<その3>



「な‥‥なんなんですの‥‥あの、技‥‥」

「し、信じ、られ、ない‥‥あんな‥‥あんなの、わたし‥‥できっこない‥

‥」

さくらは目の前の巨大な壁を飛び越えろと言われているような気がしていた。

あれが‥‥おそらく破邪剣征・準最終奥義。

自分が会得した、百花繚乱・裏は‥‥究極奥義への単なる入り口だったのか‥‥



すみれは、神凪の放った技を茫然と魅入っていた。

赤熱の鳳凰は無論、自分が持つ最強の奥義、鳳凰蓮華‥‥その光の鳳凰を以てし

ても、あの龍の動きを止めるぐらいしか‥‥中和するぐらいしかできないのでは

‥‥と。しかも、技の形態が違う。へたをすると、蓮華はあれを捕獲できないか

もしれない‥‥

さくらをちらっと見つめる。

いや‥‥もし、あれが完全にさくらの手中に修められた時‥‥

「‥‥さくらさん」

「‥‥え」

「心配しないで‥‥あなたなら、きっとできますわ‥‥」

「すみれさん‥‥」

他の面々は勿論言葉を放てる状態ではなかった。真紅と漆黒の機体は、まるで意

思がつながっているかのような人間離れした連係を見せた。

杏華に至っては、初めて見る神凪の闘神のごとき強さに、恐怖すら感じていた。

そして、真紅の神武を見る。あそこまで強化されるとは‥‥それを駆るカンナ

も、想像を超えた存在だった。

先入観を捨てて、もう一度補強案を見直さないと‥‥

そして、再び漆黒の神武を見る。

零式でなければ‥‥絶対耐えられない。

七瀬だけではなく零式をも封印したのは杏華だった。神埼重工で母体が造られ、

そして神凪が完成させた。あまりにも強大なポテンシャルを持つその機体を、運

用できるパイロットがいない。いや、人を狂わせてしまう‥‥人を喰らう。その

真の力が‥‥これなのか。神凪のみが選ばれた、造り手のみが駆ることを許され

た、その漆黒の鬼神。

杏華はすみれを見た。

この人も‥‥選ばれし者。

さくらを見た。

破邪の力‥‥それを受け入れる機体を‥‥造らなければ‥‥

そして、大神を見る。

端正で凛々しい横顔。杏華の頬が自然と朱に染まる。

‥‥約束の時は‥‥必ず訪れる‥‥

自分の内なる言葉が伝える。意味などわかるはずもない。なぜ、そんなことを考

えたのかわからなかった。だが、なぜか自分がここに来たのはそのためのような

気がした。自分がここを望んだのも‥‥単にあやめの存在があったから?それだ

けではないような気がした。

再び大神のことを考えた。

それだけじゃ‥‥ない。胸が熱くなる。鼓動が激しくなる。

わたしは‥‥この人を‥‥

杏華は愛しい人の、その横顔をじっと見つめていた。





「‥‥手打ちにする前に‥‥聞いておこうか」

神凪は吹き荒れる霊力を抑えつつ、目の前の妖しい甲冑に問い糾した。

かなり大型の甲冑だった。

銀色に見えるが、なにか汚泥物のような色も呈していた。背丈は4メートルほど

だが、前向きに倒れるような‥‥四つ足で動くような格好をしているため、直立

すると5メートルはありそうだった。横回りもある。四つ足で歩行する、それと

は別に手がある。つまり四本の腕が、その甲冑にあった。

胸には‥‥顔がある。大型の胸部装甲の継ぎ目に埋め込まれた幼児のような顔。

そして、頭部と思ぼしき鎧兜のような部分の中央に配置された屈強な顔だち。

刹那と羅刹。黒之巣会の死天王兄弟。先の大戦で、花組によって片付けられたは

ずの、元人間。にじみ出る妖力は人間の時のそれを遥かに上回り、しかも二人分

が増長しあい‥‥結果、先の白い女性像に匹敵する力を放出していた。

「お前たちを‥‥復活させた者の名を‥‥」

「暗い‥‥暗い‥‥何も見えぬう」

「あ、兄者あ‥‥何も聞こえませぬう」

「片手落ち、か‥‥‥‥哀れな‥‥」

神凪はその言葉とは裏腹に、恐るべき霊力を蓄積していた。

痛みを感じる間も無く、瞬殺するつもりだった。

「‥‥ん?」

カンナがおかしな気配に気づき、その奇怪な敵の後ろに注意を払った。

何かが実体化してきつつあった。

人型が現れた。

それは‥‥今度こそ美しい機体だった。

赤い機体だった。やはり女性像だった。赤い女性。カンナの真紅の色とは違う‥

‥どす黒く変色した赤。血反吐がそのまま固まって腐ったような色。顔は白い女

性とは違う‥‥幼い少女のような、少年のような‥‥そんな顔だった。

完全に実体化した。身体はやはり白い女性とほとんど同じ。着物を着ていた。

腕が少し違っていた。初めから、嫌らしい鉤爪が‥‥吐き気を催す、その不浄の

身体が不釣り合いに現れていた。

滑るように移動する。異様なオブジェの如き甲冑の斜め後ろに配置し停止する。

並んだその様は、フリークスと化したペットを飼い慣らす、傲慢なサディストの

ようにも見えた。



「化け物が‥‥」

「目が腐るな‥‥」

カンナと神凪は口を揃えて吐き捨てた。

赤と黒の稲妻が機体の全てを覆うように奔り始める。

女性に取り込まれた幼い子供が口を開いた。赤い顔の口の中は赤黒い闇で覆われ

ていた。口の端から‥‥黄色い液体がしたたり落ちる。

「‥‥僕を‥‥こんな身体にして‥‥殺しちゃうからね‥‥」

「うう‥‥何も、何も見えないいい‥‥」

「ああ‥‥何も、何も聞こえないいい‥‥」

「だまれっ‥‥お前たちは、僕の言うことを聞いてればいいのっ」

カンナは、もう我慢も限界に近づきつつあった。明らかに、それまでのカンナに

比べて霊力が上回っていた。ただ単に特訓したからと言うものではなかった。放

出される赤い稲妻は、その不浄の二体から降り注ぐ妖力を寸分たりとも寄せ付け

なかった。

「司令‥‥手前のやつは‥‥あたいがもらうぜ‥‥」

「ああ‥‥だがその前に‥‥」

神凪は、奥に恭しく陣取る赤い女性像‥‥その子供の顔に向かって聞いた。

「お前の‥‥主の名を言え」

「教えないよっ。‥‥お兄ちゃん‥‥もしかして、かみなぎ、とか言うんじゃな

い?」

「ほう‥‥」

神凪は眉をひくつかせて答えた。不浄の者に自らの名を呼ばれる‥‥珍しく怒り

が込み上げてきた。カンナのそれが伝染したかのようだった。霊力が、また一段

と上がる。

「お兄ちゃんには死んでもらうからね‥‥おねえちゃんのことなんか、もう知ら

ない」

「おねえ、ちゃん、か‥‥お前の主は女か‥‥」

「ふーんだっ‥‥おねえちゃん、かみなぎとか、おおがみとか‥‥僕のことなん

か‥‥せっかく中国で、あのおさげのおねえちゃんを‥‥」

「!‥‥よくわかった」

神凪はいよいよ必殺の気合いを放ち始めた。黒い稲妻が天まで届きそうな勢いで

立ち上がった。カンナもそれに呼応する。

「どう、だい‥‥司令」

「‥‥では、消してやろう」

それを合図に二体は残像を残して消えた。



「あれ!?」

その女性像に埋められた子供が呻いた。



「うう‥‥殺してやるう‥‥」

「それは‥‥おめえだっ!」

汚泥物の色の前に、夕陽の如き真紅の機体が出現した。

「チェーッストオオオオオオオオッ!!!」

カンナの臨界通常技が唸りを挙げて襲いかかった。電光の右拳が‥‥寸分たがわ

ず胸部装甲の隙間にある、刹那の顔面にめり込む。刹那は蒸発した。そして左拳

がその空白部分にめり込んだ。強大な霊力が勁とともに流れ込み不浄の霊子甲冑

の体内を破壊した。

「ゴフッ」

羅刹が赤黒い部品を吐き出す。

そして回転脚が前のめりになった、その羅刹の顔面を粉砕した。銀色の汚泥物が

宙に浮いた。

恐るべき威力だった。

戦闘不能となったその機体を、カンナはそれでも容赦しなかった。それが不浄の

物の怪と化した者へのせめてもの餞だった。落下してくるその機体の真下にすか

さず滑り込む。

「成仏しなっ‥‥四方攻相琉撃破ッ!!」

夕陽の赤が汚泥物を染め上げた。刹那と羅刹が取り込まれた機体は、風船のよう

に膨らみ、破裂‥‥消滅した。

一瞬で決着した。

破壊力が確実に上がっている。神凪の放った必殺技を受けていたとは言え、敵の

抵抗すら許さないその威力。司令室で固唾を飲んで見守っていた少女たちも、だ

れも口を開くことができないほどだった。



「なんだ、全然、役にたたないじゃないか‥‥そんじゃ、僕が‥‥」

赤い女性の袖が閃いた。が、振り上げて、光を放った直後、その腕は根本から斬

り落とされていた。着物の袖をまとったままの腕が地面に落ち、鈎爪がひくひく

と断末魔の動きを現わす。

最期に産み出した、赤黒い光玉が真紅の機体を襲う。カンナの注意がそちらに向

いた時、それはもう目の前に接近していた。

「ちっ」

カンナは渾身の力でそれを防御する。だがその前に黒い風がそれを食らった。

「お‥‥サンキュ、司令」

「ふっ‥‥あまり、美味くはないな‥‥」

その瞬間、女性像の前に黒い鬼神が出現した。

「貴様は‥‥この俺が料理してやるよ‥‥」

「あひいい‥‥ぼ、僕の腕があああ‥‥こ、殺してやるうう」

切り落とされた肩口からは、まるで血のような色の体液が迸った。生きる者の血

を啜って、その不浄の甲冑は生を受けているようだった。

のこる片腕が振り上がろうとした時、銀光が無数に閃いた。零式が繰り出す見え

ない太刀筋が、その腕を嫌らしい鉤爪ごと等間隔切りにしていた。

シリスウス鋼を紙のように切断する神凪の剣技。まるで細切れにされた野菜のよ

うに、するするっと順番に落下していく。マリアが料理するボルシチの下ごしら

えを思わせるシュールな映像だった。



そして‥‥神凪は、長い太刀を縦に構えた。

「!‥‥やべえっ」

カンナはすかさず退避する。

ちらっと真紅の機体を横目で見る神凪。

範囲外に出た。

「うぎゃぎゃああ!‥‥こ、この、この‥‥死ねえええっ!」

両腕をもぎ取られた赤い女性の子供の口が開かれた。



黒い雷光が造る円柱が天地を結ぶ。

それは‥‥赤い女性に向かって横滑りに集まってきた。

広範囲には渡らず、黒く輝く円柱はまるで狭い牢獄のように赤い女性像を包囲す

る。円柱を結ぶ毛細血管のような無数の黒い稲妻‥‥その中でもがく赤い女性が

必死で口から悪臭を伴った暗い息を吐いた。それも黒い稲妻に遮られて届きはし

ない。

目の前に黒い機体はもうなかった。

天を舞っていた。



「狼虎滅却‥‥」

それは暗闇を駆ける吸血鬼を思わせる飛翔だった。 



「無双天威!!」



ガゴオオオオーーーーンッ



鼓膜を破りそうな、大音量の衝撃が浅草の街を襲った。

舞った塵が地に沈むように‥‥

黒い半球面も次第に薄らいでいく‥‥

神凪の意思により、それは広範囲ではなく範囲を狭め代わりにその密度を上げ

た。

大神の放つ必殺技‥‥それは神凪が放ったものが本来の威力なのかもしれなかっ

た。

黒い稲妻が造る黒い円柱。造り手から放たれる巨大な霊力と必殺の剣気。それら

が邂逅し新たに創られる黒い半球‥‥そこは無の世界。

無双天威は躱すことのできない、三段構えの必殺技だった。

黒い破壊神が放つ、無双の破壊力。

それは確かに天をも威嚇した。



赤い女性は文字通り消滅した。

白い女性が光る鳳凰によって天に召した様相とはかなり掛け離れていた。

外道を行った者の結末は悲惨を極めるということか‥‥鬼神の怒りに触れて。

女性像立っていた場所は‥‥直径30メートルほどの球面でくり抜かれている。



そしてその中心部にはさらに直径5メートルほどの穴が開けられていた。

神凪の技が開けたその穴の底は‥‥見えない。

地殻を貫いているかもしれなかった。



穏やかな風が吹いた。

そこに残ったわずかばかりの妖しい気配をかき消してくれるように。

黒い機体のハッチが開く。神凪はその新鮮な空気を貪るように深く吸い込み、そ

して軽く欠伸をした。

真紅の機体が寄ってきた。やはりハッチが開く。

神凪とカンナは廃墟と化した浅草雷門の風景を、少し心が痛みながらも穏やかな

瞳で見つめていた。

「す、すげえな、司令‥‥‥‥あいつは、結構手間がかかると思ったんだが」

「はああ‥‥なかなか、制御が難しいぜ。手加減せんと晴海の二の舞だからな」



「あ、あれで手加減したってえ!?」

カンナは片肘をついて、そして溜息混じりに呟く。

鬼神の娘は未だ鬼神に及ばずの図だった。

「はああ‥‥あたい、結構近づいたと思ったのに‥‥」

「ふっ‥‥いい線いってるぞ、カンナ‥‥まだまだ伸びるよ、お前は‥‥」

「そ、そうかな‥‥」

二人は元の和やかさに戻っていた。殺気も怒りも消えている。

「しかし、まいったな‥‥抑えたとは言え‥‥またやっちまった‥‥」

「しょうがねえよ、司令‥‥はなっから廃虚に近いもんがあったし‥‥」

「まあな‥‥一応、事前了解は取っといたし‥‥出頭は、ないだろな‥‥」

「へへ‥‥いつも、そうなのかい?」

「‥‥うるせえな‥‥劇場へ戻るぞ。寝不足で辛いぜ」

「へへへ‥‥あいよ‥‥」





現場の二人とは対照的だったのが、司令室で見守っていた面々だった。少女たち

はスクリーンを見つめたまま口を開きっ放しだった。

大神は‥‥頭の中が真白になっていた。

自分の技は、自分の技ではなかったのか‥‥一度目はよく見えなかったものが、

今回‥‥勿論自らの力の向上もあるが、その過程が断続的とは言え、追うことが

できた。

‥‥まずはこれだけを修得しろ‥‥

確かに‥‥どれほど身体を痛め付けても‥‥無双天威の威力は、別の方向へ逃げ

ていく気がしていた。自分の内にある何かが、知らず知らずにそう仕向けていた

のかもしれない。

自分の本来の技は、別にあるのか‥‥

アイリスを伴ってからの鍛練は、別の技への導入になった。それは自然な力の沸

き上がりを自覚させた。無双天威であって、無双天威ではない。

‥‥あせったらあかんで‥‥大神はん‥‥

大神はアイリスによって、そして神凪によって、その意味を新たに納得させられ

た。

「すごい‥‥すごすぎる‥‥」

杏華が声を搾り出す。噂で聞いていた神凪の力。一年前の大戦の末期、降魔の群

れとともに晴海を廃墟にした、その黒い鬼神。正直言って話半分だと思ってい

た。封印していた試作型を引っ張り出してまで、出陣した理由が今はっきりとわ

かった。

「あれじゃ‥‥量産型が‥‥何機あっても足りない‥‥」

「お兄ちゃんのお兄ちゃん‥‥やっぱり、強いなあ‥‥」

アイリスが感動するように言った。

そして、大神に向かう。

「でも‥‥お兄ちゃんも‥‥もっと強くなるよ‥‥」

「え‥‥」

「えへへ‥‥お兄ちゃんはね‥‥アイリスと一緒に‥‥強くなるの‥‥」

「アイリス‥‥」

大神の横に寄り添うように立つアイリス。その柔らかい金色の髪を優しく撫で

る。

「そうだね‥‥‥‥そうだ、そうなんだ‥‥」

「えへへ‥‥えへへ‥‥」

「ちょっと‥‥大尉‥‥お子様の相手をしてる場合ではなくってよっ」

「へ?」「なによー」

「うぬぬぬ‥‥こ、このわたくしが、猿ごときに遅れをとるなど‥‥み、認めま

せんわよ‥‥さくらさんっ、ついてらっしゃいっ‥‥特訓ですわっ」

「‥‥え?‥‥あ、ま、待ってください、す、すみれさあん‥‥」

すみれはズカズカと司令室を出ていった。特訓などと、口にするのもおこがまし

いはずなのに、それすら忘れるほどプライドを刺激されてしまったすみれ。さく

らが慌てて追う。

「べ〜だっ」

アイリスはそう言って、大神にしっかりとしがみついた。

「あははは‥‥二人とも、そんなに焦らなくても‥‥十分成長してると思うけど

なあ‥‥」

「そうですね‥‥」

マリアは少し悲しそうに、大神を見ていた。

自分には‥‥まだ、何もできない。

少しうつ向く。

アイリスがじっとマリアを見つめる。アイリスの目が何かを訴えていた。

自分がやるべきことを‥‥できることをやればいい。

そう言っているようだった。

マリアはしばらくアイリスを見つめて、そして再び大神を見た。いつの間にか大

神が自分を見ている。その目が同じことを‥‥アイリスと同じことを言っている

気がした。

「俺たちは‥‥とりあえず、やれることをやろう‥‥な、マリア‥‥」

大神がそれを口に出して告げた。

「‥‥はい‥‥隊長」

目の前にいたのは、大神隊長だった。

マリアの口元が少しだけ綻んだ。

それは愛しい人を護ること。

悲しい目はいつしか強い光を帯びていた。







夕陽が劇場を照らした。

夕陽の赤‥‥それは、辛い時、悲しい時、嬉しい時、楽しい時‥‥いつでも、ど

んな時でも、どんな人をも優しく癒してくれる色だった。戦いが終わった後も、

舞台がはねた後も。

大神はベランダに一人立っていた。

帰還した神凪は、大神を支配人室に呼んだ後‥‥大神の目の前で眠りに入った。



夕陽を見る。夕陽に染まった銀座の街並みを見る。

静寂な竹林で自然と一体になり、そして、夕陽の赤に身を委ねる。

なぜか‥‥そうすることが、一番の鍛練のような気がした。

眠るアイリスと同じように。

夕陽の赤は‥‥大神をいつも優しく包んでくれた。

母親のように。

今はいない‥‥あやめのように。



‥‥気付いたろ、大神。

あれが無双天威のあるべき姿だ‥‥

俺とお前がともに持ち得る狼虎滅却抜刀術‥‥

だが、その真の奥義を共有することはできない。

理由は簡単だ。

破壊の技と再生の技を同時に得ることなど、できんからな。

無双天威は破壊の奥義。

それは破壊神のみが会得できる。

お前は違う‥‥



夕陽に照らされた劇場。

その前には‥‥蒸気二輪車が置かれていた。

移動する気配がない。

壊れたまま‥‥放置されているのかも。

「‥‥雨ざらしだな‥‥裏の倉庫にでも‥‥持っていこうか‥‥」

大神はふとそんなことを考えた。紅蘭と同じことを。

「紅蘭が戻ってきたら‥‥直してもらって‥‥一緒に‥‥」

そして、もう一度‥‥赤く染まった銀座の街並みに視線を戻す。



‥‥お前は‥‥俺とは違う。

再生するために、お前はここにいる。

何をするかって?

それは、いろいろ、さ。

例えば‥‥そうだな‥‥不浄の者を、転生させる、とかな。

今の姿形は、仮にそうでも‥‥お前の技によって、それは次世で甦る‥‥

お前の技によって、その姿は消滅しても、魂は救われる‥‥

そうなんだよ。

お前はそのためにいる。

お前の力は‥‥それほど強大なんだよ。

そして、お前のその力が必要になるときが‥‥必ず来る。

俺と同じになる必要はない‥‥その意味がわかったか?

俺は破壊神だ。

俺の技は、不浄の者を‥‥その存在を消すことにある。

輪廻を立ち切るんだよ。

俺の手で葬られた者に復活はない。

この世で生まれた者、魔界から発生した者、天に祝福された者‥‥そのいずれで

あっても。

二度と生まれ変わることはない‥‥魂の記録を消去するのさ。

零式もそうだ。

お前‥‥乗ったろ?



「零式が‥‥」

大神は自分を招き入れた漆黒の霊子甲冑を思いだした。

‥‥我を信じよ‥‥我を駆れ‥‥再び主を護ろう‥‥

優しい従者。母のようなコクピットは夜空に煌めく星に見えた。

「そうじゃ、ないよ、兄さん‥‥きっと、違う‥‥」



‥‥ふふふ‥‥受け入れたようだが‥‥だが、あれの本質は別にある。

名前の由来は知ってるか?

山崎は、型番がない試作型だからと思っているが‥‥

ま、あれに少なからず関わった人間のほとんどがそう思ってるがな。

‥‥それは違う。

零、即ち、無、だ。

破壊するため‥‥全てを無に帰すために生まれた霊子甲冑だ。

俺の力を受け入れる唯一の霊子甲冑だ。

そして俺だけが、あの破壊神を駆ることができる。

俺がそのように造ったからだ。

‥‥初めは、自分の力に恐怖したよ。

‥‥人殺し‥‥

いや、それより‥‥酷いな。

次元が違う。

眠れなくてな‥‥

怖くてな‥‥

にも関わらず‥‥

毎日‥‥こころが‥‥駆り立てられる‥‥

ふふ‥‥

そうさ‥‥

わかったんだよ。

俺がいる意味をな。

人の痛みを、人のこころを理解できない輩がいる。

生きる価値、存在する価値などない者がいる。

‥‥全てのものが平等だ、なんて俺は思ってない。

あやめくんは‥‥違う考えだったがな‥‥

何度生まれ変わっても、同じことをする‥‥外道に走る者がいるんだよっ!

‥‥それは魂に刻み込まれた業だ‥‥消すしかない。

俺は‥‥そのためにいる‥‥

そうなんだよ‥‥

だけど‥‥

だけど、な‥‥

さっきの戦闘‥‥

カンナ‥‥あいつ‥‥あの二人が取り込まれたヤツを‥‥選んだ。

‥‥たいしたもんだよ。

思った以上だ。

直感で‥‥自分が始末するべき相手だと‥‥そう判断したんだ。

あの二人の兄弟‥‥

哀れだった‥‥

確かに悪徳の報いはあるにしても‥‥

俺が片付けていたら‥‥

そうなんだよ‥‥

お前とは‥‥違うのさ、存在理由がな。

お前が俺のようになる必要はない、それと同じ。

俺は、お前のようには‥‥なれない。

おっと、同情するなよ。

俺には性にあってる。

俺は、もう‥‥自分の生き方を変えることなんて‥‥できないんだよ‥‥



「生き方を‥‥変えられない、か‥‥そんなこと‥‥そんなこと、ない‥‥」

大神は自分がまだ病床だった頃の兄の姿を思い出した。昔も今も、兄である麗一

は、優しい兄のままだった。



‥‥ふふふ‥‥

お前と俺は‥‥光と影、だな。

決して交わることはない‥‥

だが、そのいずれか一方でも欠けてはいけない。

光あるところには影ができる。

闇を砕くには、それ以上の闇を以て、だ。

暗い力を‥‥それ以上に暗い力で喰らう‥‥喰らい尽くす。

ただ‥‥

闇が‥‥暗黒から生まれし者が‥‥全て悪とは言わんよ。

中には‥‥哀れな‥‥

こころの片隅では、救いを求めている者が、いる‥‥

そう‥‥

その時に‥‥お前が必要になる。

お前の力が、な‥‥

ふふ‥‥

はああ‥‥なんか‥‥眠いな‥‥

ここに来てから‥‥よく眠れるようになった。

ここの‥‥夕陽‥‥結構きれいだな‥‥

銀座って‥‥いい街だな‥‥

ここに来て‥‥よかった‥‥

米田の親父には‥‥感謝しなくちゃな‥‥

なあ‥‥

一郎‥‥

お前、この劇場‥‥好きだろ。

‥‥俺もだ。

花組の、あの娘たち‥‥好きだろ。

俺も‥‥大好きだよ。

俺とお前で‥‥護るんだよ‥‥

俺と‥‥お前が‥‥あの娘たちを‥‥護るん‥‥だよ‥‥

「兄さん‥‥」

大神は安らかな寝息をたてる神凪に上着を掛け、静かに支配人室を後にした。



バルコニーの手摺りに身体をあずけ、ただ、銀座の街並みに見入る。

人の息吹を感じる。

石畳の歩道に長く延びる人々の影。

「光と影‥‥か」

その影は、とても優しい闇のような気がした。

決して交わることはない、でも決して離れることもない。

自分と兄である神凪もそのような関係かもしれなかった。

そうあって欲しかった。いつまでも‥‥傍にいてほしい。

大神は願った。

気が弱くなっているのか?

違うな‥‥そうじゃない。

導く宿命にある者、それをまた導く者。



‥‥ふふふ‥‥なんて顔してるの‥‥

睫に夕陽がかすんで、蜃気楼が浮かんだ。

自分のすぐ横‥‥

‥‥大神くん‥‥

「あ‥‥」

‥‥しっかりしなさい‥‥

「兄さんを‥‥護って‥‥くれませんか‥‥」

‥‥それは、あなたの役目よ‥‥あなたが‥‥神凪くんを護るのよ‥‥

「そんな‥‥俺の力は‥‥」

‥‥あなたのお兄さんでしょ‥‥あなたの分身‥‥あなたの大切な人‥‥

「‥‥そうですね‥‥そうですよね」

‥‥ふふふ‥‥がんばりなさい‥‥

「はい‥‥」

‥‥大神くん‥‥

『‥‥あやめ、さん‥‥』

‥‥わたしの‥‥大切な人‥‥

『‥‥すごく‥‥あたたかい‥‥』

‥‥大神くん‥‥

『あやめさん‥‥』

‥‥わたしは‥‥いつも‥‥あなたの近くにいるわ‥‥

『‥‥はい』

‥‥あなたの傍に‥‥

『‥‥あやめさん?』

「‥‥大神‥‥さん」

輝く天使の白い羽衣は‥‥その輪郭が途切れ、黒いコートになった。

栗色の艶やかな髪は‥‥夕陽に染まったブロンドになった。

「マリ‥‥ア‥‥」

「呼ばれたような気がして‥‥す、すいません、なんか、わたし‥‥」

目と鼻の先にマリアが立っていた。

マリアの顔は夕陽に赤く染まっていた。

「俺‥‥まさか‥‥マリアに‥‥そ、その‥‥」

「‥‥い、いええ、そんな‥‥‥‥はい‥‥」

うつ向いたマリアの表情は、ブロンドの影で見えなくなった。

コートの前で握られた手には、いつもの赤い手袋はない。

白い手。細い指。

視線がその手に移る。

白い手も夕陽に染まって少し赤らんでいた。

この手が‥‥銃を持っていた?

‥‥俺と‥‥お前で‥‥護るんだよ‥‥

大神はマリアの手をそっと握った。

冷たい手。

柔らかい少女の手。

その手を、自らの手で招き寄せる。

「あ‥‥」

「二度‥‥俺の額にのせてくれたんだよね‥‥」

「あ‥‥の‥‥」

大神は自分の頬にそれを寄せた。目を閉じてその感触だけを感じ取った。

「冷たくて‥‥あたたかい‥‥優しい手‥‥」

「大神‥‥さん‥‥」

マリアは残る右手を自分の口元に寄せて‥‥じっと大神を見つめていた。

左手から大神の体温が伝わる。

‥‥自分を求める声がした。

大神が自分を求めた。

マリアにとって、これ以上ない至福の時だった。

これ以上は‥‥望んでは‥‥いけない‥‥

ともすれば崩れてしまいそうな自分の戒律を必死で思い起こす。

自分だけではない。

自分だけが‥‥この人を必要としているわけではない‥‥

まるで自分の言葉が聞こえたかのように、大神隊長がふと目を開ける。

そして、その手を主の元へ返す。

「あ‥‥」

大神はそのままじっとマリアの目を見つめた。

「マリアは‥‥優しいね‥‥」

「!」

そう言って、大神はにっこりと微笑んだ。

照れくさい笑顔ではなく‥‥神凪の笑顔に近かった。

そして、また銀座の街を見つめた。

マリアは茫然とその横顔に魅入った。

同じように夕陽に染まったアイリスと大神を、見つめていた神凪。

その神凪を、見つめていたマリア。

今、同じ夕陽が大神とマリアを照らす。

「レイ‥‥チ‥‥」

二人の大神。

光と影が交錯する瞬間だった。







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Uploaded 1997.11.06




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