇に触れる。 『‥‥うぐっ‥‥‥‥で、でも‥‥‥‥く、く‥‥刀の錆にしてくれるわ‥‥大 神さん‥‥』 「‥‥う‥‥ん‥‥さくら‥‥さん‥‥」 すみれが寝返りをうつ。 「‥‥すみれ‥‥さん」 すみれの寝顔をじっと見つめる。 その艶やかで‥‥本人が言うまでもなく‥‥可憐な唇に目が移る。 『‥‥はあ‥‥すみれさん‥‥‥‥素敵‥‥‥‥きれい‥‥』 さくらは自分の意思とは裏腹に、すみれにじわじわと接近していった。 さくらの目がうっとりとしたものになった。 頬が朱色に染まる。 『‥‥すみれ‥‥さん‥‥』 さくらは、自分のそのさくら色の唇を‥‥すみれのそれに近付けて‥‥そして、 触れた。 「‥‥‥ん‥‥!!!」 すみれが目覚めた。 『‥‥こ、これは‥‥なに‥‥え?‥‥さくらさん?‥‥こんな‥‥わわわ‥ ‥』 すみれは目をかっと見開いて、目の前のさくらを凝視した。 さくらは‥‥目を閉じていた。 すみれは、完全に凍り付いていた。 さくらが目を開ける。 「!!!」 慌てて飛び退いた。 「あーーーっ、あの、あの、その、これは、これはですね。す、すみれさん‥ ‥」 「あ、い、しゃ、しゃく、しゃくらしゃん‥‥」 すみれとさくらは真っ赤になって、ベッドの上で正座して対峙した。 「その、つまり、えと、えーと、その、すみれさんの、その、寝顔が、その‥ ‥」 「あい、あい‥‥」 「その、すごく、その、きれいで、その‥‥‥‥すいません!」 「そ、そんな、そんな、わ、わわわたくしの、わたくしのほうこそこそ‥‥」 この状態が10分ほど続いた後、二人は食堂へ向かった。 「はああ‥‥腹へった‥‥」 一人の青年が食堂に入ってきた。 三人がすっと立ち上がる。 ずんずんと接近してきた。 「お、はやいね‥‥‥‥な、なんだ?」 遂に目の前まで来た時、 「ま、待て、お、俺は神凪だっ」 ぎりぎりで三人は停止した。 ぎらっとした視線を浴びせつつ、三人はずんずんと席に戻っていった。 神凪は唖然とした表情で立ち尽くしていた。 『‥‥山崎‥‥あいつ‥‥』 そしてそそくさと厨房に入っていった。 『‥‥俺、知ーらねっと‥‥』 少女たちはサロンに移った。 マリアとアイリスはやはり花やしきへ向かった。 カンナも出掛けた。本人の弁では横浜に行くということだった。 サロンにはすみれとさくらが残された。 またまたお互いを見つめて、顔が真っ赤になる。 「あ、あの、す、すみれ‥‥さん」 「な、なんでございましょう、さくらさん」 「‥‥‥‥」 「‥‥‥‥」 「その、そろそろ、け、稽古のほうを‥‥」 「そ、そうですわね、そうしましょうかしら」 「‥‥‥‥」 「‥‥‥‥」 「で、でも、そ、そう言えば、司令が、手合わせしてくださると‥‥」 「そ、そういえば、そうでしたわね‥‥」 「‥‥‥‥」 「‥‥‥‥」 「も、もう少し、ここに、いませんか」 「そ、そうですわね、そうしましょうかしら」 「‥‥‥‥」 「‥‥‥‥」 サロンは静寂に包まれた。 菫色のすみれの花と、桜色のさくらの花びらだけが、サロンを静かに彩ってい た。 「‥‥山崎」 「ふう‥‥はい?」 「お前‥‥」 「?‥‥なんです?」 「ま、いいか‥‥どうだ、カンナ機の腕の具合」 「悪くないですね。動作はかなり滑らかです。‥‥前よりいいですね」 「あたりまえだ。‥‥あれは‥‥どうだ」 「動きそうですが‥‥これ、なんです?」 「‥‥ふっふっふっ‥‥秘密だ」 「‥‥‥‥はああ」 「腰のやつは?」 「ええ、とりあえず仮組みまでは終わりました。あとは肩の装甲だけですね」 「よーし、今日中に行けそうだな。明日には機動試験ができそうだ」 「さすがですよ、司令」 「ふっ‥‥お前もな」 金属音がした。 それもかなり重量があるものが引きずられるような音だった。 神凪と山崎はその音のする方向を見ていた。 格納庫の搬送用ブリッジが開いた音だった。 「‥‥なんですか?」 「喜べ山崎。お前の神武のご到着だ」 「‥‥ついに‥‥はああ」 「けけけけけ‥‥この日が来るのを一日千秋の想いで待ってたぜ‥‥ふっふっふ っ‥‥」 「‥‥‥‥はああ」 コンテナが開けられた。 外見は花組の少女たちの駆る神武と全く同一だった。 識別するための塗装が違っているだけだった。 青い神武。 光沢のある群青の神武であった。 「青‥‥ですか」 「‥‥お前の色だ。お前の兄貴の色でもある」 「!‥‥真之介‥‥兄さんの‥‥」 「‥‥気にするな。これはお前のための神武だ」 山崎の神武がランチャーにマウントされた。 そのまま前面に、仮整備工場と化した発進口まで移動した。 カンナ機の赤、アイリス機の黄、そして山崎機の青が並んだ。 「‥‥‥‥はああ」 「けけけけけ、なかなか刺激的な色彩だぜ‥‥なあ山崎」 「‥‥‥‥はああ」 「むふふふふ‥‥ではでは、さっそくご賞味いたしますかな」 「はああ‥‥‥‥げっ、もう?」 「当然だろ。宣言どうり、お前の神武はカンナ機と並行で進めるからな」 「んがっ」 また音がした。 神武を収容する大型コンテナよりも、少し小さめのものだった。 「ん?‥‥‥‥あ、そう言や、米田の親父、土産があるとかなんとか言ってたな ‥‥」 神凪は中身を見た。 「なんです?」 「‥‥ほう‥‥これは‥‥‥‥くっくっくっ、けーっけっけっけっけっ」 「‥‥‥‥大丈夫ですか」 「いいとこついてるぜ、あんのクソジジイ‥‥‥‥俺のハートに火ぃつけやがっ た」 「はあ?」 「帝国華撃団、ここに参上ってとこだな‥‥よっしゃあ、今夜も徹夜だぜ、山崎 っ!」 「うっそー!?」 神凪は嬉々として群青の神武を解体し始めた。 あっけにとられていた山崎も、すぐさま真紅の神武によじのぼった。 「‥‥筋がいいな、君は‥‥カンナくん」 「そうかな‥‥だけど、少し違うような‥‥」 「君を倒したという人‥‥神‥‥凪さんだったかな、その人はかなり鍛練したと 思う」 「‥‥‥‥」 「見切り、そして瞬間の攻撃などは、持って生まれた才能だが‥‥技そのもの、 そして勁は違う。まあ、これも才能に由来するところは大きいが、むしろ鍛練に よって培われるものだよ」 「‥‥大陸の技って、結構幅広いのかな」 「‥‥そうだな。君の話を聞いた限りでは‥‥その神凪さんの技は、かなり混じ り合っているようだな。たぶん中国だけではないような気がする」 「えっ‥‥そうなのかい?」 「ああ。基本は中国拳法だと思うが‥‥それも北と南が混じり合っている」 「北‥‥と南?」 「北派‥‥つまり中国北部に伝承される、力の技。そして南派の勁の技。そし て、白鳥のような蹴りと構え、陽炎のような動き。‥‥少なくとも八極拳と形意 拳、それに‥‥八卦掌まで入っているだろう‥‥」 「‥‥‥‥」 「‥‥君を見ていても、その人の強さは手にとるようにわかるよ。三年で極める とは、驚くばかりだが‥‥」 「‥‥なんとか会得したいんだけど」 「‥‥こればかりは時間がかかる。神凪さん、彼もそれを望んでいるのではない だろう。君の親父さんを倒すほどの人だ‥‥」 「じゃあ‥‥」 「勁に対抗する力、だろ。まあ、これも時間がかかるが‥‥できんことはない。 気合い、という概念をどう捉えている?」 「え‥‥それは攻撃の‥‥」 「ふふふ‥‥それは当然、防御にも当てはまるよ‥‥では、その辺りから、もう 一度やってみようか、カンナくん」 「よっしゃ」 カンナは横浜の現中華街、その一角にある中華料理店の裏庭にいた。 父である桐島琢磨の友人で、カンナもよく知っている白髪の老人が経営する店だ った。 カンナは中国、という言葉でその古い知人のことを思いだし、ここにやってき た。彼はカンナの父と、手合わせで唯一五分の実力を示した人間だった。 勿論、父が負けたことなど知らなかったカンナは、神凪と出会うまでは、この老 人が現時点で最強だと思っていた。 「ふーむ。悪くないが‥‥そう、気合いの入れ方はいいんだが、その流し方がま ずいな」 「‥‥難しいぜ」 「ふふふ‥‥そんなすぐにはできんよ。まあじっくりやろう」 「おおっ」 カンナの脳裏には常に神凪の技がちらついていた。 これまで会ったこともない、最強の相手。 始めて敗北した相手。 父をも下した相手。 ‥‥できるだろ‥‥お前なら‥‥ 『やってやる‥‥』 ‥‥カンナさんの表情、わたし、すごく羨ましかったから‥‥ 『へへっ、おめえもがんばれよ、さくら‥‥』 ‥‥一緒にがんばろな‥‥ 『へっ、隊長も‥‥‥ん‥‥‥』 「‥‥ん?どうした、カンナくん」 「あ‥‥いや、なんでも‥‥」 『‥‥ぢ、ぢぎじょー‥‥最初の餌食はおめえだぜ、隊長っ』 アイリスは昨日と同じ、花やしきの一角にある広い部屋にいた。 はやり同じく、少し離れてテーブルを配置し、その上に‥‥今度は鉄の板を置い ていた。 アイリスは、これも同じくそのテーブルの上に置いてあるものを、じっと見つめ ていた。 鉄板の周辺に陽炎がたった。 刹那、鉄板の輪郭がやはりぼけ始める。 「‥‥‥‥ん!」 アイリスの瞳が光を放った。 そして‥‥鉄板は拡散していた。 拡散‥‥そう、周囲の空気にまるで溶け込むように、鉄板はその存在を失った。 テーブルの上には黒い粉末‥‥微粒子がわだかまっていた。 「はっ、はっ‥‥はあ‥‥‥‥はあ‥‥‥‥だいぶ、よくなったかなあ‥‥う ん」 アイリスはおもむろに立ち上がった。 テーブルの上を見る。 じっと見つめた。 黒いわだかまりは‥‥白く、そして光の粒となった。 「‥‥‥‥」 その光の粒は‥‥テーブルの表面を侵食し始めた。 テーブルは光によって喰われ始めた。 テーブルの足元まで、それは侵攻し‥‥そして、そこには元々なにもなかったよ うに、床の上の空気だけが取り残された。 「‥‥ほわっ‥‥んんん、もうちょっとかな‥‥‥‥へへへ」 そして、また、そこにテーブルが生まれた。 空気がアイリスのために、産み出したような感じだった。 空気がアイリスにそれをプレゼントした。 そして、また、その上に‥‥ アイリスは廊下を歩いていた。 向かい側から一人の女性‥‥30代後半と思しき女性が歩いてきた。 白衣を着た、長めの髪を後ろで束ねている‥‥あやめの髪形に似た女性だった。 「‥‥あら、アイリスちゃん。もしかして訓練かしら」 「うん。‥‥おばさんは?」 「おばさん、か‥‥そんな歳になったのよねぇ‥‥はああ」 「あ、ご、ごめんなさい‥‥お、おねえちゃん」 「ふふふ‥‥いいのよ。‥‥ところで、カンナちゃんは元気?」 「うん。毎日稽古してるみたいだけど‥‥こっちにも来てるんでしょ」 「まあね。でも、あんまり無理しないように、アイリスちゃんからも言っておい てもらえる?」 「‥‥カンナの怪我、そんな‥‥」 「ううん。アイリスちゃんのおかげで、わたしのやることは、そんな大変じゃな かったわ。でもね、無理すると傷が残っちゃうから‥‥」 「‥‥‥‥」 「カンナちゃん、女の子でしょ。かわいいし‥‥」 「うん‥‥わかった。言っとく。アイリスが‥‥カンナを‥‥叱っとく」 「うふふ‥‥お願いね。‥‥暇なとき、遊びにいらっしゃい」 白衣の女性はアイリスの来た方向に立ち去って行った。 アイリスはしばらく彼女の後ろ姿を見つめていた。 「‥‥カンナのばか。お兄ちゃんはアイリスが護るんだから、そんな無理し‥ ‥」 アイリスの微笑んだ表情がすっと消えた。 「‥‥‥‥んんん、はやく大人になってやるっ」 アイリスはずかずかと廊下を歩いていった。 陽の光を浴びて、アイリスの影が廊下の壁側に影をつくった。 アイリスは小さなその影を見つめて歩いていた。 「小さいなあ‥‥くすん‥‥‥‥ん?‥‥あれは‥‥」 薄暗い部屋だった。 太陽が反射して、よけいに見にくいその部屋も、アイリスにとっては問題ではな かった。 その狭い薄暗い部屋に、何やら精密機械らしきものが隙間無く配置されていた。 かろうじて人が二人ほど眠れる領域に、かなり大きな画面のようなもの、そし て、それを見られるように、人が一人座っていた。 「‥‥マリア‥‥じゃないかな?‥‥なにやってんだろ」 マリアのこめかみには聴診器のようなものがついていた。 戦闘服も着ていた。 そして、その戦闘服から霊力を抽出する接続ケーブルが延びていた。 画面は四分割されていた。 それぞれに何か波形のようなものが表示されていたが、アイリスには当然わかる はずもなかった。 動く波形と動かない波形があった。 「??‥‥なんだろ?‥‥ん?」 アイリスは何か妙な感覚を得た。 大神が自分を護ってくれたときの‥‥あの感覚。 「え‥‥お兄ちゃん?」 アイリスは思わず振り向いた。 外壁の窓から差し込む太陽が眩しかった。 「‥‥あれ?‥‥おかしいなあ‥‥」 アイリスは再びマリアを見た。 少しうつ向いている。 そして再び画面を見つめ始めた。 「‥‥?」 マリアの頬を汗がつたった。 薄暗い部屋の画面から出る蒼い光に照らされて妖しく光った。 「‥‥‥‥」 アイリスはしばらく見つめていたが、すぐまた歩きだした。 休憩は終りだった。 アイリスを駆り立てるもの‥‥それは大神への想いだったから。 マリアはじっと画面を見つめ、自分から出る霊気波形を、動かないその波形に合 わせようと、意思の力で霊力を制御していた。 ひくっひくっと微動だにはするが、その位置まで動かすことが難しい。 力の方向を換えると、今度は完全に通り過ぎてしまう。 力の入れ方を換えると、今度は形がくずれる。 昨日からその繰り返しだった。 「‥‥くっ、こんなに‥‥疲れる‥‥なんて‥‥‥‥はあ、はあ、はあ‥‥」 無理もなかった。 戦闘時の霊力をそのまま保持し続けて、訓練している。 リアは椅子の背にぐったりと自分の身体を預けて、目を閉じた。 「はあ‥‥」 ‥‥使わせたくないんだよ‥‥ 「‥‥‥‥」 ‥‥君を‥‥戦場には送りたくないんだ‥‥ 「‥‥‥‥」 ‥‥一郎は君が護れ‥‥君の背中は俺が護るから‥‥ マリアは再び目を開けた。 そして画面を見つめた。 『‥‥隊長はわたしが護る‥‥大神さんは‥‥わたしが‥‥‥‥ん?‥‥』 ‥‥おほほほ‥‥ 「‥‥ぬぬぬ‥‥この、わたしが‥‥遅れをとるなんて‥‥ぬぬぬ‥‥」 波形の大きさが一気に上がった。 片隅にわずかなピークが生まれた。 これまでできなかったもの。 マリアは頭に血が上って気が付かずにいた。 昼前の地下格納庫。 群青と山吹色の神武は、フレームを残して解体されていた。 「‥‥はああ、あっという間もなくバラしちゃうんですね。‥‥すごい」 「‥‥ん?‥‥ああ、また出かけるからな、ここまでやっとかんと」 『‥‥やっぱり天才だよな、司令は。‥‥でも、俺の神武ってほんとに動くのか な』 「お前はカンナとペアを組ませる。まずはカンナの後方支援が最初だ」 「!!」 山崎は、自分の考えていたことを読まれたのかと、かなり驚いた。 「‥‥さて、じゃ、カンナ機のほうは頼んだぜ、山崎。3時頃には戻るからな」 「は、はい。わかりました」 神凪は地下格納庫を出ていった。 「‥‥よーし、今日中に完成させてやる。カンナさん‥‥待っててくださいよ」 「さて、お嬢さんがた、そろそろ‥‥」 神凪はサロンのドアを開いた。 「はい‥‥」「はい‥‥」 「‥‥‥‥ん、ん。で、では行きましょうかね、うん」 さくらとすみれは、しとしと、と神凪の後方についていった。 頬を朱に染めて、少しうつ向き加減で、手を前にして。 『‥‥うーむ。‥‥山崎のやつ‥‥』 昨日と同じ、劇場からはかなり離れた竹林の中。 かなり広く、新宿御苑の半分ほどの面積があった。 「‥‥ん?」 到着した三人は、何か音が聞こえて立ち止った。 「‥‥先客がいるみたいですわね」 「‥‥だれでしょう」 さくらとすみれの目の色が少し変わった。 「‥‥大神だ」 「!」「!」 竹林の中、そこにかなり広い面積で、何もない広場が形成されていた。 明らかに抜粋工事をしたような跡にしか見えたかった。 近づいて見ると‥‥その広場は、まるで爆薬を使用したような跡で造られている ことに気付いた。 「!‥‥」「こ、これは‥‥」 すみれとさくらは、そのすさまじい風景を見て動くことを忘れていた。 「‥‥あいつ‥‥‥‥まったく」 神凪は渋い表情で大神を見入った。 大神は両手に剣を持ったまま、地面に蹲っていた。 肩で息をしていた。 目が‥‥いつもと違っていた。 表情が‥‥いつもよりも怖かった。 「大尉‥‥」「大神さん‥‥」 大神は目を閉じ、そして、立ち上がった。 剣を交叉させるように構える。 そしてそれをゆっくりと下げ‥‥霊気が大神の周囲を蒼く照らした。 稲妻が諸手に集約しつつあった。 大神の足元に青白く渦巻く霊力の波が形成された。 ザッ‥‥ 大神は跳んだ。 白鳥の飛翔を思わせて、さくらとすみれは魅入ってしまった。 「んんんぬおわあああっ!」 左手の青い刃が蒼い突風を引き起こした。 右手の赤い刃が赤い稲妻を奔らせた。 「狼虎滅却‥‥」 そして再び剣は出会った。 「無双天威っ!!!」 ズズーーン‥‥ 轟音と閃光が静寂な竹林を覆った。 後に残されたのは直径10メートル余り、深さ3メートル以上の穴だった。 大神の放つ無双天威は、神武搭乗時のそれをも明らかに上回っていた。 「すごい‥‥」「こんな‥‥」 力が、霊力が、時間とともに絶えることなく成長しているようだった。 「はあ、はあ、はあ‥‥くそっ、これでは‥‥く、く、くそーっ」 大神は唸った。 唇を噛みしめる。 目をきつく閉じる。 さくらとすみれは‥‥そんな大神をじっと見つめていた。 胸の中が苦しくなっていた。 胸が何かにきつく締めつけられているようだった。 胸が‥‥はりさけそうだった。 「大神‥‥さん‥‥」「大尉‥‥」 「‥‥‥‥」 神凪は大神を見つめて何も言わなかった。 その長剣を握る手が少しきつくなっていた。 大神は再び目をかっと見開いた。 霊力が‥‥今さっき必殺技を放ったばかりだというのに、驚くべき回復力で充実 しつつあった。 先程よりもさらに大きく、力強く‥‥ 失っては得る。 それを放つ。 またそれを繰り返す。 大神の力は自分の意思以上に膨張しようとしていた。 尋常な力ではなかった。 神凪のそれに、少しでも近づこうと。 大神は再び飛翔した。 今度は更に高く、雄々しく。 さくらとすみれは風を感じた。 「!?」「えっ!?」 神凪が消えた。 大神は真下に標的を見つけた。 自分の兄。 視線が交錯した。 大神は舞い降りた‥‥それは獲物を捉える荒鷹のようだった。 神凪は迎え撃った‥‥それは飛ぶ鳥を狙う猛虎のようだった。 さくらとすみれは心も身体も奪われていた。 激しすぎる気合いと霊気、そして‥‥その美しさに。 「狼虎滅却‥‥」「破邪剣征‥‥」 大神の瞳が青白く、神凪の瞳が真紅に輝いた。 「快刀乱麻!!!」「桜花放神!!!」 二人の間で物凄い閃光が生じた。 衝撃がすぐさま後を追って周りを震撼させた。 さくらとすみれは、耐え切れず、その場に伏せた。 空気が落ち着きを取り戻した。 二人はゆっくりと目を開けた。 大神が開けた穴、それより更に巨大な穴が、 最初の破壊跡を全て喰いつくすように造られていた。 「こ、こんな‥‥なんて‥‥」「し、信じられない‥‥」 神凪が立っていた。 大神は‥‥倒れていた。 さくらとすみれは、しばし茫然とし‥‥そして駆け寄った。 「大神さん!!」「大尉!!」 空中にいた大神はその衝撃に吹き飛ばされていた。 地上にいた神凪はその衝撃を防いだ。 「まったく‥‥」 大神は意識を取り戻した。 「‥‥あ‥‥うう‥‥」 「大神さんっ、大神さん、しっかりして‥‥」 「大尉っ、しっかり、しっかりして‥‥」 「‥‥あ‥‥あ、れ、二人とも‥‥どうして‥‥」 「ばか‥‥ばかあ‥‥」「大尉、大尉い‥‥」 大神はゆっくりと起き上がった。 顔から殺気はとれていた。 さくらは‥‥大神が戦闘から生還した時と同じように泣きじゃくっていた。 すみれは‥‥大神が神凪から救われた後と同じように横にぴったりとついてい た。 「‥‥ごめん」 「俺と同じになってどうする‥‥‥‥お前はお前‥‥焦るなって言ったろ、ア ホ」 「‥‥でも、兄さん‥‥俺は‥‥」 「はああ‥‥お前、帰って少し休め。‥‥身体が悲鳴あげてんの、わからんか」 「‥‥はい」 大神はゆっくりと立ち上がった。 さくらとすみれはそのまま座り込んでいた。 「ごめんね‥‥さくらくん‥‥すみれくん‥‥」 「グスッ‥‥大神さん‥‥」「‥‥大尉‥‥」 大神はゆっくりと歩きだした。 そして竹林の中に消えていった。 「ふう‥‥ちっ、紅蘭を連れ戻したほうがよさそうだな、これじゃ‥‥」 「‥‥え?」「‥‥?」 「いや、なんでもない‥‥‥‥まてよ‥‥アイリスを‥‥そうだな、そうする か」 「??」「??」 「ふむ、これはナイスだ。うむ。‥‥よし‥‥では、二人とも、昨日の続きをし ましょうね」 「へ?‥‥あ、はい」「は?‥‥は、はい」 大神は昼食を軽くとった後、サロンに向かった。 カーテンに緩められた午後の柔らかな陽射しを浴びて、大神は眠りに入った。 身体が睡眠を欲していた。 大神は深い眠りに入った。 夕陽が劇場を照らす頃、さくらとすみれ、マリアとアイリス、そしてカンナも殆 ど同時に劇場に戻った。 5人は一服しようとサロンに向かった。 「あ、大神さん‥‥」 大神はぐっすり眠っていた。 「‥‥隊長のやつ」「‥‥大神さん」「‥‥お兄ちゃん」 三人は大神の前に陣取った。 さくらが割って入った。 「あ、あの‥‥やめませんか‥‥」 「ええ?」「‥‥なぜ?」「どうして?」 「‥‥たぶん‥‥わたしの錯覚‥‥だったんだと‥‥思います‥‥」 「?」「?」「?」 さくらはしょんぼりして大神の前に立った。 すみれは、そんなさくらを優しい瞳で見つめ‥‥そしてさくらの横に移動した。 「錯覚ではありませんことよ、さっくらさん。大尉とわたくしは、もう離れられ ない関係になってしまったのですわ。このわたくしの可憐な肉体を‥‥大尉が‥ ‥それはもう‥‥はああ、わたくしは‥‥」 すみれは頬を赤く染めて、手でそれを覆い隠すような仕草をした。 アイリスは‥‥すみれを見た。 すみれの中を見た。 「‥‥そう、そうなの、すみれ、そうなのねっ!‥‥すみれがお兄ちゃんを‥ ‥」 「ほう‥‥そういうことかい‥‥こんのヘビが!」 「なるほどね‥‥納得したわ。大神さんは‥‥‥‥ほっ」 「‥‥そんな、すみれさんが、そんな‥‥わたしのことは、どうでもいいと‥‥ あ」 さくらとすみれはお互いをまじまじと見つめ、そして真っ赤になってうつ向い た。 「あんだあ、すみれ‥‥おめえ、さくらにまで‥‥くっそー、もう許さねえっ !」 「そんな、カンナさん、わたしのために‥‥ち、違うって‥‥わたしはすみれさ んのもの‥‥違うっ!‥‥あああ‥‥」 大神は窮地を脱していた。 寝ている間に。 アイリスはじっと大神を見つめ‥‥そしてすみれを見た。 すみれは大神を見つめていた。 『‥‥ほんとに‥‥優しいんだね』 アイリスはすみれと反対側に‥‥大神を挿むように座った。 大神を護るように。 「な、なんだってえ‥‥し、司令と隊長の一騎打ちぃ!?」 「声が大きすぎますことよ‥‥この、お猿さんがっ」 「うぎぎぎ‥‥ちっくしょー、なんであたいを呼ばねえんだよっ、くっそー、そ んなうまそうなもん、二度と見られねえだろーがよっ、ちっきしょー、くっそ ー」 「だって‥‥カンナさん出かけてたから‥‥でも‥‥」 さくらの頬が赤くなった。 「はああ‥‥なんかすごかったなあ‥‥」 「はああ‥‥そうですわね‥‥」 すみれの頬も赤くなり、そして目がうつろになった。 さくらはすみれのとなりに、マリアはアイリスのとなりに、そしてカンナは彼女 たちと向かい合わせで椅子を置いて、そこに座っていた。 大神はまだ深い眠りに入っていた。彼女たちに囲まれて。 「そ、そんなにすごかったの?神凪司令と大神さん‥‥」 「はああ‥‥大神さん‥‥なんか白鳥みたいだったなあ‥‥」 「はああ‥‥それに‥‥大佐‥‥なんだか‥‥黒豹みたいで‥‥身体が‥‥」 「く、くっそー‥‥ちっくしょー‥‥」 「わ、わたしも‥‥一緒に‥‥行けばよかった‥‥」 「へえ‥‥‥で、どんな感じだったの、お兄ちゃんと、お兄ちゃんのお兄ちゃん ‥‥」 「はああ‥‥え?、そ、そうね‥‥うーん、なんか雰囲気としては‥‥そうね、 そう!なんか宮本武蔵と佐々木小次郎って感じだったわっ‥‥そう、そうよ」 「はああ‥‥はあ?」 「大神さんの小太刀二刀と、神凪司令のあの長い刀‥‥物干し竿みたいに長い太 刀‥‥」 「くっそー、そんなこと言われちゃ、ますます逃がした獲物はでけえじゃねえか よ‥‥あたいは宮本武蔵の大ファンなんだからよっ、ちっきしょー、くっそー‥ ‥」 「‥‥少し形容がダサイのでは?さくらさん‥‥あれは‥‥そう‥‥源義経と‥ ‥光源氏の華麗な闘いのよう‥‥」 「あ、あなたねえ、すみれ‥‥世代が全然違うじゃないのよ‥‥そんなことでは ‥‥ふっ」 「うぬぬぬぬ‥‥ふ、副司令という立場を利用した、悪逆非道の数々、最早‥ ‥」 「で、で、さくらっ、その後は?」 「え?‥‥そ、その後は‥‥」 「‥‥‥‥」 さくらもすみれも下をうつ向いて黙り込んでしまった。 そして二人とも大神を見つめた。 大神の寝顔はいつもの優しい青年のそれだった。 「‥‥勝負は一瞬で決まりましたわ。結果を見たければ、離れの竹林に行けば‥ ‥もっとも、勝敗の行方など、どうでもよいことですけれど」 「‥‥大神さん‥‥」 二人はじっと大神の寝顔を見つめ続けた。 「‥‥なるほどね。大神さん、ずいぶん疲れてるみたい‥‥部屋に戻って休んだ ほうが‥‥」 「ふわあ‥‥お、おそろいで、皆の衆‥‥」 神凪が入ってきた。 棚でお茶を入れ、その後は図書室へ行く‥‥それが神凪の午後から夜にかけての 行動パターンだった。 どこか紅蘭のそれとも似ていた。 勿論格納庫で整備するそれも‥‥。 お茶を啜りながら、ドアまで歩く。 視線を感じて振り向く。 「ん?‥‥なんだい?‥‥‥‥あ、大神寝てんのか‥‥どれ‥‥」 神凪は湯飲みを置いて、ソファにやってきた。 大神の寝顔を見つめる。 「ふふん‥‥こいつ‥‥子供の頃と寝顔がおんなじだな‥‥」 そう言って、神凪は大神の鼻先を指で触れた。 夕陽が神凪の横顔を‥‥そして、大神の輪郭を赤く染めた。 いつぞやの朝の再現が開始された。 「はああ‥‥」 「ふわあ‥‥」 「あああ‥‥」 「ああ‥‥」 「な、なんだ、こいつら‥‥」 カンナだけは、椅子に座って神凪の後方にいたため、また、その日はその場面に 遭遇しなかったこともあって、神凪と大神のことよりも、少女たちの風体のほう に面食らった。 「‥‥ほんと、そうしてると、兄弟って感じがするよ‥‥司令」 「ふっ‥‥そうか?‥‥こいつ、子供の頃は身体弱かったからな‥‥」 「ああ、聞いたよ‥‥ちょうど紅蘭がいなくなる前日だったけど‥‥」 「‥‥そうか」 「そういや、司令の写真も見たな‥‥隊長の銀時計についてた‥‥」 「‥‥今も持ってるか、こいつ」 「いや‥‥紅蘭が持っていった。あいつが直すってね‥‥」 「!‥‥動かなくなったのか?」 「ああ‥‥どうかしたかい?」 「いや‥‥そうか‥‥紅蘭が、か‥‥」 神凪は少し目を伏せて、そして再び大神を見た。 そこには鏡があるとしか思えなかった。 神凪は大神のすぐ傍まで寄り、そして大神を抱きかかえた。 「あああ‥‥そ、そんな‥‥」 「カンナ、ドア開けてくれ‥‥」 「ああ」 神凪とカンナは大神を連れてサロンを出ていった。 サロンでは、またまた涎を垂れ流す餓鬼軍団がたむろすることとなった。 「はああ‥‥わたしは‥‥あなたが‥‥はああ‥‥わたしは‥‥あなたを‥‥」 「はああ‥‥いいわ‥‥すごく‥‥いい‥‥はあ‥‥いいわあ‥‥ああ‥‥」 「はああ‥‥大尉‥‥はあ‥‥大佐‥‥ああ‥‥わたくしは‥‥わたくしは‥ ‥」 「はああ‥‥お兄ちゃん‥‥アイリスは‥‥お兄ちゃんのお兄ちゃん‥‥ああ‥ ‥」
Uploaded 1997.11.01
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