<その5> 「違うってっ、ガミガミガミガミッ、はあはあはあはあ、ガミガミガミーッ」 「ひええ‥‥」 「はあはあはあ、はあ、はあ‥‥んぐ‥‥こ、こんだけ、言えば、わかったでし ょ‥‥」 「‥‥は?」 「く、く、くおおんぬおおーっ、ガミッ、ガミッ、ガミガミガミだってえのっ」 「は、はいっ、わ、わかりましたですう‥‥」 「わ、わかれば‥‥い、いいのよ‥‥」 「ふう‥‥じゃ、お願いしましたよ‥‥杏華さん」 「は、はいい‥‥」 事務室のソファに小さくなって座り込む杏華。その前に行く手を阻むように、腰 に手を当てて壁のように立つ由里とかすみ。他の花組の少女たちなら10分程度 で済むものを、要領をまるで得ない杏華を相手に、二時間あまり続いた打ち合わ せ。 休日出勤でむかっ腹を立てていた二人も最後には切れていた。初心者用の心構え と演舞入門を記した分厚いマニュアルと、これまた分厚い台本を受取り、杏華は 目出度く放免となった。 「そ、それでは、し、失礼しますう‥‥」 「きっちり目ぇ通しといてくださいよっ、わかってますねっ」 「は、はいい‥‥」 杏華はしょんぼりしながら格納庫へ戻った。 食欲が一気に減退していた。 華やかな舞台。 目を輝かせて魅入った花組公演。 その裏側を知ってしまった杏華。 一人廊下をとぼとぼと歩いた。 階段に差しかかると二階への踊り場から声が聞こえてきた。 「あれ‥‥だれだろ‥‥」 杏華は曲がり角の壁に隠れて聞き入った。 「マリア!」 「離してっ!」 「あたいの‥‥あたいの、話を聞いてくれよ」 「一人にしてよ‥‥ほっといてよ‥‥わたしなんか‥‥わたしなんか‥‥」 「マリア‥‥」 「消えてしまいたい‥‥」 「!‥‥マリア!」 階段の踊り場で立ち尽くす、背の高い二つの美影。 マリアよりも背の高いカンナ。 カンナはマリアをぐいっと引き寄せて‥‥抱いた。 「!」 「す、すまねえな‥‥」 「う、うう‥‥」 マリアはカンナの肩に顔を埋めた。日焼けした肌が涙で濡れる。 カンナはマリアの柔らかい髪を撫でた。 「‥‥司令‥‥だけじゃ‥‥ないんだろ」 「‥‥う、うう‥‥」 「隊長も、か‥‥」 「‥‥‥‥」 「そっか‥‥でも、さ‥‥」 「‥‥‥‥」 「あの二人は‥‥あたいらを‥‥導いてくれる人だろ‥‥」 「!」 「大丈夫‥‥信じろよ、あの二人を‥‥」 「‥‥‥‥」 「先のことなんか‥‥わかりゃしないって‥‥な、マリア‥‥」 「カンナ‥‥」 「へっ‥‥こういうことに関しちゃ‥‥あたいは随分と割を食らったからな‥ ‥」 「‥‥え?」 「へへへ‥‥マリアにも結構してやられたし‥‥」 「わ、わたしが‥‥なに?」 「紅蘭がいなくなった日とか‥‥隊長がオンドレやった日の‥‥舞台がはねた 後、とかな‥‥」 「!‥‥あ、あれは‥‥」 「へ、へへ‥‥でも、あたいは‥‥あたいは、諦めねえ‥‥」 「カンナ‥‥」 「おめえもだ、マリア‥‥絶対負けられねえぜ‥‥いいなっ」 「‥‥うん」 崖っ淵に立たされていたマリアは、親友によって背中を護られた。 わたしだけじゃない‥‥ わたしだけじゃ‥‥ 思ったよりも華奢で柔らかなカンナの身体に、マリアはもっと華奢な自分の身体 を預けた。 杏華は壁に背を預けていた。冷たく堅い感触がチャイナドレス越しに伝わってく る。 「わたしは‥‥入り込む余地なんて‥‥ないのかな‥‥‥‥当たり前、か‥‥」 しょんぼりした表情は、さらに悲しい色を上塗りされていた。 だれの話か‥‥考えるまでもなかった。 彼女たちの喜怒哀楽を支配する人‥‥それはあの人しかいない。 杏華は彼女たちよりも、さらに華奢な手を、自分の目の位置に上げた。 その細い指で、自分の髪の毛をつまむ。 短めの艶のある髪‥‥前髪は鼻先に掛かるぐらい伸びていた。 指を弛めると‥‥さらさらと、頬をにかかる。 目に入り込んで‥‥涙が自然と浮かぶ。 「髪‥‥伸びたなあ‥‥切ろっかな‥‥」 悲しくても、だれにもすがることができない。 言いたくても、だれにも言えない。 ‥‥ずっと辛い人生を歩んできた。 それが当たり前の人生だった。 今は‥‥ここにいられるだけで‥‥幸せ。 大神の‥‥傍にいられるだけで‥‥幸せ‥‥のはず。 他には‥‥何も望んではいけない‥‥はず。 嫉妬もなにも‥‥そんな‥‥材料なんて、ない‥‥ 砂時計のように短い付合い。 紙のように薄い関係。 「わたしは‥‥霊子甲冑を創るために‥‥生まれた‥‥そう、そうなのよ‥‥」 杏華はたった一つの拠り所にすがった。 紅蘭のように‥‥今はいない、おさげ髪の守護天使のように。 「ふふっ‥‥あなたも‥‥そうでしょ‥‥紅蘭‥‥」 自分の悲しい生様、それは紅蘭も同じのはず。 だれから教えられるでもなく、杏華は理解していた。 自分と同じ‥‥同じ人間。 杏華は整備士の顔に戻って地下格納庫へと下りていった。 ‥‥約束の時は‥‥必ず訪れる‥‥ その内なる声も、今の杏華の耳には届かない。 ‥‥自分は‥‥紅蘭と‥‥大神とともにある‥‥ 「‥‥支配人‥‥支配人、起きてください‥‥」 「‥‥ん‥‥あ‥‥あ?」 神凪は目を覚した。 堅い床。 顔は‥‥何か柔らかいものが、布越しに、温かい感触も伝わってくる。 さくら色の‥‥着物? 頬に、なんか柔らかいものが‥‥手か‥‥ 「あ‥‥さくら‥‥くん、か‥‥」 さくらはまだ眠っていた。神凪はさくらを起こさないよう‥‥静かに起き上がっ た。 さくらの寝顔は、まるで母親のようであり、少女のようでもあった。 安らかな寝顔。 神凪はしばし魅入った。 「さくらくん‥‥疲れたのかな‥‥」 大神の声だった。神凪を起こしたのは大神だった。 「‥‥すみれくんを‥‥連れて‥‥来ました‥‥」 「‥‥ああ」 しゃがんだ大神のすぐ傍にすみれがいた。すみれは大神の背後にぴったりと寄り 添っていた。 「‥‥ん?」 すみれの表情が‥‥違う。 そこにいたのは、最早少女と呼べる存在ではなかった。 思わず声をかけるが‥‥ 「‥‥身体の‥‥具合、でも?」 「え‥‥い、いえ‥‥そんな‥‥」 神凪の問いに、顔を真っ赤にして答えるすみれだが‥‥ひどく安らいでいるよう な感じにも見えた。 「‥‥ふむ‥‥なら、いいが」 神凪は大神が余りにも遅かったことを、責めはしなかった。 何となく‥‥わかった気がした。 ‥‥勿論、それも責めるつもりもない。 なるべくして‥‥そうなったんだろうな‥‥ 神凪はさくらを見た。 『俺も‥‥人のことは言えん‥‥』 さくらの、その頬にかかった髪をそっと寄せ上げた。 さくらが‥‥微笑んだ気がした。 『‥‥どうかしてる‥‥こんな‥‥こんな、幼い娘に‥‥』 それもすぐに思い直す。 『‥‥いや、一人の女性だな‥‥‥‥この娘は‥‥もっと綺麗になる‥‥』 「支配人?」 「‥‥あ‥‥いや、なんでもない‥‥」 さくらをそっと抱き起こし、鍛練室の片隅に連れていく神凪。 自分の上着を枕にして、またそっと寝かす。 「‥‥う‥‥ん」 「あ‥‥起こしたか、な‥‥」 「‥‥あ‥‥れ‥‥ここは‥‥」 「‥‥おはよう‥‥さくらくん」 「あ‥‥‥‥麗一さ‥‥‥‥大神、さんも‥‥」 大神が鍛練室の照明を浴びて、すっくと立っている。 横には‥‥すみれがいる。 「あ‥‥し、支配人、あの‥‥」 「‥‥俺も‥‥よく眠れたよ‥‥さくらくんのおかげで‥‥」 「そ、そんな‥‥」 自分を抱き下ろす格好で神凪が目の前にいる。 さくらは真っ赤になった顔を手で覆った。 「寝てても‥‥いいよ」 「い、いえ‥‥お、起きますから‥‥」 さくらは顔を見られないように、うつ向いて膝を揃えた。すみれがさくらの横に 移動した。 ともに‥‥似たような雰囲気だった。 「支配人‥‥」 「ああ‥‥‥‥ん?」 鍛練室の入り口に人の気配があった。 ドアは閉じられているが‥‥ 「‥‥入ってこいよ‥‥二人とも」 「‥‥邪魔するよ」 カンナと‥‥そして、マリアだった。 マリアは、カンナの影に隠れるようにして立っていた。 必然的に横を見る。そこには‥‥すみれとさくらがいる。マリアはどこにも視線 の置き場所がなかった。目を閉じるしか、なかった。 「‥‥マリア‥‥隠れてないで‥‥顔を見せてくれ」 神凪が言う。 「‥‥はい」 「‥‥元に戻っちまったか?‥‥信じられなくなったか?」 「!‥‥」 「人生、いろいろあるよ‥‥」 「‥‥‥‥」 「忘れるなよ‥‥君だけではない‥‥君以上に悲しい人もいる‥‥君以上に辛い 過去を持っている人もいる‥‥‥‥だが、それは既に過去に過ぎんということ も、な‥‥」 「!‥‥はい」 「マリア‥‥君は大切な人だということも、ね‥‥ここにいる全ての者にとって ‥‥」 大神がつなぐ。 「!‥‥はい‥‥はいっ」 マリアを見る大神の目に、それまでと何ら変わるところはなかった。 だが‥‥自分のしたことは、やはり大切な人を傷つけることになった。一人の大 切な人を得るために、別の大切な人を傷つけた。マリアを見てそれが今わかっ た。いや‥‥最初からわかっていた。わかっていて自分はすみれを抱いた。その 気持は嘘ではない‥‥そう、初めから‥‥選べるはずなどなかった。 マリアを見る。 マリアも大神を見ていた。 花やしきで‥‥そして、舞台で示したことも‥‥嘘ではない。 自己欺瞞と取られても‥‥仕方ない。 言葉では為しえないことでも、言わずにはおれない。 その人のために。 それは、結果で示すしかない。 ‥‥それは護ること。 二人の大神が、優しい瞳でマリアを見つめる。 ‥‥君の背中を護らせてくれ‥‥ その意思が確実に伝わってくる。 マリアは再び二人の大神によって導かれた。親友によって救い出され、想い人に よって癒された。 さくらとすみれの佇む壁際に移動し、そして、すみれの横に座った。 「‥‥もう‥‥決まりだと‥‥思わないでよ」 「!‥‥わかってますわ‥‥」 「わたしは‥‥もう、迷わないから‥‥」 「負けませんわ‥‥絶対に‥‥」 二人の大神に聞こえないよう、小声で話す。 「さくら‥‥」 「はい‥‥」 「あなたもよ‥‥」 「‥‥はい」 カンナはさくらの横に移動した。困ったような顔をしながら。 またもや、蚊帳の外、か‥‥という文字が顔に見えた。 「‥‥では、始めるか‥‥そこで見物してろ」 カンナが胡座をかいて鍛練室の中央に立つ大神と神凪を見る。 あまりいい雰囲気ではない。こっちもそうだが‥‥まあ、さっきよりは随分い い。 マリアも‥‥うん、大分いい顔になった。すみれのやつ、なんか‥‥!‥‥そっ か‥‥すみれ、なのか‥‥‥でも‥‥なんか、腹たたねえな‥‥そうだな‥‥花 やしきでもそうだったしな‥‥‥‥ちぇっ、あたいも、もう少しヤワに生まれて りゃあなあ‥‥ カンナの視線のその先には‥‥花やしきでさくらを癒した時に見せた、あの母親 のような表情のすみれがいた。ただ、ぼけっとすみれを見つめる。 「‥‥はっ‥‥あ、あたいとしたことが‥‥ん?‥‥何するつもりだよ、司令‥ ‥」 「なあに‥‥こいつに少しばかり、ヤキを入れてやろうと思ってな‥‥」 「‥‥何をたわけたことを‥‥決闘でしょうがっ!」 「貴様‥‥自惚れるなよ‥‥‥‥この俺を相手に決闘などと‥‥1億年早いわ っ!」 火花を散らす、大神と神凪を尻目に、見物席は興奮の坩堝と化していた。それは 勿論カンナだけで、他の三人は動揺を隠せなかった。花札の決着をつけるつもり の二人だが、勿論少女たちはそうではない。 「つ、ついに、あ、あたいも、この目で‥‥かーっ、生きててよかったぜ、全く ‥‥」 「そ、そんな、カンナさん‥‥でも、もしかして、わたしのために?‥‥わ、わ たしのために、争って‥‥そんな、大神さん、いけないわ‥‥で、でも‥‥うれ しい‥‥」 「ちょ、ちょっと、兄弟喧嘩は‥‥‥も、もしや、わたくしの‥‥せいで?‥‥ わたくしが、大神さんを‥‥そのせいで?‥‥‥わたくしは‥‥どうすれば‥ ‥」 「そ、そこまで、しなくても‥‥わ、わたしなんかの‥‥ために‥‥‥わたし‥ ‥幸せ‥‥‥はっ、で、でも、こ、こんな、狭いところで‥‥い、いけないわ‥ ‥」 「うっ、た、確かに‥‥な、なあ、二人とも‥‥お、落ち着いて‥‥や、やるん だったら、もちょっと、ひ、広いところで‥‥」 聞いてはいないようだった。 10センチ程の距離で対峙する神凪と大神。 さすがに少女たちの間にも冷たい空気が流れ込む‥‥劇場崩壊か? 「歴然たる力の差、というものを‥‥その身体で思い知るがいい‥‥」 「自分は‥‥最早、今迄の自分ではない‥‥ふっ、かかってきなさい」 「か、かかってきなさい、だあ!?‥‥‥よーし、手加減などせんっ、食らうが いいわっ」 二人はゆっくりと距離を置いた。 神凪の周囲に黒い稲妻が立ち上る。 よもや、零式に乗らずとも、そのような霊気が発生するとは‥‥あの力は、やは り神凪本人に由来するものだった。その恐るべき霊力と気合い。 見物席は震撼した。 対する大神は、それを受け流すような‥‥しかし、これも強大な霊力を発して対 抗した。神凪の力に全く引けをとってはいない。確かに言葉どおり以前の大神で はなかった。 青白い霊気は、やはり蒼い稲妻を引き寄せていた。 「す、すげえ‥‥」 「な、なんて‥‥力、なんですの‥‥」 「こんな‥‥」 「信じられない‥‥」 大神が先に動いた。 「はっ」 前触れもなく、颶風の上段回し蹴りが神凪の頭部を襲う。蒼い稲妻だけがその軌 跡を描いた。空気が裂ける音が‥‥衝撃波が少女たちの鼓膜を襲った。 それは素通りした。 神凪はすぐに大神の斜め下に姿を現した。大神の軸脚をねらう。 今度はそれが擦り抜けた。 大神は宙返りをする格好になっていた。戻した脚が下方の神凪に向かって奔る。 また消える。 神凪は音もなく滑るように、着地した大神の背後に回り込んだ。 「ふんっ」 白鳥のような構えから繰り出される、颶風の蹴りが大神の後頭部を襲った。今度 は黒い稲妻が軌跡を描いた。これも恐るべき衝撃波を伴って発生した。壁が震え た。 『あっ』 カンナは初めて神凪と対戦したときに放たれた、その恐るべき蹴りを思いだし た。あの時よりもさらに必殺の気合いを以て。 ‥‥それも擦り抜けた。 大神はそのまま前に倒れ込んで‥‥逆立ちするように、後ろ脚で蹴りを放つ。 決まった‥‥カンナは刹那、直感した。 カウンターに等しい蹴り‥‥攻撃の最中に逆に仕掛けられたら、躱しようがな い。 それは白鳥の翼が抑えた。いや、黒い蝙蝠の翼だった。まさに蝙蝠の俊敏さだっ た。軸脚で地を蹴り、両手で大神の蹴り脚を抑える。 神凪は宙を舞った。そのまま宙返り、踵を逆立ち状態の大神の股間目掛けて放 つ。 『マジかっ!?』 またもや、カンナは心中で叫んだ。 先程の神凪の防御は完璧だった。 まさか、あんなふうに躱すとは‥‥だが、これは‥‥無理だ。 大神は霊力を防御に分配した膝でそれを受けた。床に頭を擦るほど腕を屈伸させ 衝撃を緩和する。 『!な、なんと』 すぐさま、腕はバネのように元の状態に伸び、畳まれた脚は羽のように展開し神 速で旋回した。未だ空中に滞在する神凪の腰に向かって。まるで竹蜻蛉を思わせ る技だった。 神凪はカンナの二段回し蹴りを躱した同じ方法でそれを流した。神凪は水車と化 した。その力を利用し、距離を於いて着地する。 大神も立ち上がる。 二人は距離を置いて再び対峙した。 人の技を超えた神技的な舞‥‥網膜に焼きつく美しい舞を舞う二人の神がそこに いた。 「な‥‥なんて‥‥こ、これじゃ、あたいなんか‥‥」 他の三人の少女たちは、声すら出なかった。無論カンナもそうだが動きが目で追 えない。攻撃の発生となる基点で見えるぐらいだった。そして、その刹那的・神 秘的な美しさは、言葉で現すことなど出来はしない。ただ恐るべき必殺の気配 と、稲妻の軌跡だけが彩りを添えていた。 「ほう‥‥生意気に、腕を上げたようだな‥‥ふっ、まだ甘いがな‥‥」 「おや?‥‥手加減など無用と言うものを‥‥本気で来てはいかがかな?」 「何だと、貴様‥‥もう勘弁ならん‥‥血祭りに上げてくれるわっ、覚悟しろ っ!」 「やれるもんなら、やってみなはれ‥‥ちょちょいのちょーい‥‥ちょろいで っ」 「ああ!?‥‥そ、それが、目上の者に対する態度か!?‥‥許さんっ、許さん ぞーっ!」 神凪のこめかみには血管がビンビンに浮き上がっていた。 少女たちは溜息をついた。緊張と感動がもう台無し。 鬼神の如き闘い振りとは裏腹に、言葉遣いはただの兄弟喧嘩。 「お、おいおい‥‥大丈夫かよ‥‥」 「大神さんったら‥‥あんなに煽らなくてもいいのに‥‥もうっ」 それでも心配そうに見つめるカンナとさくら。 さくらに至っては、兄弟喧嘩を嗜める母親のような顔つきだった。 「やはりお子様‥‥ふふ‥‥このわたくしが、今一度、手取り足取り、教育して ‥‥」 「‥‥こ、この女狐が‥‥大神さんには、わたしがたっぷりと教えますっ」 「むっ‥‥その役目はこの、わ・た・く・しっ、年増は引っ込んでておくんなま しっ」 「前菜は終わりよ‥‥いよいよ、このわたしの‥‥メインディッシュが‥‥ふっ ‥‥」 「こ、この女‥‥か、身体を使って大神さんを‥‥‥うぬぬぬ、一服盛ってやる ‥‥」 「はああ‥‥早く料理して‥‥寒いの‥‥凍えそうよ‥‥」 カンナとさくらは、今度は横の二人を茫然と見つめた。 顔色が赤くなったり青くなったり目まぐるしく変わる。 「は、激しすぎるぜ‥‥」 「お、おへそ取られちゃう‥‥」 神凪が消えた。 次の瞬間大神の懐に入り込む。 「むっ!?」 「ふっ」 神凪が掌を大神の腹部にすっと充てる。 『まずい!』『いけませんわ!』 カンナとすみれが息を飲む。 自ら食らった、あの強大な勁の力。 不浄の黒い影を一瞬で消し去った、破壊神の技。 今度こそ、絶対に躱せない‥‥ 「んっ!」 黒い稲妻が奔り抜けた。物凄い衝撃波が鍛練室を襲った。 少女たちは目を閉じた。 目をゆっくりと‥‥恐る恐る開ける。 大神は確実に倒されている‥‥下手をすると‥‥ 少女たちは冷汗を感じつつ、視界を取り戻した。 ‥‥大神は立っていた。 元の位置から少し後方にずれて。神凪も少し後方にずれていた。 「な‥‥なぜ‥‥」 最初に言葉にしたのは‥‥カンナだった。 明らかに自分が食らった発勁よりも‥‥遥かに強大な力を感じた。 なぜ、立っていられる? 「ほう‥‥これは驚いたな‥‥」 「こ、これは、きつい‥‥‥‥わ、悪いな、カンナ‥‥君の技、借りたぞ‥‥」 「な‥‥」 自分が血のにじむような特訓の末に得た、あの防御技を‥‥ それを、見ただけで‥‥一度体験しただけで‥‥ 隊長は‥‥天才か‥‥ カンナは茫然とした。 「ふっ‥‥褒めてつかわす‥‥」 「では‥‥こちらの番‥‥」 「‥‥ふふん」 今度は大神が消えた。 神凪の懐に滑り込む。 「お?」 「ふんっ」 神凪の顔面に怒りの龍が襲いかかる。 それは、花やしきで対面した、あの白い影を襲撃した上段昇龍脚だった。あの時 よりも意思の力でさらに強力に、神速を以って。 神凪の頬を激風を伴った稲妻が通過する。産毛がチリチリと焼け付くような音が する。鼓膜が甲高い悲鳴を上げる。 『やるな‥‥一郎‥‥』 延びた脚は、やはりそのまま天に舞った。神武の臨界通常技をその脚が再現す る。巨大な霊力と自然の力を吸収するように創りだされる青白い光の円環‥‥そ れは大神の白鳥の翼のように振り上げられた脚に収束した。少女たちはただ茫然 とその美しさに魅了されていた。まさに天の祝福を浴びた白鳥の様だった。 「でぇいりゃあああーっっ!」 これも躱しようがない至近距離で、神凪の肩口に振り下ろされた。 バアアアアンンッ 物凄い火花が散った。爆竹のような音を発して‥‥青い光が一瞬で消失した。そ れは青白い霊気が黒い稲妻に吸収されるようにも見えた。大神は手応えを感じた が、妙な感触に一瞬戸惑いを覚えた。すぐに残りの軸脚が神凪の顔面に向かって 奔る。 神凪はすっと後退し、大神は宙返りをする格好になった。着地すると目の前に神 凪がいた。 『!‥‥効いてないのか!?』 「‥‥返してやろう」 神凪は両手を大神の腹部と胸部に充てた。 「ちっ」 大神は力を前方と後方に分けた。即ち霊力と勁を前方に、物理的な力を後方に。 大神は霊力と化勁で、神凪との接触面をガードしつつ、足首だけの力で後方に飛 んだ。刹那、まるで青い水面に黒い波紋が形成されるような光が、大神の身体を 彩った。 「ぐっ‥‥」 大神は壁際まで飛ばされていた。 「!‥‥これもか!?‥‥よくぞ、ここまで成長した」 神凪が唸る。 神凪は中央に、大神は壁際に‥‥壁に背を預るように立っていた。 「くっ‥‥なぜ‥‥手応えはあったのに‥‥」 「‥‥カンナ‥‥見たか?」 「‥‥え?」 唐突に指名されたカンナは面喰らった。 人知を越えた攻防に、カンナは最早冷静に見ていることなどできなかった。他の 少女たちにとっては、それ以前の問題。あまりにも自分たちとかけ離れている‥ ‥ここまで力の差があったとは‥‥ 神凪の力は確かに実戦でまざまざと見せつけられた。問題は大神だった。大神の 力は成長したにしても、あまりにも破格すぎる。 自分たちと同等の力を有している‥‥男性。 女性にしか扱えなかった霊子甲冑を駆ることのできる男性。 それだけで一目置けるのに‥‥それが、なぜ、これほど短期間に‥‥これほどの 力を‥‥この人は‥‥ 「‥‥し、司令が‥‥隊長のネリチョギを‥‥防御した‥‥あれか?」 「そうだ‥‥前にも言ったろ‥‥躱すことの出来ない攻撃はあるが、それを相殺 する方法、流す方法があると‥‥」 「あ、ああ‥‥だけど‥‥相殺したにしては‥‥‥‥流した?‥‥違うな‥‥」 「‥‥ふっ、よく見ていたな‥‥‥‥あれは、”喰った”のさ‥‥」 「えっ!?」 「お前の防御技‥‥さっき大神も使ったが、あれは結構体力が要る。敵の繰り出 す攻撃が自分と同等以下の力とは限らんしな。今の大神がそうだ‥‥そこで、” 流す”ことや、”取り入れる”ことが有効になる。力が要らんからな。実戦では 重要だ」 「そ、そうか‥‥そうだよな‥‥」 「だが、今のやり方はお前には向かんだろう‥‥‥‥そうだな、流したほうが‥ ‥うむ、そのほうがお前には合ってる‥‥」 「そ、そんな‥‥ど、どうすれば‥‥」 「ふっ、今すぐ会得しろなんて言わんよ。あの防御技だけでも、たいしたものだ よ‥‥‥‥大神、お前は、見ただけで自分のものにしたようだな‥‥褒めてや る」 「く、喰われたのか‥‥ど、道理で‥‥変な感触だった‥‥」 「しかも”双龍”まで平気で耐えるとは‥‥‥‥人間に対して使ったのは、始め てだったんだが‥‥‥ふっ、花組隊長は伊達ではないな‥‥」 神凪は再び構えを創った。腰を降ろし右拳を前に出す。左拳は胸の前へ‥‥不動 の岩のような、八極拳の構え。 「最後の防御は完璧だ‥‥力の配分も申し分ない‥‥さあ、もっとお前の力を見 せてみろっ」 「‥‥俺は‥‥俺は、立ち止る訳にはいかない‥‥‥‥護らなければ‥‥いけな いっ!」 「そうだ‥‥かかってこいっ!」 導く者をさらに導く者。呆然と見ていた少女たちは改めて二人に魅了された。 さくらの神凪を見る目。 『わたしは‥‥どうすれば‥‥‥‥選べない‥‥‥‥どちらも‥‥大切な人‥ ‥』 すみれの大神を見る目。 『もう、あなたなしでは‥‥生きてはいけない‥‥‥忘れるなんて‥‥無理‥ ‥』 マリアの二人の大神を見つめる目。 『わたしは‥‥馬鹿だった‥‥‥‥許してください‥‥わたしは‥‥わたしは‥ ‥』 そして、カンナはそんな少女たちの想いとは、少し違った位置に想いを馳せた。 勿論二人の大神に対する想いに、引けなど取るものではなかったが‥‥ 『ちきしょう‥‥冗談じゃねえ‥‥負けて‥‥負けてたまるかよ‥‥‥‥隊長は ‥‥隊長は、あたいが護るんだ‥‥誰にも‥‥誰にも譲らねえぜっ』 カンナは拳をぐっと握り締めた。 大神を見つめ、そして神凪を見つめる。 ともに自分を導く人、そして護ってくれる人。 『‥‥司令にだって‥‥司令にだって、譲らねえからな‥‥』 大神の周囲にそれまでとは違う霊力の帯が収束しつつあった。 青白い稲妻に、さらに絡み付くように生まれる金色の光の粒‥‥そして、紫色の 光の珠。 逆立つ髪が瞬間、虹色に染まる。ステンドグラスから零れる七色の光のように。 光を司る神が一瞬そこに舞い降りた。 それを神凪は見逃さなかった。 『!!!‥‥覚醒しつつある‥‥なぜ‥‥なぜ、これほど早く‥‥呪縛が解かれ たのか!?』 神凪は驚愕した。 紅蘭の導き‥‥それを待たずして、その片鱗を見せつつある大神の真の力。 『‥‥いや、まだだ‥‥やはり、まだ、足りない‥‥‥‥しかし、なぜ‥‥』 神凪はちらっと少女たちに視線を移した。 その片隅に、弱々しく佇む紫色の少女。 『‥‥!‥‥そうか‥‥そういうことか‥‥‥』 神凪の瞳が優しい光を放つ。 それは大切な‥‥愛しい人を見る目だった。 『‥‥彼女が‥‥彼女との、それが‥‥必要だったのか‥‥』 大神は、腹の底のあの暗い海が、もう暗くはないことに気づいていた。 それはいつしかすみれ色に染まっていた。それはすみれと結ばれた時にはっきり と認識できた。すみれの想いが、あの夕陽に染まったベルベットのような海を映 し出した。暗い海の油膜は消えていた。 夕陽の赤に染まった海‥‥その上にビロードのように輝く、すみれ色の波。 力が沸き上がってくる。 それは決して暗い力ではなかった。 すみれをちらっと見る。 すみれは神凪と‥‥そして大神の視線に気づいた。 「‥‥司令‥‥大神、さん‥‥」 「ありがとう‥‥すみれくん」 二人の大神は‥‥意図せず、声を揃えて呟いた。 ‥‥だが、まだ‥‥まだ足りない。 『‥‥紅蘭‥‥やはり、君が必要なのか‥‥』 大神は未だ滞在する足枷を物ともせず、解放できるだけの力を拳にかき集めた。 稲妻が奔る。 青白い稲妻、そして舞い飛ぶ紫光の数珠。 神凪はしばし見とれた。 そして‥‥さらに強大な黒い霊力を噴出させた。 底なしの暗闇。 闇を喰らうべくして産まれた真の暗闇。 そして青い稲妻を席捲する黒い稲妻。 少女たちは‥‥最早呼吸することすら忘れかけていた。 そこにいたのは‥‥まさに神、だった。 光と影を司る神。 再生の神‥‥そして破壊の神。 「ここまで‥‥俺をマジにさせる‥‥‥‥天晴れだぞ、一郎」 「‥‥まだ‥‥まだまだ、これからだっ!」 大神が青白い軌跡と紫煙の影を描いて突進した。 待ち受ける神凪‥‥その周りを黒い稲妻が奔り、暗黒の数珠が無数に泳いでい た。 「んぬあああああああーーーっっ!!」 大神の鉄拳が青紫色の橋を創った。 神凪の掌に黒い珠が収束した。 閃光が鍛練室を覆った。 すぐに地震のような振動が帝国劇場を襲う。 カンナはさくらを、マリアはすみれを庇って、床に伏せた。 閃光はすぐに消えた。 そして‥‥ 少女たちは目を見開いた。 掌を延ばす神凪の前には、大神はいなかった。 高い天井‥‥まるで世界が逆さまになったように‥‥天井という水面を飛翔する 白鳥。 それが‥‥ついに舞い降りた。 黒豹が迎え撃つ。 すみれは‥‥さくらは‥‥ いつか竹林で見た美しい光景が、再びそれ以上の輝きを以て脳裏に焼きつくのを 覚えた。死ぬまで忘れない光景となった。 マリアは‥‥カンナは‥‥ その力強く、しかし儚い夢のような美しさに、こころも身体も奪われたていた。 一生忘れない映像が心に刻み込まれた。 「狼虎滅却‥‥」 大神は両腕を翼のように展開した。 「狼虎滅却‥‥」 神凪は両腕を顎のように構えた。 「無双天威・陽刻!!」 「無双天威・月読!!」 カッ‥‥ 白と黒の閃光が鍛練室を埋め尽くした。 少女たちは思った。 死‥‥でも‥‥このまま‥‥あやめさんの‥‥ところに‥‥二人と‥‥一緒に‥ ‥ ‥‥二人の神が、あやめのいるその場所へ導いてくれる。 音はしなかった。 無音の技‥‥ いや、音はしたかもしれない。 鼓膜にはなにも感じられない。 陽刻‥‥ひのとき。大神の光の技。 月読‥‥つきよみ。神凪の影の技。 ともに無双天威の裏技。 狼虎滅却抜刀術は無手の技にも拡張される。 その開祖、大神の家系にある伝承者たちは、無双天威が完成するに能って、さら にそれを二つの派生技に展開した。それは伝授する者の属性‥‥即ち光か闇か。 無双天威が自然の力をも巻き込むことを理解した先人たちは、それが必ず伝授さ れる者本来の性質を顕在化させると直感した。 無双天威を完成させた開祖は闇の属性を持っていた。そして”月読”を編み出し た。それはとりも直さず神凪が戦闘で使った技。躱すことなど出来ない三段構え の‥‥無の世界への回廊。 だが、その闇の力を統べる新たな力が要る。それがあまりにも強大な力であった ために。破滅をも導きかねないその闇の力。そう、闇では屈することの出来ない 者、そしてこの技を持つ者が真に闇の者へと変貌した時に、それを導く者‥‥光 の属性を持つ伝承者、”月読”に対抗できる技‥‥それが必要だった。 光の属性を持つ者が現れるのは長い年月がかかった‥‥それは大神の父親だっ た。大神の父は無双天威を会得するに能って、それが自分の持つべき技ではない ことを直感した。認識力は大神本人よりも遥かに上にあった。そして”月読”に 対抗できる技を、自らの肉体をも犠牲にして編み出すことになった。勿論それは 息子である麗一‥‥即ち神凪が闇の属性を持つことを認識した上で、”月読”を 受け渡した後のこと。 神凪は”月読”を会得するのに時間を必要としなかった。 天才‥‥そして闇の属性を持つ者としては歴代最大最強の素養を持つ、無の世界 への使者。まだ12歳。弟である一郎‥‥大神は7歳。父親は大神の属性は認識 してはいない。神凪の力はそこで発現した。が、まだ年少であったために、現在 の力には程遠いものであり、しかも父親が放った”陽刻”も未完成であった。未 完成の技が邂逅する結果は、父親の死だった。 父親は忌の際に神凪に剣を渡した。長剣‥‥それは霊剣修羅王。そして荒鷹真打 と二振の長めの小太刀‥‥霊剣雷神と風神。小太刀は一郎に渡せ、との遺言を以 って。荒鷹はいずれ会うお前の‥‥ 神凪はそこで自分本来の力が未だ潜在下にあること、”月読”の先にそれ以上の 闇を統べる力があること‥‥そして弟である大神が光の属性を持つ者であること を認識した。弟である大神の力は自分に匹敵するもの‥‥あるいはそれを凌ぐも のだと、その時はっきりとわかった。時間が要る‥‥ 神凪は中学の卒業を待って帝都に、そして大陸に移動した。まずは自分の力を完 全に目覚めさせること、しかる後に弟である大神の力を覚醒させること。大神の 力の片鱗は、”触媒”として現れるだけに留まっていた。 神凪は時計を弟に渡した。そして一冊の書物を眠る大神の枕元に置き、大神の前 から消えた。母親の涙だけがそれを見送った‥‥ 少女たちは、感覚を取り戻した。 生きている‥‥ 目を閉じることはなかった。 この目に焼き付けておく‥‥その意思が強く働いていた。 網膜の白と黒の残像が少しずつ薄らいでいく。 そこには‥‥ 二人の神がいた。 白い神が‥‥黒い神に跪いている‥‥ 「‥‥よくぞ‥‥ここまで‥‥成長した‥‥」 「‥‥‥‥」 「褒めてつかわす‥‥」 「‥‥‥‥」 「だが‥‥お前は‥‥これからだ‥‥これからが‥‥正念場だ‥‥」 「‥‥‥‥」 黒い神‥‥神凪の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。それが、つっ、と頬につ たってくる。 白い神‥‥大神は膝をついて目を閉じていた。意識がなかった。 「鍛練室を破壊しないように‥‥制御したか‥‥ふっ、いい心掛けだ」 それは神凪も同じだった。力を全て内側に向ける‥‥逆に恐るべき霊力が必要だ った。神凪は”陽刻”を相殺する力だけを抽出した。 大神の放った”陽刻”は未完成だった。が、それは力を制御しなかった場合、神 凪の無双天威に匹敵する威力を示したはず。それは神凪にもわかった。全ての呪 縛が解放された時‥‥ 「ふふ‥‥これは‥‥楽しみだな‥‥‥‥お前はもう戦場に出ても大丈夫だろう ‥‥」 光と影の無双天威が邂逅する時、大神の意識が神凪に流れ込んできた。そこには 焦りや躊躇い、戸惑いなどはなかった。 「‥‥どうだったい、お嬢さんがた‥‥なかなかの見物だったろう」 「‥‥‥‥」 勿論、返答など出来るはずもない。 天国への階段から無理矢理引き戻された少女たち‥‥それがいいのか悪いのか。 「‥‥ふっ‥‥ま、いっか‥‥どれ、大神を‥‥」 神凪は大神を抱えた。怪我はない。部屋に寝かせるだけで済みそうだ。 黒い破壊神に抱かれる白い再生の神。 「はああ‥‥」 と、ようやく溜息混じりの声が生まれた。 「‥‥ん?」 「い、いいわあ‥‥」 「そ、そのような‥‥あああ‥‥」 「わ、わたしも‥‥つ、連れて‥‥あああ‥‥」 「な、なんだよ‥‥」 神凪はまたもや後ずさった。 「カ、カンナ、そ、そこ開けてくれ」 「‥‥あ?‥‥あ、ああ‥‥」 カンナも半ば惚けたまま、大神を抱える神凪とともに鍛練室を後にした。出際に ちらっとマリアを見つめるが‥‥問題なさそうだ。すみれも‥‥ん、大丈夫。さ くらは‥‥あははは、なんだ、あの顔‥‥ カンナは笑みを浮かべて、二人の大神の前に立って歩いた。 「‥‥隊長は‥‥大丈夫かな‥‥」 「ん‥‥早いとこ、こいつの神武、上げないとな‥‥」 「‥‥楽しみだな」 「ふっ、まあな‥‥‥‥特攻隊長の座、奪われるかもしれんな、カンナ‥‥」 「‥‥冗談だろ‥‥‥‥だれにも‥‥だれにも譲らねえぜっ」 「ふふ‥‥」 大神は夢を見ていた。 自分を抱く‥‥だれだろう‥‥ 子供の頃の‥‥ ‥‥一郎‥‥ にいちゃん、早く、早く行こうよ‥‥ ‥‥ちょ、ちょっと待て‥‥ 「‥‥お、おい一郎、そんな走ると‥‥」 「はやく‥‥場所が‥‥なくなっちゃうよっ」 「ふふふ‥‥一郎ったら‥‥」 「はああ‥‥」 ドーーン‥‥パチパチパチ‥‥パチ‥‥パラパラ‥‥パラ‥‥ 「あ‥‥もう、始まってる‥‥」 「ほんとだ‥‥」 「きれいだな‥‥」 「そうね‥‥」 ドーン‥‥ 「あ、ここに座ろ、母さん‥‥にいちゃんも‥‥」 「‥‥よいしょ‥‥おいで、一郎‥‥」 「うん‥‥」 「お前‥‥いつまで経っても、母さんに‥‥まったく‥‥」 「べ〜‥‥えへへ‥‥」 「うふふふ‥‥まあ、いいじゃないの‥‥はああ‥‥きれいね‥‥」 「はああ‥‥ほんとだ‥‥」 ドーンッ‥‥パチパチパチ‥‥パチ‥‥パチ‥‥ 「寒くない‥‥一郎‥‥」 「ううん‥‥母さんがいるもん」 「ふふ‥‥」 「‥‥ちぇっ‥‥いいよな、お前‥‥」 「‥‥にいちゃんも、こうすれば?」 「ば、馬鹿か、お前、お、俺は‥‥」 「うふふ‥‥おいで、麗一‥‥」 「な、何、言ってるんだよ、母さん‥‥」 「うふふ‥‥」 ドーンッ‥‥ド、ドーーンッ‥‥パチパチパチパチ‥‥ 「きれいだなあ‥‥ずっと‥‥こうして‥‥いたいなあ‥‥」 「‥‥そうだな」 「そうね‥‥」 ドーンッ‥‥パラパラ‥‥ パラッ‥‥ パチッ‥‥パチ‥‥ ブオーーン‥‥ 地下室に蒸気音が木霊する。 夢の中の大神は、その望み通り川原の土手で見る花火だけで彩られていた。 母の胸の中で、柔らかい膝の上で‥‥ 横に兄がいる。 微笑んでいる。 麗一の顔には、いつか見た、あの悲しい表情はなかった。 大神の寝顔は子供のようだった。 見下ろす神凪の口元はいつしか笑みが浮かび、そして目は優しい父親の光が宿っ ていた。 カンナはそんな二人を時折振り返りながら、二人の前を歩く。 ‥‥やはり‥‥兄弟、だな‥‥ そして、前を向いて階段を上る。 カンナの口元にも笑みが浮かぶ。 一瞬目を閉じる。 そして目を開く。 強い輝きを持つ瞳‥‥炎の化身。 二人の神が歩く道‥‥それを切り開く神の使い、神の守護神のようでもあった。<六章終わり>
Uploaded 1997.11.06
ふみちゃんさんの大作、「花組野外公演」第六章です。 さて、読み終えたあなたに質問します。 ”あなたは、誰を、選びますか・・・?” 大神と神凪へと思いを寄せる少女達。 さくら、すみれ、カンナ、マリア、アイリス。 いつかは訪れる、試練。 誰かを、自分のそばにいてくれる誰かを、いつかは、選ばなければならない。 それが他の少女を傷つけることであっても。 それは、避けては通れないものだから。 ・・・たぶん、ショックを受けたかたもいるでしょう。 怒りを覚えた人もいるかもしれません。 でも、いつかは選ばなければならないのです。どんなにつらくても、苦しくても。 答えを出さず、まどろみのなかにいては、自分も彼女も先へと進むことは出来ないのだから。 サクラ大戦の小説はいっぱいありますが、まだまだはっきりと大神と誰がくっついた、 とかいうのを明示している小説は少ないです。 だって、誰が大神と一緒になったって不思議じゃあないんですから。 サクラに出てくる少女達は、みんな可愛らしい娘ばかりですし、だからこそ大神も迷うわけで、 誰にでも可能性はあると思います。 その可能性のひとつとして、ふみちゃんさんは、すみれと結ばれるというふうにしてくれました。 でも、マリアの「決まりだと、思わないでよ」の台詞通り、まだまだチャンスは誰にでもあります。 ぐらりとすみれに傾いた大神の心の天秤ですが、まだまだぐらついているみたいですから、 椿ちゃんにだって、大穴のかすみさん(!)や由里ちゃん(!!)にだって、まだチャンスはあるんだぞっ!! #あおってどうする?(笑) さあ、皆さん。ふみちゃんさんへ感想のメールを出しましょう!
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