<その5> 「だまっていても埒が開かねえぜ‥‥よーし‥‥」 「待ってください、カンナさん‥‥わたしとさくらさんで牽制します。さくらさ ん‥‥」 「はいっ」 青と桜色の神武が、真紅の機体と同じ距離にまで上がってきた。 山崎の背後にさくらが隠れるように位置した。 そびえ立つ白い女性像。 「はっ!」 山崎が立て続けに光の矢を放った。 無数の光の刃が白い女性像に向かって奔った。 女性像の周りに直径10メートルあまりの半球状の赤黒い光が創られた。 まるで水面に落ちる石のような波立ちと共に、矢は全て吸い取られた。 「!!‥‥まさか‥‥外装障壁!?」 さくらは既に必殺技を放つ態勢で、山崎の後ろから横にずれていた。 「破邪剣征‥‥」 「まずい!」 白い女性はその振袖のような腕を優雅に振り上げた。 白い袖から吐き出された、赤黒い光のかたまりが二人を襲った。 山崎はかろうじて回避したが、防御態勢になかったさくらが遅れた。 「‥‥くっ」 桜色の機体のその左腕が妖しい光玉に巻き込まれた。 さくら色の腕がみるみる赤黒く、まるで錆が浮き出るように犯されていった。 「こ、これは‥‥」 さくらは自らの剣で左腕を断ち斬った。 斬り落とされた腕が、まるで意思を持つかのように、ひくひくしながら塵になっ ていく‥‥ 腕に纏わり付いた妖力、そしてそれを切断するために、蓄積した霊力が半減して いた。 白い女性像は、瞬間動きの止まったさくら機に向かって、再度振袖を振った。 「‥‥死になさい‥‥」 「ちいっ」 すかさず群青の神武がさくらの前面に立つ。 有りったけの霊力で、赤い光に向かって矢を放った。 光玉はその形を削り散らされながらも、なおも直進を続ける。 山崎は残る霊力の全てを左腕に集中し、それを受けた。 赤い妖光と青い霊光が、ものすごい火花を散らして‥‥消えた。 群青の機体の左腕にあった盾は、ぼろぼろになって崩れ落ちた。 「ありがとうございます、山崎さん」 「なんの‥‥だが、もう防御は‥‥」 戦いの隙を見逃すほど、真紅と紫煙の機体を駆る者は悠長ではなかった。 長距離攻撃が無効と判断した二人は、近接戦闘に持ち込むべく突進していた。 そして真紅の機体が既に白い女性の右裾元に滑り込んでいた。 「‥‥!」 「へっ‥‥喰らいやがれっ!!」 カンナ機の両腕が、先程の赤黒い光とは全く違う、真紅の輝きを放った。 拳の装甲がそれを助長するかのように、鮮やかな金色を放つ。 それは‥‥優しい、帝劇の夕陽の赤だった。 「四方攻相琉撃破!!!」 カンナの必殺技、四方攻相君の勁の力をさらに強化し、しかも、それを接触物の 内部に働きかけるように放たれる技、四方攻相琉撃破。 カンナの鍛練後の勁と霊力がさらに練り合い、外部装甲など無関係に、強大な破 壊力が内部に伝搬する。 白い女性像は刹那、妊娠したかのように、その腹部を膨張させた。 後方に飛ばされたその妊婦は、地面に叩きつけられた。 「‥‥がふっ‥‥この‥‥この‥‥わたしが‥‥ごふっ‥‥」 白い女性はその口から、これもまた赤黒い塊をごぼっと流産した。 赤黒い金属部品がまるで、呪われた不浄の物のようにひくついていた。 起き上がる間も無く、紫煙の神武が追撃した。 「消えなさい‥‥不浄の輩がっ!!」 鳳凰が吠えた。 夕陽の赤を呈して‥‥世界の終わりを告げる赤のようでもあった。 白い女性が口を開けた。 赤黒い闇が吐き出された。 それは巨大な鳳凰の右翼を包み込んで、消滅した。 鳳凰は片肺になりながらも、白い女性を襲った。 白い女性は白いまま、だが、苦痛を表情に現しながらも耐えた。 「‥‥なかなか‥‥やり‥‥ますね‥‥中和も‥‥ままならない‥‥とは‥‥」 「ちっ」 白い女性は鳳凰の洗礼にも思い正すことなく、菫色の機体に不浄の息を吹き掛け ようとした。 そのとき、一条の桜色の光弾がその暗い息の軌道をずらした。 「これは、桜花放神‥‥さくらさんっ!」 「へへへ‥‥」 「無理して‥‥ばかな娘‥‥」 さくらが片腕で残った霊力を必殺技に投入して、すみれを援護した。 白い女性がさらに目の前に接近して、その振袖を振り上げた。 「‥‥死ぬのです‥‥」 振袖の中から手が現れた。 嫋な女性の手‥‥ではなかった。 降魔の鉤爪を想像の及ぶ限り劣悪に模造したような‥‥吐き気をもよおす形状だ った。 すみれ色の機体を引き裂く‥‥‥ 目の前に真紅の神武が立ち塞がった。 「カンナさんっ!!」 爪が‥‥汚らわしい爪が‥‥カンナさんを‥‥ すみれの脳裏に最初の戦闘のそれが過った。 わたくしを‥‥かばって‥‥ ピキッ‥‥ すみれの中で何かが壊れた。 箱入り娘の、その鋼鉄の箱に亀裂が入ったような音だった。 ガキッ 白い女性像の顔に懸念の表情が創られた。 真紅の機体は地面に脚をめり込まされながらも、傷ひとつなかった。 「‥‥!?‥‥これは‥‥なぜ‥‥」 「へっ、やらせねえよ‥‥オリャアアッ!」 カンナの鉄拳が炸裂した。 だが白い女性はその表面を波立たせながら後方にずり下がっただけだった。 白い女性の着物の表面‥‥それにもカンナの金色の装甲と同様な処理が施されて いた。 「ちっ、こいつには通常技が効かねえか‥‥」 「ダメージは与えているはず‥‥今一歩なのに‥‥」 さくらが唸った。 「‥‥もう‥‥それまで‥‥でしょう‥‥」 白い女性が苦痛を隠すように吐いた。 カンナとすみれの必殺技を受けて、しかしなお攻撃力の低下は感じられなかっ た。 「下がって‥‥」 「くそっ、蓄積には時間が‥‥ん?‥‥どうした、すみれ」 「下がりなさい‥‥カンナさんっ!!」 すみれの神武が、必殺技を放った直後だというのに恐るべき霊力を漂わせ始め た。 さくらさんを‥‥カンナさんを‥‥ 娘を傷つけられた‥‥そして、親友が犠牲になろうとした‥‥ 「んぬあああああああああああっ!!!」 すみれが‥‥咆哮する。 それは、そこにいた全ての者の魂につきささる叫びだった。 紫色の機体が白い女性像に向かって突進した。 速度が、カンナの神武に肉薄する勢いだった。 脚が悲鳴を上げた。 背中が熱を帯び、光り輝いた。 能力の限界を越えた力を保持できず、紫色の神武は火花を撒き散らしながら奔っ た。 ‥‥許さない‥‥許さない‥‥許さない‥‥許さない‥‥許さない‥‥ 「すみれっ!!」「すみれさんっ!!」「すみれさん、待ってっ!!」 「神‥‥‥‥崎‥‥‥風‥‥塵‥流‥‥」 旋回する長刀に神武の腕が追い付かず、火花と煙を上げた。 周りが暗くなった。 長刀が周りの光を吸収しているようだった。 紫の光を放つ疾風の機体は、白い女性の眼前で急停止した。 視線が交錯した。 白い女性の赤い目がカッと見開かれた。 「‥‥死になさい!!」 口が開いた。 すみれの目が光を放った。 「鳳・凰・蓮・華!!!」 振り上げた長刀から、目を潰されそうな強烈な光が放たれた。 もう一つ太陽が創られたようだった。 長刀が耐えきれず形を失った。 振り上げた右腕も耐えきれず、少しずつ形を崩していった。 光が和らいだ‥‥ そして‥‥ 白い女性の足元に‥‥白く巨大な花が咲いた。 蓮華だった。 蓮華の上に立つ白い女性‥‥ この世の美しさではなかった。 さくらは、カンナは、そして山崎は‥‥魂が奪われるような気がした。 白い女性は蓮華に取りつかれ、身動きもとれなかった。 そして‥‥蓮華の花弁は、何かを産み出そうとしていた。 それは‥‥鳳凰だった。 白い鳳凰だった。 光で創られた、その巨大な鳳翼を展開する‥‥ ‥‥あやめさん‥‥ その姿に‥‥さくらとカンナは、一年前に旅立った、あやめの姿を思い起こし た。 白い女性と重なった。 白い女性は口から何かを出したが‥‥何も起きなかった。 光にかき消されていた。 鳳凰はゆっくりと飛翔した‥‥天に向かって真っすぐに。 形を失った白い女性と共に。 白い女性は消えた。 白い鳳凰と共に。 紫色の神武は‥‥片腕を失い、その失った片腕を天に延ばすような様相で、 身動き一つしなかった。 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 そこにいた三人は声もなく、ただ鳳凰の行方を見つめていた。 天を。 「‥‥あ、れ、が‥‥鳳‥凰‥‥蓮‥‥華‥‥」 さくらがかろうじて声をだした。 「‥‥はっ‥‥すみれ‥‥すみれはっ」 カンナが駆け寄る。 紫色の神武はぴくりとも動かなかった。 エンジンは完全にオーバーヒート、保護回路の作動も間に合わなかった。 すみれは気絶していた。 「ほっ‥‥無事、か‥‥」 「すみれさんは‥‥大丈夫ですか、すみれさん、すみれさんっ」 さくらと山崎も駆け寄った。 「ああ‥‥気を失ってるだけだよ‥‥」 「とりあえず‥‥帰還しましょう。カンナさん、すみれさんを‥‥」 「わたしが‥‥わたしが、連れて、いきますから‥‥わたしが‥‥」 さくらが神武を降り、菫色の機体のハッチを開けた。 すみれを優しく抱き起こす。 「‥‥あたいも手伝うよ‥‥さくら」 「すみれさん、すみれさん、すみれさん、すみれさあん‥‥」 さくらは泣きじゃくって、すみれを自分のさくら色の機体に乗せた。 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 司令室の三人は口を開けたまま、何も言えずにスクリーンを凝視していた。 「これほどとは‥‥究極奥義を封印したのも頷ける‥‥」 神凪はいつもより真面目な顔つきで一人言ちた。 目を閉じて‥‥そして、苦笑を浮かべた。 「また‥‥徹夜、か」 劇場を夕陽が照らした。 人の群れはもうない。 朝の喧騒、そして昼下がりの雑踏も、すでに落ち着きを取り戻していた。 劇場の扉は閉じられていた。 夕陽がさす、帝劇サロン。 少女たちはいない。 端正な顔立ちの三人の青年の輪郭を、夕陽の赤が彩っていた。 山崎と大神はソファに、神凪は向かい合わせで椅子に座っていた。 「疲れはとれたか、山崎」 「ええ。あの後も十分睡眠はとらせてもらいましたし‥‥」 「技の‥‥個人の向上が、戦力の低下をもたらすとは、皮肉だな‥‥」 「‥‥これで‥‥少しは恐れをなしてもらえればいいんですが‥‥辛いですね」 大神も辛い立場だった。 「まあな‥‥」 「副司令も‥‥あれを使用なさる考えなら、今しばらくは参戦できないでしょう し‥‥」 「敵将が展開した、あの赤黒いシールドみたいなやつ‥‥なんか俺の神武の‥ ‥」 「‥‥いよいよ怪しくなってきたな。神崎重工のみならず、軍事機密にまで浸透 できる人間のようだな、裏にいるのは‥‥もっとも、人間かどうかわからんが」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 「そっちは米田の親父にまかせよう。こっちは機体の整備、それに彼女たちの調 整を優先しなきゃならん」 「ええ‥‥」「そうですね‥‥」 「山崎の機体は代用部品があるからいいが、問題はさくらくんとすみれくん‥‥ 特にすみれくんの機体はフルオーバーホールしか‥‥いや、造り直しだな」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 「さくらくんの機体も‥‥切断した左腕から胸部にかけて影響が残っているよう だし‥‥これは、予定をかなり繰り上げないといかんな‥‥」 「そうですね。すみれさんの場合は‥‥そうですね‥‥あそこまで力があるとは ‥‥」 「すみれくんの霊的認識力はその片鱗だったんだろうな。かつての彼女の力‥‥ それは間違った解釈によって彼女本来の力を封じてしまった結果だったんだよ‥ ‥」 「すみれくん‥‥」 「とにかくアイリスと大神の機体の完成を急ごう。向こうが考え込んでる間に な」 「わかりました」 三人はサロンを出て地下に降りた。 途中で別れ、神凪は支配人室へ、山崎は地下格納庫へ、大神は治療室へ向かっ た。 夕陽は帝国軍中央司令部の煉瓦の赤をさらに鮮やかに彩っていた。 人通りの少ない近隣も、中はそうではなかった。 「‥‥という結果を得ております。実戦にも十分有効であると確信いたしており ます」 「君の意見は?‥‥米田君」 「危険、という以前の問題でしょうな。闇で造られたものを、人が制御すること 自体、道徳を‥‥人そのものを侮辱している。白紙に戻すべきでしょう」 「しかし、これが実用化された暁には帝国の将来は安泰だよ、米田大将。李暁蓮 女史の提案は我々にとっても十分価値のあるものだと思うがね‥‥」 「問題外ですな」 「ふふふ‥‥懸念は無用ですわ、米田大将。制御にはしかるべき人材を登用いた しますゆえ。闇の力を排除するよりは‥‥それを手元で飼い慣らしたほうが、無 駄がありませんわよ。わたくしどもの技術力を以てすれば、ね‥‥」 「‥‥かつて、そのような愚行により破滅の路を歩んだ者がいる‥‥あの、魔界 都市、聖魔城を具現化した男、北条氏綱‥‥それを、また懲りもせずに繰り返す と?」 「まあ、あのような事態はいくらなんでも起きないだろう。仮に万が一のことが あっても帝国華撃団がおるではないか、米田大将‥‥君の懐刀の、な」 「‥‥避けられる、ものを‥‥あえて‥‥‥‥本気で、言っているのか‥‥」 「ふふふ‥‥まあまあ、結論は急ぎませんわ‥‥一週間後にもう一度伺います わ。快いご返答を期待してますわよ‥‥‥‥では、わたくしはこれで‥‥」 群青のチャイナドレスを身に纏った美しい女性は会議室を後にした。 会議はその後30分程で終了した。 米田は青白い霊気を吹き出しながら、階段を昇った。 ロビーにはその女性が立っていた。 「‥‥米田大将‥‥わたくしは、帝都の将来を‥‥そして、帝撃のみなさんのこ とも、憂慮しておりますのよ。決して私益のことなど念頭には御座いませんわ‥ ‥」 「‥‥‥‥」 「‥‥大神さん‥‥でしたわね。花組を率いていらっしゃる隊長は‥‥大尉に昇 進されたのでしたわね。一度きちんとした形でお目にかかりたいものですわ‥‥ 取り成していただけませんかしら。劇場に伺うのもよろしいのですが‥‥ふふ ふ」 「‥‥そうですな。そのうち出頭させましょう‥‥その折りにでも」 「はああ‥‥楽しみですわ‥‥あの方、素敵ですものね。‥‥では」 チャイナドレスの裾を優雅に翻し、その女性は妖しく艶めかしい笑みを残し、玄 関を出た。 その後姿は男の欲望をそのまま具現化したような艶と形を持っていた。 米田は階段を昇った。 額にはうっすらと汗がにじみ出ていた。 霊気が消失してしまったような感覚があった。 「‥‥あやつ‥‥ただ者ではないな‥‥‥‥花組のことも既に把握しきっている ‥‥しかたない、紅蘭の帰国も急がせたほうがいいな‥‥それと‥‥」 米田は自室へと入って行った。 「‥‥もしもし、神凪ですが‥‥ご無沙汰しておりました、神崎さん」 『おお、随分と久しぶりだな。帝撃司令になったそうだが‥‥元気かね』 「ええ。神武の件、ありがとうございました。‥‥それで、申し訳ついでに、ま たまたお願いがあるのですが‥‥」 『君が頭を下げる以上、わたしに拒否することはできんよ。言ってくれ』 「‥‥実は霊子甲冑をもう一体、用意してもらいたいのですが‥‥どうでしょ う」 『ふっ、お安いご用だ。ちょうど予備が手元にある。それを搬送しよう』 「‥‥それではありません。川崎にある‥‥試作型弐号機ですよ」 『!!‥‥あれは起動するわけにはいかん。いくら君の頼みでもな‥‥。君が乗 るのか?‥‥それなら、しかたないが‥‥零式は動いていると聞いたが』 「わたしではありません‥‥お孫さん、すみれさんに乗っていただきます」 『!!!‥‥馬鹿な‥‥あれは、いくらすみれでも‥‥なおさら渡せんな、それ では』 「すみれさんの力は今の神武では支えきれません。わたしが手を入れてもいいの ですが、寧ろ、弐号機‥‥七瀬という名前でしたか、あれに乗ってもらったほう がいいでしょう。もともと、すみれさんのために造られたものですしね」 『!‥‥知っていたのか‥‥まてよ、今すみれの力と‥‥まさか‥‥解放された のか!?』 「まあ‥‥近いうちに奥義も受け渡すつもりですから、それもご承知おきくださ い」 『‥‥‥‥』 「彼女の力は必要ですから‥‥今の我々にとってはね。米田大将がいくら尽力し たところで、流れは変わらんでしょう」 『‥‥三日以内に届けよう‥‥すみれは‥‥いや、よろしく頼むよ。大神くんに もな』 「ありがとうございます‥‥では」 神凪は受話器を置いた。 窓に向き直る。 夕陽が薄いレースのカーテン越しに柔らかく照らしていた。 「‥‥支配人だけ、という訳にもいかないか‥‥はやいとこ決着つけたいもんだ な‥‥」 神凪の赤く照らされた顔には、今朝の表情とは変わって、少し悲しげな彩りが映 しだされていた。 夕陽の赤は青山の煉瓦造りの建物をも優しく包んでいた。 窓から見る風景は、銀座とは違う落ち着きを、その老人に映し出していた。 風体は老人だが、目には若々しい光が満ちていた。 「もしもし‥‥米田ですが‥‥」 『おや‥‥つい今しがた神凪君から電話をもらって‥‥』 「ほう‥‥実はお願いしたいことが‥‥」 『ふっ‥‥神凪君といい‥‥相当やばそうですな、今度の相手は‥‥で、何を ?』 「以前お願いしていた大神の神武の補強用品と‥‥紅蘭の、あれ、を‥‥」 『‥‥承知した。七瀬とともに搬送しよう』 「七瀬?‥‥七、瀬‥‥!!‥‥あいつ‥‥まさか、すみれに‥‥」 『‥‥そのようですな』 「あ、これは無礼を‥‥そうですか‥‥‥‥おっと、もう一つ‥‥」 『ん?』 「‥‥彼女を‥‥銀座に派遣してもらいたいのですが」 『‥‥ふう‥‥七瀬の次は‥‥ま、仕方ありませんな‥‥ですが、それは彼女の 意志に任せることにしましょう。運命なら受け入れますがね』 「すいませんな‥‥この借りはいずれ‥‥」 「すみれくんの具合はどう‥‥!!!」 治療室のドアを開けた大神の目に飛び込んできたのは、今まさにポットから起き 上がろうとしている、産まれたままの白い姿だった。 すみれは‥‥そして大神は一瞬にして硬直した。 幸いにして、すみれの手がしかるべき場所を遮蔽していたが‥‥ 時間が停滞していた。 すみれの白い顔が、肌が、見る見る赤くなっていく。 「お兄ちゃんっ!!」 「ちょ‥‥ちょっと、大神さんっ、出てって下さい。もう、ノックぐらいして‥ ‥」 「い、いいんですのよ、さくらさん‥‥」 カンナがすみれの着物を手渡す。 すみれが恥ずかしそうに前を隠す。 そしてゆっくりと、大神の近くまで歩み寄る。 一年という月日は、すみれの身体が描く曲線を、さらに滑らかに、さらに艶やか にしていた。 大神はまだ凍り付いたままだった。 「‥‥見ました?」 「‥‥‥‥」 大神は口を開けたまま、首だけを廻した。 「‥‥見ましたわよね?」 「‥‥‥‥」 また同じことをする。 「‥‥見たのでしょう?」 「‥‥‥‥」 また同じ。 「‥‥はああ‥‥殿方に見られるなんて‥‥わたくし‥‥」 「‥‥‥‥」 また同じ。 「かくなる上は‥‥もう‥‥結ばれるしか‥‥ありませんわね‥‥大尉‥‥」 「‥‥‥‥」 首を廻す周期が短くなる。 「わたくしを捨てるとおっしゃるのっ!?」 「‥‥‥‥」 さらに短く。 「うふふ‥‥でしょう?‥‥ああ‥‥さあ、夜伽の間に連れて行ってたもれ」 「!!」 すみれは大神に身体を押し付け、そして着物を押さえている手を離した。 大神は、自分の服越しに伝わってくる、すみれの体温と柔らかい体感、そしてそ の香りに理性の箍が完全にはずれた。 が、それをしっかりと閉め直してくれる人間には事欠かない帝国歌劇団・花組。 一昨日の記憶がめらめらと沸き上がってきていた。 カンナが楔のように間に割って入り、さくらがすみれを抱く。 「隊長はあたいと特訓しなければいけねえ‥‥さあ、すみれは‥‥一人で寝てろ っ!」 「すみれさんは、あたしが介抱してあげますから‥‥ねえ、お・お・が・み・さ んっ!!」 「アイリスも一緒に特訓してあげるよ‥‥お兄ちゃん‥‥ふふふ‥‥」 「‥‥‥‥‥‥」 マリアはもはや言葉を発することもできず、暗殺者の視線を大神とすみれに向け ていた。 「あん‥‥もう‥‥でも、次の機会がありますわよね、大尉ぃ」 「え?‥‥おわっ」 カンナがすみやかに大神を連行していった。 「‥‥視線を感じますわね‥‥‥‥うげっ、マ、マリアさんでしたの‥‥こ、怖 いですわ」 「‥‥怖い?‥‥このわたしが?‥‥わたしの顔が怖い?‥‥このわたしの顔 が?‥‥」 「さあ、行きましょうか、すみれさん‥‥」 さくらはすみれの肩に着物をかけて、治療室を後にした。 マリアが一人ぽつんと残された。 「わたしが?‥‥‥‥ぬぬぬ‥‥わたしが裸で寝ているのには気付きもしないで ‥‥んぬぬぬぬ‥‥わたしには‥‥そんなこと‥‥してくれない‥‥‥‥許せな い‥‥すみれのやつ‥‥身体を使って‥‥大神さんを‥‥ぬぬぬぬ‥‥わたしだ って‥‥絶対わたしのほうが‥‥‥‥負けないわ‥‥」 完全に切れていた。 「‥‥さてと‥‥覚悟はいいな、隊長‥‥」 「‥‥こ、これは、い、いったい、どうしたというんだ‥‥か、身体が、お、重 い‥‥」 「ふっふっふ‥‥アイリスに頼んで、ちょっとばかり金縛ってもらってる‥‥今 後の闘いには、それなりの試練が必要だからな‥‥」 「んなにぃ!?」 「がんばれーっ、カンナっ」 「おうっ」 「ゆ、許して‥‥」 「‥‥なんか上が騒がしくないか?」 「?‥‥そうですか?」 「ま、いいか‥‥アイリスの機体はどのあたりまで進んでいる?」 「‥‥ええと‥‥ここはいいし‥‥そうですね、エンジン周りは大丈夫です。あ と‥‥フレーム、これぐらいですね。フレームがかなりやっかいで遅れて‥‥す いません」 「しかたないな‥‥そこが重要だからな。ミスはするなよ」 「ええ‥‥‥‥こうして見ると骨しかないな‥‥急がないと」 「ふっ‥‥今日はよくやったな、山崎‥‥」 「え?‥‥そ、そんな‥‥ありがとうございます‥‥」 「‥‥次はもう少し楽にしてやるよ」 「はい?」 「‥‥なんでもねえよ」 「??」 薄暗い部屋。 既に夕陽は落ちていた。 赤い薄明かりは夕陽のそれとは違っていた。 ランプの灯火は、その女性の横顔を妖しく照らすために、そこに生を受けたよう だった。 部屋の広さは暗闇に覆われて把握できなかった。 どこまでも続いているような錯覚があった。 暗闇のその向こう側から気配が生まれた。 一つ‥‥二つ。 「‥‥はああ‥‥わたしの傑作を、無駄にしちゃって‥‥しょうがないわねぇ‥ ‥」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 「あははは‥‥そうそ、ところで、ぼく?‥‥どうして、ここに来ちゃったの? ‥‥」 「‥‥ごめんなさい‥‥ぼく、おねえさんに‥‥会いたくて‥‥」 「うふふふ‥‥ちゃんとお留守番してなくちゃだめじゃない‥‥」 「はい‥‥」 「‥‥でも、せっかく来ちゃったんだからね‥‥少し遊んでっていいわよ‥‥」 「ほんと?‥‥えへへへ」 「うふふふ‥‥おねえさんの傍にいらっしゃい‥‥」 「うん」 闇から一つ気配が実体化した。 赤い薄明かりがそれをも照らす。 10歳ぐらいの少年に見えた。 それは、女性の膝に乗った。 チャイナドレスの‥‥その薄明かりが照らす艶めかしい丘陵部に顔を埋めた。 「あん‥‥もう‥‥うふふふ、だめよ‥‥」 「えへへへ‥‥」 「‥‥‥‥」 もう一つの気配は微動だにしなかった。 ただ、暗闇に赤い点が二つ点った。 目のようにも見えた。 「うふふ‥‥ところで‥‥甲冑の具合はどう?」 「‥‥あと二日ほどあれば‥‥お嬢様の乗っていただく機体は、今しばらく‥ ‥」 「あれはゆっくりでいいわよ‥‥わたしの愛しい‥‥わたしの分身‥‥うふふふ ‥‥」 「‥‥歩兵は完了しました‥‥あとは、将兵の完了を待つのみです‥‥」 「母材はしっかりしたものを選んでね‥‥わかってると思うけど」 「はい‥‥とりあえず5体ほど抽出しました‥‥なんですか、二人は元人間です ね。あとは‥‥上級降魔で‥‥復元するのにかなり手間がかかりましたが」 「ああ‥‥あれ‥‥ふふふ‥‥なかなか演出がよくってよ、あなた‥‥」 「少し趣向を凝らしたものにいたしましょう。お嬢様の美的感覚を損ねるやもし れませんが」 「うふふふ‥‥あなた‥‥意外におもしろいわね‥‥あんっ」 少年は埋めた顔を恍惚とした表情でさらに深くよじった。 その女性は胸元の少年の髪を撫でた。 「あ、ああ‥‥だめよ‥‥そんな、動いちゃ‥‥うふふふ‥‥わたしの身体は‥ ‥大神くんの‥‥神凪さんの‥‥ものなんだから‥‥」 少年の目が妖しく輝いた。 「おおがみ‥‥かんなぎ?」 「うふふふ‥‥そんなやきもち妬かないの‥‥」 「それと‥‥あのお方に何か動きがある模様ですが‥‥」 「‥‥ふん‥‥あの女が?‥‥まあ、好きにさせればいいわ‥‥」 「どうも‥‥劇場のほうか、もしくは紅蘭様に接触するおつもりかと‥‥」 「あの小娘のことは口にするなっ!」 「今しばらく‥‥紅蘭様はもう既に現地から、さらに何処かへ移動した模様で す。こいつが来たのも‥‥そのためでして‥‥」 「ごめんね‥‥なんか怖い人たちが傍にいたんだもん」 女性の目は宙を睨んで、微動だにしなかった。 少年を撫でていた手はいつしか髪の毛をがっしりと掴んでいた。 「‥‥い、いたいよう」 「あの女‥‥まさか、大神くんを‥‥‥そうは、させないわ‥‥大神くんはわた しのもの‥‥」 「いたい、いたいよう‥‥」「‥‥‥‥」 「‥‥始末していいわよ」 「な、何をおっしゃるので‥‥」 「始末なさいっ!」 「それは‥‥お許しください‥‥」 「‥‥ぼく‥‥ぼくはやってくれるわよね‥‥おねえさんのために‥‥」 「‥‥うん」 「いい子ね‥‥ちゃんとやってくれたら、ご褒美あげるからね。うふふふ‥‥」 「ほんと!?」 「ええ‥‥そうよ‥‥おねえちゃんと一緒に‥‥うふふふ‥‥」 「うんっ、ついでに他のおねえちゃんたちも片付けてこようっと。ぼく、がんば るっ!」 「うふふふ‥‥いい子ね‥‥」 「貴様‥‥こともあろうに‥‥」 「‥‥あなたは甲冑を急ぎなさい‥‥いいわね」 「しかし、お嬢様‥‥」 「おだまりっ!‥‥命令は下したはず。お行きなさい‥‥」 「‥‥わかりました」 気配は消えた。 少年はゆっくりと女性から離れた。 「約束わすれないでね、おねえちゃん」 「うふふ‥‥」 「じゃね、行ってきまあす」 少年は闇に消えた。 赤い薄明かりは、再びその女性ために息を吹き返した。 少し風がでてきた。 開けはなった窓のカーテンを優しく揺らす。 雲間に隠れていた月も顔を覗かせた。 赤い月。 赤い満月だった。 風はその女性の足元を撫でた。 群青のドレスが、まるで質量を持たないかのように切れ目からずれる。 赤い満月‥‥そして赤いランプ。 赤い薄明かりが、その女性の白い艶めかしい脚を彩った。 「‥‥だれにも‥‥わたさないわ‥‥大神くんは‥‥は‥‥ひっ‥‥わたしの、 もの‥‥」 風は止んだ。 カーテンは元の位置に戻った。 ランプの薄明かりはさらに暗くなった。 そして‥‥音だけが‥‥外から時折聞こえる蒸気自動車の音に隠れるように、確 かに呻き声が響いていた。 悦びの声が。<四章終わり>
Uploaded 1997.11.01
ふみちゃんさんの大作、「花組野外公演」第四章。 好きな人を守る。愛する仲間を守る。 そのために、彼女たちは頑張りました。 いいですね。 花組の少女達の思いが、ひしひしと伝わってきます。 途中、やや怪しげな(?)会話とかもあったり(笑) でも、彼女たちの健気さが実に美しく描かれています。 さあ、皆さん。ふみちゃんさんへ感想のメールを出しましょう!
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